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黒の魔王  作者: 菱影代理
第40章:蘇る帝国
840/1047

第834話 魔導開発局

 そこは、広々とした執務室————だった。

 重厚な執務机の上には山ほどの書類が積まれているだけでなく、殴り書きのメモの束や書きかけの図面なども散乱している。書類のサインに使う以上の筆記用具に、細々とした魔法具マジックアイテム、さらには古代遺跡の小さな石板型デバイスであるタブレットも複数枚、置かれている。

 混沌とした有様は机の上に留まらず、相応の広さを備えた室内には、大量の技術書と魔導書が詰め込まれた巨大な本棚が両側から圧迫してくる。備え付けられていた小洒落たインテリアは早々に撤去され、空いたスペースにはガラクタのような機械部品の塊に、木箱や厳重に封された鋼鉄のコンテナをはじめとした各種の資材なども積まれている。

 かろうじて開けていると言えるのは、来客用の机とソファくらいであろう。

 最早、執務室としての機能を果たしていないこの部屋は『魔導開発局 局長室』と表には書かれていた。

「————失礼いたします、シモン局長」

「あ、シークさん、どうしたの」

 机の書類の山から、この部屋の主たる局長のシモンがひょこっと顔を出す。

 シーク、とクロノ直々に名付けられたホムンクルスF-0049は、スパーダで活動していた頃からシモンと共に働いていたので、現在でもそのまま彼の下についている。本来は『暗黒騎士団』のサリエル歩兵隊の一員なので、帝国軍としての階級も持っているが、平時ではもっぱらシモンの秘書であった。服装は相変わらずのメイド服であるが。

「来客でございます」

「ええー、今日は特にそういう予定なかったはずだけど」

「ソフィア・シリウス・パーシファル様です」

「ソフィさんか」

 何の用だろう、とは思うものの、わざわざ彼女が訪ねてきたのならば、断る理由はない。

 主の了解が出たので、シークは一礼して下がる。すぐに、再びのノックと共に扉が開かれた。

「久しぶりだね、シモン。スパーダから撤退して以来になる、かな」

「そうですね。お元気そうで何よりです」

「もっと早く顔を見に来たかったのだがな」

「しょうがないですよ、お互い色々と忙しかったですから」

 唯一の空きスペースたるソファに座り、ひとまずは無難な挨拶から始まった。

 ソフィアはスパーダ四大貴族の一角、パーシファル家の当主であり、クロノとシモンも通った王立スパーダ神学校の理事長だ。本来なら雲の上の人であるのだが、何の因果か身分を隠し冒険者としてシモンと組んで第五次ガラハド戦争に参加したりと、なんだかんだ個人的な付き合いが深い女性である。

 妙齢のダークエルフの美女であるソフィアは、正体を隠す必要もないので、その美しい素顔と艶めかしい褐色の肌を惜しげもなく晒している。露出度高めな白スーツを纏う女性的な魅力に満ちたその体は、ガラハド戦争にスパーダ防衛戦と共に戦い抜いた今になっても、少々目のやり場に困るほどであった。

「確かに、こちらに来てから色々あったからね。けれど、ようやく落ち着いたといったところか、君も私も。ああ、まずは魔導開発局長の就任おめでとう」

「ありがとうございます。大袈裟な肩書きですけどね」

 帝国軍創設と並行し、エルロード帝国の行政機関も順次設立されてゆき、いよいよ本格的な国家運営が始まった。

 魔導開発局は、設立された中央省庁の一つである。

 読んで字の如く、魔法技術の開発全般に関わる。より具体的に言えば、帝国軍で使用される装備の開発と製造、そして古代魔法の研究だ。

 前者は『帝国工廠』、後者は『古代魔法研究所』、とそれぞれ分かれて魔導開発局の下に置かれる形となっている。

「そんなことはないさ。それから、『アンチクロス』入りも祝ってあげた方がいいのかな」

「やめてくださいよ……というか、そっちの方も知られているんですか?」

「魔王陛下が直々に選抜した、最強の特殊部隊というではないか。帝国軍人が目指すべき頂点でもあるからね、そりゃあ話題にもなるだろう」

「うわぁ……」

 序列最下位、とは言え、『エレメントマスター』と肩を並べるメンバーに選ばれたのは、光栄と思うよりは、余計なプレッシャーの方が遥かに大きい。クロノが是が非でも、と言うから了承する他はなかったし、やることは今までと変わりはないので、問題はないのだが。

