第911話 ピンクの正体
「本当に私は第十一使徒ミサなんて女とは、何にも、これっぽっちも関係がないのっ! お願い、信じてぇーっ!!」
「……嘘は言ってないわね」
「しゃオラァッ!!」
勝利の雄叫びを上げるピンクの姿に、クロノもリリィも複雑な表情を浮かべた。
いつものフルフェイスマスクを被らず素顔を晒すピンクは、本当にあの憎き使徒ミサとよく似ている。だが冷静に記憶の中にある邪悪な彼女の顔と見比べると……ピンクの顔は若干、大人びているように感じた。さらに言えば、体の方もピンクの方が明らかに育っている。スタイルは無駄に良い。
そんな感じでソックリではあるが、完全に同じではない。少なくとも、ホムンクルスのように人造ではなさそうであった。
「ひとまず、疑いが晴れて良かった。本当にすまないことをした。勘違いで襲い掛かった俺が悪かった、ピンク」
「分かってくれればそれでいいのよ。後は誠意ある賠償をしてくれれば完璧よ」
「魔王陛下を相手に舐めた口を利いたのを不問にするだけで、賠償は十分過ぎるわね」
「そ、そんなぁ! クロノくんが魔王のくせにあまりにも冒険者時代と変わらないから、ついそういう感じで言っちゃうのはしょうがないでしょ!? 私、悪くないもん!!」
「凄いな、この期に及んで悪びれないどころか俺に責任転嫁する胆力。真の冒険者かよ」
「もう、クロノは甘すぎるんだから」
ピンクの態度を笑って許すクロノに、リリィは口を尖らせる。
先ほどまで漂っていた緊張感はすでにない。リリィ自身がピンクの言葉を真実であると認めたからである。
ベルドリア攻略戦の勲章授与式にて、ピンクが素顔を晒したことで発生した魔王直々の打ち首未遂事件。
帝国史上初の放送事故ともなった現場はそれはもう大変な混乱の極みに陥ったが————唯一あの瞬間に真実を見抜いたサリエルの取り成しによって、ピンクは正に首の皮一枚のところで命が繋がった。
ピンクはミサではない。決して変装して忍び込んで来た使徒が、魔王暗殺を企てたワケではないと早々に明らかになったことで、ひとまずその場での殺害は止められた。
しかしながら、ただの偶然と片づけるにはあまりにも楽観的だ。本人も与り知らぬ、思わぬ繋がりがないとも限らない。
よってピンクの素性について詳細に聞き取り調査をするため、彼女はパンデモニウム自由学園で最も厳重な取調室へと連行された。
その取り調べを行うのは、帝国において最強のテレパシー使いでもあるリリィ女王陛下である。
そして使徒に関わることについては、どんな些細なことでも無視はできないと、クロノも自ら事情を聴くべく同行してきたのだった。
リリィの設計による特性の取り調べ室は、テレパシーによる相手の脳への干渉力を強めることに特化している。ここで拘束された者は、どれほど精神防護に優れていようとも、必ず時間をかけて全てのプロテクトは破れ、ありとあらゆる記憶を曝け出すこととなるだろう。
一切の嘘偽りは許さぬと、不気味に輝く魔法陣の刻まれた椅子に拘束されたピンクの頭に直接手を触れてリリィが聞き出した結果……こうして疑いは晴れるに至ったワケである。
「まぁ、いいじゃないか。どうせここには身内しかいない。堅苦しいのは抜きで、気楽に話してくれ。酒でも持って来させようか?」
「はいはいはい! 私アレ、授与式にあったあの高そうなヤツがいい!」
「この女、もう別の罪状でぶち込んでやろうかしら……」
無罪放免を勝ち取り、すっかりいつもの調子に戻ったピンクは、テレパシー尋問用の椅子の上でも堂々とくつろいでいる。魔王陛下がお高い酒も奢ってくれると、さらに気分も上々だ。
「いい、これから話すことについても、一切の嘘偽りは許さないわ。誤解を招く表現や、意図的に真実を隠す物言い、そういったことも許さない。聞かれたことには正確に、過不足なく答えなさい」
「イエス、マム!」
