第847話 ルーンの執政官(1)
クロノが男爵領を解放した頃、リリィは船の上にいた。
自慢の古代兵器、天空戦艦シャングリラではなく、ごく普通の貨物船である。年季の入った木造船は、パンドラ大陸を西から中央まで大きく切り裂くように広がったレムリア海を突き進む。
天気は快晴。穏やかな波と、ほどよい風速。ルーンへと向かう航海は順調に進んでいる。
しかしながら、船を出すまでに少々手間取ってしまったため、日程はやや押され気味であった。なかなか乗れる船が見つからなかった、その原因は……
「せ、船長ぉ! 大変でヤンスぅ!!」
「ああん? うるせぇぞ、どうしたってんだよ」
「海賊ぅ! 海賊が出たでヤンスぅーっ!!」
見張り役の船員が上げる情けない叫びによって、俄かに船上は慌ただしくなった。
海賊。
読んで字の如く、海の賊である。主に商船などを襲い、金品や希少品を強奪、または船員乗員を人質にとり身代金を要求する、極悪非道な犯罪集団だ。
海のない妖精の森で過ごしていたリリィも、海賊の存在は本を読んで知ってはいたし、存在そのものも有名である。
だがしかし、現在この海域で海賊の活動が活発化したのは、ここ最近のことだ。
アヴァロンのセレーネからルーンへ向かう航路は、沢山の船が行き交う太い海上交易路として発達していた。利用量が多いからこそ航路の安全は保たれ、海賊がつけ入る隙はそうそうなかった。
しかしながら聖王ネロの即位により、ネオ・アヴァロンへと新たな十字教国家として新生した結果、これまで通りにルーン含む各国との貿易を行うことができなくなったのだ。
中部都市国家群を形成する大多数のレムリア沿岸の都市国家は、ネオ・アヴァロンを支持する人間中心の国であったが、当然そうではない他種族、複数種族で構成される国々も少なからず存在していた。それに人間の国家でありながらも、ルーンのように明確にネオ・アヴァロンの支持を表明していない中立国もある。
その結果、ネオ・アヴァロンとその同盟都市国家は、それ以外の国との貿易を急に打ち切ったのだ。
無論、打ち切られた方の国は抗議なり交渉なりを図るが、それらが受け入れられることは十字教の教義からしてありえない。彼らにとって魔族の国など、これから滅ぼす邪悪な敵国であって、決して対等な商売相手にはなりえないのだから。
そんな十字教の思想を理解するよりも前に、被害を被ったのは突然、取引を失った各国の船乗り達である。
突如として仕事を失い、行き場を失くし、けれども船を操る腕前だけは持っている、逞しい海の男達だ。あまりに理不尽な貿易停止措置を受けて、その怒りの矛先と、日々の生活の糧のために、海賊となるのは半ば当然の結果であった。
そして現在、中部都市国家群が囲むレムリア海は、にわかに増加した海賊が跳梁跋扈する危険な海域と化した。今やアヴァロン・ルーン間の大航路であっても、十分な護衛船団をつけなければ安心して渡れないような状況である。
そんな時に、一刻も早くルーンへ渡らなければならないのだ。
小人数で身分を隠しているため、金にあかせて十分な護衛船を雇うような目立つ真似はできない。密航というほどではないが、全員が乗り込める商船一隻のみで、ひっそりと渡るのが望ましい。
だがしかし、この状況下で護衛もナシにルーンまで単独で行ってくれる船を見つけるのは、非常に難航したのであった。
「ちいっ、言わんこっちゃねぇ、やっぱり海賊共が出やがったな」
如何にも海の男と言わんばかりの、浅黒い肌にガタイのいい強面中年男の船長が悪態をつく。
「おい、急いで引き返すぞ! テメェら、死ぬ気で漕ぎやがれ!!」
「ま、待ってくれ!」
船長の速やかな指示に船員が慌ただしく動き始めた中で、待ったをかけたのは乗員である商人の男————に変装しているアヴァロン王ミリアルドであった。
「こんなところで引き返してもらっては困る! 何としてでも、我々はルーンへ行かねばならぬのだ!」
「おいオッサン、船の上じゃあ船長である俺の指示に従うって、そういう契約だろうが。今更ガタガタ抜かすんじゃあねぇ!」
商船一隻だけでも船を出せると言う、ようやく見つけた船長であった。
彼は経験豊富であり、当然、ここ最近の危険は承知であったが、それでも今回の依頼を断れない理由があった。
