第892話 ファーレン領奪還計画
ファーレンのオリジナルモノリスは、国土の東端である黒き森、そこに建つ神殿に設置されている。
黒き森は広大な森林地帯であり、人跡未踏の領域。ファーレンから東側の海へとアクセスするのは不可能となっている。
ビルのようなサイズ感の巨大樹が鬱蒼と生い茂る黒き森の深部には、天まで届く橋があるだとか、古代文明を滅ぼした怪物が封印されているだとか、色々と伝説があって、実際に古代の遺物が存在するのは間違いないのだが————この話は一旦、置いておく。
ともかく、俺達の住むパンデモニウムからファーレンへ転移で移動すると、最初に辿り着くのが黒き森の神殿ということだ。
俺がブリギットに連れられて初めて神殿を訪れた時は、モリガンに住まう一部の神官が定期的に利用する程度で普段は無人の場所であった。しかしながら、正式に同盟を結んで転移による往来をするようになると、もう無人の神殿はありえない。現在ではそれなりに立派な関所として機能しており、それに付随して結構な人数もこの場に滞在するようになっていた。結果的には、すでに村と呼べるほどに開発が進んだ。
我がエルロード帝国はファーレンへ物資での支援を行っていたので、今も設備や街道の整備を含めて拡張中であり、俺が前に訪れた時よりもさらに開けた様子となっている。
古代の遺跡でもある神殿だけはそのままに、周囲には堅固な石造りの城館と壁が築かれ、ちょっとした砦と化している。
そんな要塞化が進む黒き森の神殿にて、俺はファーレンの代表者と向かい合っていた。その内の一人は当然、俺をここまで連れて来たブリギットである。
「面を上げてくれ」
ファーレンが正式に帝国へ下ったことで、エルロード皇帝たる俺は上座にて最上位の扱いを受けて、この場で迎えられている。
「迅速な救援、誠に感謝いたします、クロノ魔王陛下」
伏した姿勢からゆっくりと顔を上げてまずそう口にしたのは、モリガン神殿の長となった大神官ブリギット。
お色直しをした彼女は、肌の露出は抑えた如何にも神官らしい法衣を着こんでいる。恐らく、こちらが本来の大神官の衣装なのであろう。
「大軍を連れて押しかけるのは無作法に過ぎるとは思うが、事は急を要すると判断した。許してくれ」
「とんでもございません。首都が陥落し、我々は防衛軍の再編もままならない有様。精強なる魔王軍がこれほど早く助けに参っていただいたことに、モリガンの民も安堵することでしょう」
そうだろうか。外国の軍隊に侵略されて逃げてきたら、また別な外国の軍隊がやって来たら、不安にしかならんだろうが……残念ながら、そういった感情的な不安までケアできるほど、こっちも余裕はない。上手く説得をして、帝国への支持率を上げてくれることも、俺を引き込んだブリギット達の役目であり、責任でもある。
勿論、俺が連れて来た帝国軍だ。ファーレンでの無法や狼藉は絶対に許さない。幸い、オリジナルモノリスの転移があるので、今回は補給面に関して不安はないからな。充実した物資があれば、兵士達もそうそう短慮は起こさない。
「それで、そっちの子が————」
「これは失礼を。ご紹介させていただきます、こちらにおわすのがファーレン王サンドラ陛下のお世継ぎにございます」
「————シャルトラ・ニュクス・ファーレン、と申します。どうぞお見知りおきを、クロノ魔王陛下」
緊張によって若干の震え声で、深々と頭を下げて自己紹介をするのが、サンドラ王の子供。
シャルトラ殿下は母親譲りの真っ赤な髪に、父親と同じ綺麗なエメラルドに輝く瞳を持つ————美少女、いや、美少年? ど、どっちなんだ。また性別が良く分からん子が出て来たぞ。
会話の中でこの子の性別はそれとなく探るとして……ダークエルフのサンドラ王と、スパーダ人のシャルディナ妃の間に出来た子供だから、ハーフダークエルフということになる。
耳は若干短いが、人間と比べれば確実に長く尖っている。肌の色は明確に褐色肌というよりは、ちょっと日に焼けた子供という感じ。ダークエルフのハーフかどうかも、パっと見では分からないだろう。
「君がシャルトラ殿下か、よろしくな。ご両親のことは、とても残念だ。サンドラ王には、俺がまだ冒険者だった頃に大変良くしていただいたし、シャルディナ妃とは剣を交えたこともある」
「は、はい……」
俯き加減で、シャルトラ殿下の目から涙が零れる。
