第899話 コナハト奪還戦(1)
「————正に、九死に一生を得ました。救援、誠に感謝いたします」
古木の関門砦の司令部にて、深々と頭を下げるのは、ここに立て籠もっていたダークエルフの指揮官、ランク5冒険者ディランである。
「久しぶりだな、ディラン。こんなに早くランク5まで上がるなんて、やるじゃないか」
セントラルハイヴ攻略の時は、ランク4だった。速やかなランクアップを目指して、単独でハイヴに潜入するなんて無茶をやらかした男であったが……どうやら、上がったのはランクだけでなく、実力とメンタルも大いに向上しているようだ。
一匹狼を気取るような彼が、まさかこんなに大勢の人々の面倒を一手に引き受けているとは。
「私のことを、覚えておいでですか」
「当たり前だ。次に会った時は、一杯おごってくれるんだろ?」
そんな畏まった態度はしないでくれ、とばかりに俺は気安く笑ってディランの肩を叩く。
やや驚いたような表情をするが、すぐに俺の意図を察して、あの時と同じようにニヒルな笑みを浮かべた。
「へっ、いきなり集りやがって。ほらよ、とっておいた秘蔵の一本だ。献上仕ってやるよ、魔王様」
「うむ、良きに計らえ」
はっはっは、と互いに笑い合って、俺達は席についた。
「ディラン様の奮闘に、多くの同胞が救われました。モリガンの大神官として、心からお礼を申し上げます」
「よしてくださいよ、ブリギット様。ただの成り行きさ」
同席させたブリギットと共に、俺達はディランとお互いの事情と情報確認をする。
首都ネヴァン陥落後、ダークエルフ達の多くは十字軍が襲来するより前に避難を始めることに成功こそしたが、その全てがモリガン目指して逃げられたワケではなかった。
即座に繰り出される十字軍の占領部隊の速度に間に合わず、どうしても別方向へと逃げなければならない場合もある。そうして、危険を承知だがファーレンの森の奥へと逃れざるを得ない人々はそこかしこに存在していた。ディランはこの辺一帯でそういう憂き目に遭っていた者達の拠り所となって、かなりの人数が集まって来たようだ。
そのせいで十字軍にも見つかってしまったようだが、逆に言えば俺達もまた、彼らを発見することができたのである。
ここまでの道中で、助けた者達の中から古木の関門砦に人が集まっている、との情報が得られたし、空中偵察を行えばすぐに見つけることもできた。こういう時、砦くらい大きな建物は空の上から見ても分かりやすいので助かる。
勿論、目が良くなければ空の騎士は務まらない。ドラグーンとグリフォンナイトの空中偵察は、効果的に機能してくれた。
そうしてコナハト目指して西進している俺達も、規模の大きい十字軍占領部隊が古木の関門砦を狙う動きを捉えた。急がなければ、先に奴らの手によって森ごと焼き尽くされるかもしれない。
かなりギリギリだったが、頑張って駆け付けた甲斐はあった。
「ここでの暮らしも、本当に限界だった。食料すらあと三日もつかどうかってところだ。まして、医薬品なんてとっくに底を突いている……怪我人の手当までしてもらって、本当に助かる」
「いいんだ、そのために連れて来たんだからな」
司令部から外を除けば、砦の広場を貸し切って大々的に野戦病院を展開している。
その中心に立つのは勿論、アヴァロンが誇る癒しの姫君ネルだ。
道中で追いついた彼女が率いる医療大隊と合流し、以後は共に進軍している。俺達について来る以上、選び抜かれた精鋭のみで数こそ少ないが、その実力は最高峰。
ここへ命からがら逃げ込んで来たファーレン軍の敗残兵達の、いまだに癒えない負傷をネル達は高位の治癒魔法で次々と回復してゆく。
こうして傷ついた人々に治癒魔法をかけるネルの姿は、正に聖女のように美しく気高い。純白の法衣と翼が相まって、戦場に舞い降りた天使と題される絵になってもおかしくないほどの綺麗な光景だ。
彼女が合流した初日、俺とブリギットが二人並んで寝室から出てきたところを目の当たりにして、奇声を上げて号泣しながら襲い掛かって来た姿が嘘のようである。
ネルの狂うほどに悔しい気持ちは分かるつもりだが、発狂するにしてもTPOは考えて欲しい。この時の修羅場の隠蔽は、今回の戦いの中で今のところ一番大変だったから。
