第861話 黒竜(2)
瞬間、アヴァロンを揺るがす大爆発が起こった。
巨大な紅蓮の爆炎が膨れ上がる。天使の降臨により白く輝く夜空を、再び闇に包もうかというほどの膨大な黒煙が立ち昇って行く。
「……凄い爆発ですね」
地上で起ったその大爆発を、サリエルが駆るペガサスの背に跨り空中から眺めていたフィオナが、そう口にする。
最大火力の名を欲しいままにする彼女に『凄い爆発』と言わしめる以上、その規模と熱量は桁外れ。
「爆心地は、マスターの落下地点」
「ええ、あの爆発の原因は間違いなくクロノさんでしょう」
敵の攻撃ではなく、自ら起こしたものだという確信があり、心配はしなかった。
そもそも謎の巨大天使を前に、皇帝陛下が真っ先に突撃していくのだから、戦いにおける危険や心配など今更の話である。
天使を目前に強烈な光魔法を至近距離で喰らって撃墜されても、クロノなら大丈夫だと思っている。
よって、気にするべきは何が起こったかだ。
クロノが落ちた場所は、アヴァロン王城の広大な庭園のど真ん中。周囲一帯には、味方の兵どころか籠城する敵兵もいないだろう。ただの攻撃として爆発を起こしたワケではないだろうし、そもそもクロノがあんなド派手な大爆発を起こすような魔法は使えない。
もし習得していれば、フィオナを押し退けてでも戦場でぶっ放しただろう。
故に、爆発の原因はクロノ一人だけではない。他に何かがある。
「とても強い気配を感じますね。一体、何がいるんでしょうか」
「この気配には、覚えがある」
大爆発と共に、膨れ上がるように駆け抜けて行った強烈な魔力の気配。サリエルはその感覚を覚えている。いや、忘れようもないというべきか。
それは第七使徒としての長い戦歴にあって、個としては最大の敵であったが故に。
「竜王ガーヴィナルと同種の反応」
「まさかクロノさん、黒竜を従えたのですか————」
肯定するように、それは姿を現した。
天を衝くような黒煙の柱を割って、漆黒に煌めく巨躯が翼を広げる。
力強く羽ばたく黒翼が闇夜を切り裂き、真っ直ぐに天へと昇って行く。
グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!
黒煙を突き抜け夜空に舞った黒竜が吠える。
あらゆる生物が本能的に委縮するような、大いなる力の籠った強烈な咆哮。それは、この空の支配者が自らであることを誇示するかのように響き渡る。
だがしかし、一つの人影がそれを否定する。
絶対強者、空を飛ぶ黒き竜の首元に、一人の男が立つ。
夜風に靡く黒髪と黒マント。漆黒の鎧兜に身を包み、その手に握るは竜のアギトに繋がれた鎖の手綱。
その姿を見れば、誰もが理解する。
竜が、己の上に立つことを許した。頂点を譲ったのだと。
「マスターが黒竜に乗っている」
「乗ってますね」
軽く言っているが、十分以上に二人は驚いている。
何故こんなところに黒竜がいるのか。どうして乗れているのか。
疑問は尽きないが、全て後回しで良い。一番大事なことを、二人は即座に理解できている。
「では、作戦続行ですね」
「はい」
クロノは空中戦力を確保した。
ならば、やることは変わらない。夜空を割って現れた不気味な巨大天使を叩き落とす。
「少し離れておきましょう。巻き込まれますよ、あの感じは」
「了解」
二人乗りの上に、愛馬シロではない代わりのペガサスでは、十全な戦闘機動はサリエルの卓越した天馬術であっても無理がある。自分の役目は爆撃機。フィオナという特大の爆弾をターゲットまで送り届けるだけの輸送役に徹する。
クロノが乗る黒竜の力は未知数だ。
もしガーヴィナルと同等の力を振るうならば、自分達は邪魔となる。クリス達、竜騎士でさえ危険。
クロノも自分達が一時的に退避していくのを待っていたのだろうか。
サリエルのペガサスと、竜騎士部隊が空域から距離をとっていくのを見送ってから、ついに動き出す————
「————うおっ」
気が付けば、俺は空中にいた。
眼下には濛々と黒煙が吹き上がる大爆発の跡。周囲には、こちらを取り囲むように整然と展開してゆく天使の騎士達。
そして、真上にはこちらを見つめる巨大天使だ。
いつの間に、こんなことに。
