第894話 傷心の巫女(2)
「制圧完了だ」
ヨシッ! と敵の全滅を確認。ひとまずは、これで最も突出していた十字軍の占領部隊を始末した。
エリートを示す鎧兜の騎士が少々と、十字軍の司祭が数名。魔術師の一個小隊と、残りは槍か弓を持った歩兵。標準的な十字軍部隊の編成であるが、イルズ村を襲った奴らよりは充実した戦力である。
あの頃は、たったあれだけの部隊を相手に満身創痍だったが……今は鎧袖一触。まして十分な戦力も率いているのだ。森から近づいて奇襲を仕掛ければ、一方的に殲滅ができる。
村長宅である最も大きなツリーハウスから外を眺めれば、すでに戦いは終わっていた。木陰に潜んで包囲を完了させ、四方からの一斉射撃で歩兵の大半を仕留め、銃撃を凌ぐような魔術師部隊や騎士共は、サリエルやカイといったエースが突っ込んで一気に片付ける。
兜付きの首を掲げて部下たちに勝利をアピールするカイと、黙って死体を片付けているサリエルが対照的だった。
「————お見事でございます、クロノ様」
「ブリギットもお疲れ様。派手にやったな」
ツリーハウスから降りて広場へ戻ると、ブリギットが真っ先に出迎えに来てくれた。
黒い布地に金糸の刺繍が入った、神官としての戦装束。だがノースリーブで露出した肩と腕だけでも十分に艶めかしい。
そんな戦装束に身を包んだ姿を見て分かるように、今回は彼女も同行している。今回も、と言うべきか。前は一緒にバグズブリゲードの巣に突っ込んだからな。
ブリギットは少数の精鋭部隊だけを連れて、俺達と一緒に先陣を切ることを選んだ。今や大神官である彼女は、モリガンに残ってファーレン軍の指揮を執るのかと思ったが……まぁ、魔王である俺が最前線にいるんだから、ついて来ないといけない雰囲気はあるかもしれない。
その辺はちょっと申し訳ないとは思うが、ブリギットの実力はすでに知っている。その力の一端は、今も広場の隅に刻まれていた。
そこには白い天幕が立ち、天辺には十字のシンボルと、簡易的な祭壇が備えられている。従軍する十字教司祭が利用する専用の天幕である。
その周辺には、文字通りの血の海が広がっていた。鮮血の水面に浮かぶのは、元々何人いたのか分からないほど、バラバラになった死体の欠片。
ブリギットの黒魔法は、鋭利な魔力の刃で斬撃を飛ばしたり伸ばしたりする、シンプルかつ強力な能力だ。腰に差したミストレア一族の宝剣、『新月妖刀』で振るえば、司祭程度が展開する防御魔法ごと一刀両断である。光の壁を何枚重ねても、故郷を奪われようとしている恨みの染みた闇の刃は止められない。
「あの程度、些事にございます。ですが、私の太刀筋を覚えていただいたこと、嬉しく存じます」
いやぁ、ウチにはあそこまで死体を切り刻んで殺す凶悪な技を使う奴はいないから。俺でももうちょっと綺麗に殺すと思う。
「クロノ様も相変わらず、いえ、以前にも増してお強くなられたようですね。もっとも、相手はその力の一端を引き出すこともできないようでしたが……まずは一人、敵将を仕留めた手腕は流石でございます」
にこやかな笑みを浮かべて、俺が片手で引きずって来た占領部隊の隊長と思しき、機甲鎧の男へ視線を向ける。
コイツが装備しているのは本物の古代鎧ではなく、『白の秘跡』が作った機甲鎧に違いない。外観は以前に倒したのとほぼ同じである。詳しく分析しているシモンなら、微妙な違いも分かるだろうが、俺には分からん。
機甲鎧を一機相手に苦戦することはないが、ただの重騎士より頑丈なのに違いはない。だから『首断』の峰で四肢を砕いて無力化し、機甲鎧のバックパックを力任せに装甲ごと引き千切って、動力源たるリアクターも引き剥がしておいた。エーテルを供給するリアクターがなければ、ただ重いだけの鎧でしかない。
「まだ死んではいないけどな」
「殺しますか?」
笑顔のまま、冷たい殺意の光を宿したブリギットが、それとなく腰に差した妖刀へ手を伸ばしていた。
なんでそんな短絡的なこと言うの……
「指揮官だからな、聞けるだけの情報は聞いておきたい」
「その後は捕虜として扱うと」
「……捕虜を取るのも手間だ。奴らが全面降伏でもしない限りは、その気もないし、余裕もない」
少なくとも、この村を襲った占領部隊は殲滅させてもらう。コイツの命も、出来るだけの情報を搾り取るまでの間。そう割り切っているから、俺も手荒な無力化をしたわけだ。
