第867話 アヴァロンの支配者(2)
初火の月7日に、首都アヴァロンを奪還せんと戻って来たアークライト公爵率いる討伐軍が下ったことで、ようやく国内の敵勢力を掃討することができた。
討伐軍が下手に散ってゲリラ化でもされれば非常に厄介である。一兵たりとも逃すことなく一掃できたのは幸いだ。
これによって、ようやくミリアルド王の手にアヴァロンが取り戻された。
しかし、それでめでたしめでたし、で終わらないのが現実の辛いところである。
「————ミリアルド・ユリウス・エルロードをアヴァロン州、総督に任ずる」
「ははっ、謹んで拝命いたします。このミリアルド、皇帝陛下に心からの忠誠を捧げます。オール・フォー・エルロード!」
初火の月14日、アヴァロンは正式に、我がエルロード帝国の領地となった。
二年前のこの日に、俺達はアルザスで大敗を喫し、仲間達を失った。忌むべき日である。しかし、これからはアヴァロンを手に入れた記念すべき日として帝国の歴史に残るだろう。
それでもアルザス防衛戦は俺にとっては最大の教訓だ。これを忘れることは決してありはしない。
そんな感傷的な気持ちも湧いて来るが、アヴァロンの併呑そのものは解放作戦の実行前から決まっていたことである。ただのお情けで一国の内乱に介入などするはずないし、逆にそんな真似する方がまずいだろう。
アヴァロンはスパーダに駐留する十字軍本隊と隣接する位置にあるが、スパーダ含め中部都市国家群を取り戻すための橋頭保となりうる場所だ。ここを維持し、戦力を割くだけの価値はある。
何より、ネロの大遠征軍の帰る場所を奪ったのは大きい。これで戦略的にはかなり優位に立てた。
十字軍本隊を相手にするにしろ、ネロの大遠征軍を倒すにしろ、このアヴァロンは大事な場所であって、だからこそ独立国家としてただの同盟国にしておくワケにはいかない。帝国領として、俺の自由に采配できるようにしておかなければ、次は十字軍に占領されてお終いになるだけだ。
アヴァロン王城の玉座の間で行われた、帝国への併呑とミリアルド総督の任命式は、つつがなく終了した。
すでにミリアルドから、ヴィッセンドルフ辺境伯を始めとした諸侯達への根回しも大方済ませているようで、式典を妨害する暴挙に出る者は勿論、露骨に反対の意志を持った者もいなかった……と、リリィが教えてくれた。妖精の女王様を前にすれば、二心を抱くことは誰もできないのだ。
一方、こちらの事情など与り知らぬアヴァロン国民からすると、またトップがすげ変わったのか、といったような反応であり、多少の混乱を招いただけで大きな暴動などに発展することはなかった。
現時点で首都に住んでいた者の多くは人間の十字教徒になりつつあり、我が物顔で闊歩していた奴ほどこれから排除されてゆくので、騒いだところで意味はない。
ネロの十字教政策によって、首都の人口構成は歪になってしまった。これからは首都を追い出された者や移民にならざるを得なかった、他種族系の元住人達が戻って来るだろう。再び大きな人口移動が起こるので、まだしばらく首都は騒がしくなる。
落ち着くまでに時間はかかるだろうが、差し当たってスパーダの十字軍に対する防衛だけはしっかりと備えなければならない。ここで奴らにアヴァロン侵攻を許すのは最悪の結末である。
よって、首都で討伐軍を降伏させた後、そのまま天空戦艦シャングリラをスパーダとの国境側へと向かわせた。
辺境伯領の東端であるアスベル村周辺地域をウインダムに割譲したことで、彼らが続々と山から下りて来て入植が急ピッチで進んでいる。こちらの思惑通り、アヴァロンとスパーダの間の緩衝地帯として機能してくれるだろう。
