第846話 ミスリル鉱山(2)
戦況は一方的だった。ほぼ虐殺と言っても良い。
「はっはっは! 喰らいやがれぇ————『大断撃破』ぉ!!」
「がぁーっはっは! ぶっ飛べやぁ————『灼熱撃破』ぉ!!」
その先陣を切るのは、やはり『ウイングロード』のカイと『鉄鬼団』のグスタブだ。共にランク5冒険者にして、正統派なパワーファイターの二人は、ただの黒化剣では物足りないので、『大魔剣』用の黒化大剣を貸し出している。
屈辱の奴隷扱いを受けたこれまでの鬱憤を晴らすが如く、群がる敵兵を蹴散らして突き進む。
完璧な奇襲に加え、多くの奴隷達に剣一本とはいえ武器が行き渡り、一気に反乱を起こされたことで、アヴァロン兵達は全く対処ができていない。監視警戒のために散り散りになっている小部隊がそれぞれ袋叩きに合い、瞬く間に殲滅されていく。
単純な人数でいけば、こっちの方が上なのだ。鎮圧するには戦力を集結させて対応しなければならないが、いまだにそこまでの動きが相手にはない。
奴らが右往左往している内に、貴重な戦力をどんどん削らせてもらおう。
「お前らは俺について来い! このまま本丸まで行くぞ!」
「ワシらはこっちや。武器庫を解放しに行くで」
二人はただ自らの力を振るうだけでなく、しっかりと指揮系統を行き届かせていた。
今は奴隷とされているが、彼らとてつい先日まではガラハド要塞を守る立派な兵士達だ。いざ武器を手に、戦いが始まれば怖気ずつ者は一人もいはしない。カイとグスタブをトップとして、二つの部隊が迅速に動く。
武器を与えて決起させたはいいものの、上手く奴隷達を戦力として動員できるか、というのは大きな不安要素であったが、全くの杞憂に終わってしまった。魔王として、虐げられたスパーダ人を率いるんだ! と気合を入れてきたのだが、俺が何も言わなくても、みんなが最適に動いているので、指示することが特にない。
誇りあるスパーダ人達のせいで、俺の仕事がない。
「……掩護射撃は任せろー」
全員が剣一本の強制剣士装備なので、遠距離攻撃による掩護は俺にしかできない。なので、先陣切って敵に突撃するつもりで出しかけていた『首断』は戻して、『ザ・グリード』を撃つだけの軽作業に従事することにした。
「そんなワケで、こっちは順調だ。そっちはどうだ」
「正門の突破、完了。これより管理棟の制圧に向かいます」
本隊の方も攻略は順調のようだな。
俺とフィオナが単独行動なので、本隊を率いるのはサリエルの役目だ。通信役にはネネカをつかせており、すでにこちらの状況も迫力のライブ配信で確認できているだろう。
本隊は約150名の一個中隊だが、構成する人員は選び抜かれたホムンクルス兵に加えて、クリスが選抜した元アヴァロン騎士のレジスタンス、そしてエリウッド率いるブレイブハート隊員達である。ただの150人ではない。パンデモニウム、アヴァロン、スパーダの各精鋭を合わせた150人である。
フィオナがいなくても、古代兵器フル装備で来たウチの隊員がいれば砲撃能力は十分だ。本格的な要塞ではない、たかが採掘場の正門などランチャーの乱れ撃ちで瞬く間にぶち破れる。
そこにクリスとエリウッドがそれぞれの小隊を率いて突撃すれば、成す術もなく正門は抜ける。
「こっちも管理棟に向かっているところだ。合流してから、包囲しよう」
「了解」
通信終了。
目指すべき敵の本丸たる管理棟も、すでに目と鼻の先。迷うことなく、数千の奴隷を引き連れ進軍してゆく。
「よくぞ来た! スパーダの同胞達よ!」
「あれは、エリウッド中隊長じゃないか?」
「『ブレイブハート』がいるぞ!」
「がはは、勝ったな!」