「ネネカ!」
「はーい、またお仕事ぉー?」
面倒臭そうな顔で、妖精ネネカがふよふよと飛んで来る。
「コイツから、テレパシーで十字軍の情報を取ってくれないか」
「ええぇー、そういうの、凄い大変なんですけどー」
「頼むよ」
「しょーがないわね、魔王様のために、ネネカちゃんがやってあげますか」
「ありがとな。アイン、記録を頼む」
「イエス、マイロード」
ズタボロの隊長をアインが引き取り、ネネカと一緒に離れていった。これで多少は他の占領部隊の動向も分かるだろう。
「ふふ、素晴らしい手際ですね」
「安心したか」
「ええ、クロノ様はお優しいから。とてもお優しいですから……もしかすれば、敵にも情けをかけるのではないかと」
アルザスの戦いを終えた後の俺も、こんな顔をしていたのだろうか。
ブリギットは聡明な女性であり、少なくとも俺などよりはよっぽど表情も態度も取り繕うことができる。そんな彼女でも、抑えきれない憎悪の感情が、その顔から、全身から、溢れ出ているのが分かる。
俺は良くも悪くも、魔王ミアと出会ったことで希望を取り戻すことが出来たが、それだって相応の時間を置いた後でのこと。
今のブリギットには、きっと言葉だけでは届かないだろう。まして目の前に怨敵たる十字軍がいれば尚更。憎悪のままに、敵を殺戮し続ける。
それは良くない。
倫理的に、道徳的に、良くないという意味ではない。十字軍など幾ら殺したって構わない。奴らをこの大陸から駆逐するのが俺の目的なのだ。そこに慈悲をかける意味はない。
良くないのは、ブリギットが引き際を見誤ること。
十字軍の雑兵や司祭を蹴散らすくらいなら良いが、より強力にして強大な大軍を相手するなら、効率的な最善手で挑まなければならない。使徒が現れれば、生存さえ絶望的だ。
こんな状態の彼女では、万が一、アイが目の前に登場でもすれば、きっと後先考えることなく斬りかかることだろう。
それは良くない。それはまずい。ブリギットはファーレン人を纏められる、今や最後の存在だ。シャルトラ殿下はまだまだ子供。ブリギットも十分に年若い方だが、皆の前に立って自ら戦い、導く、指導者の役割をこなす能力と血筋がある。もしも彼女が倒れれば、たとえ十字軍の侵攻を食い止めることができたとしても、ファーレンは混乱が続くだろう。
だから————と、俺はそう自分で自分に言い訳をした。
「ブリギット、今日はもう休もう」
「私を気遣っておいででしたら、どうぞご心配なく。まだまだ戦えます。すぐにでも、次の村を助けに参りましょう」
「ひとまずは、この村で後詰が来るのを待つ。ここから先は占領部隊の動きも詳しく探っていく。兵も情報も揃うまでは、動くわけにはいかない」
「浅はかな言をどうかお許しください。同胞を助けなければと、逸る気持ちを抑えきれませんでした」
「いいんだ、そんなことは気にする必要はない。焦る気持ちも当然だろう。けど、今日はもういい。十分戦った。ゆっくり休んでくれ」
「はい、ありがとうございます」
深々と頭を垂れて、その場を離れようとしたブリギットを、俺は呼び止めた。
「良かったら、後で夕食を一緒にとらないか。ご馳走しよう」
「まぁ、よろしいのですか?」
愛想笑い、と呼ぶには華々しい笑顔でブリギットは振り向いた。テレパシー能力のない俺に、彼女の本心など分かりはしないが、素直に誘いを喜んでくれたと思いたい。
「ここまで、お互いに忙しかったからな。余裕を持って、ゆっくりと話をしたいと思っていたんだ」
「大変、光栄にございます。喜んで参らせていただきます、クロノ様」
「ああ、待ってる」
そう約束して、今度こそブリギットは自分の部隊へと戻って行った。
「マスター、準備の方は、私にお任せください」
完全に気配を消しながら、すぐ傍に控えたサリエルは、どこまでも無機質な赤い瞳で見つめながらそう申し出た。
感情などないと言うくせに、人の心の機微には十分すぎるほどに敏いんだよな。俺の思っていることなど、全てお見通しといったところだ。
いつもはそれが恥ずかしくもある……いや、今回も大概、恥ずかしいが……それでも、サリエルのフォローはありがたい。
「ああ、頼んだ」
それから日が暮れる頃には、戦いの後始末と村に駐留する準備が整った。こういう時、一番偉い立場だと、死体の片づけなど汚れ仕事をせずに済むのは役得だ。
