第844話 ヴィッセンドルフ辺境伯領(2)
辺境伯領の北限にある砦は、遥か昔からアスベル山脈より飛来する獰猛なハーピィ部族を撃退し続けた実績を誇っている。最初は小さな砦だったが、長い年月を経て増築に次ぐ増築によって、複雑な造りの要塞へと変化していった。
代々のヴィッセンドルフ当主が預かる歴史ある城なのだが、今ここに翻っているのは十字のシンボルが加わったネオ・アヴァロンの国旗である。
「はっはっは! まったく、楽な仕事だよな、おい」
「真面目に騎士やるのが、馬鹿みてぇだぜ」
「おいおい、真面目に騎士やってきたから、ようやくいい思いが出来るようになったんじゃあねぇかよ」
「違いねぇ。俺達の未来に!」
「白き神にぃ!」
乾杯、と城内の食堂にご機嫌な声が響き渡る。
ここにいるのは、今夜は非番の近衛騎士達である。
彼らは元々、逃亡したミリアルド王の捜索にヴィッセンドルフ辺境伯領までやってきた。王が逃げ込むには立場も立地も申し分ない有力な捜索場所のため、それなりの人数が投入されていた。絶対にウインダムへの亡命を阻止する、という理由も増員の大きな理由である。
そうして通常なら許されない一方的な国境封鎖に、辺境伯の屋敷を含む強制捜査なども行ったが……結局、ミリアルド王の発見には至らなかった。
しかし、それで彼らが解散することはなかった。
次に与えられた任務は、このまま国境封鎖と捜査を続行し、ヴィッセンドルフ辺境伯を監視し、圧力をかけること。
それは一刻も早い完全な十字教の統治を実現するため、他種族の貴族を排除するための下準備のようなものだ。
ヴィッセンドルフ辺境伯は有力貴族だが、エルフであるが故に、そう遠くない内に確実に始末される。そして、この広大な辺境伯領を誰が継ぐかといえば————
「これで俺達も、お貴族様の仲間入りだな」
「つっても、村一つくらいの小せぇ領地だろうが」
「構うもんかよ。そんだけでも十分に勝ち組。普通に騎士やってるだけじゃあ、一生手に入らねぇもんだぜ、領地なんてよ」
「そうそう、それに身の丈にあった大きさってのが一番なんだよ。いいじゃねぇか、片田舎で悠々自適のスローライフってな」
「なぁ、今の内から移民の魔族からカワイイ子見繕って確保しといた方がいいんじゃねぇか? 小さい村でも領主様だぜ、奴隷くらいは必要だろ」
「おっ、いいなソレ、今からこの城で飼っとくかぁ?」
ジョッキを満たすエールを煽りながら、バカ騒ぎに大笑い。約束された明るい未来が、何よりも彼らの気分を良くしてくれた。
急激な十字教政策は、数多くの他種族に不幸をもたらしたが、その一方で人間族は得をした者が多い。最初から十字教を信仰しておらずとも、昨日、今日、入信したばかりの者であっても、人間であるというだけで優遇するには十分な理由となる。
その代表的な例が、彼らであろう。
「本当に、十字教様様だぜ!」
「ああー、これぞ神のご加護ぉ」
辺境伯領の大半は人間の有力貴族達が分け合うことになるだろうが、近衛騎士達にも恩賞として多少の領地が与えられる予定だ。本来ありえない破格の報酬だが、配れるだけの土地のアテがあるならば、大盤振る舞いもできる。そうして利益を得た者達が、今後自分達を支える基盤にもなってゆく。
アヴァロンの『近衛騎士団』は、国においては最強の名を冠する栄誉ある騎士団である。その源流は『暗黒騎士フリーシア』が率いた近衛騎士団にあり、彼らもまたエルロード帝国において最強とされていた。
パンドラにおいてはこれ以上ないほど伝統と格式高い騎士団名であり、アヴァロンではそれに恥じない最精鋭を集めた騎士団だった。そう、過去形である。
今、ここでバカ騒ぎしている連中は、正規の近衛騎士ではない。魔族排斥を急激に推し進めた結果、人間以外の近衛騎士も当然、辞めさせられることとなる。国王直属であるが故に、真っ先に首を切られた。
すると当然、定員割れとなる。新たに採用するにしても、人間限定。近衛騎士になれるほどの精鋭かつ人間族限定となると、今までよりはずっと数が絞られる。
最終的には、適当な騎士団からそれなりの連中を引き抜き、最低限の数合わせとする措置が取られることに。近衛騎士の質の低下は国王の威厳に関わることだが、ネロは配下の力そのものにさして期待もしていなければ、興味もない。そうして首都には、数こそ維持しているが戦力は半減した『近衛騎士団』だけが残された。
