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黒の魔王  作者: 菱影代理
第41章:アヴァロンに舞う翼
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第860話 黒竜(1)

 黒いドラゴンだ。

 漆黒の竜鱗に包まれた巨躯は、人智を超えた力強さを感じさせる。巨大な翼、長い尾、鋭い爪を備えた四肢。

 実にドラゴンらしいその姿はしかし、本物を前にすれば想像以上の迫力を、そして畏怖を感じさせた。少なくとも、サラマンダーよりかは格上のドラゴンだと素人だって一目で分かるだろう。

それほどの威容を誇っている黒竜はしかし、今まさに死の淵に瀕していた。

 艶やかにして頑強極まる鱗には大きく砕けた箇所が幾つも見受けられ、全身が血に濡れている。どれほどの間、出血を強いられていたのか。どす黒く変色して乾き切った血の跡に、今もまだ噴き出す鮮血が流れてゆく。

 力強く羽ばたき天を舞う漆黒の翼は、大きく広がったまま力なく地面へと落ちている。

 最強のモンスター。生物の頂点。そんな肩書をほしいままにするドラゴンの中でも、最上級に強力な種だと思われる黒竜は、そうしてぐったりと地に伏せっていた。

「……喋れるのか」

「妾は、野生の竜ではない。より人に近い存在じゃ」

 喋るドラゴンは始めて見るが……そういう存在については聞き覚えがあった。

 ダイダロスの竜王ガーヴィナル。

 普段は人の姿をとっているが、戦いとなれば本来の姿である巨大な黒竜と化すという。長年、スパーダの剣王レオンハルトと渡り合い、最後は第七使徒サリエルと死闘の末に散った。

 一対一の真っ向勝負で第七使徒だった頃のサリエルをほぼ相打ち近くにまで持ち込んだというのだから、途轍もない強さだ。今の俺でも、第七使徒サリエルをサシで倒すのは無理だろう。

 もし、この黒竜がガーヴィナルと同じ種なのだとすれば、コイツの強さも相当だ。この図体で弱い、なんてことはまずありえないけど。

「殺してくれ、と言ったか」

「ああ……白き裏切り者の奴隷と化すくらいなら、ここで我が命脈を断ち切るが潔いであろう」

「なるほど、マリアベルの野郎、黒竜までテイムしようとしてやがったのか」

 倒れる黒竜の下には、今日の戦いで散々見てきた、奴の召喚術の魔法陣が煌々と輝いている。

 巨大な黒竜を全て囲うほど巨大な円形の魔法陣であり、二重、三重、と年輪のように連なる、かなり複雑な構成であることが素人目でも分かった。

 何より、魔法陣からは白く輝く鎖が何本も伸びており、黒竜の体を縛り付けている。なんだこの白い鎖、俺の『魔手バインドアーツ』のパクりかよ。

 改めて周囲を見渡せば、黒竜をこの場で縛る際に起こったであろう激しい戦いの跡がそこかしこに見受けられる。青い芝生は禿げ上がり、土がむき出しの荒野も同然と化した地が点々と広がり、中には大きく抉れた溝や、クレーターもあった。

 なんにせよ、今日の戦いにこの黒竜がいなくて良かった。コイツをけしかけられたら、普通に真っ向勝負で負けたかもしれない。

「この身は最早、空を飛ぶどころか、身じろぎ一つできぬ。すでに目も見えず、意識すら遠のいておる————だが、妾には分かる。この鈍り切った六感でも。そなたは、強い。強い力を持つ者じゃ」

「ドラゴンにトドメを刺すに足る、ってことか」

「如何にも。そなたはただ、殺せ。妾の躯は、好きに使うが良い」

 それが手間賃だとでも言うつもりか。

 確かに俺が『首断』を振るえば、この死を受け入れた黒竜に容易くトドメを刺せるだろう。冒険者的に考えれば、労せず黒竜素材一頭分が丸ごと手に入ると、夢のような話でもある。