伊達に最精鋭とは呼ばれていない、エリウッド率いる『ブレイブハート』の姿を見ると、スパーダ兵は一段と盛り上がる。心強い味方が本当に助けにきたのだと、信じられるだろう。
「流石に、ここは防御を固めたか」
「はい。このまま突撃するだけでは、被害が増えます」
本隊と合流し、管理棟を包囲した。まだ攻撃の号令は出さずに、お互いに睨み合う膠着状態となった。
簡易の櫓と防壁に囲われた管理棟は、小さな砦も同然の防衛力を発揮する。サリエルの言う通り、勢いに任せて突っ込むだけでは余計な損害を被るだろう。それでも落とすには落とせるが、こんな勝利確実な状況で死人を増やすのはよろしくない。
「————アヴァロン兵に継ぐ。速やかに投降しろ。お前らはすでに包囲されている」
よって、ここですべきなのは降伏勧告だろう。
戦いの趨勢はすでに決していることは、誰の目にも明らかだ。
ここで囚われていた奴隷は一人残らず決起し、解放した武器庫からジャンジャン装備品が供給され、最早、反乱奴隷ではなく一端のスパーダ兵へとその姿と誇りを取り戻している。
いくら砦のような管理棟に立て籠もったところで、こちらの攻勢に耐えられないと、ただの兵士にだって分かるだろう。
「投降すれば、命は保障しよう。勝敗はすでに決した。無駄な抵抗はやめて————」
「————ええい、黙れぇ! 我々は決して、魔族になど屈しはせぬ! 兵士達よ、悪魔の囁きに耳を貸してはならん!!」
癇癪を起したような、けたたましい叫び声を響き渡る。
管理棟には採掘場に広く声を届けるための拡声設備があるようだ。本来は事故とか起きた際に速やかに避難などを指示するための設備だろうが……今回は手っ取り早く兵に命令を伝えるために利用したということだ。
「私はアークライト公爵閣下より、このミスリル鉱山を直々に任された代官である! そして、敬虔な十字教徒として、司祭の位を持つ私を、決して神が見放すことはない! 勇敢なるアヴァロンの兵士達よ、信じるのだ! 今少しこの苦難を耐えれば、必ずや救いの手は指し伸ばされる!!」
自己紹介をどうも。
実に十字教らしい口上だが、兵を引き留めるにはあながち間違ったことは言っていない。籠城の基本は外からの援軍待ちだ。
自分達は絶対に味方から見放されない、必ず援軍が助けに駆けつけてくれる。そう信じさせることが、城を守る兵士達の士気に繋がる。
実際、男爵領最大の収入源であるミスリル鉱山を手放すことはないだろう。だがしかし、ここにいる奴ら如きを助けるためだけに、救援部隊を急いで編成して駆け付けてくれるかといえば、そうはならんだろう。
万が一そうなったとしても、今ここが奴隷の反乱により窮地に陥ったという情報そのものが、まだどこにも伝わっていないのだ。こっちが本気で攻めれば、こんな砦モドキなんて半日と経たずに陥落する。
どう頑張っても、コイツらはもう詰んでいる。気まぐれを起こしたアイかミサでも、フラっと現れない限りはな。チラッ。
「折れるつもりはなさそうだな。仕方ない、フィオナを呼んで『黄金太陽』でも落としてもらうか」
「こちらの被害を抑えるには、それが最善。ただし管理棟は崩壊する」
「また建て直せばいいさ。それくらいの被害は、スパイラルホーン男爵も許してくれるだろ」
人の命には代えられないからな。
そういうワケで、管理棟解体業者を呼んでいる間、しばらく待機ということで。
「死守だぁ! 絶対にここを守り抜くのだ!! 薄汚い魔族の奴隷如きに、我々がぁあああああああっ!? なっ、何をする、やめっ————」
拡声装置からがなり立てるように叫んでいた代官の檄が、突如として情けない悲鳴に変わった。
おっ、なんだ? 部下に反乱でも起こされたか?
