第908話 羽猫メイド×エクスタシー
「ううぅー! むうぅーっ!!」
メイド姿のネルが枕に顔を押し付けて、バタバタしている。
さながら黒歴史を掘り返された大学生のようなリアクションであるが、こうさせてしまったのは俺の対応が悪かったせいなのだ。
「いや、ごめん、ネル。察しが悪くて……」
「ふぅうううう……」
そんなに恥ずかしいなら、やらなきゃいいじゃん、とは決して言ってはいけない。
猫のポーズと共に「ご奉仕するニャン!」と決め台詞を言い放ったネルを前に、俺は困惑した。
これが良くなかった。とりあえず何も考えずに「可愛いよ」とか「嬉しいな」とか笑顔でポジティブなこと言えば良かったんだ。
下手に困惑して状況が硬直した結果……やはり無理をしていたらしいネルは、顔を真っ赤にさせてベッドへと飛び込んでバタバタし始めてしまった、というワケである。
「そんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃないか。わざわざ、こんなに可愛い恰好をして出迎えてくれたんだ。ちょっと驚いたけど、俺は嬉しいよ」
今更感あるが、それでもストレートに気持ちを伝える。猫耳メイドに恥ずべきところなど、何一つありはしない。
ましてネルほどの美少女が、古典的とも言えるあざとい可愛さの詰め合わせたる猫耳メイドに扮してくれるなど、一体どれほど価値のあることか。秋葉原のメイド喫茶でもお目にかかれないぞ。
「本当に可愛い、ですか……?」
「凄い可愛いぞ。こんなに可愛いメイドさんに、ご奉仕されたいなー」
相当気持ち悪い台詞を言っている自覚はあるが、恥じ入るネルに自己肯定感を与えるにはこれくらい言わねばならぬ。
「可愛いメイドにご奉仕されたいと聞いて」
「おいバカッ、ヒツギ、今は出て来るんじゃない!」
ソーっと影から出て来ようとするヒツギを慌てて引っ込めさせつつ、俺はネルを励まし続けた。
そうこうしている内に、ようやくネルも落ち着いて来たのか、
「そ、そこまでクロノくんが言うならば……私、もう少し頑張ります」
ベッドから起き上がり、再び床へと降りると、若干乱れた衣装を整えた。
それにしても、改めて見ても凄い恰好だな。
フリル多めのミニスカタイプのメイド服は実にコスプレチックであるが、そこにつぎ込まれた素材も技術も最高級。間違いなくオーダーメイド……というか今、猫耳がピクって動かなかったか? まさか可動するというのか。一体どんな魔法を使ったというんだ。
そんなこだわり抜かれた衣装を身に纏うネルは、存分にその魅力を発揮している。
濃紺のスカートから覗くのは、白いニーソックスによって形成される絶対領域。純白のエプロンは胸元が大きく押し上げられているが、膨れることなく魅惑のボディラインが浮かぶ。流石はオーダーメイド、計算され尽くしたデザインとなっている。
けれど最も恐るべきポイントは、翼を出すために大胆に開かれた背中だ。メイド服のデザイン上、肌の露出は多くはない。だがこの背中だけは例外だと言わんばかりに、広い肌色面積が目に入る。
正直、枕に顔を埋めてバタバタしている最中も、かなり目の毒となる光景だった。
そんな魅惑の背中から生える白翼まであると、これは最早ただの猫耳メイドとは呼べないかもしれない。ネルのペットに羽の生えた子猫がいるので、羽猫メイドと呼ぶべきか。ネル以外は名乗れそうもない、ユニークジョブだ。
「えっと、それでは……お召し物をお預かりいたします!」
「お、おう」
追剥のような勢いで迫るネルに、思わずちょっと引いてしまった。
そんなに気合を入れなくても。別に上着を脱がせるくらいは、こうして寝室で一緒になる時には普通にやっていたと思うことだが、
「えっ、下も脱ぐの!?」
「お、お預かりいたしますので!」
しゃがみ込むなり、鬼気迫る表情でベルトに手をかけるネルには流石に驚かされる。
これ全部脱がせるつもりか。そう思った時には、もうズボンは下ろされ、パンツに手をかけられていた。
「いや、そこまではいいって……」
「お願いします、私に任せてください!」
今更、裸を見せるのに抵抗があるわけではないのだが、手ずから脱がされるのは初めてのことだ。
本物の王族はどうだか知らないが、元々一般人でしかない俺には、人の手で下着まで脱がされることに抵抗はある。こうして魔王となって傅かれる立場になっても、メイドにパンツを脱がせようとは思わない。たまにヒツギが調子乗って狙ってくるくらいなものだ。
ともかく、素直に恥ずかしいと感じるが……まぁ、ネルがそういうプレイを望むなら、頑なに拒絶するのも良くはない。
どこまでも真剣な表情でパンツに手をかけ見上げて来るネルに、離してくれとは言えるはずもないだろう。
「分かった、好きにしてくれ」
「はい、それでは————」
ベチィン!!