金に困っていたのだ。
腕は確か、しかし金に困っている奴らをかき集めて、高い報酬で釣って無謀な航海に挑む。それなりの前金も払ってやれば、面子はすぐにでも集まった。
しかしながら、いくらロクでもない理由で身を持ち崩しつつある馬鹿野郎達とはいえ、船の上ではプロである。ただの商船一隻で、海賊の襲撃を撃退しようなどという無茶な判断はするはずがない。
魅力的な達成報酬だが、前金もあるし、何より命を落としては本末転倒。船長の逃げるという判断は、あまりにも当然の結果であった。
「た、頼む! 危険は承知だが、それでもルーンに辿り着かなければ我々の命運は————」
「ちっ、ホントにガメつい野郎だぜ、商人って奴はよぉ。命あっての物種って知らねぇのか?」
ミリアルド迫真の説得に、呆れたように溜息を吐く船長。
そりゃあ人生を賭けた商売に臨んでいるのだろうが、それの道連れにされるなど絶対に御免である。財産抱えて沈みたいなら、一人でやればいい。
こういうピンチになった時に、冷静に生き残るために行動できるか、パニックを起こして素っ頓狂な行動を起こすかで、その人の本質が分かるというものだ。その点、この商人男は全く現実を理解できない、馬鹿な野郎だと船長は判断した。
「これ以上騒ぐんなら、力づくでも大人しくさせてもらうぜ。海賊共が間近まで迫ってんだ、くれぐれも馬鹿な真似はするんじゃあねぇぞ」
これ以上コイツの戯言になど付き合ってられないと、なおも食い下がろうとするミリアルドを強く押し退けて、船長は舵を取った。
その瞬間、眩しい光が瞬き、
「どぉーん!!」
目を焼くような閃光が駆け抜け、鼓膜を破りそうな轟音が響き渡る。
肌に吹き付けるのは海風ではありえない灼熱で、轟々と吹き荒れる爆風と大波によって船体が大きく傾いた。
「うぉおおお! な、何が起こりやがったぁ!?」
何が起こったか、などというのは光が収まり再び視界が戻ってくれは、すぐに明らかとなった。
最初に目に入ったのは、妖精。
光り輝く二対の羽を生やした小さな女の子、商人の愛娘だというその子が船首に立っている姿だった。
そして、彼女が手を伸ばしている先にあるのが、沈みゆく海賊船。
この商船と同等のサイズを誇る中型艦で、海賊用に多少の武装と改造が施されている。沈めようと思えば、魔術師部隊が丸ごと一つ必要であろう。
そんな海賊船が、半壊していた。艦首の辺りに大穴が開いたようで、そこから大量に浸水するのは勿論、竜骨もやられてバキバキと前方部分が裂けつつあった。応急処置でどうにかなるレベルではないことは、素人目でも明らかだ。
すでに海賊達は慌てて海に飛び込んでおり、最早、商船を襲うどころではない混乱ぶりであった。
「もう、リリィは早くルーンに行かないといけないんだから、邪魔したらメッ! なんだよ」
船首に立つリリィは可愛く怒りながら、手にした全く可愛くない古代武器『スターデストロイヤー』を、もう一隻の海賊船へと向けた。
そして、船長は今度こそ目にした。
怒れる妖精姫の、輝かしい一撃を。
そして海賊船は沈んだ。
「なにやってるの、早く進んで?」
「あっ、はい」
船長は切りかけた舵を、元に戻した。
そうして、海の藻屑と化し、海賊船の残骸にしがみついて必死に助けの声を上げる海賊達が漂う中を、船は真っ直ぐ突き進んで行く。
ルーンへの航海は、順調そのものであった。
新陽の月21日。
ルーンの首都サンクレイン。
ここは大陸有数の巨大な港湾を備えた大都市でもある。レムリア海のど真ん中に浮かぶ島国として、古くより海上交易で栄えてきた成果と言えよう。
ネオ・アヴァロンによる貿易の混乱と海賊の跳梁跋扈という情勢にありながらも、サンクレインの大きな港は活気に満ちている。大量のコンテナを積み込む巨大貨物船から、大小さまざまな商船、そして海賊からそれらを守るための武装船の数々が浮かぶ。
そんな港の片隅で、ひっそりと一隻の中型商船が入港を果たした。
「とうちゃーく!」
船が接舷するよりも前に、マストの上から大ジャンプをして港に乗り込んだのは幼女リリィ。退屈な船旅がようやく終わり、うーん、と目いっぱいに手足と羽を伸ばす。
かくして、何事もなく平穏無事にリリィ一行はルーンへと辿り着いたのだった。
「お待ちしておりました、リリィ女王陛下」