まぁこの状況で徹底抗戦を命じられれば、そうなってもおかしくはないな、と思っていると、
「ぬわぁああああああああああああああああああああ————」
管理棟最上階の窓をガシャーンと割りながら、一人の男が絶叫を上げて落っこちて来る。
ちょっと派手めの白い法衣は、十字教司祭を示す装いに違いない。禿げ上がった頭に、でっぷりと肥え太った醜い体型は、なるほど、代官ではなく悪代官か、と納得できる風貌であった。
そんな悪代官司祭様は、重力の軛に囚われて数十メートルほどの自由落下を決めた後、グチャっと生々しい音を立てて地面へと叩きつけられた。
「やぁ、クロノくん、久しぶり。助けに来てくれるなんて、嬉しくて胸が張り裂けそうだよ」
「あれは……ファルキウスか」
耳障りな代官の叫びに変わって、爽やかなテノールボイスが拡声設備から発せられる。
俺を名指しで呼び、割れた窓辺に立って、にこやかに手を振っているのは、スパーダで知らぬ者はいない、人気ナンバー1の剣闘士ファルキウスであった。
彼もまた奴隷として囚われたらしい、と聞いてはいたが……どうやら、鉱山奴隷ではなく、美しく着飾って楽しむ愛玩用とされていたようだ。なにそのスケスケの修道服みたいなやつ。
ファルキウスの顔には煤汚れ一つなく、以前に会った時と変わらぬ輝くような美貌がそこにあった。
「今はもう魔王陛下、と呼んだ方がいいのかな。僕もスパーダの男として、微力ながら手伝わせてもらおうよ」
「ありがとう、ファルキウス。よく無事でいてくれた」
「さて、ここにはまだ指揮官級の人がいるのだけれど、あと何人落とせば、降伏する気になってくれるかな?」
どうやら、ファルキウスを愛玩用として囲っていたせいで、代官筆頭にお偉いさんが集う場所に居合わせていたようだ。
アホかコイツら。首輪も枷もかけずに、スパーダ最強の剣闘士を侍らせているなんて。ここの司令部は、最初から制圧されたも同然だったわけだ。
当たり前だが、二人目の奴が投げられそうになったタイミングで、魔王陛下の慈悲深い降伏勧告が受理されたのだった。
「————このクリストフ・ダムド・スパイラルホーン、窮地を救っていただいた御恩は一生、忘れはいたしませぬ」
「ううぅ……お父様ぁ! 本当に、無事で良がっだですわぁあああああああああああ!」
「おおおぉ、クリス!」
「お父様ぁ!!」
「クリスぅうううう!!」
父と娘、感動の再会である。
ミスリル鉱山を無事に解放した後、真っ直ぐ向かった先は男爵領の居城たるスパイラホーン家の屋敷である。
案の定、ここには男爵領を新たに任された人間の貴族が居座っていたが、奴隷からスパーダ兵へと戻り、戦力が拡充した俺達の強襲に耐えられるはずもなく、あっけなく陥落。
制圧した後に、ここの地下室に監禁されていたクリストフ以下、男爵一家を救出。クリスは無事に、家族と再会できたのであった。
大泣きに泣きながら喜び合った後、本題へと入らせてもらう。
「————無論、我らも辺境伯閣下の解放軍へと参加させていただきます」
クリストフ男爵は、一も二もなく協力を表明してくれた。そりゃあ、こんなメに遭えば聖王ネロを支持するわけもない。
しばしの間の監禁生活によって、元は髭の筋肉達磨といったドワーフの典型的な風貌だったに違いない男爵は、少々やつれたように見える。酷い拷問こそされてはいないようだが、鉱山奴隷と同等程度の扱いだったことは間違いない。
解放されたとはいえ、心も体も休まらぬ内に、自身の進退を決める話し合いをさせているのは申し訳ないが、こちらとしても一刻を争う状況だ。そして、それを理解した上で疲れた素振りを全く見せないのも、男爵という貴族の矜持というのを感じさせる。
立派な親父さんだな、クリス。
「とは言え、ご存知の通り、今の我が領はすっかり乱れております。家臣も騎士も散り散りとなっており、即座にまとまった戦力の提供は難しいでしょう」
「安心してくれ、ひとまずは男爵領の復興に集中してもらって構わない。解放したスパーダ兵の一部を、臨時の騎士団として守りにつかせよう。必要な物資も、辺境伯から送らせる」
「おお、そこまでしていただけるとは……重ねて、お礼を申し上げます」
「欲張った貴族が、ちょっかいをかけて来ないとは限らないからな」
ミスリル鉱山が奪還されたことを知ったアークライト公爵が、再び占領するためにまとまった兵を出すには、ある程度の時間がかかるだろう。
