第885話 ベルドリア王城陥落
「ブレイク————インパクトぉ!!」
ズドォン、とベルドリア王城を揺るがすような爆音が炸裂する。
隕石が如き勢いで上空から降って来たのは、遥か頭上に座す天空戦艦より生身で飛び降りて来た命知らずの突撃部隊。王城の大広間の天上を突き破り、タイル床に穿たれたクレーターの中心に立つのは、選び抜かれた精鋭、第一突撃大隊を率いる隊長、カイ・エスト・ガルブレイズである。
「おいおい、なんだよコイツら、もう腰が引けてるじゃねぇか」
降下と同時に炸裂させた武技『大断撃破』に巻き込まれた兵士は、粉微塵となって消し飛んでいる。原型を留めぬ血肉の塊がそこらに散らばる有様は、それだけで怖気づかせるには十分であった。
「う、上から降って来たのか……」
「もうお終いだ……魔王軍が、王城にまで乗り込んで来た……」
「早く援軍を呼べぇ! 敵に侵入を許したんだぞぉ!!」
上空から降下して乗り込んでくるという、全く予想外の方法に王城の警備兵は大慌てである。そう、慌てるだけで、堂々と広間に立つカイに対して、遠巻きに槍を構えて誰も攻撃を仕掛けようとはしてこなかった。
たった一人を相手に何と弱腰な、と彼らを責めるわけにはいかない。
カイに続いて、すぐに後続の突撃部隊員が続々と降り立ってきている。無論、お行儀よく着地するだけの者の方が少ない。
大半はそれぞれが誇る武技や魔法を飛び降り様にブチかまし、そこかしこで破壊の轟音を立てていた。
「ヤル気がねぇんなら、さっさと退け。大人しくしてりゃあ、命までは取らねぇからよ」
重厚な大剣を軽々と肩に担いでカイが一歩踏み込めば、槍を構えた警備兵達は一歩後ずさった。
鍛え上げられた大柄で屈強な肉体を誇るカイだが、まだまだ年の頃は少年と言ってもいい。そんな年若い相手に気圧されているわけだが、彼らの怯えは実に正しい。
薄っすらと青いオーラを漂わせるカイは、本物のランク5冒険者。そして今は、数多の部下の命と、祖国の誇りを胸に抱く、エルロード帝国の騎士である。
見るからに劣勢の戦況に飲まれて指揮がガタ落ちとなっている兵士とは、覚悟が違う。気迫が違う。燃え滾る闘志が、そのままオーラと化しているかのようだ。
カイとその後ろに続く突撃部隊の圧倒的な迫力を前に、今にも隊列を崩して警備兵達が逃げ出そうとした矢先のことであった。
「おら、退いた退いた。腰抜け共は引っ込んどけ!」
威勢のいい大声と共に、隠すことのない大きな足音を立てて、何者かが率いる一団が広間へとやって来た。
警備兵にとっても、待望の援軍であるのだろう。誰も文句の声を上げずに、戦意を漲らせる彼らへと素直に道を譲っているようだった。
そうして警備兵を押し退けて、カイの前に現れたのは、
「んん、なんだお前ら。妙な恰好しやがって……ベルドリア兵じゃねぇな。外国の傭兵か?」
ベルドリア兵はターバンと丸い胴鎧が特徴的な、アトラスの砂漠国家ではオーソドックスな装備をしている。街中に展開した防衛部隊も、この王城の警備部隊も、基本的には変わらない。
だが目の前に現れた男が着ているのは、ガウンのようにゆったりした衣装に、色鮮やかな帯を巻いた軽装だ。動きを阻害しないよう、手足にだけ甲を装着した姿は盗賊クラスと似ているが、手にした武器は大きな刃のついた槍である。
盗賊のようにこすい戦い方はしない。デカい武器を使う奴は、自分の力に自信があるからこそ、ソレを振るう。
俺がそうなのだ、アイツもそうに決まっている。カイはそう判断した。
「ご名答。俺達はジャコウ曲技団。ヴェーダの傭兵さ」
「……?」
「ヴェーダ法国は大陸中西部にある大国。武術が盛んで、傭兵として色んな国を渡る者も多いの」
「なるほど、やっぱ外国の傭兵ってことだな!」
傭兵団の名前にも、出身国と思われるヴェーダの名にもまるでピンと来なかったが、いつの間にか隣に立っていた部下がコソっと教えてくれた。
このチビっこい銀髪頭の褐色の子は、ウルスラ。数百人規模の大隊員全ての顔と名前はまだ完全に一致していないが、部隊でも最年少である彼女は覚えやすかった。