 けれど事情を知らない者に、最強部隊にいるんだからさぞや強いのだろう、と勘違いされたり、因縁とかつけられたら嫌だなぁ、とシモンは思っていた。

「僕よりソフィさんが入った方がよくないですか」

「勿論、いざとなれば戦うこともやぶさかではないが、私には他に任された仕事もあるからね。ありがたいことだよ」

「ソフィさんは、新しい学校の理事長になるんでしたっけ? あと帝国軍の魔術師教導隊もやるとか」

「嬉しいね、私のことを知っていてくれるなんて」

「前にリリィさんが教えてくれたので」

 シモンの下には定期的にクロノもリリィも、あるいは二人一緒に訪ねて来ることもある。主に仕事ではあるが、プライベートでも暇を見ては食事をしたり。

 特にクロノはシモンが過酷なブラック労働をしないよう配慮しており、リリィもその意向を受けて、以前よりは仕事の割り振りが減ったような気がしないでもない。

 日々加速度的に積み上げられていく新たな仕事ばかりだが、それでも実質的な秘書役のシークが、クロノ直々の命によって無理のない労働時間をマネジメントさせているので、体調的には問題がない。長時間残業は禁止。ただし、本人がやりたくてやっているのは残業ではなく趣味なのでOK。

「かなり大きい学校にすると聞きましたけど」

「ああ、神学校のような教育機関を作りたい、という話でね。私の他にも適役はいるかと思ったのだが、どうやらカーラマーラでは学校制度そのものがないようだ」

 スパーダの神学校、アヴァロンの帝国学園、などそれなりの国家規模となれば、そこを代表する大きな学校を持つ場合が多い。カーラマーラの人口と経済規模であれば、神学校にも劣らない立派な学園が存在していて然るべきだが、そこは大商人による合議制の弊害か、目に見えて儲かることはない学校教育に力を入れられることはなかった。

 読み書き計算をはじめとした教育は、基本的にはそれぞれの商人が自前で行ったり、家庭教師を雇ったり、あとは私塾のような形で行われていた。まとまった学校こそ存在しないものの、商売の都市であるためか基礎知識を教えられる者は多く、カーラマーラの識字率はそれなりに高い。単純な足し算引き算も同様である。

 しかしながら、エルロード帝国という国家が誕生したことで、統一された学校教育が求められた。端的に言えば、帝国を支える人材育成をする機関が必要なのだ。

「神学校はお兄さんもリリィさんも通ったところだし、モデルにするなら当然だよね」

「ひとまずは、同じようにして欲しいと言われているよ」

 パンドラにおいて王立スパーダ神学校は先進的な教育機関である。現時点では、これ以上はないだろうというほど洗練された教育システムが確立されており、採用しない理由はない。

 まして、神学校を運営していた人物がいるならば、そのまま任せてしまうのが最も手っ取り早い。

「ソフィさんが理事長をしてくれるなら、こっちは普通の学校になりそうで安心するよ」

「まるで、普通ではない学校があるかのような物言いだね?」

「そんなのあるわけないじゃないですか」

「南の端にある、自由学園というのは」

「……知ってたんですか?」

「存在はね。だが、あまり詳しくは」

「詳しく知らない方がいいですよ。あそこの管轄は文部省じゃなくて帝国軍だから」

 本格的な教育制度の実施に伴い、文部省が設立されている。ソフィがこれから任される学校も、これから帝国で運営される全ての学校も、ここの管轄となる。

 しかし、元カーラマーラ大監獄、現自由学園は、そもそも教育機関ではないので管轄外とされている。

 もっとも、真っ当な教育を担当する文部省であっても、担当大臣含め職員の9割はホムンクルスが割り当てられているので、リリィ女王陛下のご意向が100%反映される体制となっているが。