だが隣接する貴族は、これを好機と見てすぐに攻め込んできてもおかしくない。防衛力がボロボロになった男爵だけでは、数百ほどの小勢が相手でも防ぎきるのは困難だ。
魅力的な資源があるからこその問題だが、男爵一家が監禁されて生かされていたのも、ミスリル鉱山のお陰でもあったりする。これから運営するにあたって、男爵から聞きたい情報は山ほどあるだろうし、何なら家族を人質に協力させ続ける予定もあったかもしれない。自身がドワーフであり、長年、莫大な財をミスリル鉱山で成してきた男爵は、誰よりもここの開発運営に詳しいからな。魔族殺すべしの信仰心より、利用した方が儲かる、と判断を下す不心得者が来たのは幸いであった。
「俺達はすぐにでも、次の協力を求められそうな領地へ向かう」
「我が領を上げて歓待したいところですが、こんな状況下では致し方ありませんな。ご武運をお祈りいたします、魔王陛下」
「ああ、悪いがクリス……クリスティーナの力が必要だ。彼女はアヴァロンを解放するまで、俺達と行動を共にしてもらう」
「クリスは私の愛娘ではありますが、アヴァロンの騎士でもあります。この国難に際しては、身命を賭して戦うのが責務にございます。クリス、しっかり勤めて来なさい」
「はい、お父様!」
これでクリスも、何の憂いもなく解放戦に集中できるだろう。
しかしながら、今のアヴァロンではクリストフ男爵と似たような目に遭っている貴族は多い。そしてそれ以上に、スパーダ人奴隷が大量に存在している。
速やかに解放し、首都へ攻め込むにたる戦力を整えなければ。
幸い、今回でまとまった兵の数が揃った。カイにグスタブ、ファルキウスとエース級の者もいる。ここから先は、各領地を抑えている程度のアヴァロン軍など、正面突破で蹴散らせる。タイムアタックする勢いで行こう。
「————魔王様ぁー、準備できたわよー」
チカチカと羽を輝かせながら、疲れた表情でネネカが俺の下へ飛んで来た。
「ありがとな」
「これ毎回やるのぉ? 超メンドクサイんだけど」
「それが仕事だ」
「はぁ……なんか妖精の森に帰りたくなってきたなぁ。魔王軍やめて帰っちゃおっかなー」
「頼むよ、終わったらフルーツタルトやるから」
「蜂蜜酒もつけて」
「分かった分かった」
「絶対よ、約束したからね? そんじゃあ————通信機、起動!」
ブゥン、という妙に機械的な音を響かせて、ネネカが着地した足元に淡い緑に輝く魔法陣が描かれる。
これは通信機、正式には『試作型テレパシー増幅長距離通信装置』である。
外観はただの樽だ。本物のワイン樽であり、コックを捻れば実際に安物の赤ワインが出て来る。勿論、この見た目とワインも出るギミックは、全て持ち運ぶ際の偽装を前提としたものだ。
名前の通り、こいつの中身はテレパシーを増幅させて、より長距離に届かせるための魔法具である。製造は勿論、シモン率いる、魔導開発局。
パンデモニウムでは銃や機関銃などの主力武器の量産が始まり、スパーダから避難してきた職人たちなど、人手も充実しつつある。それらの指揮管理までシモンがやる必要はない。今の彼の主な仕事は、帝国軍で採用する新装備の開発、設計だ。
古代兵器を筆頭に、実用化に向けて研究を進めたいものは幾つもあるが、好奇心のままに全てに手を出していれば、ヒトモノカネ、そして何より時間が足りない。そこで俺とリリィが相談して、開発に優先順位をつけて依頼しておいた。
その中で最優先として作ってもらったのが、このテレパシー通信機である。
急なアヴァロン解放作戦の実施により、まだ試作型に過ぎないのだが、それでもなんとか実用に耐える、と持ってきたものだ。
構造としては、割と単純である。かつてアルザス防衛戦を行った時に、水晶を素材として臨時のテレパシー受信機として利用したが、基本はアレと同じ。
テレパシーと親和性の高い鉱石や魔石を、金に糸目をつけずにつぎ込んで、長話をしても砕け散らないほどにまで質を高めてある。
テレパシーを行使する妖精本人がいなければ、単に高価な結晶が入っているだけの宝石箱だが、妖精の頭数が揃っているのがウチの強みだ。
通信機とそれを使う妖精をワンセットで置いておけば、他の通信機とやり取りができる。また、通信機で増幅したテレパシーを放てるので、妖精ならばその情報を受信するだけなら生身でも可能。
そして現在、この通信機を設置してきた場所は、首都アヴァロンの『メイクラヴ・エンタープライズ』と、ヴィッセンドルフ辺境伯の屋敷の二か所である。
