第873話 二大隊
帝国初の量産型機甲鎧『黒鬼』の実戦試験を終えた翌日。
第五階層の司令室にて、俺はネルと二人きりで対面していた。
室内にはメイド姿のサリエルとプリムが控えているが、実質二人きりだ。
「クロノくん、先日の件、考えていただけたでしょうか」
「勿論だ。それを伝えようと思ってな」
「少々、お時間がかかってしまったようですので、無理なお願いをしてしまったかと」
「いや、むしろこちらからお願いしたいくらいだったから。今日までかかってしまったのは、帝国軍もまだまだ組織編制の途上にあるから、色々と忙しくてな」
などと、ほどほどに前置きをしてから、俺はネルへと正式に伝えることとした。
「ネル・ユリウス・エルロードを軍医総監に任ずる」
軍医総監とは、軍医官の最高位であり、中将にあたる。
現在の帝国軍で中将位にあるのはウィルだけなので、これで二人目の中将となる。
「謹んで拝命いたします、クロノ魔王陛下」
「あ、今はそういうのいいよ。この場所はプライベートみたいなものだし」
「親しき中にも礼儀あり、ですから。人の上に立つ地位を任されるのですから、尚更ですね」
存外にしっかりした返答をもらってしまったな。王族としての教育の賜物だろうか。その割にネロは教育失敗してしまったが……
「ネルまで戦う必要はない、とカッコつけて言いたかったんだけどな」
「うふふ、今更ですよ、そんなこと」
ああ、全くだ。
ネルを『アンチクロス』入りさせた時点で、彼女の戦闘能力をこれ以上ないほど当て込んでいるわけで。使徒と戦う。十字軍を相手に、これほど危険な戦いはないのだから。
「俺に力を貸してくれ。このパンドラから十字軍を駆逐するまで、全力を尽くして欲しい」
「はい、どうぞ私にお任せください。けれど、私がヒーラーでいいんですか?」
今やネルは『治癒術士』から古流柔術の達人である『戦巫女』へとクラスチェンジを果たしている。
無論、RPGのように肩書が変わったからといって、能力まで変わるわけではない。ネルは今でも『白翼の天秤』を持てば、ランク5に相応しい超一流のヒーラーである。
「能力も立場も、ネルが適任だと思っている」
俺も、リリィも、ウィルもそれがいいと太鼓判を押している。ネルのことを知っていれば、これ以外はないだろうという采配だ。
アヴァロンの姫君を下っ端の役職につかせるわけにはいかないが、かといってお飾りに置いておくほど帝国軍に余裕はない。
ネルの卓越した治癒能力と加護を鑑みれば、医療担当とするのが最善であろう。
「確かに、私は今でも治癒魔法には自信がありますけれど……実際に戦場で活躍するヒーラーといえば、やはりパンドラ神殿の方々が中心になるのではありませんか?」
自分は決して敬虔な信者でも、徳を積んだ神官でもない、とネルは言う。
確かに彼女の言う通り、基本的にパンドラ大陸の国々が戦場で大規模に動員する回復役はパンドラ神殿の神官が多い。自前で腕の立つ治癒術士を揃えた専門の部隊を有することもあるが、そういうのは大抵、王様や将軍など大将級に付きっ切りだ。
誰にでも魔力のあるこの異世界の者達であっても、実際に魔法を扱う才を持つ者は限られる。中でも治癒魔法となれば、さらに限られてくる。
治癒魔法を使える者をまとまった数集めようと思えば、自国のパンドラ神殿に協力要請をするのが最も手っ取り早いのだ。
戦闘に参加しないが、戦場で傷ついた兵は癒す。そういう条件で神官が動員されることがメジャーなようだ。俺達がお世話になることはなかったが、ガラハド戦争のスパーダもそういう体制だった。
よってパンドラの国同士の戦いでは、治癒専門の神官は狙わない、などの不文律が通じることも割とあるらしい。
当然のことながら、十字軍相手では全く通用しないローカルルールである。まぁ、こっちも十字教司祭は積極的に殺すし、この辺は致し方ないことと割り切っている。
「帝国軍では、パンドラ神殿だけに戦場での医療を頼るつもりはない」
「それが軍医総監の率いる、医療大隊という組織ですか」