「パンデモニウムの支配体制を見るに、おおよその察しはついているが……私とて、竜の尾を踏む様な愚かな真似はしないよ」

「その方が身のためですね。お兄さんのことだから、帝国でもちゃんと学校教育をしていきたいって思っているだろうから、ソフィさんはただ理事長やる以上に忙しくなると思うよ」

「魔術師教導隊もあるし、すでに忙しいのだけれどね」

 ソフィアはスパーダでも高名なランク5冒険者でもある。氷魔術師の最高峰とも呼べる実力者だ。

 帝国軍ではパンドラ初の銃火器を主武装とした軍隊となるが、従来通りの魔術師部隊の存在も必要となる。おおよそランク3を超える実力の魔術師となれば、ライフルを撃つよりも魔法を行使した方が遥かに強くなってくる。

 強大な魔法を扱う、高位魔術師の育成も帝国軍では必要だ。その教育役としてソフィアが抜擢されるのは、実力と経歴からして半ば必然ともいえた。

「仕方ないよ、帝国はまだまだ信頼できる人の人材不足だから」

「働き甲斐がある、と今は思っておこう。しかし、魔王陛下がなかなかに教育熱心であられるのも事実だ。義務教育制度の創設もすでに検討されている」

「リリィさんからは、まだ早いって止められていたけどね」

「だが非常に先進的な考えだ。これから帝国が版図を広げていくならば、異なる文化圏の国を幾つも取り込むこととなるだろう。そうなった時、宗教ではなく教育によって、統一された意識を作り出すのは、有効な手法だと私は思っている」

 すでにしてカーラマーラとアトラス周辺国とでは、同じ大砂漠にあっても生活様式や文化には様々な点で違いがある。高層建築の立ち並ぶパンデモニウムの大都市で生活する者と、いまだに砂の海を泳いで獲物を獲って暮らす砂漠辺境のワニ型リザードマンが、同じ生活様式のはずがない。

 文化、宗教、種族特性、それらを差し引いても人々の意識の違いは大きく、また多岐に渡る。ところ変われば、常識もまた変わるのだ。

 しかしながら、どんな場所でも全く同じ内容の教育がされればどうか。単純な読み書き計算だけでなく、軍隊同様の集団行動なども教え込むことができれば、どこの出身者であろうと合図一つで整列も行進も可能となるであろう。

「なるほど……やっぱり異邦人の知識って進んでるよ」

「しかし、私よりも君の方がよほど忙しいのではないか?」

「大丈夫ですよ、最近は本当に落ち着いたから。特に帝国工廠の方は丸投げだし」

 帝国工廠は大迷宮第三階層『工業区ファクトリア』にリリィが用意した、大規模な生産工場群から発足された、国有企業である。また、議員に名を連ねる大商人達が保有するカーラマーラの工場や鍛冶工房などは、全ての権利がパンデモニウムの女王陛下に『献上』されている。

 女王が権利を持つ『工業区ファクトリア』とカーラマーラの工場、全てを合わせて帝国工廠として一括した管理運営がされるようになった。

 無論、早々に開始された帝国軍の主力武装クロウライフルの量産をはじめ、基本的には軍需物資の生産を主に請け負っている。

「基本的に僕の仕事は設計開発だから、完成した後の生産にまでは関わらないですよ」

 幾ら何でも、そこまで面倒は見切れない。

 膨大な数の工員を有する帝国工廠だ。その管理運営だけで凄まじい業務量となる。シモンに求められるのは、戦局を一変しうる画期的な新兵器の開発である。人を管理し、生産数を上げる仕事など、やらせるだけ天才的頭脳の無駄遣いだろう。