お出迎えは、先んじてルーンへと送り込んでいたカーラマーラ使節団の団員達。面子は主にホムンクルスと、カーラマーラの元議員でルーンと繋がりのある者が選抜されている。
ここまで至ったならば、もうリリィ達が身分を隠す必要性もない。彼らは偉大なる女王のために気合の入った煌びやかな馬車でもって港へと乗り付けていた。
「まさか、本当にミリアルド陛下がいらっしゃるとは……ご無事で何よりにございます」
「うむ、大義である」
そして使節団とは別に、ルーン王宮からもアヴァロン王ミリアルドを迎えるための人員が手配されていた。代表の外交官はミリアルド本人と面識があるため、顔を合わせればそれだけで事足りる。
ルーン側もミリアルドが密航してやって来る、との情報は半信半疑だったのであろう。即座に王宮へと走り、事実であるとの連絡がされるだろう。
「両陛下におかれましては、まずはゆっくりと船旅での疲れを癒していただききたく————」
「時間がないの、今すぐよ」
使節団員の言葉を片手で制し、意識を切り替えたリリィはルーン外交官の方へと視線を向ける。
「かしこまりました。アヴァロン王ミリアルド陛下、パンデモニウム女王リリィ陛下。火急の事態であることを鑑み、ルーン王陛下もすぐに対応なさるでしょう」
国のトップ二人揃い踏みである。流石に待たせるわけにはいかないと、すぐに対応を約束してくれた。
そうして、昼過ぎという異例の早さで謁見へと至った。
流石はつい先日まで、現役アヴァロン国王だったミリアルドである。ルーン王宮においては、その顔を知らぬ者はいないし、ルーン国王本人も友誼を結ぶ間柄と、急な訪問にも関わらず非常に歓迎された。
どうやら、少なくともネオ・アヴァロンと組んでミリアルドの身柄を引き渡す腹づもりはなさそうだ。
「おお、ミリアルド王よ、よく来てくれた。アヴァロンは大変なことになってしまったようで、心配しておったのだ」
「久しいな、ハナウ王。国を追われるとは、誠に情けないことこの上ないが……」
「なに、まずは無事であることを素直に喜ばせてくれ」
ルーン王、ハナウ・ゴールドサン・ルーンは笑顔を浮かべて快くミリアルドを迎え入れた。
玉座の間はスパーダともアヴァロンとも様式が異なる、白い壁と朱色の柱、そして太陽の光を模したような独特の黄金装飾がなされている。観光気分でじっくり見渡したいところだが、今のリリィにはそんなつもりはない。
ひとまずミリアルド王を前面に立たせつつ、自分は最初の挨拶のみを済ませた後は、一歩下がって控えておく。
そして、玉座にあるハナウ王へとテレパシーを集中させる。
ルーン王ハナウは、齢70を数える老齢の国王だ。痩せ細った老人で、如何にも好々爺といった笑みを浮かべてミリアルドと言葉を交わしている。
レオンハルト王のように、特別に武勇に優れるとの評判はない。リリィの目に映るハナウ王は、やはりただの年老いた人間に見える。
この距離からでも、その心中を見透かすのは容易いと思った、次の瞬間である。
「……弾かれた?」
テレパシーが妨害されたのだ。
ハナウ王は、特に強力な精神防護がかかっているとは思えない。玉座に結界が展開されているわけでもない。
ならば、ここに同席している他の誰かが、テレパシーを察知して妨害したと見るべきだ。
リリィはちらと視線を左右に巡らせる。
玉座から一段下がった右隣には、ルーンの宰相が。それから左右に幾人かの大臣と官吏がおり、港で出迎えた外交官の姿もある。
あとは重厚な鎧兜に身を包み、不動の姿勢を貫く近衛騎士が立ち並んでいるが……
「そう、貴方が精神感応能力者ね」
すぐに見つかった。元より、隠すつもりもなかったのだろう。
リリィの視線の先に立つのは、大臣級と思しき立ち位置にいる、一人の男だった。
白に近い灰色の髪に、眼鏡をかけた整った顔立ちの青年である。背はスラりと高く、貴公子然とした風貌だが、その身は細く引き締まった戦う者の肉体だ。
一目で分かった。あの男は強い。恐らくは、王を守る近衛騎士達よりも。
「————うむ、それでは、後のことは全て宰相に任せるとしよう。ミリアルド王よ、どうか安心されよ、我々ルーンは必ずや貴方の味方となるだろう」
「ありがとう、ルーンの友好に最大限の感謝を。この恩は、いつか必ずお返ししよう」