 ただし、事ここに至った事情というのを全く考慮しなければの話だ。

 何も聞かず、気にせずに自分を殺せと黒竜は言うが————はい分かりました、とはいくか。

 そっちにも事情はあるだろうが、こっちにも事情はあるのだ。

「喰らい尽くせ————『極悪食』」

 左手に呼び出し、一閃。

 魔力を喰い尽くす呪いの大剣は、足元に広がる魔法陣に深々と牙を突き立てる。

 変化はすぐに現れた。巨大な魔法陣は激しく点滅を始め、急速にその力を失ってゆく。

 まず陣全体への魔力供給が途絶えたせいだろう。黒竜を縛る白い鎖は脆くも砕け散る。それから程なくすれば、地面に輝く魔法陣も完全に光を失った。

 この黒竜を縛り付けるほどだから、かなり強力な魔法陣だ。しかし、こういう特化した性質を持つものは、対象には強い効力を発揮する一方で、外部からの干渉には脆いデリケートなものが多い。

『極悪食』に陣の一部でも削られれば、それだけで適切な効果を維持することはできなくなる。

 マリアベルのテイム用魔法陣は完全に消え去り、後には血濡れの黒竜だけが残る。魔法陣の発光が消えたせいで、辺りは闇に包まれた。

「……妾を助けようと思うなら、無駄なことよ。最早、手遅れじゃぞ」

「死にかけのところ悪いが、俺の頼みを聞いて欲しい」

 黒竜へと近づき、その鼻先に手を触れる。

 微かに吐き出される息には、すでにして死臭が入り混じっていた。

「お前を縛った奴が今、空の上にいる。天使の姿をした怪物を呼び出してな」

「ああ、感じておる……この世ならざる者の気配はな……」

「俺は何としても、アイツを殺さなければならない————黒竜よ、どうか俺に力を貸してくれないか」

 殺してくれ、と言う瀕死の相手にするような頼みじゃあないのは百も承知だ。

 けれど、この黒竜の存在に気付いた瞬間、俺は真っ先に思ってしまったのだ。何故ドラゴンがいるのかとか、どうして死にかけているのかとか、そんなありきたりな疑問ではなく……コイツが飛べば、あの天使を倒せるんじゃないかと。

 見るからに瀕死なのは分かっている。どれだけの間、奴のテイムに抵抗し続けたのか。魔法陣にかけられた時点で、かなりの重傷を負っていただろうことも想像がついている。

 一目で助けてやりたい、と思える有様だし、それができないなら安らかに、一思いに介錯をしてやることだってやぶさかではない。

 だがしかし、あの巨大天使という化け物を前に、俺は黒竜を見て可能性を感じてしまった。

「この死に損ないに、無茶を言いよる……」

「無茶なことを頼んでいるのは分かっている。今この場で、出来る限りの治療はしよう。奴の元まで俺を運んでくれさえすれば、後は何とかする」

 第三の目から光線を撃ちまくる天使の様子から、竜騎士に俺を運んでもらうのは厳しいだろうと推測する。さらには取り巻きの天使騎士もどんどん増えているし。

暴君の鎧マクシミリアン』を着込んだ俺はかなりの重量で、飛行速度が落ちれば撃墜の危険性は跳ね上がる。

 だがこの黒竜なら俺くらいの重量などものともしないし、光線を一発二発当たったとしても耐えられる。あくまで、十全な状態ならばの話だが。

「今、アイツを倒さなければ恐らくアヴァロン中の人が死ぬ。奴を倒しさえすれば、俺は手を尽くしてお前を助けよう。王城にはネル、姫がいるはずだ。彼女なら、どんな深手でも癒せるだろう」