衛生兵は必要だ。特に、銃弾飛び交う近代戦になれば尚更。
魔法なんて便利で万能な治療方法の存在しない地球でも、衛生兵の存在は確立できているのだ。治癒魔法が使えなくたって、戦場で応急処置はできる。
衛生兵といえば、戦争映画で銃弾やら爆発やらで倒れたところに「メディーック!!」と叫んだら駆け付けてくる人、というイメージが強いだろう。最前線での活動は事実その通りなのだが、負傷者が発生する以前の段階でも、部隊の衛生状態の維持管理、防疫、といった役割がある。
満を持して大部隊を繰り出したら、飯が腐って食中毒大発生、インフルエンザ大流行、現地特有の疫病発生、といった原因で戦う前から兵士がバタバタ倒れたら目も当てられない。実際、戦闘よりもそれ以前に長く行軍している間に様々な理由で脱落していく奴の方が多い、なんてこともあるのだ。遠征になればなるほど、その発生率も上がる。
繰り出した戦力を戦場まで十全に保持する、という点でも衛生管理と防疫体制は非常に重要なのだ。
一方、いざ最前線で「メディーック!!」となった時に行うのは、基本的には応急処置のみである。
包帯とガーゼによる圧迫止血くらいが精々。その場ではとにかく出血を抑え、それから後方へと搬送となる。
幸い、この世界では即効性のあるポーションが広く流通しているので、この存在だけでも応急処置のレベルは格段に向上していると言えるだろう。
包帯、ガーゼ、そして即効性のあるヒール系ポーションがあれば、よほどの大怪我でなければ止血が可能。
それから、後方へ搬送する役目も重要だ。部隊の仲間が銃を放り捨てて仲間を運べば、その時点でさらにもう一人減ったも同然である。かといって傷ついた仲間を見捨てて前進、というのも非常に心苦しいところだ。
だからこそ、衛生兵が搬送も担当。現実では、治癒魔法をかけて即座に戦線復帰、なんてことにはならない。腕利きのヒーラーがいるパーティでなければ、とても出来ない芸当である。
そういうワケで、最前線からの迅速な搬送というのも欠かせない仕事となり、それも含めて行うとすれば、ただ治癒魔法を使えるだけの非力なヒーラーでは、衛生兵は務まらない。少なくとも、清貧な生活で痩せ細った神官様には任せられない力仕事である。
「————なるほど、専門的な医療や高度な治癒魔法を使わず、あくまで基礎的な応急処置のみに留めることで、救護の人員を確保するわけですね」
俺の大雑把な説明で、ネルはすぐに医療大隊に求める役割を理解してくれた。
勿論、後方に設置することになる野戦病院には、従来通り神官集団を含め、本格的な治療ができる場所を用意することにはなるが、それはまた別な話ということで。
「戦場での応急処置は、どこの軍隊でも慣例的に仲間同士で行うようになっているようですね。王侯貴族の専属ではない救護隊をわざわざ組織するのは、聞いたことがありません」
「これまでは、そこまで必要ではなかったのだろう」
単に下っ端は切り捨てられてきた、というのもあるだろうが。
そういった理由を差し引いても、これから衛生兵が必要になると俺は考えている。
「まだ完全に揃っていないが、帝国軍では槍や弓の代わりに銃を標準装備にするつもりだ」
「ええ、スパーダにいた頃から、熱心に開発していたと聞いています」
俺は特にネルへ銃について語ったことはない。流石に俺だって、女の子相手に話題くらいは選ぶ。
恐らく、ウィルが話したのだろうな。
「銃の威力は私もすでに見ていますので、画期的な新兵器を大々的に取り入れようとする方針は理解できます」
「だが、銃を使えるのは俺達だけじゃない。十字軍もその内に、必ず同じ銃で対抗するようになるだろう」
特別な魔法の力を持たない、錬金術師であるシモンが作り上げたのが銃である。神の加護も、魔法の才能もなく、材料と設備さえ揃えば誰にでも製造可能。奴らだって馬鹿ではない。鹵獲品をバラして見れば、どういう構造の武器なのかすぐに分析できるだろう。
種子島の火縄銃が日本中に広まったように。