「主力のクロウライフルはとっくに完成しているし、機関銃も『ファイアフライ』と『ハミングバード』がようやく終わったし、グレネードは他に任せたし……銃関係はこれから普及していけば、僕よりも上手く作る凄い職人も出てくるだろうから、もうあんまり関わることはなさそうかな」

 スパーダ防衛戦を経て、ついに待望の機関銃も量産型の完成品が出来上がった。

 それが設置型の重機関銃『ファイアフライ』と、携行型の軽機関銃『ハミングバード』である。

 ファイアフライは専用の大口径弾となるが、ハミングバードはクロウライフルと共通のライフル弾を使用する。弾薬の共通規格化は、最初から合わせていけ、とクロノから以前より注意されていたので、本格的な量産型を開発するにあたって考慮されていた。

「帝国工廠の他にも、モルドレッド会長が新しく立ち上げたモルドレッド重工で、銃のライセンス生産してるし、従来品の剣とか槍も委託してるから。帝国軍の装備品は、もう僕が関わらなくても充実していくと思います」

「モルドレッドか、相変わらず商魂逞しいアンデッドだな」

「でも会長のお陰で、スパーダの鍛冶職人もすぐ仕事が始められていますし。凄い人ですよ」

 帝国工廠の工員は、基本的には女王陛下が直接治める中央区からの人員によって賄われている。大勢の工員が並んで、無表情で黙々と作業に従事する姿を見て、スパーダの職人達にはああなって欲しくはない、と思ってしまった。

 腕はあっても職にあぶれてしまえば、遠からず帝国工廠で雇われることになったので、これまで通りの真っ当な職場環境であるモルドレッド重工の存在は、希望の光である。これからのパンデモニウムに必要なのは、自我を保ったまま働ける普通の企業なのだ。

「そういうわけで、今は古代魔法研究所の方に集中してますよ」

「古代魔法と遺跡は、帝国の基盤であり原動力だからな。リリィさんも一番力を入れているのではないか?」

「そりゃあもう、一生かかっても解明しきれない技術が山のようにあるし、そんなのがまだまだ埋もれている感じですね」

 パンデモニウムそのものが巨大な古代遺跡である。

 かつて古代の人々が大勢暮らしていける超大型シェルター。半ばとはいえ、その機能を復旧させたからこそ、ほとんど無制限にスパーダでもどこからでも、難民を受け入れることが可能となっている。

 生きた古代遺跡。故に、ここは失われた古代の魔法技術が数多く残されている。

 転移魔法陣にヴィジョンといった有名なものを筆頭に、アトラス大砂漠の流砂を操る秘密の機能も存在している。

「大迷宮の他にも、天空戦艦に人型重機パワーローダー古代鎧エンシェントギアEAエーテルアームズや鉄蜘蛛みたいな古代兵器も沢山あるし……そうだ、あと新しい第五階層の『大魔宮』には半分機械化したモンスターが出るから、謎のパーツとかも入手できるようにもなってるし、仕事は無限大ですね」

「ふむ、どれも全く研究の進んでいないものだな。そもそも、古代魔法の研究者自体が稀だ。相当に魔法の造詣が深くなければ、解析もままならないだろう。人は足りているのかい?」

「一人でやってた頃よりはずっと恵まれているよ。ホムンクルスは助手としては優秀だし。それに、レギンさんが思ったよりも古代魔法に詳しくて、物凄い助かってるよ。鍛冶師でも、古代魔法に手を出すような人もいるんだね」

 スパーダでずっとお世話になった鍛冶師のレギンは、パンデモニウムへ避難し、無事であったことを確認できている。

 その際にお互いの近況を話したところ、

「古代魔法なら、昔にほんの少しだけ齧ったことがあるから、簡単なお手伝いくらいはできそうだよ」

 と言っていたので、店を失い新天地パンデモニウムでまだ職もないレギンを、是非にと古代魔法研究所へとシモンは誘った。クロノの呪いの武器を難なくメンテナンスできる希少な鍛冶師として、リリィの覚えもめでたく、破格の給金と待遇でもって迎えられたが————それでも足りない程の活躍を古代魔法研究で示すとは、流石のシモンも予想はできなかった。