もっとも、質は下がっても人間のみで構成され、命令には忠実に従う便利な手駒である。そうして彼らはヴィッセンドルフ辺境伯領へと派遣され、近衛騎士に成り上がったばかりで、今度はこの仕事が成功すれば憧れの領主へ、と夢のようなサクセスストーリーの最中にあることに酔いしれていた。
今夜までは。
「————おい、なんか魔族共が暴れてるみてぇだぞ! 急いで出撃だ!」
「はぁ、またかよ……ゴネたってどうにもならねぇってのに、懲りねぇ奴らだな」
「俺ら今夜は非番だぜ?」
「うるせぇよ、正門前まで奴ら大挙して来て、大声で文句を叫んでやがる。こっちも数揃えていかねぇと、下手に暴走されたら面倒だろが」
「ちっ、仕方ねぇな」
「これも夢のスローライフのためよ」
「だな。おい、行くぞお前ら、さっさと魔族共を鎮圧して、飲みなおすぞ!」
「————これで全員か?」
「はい」
答えるサリエルは、帝国軍の黒い軍装姿。
返り血の一つもついておらず、執務室に立っていても問題ないほどの綺麗な状態を保っている。
汚れがつくほどの戦いですらなかったことの証。軍装を着ている内は、まだ余裕だ。本気になったサリエルは脱ぐからな。
「なんか、えらい弱い近衛騎士だったな……」
評判としては、『近衛騎士団』はアヴァロン最強の騎士団という触れ込みのはずなんだが。
俺達は夜明け寸前の時間帯に、北の国境線にある砦へ奇襲を仕掛けた。
ここは本来、ヴィッセンドルフ辺境伯の城である。隅から隅まで構造は把握しているし、つい最近ここを根城にし始めた奴らでは、知らない隠し通路なども存在している。地の利があるのは、城に籠っている奴らの方ではなく、こちら側ということだ。
秘密の隠し通路から内部へ潜入し、増築によって複雑化した広い砦内を、完全に把握している本来の守備兵に案内させて、一気に仕掛けた。
俺達に加えて、ヴィッセンドルフ辺境伯も手勢を率いてきている。数の上でも互角で、完全に不意をつけるのだから、あっけないほど簡単に制圧が完了。
いくら綺麗に奇襲が決まったにしても、あまりにも敵が弱かったのも大きな理由だ。これ普通に正面突破しても余裕だったのでは。
「恐らく、彼らは最近追加されたばかりの補充要員。『近衛騎士団』の中核戦力は、首都の守りについている」
「なるほど、本番はまだまだこれから、ということか」
今回の目的は勿論、この辺境伯領を我が物顔で横行している近衛騎士の排除である。これから反乱しようっていうのに、それなりにまとまった敵戦力を抱えていては、動き様がない。邪魔だから片付ける、当然だ。
勿論コイツらを始末すれば、すぐにでも首都へ「辺境伯に叛意アリ」と伝わるだろう。多少の時間稼ぎの偽装工作くらいはするが、派遣した近衛騎士丸ごと消えれば誤魔化すのも限度がある。
こうして奴らに手を出した以上、もう後には退けない状況になったということだ。つまり、ヴィッセンドルフ辺境伯も覚悟を決めて、俺の話に乗ったということである。
さて、そんな辺境伯本人はというと、
「ぁああああああああああああああ! 良がっだぁ、良がっだねぇ、ミリアたん、ようやく君を使いこなせるご主人様にぃ、出会えだんだねぇえええええ!!」
「すみません辺境伯、ちょっと離れてくれませんか」
「んほぉー、やっぱこの『暴君の鎧』堪りませんわぁー」
「クリス、お前も離れろ」
俺は今、戦闘直後で『暴君の鎧』を着込んだ完全武装の姿で、ヴィッセンドルフ辺境伯と竜騎士クリス(騎竜ナシ)の二人に挟まれるように抱き着かれている。正確には、俺ではなく呪いの鎧たるミリアを、なのだが。
「ごめんねぇ……私じゃ君を使ってあげられなくて、ごめんねぇえええ!」
「ああ、良いのですヴィッセンドルフ卿。今、ミリアさんはこうして、最高の主に出会えたのですから」
「うん!」
などと、感動のあまりに滂沱の涙を流しつつ、完全に語彙力消失しているヴィッセンドルフ辺境伯である。すでに初対面の印象である、知的クールなイケメンエルフおじ様の面影はどこにもない。完全に拗らせたヘヴィなオタだ。
どうしてこんな無様な有様に、と言えば、ヴィッセンドルフ辺境伯は何を隠そう、重度の呪いの武器マニアだからである。スパーダのモルドレッド、アヴァロンのヴィッセンドルフ、とその界隈では有名らしい。嫌な業界だな……
そして実は、『暴君の鎧』の以前の所有者が辺境伯だったのだ。
