第878話 ベルドリア宣戦布告(2)
「————よし、揃っているな」
すっかりお馴染みと化した、やけに薄暗い司令室にて対使徒部隊『アンチクロス』の全員が席についているのを眺める。
俺の右隣には第一位フィオナ、左隣に第二位リリィ。
それから卓についている第三位ゼノンガルトと第五位サリエル、そして最下位シモン。
ここまでは以前と同じ面子であるが、サリエルが四位から五位へと降格しているのは、新たなメンバーがその力を示し、第四位の座を勝ち取ったからに他ならない。
アンチクロスの序列は、どれほど使徒に対して有効な手段を持っているかで決まる。故に一位のフィオナを筆頭に、使徒の力を弱体化できる『次元魔法』の使い手が上位独占だ。
しかし第四位に食い込んだ実力は、『次元魔法』ではなく、ソレを破壊する力を評価してのこと。すなわち、直接的な破壊が非常に困難な『聖堂結界』をその手で破る破壊力。
サリエルを押し退け新たなる第四位についたのは、『聖堂崩し』の力をその拳に宿したネルである。
今は死んだ目で虚ろな表情でぼんやりしている、ネルである。
「あー、ネルがぼーっとしてる。眠いの?」
「まだ例の件を引きずっているのでしょう」
「気にして当然。あれから汚名返上の機会は訪れていない。」
「はいそこ、人を指してコソコソ話しない」
幼女リリィが明らかに上の空のネルの様子を見たままに感想を言えば、フィオナとサリエルがあからさまな言い様に。
全く、俺はあんなこと気にしていない……といえば少しは嘘になるが、決して怒ったり失望したりだとか、そういうことはない。当人同士の問題ということで、そっとしておいて欲しいというか。
「そういうワケにはいかないところが、ハーレムの辛いところ、ですね」
「こういう時だけ妙に敏いのやめてくれフィオナ」
ついにテレパシーでも習得したのか、というほどに俺の心の内を読んだようなことを平然と言い放ってくれる。
「それくらい、顔を見れば分かりますよ」
「だからといって、この手の話題を堂々とするのは————」
「……ぐすっ」
表情が死んでいながらも、若干こちらへ顔を向けていたネルの目に、薄っすらと涙が浮かんだ。
「お、おい、ネル……なんだ、その、気にするな、とは簡単に言えないが……また次があるからさ」
「いえ、良いのです……私は、取り返しのつかない過ちを、冒してしまったのですから……」
俺を見ているようで、どこか別の遠いところを見つめるような目でネルが言う。
「本当に取り返しつかないですもんね」
「フィオナ!」
ああ、もう、これだから天然は。絶対に「そんなことないよ」と言わなきゃならんタイミングで、「そんなことあるよ」と平気で言っちゃうのだ。
今の発言は、皮肉でも煽りでもなくガチで何も考えず素で言っている。フィオナが俺の顔を読んだように、俺もまたフィオナの台詞で内心を察せられるのだ。
「う、ううっ……ふぅうえええぇ……」
「あーあ、泣いちゃった」
どこまでも他人事のように言うリリィだが、果たして泣かせた責任は俺なのか、フィオナ達なのか。
「……俺達は毎回、この痴話喧嘩を見せられねばならんのか」
「大人しく待ってようよ、ゼノ。下手につついたら大惨事だし」
「第三次大戦、ということか」
「やめて、それ本当にシャレにならないヤツ」
それとなく卓の隅の方へ席を離して座っている貴重なアンチクロス男性陣たるゼノンガルトとシモンが、完全に傍観者ポジションでコソコソ喋っていた。
おい、そんなに遠くにいないで、こっち来いよ。俺ら仲間じゃん?