プルリエルは首都のレジスタンス代表として。ヴィッセンドルフ辺境伯は、これから結成することになる解放軍の盟主として。それぞれ今回のアヴァロン解放作戦の中心的な役割を担う。彼らの下に情報を集約させる体制にするのは当然だろう。
「————久しいな、クリストフ男爵」
「こ、これは、辺境伯閣下!」
室内には、ヴィッセンドルフ辺境伯の姿が投影されている。
通信機には、カーラマーラ大迷宮から多数産出される、タブレット端末のような古代のデバイスも搭載している。これによって声だけでなく、相手側の姿も映し出すことができるのだ。
ただでさえ無線も電話もない世界である。離れた相手と通信できる、というのを分かりやすく示すには、相手の姿も見えてなければ即座に理解してもらえない。
突然現れたヴィッセンドルフ辺境伯の姿に、男爵は慌てて礼をしていた。
「それじゃあ、後の詳しい話は二人で頼む」
「タルトとお酒、忘れないでよねー」
「分かってるって」
ネネカの執拗な催促に、苦笑いしながら俺はクリスと共にその場を退出した。
「————そうか」
珍しく、静かにカイはそう一言だけ呟いた。
それから、テーブルに置かれた杯を一気に煽って、大きく息を吐く。
「ありがとな、クロノ。スパーダを守ってくれて」
「守れた内には入らないさ。状況的には、ほとんど最悪に近い」
「なぁに、スパーダ人は気合と根性じゃパンドラ一だぜ。国が奪われたって、生きてさえいりゃあ必ず奪い返しに来る。だからシャルのことも、助けてくれてありがとう」
深々と、カイは頭を下げた。
俺は黙って、その肩を叩く。これ以上の言葉はいらないだろうから。
「カイ、力を貸してくれ」
「当たり前だ。俺を使えクロノ。いつでも最前線に突っ込んでやるぜ」
「やれやれ、僕のことも忘れないで欲しいんだけどな?」
「ファルキウス、お前の力も貸して欲しい。頼む」
「ふふ、魔王陛下の仰せのままに。そうだ、この機会に剣でも捧げて、正式に騎士にでもしてもらおうかな」
本気か冗談か、その麗しい笑顔で判別はつかない。
ミスリル鉱山を解放したその夜、友人として俺は二人を部屋へと招いた。積もる話も、といったところ。
急ぎはするが、即日に出発とはいかない。新しく部隊編成もしなければならないし、解放したスパーダ兵達にも休息は必要だ。一日だけだが、明日を休息日にしつつ、俺達の方で次の目的地へ向かう準備を整えるという段取り。
そんなわけで、クリストフ男爵とも話がついた後、個人的に二人と会って話をする機会を設けたのである。
ガラハド要塞が陥落した後、スパーダがどうなったか知りたいだろうし、俺は二人がこれまでどうしてきたかを詳しく聞きたかった。
ひとまず、俺の方は説明を終えたところだ。魔王を宣言して、スパーダから全面撤退し、今はエルロード帝国の建国を宣言して対十字軍に動き出し、その一環としてアヴァロン解放をすべくやって来たと。
「俺らの方は、特に話すようなこともねぇよ。捕虜んなって、奴隷として売られて、鞭打たれながらミスリル採掘だぜ」
すでに何杯目となるか分からないエールを自らジャブジャブ注ぎながら、カイは面白くなさそうに言う。
「でも、君はただの奴隷扱いではなかっただろう?」
「そりゃあ……まぁな」
痛いところを突かれた、とでも言うように顔をしかめて、カイは言葉を続けた。
「ネロに会った」
「俺に下れ、と言われたのか?」
「ああ。ふざけんなって断ったら、このザマよ」
「けど、その気になればいつでも解放されたんだろう」
「だからふざけんな、って話なんだろが」
苛立ちを酒で誤魔化すように、カイは再び一気飲み。
気持ちは分かる。カイも、ネロも。
ネロは使徒の力を手に入れたことで、何もかも自分に都合がよく動かそうとしている。だから、敵対することになったカイのことも、自分の下に戻って来るなら許そうとした。いや、許す、とは少し違うか。そもそも今のネロは、誰に敵対されても歯牙にもかけない。最強の力があるからな。
カイがスパーダ人として刃を向けても、ネロからすれば、友人が意地を張ってツンとしている、くらいの感覚でしか捉えていない。
カイは勿論、シャルとネルについても同様だろう。奴につかないことを選んだ者が、どれほどの覚悟と思いを抱いているか、まるで考えもせずに。
「ネロと相対するのは、まだ先になる。というか、すぐに戻ってこられたらマジで困る」