 ほんの少しだけ齧った、とは何だったのか。現状、レギン以上に古代魔法に詳しい者は、リリィを置いて他にはいない状況であった。

「レギン……『魔刃打ち(デスメイカー)』レギンか? その者は髭のないドワーフではないか?」

「そうですけど、知ってるんですか」

「逆に、君は知らなかったのかい。レギン・ストラスは、一昔前は非常に高名な鍛冶師だった。スパーダで随一と謡われた凄腕で、モルドレッド武器商会が瞬く間にのし上がったのは、彼のお陰だと言われている」

「へぇ、なるほど……だから会長とやけに親しい感じだったのか。でもそんなに凄い鍛冶師ならなんで、あんな小さな工房に」

「まぁ、色々とあったようだ。君に昔のことを語らないのならば、そう望んでいるということだろう」

「そうですか、じゃあ聞かないでおきますね。うっかり機嫌を損ねて抜けられたら、研究所はお終いですし」

 大切なのは過去じゃない。確かな知識と技術である。

 古代魔法研究所は、いつでも即戦力を募集中。古代魔法に通じる希少な人材は、一度掴めば決して手放しはしない。縛り付けてでも術式解析させるのだ。

「君も、あまり無理はしないようにね」

「最近はシークさんが世話焼いてくれるから。それに、仕事の優先順位は命令されているから、順番にやっているだけですよ」

「なるほど、魔王陛下か女王陛下の肝入りとなれば……転移関係か天空戦艦、かな?」

「どっちも優先度は高いですけど、一番ではないですね」

「ほう、これらの他に最優先するものがあるのか」

「今の一番は、通信機です」

 通信機の最優先開発は、クロノからの要望であり、リリィもまた承認している。

 情報通信の重要性をクロノは異邦人の知識として深く理解しており、リリィはパンデモニウムの支配を通じて、さらにその認識を深めているようだ。パンデモニウムの中央区と大迷宮内の居住区は、どこにでもリリィの目と耳があり、死角は存在しない。全て恐るべき女王陛下の掌の上にある。

 あらゆる情報が収集され、それを超人的な頭脳で演算、処理して全てを把握することは、天才錬金術師であるシモンでも、逆立ちしても不可能な神の御業だと思っている。実際、リリィの演算力は妖精女王イリスの加護によって補われているのでは、と推測されているが、そんな重大な秘密を追求しても、命は幾つあっても足りないので、それ以上は考えないようにしている。

「パンデモニウムはリリィさんのテレパシー能力と遺跡の機能で情報通信は全域を網羅してますけど、流石に他所で同じようにはいきませんから」

「なるほど、帝国軍の目的からして、主な戦場は国内の防衛ではなく、各地に蔓延る十字軍を叩く外征になるからね」

「遠距離通信は勿論、一つの戦場内でリアルタイムにやり取りできる短距離通信が可能になるだけでも、かなりのアドバンテージを得られる……と、お兄さんは思ってるみたい」

「当然だな。離れた部隊との連携は相当な指揮能力を要するものだが、お互いに通信できれば素人でも調整できるだろう」

 遠隔に配置された部隊との連携を容易ならしめるのが、通信による恩恵の基礎的なものだ。勿論、指揮官の下に迅速かつ正確に情報が届けられる、というだけでも凄まじい効果であろう。

「それで、成果の方は?」

「イマイチかな。大迷宮の通信機能を調べながら、分かるところだけ真似て、小型ヴィジョンやタブレットを組み込んだ通信機を試作したりしたけど、使える場所はモノリス近辺とか、色々と制約が大きくて」