「ぴゃぁああああああああああああああああああああああああっ!!??」
不幸な事故が起こってしまった……そう、これは不幸な事故なんだ。
決して俺が自らの意思でぶつけたワケではないんだ。
ただ、ネルが顔を近づけすぎてしまっていただけで……いや、忘れよう。今のアクシデントは無かったことにするのが、お互いのためだ。
「————これでいいのか」
「は、はひぃ……」
真っ赤になった顔を両手で覆っているネルを傍らに、晴れて全裸となった俺は彼女の指示通りにベッドでうつ伏せとなった。
これから何をするつもりなのかと思うが、いまだ事故の衝撃が抜けきらないネルは、俺に近寄ろうとしない。
今はそっとしておいてやろう。彼女の動揺を示すように、頭の猫耳がグリングリンと動いているのを眺めながら、俺は静かに待つ。
「……それでは、マッサージをさせていただきます」
「ああ、頼む」
なるほど、そういうご奉仕なのね、と納得する。テンパったネルがまた何か素っ頓狂なことを仕出かすかも、と疑っていた部分もあったが、常識的な内容でちょっと安心。
と思っていたのもつかの間。ネルが手袋を外し、マッサージに使うと思しきなんかいい匂いのするオイルをその手にとる姿が、何故だかやたらエロく見えてしまった。
ネルは緊張の面持ちではあるが、手に取ったオイルを掌で伸ばしていく動きは実にスムーズ。マッサージオイルそのものは何度も使ったことがあるのだろう。
そうして、満遍なくオイルに塗れてキラキラ光るネルの両手が俺の背中へと伸ばされ、
「失礼いたします」
「うおっ!?」
こ、これは……ヤバい……
「力加減は如何でしょうか」
「うわぁ……ヤバい……スゲーいい……」
体と一緒に語彙力も溶けてしまうほどだ。
今日は特に慣れない空中戦で竜騎士団にフルボッコだったからな。俺の体は頑丈だしスタミナも底なしだが、それでも疲労感はある。いつにも増して疲れの溜まったこの体に、マッサージの刺激は特効的だ。
「ふふ、もっと気持ちよくなってくださいね、ご主人様」
「あふぅ……」
めちゃくちゃ通じていることに気を良くしたのか、弾む様なネルの声が降って来る。俺はあまりの心地よさに、情けない間抜けな返事をするだけ。
でもそんなことがどうでも良くなるほどの感覚に、俺は黙って身を任せた。
とても超人的な格闘能力を発揮するとは思えない、柔らかく滑らかなネルの手が流れる様に背中を指圧してゆく。ただ押されているだけでじゃない。体の芯まで届く様な感覚。それと一緒に、ジンワリと温かさが染み込んでくるような……温泉とはまた違った体の温まり方だな。
そのままうっかり寝入ってしまいそうな温かさと心地よさが続く中、俺は口を開いた。
「今夜は来ないかと思っていたから、来てくれて嬉しいよ」
今夜はネルの順番だった。
だがセリスが先日言っていたように、ファーレンから戻ってからのネルは仕事以外は部屋に籠り切りで、あまり顔を見せてはくれなかった。明らかに避けられているなと。
ただ俺としても心当たりがある以上、今はそっとしておこうと思ったが、
「ごめんなさい……その、どんな顔をしてクロノくんと会えばいいのか、分からなくて……」
「まぁ、その、ショックだった気持ちは分かるから」
俺だって行為を他人に見られるなんてのは初めてだったし。そもそも二人同時に相手したのも初めてだ。
フィオナもブリギットも、もう少し慎みを持ってくれても良いのではないだろうか。なんて、実際にやってしまった俺が言えた義理はないのだが。
「ええ、とても衝撃的で……だからこそ、自分に何が出来るのかって、ずっと考えていたんです。でも、私はとてもあの二人と同じことはできそうもないので……」
「いや、いい。ネルはそのままでいいんだ」
俺はそこまでハーレムプレイに対する願望が強いワケではない。一人ずつ、一人ずつでいいじゃないか。
「それで、このサービスというわけか」
「えへへ」
カワイイ照れ笑いが聞こえる。うつ伏せで、その顔が見えないのが残念だ。
「あの、それで、ですね……」
「うん?」
「今夜は私がご奉仕するので……クロノくんは動かないで、全て私に任せていただきたいのですが……」
うおおっ、ここで耳元に囁いて来る!