しっかりとリリィが釘を刺した上で、ピンクは自らの素性を洗いざらい打ち明け始めた。
「私、実は淫魔なんだよね」
「人間じゃなかったのか」
「角も羽も尻尾もない、耳も尖らない、そういう特徴が一切ないタイプのサキュバスだって、まぁいないことはないから」
基本的に女性型の淫魔、すなわちサキュバスと呼ばれる種族は、おおよそピンクが語った特徴が現れる。その全てを備えた姿をしているのが淫魔の神である『淫魔女王プリムヴェール』であり、それに近いほど強力な魅了と誘惑の力を授かる。
よって一切特徴がなく人間同様の体を持つピンクは、サキュバスとしては下級、才能ナシと言うべき姿だ。
「生まれはどこなの」
「スパーダの隅っこにある、『プリムヴェールの地下神殿』。前にサリエルちゃんと一緒に攻略したとこ」
「ああ、あの淫魔鎧を拾ってきたとこか」
そういえば、サリエルがまだ冒険者ランク上げをしていた頃に、そんなイベントがあったなとクロノは思い出す。
ピンクと共に攻略したことも聞いていたが、やけにダンジョン内のギミックやモンスターに詳しい、とサリエルが語っていた。
ピンクがこのダンジョンに詳しいのは当然のこと。自分が生まれ育った場所なのだから。
「なるほど、ダンジョン内のモンスターが自我を獲得して生まれたタイプってことか」
そういった生まれの筆頭は、アンデッド族である。
闇属性の魔力によって偽りの生命を得ている特性上、生殖の概念がそもそも存在しない種族だ。ヴァンパイアなどほとんど生身の肉体を持つに等しいタイプは、それに準じて性欲があり生殖も可能だが……スケルトンやゴーレムといった生身がないタイプは例外なく肉体的な繁殖はしない。
子を作らない特性上、彼らは家族が存在しない個人であることが大半だ。親によって生み育てられたのではなく、モンスターとして彷徨い、戦い、生き続けた果てに自ら獲得した自我によって、自己の存在を確立して人となる。
人間であり、日本においては何の変哲もない一般家庭で生まれ育ったクロノには、実感を持って彼らの生い立ちを理解することはできないが……スケルトンのモズルンをはじめ、そういった人々との出会いは十分に経験している。彼らが同じ人であると認識することに、クロノは一切の疑いはない。
ないのだが、まさか普通の人間女性のような姿で、そんな生まれであることは驚きであった。
「しかし、よくダンジョンで生まれて生き残ってこれたな」
ゲームのように種族も何もかも異なるモンスター達が、同じエネミーというだけで一致団結して主人公パーティに襲い掛かって来る、ということはこの異世界の現実ではありえない。ダンジョンにはその環境に応じて様々なモンスターが生息し、それぞれの生態系を形成している。
よって、出身地であるダンジョンに潜っても、そこにいるモンスターには普通に襲われるのだ。サリエルが助けに入った時、モンスターの群れに追いかけられていたのは、久しぶりに地元に戻って調子に乗った結果である。
曲がりなりにもランク5冒険者となってもこのザマである。生まれたばかりの最弱サキュバスのピンクは、今ほどの戦闘能力もなかった以上、より過酷な環境で生き抜いてきたと言えよう。
「別に赤ん坊としてオギャーと産まれるワケじゃないから。ダンジョンでの生き残り方は自我が目覚めた時からもう覚えてるし」
「先に育った体があって、後になって自我が宿るってのは、本当に不思議な話だな……」
「まぁ、それなりに苦労はしたけどね。でも私は目覚めてすぐに安全地帯を見つけられたから」
「————ふぅん、なるほどね。随分と良い場所じゃない。まだ古代の機能が生きている部屋を見つけるなんて」
「あああ、記憶が覗かれている感覚ぅ……」
座り直してピンクの手を握りながら聴取をしていたリリィは、その安全地帯とやらの光景を彼女の記憶を通して直接、見ているようだった。
「どんな部屋なんだ?」