同時に、小さいが自分などよりも遥かに聡明であることを瞬時に察した。頭の良い奴って、頭の良い気配してるよな、とカイは直感で分かる。そして、その直感はやはり正しかったことが、さりげないウルスラの解説で証明されていた。
「つまらん負け戦に巻き込まれたもんだと思ったが、坊主、お前かなり強いな? コイツは楽しめそうだ」
「オッサンこそ、その辺の奴らより気合入ってんじゃねぇの」
軽口を叩きながら、カイはすでに目の前の男————恐らく、ジャコウという名の傭兵団長であろう、彼らの中で最も手練れだと感じて集中する。
自分よりも背の高い男だ。手足は長く、大ぶりの槍と合わさって、大剣を扱う自分を越えるリーチを誇るだろう。その軽装姿からして、スピードにも自信アリといったところ。
「当然だ。俺はジャコウ、ヴェーダの元十傑よ」
「……??」
「十傑はヴェーダ特有の戦士階級の名前。ギリでランク5冒険者を名乗れるくらいなの」
「しゃあ! そいつぁ相手にとって不足はねぇな!!」
非常に分かりやすいウルスラの説明によって、全力を尽くして戦うに足る相手であると認識。ランク5級と聞けば、自然と腕が疼く。
「へへっ、待ってくれよ団長ぉ、こんな活きのいい獲物を独り占めなんてよくねぇぜぇ」
「そうそう、十傑様がそんな簡単に出張って来ちゃあ、威厳ってのが、ねぇ?」
団長ジャコウの前に割り込んで、腰に刀を差した剣士が二人現れた。
刀はネロが愛用していたので、その特徴はカイもよく知っている。拵えこそヴェーダ風の独特なものとなっているが、鞘の内にあるだろう刀身の長さと反りから、間違いなく刀だと判断できた。
片方は純粋なスピード剣士。もう片方は、刀から薄っすら漂う魔力の気配から、魔法剣士といったところ。
「ちっ、そんなこと言って、オメーらがやりてぇだけだろが……おい、城が落ちるまであんま時間がねぇからな、さっさと始めちまいな」
団長はやれやれ、とばかりに槍を肩に担いで、相手を素直に部下へと譲ったようだ。お許しも出たところで、いよいよ二人の刀使いがその手を柄にかけて、一歩を踏み出したその瞬間、
「————インパクトゥ!!」
隕石が落ちた。否、カイと同じほどのパワーでもって、自由落下からの『大断撃破』が炸裂した。
「イェア! クリティカルヒーット、デス!」
軽装の剣士の定め、薄い防御の刀使いは強烈な武技の破壊力に耐え切れずに、木っ端微塵に吹き飛んだ。二人まとめて吹き飛んだ。
「レキ、お前狙ってやがったな」
「戦場での手柄は早い者勝ちデスよ、隊長?」
自ら穿ったクレーターの真ん中に立った、犬耳のように跳ねた金髪の少女レキは、快活な笑みを浮かべて言い放つ。
「ガキが、調子に乗りやがって……」
流石に部下二人を奇襲同然に潰されたのは、腹に据えかねたか。俄かに怒気を漲らせた団長が、油断なく大槍を構えた。
彼の後ろに続く曲技団という傭兵たちも、殺気立ってそれぞれの得物を抜く。
「戦場には決闘の流儀ってのもあるんだよ。悪ぃなレキ、その槍使いは、俺が先約だ」
「ブゥー! 横暴デーッス! パゥワァーハラスメント!」
「残念だけど、上官の命令は絶対なの」
ケチを叫びながら、レキは軽やかにバク宙をしてこちらへと下がって来た。
そうして、改めて大隊長カイと団長ジャコウ、それぞれの隊を率いる長が向かい合う。
「帝国軍、第一突撃大隊隊長、カイ・エスト・ガルブレイズ。スパーダ人だ」
「北天マハーヴァラ流が元十傑、ジャコウ・ロウ————参る!」
断続的な揺れが、ベルドリア王城を襲う。
直上に乗り付けた天空戦艦より次々と帝国の精鋭部隊が降下を開始し、王城のそこかしこで激しい戦闘が始まっている。
馬鹿正直に王城の正門を固めていたが、その防衛体制は完全に悪手となった。本来なら自分達を守る堅固な防壁となるはずが、空から城内に潜入された今となっては、後背に聳え立ち逃げ場を塞ぐだけの壁にしかならない。
挙句の果てには、街中から続々と王城まで撤退して来た敗残兵達が、閉ざされた正門前で大騒ぎしている始末。
頼れる総大将ラシード王太子も、竜騎士団を率いて出撃したきり行方不明。純然たる事実として、天空戦艦が王城までやって来た時点で、乾坤一擲の奇襲作戦が失敗に終わったことは明白であった。
