第884話 黒竜の夢
「————魔王騎ベルクローゼン、クロノ、出る」
「魔王陛下万歳!」
「オール・フォー・エルロード!!」
リリィと入れ替わりに、ベルに乗って俺が発進すると、その場にいる全員が最敬礼でお見送り。正直ちょっと恥ずかしい。自分とこの大将が出るんだから、大袈裟なのは仕方ないけれど。
「いってらっしゃーい」
戻ったリリィがヴィーナスの上から、小さな手を振ってくれる。そうそう、こういうのでいいんだよ。
そんなことを思いながら大空へと舞い上がった俺は、いまだ天空戦艦に対して決死の攻撃を敢行するベルドリアの竜騎士をスルーして、ラシードを追う。
「なんだあの黒い竜は!?」
「デカい、デカ過ぎるだろ……」
「乗っているのは……ま、魔王だ!」
「魔王クロノが現れたぞ!」
「女王と魔王がどっちも単騎で出て来るとか、頭おかしいんじゃねぇのか」
非常に目立つ黒竜の巨躯に、すぐに竜騎士達が騒然としていた。すでにして乾坤一擲の奇襲攻撃は失敗に終わり、彼らが攻撃を続けるのは王子様を逃がすためだけの時間稼ぎに過ぎない。
黒竜というサラマンダーを越える新たな脅威が出現したのは、泣きっ面に蜂どころか単純なオーバーキルといってもいい。絶望するにしても十分すぎる過剰戦力。絶望しすぎてドストレートな罵倒が聞こえた気もする。
しょうがないじゃん、自分が出た方が一番手っ取り早いんだから。魔王だろうが女王だろうが、戦力は最大限に有効活用するのだ。
そんな言い訳はさておき、なんだかんだで総大将たる俺が乗っていると思えば、一発逆転の希望も湧いて来るというものか。竜騎士が俄かにこちらを狙って動き出す。
「悪いが、お前らの相手をする気はない————ぶっちぎれ、ベル」
「うむ!」
巨大な漆黒の翼が強烈に空を打ち付けると、ジェットエンジンの加速度にも負けないほどの勢いで一直線に飛ぶ。
「逃がすな! ここで魔王を討ち取れば————」
「奴め、殿下を追うつもりかぁ!」
「止めろぉ! うぉおおおおおおおおおおおおお!!」
ちょうど進路上に近かった数騎の竜騎士が、急加速する俺達の前へ捨て身で割り込んで来た。ベルとワイバーンでは体格差など明らかなのだが、少しでもこちらの動きを止められれば、そのまま轢き殺されても構わないと言わんばかりの気迫である。
見上げた騎士根性だが、その程度で止められるほど黒竜は優しくはないぞ。
「退け、ワイバーン如きが、妾を止められると思うてか」
衝突の寸前、黒竜の巨躯が滑らかにバレルロールを行う。速度も高度も変わらず、勢いのまま横方向へと側転した。
それと同時に振るわれたのは、黒竜の爪。
すれ違い様に回転しながら放たれた爪の一撃は、長大な真空の斬撃と化して立ち塞がったワイバーンを切り裂いた。喉や翼といった急所など関係ない。恐るべき黒竜の爪撃は、最も頑強な胴体さえも容易く両断する。
やはり飛竜狩りはリリィに任せて正解だった。ベルじゃあ加減が効かないな。
四散五裂となった竜騎士が派手に鮮血の華を咲かせるのを後に残し、更なる加速を経てベルはターゲット目掛けて飛んで行く。
竜騎士の飛び交う空域を脱し、最早あいつらには後ろからベルに追いつくことはできない。
振り返ることもなく、ぐんぐんと速度を上げて一直線に飛翔してゆけば、ほどなくしてラシードの駆る青い竜影を捉えた。
「なにっ、あ、あれは、まさか————」
途轍もない黒竜の気配に気づいたか。弾かれたように後ろを振り返ったラシードの顔が、驚愕に歪む。
「ふん、サラマンダーの亜種など一撃で灰にしてくれよう」
「待て、ベル。ブレスはダメだ、消し炭にはしないでくれ」