「ほら、もっとしっかり思い出しなさい。細かいところまで見えないでしょ」
「く、詳しく教えるからぁ! そこはっ、そこはらめなのぉ……」
かなり深くテレパシーで探られている感覚に、ピンクが悶えている。
サキュバスだと知ったせいか、それともミサとよく似た美しい顔が露わになっているためか。身をよじって矯正を上げるピンクの姿が妙に色っぽく見えてしまい、クロノは負けた気がした。
「うーん、なんだか変わった内装ね。設備自体はただの客間といった感じだけれど」
ベッドとクローゼット。備え付けのテーブルとイスに、小さいながらもシャワールームとトイレも併設されている。壁際には小型のヴィジョンが設置されているのが、古代らしい設備だ。
客間か宿の一室といったような、単なる生活空間。これだけ設備が整った安全地帯があるならば、後は食料さえ賄えればダンジョン内でも快適に過ごせるだろう。
「でも、なんでこんな全体的にピンク色なのかしら。ベッドなんてハート型で、なんかグルグル回るし……落ち着かないでしょ、こんなの」
「えっ、それってもしかしてラブホ————」
「何か心当たりがあるの、クロノ?」
「いや、何でもない」
純粋な眼差しで聞いて来るリリィから、逃げる様に視線を逸らすクロノ。
すでに関係を結んでいるとはいえ、幼女姿のリリィにラブホテルについて詳しく説明しようという気にはとてもならなかった。
「日本にも似たような内装の部屋が極一部にあったからな。古代は異邦人も多かったらしいし、文化が逆輸入されたのかと、そういう想像をしてしまっただけだ」
「ふぅん。クロノは行ったことあるの?」
「いいや、俺には一切縁のない場所だったからな」
知識として知っているだけさ、と素知らぬ顔で誤魔化し切るクロノであった。
ともかく、古典的なラブホ部屋であろうとも、安全な生活場所としては機能していることは確かだ。灯りも点けば、水も出る。古代遺跡としての恩恵を十二分に受けている。
「ううぅ……とにかく、私はそこのお陰で安全に生き延びられたのよ」
ピンクが当時の生活の様子を細々と語る。
徘徊する強いモンスターには見つからないよう隠れながら、自分よりも弱い小型モンスターを狩って日々の糧を得て、戦闘の経験を積む。
弓はこの時から使っていた。偶然、サキュバスにやられた冒険者のそこそこ良い装備が綺麗に丸ごと残っていたのを拝借したのだ。
たまに見つかって死に物狂いで逃走したり、遊び半分で同族のサキュバス達に弄ばれたりもした。でも純潔は守り抜いたから、と誇らしげに言うのはちょっと止めて欲しい、とクロノは思った。
「苦しい生活だったわ……でもね、そんな時に私の心の支えになったのが『ファイブレンジャー』なの」
「ファイブレンジャー?」
「もしかして、ヴィジョンに番組が残っていたのか!?」
全くピンと来ないリリィだったが、クロノはすぐに察した。
電気ガス水道が生きているも同然な現代的な一室。ならばそこに残されていたテレビ、もといヴィジョンにも何かしらの映像が録画されているのではないだろうかと。
「そう、『ファイブレンジャー』は古代に放送されていた番組よ。あのヴィジョンも半分壊れかけだったから、他に大したものは見れなかったけど……奇跡的に『ファイブレンジャー』だけは見ることが出来たの」
「古代の番組、ね。まぁ、貴重な資料にはなるかしら?」
「私はこの『ファイブレンジャー』で、正義の何たるかを学んだの!」
学んだ結果がコレか……と言うのは止めておいた。
「そして私は、いつかここを抜けだしたら、立派な正義の味方になると心に誓ったの!」
誓った結果が……ともかく、ピンクがやけにカラフル五人組レンジャーにこだわる理由は明らかとなった。
実際、ダンジョンを脱して外へ出て行ける頃になれば、冒険者としても相応の実力は身についていたことも間違いない。
「冒険者ギルドは本当にいいわよね。身元なんかなくたって、すぐに身分保障してくれるから」