しかも、ご丁寧に『魔手』で手綱まで形成して。ヒツギがやったんだろうか。
マジで覚えがない。契約するぞ! と気合を入れて魔力を流し込み始めた辺りまでは覚えているが……急速に消耗して気絶でもしたか。しかし、それにしては魔力が底を突くような疲労感はない。
「どうじゃ、主様。竜に乗って飛ぶ気分は」
「おお、ベルクローゼン……すっかり元気になったな」
「うむ、お陰様でな」
あれほどズタボロだった体は、今や一枚の鱗も欠けていない万全の状態にまで回復している。回復、と呼んでいいのか迷うほどの復活ぶりだ。
竜鱗は暗黒物質のように艶やかな漆黒。こうしてその背に立っているだけで、ドラゴンの並外れた強大な生命力を感じる。
「契約者を得たことで、妾は本来の力が目覚めたのだ」
「『戦竜機』という兵器としての力か」
「うむ……妾の正体は、すでに知ったようじゃな」
「記憶を覗き見るような真似は悪いと思うが、不可抗力だった、許してくれ」
身に覚えのある感覚だった。
ガラハド戦争でサリエルを倒した時に引き起こされた、逆干渉とよく似た現象だ。
ベルクローゼンの記憶と思しき情報が、俺の脳内に流れ込んで来た。
野生のドラゴンではなく、古代人の手によって作られた兵器ということ。そして、こんな強力な生体兵器を備えておきながら、あっけなく滅び去った古代文明。
災厄、と呼ばれる存在が何なのかまでは分からないが……少なくとも、ベルクローゼンが一人残され、孤独にいつ現れるとも分からぬ契約者を待ち続けてきた、という感情はよく理解できた。
二百五十年、か。ちょっと想像がつかない長さだ。
「構わぬ、主様には妾の全てを知って欲しい」
「ああ、これから教えてくれよ。まずは差し当たって————黒竜の力を、見せてくれ」
「ふふん、承知っ!」
やけに可愛らしい少女の声音とは別に、ドラゴン本来の咆哮を高らかに響かせて、大きく翼を打つ。
天使騎士をどんどん召喚し続けているせいで、この空で狙う敵には事欠かない。
まずは小手調べとばかりに、ベルクローゼンは接近してくる天使騎士の小隊に牙を剥く。
ゴッ! という鈍い金属音。盾と槍を構えた十人編成の小隊は、ベルクローゼンと正面衝突を起こした結果、あっけなく砕け散る。牙を突き立てるまでもない。ただ真っ直ぐぶつかっただけで、鎧袖一触。
そりゃあ、いくら鎧兜で武装していても、人間サイズで十人程度集まったところで、ドラゴンの巨躯とぶつかって勝てる道理はない。
ベルクローゼンは鼻先から尻尾の先まで含めれば、100メートル近い全長だ。サラマンダーよりずっとデカーい。新幹線一両が25メートルくらいなので、そんなサイズの奴が高速で突っ込んでくれば何人並ぼうと撥ね飛ばされ、轢き殺されるに決まっている。
装備ごとバラバラになった天使騎士達は、その身を白い燐光に変えて夜空に溶けるように消滅していった。死体が残らないのは、綺麗でいいな。
「ふん、所詮は数ばかり揃えただけの精霊モドキか。脆いものよ」
同じように進路上に割り込んでくる部隊をものともせずに跳ね除けながら直進し、包囲網を脱してつまらなそうにベルクローゼンが言う。
「それでもこの数は邪魔くさい。肩慣らしにもう少し掃除してやろう」
「うむ、ただの体当たりだけでは芸がないからのう。折角の初陣じゃ、主様には黒竜らしい戦いぶりを、しかと見てもらわねば————」
鋭い牙の並ぶ口を開けば、チラチラと火の粉が散った。
まさか、こんな特等席でドラゴンブレスを鑑賞できるとは。機動実験でサラマンダーと裸で戦わされた頃では、とても考えられない経験だ。人生、何が起こるか分からんな。
コォオオオ……と深く息を吸い込んでいく。ただの深呼吸ではない。竜のソレは、ブレスを放つための溜め動作である。獰猛なドラゴンの口元に、赤熱の輝きが灯った。
そして次の瞬間には、俺の期待に応えるかのように爆発的な紅蓮が迸る。
放たれたのは、一発の火球。デカい。フィオナが真面目に撃った攻撃魔法のようだ。
灼熱の尾を引いて夜空を駆ける火球の向かう先には、小隊が複数集まり、盾を構えて防御魔法を展開する天使騎士達がいる。奴らにできる最大限の防御態勢なのだろう。上級に匹敵する光の防御魔法が形成されるが、
ドドォオオオオッ!!