「なるほど、どんな場所でも使えるようにならなければ、意味はないと」

「うん、ちょっと魔力の影響受けるだけで通信不能になっても困るし、あんまり進まなかったんだけど……ひとまず、最低限の形にはなりそうなところまで来たよ」

「それは凄いじゃないか。古代遺跡に頼らずに通信を可能とするのは、革新的な発明だろう」

「いえ、全く革新的でもなんでもないです。だって人力だし」

 古代の万能な情報通信技術の再現はあまりに遠い道のりだったが、その全てを無視して遠距離通信を可能とする存在が、このパンデモニウムにはいた。

 いいや、妖精の女王たるリリィがいるパンデモニウムでこそ、可能となるのだ。

「とりあえず、妖精族の皆さんに通信兵として協力してもらう形で、最低限の通信機を作りました」

 妖精によるテレパシー通信機は、クロノが求める条件を現時点でクリアした唯一の通信機である。

 しかしながら、完全に妖精の固有魔法エクストラに頼り切った設計の通信機は、単なるテレパシー増幅器でしかない。

 要するに、今はまだ完全な通信機はできません、と言っているも同然。完膚なきまでの現行技術の敗北に、シモンは渋い表情を浮かべるのだった。




 カーラマーラのシンボルでもある、街の中心に突き立つ巨大な塔テメンニグル。

 そこはリリィの治めるパンデモニウムとなってからは、名実ともに政治の中心、中央政庁として利用されている。

 創設された帝国の主要省庁もテメンニグルに集約されており、タワー内の高度な通信システムによって、リリィ女王陛下の意向を即座に反映できる体制がとられていた。女王の命令に忠実に従うホムンクルスと『思考支配装置フェアリーリング』付きの官僚たちは、さながら頭脳と手足の関係性。今のテメンニグルはただのシンボルタワーなどではなく、帝国を意のままに動かす血肉の通った怪物とも言えるだろう。

 そんなテメンニグルの一室には、頭脳たるリリィ女王陛下と、彼女を前に跪く二人の影があった。

「さて、ようやく回収した財産の査定が終わったのだけれど……全く、よくもあれだけ集めたものね」

「ははっ! 粉骨砕身の思いで、スパーダの財産を守り切った次第でありまぁす!!」

「呆れているのよ、この強欲ピンク」

 悪びれもなく一生懸命働きましたアピールを叫ぶピンクに対し、ジト目で睨むリリィである。

 帝国でリリィに睨まれて平気な顔をしていられる者が、一体何人いるだろうか。ランク5冒険者は伊達ではない。

「まぁ、いいわ。結果的に莫大な財産をスパーダから持ち出し、人民の保護と治安維持に貢献したことは、クロノ魔王陛下も喜んでいる。その働きぶりは、認めましょう」

「ははぁー! ありがたき幸せぇー!」

 わざとらしい平伏ぶりに、さらにリリィは溜息を一つ重ねた。

 首都スパーダの陥落に伴い、王城から転移でパンデモニウムへの避難が実行されたが、当然、それはほとんど着の身着のままで行われることとなった。王城からは財宝や物資を根こそぎ持ち出すくらいの猶予はあったが、貴族街に残る個人の財産に関してはほとんど手付かず。

 本来なら丸ごと十字軍に奪われるだけだった個人資産の多くを、『混沌騎士団』にて一個大隊を預かるピンクは、これらを回収し、パンデモニウムへと持ち帰ったのであった。

 金貨や銀貨の貨幣は勿論、宝石、美術品、骨董品といったものから、大魔法具アーティファクトや高価な武具などなど、とにかく値打ちのある物は集められるだけ集めてきたといった有様。そのあまりの財物の量に、総額でどれほどになるかという査定をするだけでも今日に至るまでの時間がかかったのであった。