しまった、両親の話を出すのは失策だったか。いやでも、まずは弔意の表するのは自然な流れだし……こういう時、心底リリィのフォローが欲しいと思ってしまう。
今回のファーレンへの救援に、リリィは同行していない。ついでにフィオナもいない。黒き森を焦土にするわけにはいかないからな。
「申し訳ありません、シャルトラ様はまだ幼く、このような場には慣れておられませんので、どうかご容赦を。次はゆっくりご歓談ができますよう、贅を尽くして一席設けさせていただきます故————この場はまず、後の対応について、急ぎご協議いたしたく存じます」
涙を流し始めたシャルトラ殿下を、ブリギットがそれとなく下がらせながらフォローする。
うん、助かる。魔王だって、泣く子には弱いから。
「ああ、そうだな。ファーレンは今この瞬間も、十字軍に蹂躙されている。悠長に作戦会議していられる時間はない————単刀直入に聞こう。何人、戦える」
「およそ一万。それ以上は、女子供をかき集めるより他はありません」
大方の予想通りの解答が、ブリギットから返って来た。
ファーレンは国土こそスパーダに迫る広さを誇るが、その大半が森林地帯のために居住する場所は少なく、大きな街を構えるほどにまで発展させられる場所はさらに限られる。
それに加えて長命種であるダークエルフの性質上、人口増加も人間と比べてずっと緩やか。今と昔でそれほど人口に変化はない。
つまりファーレンには元から大人数の兵力は揃っていないのだ。
「両陛下の奮闘により使徒を退け、首都防衛に就いた兵の多くも撤退することが叶いました。しかしながら、各地の森へ逃れざるをえず、モリガンまで辿り着けずにいる部隊も多く……こちらがすぐに動かせる数は、一万が限度なのです」
「十分だ。それ以上は、無理に兵を集める必要はない。残されているのはファーレンの未来を担う者達だ。その希望を徒に浪費するような愚を冒すつもりはない」
「寛大なるご配慮、痛み入ります」
俺は別に、国民全員玉砕覚悟の本土決戦を挑むつもりはないからな。ファーレンを守るためにやって来たが、防衛に徹するのではなく、むしろこちらが攻め込む方針だ。
ガンガン攻めていくって時に、数だけ揃えるために集めた足手纏いの集団など、とても連れて行けない。今回の戦いで重要なのは、迅速な機動力だ。
「ファーレン兵一万に、俺が連れて来た帝国兵一万。合わせて二万の兵力で、十万近い十字軍を相手にするわけだが————先に言っておく、今回の戦いで首都ネヴァンまで奪還するのは不可能だ」
「……左様でございますか」
ブリギットは伏し目がちに答え、その顔はうかがい知れない。
しかし、やや後ろに下がったシャルトラ殿下は俺の後ろ向きな宣言に、あからさまに悲し気な表情を浮かべていた。
残念ながら、魔王を名乗っていてもまだまだ限界はある。今回の戦いには色々と制約も多いからな。
「ファーレンの地図を」
「はい、こちらに」
向こうにいる内に、あらかじめ用意させておいた大きな地図をブリギットに広げてもらう。
広大な森林地帯と、その間を縫うように伸びる街道。それに沿って点在する幾つもの町と村。ファーレン全土を描かれた地図には、西はスパーダやパルティアと接する国境線から、東は黒き森を望む旧都モリガンまで、はっきりと示されている。首都ネヴァンをはじめ、主要な都市はより大きく描かれているのだが、この地図にはすでに一か所、大きく赤く印をつけた地点がある。
そこはコナハトという名の都市だ。
「コナハトを奪還し、ここを境として防衛線を築く。首都含むこれより先の領土は、少なくとも大遠征軍が片付いてからとなる」
ファーレンの国土を大雑把に示すと、東西を長辺とした長方形のような形である。首都ネヴァンはかなり西よりで、スパーダ国境にも近い。旧都モリガンはほぼ東の端にあたる。
そして今回注目すべきコナハトの位置は、首都に近い西寄り。ここまで取り返せば、ファーレン全土のおよそ三分の二は確保できるといったポジションである。
「流石は魔王陛下。コナハトに目をつけるとは、御慧眼であられます」
「そっちもハナから目星は付けていただろう?」
「コナハトはかつての国境であった、と祖父より聞いております」
端的に言って、コナハトは守りやすい地形なのだ。
さほど標高はないのだが、ここは峠となっており、それでいてファーレンを横断する最も大きな街道が通る要衝とも言える。勿論、東西を繋ぐ街道は他にも複数存在しているが、ここを抑えるのが最も効果的な立地となっている。
