第882話 天に輝く一番星(1)
踊るように軽やかなステップを踏んで、キラキラと妖精の羽を輝かせたリリィは格納庫へとやって来た。
「女王陛下万歳!」
小さな女王が姿を現したその瞬間には、そこで働く兵達は一斉に敬礼。上機嫌な笑顔で彼らに手を振って応えたリリィは、舞踏を終えたようにポーズを決めて、その場で止まった。
「カタパルト、かいほー!」
「リニアカタパルト発進口、解放します」
リリィの命に即答したホムンクルス兵が備え付けのデバイスを操作すれば、重苦しい機械音を立てて格納庫の床が、舞台がせり上がるように上昇を始める。
本来は戦人機のような搭乗型の古代兵器を載せて昇降するものなのだろうが、今は小さなリリィが一人立つのみ。
けれど自信満々に腕を組み、不敵な笑みを浮かべて登り詰める。
ガコン、と音と震動を上げて昇降機が止まると、リリィは大きく右手を上に伸ばして叫んだ。
「スターライトパワー、アームドオン!!」
元気の良い掛け声が響き渡ると同時に、掲げたリリィの右手に空間魔法を開く輝きが灯る。
その手に握られたのは、一本の短杖。
磨き抜かれた翡翠のような淡い緑の滑らか柄の先端には、キラキラ光る大きな星型が。まるで子供が絵に描いたようなシンプルデザインの星のワンドは、正確には杖ではなく、鍵である。
その鍵で開くのは、さらなる空間魔法。『白の秘跡』においては『格納庫』と呼ばれる、古代兵器を収納する専用の空間魔法である。
眩い輝きを放ちながらリリィのクラフトハンガーより現れたのは、つい先月に大空で爆散した曰く付きの新型専用装備。
だが、いたくこれを気に入ったリリィは集中的に改良を施し、ベルドリア侵攻に間に合わせた。古代兵器たる戦人機のパーツを基礎として、それを動かすために最先端の現代魔法の粋を集めて外装を作り、制御は自身の固有魔法で行う。
リリィ以外では稼働させること叶わない、文字通りの専用装備が完成した。それがこの、大空を舞う鋼鉄の翼、
「————機甲鎧『ヴィーナス』、起動!」
ミスリルコーティングにより美しく白銀に輝く五芒星。それが『ヴィーナス』と名付けられた新兵器の大まかな外観である。
3メートルほどの星型で、厚さ50センチはあるだろうか。星型の下部は黒々とした外装に覆われた、機械的なパーツとなっている。武骨な装甲に、複雑に絡み合ったパイプ。そして星型の五つの角に向かって配された、菱形の噴射口。表面の綺麗な白銀の星とは相反する見た目の裏面である。
それこそがこの新兵器を動かす要、心臓部。クロノが「エンジンのようだ」と語っていた、古代と現代の魔法技術が入り混じった魔導機関『プラネットリアクター』だ。
古代兵器に用いられている動力源たるエーテルリアクターは、天空戦艦も戦人機も出力にこそ違いはあるものの、基本的に同一の構造をしている。同じ原理で動いている、というのが分かるくらいで、古代においても軍事兵器という最先端の魔法技術が費やされているであろう代物を、詳しく解析することはできない。たとえその構造を解明したとしても、今度は同じモノを作り上げるための技術力が欠けてしまう。
現代ではどう足掻いても古代と同一のエーテルリアクターを新造することは不可能。
よって古代兵器を使うためには、数千年の時を経た今になっても稼働できるほど奇跡的な保存状態の物を発掘するより他はない。
しかし、稼働はできないが原型を保っている程度のものまで含めれば、その数は跳ね上がる。
現代の技術でどうあっても再現不可能な中核となるパーツさえ無事であれば、再び動力源として稼働させることができるのではないか————リリィが天空戦艦シャングリラを得たその日から、飛躍的に古代魔法の解析が進んだ今ならば、それは不可能ではなくなった。
天空戦艦の主たるリリィと、その下でより一層の充実した研究開発環境が整えられた魔導開発局長シモン。さらにリリィはフィオナにも声をかけ、シモンはレギンを招き、エルロード帝国において最高峰の頭脳が集結し、現行技術による新造エーテルリアクター開発プロジェクトが密かに進められていた。
そうして、僅かな期間だが曲がりなりにも動かすことが可能となったのが、この『プラネットリアクター』なのである。