「彼女が名高き、アヴァロンのネル姫か。なるほど、噂通りの美貌と、博愛精神の持ち主だな。自ら率先して、あんなに汚れた重傷者まで診てくれるとは」
「ああ、そうだろう。帝国軍の医療を与る、素晴らしい女性だ」
ネルの活躍する姿を見て感心するディランの台詞に、俺は全力で乗っかることにした。
隣に座るブリギットは、あらあらうふふ、とたおやかな微笑みを浮かべるのみ。お願いだから、ネルの名誉のためにもそのまま余計な事は言わないでおいて欲しい。
「それで、俺達はこの後どうすればいい? 魔王軍がここまで救援に来れたということは、モリガンまでの道は確保できているんだろうが……ここに居る奴らは御覧の有様だ。そうそう、速やかな移送はできそうもない」
「いいや、ひとまずはこのまま町の方にまで戻ってくれるだけでいい。モリガンまで避難する必要はない」
「まさか、このまま首都まで奪還するつもりなのか?」
「いや、そこまで無茶はできない。俺達の目標はコナハトだ」
ディランにざっと今回の作戦目標を説明する。
首都奪還は諦めるが、旧国境のコナハトを抑えて十字軍の侵攻をここで食い止める。ファーレンの国土の半分以上は維持したまま、来るべき首都奪還へと備えるのだ。
「なるほど、コナハトか……」
「そこには、ファーレン侵攻軍の大将が精鋭と共に陣取っている。奴らもここの重要性を理解しているから、守りはそれなりに固い。一人でも多く兵力が欲しいところだが、流石にここから誰か連れていくのは————」
「俺も行くぜ」
「大丈夫なのか、ディラン」
「俺だけじゃねぇ、声をかければほとんどの奴がついて行くと言うだろう。なぁに心配すんな、足を引っ張るつもりはねぇ。セントラルハイヴの時と違って、ちゃんと役に立って見せるさ」
「無理をする必要はないんだぞ」
「コナハトは俺達の故郷だ。そこを取り戻そうって時に、無理をしねぇでいつするってんだよ!」
なるほど、確かにこの辺はコナハトからの脱出圏内である。
ディランはコナハト出身、それどころか唯一生き残った領主一族だそうで。最初に彼の下に集まったのも、コナハトの兵士と住人達なのだ。
「あの辺の近道も裏道も、領主の一族しか知らねぇ秘密の抜け道だって、俺は知っている。コナハトを奪還するなら、絶対に役に立つ。頼む、一緒に連れて行ってくれ」
「分かった、ありがとうディラン。よろしく頼む」
ここまで言われれば、断るのは気遣いではなく失礼というものだ。
コナハト出身者の協力は非常にありがたい。こちらが攻める側だが、地の利は俺達にある。一息に奪い返し、ファーレンでの戦いに早く一区切りをつけなくては。
何せ、次は更に大きな戦が控えているからな……
白金の月15日。
その日のコナハトは、前日から引き続き、次々とやって来る伝令兵の情報によってざわついていた。
「おい、魔王軍が出たってよ」
「マジで言ってんのか? どうせ先行した連中が、ビビってモンスターの群れにでも襲われて、大袈裟に騒いでいるだけじゃあねぇのかよ」
「そんな間抜けな事故が何度も続くかよ。昨日から何人、ズタボロの伝令が駆けこんで来てると思ってんだ」
「占領部隊が各地で撃破されているのは、どうやら事実のようだぞ」
いくら首都を落とし、国王以下ファーレンの主力を倒したとはいえ、進んでいるのは敵地であることに変わりはない。占領部隊がゲリラに襲われ壊滅することもあるだろう。
しかし、こうも立て続けに敗走の報告が集まって来るのは異常だ。これではまるで、ファーレン軍が体勢を立て直して真っ向から反撃しているかのようである。
「奴らにはもう、ロクな兵力は残ってねぇはずだろ」
「だから魔王軍が来て、戦力が増強されたってことだろう」
「その魔王軍はどっから来てんだよ。こっから先はひたすら森が広がってるだけじゃねぇか」
「それがモリガンだかいう奥地の都市には、魔王の都と転移で繋がっているという噂もある」
「転移だぁ? あんなもん、冒険者パーティ一個丸ごと飛ばすのが精々だろが」
「仮に転移できていたとしても、そんな大軍は送り出すのは無理じゃないのか」
「魔王がめっちゃ強いんじゃねぇの? ほら、使徒ぶっ殺したんだろ」
「おい、滅多なこと言うんじゃねぇ! 坊主共がそこら中をウロついてんだぞ」
「一応、今はここが本陣だからな。偉い司教クラスの奴らもいる」
