第902話 コナハト奪還戦(4)
「第二防衛線、突破されました!」
「敵部隊に包囲されて孤立、至急救援を!」
「機甲騎士小隊、全滅……」
続々と飛び込んでくる悪い報告に、歴戦の将たるダーヴィス・ウェリントン伯爵も苦渋の表情を浮かべて唸った。
「むぅ、ここで粘るのも、最早限界か……」
総大将たるダーヴィスが陣取っているのは、城館ではなく町の中央広場である。関門だけでなく、峠を登って町の四方から侵入してくる敵に対処するためには、城館よりも現場に近い中央広場にいた方が速やかな陣頭指揮が執れる。
何の前触れもなく炸裂した関門への激しい砲撃と、上空から黒竜が炎を吹いて来るという、想像を超えた強力な奇襲を受けて始まった防衛戦だ。敵の圧力に守備兵は終始押され気味で、城館や町中の兵舎や詰所にファイアーブレスを受けたことで内部も混乱していた。
普通であれば指揮系統は寸断され、右往左往している内に敵に防衛線を突破され、一息に城館まで落とされてもおかしくない状況であった。
だがしかし、曲がりなりにも防衛線を再構築し町中で何とか敵の侵攻を食い止めることができているのは、即座に城館から広場まで出張って自ら陣頭指揮をとり防衛体制を立て直したダーヴィスの優れた指揮能力があってのこと。
コナハトに駐留させているのは自ら鍛え上げた自慢の騎士団を筆頭に、ウェリントン領出身の兵士が大半で構成されており、兵の質も高い。将と兵、どちらも揃ってこその善戦であった。
それでも、敵を押し返すにはとても至らない。彼らの奮闘は所詮、決定的な敗北を喫するまでの時間稼ぎにしかなってはいない。
攻め寄せて来る魔王軍は、それほどまでに強力であった。
「致し方あるまい……城館まで撤退する! 殿はこのダーヴィスが自ら務めよう。一人でも多くの兵を収容せよ!!」
「伯爵閣下、我々もお供いたします」
「すまんな。ようやく、お前達にも楽をさせてやれると思ったのだが」
若い頃から苦楽を共にして戦場を駆け抜け、生き残り、勝利してきた古参の騎士達がダーヴィスに続く。
ファーレンの大半を領有することに成功すれば、彼らのような家臣にこれまでの働きに報いるだけの広い領地を与えることができただろう。ダーヴィス自身、この戦いが終われば隠居する予定であり、同年代の古参達も静かに引退できるよう取り計らうつもりであった。
そんな計画もこの一夜でご破算となろうとしている。
「最後の最後で、これほど苦しい戦いに臨むことになるとはな」
「仕方ありますまい、これが戦場というもの。片時も油断はできません」
「まったくだな。それでは死力を尽くして戦い、後は神のご加護に縋るとしよう」
最も頼れる最精鋭のみを残し、中央広場から続々と兵士達を城館に向けて撤収させてゆく。
夜空を見上げれば、天馬騎士部隊は黒竜を相手に善戦しているのだろう。紅蓮の華が咲き誇り、無数の光魔法のラインが走り抜けていく。まだ空で戦っているということは、黒竜が再び城館を狙ってくることはない。
撤退する最中の無防備な頭上から炎を浴びせられて一網打尽にされる、という最悪のケースは今ならまだなんとか避けられそうである。
しかし気にするべきは黒竜ばかりではなく、地上の方であろう。
こちらが撤退を始めた気配を察したか、いよいよ勢い込んで敵が中央広場にまで到達し始めた。
「ふん、ダークエルフの木偶人形など見飽きたわっ!!」
最初に広場へと現れたのは、ダークエルフの尖兵たるウッドゴーレムの群れ。奴らの動きは鈍重だが、丸太のボディは弓矢を受けた程度ではとても止まらず、なまくらの刃で切り倒すことはかなわない。速度ではなく耐久力をもって、強引に陣地を突破し侵攻してくる。
ただの歩兵では数人がかりで止めねばならない厄介な召喚獣だが、ダーヴィスほどの将となれば、手にしたハルバードの一振りでまとめて粉砕できる。
鮮やかな青色と黄金の装飾に、十字教を象徴する純白に彩られたハルバードは伯爵が持つに相応しい一品だ。それは優美な見た目もさることながら、最高グレードに近い魔法武器としても立派な業物である。
栄えあるウェリントン伯爵家の紋章が刻印された大きな斧刃が、武技もなく純粋な膂力でもって、ウッドゴーレムの胴体をまとめて叩き割った。