停止したエーテルリアクターの核というべき中心部に、現代の技術で可能な限りで複製したサブコアを配することで、本来のものよりはかなり出力が下がるものの、それでもエーテルを生み出すことに成功した。
実際に本物のコアを中央に置き、稼働する時にはその周囲を複数のサブコアが回る動きをする。太陽と周回する惑星のような動き方を見て、『プラネットリアクター』とクロノによって命名されたのだった。
もっとも、この『プラネットリアクター』を正常稼働させるためには、恐ろしく精密な魔力制御が必要となるのだ……リリィは、そのエーテルの爆弾同然のエンジンに火を入れることに躊躇はない。
無邪気な「起動!」の声に応じて、クォオオオオ……と唸りを上げながら、エーテルの赤い光が灯る。
動き出したヴィーナスに、うんうんと満足そうに頷いてから、リリィはピョンと飛んで星型の上へと乗った。
そう、着用ではなく搭乗、という形になるが、他に類を見ないためにこの新兵器の分類は便宜上、機甲鎧となっている。
「発進準備、完了!」
宣言と共に、長い発進口にグリーンの誘導灯が輝く。数十メートルほどのトンネル状となった発進口の先が開き、流れゆく雲と青空が覗く。
ガキン、と床に敷かれたカタパルトレールに、ヴィーナスがドッキングする。電磁力によって瞬間的な加速力を発揮する射出機にセットされたヴィーナスの上で、リリィは背中の羽を広げた。
「リリィ、行きまーす!!」
「あれが天空戦艦……なるほど、凄まじい威圧感だ。あんなものが王城の上に浮かんでいれば、ジンのワニ共も恭順するというものか」
自慢の最強竜騎士団を引き連れ天高く舞うラシードの目に、宙に浮く黒鋼の巨大戦艦が映る。
こちらは雲を飛び越え、飛竜の限界高度まで上昇しており、帝国が誇る古代兵器シャングリラを遠目から見下ろすことができていた。視力強化の『鷹目』を使って何とか見えるほどの距離をとっているが、それでも巨大な戦艦が空を飛ぶ様を肉眼で見れば、圧巻の一言に尽きる。
ラシードの身に走るこの震えは、常識を超えた古代の超兵器に恐れをなしたか————否、それほどの存在を自分のモノにできるという、高揚による武者震いである。
「聞け! 如何に巨大な船であろうとも、速度は飛竜に敵うはずもない。小さな砦が、高々数百メートル浮いているだけのこと。ベルドリアが誇る最精鋭、我が竜騎士達よ、恐れることは何もない。その力を存分に発揮し、帝国の古代兵器を奪い、祖国を救う英雄となるのだっ!!」
オオッ、と力強い唱和が青空に響き渡る。跨る竜騎士の闘志に応じて、騎竜のワイバーンも猛々しい咆哮を上げた。
「三方向より同時に仕掛ける。俺は直上から、お前達はそれぞれ左右から行け」
騎乗しながら指示を飛ばすラシード。高速で飛行中だが、最精鋭のドラグーンならば高度な拡声の風魔法によって、距離の離れた相手まで正確に声を届けることができる。
万が一にも命令を聞き逃すような間抜けは、この精鋭竜騎士団には一人もいはしない。
「ははっ!」
「お任せあれ、殿下!」
ラシードの命に応えたのは、竜騎士団の団長と副団長。二人はそれぞれ鮮やかな赤い鱗のサラマンダーに跨っている。
ワイバーンに乗る通常の竜騎士とは一線を画す戦闘力を誇るサラマンダーは、当然のことながらベルドリアで最高の竜騎士のものとされている。
ラシードのブルーサンダーと、団長と副団長の駆る二頭のサラマンダー。ベルドリア軍の最高戦力たるこの三騎が並び立つ姿は、形成を逆転するに足る堂々たる存在感を放っていた。
彼らに続く竜騎士達の目は戦意にギラつき、誰一人として勝利を疑っていない。
天空戦艦を目前に、竜騎士団はラシードの命令通りに三つの部隊に分かれ、一糸乱れぬ編隊を組んで突き進む。
そうして、いよいよ急降下を開始して奇襲をかけようという、正にその時である。
クォオオオオオオオオオオオン————
飛竜でしか到達しえない空の高みにありながら、更に上の天上より、不気味な怪物の咆哮が轟いた。
何事かと、慌てて誰もが見上げる。そして、彼らは見た————天に輝く一番星を。
「なんだアレは……星?」
「あんなデカい星があるものか!」
「凄まじい速さで飛んでいるぞ」
「まるで赤い流星だ!」