悲願の領地を絶対に手放さないとばかりに、アヴァロンとスパーダの両側に頑張って防衛用の砦建設も進められているようだ。ウインダムのハーピィ達には、是非とも堅固な防衛線を構築してもらいたい。
一方、俺達もいつまでもシャングリラ頼みとするわけにはいかない。天空戦艦の配備はあくまで一時的な防衛力を保つためで、十字軍が神速を尊び今すぐ攻め込んでくることへの備えである。
こちらも国境にはウインダムに負けないような防衛線を築き上げなければならない。領土を譲った結果、新たに国境線沿いとなった町には、これから帝国軍が続々と入り、要塞を建設することとなる。
そこには通信役の妖精を常駐させ、スパーダ側の動きがすぐに伝わるようにするし、大きなサイズのモノリスを使って、ある程度の規模の転移も開通させる予定だ。
ここの防備さえ万端に整えられれば、俺達はようやく当初の予定通り、ネロの大遠征軍に集中できる。
アヴァロンが帝国の手に落ちて、ネロがこれからどう動くのかは分からない。怒り心頭で、祖国奪還に戻って来るか、それともそのまま進軍してパンデモニウムまで俺の首を獲りに来るか。どちらの選択も十分にあり得る。実際、パンデモニウムが落ちれば帝国はお終いだからな。アヴァロンも容易く奪い返せるだろう。
進むも退くも迷った結果、占領した地域を拠点化しようと地盤堅めでも始めてくれれば一番楽なのだが。奴らが止まった分だけ、こちらも時間が稼げて戦力を増強できる。
パルティアはすでに大遠征軍によって滅ぼされたが、まだアダマントリアの攻略は始まっていない。
半端に時間だけかけてからアダマントリア攻略を始めれば、こちらの準備が間に合い奴らの後背を襲って挟み撃ちにすることも不可能ではないだろう。
なにせ、リリィは上手くルーンとの同盟を結んできてくれたからな。
ルーンには強い太陽信仰という独自の宗教があるから、十字教とは決して相容れることはない。奴らから見れば、筋金入りの異教徒というわけだ。同盟相手としては信用できるし、すでにセレーネへ艦隊を派遣して牽制してくれた実績もある。
帝国とルーンが協力すれば、レムリア海の制海権を確保できる。大遠征軍が片付けば、軒並み十字軍に寝返った港湾都市国家も制圧しなければ。
そこまで先のことは、今から気にしていても仕方がない。
俺が今すぐ気にしなければならないことは……
「————というワケで、『アンチクロス』緊急会議を始めます」
初火の月15日。
ひとまずアヴァロンでの仕事を片づけ、後のことは総督となったミリアルドに任せて、俺はパンデモニウムへと久しぶりの帰還を果たした。
そしてすっかりお馴染みとなった第五階層の司令部にて、帝国最強、魔王直属の対使徒部隊『アンチクロス』のメンバーを招集した。
「戻って来るなり、いきなりだな」
「これ僕いる意味あるの? 今ちょっと忙しいんだけど……」
やれやれ、とでも言いたげに溜息を吐くゼノンガルトと、本当に忙しいのだろう、よれた作業着を着用し、目に隈を浮かばせたシモンが、それぞれ俺に批判的な視線をくれる。
「いや、二人は絶対にいるから。途中退席は許さないから」
「なんでそんな必死なの?」
シモンは訝し気な目を向けるが、まぁ、すぐに分かるだろう。
「まずは、新しいメンバーを紹介しよう。入ってくれ」
「失礼します」
「むっ、何故こんなに薄暗いのじゃ……?」
入って来たのは勿論、ネルとベルクローゼンの二人。
ネルは最も見慣れたプリーストの法衣に身を包み、ベルは赤白の巫女服である。共に黒髪の二人は、やはり並んで立つと姉妹のように見えた。