紅蓮の猛火を牙の隙間から漏らし、ブレスをぶっ放す気満々のベルを止める。出来ればラシードもブルーサンダーも生け捕りにしたい。そのために俺が出張って来たのだから、ブレスで即死させたら意味がない。ただただ黒竜の強さを自慢するだけになってしまうからな。
「俺が仕掛けるから、ベルはブルーサンダーを抑えてくれるだけでいい」
「うむ、心得た」
溢れ出る炎を引っ込ませたベルは、そのままジリジリとブルーサンダーとの距離を詰めて行く。
「くそぉ! 何故だ、何故っ、どうしてこんなことが————」
とうとう追い詰められて半狂乱となったか、手にした派手なロングランスを振り回し、破れかぶれの攻撃魔法をラシードは放ってくる。
風と雷、両方の範囲攻撃魔法が飛んでくるが、今の彼には自分の攻撃の射程も把握できていないようだ。轟々と無意味に攻撃魔法を撃ちまくるだけで、こちらには届いていない。
ここまで来るといっそ哀れであるが、だからといって油断も容赦もする気はない。お前は確実に、ここで捕らえる。
「ミサイルは元々、俺の技のはずだったんだがな————『魔剣・裂刃』」
大きくはためく空間魔法の黒マント『夢幻泡影』から赤熱黒化を施した長剣を展開。今回の戦いで、ミサイルといえば『星屑の鉄槌』という印象になってしまったが、本来なら俺が再現すべき黒魔法である。
そんなささやかな自負はさておいて、俺の意志で自由自在に飛び交う爆発する刃をラシード目掛けて撃ち出す。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!」
俺の攻撃を確認し、さらに激しく範囲攻撃魔法をばら撒くラシード。その射程圏内に入った『裂刃』が、風の刃や雷撃に接触して起爆。
連鎖するように次々と『裂刃』が炸裂する。ラシードに直撃したのは一本もなく、全て奴の周囲で爆発した。
よし、これでいい。高速飛行の真っ最中だから、ほんの一瞬になってしまうとはいえ、これで漂う爆煙によって奴の視界は封じられた。
「それじゃあ、頼んだぞ」
「妾は構わぬが……主様も大概、イカれておるぞ」
「しょうがないさ、この方法が一番確実だからな」
それだけ言い残して、俺は手綱を手放し、ベルから飛び降りた。
俺達はちょうどラシードの真上。ベルは反転して逆さの状態である。宙に躍り出た俺は、ちょこちょこブーストを吹いて軌道修正。
あっという間に、目的地へと到着。ブルーサンダーが広がった黒煙を抜けるその寸前に、俺はラシードの目の前へと降り立った。
「————なっ!?」
黒煙から視界が晴れた次の瞬間に、俺が目の前で立っているのだから、そりゃあ驚きもするか。
正に絶句といった表情を浮かべるラシードに、俺は気の利いた決め台詞を言うこともなく、淡々と成すべきことを成すことにした。
「『魔手』」
ジャラジャラと黒い鎖が鎧の各部から飛び出し、鞍に跨ったラシードの体を雁字搦めにする。
手にしたロングランスも手放し、腰に差した剣も抜いて離しておく。これでひとまず無力化はできたはずだが————むっ、コイツ、鞍にしっかりとベルトを巻いて固定している。
いや、当たり前か。空飛ぶ飛竜に乗ってるのだから、普通は落ちないようにシートベルトくらいする。飛び降りる前提で乗って来た俺とは違うのだ。
「ヒツギがチョキチョキしてあげるですー」
「助かる」
勝手に影から上半身だけ出てきたヒツギが、ラシードを抑えるベルトを手早く切り離してくれた。見覚えのない黒い鋏を両手にして、文字通りにチョキチョキ。
なんだそのハサミ。俺の影空間に私物を勝手に持ち込むんじゃない。おい、笑って誤魔化すな。
「離脱する」
ヒツギが笑顔で影に引っ込んでいったのを見送ってから、俺は縛り上げたラシードを担いで、ブルーサンダーの背中から飛び降りる。