「首都ネヴァンが早々に陥落したのは、使徒の力もあるが、やはり十字軍の大軍を十全に活かせるだけの広さがあったからだと思っている」
スパーダとの国境線を速攻で破られたのも、この辺からはもう森は途切れて、大軍の展開を邪魔するものは何もないからだ。ちょっとした砦と防壁がある程度では、とても十万の大軍を食い止めるのは不可能である。
そこから首都に至るまでの地域も、ファーレンとしてはかなり広く開拓されており、進軍の障害になるような箇所は少ない。平時であれば活発な流通経路となるが、戦時になれば敵がスムーズに進める、整った道となってしまう。
しかしその整った街道もこのコナハトから先は、徐々に先細って行く。なるほど、昔はここが国境だったというのも頷ける。自然とこの峠が境になるような地形なのだ。
「コナハトを抑え、ここに防衛戦力を集中させておけば、再び大軍で押し寄せて来られても持ちこたえられる。奪還したら、帝国から人を送ってすぐに要塞化も進めるつもりだ」
「逆に言えば、使徒のいない十字軍を蹴散らして、首都の奪還を果たしたとしても、守り切るのは難しいとのご判断にございますね」
「ああ、首都を守り切れるだけの戦力は、流石にこっちも割けない。コナハトで守りを固めるのが、今の俺達の限界だ」
ファーレンに出せる戦力には限りがある。エルロード帝国にとって目下最大の敵戦力は、十字軍ではなくネロの大遠征軍。使徒を二人も抱え、そして二人とも俺を殺したいほど目の仇にしており、コイツらが退くことは絶対にない。
本来ならば、ファーレンは見捨てるのが最善だ。俺達だって潤沢な兵力を維持しているワケではない。それにファーレン全土が十字軍に占領されても、オリジナルモノリスの転移が封じられるだけで、パンデモニウムには今すぐ影響があるわけでもないのだから。
それこそ大遠征軍を片付けて、余裕ができてから奪還を目指すべき————なのだが、リリィも今回のファーレン救援に反対はしなかった。
それは決して俺へのご機嫌取りではなく、リリィにもファーレン全土を十字軍に奪われるのは避けたい理由があるのだ。
「それでは、シャルトラ殿下も魔王陛下の仰せの通りで、よろしいですかな?」
「はっ、はい! 構いません……ど、どうか、ファーレンをお救いくださいますよう、お願い申し上げます……」
急に話を振られて、シャルトラ殿下が慌てて答えながら、頭を下げる。
ブリギットは俺の意図など最初から察していて、シャルトラ殿下に形式的にも了承を得るための説明をしたといったところか。
「よし、ブリギット大神官、そしてファーレンを継ぐシャルトラ殿下の了解も得られた。俺達はコナハト奪還を目指す方針で行く。このまま軍議を開き、詳細を詰める。必要な者をすぐに集めてくれ」
「ファーレンの将は、すでにあちらに控えております。すぐにお呼びいたしますので、少々お待ちを」
すでに段取りを済ませていたらしいブリギットが、にこやかな笑顔を浮かべて席を立っていった。
さて、問題は実際にどこまでファーレン軍が協力してくれるか、なのだが……
「————不気味なほどに協力的だったな」
軍議は速やかに終了した。
いくら話はつけたとはいえ、いきなり外から来た奴が総大将になるなんて、感情的に納得できるはずがない。絶対にもっと揉めるか、あるいは消極的な態度になるかと思っていたが、これといった反対意見などもなく、平身低頭で従ってくれた。
少なくとも、今回この場に集まっている面子に関しては、ブリギットがしっかりと根回しを済ませていたってことだろう。俺が首都奪還は諦め、コナハトを狙う作戦まで読んでいた可能性は高い。
「恐らく、マスターはブリギットの伴侶となることまで、周知されている」
サリエルが俺の解釈とは別方向の意見をくれた。
「婚約する、と公言はしていないんだが」
「リリィ様と結んだ『血の約定』もある」
強い男の血を取り入れたいミストレア一族の掟だかで、ブリギットに誘惑されたアレである。リリィはその望みを利用してアグノアと約束を交わし……まぁ、そのお陰で帝国を建てた時に、ファーレンとは即座に同盟関係を結ぶに至ったのだ。
当人同士の気持ちを尊重して、という建前によって、俺はまだブリギットと関係を結んではいない。だがしかし、実質的な婚約関係にある、という扱いで帝国とファーレン双方で話は進められてきた。