思えば、こういったダンジョンから現れる人々の存在も、冒険者ギルドが来るもの拒まずといった制度である一因なのかもしれない。
冒険者にすらなれずに、あらゆるコミュニティに拒まれ続けたならば、その者の行き着く先など知れている。そうなれば、モンスターと変わらない。
「私が冒険者になった後のことは、ギルドに記録が残っている通りよ。まぁ、スパーダは占領されちゃってるから、今は確認できないけどね」
ピンクはそうして志を同じくする仲間達と出会い、冒険者パーティ『ブレイドレンジャー』を結成し、数々の功績を上げてランク5にまで至るのだが————それはもう、このパンドラ大陸ではどこの国でもある冒険者の成り上がり物語に過ぎない。
「……やはり、ミサと繋がりがあるようなことは、何もないようだな」
「当然でしょ、私はダンジョン生まれのスパーダ育ちなんだから。あんな海の向こうからやって来た奴らと、関係なんてあるはずないわよ」
「そうね。ダンジョンでサキュバスとして生まれた以上、シンクレアの人間と関わりなんて出来ようもない」
そしてピンクは嘘を吐いてはいない。リリィにはピンクが思い出語りをする度に、その脳裏に再生される当時の記憶をはっきりと目にしている。
人は思い込みで嘘を真実と信じることはできるが、脳に残る映像記憶まで捏造することはできない。
リリィは確かに、古代のラブホ部屋でサバイバル生活を営むピンクの姿を確認している。彼女は本当にダンジョンで生まれ、そこで暮らして来たのだ。
「分かったわ。ピンク、貴女が第十一使徒ミサと一切の関係がないことを認めましょう。不幸にも、貴女はあの忌むべき敵と瓜二つだったというだけのこと」
「冤罪をかけられた私の賠償は」
「お前には後日、改めて勲章を授与する。放送もして、詳しい事情も伝えよう。混沌騎士団の大隊長としての地位と名誉を守ることを約束する」
「えっ、地位と名誉だけじゃお金にはならないわよ?」
「————分かった、謝罪も込みで金一封を授ける」
「ちょっとクロノ、やっぱり甘やかし過ぎよ」
「こちらの疑惑のせいで、ピンクは本来、人に語りたくはないような身の上を話したんだ。それも含めて、俺は悪いと思っている」
「さっすがクロノ魔王陛下、なんたる寛大なお言葉ぁ! オール・フォー・エルロードッ!!」
文字通り現金なピンクが元気よく最敬礼。十分な報酬を与える者には、敬意を払って尻尾を振る。それもまたピンクの正義なのだ。
「はぁ……なんだか余計に疲れたわ」
「お疲れ様、リリィ。今日はもう帰ってゆっくり休もう」
「そうも言っていられないでしょ。初めての勲章授与でやらかしちゃったんだから」
「うっ、エリナにも謝らないと……」
晴れて無罪放免となったピンクであるが、クロノとリリィは放送事故の対処も含めて、これからしなければならない仕事が山積みであった。
一足先に退席する魔王と女王の疲れた背中を敬礼で見送ってから、ちょっと過去話をするだけで稼げたとルンルン気分でピンクが取調室を出ようとした、その時である。
「ピンク」
「あっ、サリエルちゃん!」
いつもの無表情に、漆黒の軍装を纏ったサリエルは取調室という場所も相まって、いつにもまして冷徹な印象を与える。
だがサリエルは自分を真っ先に庇ってくれた命の恩人。大恩人である。
本気で殺しにかかってきた『エレメントマスター』を止めることが出来る者など、帝国には数えるほどしかいない。
「聞きたいことがある」
「うんうん、サリエルちゃんの質問なら何でも答えちゃうよ!」
「貴女が生活していた隠し部屋について」
サリエルは万一に備えた護衛として、取調室に同席していた。ただ、護衛としての役目に徹するため、部屋の隅に立ち一切発言もせず推移を見守っていただけである。
よって、クロノ達が聞いた話の内容は全て聞いていた。
「あそこが何か?」
「どこにあるのか、詳しく教えて欲しい」