ちなみに、アンチクロス会議する時に薄暗くしているのは、司令部の防諜レベルを最大まで上げているからだ。この非常灯が点灯しているような感じは、断じて雰囲気作りなどではない。
「ネル・ユリウス・エルロードと申します。アヴァロンの第一王女……というのは、最早、過去の肩書ですね。今は、クロノ魔王陛下の正式な婚約者、と名乗らせていただきます」
「黒竜ベルクローゼンじゃ。主様とは魂に深く刻まれた契約で結ばれておる。ただの婚姻とは次元の違う結びつきなのじゃぞ。その辺、しかと理解せよ」
「あっ……」
「なるほど、男の俺達を同席させたがるワケだ」
二人のやけに主張の強い自己紹介によって、シモンとゼノンガルトは揃って全てをお察しした表情となった。
そして案の定、再び俺に非難の視線を向けて来る。
「お兄さん、僕にどうしろってのさ。掩護するにも限度ってものがあるからね」
「新しい女を自慢したいなら、他所でやれ」
「頼むから一緒にいてくれ! この場には中立で公平な第三者が必要なんだ!」
「勘弁してよ。こんなのに巻き込まれたら、今度こそ死んじゃうよ。跡形もなく消え去って死ぬよ」
「化け物と怪物を抱え込んでおきながら、まだ増やそうというのか。どうかしているぞ」
早くも二人が退席したがっているが、是が非でも俺は引き留める。
シモンはネルのことは知っているので、顔を見た瞬間にこれは色恋沙汰の面倒事だと悟ったに違いない。さっきからしきりに、俺の左隣に座るリリィへ視線を向けている。
一方、ゼノンガルトはネルの顔を見たことなければ、俺との関係も全く知らないだろう。しかし、古流柔術を極めたことで尋常ではない立ち姿のネルを目にして、リリィやフィオナに匹敵する実力者であることは見抜いただろう。
黒竜と自己紹介したベルクローゼンなどは、言わずもがな。幼い少女の外見が、ただの見せかけであることを理解している。
「シモン、そう心配しないでちょうだい。この期に及んで、私達が揉める様なことは何一つないのだから」
「……本当?」
「本当よ。だってクロノの正妻は私に決まっているもの。側室の一人や二人、増えたところで今更ケチをつけるつもりはないわ」
「あら、まだ婚約しかしていないのに気が早いことですね、リリィさん。まだ決まってもいないことを言いふらしていると、後に恥をかくことになってしまいますよ」
「私がクロノの一番よ。それは譲らないし、クロノもそう望んでいる」
「そういう押し付けがましい言い方はズルいですよ。優しいクロノくんなら、嘘でも頷いてしまうではないですか」
「あっ、僕実験室の火を消し忘れたかもしれないから、すぐ戻らなきゃ」
「うむ、俺も屋敷の鍵を閉め忘れた気がするから、すぐに戻らねばな」
「おいおいおい、そんなおざなりな理由で逃げ出そうとするんじゃあない!」
早くもヒートアップを始めたリリィとネルの言い合いに、シモンとゼノンガルトの頼れる男性陣は椅子から腰を浮かしかけている。
雰囲気からして、マジで退席しかねない。慌てて二人を引き留める。ええい、魔王の勅命だぞ!
「私が一番クロノの役に立てているのだから、正妻に相応しいに決まっているわ」
「それならいっそ宰相にでもなって、帝国を存分に仕切ればよいでしょう、リリィ元帥閣下殿? 私は妻として、クロノくんをお傍で支えますので」
「王女の肩書もない一般人が」
「正統なエルロードの血を引く私こそが、魔王の正妻には相応しいでしょう、野良の妖精さん?」
「やれやれ、婚姻などという儀式にこだわっているようでは浅いのう。魂で結ばれる契約を果たした妾が一番に決まっておろうが」
パァン! パパァン!!