というか、いつの間にシモン、ゼノンガルトを愛称呼びなんてするほど仲良くなったのか。こういう状況のせいで、仲間意識が芽生えたのだろうか。すまんな。
「ネルが泣いてるけど、ブリーフィングはじめまーす」
「えっ、この状況で始めんの」
「はじめまーす」
リリィがマイペースに仕切って、小さな手をフリフリすると、卓上に大きな立体地図が投影される。
ネルは顔を両手で覆ってまだスンスンしているんだけど……
「なぁに、気にすることはない、主様。メソメソしておるのは、主様の気を引きたいだけの幼稚な行動じゃ」
やれやれ、とでも言いたげな表情でネルの隣の席で胡坐をかいて座り込んでいるベルが苦笑する。
黒竜ベルクローゼン。巨大天使戦で無類の空戦能力と超火力を発揮した、人造とはいえドラゴンの名に恥じぬ力は、使徒にも通用するだろう。
だが、彼女は『アンチクロス』の序列には並んでいない。帝国軍における階級もない。
なぜなら、ベルは戦竜機という兵器だから。
俺の愛馬である不死馬メリーに、階級も役職もないのと同じ。人ではなく、俺個人が所有する兵器という扱いを、彼女は自ら選んだのだ。
でも俺としては普通に将官として活躍して欲しかったんだが……絶対、人を率いる立場の責任と面倒を全力回避しただろ。250年の引き籠り生活が、この子を怠惰にしてしまったのか。
「むぅ、ベル様……」
「涙で同情を誘うのも結構じゃが、今は他に話さねばならぬことがあるであろう。あまり主様を困らせるでないぞ、ネル————というワケじゃ、始めてくれて構わんぞ」
クゥン、と叱られた犬のように項垂れたネルを撫でながら、ベルが笑って言う。
やはり、あの後を任せて正解だったと思う。
それではお言葉に甘えて、本題であるブリーフィングを始めさせてもらおう。
「今回、集まってもらったのは他でもない。ベルドリア攻略について、各自に作戦を通達する」
思えば、ベルドリア攻略は帝国軍創設より、初めて大規模に兵を動員する戦争となる。
アヴァロン解放は少数精鋭で乗り込み、頭数を揃えるのは現地調達といった状況だったからな。王城のオリジナルモノリスでシャングリラ以下、帝国軍を招いた後は完全にただの消化試合だったし。
だが、今回はこのパンデモニウムから砂漠を越えた先にある国だ。ここに集結させた戦力を率いて、そのまま殴り込みである。
「すでに兵は揃った。あとは出撃を待つばかりだ。俺が出した宣戦布告の書状も、すでに届けられている」
「どの道、向こうの王族は根絶やしだろう。律儀に宣戦する必要などないのではないか」
ゼノンガルトが、試すような目つきで俺を見て問う。
安心しろよ、ただカッコつけて敵に猶予を与えたわけじゃないからさ。
「ベルドリア軍が防衛戦のために集まってくれないと、一網打尽にできないからな」
ベルドリアの王族は、隠れ十字教徒であることは判明している。よって他のアトラス周辺国と同じように、臣従を誓えばそのまま統治を許す、という対応はできない。
十字教徒の潜伏は徹底的に排除しなければ、この帝国もアヴァロンの二の舞となりかねない。まだ領土拡大を始めたばかりの時期に、いきなり反乱分子を抱えるのは絶対に御免である。
十字教相手となれば、俺も情けはかけられない。
「なるほど、容赦はないようで何より。それで、先方は何と?」
「和睦交渉のため、指定の日時と場所で会談を、ということを回りくどい言い方でダラダラ喋ってたってさ」
「露骨な時間稼ぎだな」
「使者はシャーガイル提督の『ギュスターブ』に乗せて、丁重にお送りするさ」
「ソイツは今回の先陣を切る船だろう」
まぁ、そういうことだ。
ベルドリア攻めのためにパンデモニウムの軍港に集結させた艦隊は、隠すことなく堂々と晒している。情報規制もしていない。
木っ端商人でも、魔王陛下はアトラスで唯一従わなかったベルドリアに大層ご立腹で、大軍率いて奪いに行くのだ、ということを知っている。当然、こちらが本気で軍を動かしているのはベルドリア側にも筒抜けだ。
わざわざ遠い砂漠を越えて大艦隊を率いて来た先で、和睦交渉一つで帰ってくれると本気で思っていれば大した平和主義者である。そして十字教徒に、魔族に対する平和も和睦もありはしない。
「今回の作戦は、パンデモニウムの帝国軍を総動員し、敵主力を一掃、短期で王城まで制圧する」
俺がさっと手を振れば、それに反応して今回参加させる帝国軍部隊の概要がホロマップに表示される。