「馬鹿な発言して異端審問にかけられるのはお前だけにしてくれよ。俺達を巻き込むんじゃねぇ」
「なんだよ、どうせみんな思ってることだろうが」
「お前ら、いつまで呑気にお喋りしていやがる! 各地で敵の反撃が始まっているのは事実だ。警戒レベルも一段階引き上げる、しっかり見張れ!!」
そうして様々な噂や憶測が出回りながらも、コナハトに駐留する兵士達にはより一層の厳戒態勢が正式に命令された。
その一方で、伝令兵によってもたらされた全ての報告を聞き終えた総大将ダーヴィス・ウェリントン伯爵は、占領したコナハト領主の城館に設置した執務室で頭を抱えていた。
「ダースリーが討たれるとは……先走りおって、馬鹿者め……」
報告の一つには、最先鋒を任せた息子の戦死も含まれていた。
状況的にはファーレン領を最も奥まで突き進んでいたせいで、最初に撃破されたのがダースリー率いる伯爵家の占領部隊のはず。しかしながら、一人残らず殲滅されたことで、情報が伝わるのが大幅に遅れたようだ。
この戦死報告も、直接確認されたものではなく、状況からしてダースリー隊が全滅した可能性が非常に高い、とされたものである。
一人の父親としては、神に息子の無事を祈りたいところであるが、歴戦の将たる経験が、まず占領部隊ごと殺し尽くされたと確信できていた。
暗澹とした気持ちを重苦しい溜息一つで吐き出して、息子の死に嘆く親の心情を胸の片隅に追いやり、冷静に将として現状を分析する。
「魔王軍がファーレンの増援として現れたのは、間違いない。やはり噂の通り、モリガンにはそれなりの規模の転移が、パンデモニウムと繋がっている」
ダーヴィスは伯爵として、ファーレン攻略の総大将として、当然のことながら一介の騎士では知りえない、それなりに高度な情報を持っている。
ネオ・アヴァロンを奪い返した魔王クロノだが、転移によって遠く離れた大陸南端の本拠地から、アヴァロンまで一足飛びに乗り込んで来たということも知っている。ならば今回も同じように、魔王自ら軍を率いてやって来たと考えるのは当然だ。
「ほとんど一方的に占領部隊を蹴散らしている……だが、大軍ではない。この強さと速さは、間違いなく少数精鋭のみで突っ走っている」
大軍を動員すれば、その分だけ動きは鈍る。物理的な制約として、絶対不変の摂理だ。
なにより、アヴァロン奪還の際も似たような手口であった。
魔王クロノは第七使徒サリエルを討ち取り、さらにアヴァロンで第十二使徒マリアベルも討ったのだ。正しく、使徒をも超える戦闘能力。
自ら魔王を名乗りながらも、僅かな手勢と共に当たり前のように最前線に乗り込んでくるのも、ただの自惚れなどではなく、その圧倒的な強さに裏打ちされた正攻法である。
飛びぬけた強さを持つ者が先陣を切って戦うことが、どれだけ有効的かというのは、自らもまた第十使徒アイが瞬く間に首都ネヴァンまで蹂躙した姿を見て、嫌というほど思い知らされている。
「アイ卿が戻られた今、使徒並みの魔王が率いる精鋭を我々だけで食い止めきれるのか……最悪、このままネヴァンまで奪い返されかねん」
予測される最大戦力。自軍の戦力。配置、地形、思惑。様々な要素がダーヴィスの脳を駆け巡っていく。
「いや、どの道ネヴァンまで押し戻されるようなことがあれば、いよいよ魔王軍が大軍を展開してくるだろう」
ファーレンの広大な森林地帯という地形上、大軍の動員は非常に難しい。魔王軍も速度を優先したという理由とはまた別に、そもそも細く長く伸びたファーレンの街道で大軍を動かすのは難しく、非効率的だという判断もしているはず。
しかしこのコナハトを抜けた先は、大きく開拓されて開けた土地が多い。そう、十万の大軍であった自分達と同じように、相手もまた大軍を動員・展開するのに適した地形となるのだ。
もしもここで魔王を恐れて自分がネヴァンまで退いたならば、魔王軍はコナハトを抑えて首都奪還に向けた大兵力を集結させる準備が整う。
十字軍は一夜にしてネヴァンを落としたが、今度はこちらが同じ末路を辿りかねない。
恐らく、助けを求めたところで第八使徒アイは来ない。彼女がとんでもない気分屋であることは周知の事実であり、サンドラ王とシャルディナ妃の両名との戦いに満足してしまっている。アイにとってファーレンは、すでに終わったコンテンツなのだ。つまらない戦いに、戻って来るとは到底思えない。