村長宅と並んで村では最大規模のツリーハウスである冒険者ギルドを、ひとまずこの場での司令部として利用することとした。
あの広間に倒れていたダークエルフの老婆はやはりここの村長であったようで、たった一人で残って、少しでも敵を足止めしようと精霊召喚術で応戦したに違いないと、ブリギットからの報告で聞いた。あともう少し早く到着していれば、村長を助けることも出来たかもしれない。だが村長の奮戦がなければ、占領部隊は次の村まで手を伸ばしていた可能性は高い。犠牲に見合う価値があったと思うしかないだろう。
その他にも、偵察に出している部隊からの情報なども随時、届けられている。俺はギルドマスターの執務室に陣取って、集められた情報を聞いていた。
「————なるほど、大将を務める伯爵の三男坊ね。コイツは思ったよりも収穫があったな」
捕らえた機甲鎧の指揮官をテレパシー尋問にかけた結果報告をアインから聞いて、その予想以上に充実した敵情を得られて満足気に頷く。
ファーレン侵攻を先導し、その侵攻軍の指揮をアルス枢機卿から正式に任命されたのが、ダーヴィス・ウェリントン伯爵という男。生粋の武闘派で、歴戦の将としてもシンクレアではそれなりに名前が通っているという。
その伯爵の三男であるダースリーは、パンドラ遠征に従軍している息子の中では最も立場が高い。長男と次男は本国の領地を任せ、ダーヴィスとダースリー以下の息子達はパンドラ遠征で新たな領地拡大をするべく参戦してきた、といったシンクレア貴族としては一番ありがちな背景事情である。
伯爵家の領地拡大のためにダースリーに先陣を切らせて、破竹の勢いでファーレンを進ませていたわけだ。
「歴戦の武闘派伯爵か。確かに、抜け目はないようだな」
首都ネヴァンを陥落させた後、侵攻軍の総大将を務めるダーヴィスはそのままそこで陣取るのが普通のはずだが……コイツはなんと、コナハトまで出張って来て、そこに本陣を敷いていた。
これからファーレン東側に向かって占領をしてゆくなら、首都に居座るよりも、コナハトまで出て来た方が良いと、地形から判断したのだろう。最悪、ファーレン軍が反撃をしてきたとしても、開けた首都を守るよりも、コナハトで抑えた方が有利である。
「コナハトはスルーしてくれれば楽だったんだが」
伯爵はこの場所の重要性を理解した上で、自ら陣取っている。想定では、町の規模に見合った兵士を置いておくくらいのものだったが、これは本格的に防備を固めている可能性が高い。
まして俺達、帝国軍がファーレンに加勢していると伝われば、さらに強固な防衛を行うだろう。
「首都ネヴァンに駐留させている十字軍も動員すれば、伯爵の元には四万ほどの軍勢が集結するでしょう」
「流石にこの手勢で四万の防備は破れないな」
ここは十万もいないだけマシだと思っておく。
この兵数の予測は、ダースリーからの情報を元に出した数字である。首都ネヴァンを占領した後の侵攻軍は、おおよそ四つに分けられた。
まずは、アイと一緒にスパーダまで帰った者。貴族にも色々あって、ここまで戦うので限界を感じたり、これ以上の収穫は見込めそうもないと判断したりと、それぞれの理由で帰還を選んだ者達だ。そうしてスパーダへ戻った分が、およそ一万。
次に、ファーレンではなくパルティア方面へと向かった者。深い森が続く土地よりも、開けた大草原が欲しいと思うのも、半ば当然だろう。かなり心を動かされる者達がいたのか、なんと四万もの軍勢となって、パルティア東部への侵攻を始めたようだ。
この時点で、すでにファーレンへ残された十字軍は半分の五万となった。
首都ネヴァンに駐留しているのがおよそ二万。残りの三万が、ファーレンの最奥モリガン目指して侵攻を続けていることとなる。
伯爵が陣取るコナハトには、五千ほどの兵士が駐留しているらしい。歴戦の伯爵が自ら鍛え上げた騎士団と兵士達であり、さらに機甲鎧も大半はここにあるようだ。ただの五千ではなく、精鋭を含めた五千である。
コナハト駐留軍を除いた二万五千が、実際にファーレンの森を進んで各地で暴れる占領部隊となるわけだ。
この状況下でコナハトを奇襲する、あるいは襲撃の危険性があると伯爵が断じれば、ネヴァン駐留軍と占領部隊からそれぞれ兵を呼び寄せて、最大で四万くらいにはなるとの目算である。