自分の背中で主が襲われていることはとうに察していただろうブルーサンダーが、グルルと唸りながら、振り落とそうとその身をよじるが、
「ふん、大人しくせよ。格の違いが分からぬか、青い小僧め」
漆黒の巨躯がブルーサンダーへ覆いかぶさるように掴みかかって来た。空中でぶつかり合うドラゴンの衝撃から逃れるように、俺はラシードを担いだまま虚空へと躍り出た。
頭上ではギャアギャアとけたたましい咆哮を上げながら、ベルとブルーサンダーが揉み合っているようだ。
よし、そっちはそのまま抑えていてくれよな。
下の方は王城の裏手にあたる岩山が連なる地帯。軍が展開できる場所ではないし、俺もここから帝国軍を潜入させたりはしていないので、当然ながら無人である。着地点が戦場のど真ん中だと落ち着かないからな。降りるにはちょうどいいポイントだ。
「ブースト」
自由落下によってあっという間に地上へと戻って来る。『暴君の鎧』を着ていれば、落下程度はブースター吹かせるだけで減速できるから、着地も楽ちんだ。
「おぐぅ!」
すまん、ラシードには結構な衝撃だったらしい。苦し気なうめき声を上げていた彼を下ろして、地面へと転がす。男をずっと抱っこしている趣味もないしな。
「お、お前が……魔王、クロノか……」
「ああ、俺が魔王だ」
鎖でグルグル巻きにされ、ミノムシが如く地に転がるラシードが俺を見上げるその目には、最早、戦意の炎は失せていた。流石にここまでされれば、諦めもつくというものか。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
大地を揺るがすほどの咆哮と共に、上空からブルーサンダーの首根っこを掴んだベルが降って来た。
ブルーサンダーはそのまま地面に叩きつけられ、苦悶の悲鳴を上げて痙攣している。
黒竜によって自分の愛騎までもが地に伏せった姿は、これ以上ない絶望の光景だろう。
「諦めろ。お前の、お前達の負けだ。ベルドリアは俺が貰う」
「うっ、く、ぅううううううううううううう……」
声にならない嗚咽を漏らして、ついにラシードの両目から滝のように涙が流れ始めた。その姿を、無様と笑う気は起きない。祖国を失う敗北を喫したのだ。正気の一つも失うさ。
「うううぅ————ズルい!」
「……は?」
「ズルい! ズルいぃ!! 黒竜は、俺が最初に乗るはずだったのにぃいいいいいいいいいいいいいいいい!!」
もう一度言う。は??
何言ってんだコイツ。
「あああ、本物だ……本物の黒竜だぁ……す、凄いぞ、カッコいいぞぉ……」
もしかしてコイツ、あまりの絶望に正気を失ってしまったのだろうか。店先に飾られたトランペットを眺める少年よりも、キラキラした憧れの眼差しで俺の背後に堂々と佇むベルを見ていた。
「本物の黒竜を、くそぉ、どうして俺を差し置いて、俺以外の奴が乗っているんだぁ! おい、ズルいぞぉ!! なんでだよ、なんでお前は黒竜に乗れるんだよぉおおおお!!」
「えっ、契約した、から?」
再び俺を見ると嫉妬に狂ったような絶叫を上げるラシードの迫力に、つい真面目に答えてしまった。マジでなんなのコイツ、怖いんだけど。
「契約ぅううううううう!? なにそれ、知らない、俺知らないぞぉ! 黒竜は自ら主を選び契約を交わす……ってコトォ!?」
「まぁ、そんな感じ」
「なぁんだよソレぇえええ! 選ばれたのか、俺じゃなくてぇ……お前がっ、黒竜に選ばれし真の主ってことなのかよぉ!?」
「いや、その、成り行きで」
「ずぅるぅいぃいいいいいいいいいいい!! ズルい! ズルいっ! ズルいぞぉおおおおおおおおおおおおおおお! ぬわぁああああああああああああああああああああ!!」
そしてとうとう、ラシードは声にならない声を上げて、泣いちゃった。ワンワン泣いている。