参戦部隊の一覧表と共に、ベルドリアを模した立体地図に帝国軍を示す駒が浮かび上がる。
ベルドリアの港が接する砂漠の海に、幾つもの艦影を模った駒が並ぶ。その規模はパンデモニウムに押し寄せてきた、連合艦隊に匹敵する。
その大艦隊を率いて先頭を行くのが、帝国工廠製の最新兵器を搭載して魔改造されたシャーガイル提督の戦艦、アトラス艦隊旗艦ギュスターブだ。
「ちょうどこの港町がベルドリアの首都だからな。そのまま乗り込んで、ここを落とせば片が付く」
都合よく、というよりも大きな湾となっている場所に、首都が置かれるのも当たり前の話である。
ベルドリアは陸路で砂漠と反対側の西側に通じるとはいえ、元々この国が興ったのは砂漠交易が活発になったからである。流砂による大規模な物流が確保できているからこそ、港町がそのまま発展し、政治経済の中心地たる首都であり続けている。
リリィによって砂漠交易が封鎖された現状であっても、遷都までする気はないようだ。
「攻めるならここしかないし、敵もここだけを守ればいい。国を挙げて決死の防衛線が構築されているだろう」
「そこを俺達が突破するというワケだな」
「ああ、揚陸しての先陣は、ゼノンガルトの『混沌騎士団』に任せる」
作戦は単純そのもの。敵の港に向かって突撃し、そのまま上陸を強行する。
その先頭に降り立って敵陣に突っ込むのがゼノンガルトの役目である。
大艦隊率いて張り切っているシャーガイル提督には悪いが、海戦になることはない。海上戦力はベルドリア側が圧倒的不利である。数十の軍艦を繰り出したところで、一息に潰されるのが落ち。
地上に残して敵の上陸を阻止する水際作戦に人員を投入するしか、ベルドリア海軍に選択肢はない。
そういうワケで、シャーガイル提督のお仕事はこちらの上陸部隊を運ぶだけ。
「港の制圧戦と同時に、天空戦艦シャングリラが王城まで直接乗り込む」
「そこまで行けるのか?」
「ギリギリだけど、その辺までなら飛行可能だよ。ちゃんと現地で地脈の調査もしてきてもらったんだから」
シモンが説明すると、リリィもウンウンと頷いている。
流石にこの辺は、作戦の根幹を成す部分だから念入りに調査させた。そのために今日まで時間をかけたと言っても……とは、言い過ぎだな。
ただでさえ帝国軍の軍備は整えている最中の段階。その上さらにシャングリラの対空防御強化なども重なり、開発局には相当に負担をかけているという自覚はある。早いところシモンには楽をさせてやりたいところだが、その目途は全く立っていない。
ヒト・モノ・カネはジャブジャブ注ぎ込むから、許しておくれ。
「ベルドリアはシャングリラが乗り込める範囲にある以上、これを最大限活用した強襲作戦となる」
シャングリラは巨大な船ではあるが、載せられる人数に限りはある。
王城攻略はシャングリラからの降下で乗り込むだけの人数にしか費やせない。敵陣の最奥に限られた部隊数で突っ込むのだ。
高い実力と命知らずの覚悟が必要な、選び抜かれた精鋭だけを連れて行くこととなる。
「そのために第一突撃大隊を結成したんだが……リリィ」
「なぁに?」
「隊員にレキとウルスラがいるのは、どういうワケなんだ」
選抜試験を経て結成された精鋭部隊、第一突撃大隊の所属隊員の一覧を呼び出せば、その中によく見知った二つの名前がある。選択すれば、顔写真付きの簡単なプロフィールまで表示される。
弾けるような笑顔のレキと、いつものぼんやりした顔のウルスラの二人が、それぞれ映し出された。
「さぁ? リリィは何も言ってないよ」
「あの二人は、自ら志願しただけですから」
「知っているのか、フィオナ」
「ええ、彼女達とは少々、縁がありまして。健気じゃないですか、クロノさんのお役に立つのだと、頑張っていましたよ」
「少し見ない間に、それだけ成長した、ということか……」
「もうクロノさんが心配するような、子供ではありませんよ。加護も得て強くなったのですから、少しは頼ってあげた方が、二人も喜ぶでしょう」
どうやら、フィオナはあの二人の世話を焼いたようである。全く知らなかった……ここ最近のフィオナは、秘密の魔女工房にいることが多いので、あまり行動を把握できていなかったが、まさかそんな出会いがあったとは。
レキとウルスラは、ひとまずは帝国軍には入れなかったことで、俺は安心していた。
けれど、所詮それは俺自身の気持ちであって、二人は一緒に戦いたいと思っていたのだ。だからこそ、自ら選抜試験に挑んだのである。