「やはり、急がないといけないか。伯爵が守りを固める前に、いいや、帝国軍が来ていると知るよりも前に、コナハトを奪う」
「はい、それが最上かと存じます」
伯爵の精鋭五千ごと葬り、コナハトを制圧する。そうすれば、調子に乗ってファーレンを東へ進む占領部隊二万五千を丸ごと挟み撃ちにできる。それも方々の街道に沿って、それぞれが好き勝手に進軍している奴らだ。前と後ろを塞いで逃げ場をなくせば、後は各個撃破してゆけばいい。
ネヴァンには二万の駐留軍がいるが、コナハトが奪われたとしても、この二万が丸ごと即座に飛んで来ることはありえない。奴らにとって首都ネヴァンの制圧は、ファーレン攻略における最大の成果である。何が何でもここだけは守り切ると、防備を固める可能性が最も高い。
最悪、出来る限りの大軍を率いてコナハトを奪い返しに来たとしても、帝国軍の後詰が合流し、コナハトの防備を整える方が早いはずだ。守りを固めたコナハトを突破するなら、もう一度ネヴァンを落とした時と同じ規模の戦力を集めなければいけない。
すでにそれぞれの思惑に沿って解散状態にある貴族連合のファーレン侵攻軍では、即座に再集結するのは不可能だ。
「あまりノンビリは出来そうもないな。ダークエルフの道案内と、あとは空中偵察の成果に期待しよう」
広大な森林地帯のファーレンは、特にコナハト以東の地域からは街道が曲がりくねった場所が多い。中にはつづら折りとなっているような箇所も。
移動の際は基本的に街道を利用するが、古来よりこの地に住まうファーレン人には、近道や抜け道、といった秘密のルートも伝わっている。それらはそこの村や町に住む者だけが把握していたり、あるいは非常事態の際に利用できるようファーレン軍が情報管理していたり、といった具合で、基本的には公にされるものではない。
そして十字軍によって国土が蹂躙されつつある今が正に、その非常事態である。
お陰で、各町村のファーレン人は占領部隊に追いつかれることなく、近道で距離を稼いで何とか逃げ切ることに成功していた。この辺は開けた土地で隠れ潜むこともできなかったアルザスとは違って、不幸中の幸いだったと言えよう。
そして俺達もまた、ブリギット達が案内してくれた秘密の近道を利用し、大幅に移動距離を短縮してここまで駆け付けて来たのだった。
もしも俺達が今この場所にいることが十字軍に伝わったとしても、街道の距離からしてコナハトまでの予想到着時間は大幅に長く算出されるはずだ。近道の利用を考慮に入れても、どの程度まで距離を縮められるかは奴らに情報はほとんどない。どれも予測の域を出ないだろう。
距離と時間は、俺達の方にアドバンテージがあるはずだ。
それから、俺達がモリガンを出発した後には、クリスが竜騎士団を率いて来る予定となっている。シャングリラがないので、彼女達には戦闘をさせるつもりはない。森に潜んだ敵と戦わせるには、リスキーなだけだからな。
だが空を飛んでいるだけならば、敵も迎撃手段が非常に限られる。同じく竜騎士か天馬騎士でも繰り出してこない限りは、まず戦いにはならない。
だから飛ばせるだけ飛ばして、空中から偵察を行ってもらう。これには、ファーレン軍が保有する貴重な空中戦力である有翼獣騎士団も協力する手筈となっている。
グリフォンナイトはセントラルハイヴ攻略の時に、飛んでいる姿をチラっと見ただけだが、少なくとも飛竜と比べても遜色ない飛行能力は有している。空中偵察くらいは問題なくこなせるだろう。
そうして出来る限りの情報収集を行った後は、俺達が頑張って走るより他はないのだが————
「マスター、ブリギットがお出でです」
サリエルの呼び声に、俺は大きく息を吐いてから席を立った。
今回誘った食事の席は、サリエルに一任している。フィオナを満足させる自慢のシェフでもある彼女なら、料理の方はまず問題ない。俺の影空間に収納しておいた、持ち込み食材もつぎ込んでいるからな。カロブー由来のレーションなど、今夜は口にすることはない。
「よく来てくれた、歓迎する」
ギルド上階の応接間を会場として、俺はやって来たブリギットを迎え入れる。
「お招きに預かり、光栄にございます」
そして現れた彼女の姿は、例の露出過多な女神官服。
やはり、勝負服でやって来たか……