いや、命の危機に瀕して無様に泣いて命乞いするっていうなら別におかしくはないのだが……なんでコイツ、俺に黒竜取られた、みたいな理由で泣いてんの? お前、王子だろ。泣くなら国のために泣けよ。
「のう、主様、こやつ物凄く気持ち悪いんじゃが。本当に生け捕りせねばならぬのか?」
「そんなこと言うな。たとえ正気を失っていても、コイツはベルドリアの王太子ラシードだ。折角、身柄は確保したんだし」
「しかし、さっきから泣きながら妾の方をチラチラ見て、いやらしい視線を送ってくるのじゃ」
「いやらしいのか、それは?」
どうすんだよコレ、と思いつつベルと話し合っている内に、ラシードもようやく落ち着いたか、大きな鳴き声は収まっていた。
「うっ、うぅ……魔王クロノよ……俺の負けだ。ベルドリアはお前のものとなるだろう」
「あ、ああ」
本当に落ち着いたのか、真面目な台詞が聞けてちょっと安心してしまった。
「祖国を守り切れなかった、敗戦の責は全て俺にある。俺の命など、どうなっても構わん……だが、もしもお前に僅かでも慈悲の心があるならば、俺の最後の願いを、どうか聞いてはくれないか」
「言ってみろ」
どうやら、覚悟も決まっているようだ。
ちょっとアレな無様を晒したが、やはりコイツも王太子として立派に最期を遂げることを選んだか。
それほどの覚悟の上であれば、多少の頼みは聞いてやれる。家族か子供、あるいは部下の命は助けてくれと、そんなところだろう。
「俺を黒竜に乗せてくれぇ! どうか、頼む、一度だけでもいいんだ! お願いしまぁす!!」
「ええぇ……」
「嫌じゃ、嫌じゃ! こんな気持ちの悪い男、妾の背になど乗せとうないわ!!」
「お願いします! 一生のお願いだからぁ! 憧れだったんです、子供の頃からずっと、黒竜に乗るのが夢だったんですぅううう!!」
「ま、まぁ、ここまで言ってるんだから、少しくらい」
「嫌じゃと言っておる! 主様は良いのか、こんな下心丸出しの男を妾の背に乗せて!?」
「下心とか言われても……」
確かに、涙を流し、鼻水も流し、一国の王太子としてはあってはならない顔面をしているが、それでもコイツの強烈な憧れは本物なのだろう。
ベルドリアの竜王子と称えられ、竜騎士団の増強に大いに貢献した若き偉人だが……その実態は、どうしようもないほどのドラゴン好きのドラゴン狂いだったというわけか。
黒竜は最強のドラゴンとして有名だし、それに乗りたい、と憧れるのは半ば当然だろう。
「こら小僧、お前の主が他の女に現を抜かしておるのじゃぞ。騎竜として、お前も何とか言ったらどうなのじゃ!」
「ギャウギャウ!!」
「あっ、おいベル、ブルーサンダーに当たるな、可哀想だろ」
ガンガンと掴んだ頭を地面にぶつけられて、悲痛な鳴き声を上げるブルーサンダー。今この場で一番可哀想なのは彼だろう。
「はぁ……どっちにしろ、捕縛したラシードを連れて戻るんだから、乗せることにはなるだろう」
「ぐぬぬぅ……つ、吊るすだけなら、まぁやってやらんでもないぞ」
「縛ったまま荷物扱いで俺が担ぐから、それで我慢してくれ」
「むぅ、仕方がない、今回だけじゃぞ!」
「わぁ、黒竜とお話して、通じ合っているぅ……尊ぉい……」
ラシードが何かまた気持ち悪いこと言ってるが、もう気にはするまい。
ベルドリア防衛の総大将であるラシードは捕まり、虎の子の竜騎士団もほぼ壊滅。首都の方も次々と防衛網を突破し、ほどなく王城まで押し寄せんばかりの勢いだ。
さらにダメ押しとばかりに、ついに天空戦艦が王城の真上にまで到達。
カイ率いる第一突撃大隊が、すでに降下を始めて王城に襲い掛かっている。
「さぁ、行くぞベル。さっさと王城を制圧して、この戦いを終わらせよう」