 すまんネル。完全に人任せだが、今すぐ思いつく治療方法はこれしかない。

 黒竜だって、死にたくはないはずだ。

 マリアベルに服従を強いられ、恨みの一つもあるだろう。

「可能性はある。奴に報いを受けさせ、お前も生き残るんだ」

「ふっ、可能性、か……」

 大きく溜息を吐くように息を漏らした黒竜は、その閉じられた瞼を僅かに開く。

 赤い目だ。しかし、今やその真紅の瞳には生気の輝きは消えかけている。

 本当に目も見えていないのだろう。焦点の合わない瞳が、ぼんやりと俺に向けられた。

「死の淵にいる妾を、今すぐ飛ばせる方法が、一つだけある。だがそれをすれば、そなたの身が耐えられるかどうか、保証はできぬ」

「なんだよ、魂でも捧げろっていうのか」

「否、捧げるのは妾の方よ。しかし、それを受け入れるに足る器がなければ」

「死ぬのか?」

「まずは魔力が吸い尽くされる。常人ならば、それで終わりよ」

 つまるところ、使い魔サーヴァントを使役する術の拡大版みたいなものか。

 基本的に使い魔というのは、自らの魔力を与えることで存在を維持している。精霊エレメンタル系統のモンスターなどは代表的で、魔力供給が途絶えればその時点で消滅してしまう。

 一般的な使い魔は動物や低ランクモンスターが多いので、術者の魔力は存在維持というより使役するために必要なコスト、あるいは力を与える余剰分、といった扱いになるが。

 広く普及している現代魔法モデルにおいての召喚術や契約術式は、術者と対象、双方に命の危険はないように魔力供給のリミッターなんかも組み込まれているのだが……黒竜の言い方からすると、そんな安全安心な設計ではないのだろう。