もう二年ほど前になるが、すでに十字教の暗躍が始まっており、呪いの武器の所有者に対して露骨に厳しくなってきたそうで。このままでは最高のコレクションである『暴君の鎧』を強制的に没収されて、破壊されかねない、と危惧した辺境伯は、気に食わないが一番のライバルにして信頼できるコレクターとして、モルドレッドに売った。それはもう悔しくて、毎晩枕を涙で濡らしては、手放したことを後悔しない日はなかったと言うが……今日、晴れて再会の時となったのであった。
「動いて戦う『暴君の鎧』の姿が見れるなんて……感無量だ。あの時、私が手放したのも、全ては運命だったのだな!」
「その通りですわ! 『暴君の鎧』はこれから、魔王愛用の鎧として、新たな伝説となってくのですわぁー」
「ああぁー、イイ、イイぞぉこれ! 私が絶対、ミリアを新しい魔王伝説としてパンドラの歴史に刻み込んでやるんだ! 全力で推せるぅ!!」
「……サリエル、これ何とかならない?」
「呪いの武器は、人を狂わせるもの。仕方がない」
「この狂い方は違うくない?」
俺も一人のオタとして、大好きなモノに熱狂する気持ちは分かる。決して使い手など現れない、と思われていた最大級に危険な呪いの鎧である『暴君の鎧』を装備できる俺の存在は、奇跡のようなものなのだろう。
感覚としては、自分は大好きなドマイナー作品が、時を越えて高クオリティでアニメ化した、みたいな嬉しさなのだろう。あのキャラが動いて喋る姿を見られるだけで感涙、みたいな。
ともかくそんな感じの奇跡によって、図らずともヴィッセンドルフ辺境伯の覚悟が決まったようだ。彼はこれからも、間違いなく俺を支持してくれる。『暴君の鎧』を着続けている限り。
「すまん、ちょっとこれ長引きそうだから、後のことはサリエルとセリスに頼む」
「はい」
「どうぞお任せを」
こういう時、嫌な顔一つせずに了解してくれる二人は、理想の部下だと思う。サリエルもセリスも、どっちも生真面目だし。銀髪だし。結構良いコンビではないだろうか。
新陽の月18日。
とにかく時間がないので、急いで俺達は動き出している。
ヴィッセンドルフ辺境伯は近隣の他種族貴族達へと、ミリアルド王の檄文と共に協力を呼び掛けると同時に、ウインダムへと交渉の使者も送り出した。
ウインダムとは早々に話をつけて、首都攻略の時に支援してもらえないと意味がないので、交渉には全権を委任して、ヴィッセンドルフ辺境伯の息子が任命されている。次期辺境伯として、向こうともすでに顔は見知っているそうなので、領地割譲という破格の好条件も本気だと信じてもらえるだろう。
貴族達への協力呼びかけには、セリスも送ることになった。
彼女はアークライト公爵令嬢でありながら、ミリアルド王を連れて逃げ出した重罪人として広く周知されている。逆に言えば、間違いなくミリアルド王から勅命を受けられる人物でもある。
檄文を携えて来る使者役としては、これほど説得力のある人物もいない。
一方、移民の数は日に日に増えていくが、国境の封鎖は継続することになった。
近衛騎士達の目的の第一は、ミリアルド王の亡命阻止。魔族が移民となって出ていくのを止める理由そのものはない。ないのだが、魔族の望みをわざわざ叶えてやる気もない。
大半の移民は国境封鎖で足止めされ、奴らは法外な通行料という名の賄賂を支払った者だけを通していたようだ。払える者は払って出て行けるが、そうでない方が大半である。それでも無理に支払うために、身ぐるみ剥いだり、妻や娘を代金代わりに、なんてことも横行していた。
すでに出て行った者を呼び戻すことはできないが、今ここに留まっている者達には、そのまま待っていて欲しい。アヴァロン解放が成功すれば、彼らは再び住む場所を得られる。出てきた故郷に帰ってもいいし、また別な場所に居住しても問題ない。
一度、移民となってしまった以上、元の生活にはそう簡単には戻れないが、最悪あぶれた者はパンデモニウムに送れば収容できる。リリィ女王陛下、お願いします。
ともかく、それはまだ少し先の話になってしまうので、当面の間は移民達を支援しながら留めることになる。こういう時、資金面で不安がないのはホントに助かるな。
アヴァロン解放は短期決戦だ。その間だけ持てばいい。手持ちの資金だけで、彼らをひとまず食わせておくには十分だ。支払いは俺に任せろ!