最早、二人を子供扱いして、戦いから遠ざけるような真似はするべきではないのかもしれない。そもそもパンドラ全土を戦争に巻き込む魔王の俺が、身内だけ贔屓するなど許されることではない。
「そうか……そうだな……試験に受かったならば、若くても立派な隊員だ。これからは、力になってもらおう」
「見よ、シモン。女を泣かせた次の瞬間に、もう別の女の話をしている。これが魔王の器というものか。俺にはとても真似できん」
「そういうこと言わないでよ。後が怖いんだから」
「皮肉の一つでも言わねば、耐えられぬだろう」
「もう、僕は知らないからね」
おのれ、薄情な男達め。俺の気も知らないで……では傍から見てれば、俺だって絶対同じこと言うけどさ。
でも下手に刺激すんのはマジでやめろよ。次は俺、止められる自信ないからな。
「個人的なことを話して、すまなかったな。さて、この面子が集まっている以上、重要なのは使徒対策だ。流石に今回は、ベルドリアに使徒が現れることはないと思うが、これも念のためだ」
今日一番の本題とも言える。
戦力的に、ベルドリア攻略は問題なく成功するだろう。だがしかし、使徒が出張って来れば、ひっくり返される危険性は常に付きまとう。
本格的に兵力を動員した初めての作戦行動である以上、この辺もしっかり取り決めておかねばならない。
少なくともネロの大遠征軍と決戦する時は、確実に使徒と戦うことになるのだから。
「シャングリラには、ゼノンガルトを除いた全員が搭乗している。こっち側に現れた場合は、そのまま相手ができるだけの数が揃っているから問題ない」
ただし、未知の使徒が現れた場合は除く。
ついに使徒の一角であるマリアベルを倒しはしたものの、最も若い第十二使徒は技量と経験からいって最弱のはずだ。単体での戦闘能力なら明らかに第七使徒サリエルの方が上である。
しかし、第七よりも上の位の奴らは、何れもサリエルを越える実力者、いや、超越者と言うべき存在だ。何の情報も対策もなしに、いきなり倒せる相手だとは思えない。
「だが、シモンまで無理について来なくてもいいんだぞ」
「今更、なに言ってるのさ。今回は相手に竜騎士団がいるんだし、シャングリラが初めてマトモな実戦をすることになるんだよ。僕がちゃんと見ておかないと、今後の改修案が立たないし」
魔導開発局長となったシモンは、最早一介の錬金術師を越えて、帝国軍を支える頭脳と化している。リリィに次いで古代遺跡に精通した人物なのだ。
その開発力を見込んで『アンチクロス』に席を置いているが、断じて戦闘能力に長けているわけではない。万が一を考えれば、やはり戦場にまでついて来るべきではないと思うが……
「それに、いざって時は、僕がいた方が多少は修理できるし。リリィさんの例の装備もあるしさ」
「確かに、現場にいてくれる方がそういう面では安心だが……」
「お兄さんは心配しすぎだよ。どの道、シャングリラに危険が及ぶようなら、それもう負けてるだろうし」
敵の竜騎士団が殺到するだろうことを差し引いても、シャングリラに乗っているのが最も安全あることに違いはない。
この船が沈む時、帝国軍もまた終わりとなるだろう。
「分かった、今回は頼む」
「うんうん、貴重な実戦データしっかり取って来るから」
あっけらかんとそう言うのは、それだけ自分が手を施したシャングリラに自信があるからこそだろうか。
何にせよ、シモンが乗艦することに変更はない。
「メンバーの配置は、ゼノンガルトだけが単独となる。もしも使徒が現れた場合は、すぐに船まで退いてくれ」
「そこで、魔王陛下がお戻りになるまで耐えよ、との仰せで」
「ああ、頼む」
「必ずや、ご命令通りに————アヴァロンでの戦いは、俺も記録を見せてもらった。俺が一人で太刀打ちできる相手と思うほど、己惚れてはいない」
あの巨大天使は元より、マリアベル単独でも、俺達がパーティ組んでいるから完封できたようなものだ。サシで戦えば、やはりあの圧倒的なスペックには苦戦は免れ得ない。
「アヴァロン解放戦とは違い、ベルドリア攻略はこちらも万全の態勢でもって挑める。使徒もいない。勝って当たり前。だからこそ確実に、速やかに落とす。この戦いを迅速に終えることが、これから先の戦いを優位に進めるための一手となる」
こんなところで、躓いてはいられない。
ネロの大遠征軍は刻一刻と大陸を縦断し、こちらへと近づいて来ている。その進路上にある、全ての国を蹂躙しながら。
「一日だ。一日で、ベルドリアを手に入れるぞ」