 モンスターの頂点に立つドラゴンを使役しようというのだ。どれだけの魔力供給を求められるか。

 さらにこの瀕死状態から復帰しようというのだから、通常時よりもさらに魔力量を要するだろう。並みの魔術師を十人揃えても、一瞬で干からびそうだ。

「大丈夫だ。俺は魔力量には自信があるからな」

「ただの考えなしでは、なさそうじゃな。覚悟は良いのか」

「ああ、頼む。お前の力が必要だ」

 だから、俺の魔力など幾らでも持っていけ。それだけで黒竜の助力を得られるのなら、安いものだ。

「よかろう、ならば『契約』じゃ。妾の名はベルクローゼン。そなたの名は」

「俺の名は————」




 暗い。暗い、ただ薄暗いだけの、広い空間だった。

 灰色の壁と太い金属の柱が乱立する、武骨な造り。というより、建設途中といったような有様。

 この色褪せたモノクロの風景は、きっと薄暗闇のせいだけではない。これは古い、とても古い光景を映したものだからだ。

「————姉上様!」

 不意に響き渡る、幼い少女の声音。

 子供の背丈の低い視点から、見上げるように背の高い女性達が映る。

 一様に長い黒髪をした、全身をマントで覆った彼女達は総勢12名。少女の呼びかけに応えることもなく、この広大な空間の奥、暗い闇の向こう側へ向けて歩みを進めていく。

「お待ちください、姉上様! どうか、どうか妾も共に!」

「なりません」

 一人が立ち止まり、振り返った。

 作られたような美しい顔立ち。白い肌と黒い髪、モノクロの世界にありながらも、彼女の瞳だけは真紅に輝いて見えた。

「何度も言ったでしょう、ベル。未熟な貴女では、戦力にはなりません」

「それでも、奴らの百や二百、道連れにしてやれます!」

「たとえ万を滅そうとも、あの軍勢の前では何の成果にもなりはしませんよ」

「くっ、それでは————」

 それでは、彼女達とて同じではないか。

 一騎当千の活躍を百度繰り返したとて、とても勝てる相手ではない。

 最早、勝敗は決している。故に、戦力の多寡は重要ではない。大切なのは、如何に死ぬか。それだけだった。

「この帝都アヴァロンは今夜中にも、全て灰燼に帰すでしょう。感じますか、ここに向かって来る強大な存在を。我らとは違う、本物の『龍』が来ます」

「ならば、妾も姉上様方と共に龍へ挑み、散るが本望にございます」

「ベル、なんて聞き分けの悪い子」

 咎めるような口調とは裏腹に、姉は、この小さな妹を抱きしめた。

 柔らかく、温かい安心感が広がって行く。けれど、幼い体を抱きしめるその腕は、微かに震えていた。

「今すぐ戻り、眠りなさい。これは『命令』です」

「むぐっ!?」

 命令の一言で、体は完全に制御を失う。

 如何なる感情も置き去りに、ただ命令を遂行するよう体は勝手に動き始める。

 それでも、ここが今生の別れと察し体に逆らう。今だけは精神が肉体を、僅かに凌駕する。

「栄えある帝国の翼。戦竜機ローゼンシリーズ最後の一騎、黒竜ベルクローゼン。生き残りなさい。貴女だけは、生き残るのです」

 ギギギ、と軋みを上げて体が強引に動く。

 姉の抱擁から解放された体が、一歩、また一歩と後ずさって行く。

「そして、遥かなる時を超えたその先で、貴女の、貴女だけの契約者を見つけなさい」

「ぐっ、うううぅ……姉上、様ぁ……」

「さすれば、我らの誇りは再び帝国の空を舞うでしょう。ベル、まだ小さき我らが妹よ。貴女が最後の希望。我らがただの兵器ではなく、人であったことを示す証」

「い、嫌じゃあ……妾を、一人にしないで……」

「貴女は生きて、使命を全うしなさい————さようなら、ベル」

 そう言い残し、再び背中を向けて姉は去って行く。

 敗北と死が約束された、最後の戦場へ姉達は揃って向かう。暗闇の彼方に、彼女達の姿が消えてゆくよりも前に、自分の体は反対側へと進み始めた。

 命令に屈して動き出した体を、もう心だけでは止められない。

「止まれぇ! 嫌じゃ嫌じゃ、妾だけ庇われて、生き残るような真似はしとうない!!」

 どうして、共に戦わせてくれない。

 どうして、一緒に死なせてくれない。

「使命など知らぬ、契約者などいらぬ! 妾はただ、姉上様と最後まで一緒に————」

 一緒にいられれば、それで良かった。何の悔いも、恐れもなく、死ねる。終われるはずだったのに。

 けれど、その慟哭もすぐに消える。

 僅かな浮遊感。自分がどこか高いところから落ちている、と感じた次の瞬間には、ザブーンという大きな水音と、生暖かい水底へ沈んでいく感覚を覚えた。

 急激に意識が遠のいてゆく。

 この孤独も、悲しみも、全てを置き去りにして————時が進む。

 果たして、どれだけの時間が進んだのか。

 目が覚めたのは、妙に外が騒がしかったからだ。

「————危険でございます! お下がりください、若様!」

「ええい、黙れ! 俺は絶対にこの娘を起こしてみせるぞ!」

「いや死んでるんじゃないの?」

「でも、ダンジョンの奥で眠っていた古代人が目覚めたって話、聞いたことあるわよ」

「ホムンクルス、だっけ。人造人間なんでしょ」