「さて、俺達もそろそろ行くとするか」
次の目標は、スパイラルホーン男爵領のミスリル鉱山にいるスパーダ人奴隷の解放だ。
北にある辺境伯領から、南西に下ると男爵領へと至る。2日ほどの日程を見ている。
現在の男爵領は、随分と混沌とした状況らしい。アヴァロン最大のミスリル鉱山を巡って、王家直轄とすべく近衛騎士を中心とした一団が派遣され、男爵家と鉱山を制圧した。その一方で、近隣の貴族も出張って来て、少しでもミスリルの鉱脈にありつこうと好き勝手なところに陣取っては領有権の言い合い。お仲間同士で一触即発になりつつ、自前で鉱山開発も進めているようだ。
俺達がついた頃には、小競り合いなんかも起こっているかもしれないな。
そんな不安定な統治下にあるそうだが、やはりミスリル鉱山そのものは厳重に管理されている。元々は男爵が雇っていた鉱夫が採掘作業の中心で、鉱山奴隷は少々といった構成だったところが、スパーダ人奴隷大量流入によって構成比は逆転。
奴隷管理のために、多数の兵士が監視についている。今や採掘場は、ちょっとした砦のように厳重な警備が敷かれているらしい。
恐らく先日落とした国境の砦よりも、兵力は豊富だろう。長年に渡って採掘を続けてきた鉱山は広大で、少数で攻めるには尚更に不利な地形だ。
しかしながら、地理情報そのものは詳細に分かっている。
クリスは男爵令嬢として、最大の稼ぎ頭であるミスリル鉱山は何度も足を運んだ現場だ。通常の作業員では立ち入らない施設まで含めて、その配置もよく知っている。
勿論、男爵領出身の移民もここには沢山いるし、中には鉱山で働いていたドワーフもいた。彼らが長年働き続けていた仕事場である。複雑に入り組んだ坑道の端々まで、しっかりと覚えていた。
鉱山は広いからこそ、潜入する隙は必ずある。
「これより、スパイラルホーン男爵領へ向かう」
俺は準備完了で立ち並んでいる兵へと語り掛ける。
元から連れてきた重騎兵隊の他に、クリスが選抜してきたレジスタンスの兵士。そして、バクスター総会から救出した、エリウッド率いる『ブレイブハート』隊員。
総員でおよそ150名。ちょうど中隊規模である。
「そこで数多のスパーダ人が、同胞が囚われている。ガラハド要塞を守るはずだった兵士達だ」
彼らは敗北者。
敗残兵の末路として、奴隷落ちなどありふれたもの。
しかし、だからといってそれを受け入れられる者などいはしない。
「今やスパーダは十字軍の手に落ちた。だがお前達は、そして彼らは、まだ生きている。生きているなら、諦めるな」
俺達は戦える。全て失ったとて、絶望などしてはいられない。
俺はそうして、ここまでやって来たのだから。
「仲間を助けろ。同胞を救え。スパーダの誇りを取り戻せ————俺達の戦いは、ここから始まるのだ」
ウォオオオオオオオオオオオオオオッ!!
高らかに上がる鯨波。たかが150人。されど、その150人は国を奪われた屈辱を晴らすべく、奮起した戦士達である。
士気は十分、意気軒高。
「さぁ、行くぞ。出撃!」