「お見事! 腕は衰えておらぬようで」
「ふん、年寄りはお前らとて同じであろうが」
ダーヴィス同様に年配の騎士達が茶化しながらも、同じように軽々とウッドゴーレムを切り倒してゆく。
この程度の相手では、武技も必要なく、まして機甲鎧の力もいらない。押し寄せて来るウッドゴーレムを前に、ダーヴィス率いる殿部隊は難なく駆逐していった。
「むっ、木偶共も打ち止めか……これは、そろそろ本命が来るな」
すっかり数が減って再び静けさが戻って来ると、ダーヴィスはこの広場に通じる大通りの先を鋭い眼光で睨みつけた。
ほどなくすると、本命は隠れることなく堂々とやって来た。
「おらおらぁ、退けぇ!!」
威勢のいい叫びが広場にまで響き渡って来る。
最後までこの場で残ることを覚悟した精兵と急造のバリケードを容易く蹴散らしながら、一人の男が広場へと乗り込んで来た。
「しゃあっ、一番乗りぃ!」
神鉄の輝きを宿す大剣を叩きつけ、邪魔する者を武技の衝撃で吹き飛ばした男は、迷いなくダーヴィスへと視線を向けた。
超人的な身体能力と、天才的な武技の使い手。戦場にあっても楽し気な笑みを浮かべた勇ましくも精悍な顔立ち。極限まで鍛え抜かれた逞しい肉体には、湧き出す闘志が具現化したような青いオーラが迸っている。
その姿は、まるで覇気と野心に満ち溢れたかつての自分によく似たようで、けれど当時の自分などよりも、一回りも二回りも上の実力を持つ強者であるとダーヴィスは確信した。
「おおっ、ジイさん、アンタが大将だな。ナントカ伯爵!」
「威勢のいい若者が出て来たな。如何にも、この私がダーヴィス・ウェリントン伯爵。ファーレン攻略軍を率いる将である」
「俺の名はカイ・エスト・ガルブレイズ! 帝国軍第一突撃大隊隊長。スパーダのカイって、覚えておけ!」
「ほう、堂に入った名乗りではないか。このまま私に、一騎打ちでも申し込むつもりかな、スパーダのカイよ」
「そうしてぇのは山々なんだがよ、前にそれやって部下に怒られちまってなぁ、今回は控えることにしてんだ————おい、遅ぇぞ、お前ら!」
カイが振り返れば、ようやく後続の突撃隊員が広場へと雪崩れ込んできていた。
「隊長が早過ぎるのです。せめて、もう少し足並みは揃えていただかなければ」
開口一番、不満をぶつけるのは副隊長エリウッド。
元第一隊『ブレイブハート』中隊長を務めた歴戦のベテラン騎士の言うことは、指揮官としてはまだまだ未熟なカイには素直に耳が痛い。
「くぅー、追いつけなかったデス! 今日こそ一番乗りのはずだったのにぃ!」
「いややっぱり隊長が先走りすぎてるだけなの。アレに張り合っていたら、ますますバカになるから止めて欲しいの」
そしてさりげなくディスってくるレキとウルスラが並び立つ。突撃大隊最年少コンビの彼女達は今日も元気いっぱいだ。
他にも第一突撃大隊へと入った腕自慢の猛者達が続々と広場へと集結して来る。
「うわぁ、つ、強そうな騎士があんなに沢山並んでいる……レキ、ウル、二人とも危ないから、下がった方がいいよ!」
「シャーラップ!」
「大将首を前にして、引き下がるなんてありえないの、ヨッシー」
一際に大きな逞しい巨躯に、四本腕を備えた異形の大男。厳つい顔つきを、捨てられた子犬のように不安げな表情で、小さな二人を案じる言葉をかければ、反撃されて落ち込んでいた。
そんな彼の頭には、鋼鉄の兜仕様となった『思考支配装置』が鈍い輝きを発している。
「まっ、そういうワケで、悪いな伯爵。こっちも総力を挙げて、やらせてもらうぜ」
大剣を肩に担いだカイが不敵に笑う。
彼の背後にはオークやゴブリンを始めとした代表的な魔族の亜人種から、人型ですらないスライムや獣の姿も見受けられる。統一感のまるでない面々だが、純粋に戦闘能力だけで選抜して来た命知らずの精鋭達が、この第一突撃大隊である。
その様子を眺めたダーヴィスは、これはいよいよ本気を出さざるを得ないと心得、身に纏う聖なる鎧へエーテルの力を回し始めた。
「異形の魔族共が揃いも揃って、これぞ魔王軍といった有様だな。良かろう、相手にとって不足はない————いざ、参られよ」