「それ古代人じゃなくて、ただの人形じゃん」

「何でもよい! とにかく、ここを開ける仕掛けがどこかにあるはずだ。お前ら、探せっ!!」

 人間、であった。

 複数人の男女が、水の中で揺蕩う自分の前で騒いでいた。

 不快に思うよりも、まず驚いた。

 本当に、人類は生き残ったのだと。帝国を、いやパンドラ全土を滅ぼした、あの恐ろしい災厄から、人々は生き延びることができたのだ。

 彼らは剣や弓を持ち、鎧兜で武装した中世の出で立ちをしている。歴史の展示品ではなく、実際に使いこんでいる品々だ。

 かつての文明が失われたことを、一目で理解できた。けれど、その方が安心だ。古き良き、剣と魔法の世界に生きている限り、かの災厄が現れることはないのだから。

「————そなたら、何者じゃ」

「しゃっ、喋ったぁあああああああああああああ!?」

「っていうか、起きてる?」

 目を開けて、彼らに問いかける。

 よほど驚きだったのか、こちらを無視してギャーギャーと大騒ぎを始めた。

 しばしの間騒いでから、ようやく落ち着いたのか、一人の青年が前へ出でる。

「我こそは、古の魔王ミア・エルロードが末裔、アヴァロン第一王子ネキア・ユリウス・エルロードである!!」

 どうやら、魔王ミアの伝説は後世にも伝わっているようだった。

 文明は滅んだが、災いの去った、太平の世だ。

 それを理解し、起きることとした。

 自分にとってはついさっきの出来事。けれど、現実の時間では何千年経ったか分からぬほど過去の話。姉の後を追うには、今更に過ぎた。

 自分に残されたのは、彼女達に託された使命のみ————契約者が現れるのを、待つ。

 しかし、黒竜ベルクローゼンと契約ができる者には、厳しい条件がある。

 魔王ミアの加護。そう現代においては呼ばれる、黒き神々と通じる力。

 戦竜機ローゼンシリーズ、と名付けられた当時最新、そして最後となったドラゴン型の生体兵器。彼女達に組み込まれたのは強力なドラゴンとしての肉体と能力だけでなく、あの時代にあっても未知の部分が多かった『加護』の力も含まれている。

 パンドラにおいて最強の神であり、エルロード帝国の信仰の象徴たる、魔王ミアの加護を求めるのは当然の事だった。そしてローゼンシリーズは奇跡的に、魔王の神に通じる力を宿すことに成功した。

 強力な兵器は同時に、完璧な制御も求められる。暴走、反逆、など決してあってはならない。

 そのための契約者システム。

 人間の、そして同じく魔王ミアの力を持つ者が契約者と成すことで、ローゼンシリーズはその身に秘めた真の力を発揮できるようになる。

 契約者もローゼンシリーズと同様の方法で、魔王の力を宿し、用意された。脆弱な人間の肉体に、強引に加護を引き出すような措置を施すのだ。山のような犠牲の果てに、ローゼンシリーズの契約者は、最後の一人ベルクローゼンを除き、全員分が揃った。

 果たして、彼らをまだ人間と呼べるのかどうか。正統に加護を授かったわけではなく、高度な魔法によって歪に神の力と繋げられた彼らは、半ば正気を失っていた。そして著しく寿命も短く、戦いを経るごとに肉体が崩壊していった。

 契約者は兵器を操る指揮官などではなく、兵器を動かすためのただの消耗品であった。

 けれどそんな彼らを、姉達は嘆き、憐み、そして愛していたようだ。

 契約者を得なかったベルクローゼンには、彼女達の気持ちは分からない。しかし、理解はしているつもりだ。

 兵器として刻まれた命令は、『生き残り』、『正当な契約者を探す』、の二つ。

「姉上様、なんという無茶を仰る……」

 アヴァロンの王子ネキアによって起こされた、この平和な時代で生きるのは簡単なことだった。

 だがしかし、契約者を得るのは不可能だとしか思えない。

 まず、古代文明として当時の魔法技術は失われた。あの廃人同然の契約者を仕立て上げることさえ、現代では不可能だった。

 そして何より、当時であってもついに発現、発見できなかったのが、正統に魔王の加護を授かった者である。

 どうやら現代においても魔王伝説は広く伝わり、魔王ミアの加護を得ることは大陸中の男の夢と呼ばれるほどであったが……やはり、授かった者は皆無だった。

 自称、ホラ吹き、勘違い、そのような者達ばかりが後を絶たない。

「魔王の加護を授かる者など、現れるはずがないではないか」

 叶うはずのない夢を託された。そう、恨み言を言いたくなる時もあった。

 けれど、愛する姉が自分に残した唯一の願いでもある。

 無碍にできるはずもない。これが自分の一生をかけてでも成さねばならない使命であると、覚悟も決めている。逆に、自分にあるのはこの使命しかないとも言えた。

 だがしかし、目覚めてから250年余り。

 無為な時を過ごしてきた。

 人同士の小競り合いしかない平和な時代。魔王の末裔を自称するアヴァロン王家と、のんびり過ごす時間は決して悪くはなかった。

 けれど、永遠に果たせる気のしない使命を抱えるせいで、虚しさばかりが過ぎ行く年と共に募っていく。このまま、いつか兵器としての稼働限界を迎えてしまえば————自分の生きた意味は、一体なんだったのか。