ロシアのカラシニコフが、世界中に広まったように。
銃という武器は、必ず拡散する。それは魔法の存在するこの異世界でも変わりはない。
「互いが銃で撃ち合うようになれば、戦場での死傷率は跳ね上がる」
「そのために、治癒専門の組織を先んじて編成しておくということですか」
個人の力が銃火器で完全武装した兵士を軽く凌駕するようなパワーバランスとなっているこの異世界では、今の戦争形態でもそれなり以上の死傷率にはなっているだろう。
それでも尚、素人同然の新兵でも指先一つで相手を即死させられる威力の武器を持つのは、更なる被害を拡大させるに違いない。
「しかし、それなら大々的に配備しない方が、相手の手に渡る危険性は減らせるのではないですか?」
「銃の使用を解禁しない、という手段は俺も考えたが……そうなると、向こうが先に実用化する可能性が出てくるんだ」
俺を造り出した『白の秘跡』は、現代の魔法技術においては最先端を行っていることは間違いない。
日本人を利用した神兵計画をはじめ、古代の重機タウルスに、機甲鎧の実用化。奴らの開発した兵器は、すでに実戦に投入されている。
これまでの研究成果に比べれば、火薬で鉛玉を撃ち出す遠距離武器のなんと単純なことか。
あるいは機甲鎧のアームガンのように、下級魔法を連発するような魔法式の銃を開発するかもしれない。
こちらが手段を選んでいれば、向こうに魔法技術で差が付けられる危険性が出て来る。
ただでさえ、奴らは狂信的な信仰心という高い士気に、無尽蔵とも思える圧倒的な兵力。そして何より、使徒という戦略兵器を備え、強大な戦力を保有しているのだ。
「こちらの戦力を最大化するようにしなければ、十字軍にはとても対抗しれない」
「そう、ですね……単純な戦力に加えて、アヴァロンを乗っ取ったように、搦め手まで使ってくる相手ですから」
心苦しいが、あらゆる意味で総力戦に臨まなければならない。
奴らに敗北した時は、パンドラが滅びる時だ。
武骨な鈍色に彩られた薄暗い格納庫。そこには今、数百人にも及ぶ武装した者達が集結していた。
彼らは種族も装備もバラバラ。軽装の剣士にローブ姿の魔術師、鎧兜を纏った重騎士もいれば、半裸で素手の者もいる。
この光景を見れば、誰もが冒険者が集まっているのだと思うだろう。それもこれほどの大人数、よほど大きなクエストか緊急クエストでも発生しなければ、お目にかかれない光景であった。
どこか緊張感を孕んだ空気が漂う中、ほどなくして一人の男が彼らの前へ立つ。
白い髪に白い肌、青く輝く瞳に人形的に整った容貌。漆黒の軍装に身を包んだ姿を見れば、帝国において重用されているホムンクルスの高級将校であることが一目瞭然であった。
「それでは、これより特別選抜試験を始めます」
そうして、魔王直属『重騎兵隊』副官を務めるアインは、現在の帝国で選りすぐりの猛者達へと宣言した。
そう、今ここに集っている者達は冒険者もいれば、すでに帝国軍に所属する兵士もいる。特別選抜、と銘打たれたように、腕に自信ありと集まった彼らを、さらにふるいをかけて選び抜くのだ。
これより結成される、帝国軍の中核を担う精鋭部隊員として。
「今回は一次試験となります。合格者数に定員はありません。試験課題をクリアさえすれば、合格です」
すなわち全員合格もあるし、全員失格もありうる。
しかしながら、最初に課される定員を定めない試験とあれば、さほど厳しいものではないだろうと多くの者達が予想した。
「それでは、一次試験の課題は————」
アインの台詞の途中で、ゴウンゴウンと重苦しい轟音を響かせて、格納庫の扉が開いて行く。
ただの扉ではなく、門のように大きな開閉口は、城の跳ね橋が下ろされるように開かれた————瞬間、吹き込んでくる強風。
冷え切った空気の強い風圧に突如として晒されて、思わず声を上げる者もいた。
だが最も驚くべきは、開かれた入口の向こう側。そこに広がる光景である。
青空。
抜けるような見事なスカイブルーの大空が広がっている。
しかし雲一つない晴天とは言えない。