くっ、どうやらネルは、ただマッサージを施すだけで満足する気はないようだ。
しかし、なるほどな。これまでは俺の方からリードするから、耐えられなかったが、自分から行けば耐えられるラインを維持して行けるかも、といった感じか。
「ああ、分かった。ネルの好きにしてくれ」
「それでは、その……仰向けになってもらえますか?」
黄金魔神カーラマーラが消え去ったことで、無限の回廊と化していた第五階層は元々のシェルターとしてのサイズにまで戻っている。しかしながら、それでもなお古代の魔法技術の粋を集めて作り出されたエリアは広大だ。
中枢部たる白百合の玉座、司令部、魔王の寝室、そして天空戦艦シャングリラを格納するハンガー。厳重に立ち入りが制限されているエリアを除いても、まだまだ十分な敷地面積を誇っている。
そうしたエリアの一角は、訓練用として解放されている。
デウス神像を召喚することのできる宝物庫前広場はクロノ専用だが、その他の広場にはボス級のゴーレムを呼び出すことができる。強力かつ頑丈、そして何より制御が可能なボスゴーレムは練習相手に最適だ。
もっとも即座かつ無限に召喚できるワケではない。よって、その利用は帝国軍のエリートに限られる。
「————オラァッ!!」
今やエリートの筆頭である、第一突撃大隊長カイが練習用ボスゴーレムを相手に、大立ち回りを演じている。
「隊長ぉー! 時間デス、チェンジ、チェンジ!」
「ちょっと待ってくれよ、もうちょい試したい技が————」
「ルールは守るべきなの。出でよ、『白夜叉姫』」
「ウルスラぁー! 俺ごと狙うんじゃねぇーっ!!」
「少しくらいドレインされた方が大人しくなるの」
そんな騒がしい様子を、観戦用のテラス席から眺めていたシャルロットが、溜息を吐いていた。
「はぁ、隊長になって少しは落ち着いたかと思ったけど、カイは相変わらずね」
学園にいた頃と変わらぬやかましさに、呆れ半分、けれどもう半分の感情で微笑みが浮かぶ。
変わらないカイの姿に、こんなにも安心感を得られるのは、あまりにも変わってしまった者がいるが故に違いない。
そして今日ここに、また一人変わってしまった者が現れた。
「おはようございます、シャル。こんなところにいたのですね」
「んん? ああ、おはようネル————って何よその格好!?」
猫耳の生えたメイド服を身に纏った幼馴染の姿に、シャルロットは目を丸くする。とても正気とは思えないあざとい恰好のくせに、ネル自身は一片の恥じらいもなく堂々とした姿でいることも驚くべきところだ。
自分の知るネルであれば、こんな格好をさせられれば半泣きで赤面して蹲っているだろう。
「これですか? うふふ、殿方を喜ばせるためには、これくらいは、ね?」
「なにがっ!?」
調子に乗ってウインクまでくれる若干ウザい反応に、自ら進んでこんな格好をしたのだと確信する。
「仮にも姫が侍従の格好なんて……」
「外聞を気にするなど、愛の前には些細なことなのです」
ネルは隣へと腰掛けながら、妙に悟ったようなことを言うのもまたちょっとウザい。
今日のネルは明らかに様子が、そもそも姿からしておかしいのだが……ともかく、普段とは違う何か大きな変化があったに違いない。これほどの異変を前に、挨拶代わりの他愛のない雑談をすっ飛ばし、シャルロットは単刀直入に聞くことにした。
「で、何があったのよ」
「実は私、晴れて大人の女となったのです」
「えっ、ついにクロノとヤったの!?」
「あっあっあっ、そんなストレートに言わないでっ!」
自分で言うたやんけ、と思わず言い返したくなるが、真っ赤になって慌てるネルのリアクションにちょっと落ち着いた。やはり根っこの部分は変わっていないようだ。
「へぇー、はぁー、ふぅーん、ようやくねぇ……まぁ、色々あったみたいだけど、親友として祝福はしておいてあげる。おめでとう」
「ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべるネルに他意はないと分かってはいるものの、先を越されてしまったかというささやかな嫉妬心も湧いた。
この手のことには奥手に過ぎたネルのことを心配していたが、それが全くの杞憂であったと思えば馬鹿馬鹿しくもなる。
記念すべき昨晩の様子を直接的な表現を避けて、恥ずかし気に、けれどどこか誇らしげに語るネルに、シャルロットは苦笑いを浮かべながら相槌を打って聞きに徹してあげた。
「————これで私も、ようやく彼女達と同じラインに立てたのです」
「うん、まぁ、そうかもね」
「ですが、同じ真似をしても勝つことはできません。大切なのは、持ち味を活かすこと……そう、私は私に合ったアプローチをするのがベストなのです!」
「はぁ、そっすね」
恋愛論なんだか自分語りなんだか、どっちにしろしょうもないことを嬉々として力説するネルにどんどんおざなりな対応になってゆくシャルロットだが、ネルは一向に気にしない。
「私はこうして栄光の勝利を掴んだワケですが……シャルの方はどうなのですか?」
「えっ、どうって、何がよ」
「カイさんと婚約、したのでしょう」
「……したけどぉ」
急に自分の話を振られて、シャルの旗色は悪くなる。
昨晩の様子という下世話な内容でも平然とした顔で聞いていたシャルだが、自分のことを言われた途端に、頬を染めて露骨に視線を逸らし始めた。
「ちゃんと進展しているのですか?」
「し、進展って、別に……何もないわよ」
本当に、何もなかった。
ベルドリア攻略に向かう前夜、唐突にカイから告白されたシャル。それを彼女は————受けた。
まだ公にはしていないが、ネルを含めた極一部の者だけには、カイとシャルが婚約を結んだと話してはいる。遊びなどではない。カイもシャルも、どちらも本気だ。
だが、進展は何もなかった。
「それは良くないですよ。いいですかシャル、婚約を結んだとは言え、殿方はそれだけで満足するわけではないのですから」
自分が上手くいった途端にこの先輩面である。
どうやら初体験を失敗してしばらく引き籠りをしていた過去は、もうとっくに忘却の彼方へと追いやったらしい。
「違うわよ、私は別に、その、イヤとかじゃないし、いつでもいいけど……カイが言うのよ。ネロとケリがつくまでは、って」
「えっ、それは……もしかして、カイさんは……」
「ホント、バカなんだから————もうアイツだけよ、万に一つでも、ネロが戻って来てくれるかもしれないって、思っているのは」
使徒と化し、すでに父であり国王たるミリアルドに反旗を翻したネロは、もう後戻りなど出来るはずもない。
クロノは勿論、家族であるミリアルドとネル、そしてシャルロットもまた、ネロを許す気はないし、決して許されてはならないと覚悟は出来ている。
それは親友のカイとて同じだが……それでも、それでも万に一つでも、全て元通りに戻れる可能性を残したいと、カイだけは思っているのだと察するにはあまりある。
きっと本心では、シャルはネロと結ばれて欲しいと、それが本来あるべき形であり、最も幸せな結末だと信じているのだろう。
「そんなことありえないって、自分でも分かってるくせに————だから、これはただの意地よ」
馬鹿な男の、ただの意地だ。
シャルロット・トリスタン・スパーダという王女を手に入れるならば、ネロの屍を越えてからでなければならない。
「本当に優しいですね、カイさんは」
「ふん、馬鹿なだけよ。私の気持ちなんて考えないで、自分だけ意地張ってさ」
「それじゃあ、シャルの方から誘わないといけませんよ!」
「はぁっ!? さ、誘うとか、できるワケないし!」
「大丈夫ですよ、シャル。羽はなくても、猫耳メイドがあれば勝てます! 私と一緒に、ご奉仕するニャン」
「するかぁーっ!!」
この後、上機嫌なネルと荒れたシャルのコンビが訓練場に乱入し、第一突撃大隊を半壊させた。ランク5のプリンセスコンビは、伊達ではない。