完全に詰んだ————そんなことは末端の一兵卒でも理解できる。当然、軍を統べる頭脳たる司令部が、その事実を認識していないはずはなかった。
「陛下、どうかお逃げください!」
「敵はもう、すぐそこまで迫っておりまする!」
玉座の間に、悲鳴のような懇願が木霊する。
いまだ黙して座すのみであったベルドリア国王は、どこかぼんやりとした眼差しで騒然とする玉座の間を見渡した。
「よい……もう、よいのだ」
「へ、陛下……?」
「ラシードが戻らぬ以上、すでに余の命運も尽きた」
「しかし!」
「まだ幼き余の子らも、すでに逃がしたであろう。そなたらも、もうよい。ここを逃げ延び、いつの日か来るベルドリア再興のために、伏して待つのだ」
諦観に彩られた老齢の王の言葉が、虚しく響き渡る。誰もが沈痛な面持ちで俯き、ただただ重苦しい沈黙がその場を支配した。
「さぁ、行け。これが余の最後の王命ぞ」
涙と共に、その王命を受け入れる覚悟を決めた重臣達であったが————それが成されるのを黙って見過ごす道理など、帝国軍にはありはしない。
「————『天雷槍』」
巨大な黒い雷が、玉座の間に落ちた。そう錯覚させるほどの、眩しく、鋭く、そして何より強大な一撃が炸裂した。
正しく雷鳴が如く、音を置き去りにして黒雷の閃光が先に弾ける。固く閉ざされた正面扉と、その前を決死の覚悟で守る近衛騎士ごと、諸共に吹き飛ばして。
「な、なにぃ!」
「まさか、もうここまで敵が————」
激しい衝撃波とスパークが散った後には、開け放たれた扉と千切れ飛んだ近衛騎士の残骸。そして玉座のすぐ足元に突き刺さった、漆黒の十字槍が残されていた。
「————戻れ(リバース)」
小さな声音と共に、刺さった十字槍は黒いスパークを散らして主の下へと帰って行く。
コツ、コツ、と硬いブーツの靴底を響かせて、砕け散った扉より一人の少女が出でる。
エルロード帝国軍の高級将校にのみ許された、煌びやかな漆黒の軍装に身を包んだ、美しい純白の少女だ。人形めいた美貌には、炯々と輝く真紅の瞳がどこまでも無感情に浮かび、けれど手にした黒雷を宿す十字槍には禍々しい魔力の気配を放っている。
玉座の間という、奥の奥まで敵を追い詰めた。そんな意気込みも興奮もなく、彼女はただ静かにここへ踏み込んだ。
「裏切りの使徒、サリエル……」
耄碌した自覚はあっても、王として、何より一人の十字教信者として、その正体を見誤ることはなかった。
ベルドリア国王は、各地に潜む同胞達により伝え聞いた十字軍の情報から、この白い少女こそが、神の寵愛を受けておきながら、それを拒んだ十字教史上類をみない背信者であると確信した。
「降伏せよ」
サリエルの静かな声音はしかし、はっきりと玉座の間に響き渡る。
返答を聞くまでもなく、サリエルに続いて独特の機械音を響かせた黒い重騎士達が雪崩れ込む。背中から魔力の燐光を吹いて飛ぶように走る、古代鎧なのだろう。
動く古代鎧というだけでも珍しいのに、何十人もの部隊を結成できるほどに古代鎧を装着した騎士達が並び立つ光景は、改めて圧倒的な国力差を見せつけられた気分であった。
「……ベルドリアが欲しくば、余を倒すより他はないぞ」
精一杯の虚勢に過ぎない。だが、これぞ王の誇りでもある。
ベルドリア国王は病で痩せ細った老体に鞭を打ち、玉座より重い腰を上げる。枯れ木のようになった細腕で、震えながらも腰に差した宝剣を引き抜く。
王は、この場で最後まで戦い抜いて討ち死にすることを望まれている————誰もがそう察し、その遺志に殉じるべく武器を構えた。
最後の守りである近衛騎士は勿論、戦う術など持たぬ重臣達もが、その手に刃物を持つ。
「ならばその首、貰い受ける」
サリエルが槍を構えると同時に、漆黒の重騎士達も一斉に銃口を向けた。
玉座を守る近衛騎士とはいえ、ここにいるのは実力よりも忠誠心で選ばれた者ばかり。腕に自信のある者は残らず最前線に駆り出されている。最早、サリエルが自ら槍を振るうまでもなく、トリガーを引いて銃撃すればそれだけで完全に制圧できるであろう。
そして、次の瞬間には現実となるはずだったが、
「待て」