厚く垂れこめる灰色の雲が、下に見えた。空高く浮かぶはずの雲が、自分が立っている場所よりも下にあるのだ。
「と、飛んでる……」
「マジで空の上なのかよ!」
「いやぁ、まさかあんなデッカい船が、本当に飛ぶなんて」
初めて空の上を飛んだ者達から、感嘆の声が漏れていた。
ここは、天空戦艦シャングリラの後部格納庫。
現在はパンデモニウムから離陸し、広大なアトラス大砂漠の上空を航行中である。
もっとも、この格納庫に集められた時点ではまだ発進しておらず、窓のないここにいれば船が飛んだかどうかなど分かりはしない。シャングリラが飛行する予定であることも、彼らには伝えられていなかった。
空を飛ぶ経験ができる者など非常に限られる。ハーピィを代表とした、飛行能力を持つ種族か、天馬や飛竜といった空を飛ぶ騎乗生物に乗れる者だけであろう。
高位冒険者であっても、空を飛ぶ経験などそうそうできはしない。
「静粛に」
ひとしきり初めてのフライトに騒がしくしたところで、アインから注意が飛ぶ。
ただの空中観光などではなく、あくまで試験のために彼らは集められたのだ。速やかな進行が求められている。
「一次試験の課題は、ここから飛び降り、無傷で地上へ降り立つことです」
空中に扉が開け放たれた時点で、何となく察しはついていたものの、いざそう言われると躊躇してしまう。
恐れ知らずの猛者達だが、初めて上がった雲の上から飛び降りろ、と言われれば多少は躊躇ってしまうのも仕方のないことであった。
「どのように着地するかは問いません。武技で強化した足でそのまま降り立っても、魔法で落下速度を減速してもよい。ただし、個人の能力のみで着地しなければなりません。仲間の支援魔法やサポートを受けて着地した者は失格とみなします」
「へっ、まずは度胸試しってかぁ?」
「そのために、わざわざ空の上まで連れて来てくれるってんだから、剛毅なもんだな魔王様はよ」
一次試験の内容が提示されたことで、再びざわめきが起こる。
上等だと意気込む者もいれば、パーティ同士で集まって気合を入れる者達、あるいは冷静に開かれた空の上を観察している者もいた。
「自信のない者は、この場で辞退してください。また、負傷した場合は速やかに救護されますので」
アインがさっと手をかざせば、格納庫の壁面に設けられた大きなヴィジョンが点灯する。
映し出された画面には、にこやかな笑みを浮かべたネルの姿が。
「こちらのネル軍医総監殿が救護班を率いておられます」
「皆さん、即死だけ避けていただければ、どんなお怪我も治しますので、安心して飛び降りてくださいねー」
ロイヤルスマイルで手を振るネル。
その身に纏った純白の治癒術士ローブだが、燦然と胸元に輝く五つ星の階級章は中将の位を示していた。
「それでは、一次試験を開始します。番号順に、降下を————」
「ゴートゥーヘヴゥーン!!」
と、絶叫しながら疾風の如く駆け抜けて行った小さな影が、一番乗りで格納庫から飛び出して行った。
「番号順って言ったのに。レキのバカ」
次いで、突風に波打つ銀髪をなびかせながら、褐色肌の魔術師少女が小走りで追いかけ、何の恐れも気負いもなくヒョイっと飛び降りて行った。
「ったく、あんなチビッ子に先を越されるとは、この俺としたことが失態だぜ。おらぁ、行くぞお前ら、スパーダ人が空の上くらいでビビってんじゃねぇぞっ!!」
そうして、格納庫いっぱいに響き渡る気合の叫びを上げて、大剣を背負ったカイが飛び出して行く。
「俺達も行くぜ!」
「誰がビビるかよ、こんなもんで!」
「やってやらぁああああ!」
「うぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「あっ、ちょっと、押さないで、まだ心の準備が……」
闘争心に火が付いた挑戦者達は、一気呵成に空中へとその身を放り出してゆく。
続々と飛び降りてゆく彼らへ、
「危険ですので、番号順に降下をしてください」
アインは律儀に注意を促したが、聞く耳を持つ者は誰もいなかった。