真っ赤な業火が爆ぜると共に、あっけなく散った。
ド派手な爆発が夜空を焼き、砕け散った奴らの破片がキラキラと白く煌めく。なかなか綺麗な花火じゃあないか。
「流石、ドラゴンだな」
「なぁに、ただのファイアーブレスじゃよ。本気を出せばこんなものではない……だが、奴ら程度には過ぎた威力よな」
サリエルに聞いたことがある。竜王ガーヴィナルのぶっ放すブレスは、赤黒いビームだったと。多分、本気のドラゴンブレスがソレなのだろう。
しかしながら、天使騎士相手なら火球だけでもオーバーキルだ。本物のブレスを披露するまでもない。
「つまらん相手じゃ、さっさと片づけるとしよう。主様、少し飛ぶが、振り落とされるでないぞ」
「心配するな、ちゃんと掴まってるから」
流石にただ乗っているくらいは出来ないと、情けなさ過ぎる。
超高速でアクロバット飛行も余裕なドラゴンに騎乗するのは、ジェットコースターなど比じゃない乗り心地だろう。戦闘機の外に生身で張り付いているようなレベルかもしれん。
だが、ただの人間などとっくに辞めた俺なら、黒竜も必ず乗りこなせる……はず。
「うむ、妾に繋いだ手綱、決して離さないでくれ————行くぞっ!」
轟っ、と強烈な風圧と加速度が体にかかる。やはり速い。この巨躯でこの速さ、そして加速力。ドラゴンは本当に化け物だ。
瞬く間に宙を駆け抜け、再包囲に動き始めた天使騎士の一団へと迫る。
槍を構えて迎撃態勢をとる奴らに振るわれたのは、爪であった。
ベルクローゼンは四本脚に翼が生えた姿。前脚と翼が一体化している飛竜とは骨格が異なる。
ドラゴンに相応しい鋭く長い爪を備えた前脚を振るえば、それは容易く敵を切り裂く刃となる。
一閃。交差する瞬間に爪が一振りされれば、それだけで天使騎士共は四散五裂した。
「いや、切り裂きすぎだろ」
明らかに爪が届いていない範囲の奴もバラバラになっている。
どうやら、風の範囲攻撃魔法のように、無数の斬撃が嵐のように拡散しているようだ。真空の刃か、魔力の刃か。ただ前脚を薙ぎ払うだけの動きでも、実質的な範囲攻撃となる。
無論、黒竜の爪そのものは、業物の大剣を凌ぐ切れ味を誇る。盾や鎧で防げるレベルじゃない。城壁が耐えられるかどうか、という話になる。
しかし、恐怖などという感情は存在しないらしい天使騎士共は、どれほど仲間が蹴散らされても果敢に挑み続けて来る。
運よく爪撃の範囲から逃れた奴らが、黒竜の後ろを取ったのを幸いにと追撃に映る。
「ふん、羽虫が集るでないわ」
振り返ることなく、相手に背を向けたまま繰り出したのは、尾だ。
しなやかにくねる長大な黒竜の尻尾は、その先端まで頑強な鱗に覆われている。新幹線二両分のサイズ感で、鞭のような速度で振るわれればどうなるか。冷静に考えなくても、ヤバいに決まっている。
バァン!!