と、頬を強かに叩く音が軽快に木霊する。
右頬をリリィがビンタすると、左頬をネルがビンタした。一部の隙もない連携攻撃によって、ベルは沈黙した。
「ううぅ、主様ぁ……性悪の小悪魔と鶏娘が妾に嫉妬していじめるのじゃぁ……」
「そういうワケで、リリィとネルがちょっと揉めてるので、頼れる仲間達に解決策を募集するのが、今回の議題です」
「うわっ、この修羅場を無視して進めようとしてるよ」
「無理にでも進めて、このまま俺達を巻き込もうという魂胆だな————正妻戦争という、終わりなき戦いに」
正妻戦争とか言うのやめようよ。不吉にもほどがある。
「あのー、一応聞いておきたいんだけど、フィオナさんはどう思ってるの」
「私は別に。口を挟むようなことはありませんよ」
我関せずとばかりに素知らぬ顔で俺の右隣に座る、アンチクロス序列第一位の魔女が言う。
リリィと違って、ネルが正妻がどうだと言い出しても、特に気にした素振りはない。序列や肩書にこだわらないのは、フィオナらしくはある。
「ですが、強いて言うならば、一番を名乗るのはリリィさんが相応しいでしょう。クロノさんと最初に出会ったのも————」
「最初に出会ったのは、私です」
「サリエル、今それ言う!?」
「私です」
大事なことなので、とばかりに二回言ったサリエル。珍しく自己主張が強いが、どうしてこんな時に。
これで俺の初めての相手も「私です」とか言い始めたら……今日で帝国滅ぶかも。
「確かに、言われてみればそうですね。でも一番長く共に活動したのはリリィさんですし、これまでの活躍、実績もありますから」
「その通り、私が一番に相応しいの。ありがとう、フィオナ。持つべき者は認めあえる親友ね」
「私は勝負に、負けてしまいましたから」
実は気にしていたのか。最終的にはフィオナを倒したリリィを倒した俺のワガママを通して、二人とも抱えることになったが。
いつかリベンジする、とか言い出さないでくれよフィオナ。
「僕もフィオナさんと同じ意見かな。やっぱりリリィさんが一番だと思うよ。この帝国だって、作ったのは実質リリィさんだしさ」
所詮、俺はお飾りの魔王……
だがシモンの言うことは一理どころか百理ある。正論も正論だ。リリィなしで、このエルロード帝国は存在しえなかった。
「だがアヴァロンの第一王女となれば、本当にエルロードの血を引いている可能性は高い。正妻として娶れば、帝国の正当性をより強く、明らかに示すことができるだろう」
「ええ、その通りです。私は事実、魔王ミアの血を引いており、この血筋をもってエルロード帝国の復活を完全なものとすることができるでしょう」
ゼノンガルトの指摘は最もだし、ネルもまたそれを最大の強みとして主張をしているのが、困ったところである。
リリィとネル。どちらが魔王の正妻に相応しいか。
今更そんなことで悩むのかと言われそうだが、今だからこそ悩ましくもある。このテの話題になるとリリィは嫉妬心を燃やしていつもの冷静さが失われてしまうし、ネルも絶対に譲らないと強い意思を貫いて来る。
何度か話し合いの場を設けはしてみたのだが、議論は平行線となり、今日のアンチクロス会議にまで持ち込まれることとなったのだ。
「……ねぇ、それって結局、お兄さんが自分で選んで決めるしか解決方法ないんじゃないの?」
「やはり、そうなるか」
「そうだよ」
最後に背中を押してくれるのは、いつもシモンだな。
俺としても、露骨にリリィとネルを天秤にかけるような真似を避けていたのは事実だ。魔王として、帝国を背負う皇帝として、俺の心情は二の次で最も帝国の理に適う選択するべきではないか、という考えもあった。
けれど、一番大事なのは俺の気持ちなのだ。リリィとネル、きっとフィオナとサリエルも、俺の本心をこそ一番大切にしたいと思っているはずだ。