「行くぞっ、お前らぁ! 突撃ぃーっ!!」
コナハト領主の城館。
大将たるダーヴィスが出陣した後の司令部に怒声が響く。
「ええい、まだ伯爵閣下はお戻りにならんのか!」
「魔王軍の攻勢は激しく、いまだ中央広場にて指揮を揮っておられる模様」
「まったく、あの方ももう若くはないというのに……」
そう重苦しい溜息を吐くのは、ダーヴィスから城館を任された副将である。彼も最古参の家臣の一人であり、長らくダーヴィスの参謀を務めてきた男だ。後先考えず力押しの突撃バカだった若き日の主君のフォローに、随分と苦労させられたものである。
ダーヴィスが出陣する、と言い出した時は勿論、止めた。城館で全体の指揮を執ってくれと。
だが今すぐ自分が陣頭指揮に立たねば一息にコナハトは奪われる、と半ば直感頼みの判断を主張するダーヴィスに押され、司令部を任されることに。年月を経て多少は丸くなったが、それでも変わらぬところは変わりがないと、諦めの境地に達している。
「これは伯爵閣下を迎え入れるための救援部隊も必要になりそうだ。残りの機甲騎士を集めておけ」
「し、しかし、ここにいる機甲騎士は城館の守りの要です。万が一、大きな損害を受ければ————」
「馬鹿者ぉ!! 大将も助けられず、何が城の守りかっ!!」
年若い将校の反論を一喝。ドン! と叩きつけられた拳が卓を揺るがす。
「いいか、貴様らが不甲斐ないから、伯爵閣下自らが体を張って戦線を支えておられるのだぞ! そんなことも分からず、己の命を惜しんで城の守りを心配するとは、恥を知れっ!!」
「は、ははっ! 申し訳ございません!! 自分の考えが至りませんでしたっ!!」
「ならばさっさと機甲騎士部隊を編成して来い! 必ずや伯爵閣下を無事にお迎えするのだぞ」
慌てて飛び出していく若い将校を見送って、重い溜息を吐く。
ダーヴィスならば、いざ中央広場から城館まで退かざるを得ないほど押されれば、自ら殿を務めるなどと言い出しかねない。そうなった場合、こちらから救援を差し向けて最後に引き上げて来るダーヴィスの撤退の掩護をすべきだ。
己の武勇を頼みとする将ほど、自ら危険な場所へと身を置きたがる。実際そうして戦局を打開し、窮地を切り抜け、勝利してきた実績があるから尚更だ。
だが参謀としては、そういう主君の無茶を僅かでもフォローすべく差配をするのである。
「まったく、これだから近頃の若い者は……」
年寄りのお決まりの台詞をつい口から漏れてしまうが、そういえば自分が彼と同じくらいの年頃は、軍略を理解していない頭の硬いジジイめ、などと思っていたなと不意に思い出してしまった。
果たして今の自分は、参謀として最善の策をとれているのだろうか。何か重大な見落としをしてはいないだろうか、と冷静になって自らの考えを省みると————
「おい、敵は魔王軍だと聞いているが、ダークエルフも混じっているのだろう?」
「ええ、前衛にはいつものウッドゴーレムを始めとした、使い捨ての召喚獣が多数いると」
「ダークエルフの姿を見た者は」
「少数ながら、森に潜んでいた術者を倒すことに成功しております」
「魔王軍は多様な魔族の混成軍だそうで。ダークエルフも同胞として迎えているのは当たり前のことでは?」
首都ネヴァン攻略では、敵に魔王軍はいなかった。純粋にファーレンのダークエルフのみで構成されていたことは間違いない。
だが彼らが敗れ去ったからこそ、遠く大陸の南端から魔王クロノがファーレンを奪還すべく自ら魔王軍を率いてやって来た。
今日の朝方から届き始めた、占領部隊壊滅の報告を受けて、そうダーヴィスも参謀も結論付けていた。そして今まさにその魔王軍が攻め寄せてきているのだから、予想は即座に事実へと変わっている。
「ファーレンのダークエルフが味方についているから、奴らはコナハトの四方から侵入できているのだ」
「それはやはり、地元民しか知らぬ裏道などがあるからかと」
「ならば、この城館にもどこかに抜け道があるのでは————」
そう思い至った時には、すでに手遅れであった。
「斬り伏せよ————『絶影』」
闇に溶け込む影の刃が、司令部を横一文字に薙ぎ払ってゆく。