止めに入ったのは、サリエルと同じく美しい銀髪を持つ女騎士だ。古代鎧ではないが、女性らしいボディラインが浮かぶ流麗な漆黒の鎧は、位の高さを示している。
「跪け、魔王陛下のお成りである」
その一言で、サリエル含め全員がその場で膝をついた。
「貴様らもだ————『重力結界』」
女騎士が手を翳せば、それだけで徹底抗戦の構えをとっていた近衛騎士達が地に伏せた。珍しい重力魔法の圧力に、抗えた者は一人もいない。
ベルドリア国王も例に漏れず、ただただ一方的に見えざる力に抑え付けられていた。
「ぐっ、ぬぅううう……」
彼らの苦し気な呻きは、そんな敗者の声など聞く気はないとばかりに、次の瞬間に響き渡った轟音によってかき消された。
玉座の間を彩る、天使が描かれた天井画とステンドグラスを粉々に粉砕し、外壁をぶち破って巨大なドラゴンが————否、黒竜を駆る、魔王が現れた。
「うーん、もう制圧済みだったか」
軽い口調で言いながら、首を下げた黒竜より、大きな黒マントを翻し魔王が降り立つ。
「流石の手際だな、サリエル、セリス」
「ありがとうございます、マスター」
「お褒めに預かり、恐悦至極」
二人が揃って頭を垂れるのを眺めてから、魔王はようやく玉座の間に這いつくばった国王へと目を向けた。
「勝負はついた、降伏しろ」
「マスター、ベルドリア王は名誉の戦死を望んでいる」
「そうなのか? なるほど、そんな老体で剣を抜いてるのは、そういう理由か」
「ぐうぅ……無様な老いぼれと、嘲笑いに来たか、魔王め……」
怒りに歪んだ髑髏を模したような凶悪な兜を被った魔王の表情は窺い知ることはできないが、今の自分の姿を思えばそうとしか考えられない。
「おいラシード、お前の親父が死にそうだぞ。何とか説得して、大人しく降伏させてくれ」
魔王がジャラジャラと黒い鎖を引けば、黒竜の背から荷物のように雑に放り投げられた。
「ぐえぇ!」
と苦痛の声と共に赤絨毯の上でバウンドしてから、いまだ重力に囚われて伏せっている国王の元まで転がって行った。
「あ、ああ、そんな……ラシード、お前……」
「父上、申し訳ございません————ですが、魔王に逆らった我々が愚かだったのです」
鎖でグルグル巻きにされて、これ以上ないほど分かりやすく捕縛された姿を晒すラシードに、ベルドリア王は最後に残った意地すら失ったかのように蒼褪めた顔色へと変わった。
そんな父親に対して、ラシードは神妙な顔で謝罪の言葉を述べながら、さらにこう続けた。
「黒竜を従えた魔王に、勝てるはずがありません。なぜなら、黒竜こそが最強にして至高の存在なのですから! 父上、これからベルドリアは竜騎士の国として、この偉大なる黒竜と共に戦っていきましょう! ああ、黒竜と共に空を飛べるなんて、これほどの栄誉はありませんよっ!!」
「ラシードぉ! お、お前という奴はぁあああああああああああ!!」
あれほど打倒帝国を訴えかけていたにも関わらず、目をキラキラさせて黒竜最高と語るバカ息子の言葉に、ベルドリア王は絶叫した。
ここで「邪悪な魔王め、一体どんな呪いをかけて息子を狂わせたのだ!」と言えればどれだけ良かったことか。
残念ながら、ラシードのドラゴン好きは筋金入り。中でもとりわけ、伝説の黒竜に執着しているかを、父親としてよくよく知っていた。
本物の黒竜を魔王が乗り回しているのなら、ああ、そりゃこうなるわ————息子のイカれた台詞を、魔王のせいにできなくて、ベルドリア王は悔しくて仕方がなかった。国を侵略されたよりも悔しい。
そんな長い生涯の中でも最大級の屈辱を前に、ついに国王の体に限界が訪れた。
「ぐはぁ! げほっ、げほぉ……」
「ち、父上!? 父上ぇえええええええええええ!!」
激しい咳と共にドっと血を吐いたベルドリア王に、ラシードが悲鳴を上げる。こうなってしまっては、剣を交えて戦うどころか、言葉を交わすことすらできはしない。
国王としての最後の意地すら通すことはできずに、ベルドリア王は倒れた。
「はぁ……全員、捕縛しろ」
重い溜息をついてから、そう命じた魔王は、吐血して倒れた父親を前に慌てているラシードに、兜の向こうでどこまでも呆れた視線を送って、呟いた。
「ラシード、それはないわぁ」