だから、俺は選ばなければならない。
そして、その答えはもう決まっている。
「俺の一番は、リリィだ————」
「————ぶふっ、あぁーっはっはっは!!」
第八使徒アイが大笑いする声が、スパーダ王城の玉座の間に響き渡った。
異教の神を象った男の戦士と女騎士の巨大な石像は跡形もなく破壊され、今はそこに聖母アリアと第一使徒アダムの石像が新たに備えられている。早々に十字教様式へと変えられた玉座の間の主は、元スパーダ第一王子アイゼンハルトの肉体を奪った、第八使徒アイである。
スパーダの支配者を誇示するように玉座にいるアイは、いまだ目じりに涙を浮かべるほどに笑い転げている。
その様子を黙って眺めているのは、十字軍総司令官アルス枢機卿であった。
決して、彼の放った渾身のジョークがツボに入ったワケではない。アイにとって敬虔な十字教徒であり、生真面目な指揮官でもあるアルスは、話をしていて面白い相手ではない。
アイを大笑いさせているのは、単純にアルスよりもたらされた、たった一つの報告である。
「それじゃあ、アヴァロンはもうクロノくんが支配したってコトぉ!?」
「そのようです。すでに向こうのアリア修道会とすら連絡はとれず、オリジナルモノリスの支配権も全て奪い返されてしまったのは間違いありません」
「ええっ、じゃあ、大遠征とか言って出て行ったネロ君は……?」
「遠征中に、まんまと祖国を奪われた形となりますね」
「ぶははははっ! ネロ君かわいそぉー、ひぃー!」
何が面白いのか、またしても笑い転げるアイである。
どこまでも冷めた目でそんなアイを見やりながら、アルスは口を開く。
「我ら十字軍にとっては、あまり笑い事では済まされない、由々しき事態です」
「いやぁ、あのクロノくんが、こんな早々にアヴァロン取り返したんだよ? 凄い展開じゃん、流石のアイちゃんもここまでは予想できなかったなぁ。かぁー、やるねぇクロノくん、伊達に魔王は名乗っちゃいないってことだよね」
「アヴァロンを攻めるには好機かと」
「ふぅん、奪還したばかりで疲弊している隙に、横取りしようっての?」
「それが最善の戦略です。第八使徒アイ卿には、是非ともそのお力添えをいただければ————」
「だが断る!」
「分かりました」
「断るぅ!!」
言いたいだけかよ、と思いながらアルスは黙って頭を下げた。
何故、断るのか。その理由を使徒に問うのは愚かなこと。特にアイのような気分屋相手なら尚更である。
「で、君らだけで攻めんの? あんまりオススメしないけどなぁ」
「いいえ、アイ卿の協力をいただけないならば、アヴァロン攻めは実施いたしません。向こうには、天空戦艦がありますので」
「あのレベルの古代兵器も持ってるのかぁ、やるねぇ」
ヒュー、と口笛を鳴らすアイに、舌打ちの一つもしたい気分である。
アイがその気になってくれさえすれば、アヴァロンも十字軍の支配下におき、天空戦艦という現役稼働する古代兵器を奪うことも不可能ではない。成功すれば、パンドラ征服は大きく前進する。
だが、勝算もなしに目先の利益に釣られるほど、アルスは軽率ではなかった。
「それでは、アイ卿はこれより如何されるおつもりでしょうか」
「うーん、そうだなぁ、そこが悩みどころなんだよね」
「お悩みがあれば、是非ともご相談に乗らせていただきたく」
うーん、などとわざとらしく腕を組んで唸るアイを、言うならさっさと言えよ、と思いながらアルスはただ静かに待った。
やがて、それらしい雰囲気を醸すのにも飽きたのか、アイはようやく口を開く。
「パンドラの北にはさ、オルテンシアってエルフの国があるっていうじゃない」
「ええ、存じております。僅かながら、このスパーダにもオルテンシアよりの交易品もありますね」