あるいは十字軍総司令アルス枢機卿に救援要請を出したところで、恐らくは間に合わない。最悪、他の貴族達の思惑もあって、ファーレンを制した自分達を排するために救援を断ることさえありえる。そうでなくとも、嫌がらせで救援を遅らせるだけ遅らせる遅延行為だけで、こちらは致命的だ。
今更このタイミングで、救援は頼れない。
「こんなにも早く魔王が出張って来るとは。攻略軍を解散させたのは早計だったか……」
ここで十万の大軍が、すでに複数に分かれて総兵力が大幅に減ったことが響く。あの兵力を今も維持し続けていれば、ネヴァンに集結して防衛戦をすることも、あるいは平野部で魔王軍の大軍と会戦する選択肢も十分にあり得た。
しかし、所詮は寄せ集めでしかない貴族の連合軍など、いつまでも維持し続けることは出来ない。一伯爵でしかないダーヴィスに、これを維持するためのコストを払うことなど到底不可能だ。
解散は避けられなかった。今ファーレンに残っているおよそ三万が、自分の手元に残された総兵力。だがそれも、方々へ占領部隊を繰り出したせいで一万近く減っているのだ。
果たして、残された二万程度で魔王を相手にできるのか。
「読まれていたのか。第八使徒は抜け、十万の大軍も維持できないと分かった上で、タイミングを見計らっていた……」
そして一度、ファーレンの国王と首都を同時に失えば、その国体は滅びたも同然。自ら軍を率いて奪還すれば、最早ファーレンは魔王の帝国領と化すだろう。
最も効率的に十字軍を倒すと同時に、ファーレンの支配権も手に入れる。
「魔王クロノ、よもや強さだけでなく、計略にも長けているのか。だとすれば、魔王もただの自称ではなく、本当に邪神に認められた選ばれし存在ということ」
全て魔王の掌の上であれば、状況は非常に悪い。ただの偶然と幸運が積み重なって今の有利を確保したのではなく、全てを見通して行動していたとすれば、当然この後のプランもあるはずだ。
たかが伯爵に過ぎない一人の将など、魔王が進む覇道に転がる小石に過ぎないのか。相手の強大さを想像し、ついそんなことが脳裏を過ったが、頭を振って弱気の自分に一喝する。
「いいや、まだだ、まだ間に合う。やはり私の見立ては正しい、このコナハトこそがファーレンの要。ここさえ守り切れれば、この窮地も凌ぎきれる!」
選択は決まった。
後は時間との勝負だとばかりに、ダーヴィスは声を荒げて配下を呼んだ。
「急ぎネヴァンの駐留軍を、出せるだけこちらに出せ! 敵は魔王、狙いはコナハト。何としても、ここを守り切れねば手に入れたファーレンを失うことになると心得よ!」
「はっ、承知いたしました、伯爵閣下!」
「お前達は即座に占領部隊をコナハトまで呼び戻せ。今やファーレン中に魔王軍が跋扈しておる。千人規模の部隊でも、容易く狩られるだろう。命が惜しければ、今すぐコナハト防衛に参加しろと伝えておけ!」
「ははっ!」
矢継ぎ早に伝令兵に指示を出し、ほとんど殴り書きの書簡を持たせて送り出す。
気が付けば、赤い日差しが執務室へと差し込み、夜の訪れを告げている。
一通り指示を終えたダーヴィスが、紫がかって薄暗くなりつつある空を窓から見て、ふと頭に過った。逢魔が時。
その不吉な言葉を慌てて脳裏から追い出そうとした矢先、
「敵襲っ!!」
けたたましい怒声と同時に、敵の襲来を告げるラッパの音が高らかに鳴り響く。
俄かに騒然となって動き出す兵士達の気配。次の瞬間には、扉から最悪の報告を携えた配下が飛び込んでくるだろう。
「間に合わなかったか……」
こちらに伝令が到着するのと、ほとんど同じ日に襲撃をかけられるとは。魔王軍は一体、どれだけの速度で進んで来たというのか。その秘訣を、一人の将として是非ともご教授願いたいところであった。
そんな事を思いつつ、目を覆って人生で最も重く苦しい溜息を吐いてから、ダーヴィスは案の定、飛び込んで来た配下に堂々と向き合った。
「私の機甲鎧の準備は」
「ははっ、万端、整えあります!」
「相手は魔王だ。お前達も十字教徒ならば、全身全霊をかけて戦え。魔王クロノ、奴こそは本物の、白き神の敵対者だ」
聖戦に臨む覚悟でもって、ダーヴィスは執務室を後にした。