自分達の遥か頭上を行くのは、真紅に輝く尾を引きながら飛翔する、五芒星の形に輝く光であった。星が飛んでいる。ただ、そうとしか言いようのない姿。
だが、どこか無機質な唸り声を上げているのも、その星の光であった。
本物の星ではない。さりとて、ドラゴンのように空を飛ぶモンスターでもない。一体、あの光り輝く星型は如何なる怪物なのか————その正体を最初に看破したのは、ラシードであった。
「あ、あれは、まさか……リリィ! カーラマーラの、新たなる妖精女王かっ!?」
星の輝きの眩しさに目を細めながらも、ラシードが鍛えた高精度の『鷹目』が、そこにいる小さな人影の姿を確かに捉えた。
ミスリルの如き白銀の星型の上に、堂々と仁王立ちしている幼い女の子。プラチナブロンドの長髪、エメラルドに輝く円らな瞳。そして何よりも背中から生える二対の羽は、彼女が妖精であることを示している。
見れば誰もが微笑んでしまいそうなほどに愛らしい美貌はしかし、ベルドリアに無条件降伏を叩きつけた妖精女王リリィに他ならない。
ラシードは最初にベルドリアに降伏要求が突きつけられた時にも、当然、玉座の間にいた。そこで、姿を映し出す光魔法でリリィ本人の姿を確かに見たのだ。
「そんな馬鹿な、女王が直々に出て来るのか?」
「しかも単騎で」
「偽物じゃあないのか」
「むぅー、リリィは本物だよー」
「っ!?」
「あ、頭の中に、直接……」
「これがテレパシーかっ!?」
まるでこちらの会話が聞こえているかのように、自然に差し込まれた幼い声音にさしもの竜騎士達も戦慄する。
妖精がテレパシーを使う、ということは知っていても、それを実際に体験したことのある者は非常に少ない。あったとしても、これほど離れた距離でここまで高精度に届けられる強力なテレパシーを体験することはないであろう。
「下手なことは喋るんじゃあない。恐ろしく強力なテレパシーだ。ここはすでに奴の射程圏内だと心得よ」
「そうだよ。ドラゴンのみんな、逃がさないからね!」
弾む様な声音は、子供が遊びに夢中になっているかのよう。
だが自分達の頭上を赤い流星と化して高速で飛行する姿から、とても言葉通りの微笑ましさなど感じはしない。
しかし困惑の感情はありつつも、その程度で隊列を乱すような未熟者はいない。誰もが油断なく、警戒態勢を取る。
「ふん、わざわざ女王自ら出向いて来てくれたのだ。存分に相手になってやろうではないか————目標変更、先に大将首を上げてくれようぞっ!!」
ラシードの命に一斉に応えた竜騎士達は、手にした槍の穂先を頭上に輝く星へと向ける。
「それじゃあ、行っくよぉーっ!」
楽し気なリリィの声が響くと同時、流星が落ちた。直角に落ちた。
「……は?」
ワイバーンを凌ぐ速度で飛行しているだろうことは、遠目に見て明らかだった。速ければ速いほど、方向転換するのが難しいのは竜騎士でなくても知っている常識。
故に、直角に近い角度で急転換して、真っ直ぐに落下してくるなど、常識外の機動であった。
「来るぞっ、直上ぉ!!」
目に見えていたはずなのに、不意打ちを受けたかのように慌てて迎撃に動く竜騎士達。驚きながらも、厳しい訓練通りに鍛えた迅速な行動でもって、構えたロングランスには、すでに各々が得意とする属性の攻撃魔法が宿っている。
凄まじい速度で急降下してくるが、自らの間合いを見誤ることはない。
「ターゲット、ロックオン! 『星屑の鉄槌』発射ぁー!」
だが先手を打ったのはリリィ。
何故か届いた技名らしき叫びと共に、リリィが乗る星型と同じ赤い煌めきが大量にばら撒かれた。
それはさながら小さな流星群と化して直下に陣取る竜騎士団に向けて降り注ぐが、
「なにっ、軌道が————」
「自動追尾能力だっ!!」
色が赤いだけで『光矢』を大量に同時発射したような範囲攻撃魔法と判断したが、その矛先はただ直進するだけでなく、全てが微妙に軌道を変えながら向かってくることに、精鋭たる竜騎士達は瞬間的に気づいた。
「散開っ!」
その一言で瞬時に編隊を解除し、それぞれ回避行動に移る。ワイバーンが唸りを上げて、力強く翼を羽ばたかせ、花が咲くように綺麗に四方八方へと散って行く。
ただの範囲攻撃魔法であれば、見事にすり抜けて見せただろうが、
「ダメだっ、降り切れない!!」
「くそぉ————」