ハナウ王との謁見は、そこで終了となった。
あくまで顔合わせの挨拶のみで、本格的な外交交渉は宰相と執り行われることとなり、玉座の間から出た後は、そのまま別室へと通される運びとなる。
そうして、いよいよアヴァロン解放の命運を握る、ルーンとの交渉が始まった。
リリィとミリアルドの対面につくのは、ルーンの宰相閣下と、もう一人。
玉座の間にて、リリィのテレパシーを弾いてみせた白髪眼鏡の青年であった。
「————私は第二執政官の、ソージロ・テオ・レッドウイングと申します」
一国の君主二人を前に傅く姿は、ケチのつけようがないほど礼儀作法に則った綺麗なものだが、膝を突きながらも、やはりこの男には一部の隙もない。リリィがいきなり『光矢』を誘導付きで撃っても、余裕で回避できるだろうと思えるほど。
しかしながら、気にするべきは彼の戦闘能力ではない。まずは二つ、確かめねばならないことがあった。
「貴方はもしかして、かの有名なレッドウイング伯爵家の者かしら」
「はい、その通りでございます。我が国には、他にレッドウイングを名乗る家はありませんので」
レッドウイング伯爵家の名前を聞いたのは、今ではもう随分と昔に思えるが、まだ神学校のオンボロ寮で暮らしていた頃である。イスキア古城でグリードゴアとスロウスギルを討ち取り、勲章授与されたり色々とあって落ち着いた後……フィオナがどこだかの大食い大会で優勝して貰ってきた景品が、50年以上前のレッドウイング伯爵が書き記した秘密の本であった。
そこでクロノはレッドウイング伯爵が、赤羽善一という同郷の人間であり、かつ実の姉と恋仲に会った男性であるという衝撃の事実を知ったのだ。
つまり、このソージロ・テオ・レッドウイングという青年は、この異世界で生を全うした赤羽善一の子孫ということになる。
「実は貴方も異邦人だったりするの?」
「いいえ。我が一族に異邦人は、後にも先にも、初代当主ゼンイチのみでしょう。ただ、異邦人風の名前を代々つけられるようにはなりましたが」
どうやら「ソージロ」という妙な響きの名前は、ゼンイチ以降のレッドウイング家独自の風習によってつけられただけのようだ。
かつてクロノから読み取った様々な異世界ニホン、彼の故郷の記憶を参照してみれば、より正確なニホン風の名前の発音も見当がつく。
「ソウジロウ、と呼んだ方がいいかしら」
「なんと、リリィ女王陛下は異邦人文化にもお詳しいとは。感服いたしました。ですが、ソージ、と呼びやすい名で呼んでいただければ。正確なニホン語の発音は、我々には少々、難しいですから」
伊達にニホン文化再現に生涯を賭けたゼンイチの子孫ではないようだ。レッドウイングの者は、一般的に知られているよりもずっと詳しく、正確にニホンの言語を含めて知っているようだった。
「ふふふ、貴方とは仲良くできそうだわ。私のクロノ魔王陛下も、異邦人なのだから」
リリィは席から立ち上がり、ソージロの前まで歩み寄った。
そして、その小さな右手を差し出す。
「……私如きにお手を差し出されるなど、恐れ多いことにございます」
「遠慮しなくていいのよ。貴方なら分かるでしょう、私のこの手をとることの意味が」
真っ白く、柔らかな幼児の手だ。
だがしかし、そこに恐ろしいまでの魔力とテレパシーが渦を巻くように迸っていることを、同じくテレパシー能力を持つソージが分からないはずもない。リリィがほんの少し加減を間違えれば、光り輝く大爆発を起こしかねないほどに、高密度の魔力が宿っている。
「ご期待をかけていただき、恐悦至極に存じます。それでは、失礼いたします————」
ソージはそっと、だが確かに、リリィの手をとった。
「……」
「……」
互いに無言。
手を握り合ったのは、僅か一拍の間のみ。表向きには、ただ握手を交わしただけに見えただろう。事実、ミリアルドにはリリィが何故いきなり握手をしだしたのか、理解不能であった。
しかし、すでに必要なことは伝わった。
そう、交渉はすでに、終わっている。
「————委細、承知いたしました」
ソージは立ち上がると一礼をして、隣に立つ宰相へと向き直った。
「宰相閣下、我らがルーンは、エルロード帝国と同盟を結び、速やかにアヴァロン解放作戦の掩護をすべきと具申いたします」