と弾けるような音は、尻尾の先端が音速を越えた証。
竜鱗で固められた大質量を音速越えで叩きつけられたのだ。潰れる、という段階を通り越し、奴らはそのまま粉々の光の粒子と化して夜空に散っていった。
「流石に接近戦は無理だと悟ったか。奴ら、遠距離攻撃に切り替えてきたぞ」
「そのようじゃな」
手近な奴らは全滅し、ある程度の距離の奴らもさらに飛んで離れていく。
その一方で、遠距離に位置する奴らは手にしたメイン武器である槍を白く輝かせながら、投擲の体勢をとっていた。空中に展開する数百の軍勢が、一糸乱れぬ動きで輝く穂先で俺達を狙う。
光る槍の見た目と気配からして、上級攻撃魔法に近い威力の攻撃を放つのだろう。それの一斉発射となれば、なかなかのものである。
だが、それもあくまで人同士の戦いでの話だ。
「無駄なことよ」
再び響く、強烈な吸気音。
俺の立つ足元のすぐ下。黒竜の首元に膨大な熱量がせり上がってくるのを感じる。同時に、ベルクローゼンが何をしようとしているのかも。
「焼き払え」
灼熱の業火が天使の軍勢ごと夜空を焼く。
奴らも攻撃を放ったのだろう。星々の煌めきのようにキラキラと無数の輝きが灯り、白く彩られた殺意が一斉に飛んでくるのを感じた。
その直後に、視界一杯に紅蓮が広がる。
ベルクローゼンの口腔より放たれたのは、巨大な炎の渦。火球型ではなく、放射型のファイアーブレスだ。
灼熱の芯に逆巻く火炎の竜巻は、横薙ぎに敵を焼き払ってゆく。
攻撃役の味方をカバーするためだろう、あらかじめ盾を掲げて防御魔法を展開する部隊もいたが、火球の時と全く同じ末路を辿る。
途轍もない熱量を叩きつけられ、防御ごと火炎の波に飲み込まれてゆく。ブレスが通過する数秒にも満たない僅かな間は、奴らの骨の髄まで焼き尽くすには十分な時間だったようである。
ヒュボッ! と音を立てて口から残り火を吐き出し切ってブレスを撃ち終えた頃には、炎に飲まれた奴らはすっかり消え去っていた。キラキラと微かな白い輝きだけを残して。
「やはり群れを焼くには、この方が楽じゃな」
「あと半分くらいだ。この調子で頼む」
「うむ、すぐに片付けよう」
最早、戦いではなく蹂躙だ。
ドラゴンに挑む。その愚かしさを見せつけるような戦いぶり。
上級程度の攻撃魔法など、幾ら撃っても無駄。そもそも、強大なブレスを連発する相手に、撃ち合いを挑んでどうなるというのか。
かといって、接近して何とかなるはずもない。
ただぶつかるだけで致命傷となる黒鉄のような巨躯が、自在に宙を高速で飛び回る。爪を振るえば周辺ごと切り裂き、尾を振るえば背後を一掃する。
黒竜に近づいて戦いになるのは、第七使徒サリエル、剣王レオンハルトなど、卓越した戦闘能力を誇る超人のみ。そこまでの技量を、彼女が精霊モドキと侮蔑する奴らに備わっているはずもない。
千に届かんばかりの数が揃いつつあった天使騎士の軍勢は、ベルクローゼンによって瞬く間に壊滅させられた。
「————ひとまず、こんなものじゃろう」
「ああ、掃除はもう充分だ」
放射型ファイアーブレスで焼き払いながら、近いところに突っ込んでは大暴れをして、空にいる天使騎士の大半は消えた。
コイツらとは別に、それなりの数の天使騎士が地上に降りて、各地で反乱軍と散発的な戦闘が続いているようだが、そちらを虱潰ししている暇はない。
「そろそろ、大元を叩かせて貰おうか。ベルクローゼン、まだ行けるか」
「ふふん、ようやく火炎袋が温まって来たところよ」
火炎袋とかあるんだ。
怪獣図鑑の解剖図的なイラストでしか見たことないけど。
「よし、じゃあ頼んだぞ」
「ああ、主人の命で戦えることの、なんと幸せなことか————参る」
一際大きく翼を打ち、急上昇を始める。
いまだ俺達の頭上に浮かぶ、巨大な天使の化け物。今度こそ、奴を叩き落とす。いい加減に、アヴァロンを返して貰うぞ、マリアベル————