「大遠征、か……荒唐無稽、とも言えないのだろうね」
「クロノの魔王宣言を聞いて、キレちまったんだろ、どうせ」
「俺が魔王を名乗って、なんでネロがキレるんだ?」
むしろ、やはり邪悪な魔王を目指す野心家だったか、と自分の勘違い推理大当たりで喜ぶくらいかと思っていたが。
「ネロはガキの頃な、魔王目指してたんだよ。かなりマジで、な」
「そうなのか……でも、子供の頃の話だろ?」
「いやいや、クロノ君。子供の頃だからこそ、譲れない強い思いや、重い執着になるとこもあるんだよ」
むっ、そう言われれば、そうかもしれない。
子供の頃だから、ですっかり関心が薄れることもあれば、逆に子供の頃の興味がずっと続くこともある。一体、何がその人物の根幹を形成するものになるのかは、恐らくは本人さえも分からないことだろう。
「目指してた、ってことは、途中で諦めたってことだよな?」
「おう、ありゃあちょうど……ネロとネルが一緒に、神学校に留学してきた時だ」
それより以前に会った時のネロは、魔王というパンドラで最高の高みを目指すために努力を重ねていたという。
そもそも、カイが幼少の頃にネロと出会ったその時から、魔王を目指す強烈な向上心と天性の才能があったそうだ。
「俺がガキの頃は、今よりも輪をかけてバカだったからよ、ネロとやり合うのがとにかく楽しかっただけだ。だから、アイツがどんだけマジで力を磨いてきたかってのに気づいたのは、神学校で再会してからなんだよ」
カイは筋金入りの剣術バカで、実家のガルブレイズ家もとにかく剣術一筋といった教育方針だったそうで。英才教育と才能が合わさり、同年代でカイの相手ができる子がいない、というのは当然の結果だろう。
だからこそ、そんな自分を負かせるネロこそが親友たりえた。
「あの時のネロは、すっかりヤル気を失った無気力野郎でよ。シャルが無理やりにでも引っ張って冒険者させてなきゃ、どうなってたか分からねぇ」
「なるほどね。要するに、ネロ王子には留学する前の時期に『何か』があって魔王になることを諦めるような挫折を経験した、ということかい」
「その挫折ってのが何か、カイは知っているのか?」
「知ってたらもう言ってるぞ」
「あのプライドの高そうな王子様のことだ。自分の失敗経験なんて、決して他人には話さないだろうね」
「……そのせいで拗らせて、十字教に入れ込んでちゃ世話ないんだが」
「だから、いい加減にアイツは止めなくちゃならねぇんだ。これ以上、ネロがバカやらかすのは見ちゃいられねぇんだよ」
俺は、ネロとは大した交流はない。初対面から因縁をつけられては、結局それが解消されることなく険悪なまま、最終的には使徒という最悪の敵となってしまった。
けれど、カイにとってネロが親友であったことに変わりはない。彼を救う方法が、あるいは償う方法があるのなら、喜んでそれに付き合うだろう。
「シャルロットは、ネロが相手でも殺して見せると言って、帝国軍に志願した」
「ったく、出来もしねぇことを自信満々に言い張るのは相変わらずだな……シャルがやるくらいなら、俺がやるさ」
「悪いが、約束はできないぞ。使徒は殺せるチャンスがあれば、確実に仕留める」
「分かってる、ワガママは言わねぇ。誰がアイツを討ったとしても、恨みはねぇよ」
もう、ネロは取り返しのつかないところまで来てしまった。
初恋の少女も、親友の少年も、そしてきっと最愛の妹も、すでにネロを殺してでも止める覚悟を決めている。
ネロ、お前だけが、在りし日の思い出のままに戻れると思い込んでいるんだ。
哀れ、と言うべきかもしれない。
あの日、あの時、あの瞬間……ネロが使徒に覚醒さえしなければ、まだ元通りになれたかもしれなかった。俺に負けて無様を晒したとて、それで見放すような奴は、お前の周りには誰一人いなかったというのに。
「ネロとは必ず、決着をつける時が来る。それは俺の帝国軍と奴のネオ・アヴァロン軍、どちらも総力を結集した大決戦になるだろう」
「うん、分かってるよ、クロノ君。スパーダを取り戻せるのは、それに勝ってからじゃないと無理だというのはね」
「ネロは倒す。スパーダも取り戻す。上等だぜ、どんだけでも戦い抜いてやるよ。やっぱり、俺には剣を振って戦うことしかできねぇんだからな」
「ああ、二人とも頼りにさせてもらう」
これでルドラがいれば、『ブレイドマスター』も再結成できるんだけどな。
男の友情っていいものだな、としみじみ思わされた夜であった。