その静かな、けれど必殺の一撃を回避できた者は、卓に向かって知恵を絞ることに熱中している参謀将校達には不可能であった。
「なっ、あ……貴様……」
ゆっくりと参謀が振り向けば、そこには見惚れるほどの美貌を誇るダークエルフの美女が立っていた。その手に握る白銀のサーベルからは、黒々とした影の刃が伸びて鮮血に濡れている。
何故ここに、という疑問は浮かばない。すでに自分で答えは出しているのだから。
ダークエルフのさらに後ろには、この司令部とした部屋のオブジェ、あるいはダークエルフの建築様式の一種なのか、絡みつく大きな木の根が壁面に張っている。
その木の根が二又に分かれ、ぽっかりと暗い隠し通路への入口となって開かれていたのだ。
己の出した解答が正しかったことだけを見届けて、参謀は胸の上から先が崩れ落ちる。
この卓に座っていた者達も、同じく両断されて一瞬の内に血の海へと沈んだ。
「あら、まだ一匹残っていたのですね」
「ひっ!?」
部屋の隅に、一人の少年がへたり込んでいた。
この不意打ちを回避したのは、本当にただの偶然。たまたま落とし物に気づいてしゃがみ込んでいたこと。小柄な身長が幸いし、少しかがんだだけで横薙ぎの一撃を潜り抜けられるほどの高さになったこと。
けれど、高位の騎士見習いとして司令部に配属されていた彼の幸運はここまでであった。
白銀のサーベルを携えたダークエルフの美女は、自ら作り出した血の海を優雅に歩いて近づいて来る。
「待って、ブリギット」
彼女の歩みを止めたのは、また別の少女の声。
漆黒の軍装と長い銀髪のポニーテールを翻して、反逆の槍を手にした元第七使徒。
「何故、止めるのですか、サリエル」
「戦意を喪失した者を殺す必要はない。私達の任務は、速やかな城館の制圧」
今にも無慈悲に振り下ろされようとしていたサーベルは、サリエルの言葉によって止まっている。
騎士見習いの少年は、サリエルが第七使徒であった頃の姿を見たことはない。けれど、この窮地に遭って自分の命を救おうとしているのが、この美しい白い少女であることは理解し、まるで救いの天使が舞い降りたかのような表情を浮かべていた。
だがしかし彼の幸運は、すでに尽きているのだ。
「ええ、そうですね」
にこやかな微笑みと共に、サーベルは振り下ろされた。
影の刃を纏った『新月妖刀』は、少年を縦に一刀両断。着用した兜も鎧も、薄絹を引き裂くように絶大な切れ味の前に断ち切られた。
「怯えた少年のフリをして、不意を突かれたら大変ですから。ご忠告、ありがとうございます」
ブリギットは音もなくサーベルを鞘へと納めながら、サリエルへとそう言った。
その言葉に僅かに眉を動かしたサリエルは、
「こういった行いは、マスターは望まれない」
「ええ、こんな年端も行かない少年を殺すなど、なんて無慈悲で残酷なことでしょう。とてもお優しいクロノ様であれば、それが敵であっても悲しむかもしれません————」
神妙な顔を浮かべてそう言ったブリギットだが、その魅惑の唇が三日月のように弧を描いて笑う。
「————けれど、クロノ様はこの私の憎悪ごと、愛してくださったのです」
狂戦士でありながら、正気を保ち、善良な心根を持つと、初めて出会った時から知っていた。残酷な殺戮など、彼の望むところではない。
だがしかし、そんなクロノであっても、十字軍に対する復讐の連鎖を断ち切る真似はしない。
ブリギットはすでに、国を失い、最愛の家族を失っている。一体どの口が、彼女に敵へ対する慈悲や温情など言えるのか。
クロノは十字軍に対する、全ての恨みと憎しみを肯定する。その残虐な感情を、醜くおぞましいと嫌悪せず、愛してくれる。それでいい、それがいい。もっと憎悪を燃やしていいんだ。俺と一緒に、それを叶えよう————あの日の夜、体を重ねたまま耳元で囁かれた甘い言葉が、今も心の奥底に焼き印のように刻みついている。
「だから、これでいいのです。どうせ十字軍など、このファーレンを食い荒らす害虫。バグズブリゲードと何の違いがあるのでしょうか」
共に虫の巣を攻略した、貴女なら分かるでしょうとブリギットは妖しく微笑みかける。その美しい黄金の瞳に、燃え盛る憎悪の炎を輝かせて。
「害虫は一匹残らず駆逐しましょう、ね?」