「で、スパーダのすぐ南隣にはさ、ファーレンっていうダークエルフの国があるよね」
「スパーダの王女が嫁いだ隣国とあってか、残党軍が数多く逃げ込んでおります。今は国境線の防備を固めたので、逃げることも、攻めることも許しませんが」
ようやくスパーダの統治も落ち着いてきた頃である。そろそろ、次の侵攻を開始しても良い頃合いだが、問題は北と南、どちらに向けて攻め込むかであった。
諸侯の間でも意見が分かれ、日夜議論が交わされている。そこに今回はネオ・アヴァロンが奪い返されたことで、アヴァロン攻めの選択肢も支持する者が出てくるだろう。
それぞれの利害対立が激しい諸侯軍をまとめるのに最も手っ取り早いのは、第八使徒アイの意志に任せて、それに追随することである。
アルスとしても、アイがどこを攻めたがっているのか、非常に気になる点である。さて、この気分屋の使徒が何を言い出すか、耳をそばだてて次の言葉を待った。
「エルフの美少女か、ダークエルフの美女か……どちらを先に手に入れるべきか、めっちゃ悩むんだよね」
真面目に聞こうと思った私が愚かでした、神よ、どうかお許しを。
そう心の中で懺悔を決めて冷静さを取り戻してから、アルスは答えた。
「コインでも投げて、お決めになればよろしいでしょう」
「おっ、いいねぇソレ、採用! シルビアちゃーん、ちょっと白金貨持って来てー」
「かしこまりました、アイ様」
どんな下らない理由であれ、使徒であるアイが動けば、十字軍本隊も再び動き出す。
北だろうが南だろうが、どちらでも構いはしない。こちらの戦力は十分だ。
「そういえば、マリアベルはどうしたのさ? クロノくんに負けて、泣きべそかいて逃げてきたのかにゃ?」
「第十二使徒マリアベル卿は、アヴァロン王城にて奮戦虚しく、天へとお召しになりました」
「あちゃー、あの子とうとう死んじゃったかぁ」
同じ使徒である死を聞いても、アイはいつもの軽薄な態度を崩すことはなかった。
それはどこか、マリアベルの死を予想していたかのような態度である。
「サリエル先輩も罪な女だよね。惚れたばっかりに、あんな戦いに向かない子が無理しちゃってさぁ」
「残念でなりません」
「残念の一言で済むぅ? マリアベルは使徒になるより前からの付き合いなんでしょ。それに、君の副官はあの子の兄貴だったよね。復讐心でアヴァロンに攻め込まないか、アイちゃん心配だよー」
アルスにとってマリアベルは、幼い頃から面識のある弟のような存在でもあった。しがない村の司祭を務めていた平和な頃から、異教徒の侵略に晒された苦しい時も、共に過ごした間柄。人並み以上の情も抱いて当然である。使徒となった後も、自分には随分と便宜を図ってくれたものだ。
その関係性を知りながら、悪趣味に茶化すような物言いをするアイの言葉にも、アルスは眉一つ動かすことなく、「ご心配には及びません」と頭を下げた。この程度の挑発に反応していては、とても枢機卿になどなれはしない。
「ふーん、それよりさぁ、聖杯はマリアベルが持ってるって聞いたんだけど?」
「それについては、どうぞご安心を。聖杯は首都が攻められたと同時に、マリアベル卿が万一に備えて移送させております。お陰で、聖杯は無事にございます」
「そりゃあ心配なんかしないよね。マリアベルが持ってたのは偽物だもん」
「はて、私には何のことか」
「アイちゃん気になるなぁ————本物の聖杯って、誰が持ってんの?」
2022年3月4日
第41章はこれで完結です。
なのですが、来週は事情があって書くに至った短編を掲載します。ネルをメインとした短編で、アヴァロンを舞台にした今章の終わりがちょうどよいタイミングかと。
詳しい事は、来週の前書きにでも書きます。
それでは、次回もお楽しみに!