 恐ろしいほどの虚無が、ベルクローゼンの心を苛む。

 しかし、それももうお終いだ。

 自らの戦いの理由である災厄へ対抗するでもなく、つまらぬ人同士の争いに巻き込まれ、自分は今、命を落とそうとしていた。

 恥を忍んで数千年の時を超えて生き延び、250年もの間を無為に過ごした。生きる意味など、どこにもなかった。そう、ありのままに受け入れてしまえば、不思議と諦めがつくような気持ちだった。

 もしかすれば、自分はとっくに諦めていたのかもしれない。

 契約者は、魔王の加護を持つ者は、現れない。決して自分の前に現れたりはしない。奇跡は、起こらない。

 だからきっと、それはただの意地。

 死の淵に瀕した最後であれば、どこの誰とも知らぬ者と契約を交わしても良いだろう。

 その者に適性などあるはずもない。魔力どころか、生命力を根こそぎ奪われ果てるだけ。だが覚悟があると言うのなら、良いだろう。

 このベルクローゼンの契約者として、命知らずの愚か者、その名前だけは覚えておいてやろう。

「よかろう、ならば『契約』じゃ。妾の名はベルクローゼン。そなたの名は」

「俺の名は————クロノ」

「……んん?」

 ぼやけた視界が戻って来る。

 クロノ、と名乗った男の姿が徐々に、はっきりと浮かび上がって来た。

 それは、聞き覚えのある名であった。この空虚な心をも揺り動かすほどの、眉目秀麗な容姿の男であったことも、よく覚えている。

 同姓同名、ではないようだ。一度会ったきりだが、それでもあの時の男が、今まさに自分と契約に臨もうとしているのだとベルクローゼンは理解する。

「契約でも何でもしてやる。さぁ、俺の力、好きなだけ持っていけ!」

 ドクン、と心臓が大きく脈打つ。

 すっかり弱まった鼓動が、一拍ごとに蘇る。より強く、より速く。力が、漲る————漲りすぎている。

「なあっ、なんじゃ、この感覚はぁ……」

 双方の承認により、すでに契約システムは動き出した。

 鼻先に触れたクロノの手から、凄まじい勢いで力が流れ込んでくる。純粋なまでの黒色魔力。

 怒涛のように体中を巡る黒色魔力は、瞬く間に失われた体力を取り戻して行く。流れ出た血も、全身に走る傷跡も、全てが再生を始めた。

 力が戻る。復活————否、これは最早、新生だ。

 自分でも理解できない、大きな力が体の奥、あるいは魂の奥底から湧き上がってくるのを感じる。これが、契約者を得ることで解放される、真の黒竜の力なのか。

「あ、ありえん……この力は、まさか本物の加護を……」

 膨れ上がって行く巨大な力。死の気配は遥か遠くに掻き消え、快楽さえ感じるほどの全能感が体を支配してゆく。

 変わる。体が変わってゆく。それはまるで、何も知らない幼い少女から、身も心も大人の女へと変えられてしまうかのようで————

「そんな、ちょっと待て、聞いとらん、こんなに激しいのはっ! こっ、心の準備が、のわぁあああああああああああああああっ!!」

 悶えるような黒竜の咆哮が、アヴァロンの空に響き渡った。

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― 新着の感想 ―
何故かスクラップド・プリンセスを思い出す。
[良い点] 良かったねベルちゃん…(泣泣) 泣くわこんなん…
[一言] 七人の妃は揃ったのかな? 妖精 魔女 騎士 獣人 呪人 黒龍 天使
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