「ファーレンが帝国へ下るのを良しとしたのは、ブリギットの婚約が確定したからこそ。それが全てとは言えないが、大きな要因となったのは事実かと」
「結局、リリィの約束がこういう時まで効いたってことだな」
リリィが嫉妬心を抑えてまで、結んだだけある。お陰様で、この局面でもファーレン側の全面的な協力を得られるので、最善の行動ができそうだ。
「すぐに出るぞ。準備は出来ているか?」
「イエス、マイロード」
「おうよ、早く行こうぜ」
サリエルを伴って神殿を出た俺の前には、整然と隊列を組んだ精鋭部隊を率いる二人が並び立つ。
一人はセリス。『暗黒騎士団』の小隊長に任命しており、先のベルドリア王城攻略においても、団長サリエルを補佐してよく働いてくれた。
もう一人は、カイ。同じく王城攻略で、その大半を迅速に制圧し、精鋭部隊『第一突撃大隊』の華々しい初陣を飾ってくれた。
今回はサリエルの『暗黒騎士団』とカイの『第一突撃大隊』がエース部隊となる。ちなみに俺の『重騎兵隊』は『暗黒騎士団』の所属となっている。『暗黒騎士団』はその内に正式に近衛騎士団として、名を改めることになるだろう。
エース部隊は合わせて千人ほどの規模となる。主戦力となる歩兵達は、大半がパンデモニウム中心部に住まう、特に強く洗脳の影響を受けている者によって構成されている。例のリングを装着した彼らは、それだけで忠実無比にして恐れ知らずの兵士となるが、単純に銃を装備した戦いの練度においても現状、最も高かったりする。
リリィが最初にパンデモニウムを起こしたその時から、通常兵力として銃を使った訓練を続け、スパーダ防衛戦をはじめ実戦経験も経ている。
まとまった戦力を速やかに出撃させる、となれば真っ先に彼らが選ばれるのは半ば必然であった。
「『鉄蜘蛛』の方はどうだ。もう不具合が出たりしていないだろうな?」
「イエス、マイロード。全機問題なく、稼働しております」
そして今回、まとまった数を初めて実戦投入するのは、四脚歩行戦車『鉄蜘蛛』。
まだ傭兵団を名乗っていた頃に、一機だけはダキア領の警備依頼から使っていた。シャルロット姫が無茶を仕出かしたのを、助けに行った時も生き残りの村人を収容したりと活躍してくれた。
だがコイツの本来の役割はただの輸送車両などではなく、戦車の如く長い砲身を備え、その四脚で不整地でも走破する、戦闘機動車両である。
ファーレンでの戦いは深い森の中での戦いとなる。竜騎士のような空中兵力も、鬱蒼と生い茂った木々が邪魔となり、あまり有効にはならない。むしろ地上の敵から待ち伏せや罠をい張られて、非常に危険だ。戦力として竜騎士をアテにするのはリスキーである。
だが森の中でも構わず突き進む鋼鉄の歩行戦車ならば、敵に大きな打撃を与えてくれるはずだ。森での戦闘では有効だと思って、とりあえず稼働できるまで整備されていた鉄蜘蛛を、またしてもシモンに無理を言って揃えてもらった。実戦データはしっかり取って来るから、許してくれ。
「ふぅーむ、何というか今回は随分と地味な編成じゃのう」
「そう言ってくれるなよ、ベル」
竜騎士は有効的ではないと言ったが、黒竜となれば話は別だ。魔王騎ベルクローゼンは今回のファーレン救援部隊における、切り札でもある。
そしてもう一つの切り札がコイツだ。
「それじゃあ、今回もよろしく頼むぞ、ネネカ」
「私達に任せなさいよ。その代わり、ちゃんと報酬は弾みなさいよね」
通信担当の妖精達。
彼女達の存在によって、俺達はたとえ森の中を分散して行軍しても、リアルタイムで互いの位置情報を把握し、迷うことなく動くことができる。
一度森の中へと入れば、十字軍は深緑の木々によって索敵どころか、味方同士の連携も怪しくなる。だが俺達はその限りではない。
これは途轍もないアドバンテージである。これまでも十分すぎるほどの情報通信の有利を活かしてきたが、今回はそれに輪をかけて有効となってくれるはずだ。
「ああ、勿論」
「木の実は食べ放題、ハチミツ酒も飲み放題よ!」
「ファーレンはどっちも美味いし、沢山種類もあるぞ。期待してくれ」
「ふふん、勝ったわね」
俺の肩に留まってドヤ顔を浮かべるネネカが、可愛らしくも頼もしい。
「まずは、進めるだけ進むぞ。調子に乗って突出して来た占領部隊を叩き潰す」
今回はアルザスとも、スパーダの時とも違う。ファーレンはすでに、俺の帝国領だ。
これ以上、お前らになど踏み荒らされてなるものか。こんな森の奥までやって来たこと、後悔させてやる。