無数の赤光が同時に弾ける。散開していった竜騎士達を正確に追尾していった『星屑の鉄槌』は、一騎たりとも狙った獲物を逃さずに起爆した。
「ぐわぁああああああああああああ!」
「くっ、翼が……」
「申し訳ありません、殿下! これ以上は飛行不能、離脱します!」
赤い爆発が閃いて、次々と地上に向けて落下してゆく竜騎士をラシードは唖然と見送るより他はなかった。
「な、なんという威力……いや、恐るべきは追尾性か……」
竜騎士は決して打たれ弱くはない。そもそも頑強な鱗で守られ、屈強な肉体を持つワイバーンに乗っているのだ。通常の騎馬は勿論、ペガサスやグリフォンといった他の空中騎乗生物と比べても、やはり図抜けた耐久性を持つ。
攻撃魔法の一発や二発、当たったところでビクともしない。その上さらに、他国のワイバーンよりも大柄で獰猛な、飛竜谷に生息するベルドワイバーンである。耐久力も竜騎士の中でも最高峰を自負していたが————今はまるで、カトンボのようにあえなく撃墜されていた。
「ちいっ、竜騎士を落とすためだけの専用魔法武器か」
初撃で想像以上に多くの竜騎士を落とされ、後悔と焦燥に心が乱されそうになるが、ラシードはそれでも冷静にリリィの『星屑の鉄槌』をそう見極めた。
落とされた竜騎士は、幸いというべきか死者はいない。騎乗する騎士も、ワイバーンにもだ。
だがその一撃を受けた結果、翼を大きく損傷し、飛行能力を失っていた。付け根から折れ曲がり、翼膜がズタズタに引き裂かれているものが多い。
殺傷力よりも、とにかく飛竜の翼を破壊することに特化した作りになっているに違いない。
強靭な生命力を誇るドラゴンと鍛え上げられた竜騎士を両方殺すよりも、ただ飛べなくさせて戦線離脱させる方が、ドラグーンの無力化という点では最も効率的であろう。
「おのれ、魔王クロノめ……天空戦艦の存在に慢心せず、我が竜騎士への対策まで用意するとは。なんと周到な男か」
大兵力を擁する大国であるが故の油断があると、ラシード自身、思い込んでいた。慢心していたのは、むしろ自分の方であったかと悔いる。
だが、今は後悔などしている場合ではない。
想定外に多くの竜騎士を落とされたが、そこらの弱小竜騎士団とは数からして違う。まだまだ天空戦艦を奪うには十分な数が残っている。
「団長、お前に奴の相手を任せる」
ラシードは即断する。全員でリリィを相手にし続ければ、本命の天空戦艦制圧に支障をきたす。
すでにリリィの見せた速度と機動力からして、いざとなれば竜騎士の追跡を振り切って逃げることも十分に可能だ。散々に暴れるだけ暴れられて、最後はまんまと逃げられては元も子もない。
迫りくる敵の天空戦艦はこちらの王城に向かって来ているのだ。たとえリリィを討ち取ったとしても、王城を抑えられればこちらの敗北に変わりはない。
女王の首級は惜しいが、最終的な勝利には変えられない。ラシードは目的を見失うことなく、そう冷静に決断を下した。
「どうぞ、ここは私に任せて先へと参られよ、ラシード殿下!」
「……すまん」
「なぁに、流星に乗った小娘一人、すぐに倒して追いつきましょうぞ」
ベルドリアが誇る最強の竜騎士。そう呼んでも過言ではない、サラマンダーに乗った竜騎士団長が、まさかこれほど悲壮に見える時が来るとは。
だが、ここで団長ほどの男をぶつけなければ、とてもあの妖精女王は止められない。
「頼んだぞ! 団長の第一部隊は何としてでもリリィを食い止めろ。倒さずともよい、止めるだけでいい。残りは我に続け、作戦通り天空戦艦の制圧へと向かう!!」
散開していたラシード部隊と副団長部隊が再び集結して編隊を組みながら、全速力で天空戦艦へと向かう。
「あっ、待て待てー、逃がさないんだから!」
「ぬぉおおおおおおお、させぬ、絶対にさせぬぞぉおおおおおおおおおおお!!」
恐ろしいほどに鋭角的な急旋回を経て、ラシードの背を追いかけるリリィの前に、団長の駆るサラマンダーの巨躯が割り込む。
「貴様を殿下の下には、決して行かせぬ!」
「わあっ、サラマンダーだぁ。ふふっ、大きくて強そう! リリィにちょうだい!」
楽し気にはしゃぐ幼い声に背筋を凍り付かせながら、ラシードは団長の健闘を祈ってブルーサンダーを飛ばすより他に、できることはなかった。