 査定が終わったことで、具体的にピンクの仕事ぶりが確定し、やや遅ればせながらの戦功交渉と相成ったのである。

「じゃあ、残りを出しなさい」

「……はい?」

「あれで全てではないでしょう。二割もくすねるなんて、少しばかり欲をかきすぎたわね」

 ピンクは自ら、回収した財産を提出した。ただし、全てとは言っていない。

 リリィの見立てによると、回収した総量の二割程度をピンクは自らの懐に入れている。

「あはは、な、なんのことだか……私にはさっぱり……」

「止せ、ピンク。女王陛下を前に、嘘を吐くほど愚かなことはないぞ」

 全力で白を切ろうとするピンクを、上司たる『混沌騎士団』団長ゼノンガルトが嗜めた。

「女王陛下は寛大であらせられる。今すぐ素直に出せば、その働きに免じてお目こぼしをいただけるに違いない」

「うっ、ううぅ……私のお宝がぁ……」

 グズりながら、バカにしてんのかと思うような手をヒラヒラさせる動きをして、最後に指でハートマークを形作ると、桃色に輝く魔法陣と共に、ゴロっと宝箱が転げ落ちた。

 独特の空間魔法ディメンションから現れた宝箱は、渋い色合いの材木に、金に輝く縁取りと大きな錠前のついた、如何にもなデザインである。

「これは私だけじゃない、ピンク大隊みんなの力を合わせた、汗と涙の結晶なの! 私は、ただみんなの努力に報いたかっただけなのに!!」

「報奨金を出すのは貴女ではなく、クロノなんだけど?」

 戦功に応じた褒賞を出すのは君主であって、一介の部隊長などでは断じてない。大隊メンバーはピンクが雇った傭兵ではなく、帝国軍の正規兵なのだから。

「それより、早くその空の宝箱を仕舞って、財宝の隠し場所を吐きなさい」

「……」

 チッ、と内心舌打ちをしながら、ピンクは渋々、宝箱を再び桃色空間魔法に収納した。

 別に、この宝箱にくすねた財宝を入れている、とは言っていない。宝箱を回収して満足すれば、それは先方が勝手に勘違いしたことであって————ピンクは己の利益を守るためなら、粘り強く戦えるバイタリティの持ち主なのだ。

「恐れながら、女王陛下。回収した財産より、多少の分け前を施してやった方が、よろしいかと」

「帝国の騎士が回収したのなら、それは全て帝国の、魔王陛下のモノになるのは当然のことではないかしら?」

「無論、全ての所有権は魔王陛下に帰属することとなりましょう。これは権利の問題ではなく、士気の問題にございます。このピンクめが頑なに譲ろうとしないのは、山ほど集めた財宝の一つも手に残らないのは、割に合わないと考えているからかと」

「黄金の輝きに目が眩んだ俗物め————と言いたいところだけれど、利によって人が動くのは当然のことよね」

 貴様には魔王陛下に対する忠誠心はないのか。魔王陛下に全てを差し出し、捧げるのは帝国騎士として当然のこと。

 そう叱責するのは簡単だ。

 だが、言われた方は堪ったものではない。そのような一方的な物言いは、反感しか覚えないだろう。

 忠誠心とは捧げるものであって、奪うものではないのだから。

「今回の戦功に応じた報奨金に加えて、特別報酬として、回収した財宝の中から、好きなモノを一個だけ選ばせてあげる」

「……一人一個?」

「ええ、大隊の隊員一人につき一個よ。でも、隊長の貴女は三個、副隊長は二個、選ばせてあげるわ」

 瞬間、ピンクの脳内で数々の数式が閃く。

 回収した財産数。大隊人数。

 このまま二割分の隠し財産を持ち逃げするか、あるいは、この報酬に納得して混沌騎士団を続けるか。

 損得勘定の計算結果は、即座に導き出された。

「ははぁー! ありがたき幸せにございますぅー!!」

「精々、値の張る物を選ぶといいわ」

「それでは、今すぐ大隊を総員招集いたします!」

「その前に、隠し場所を吐きなさい。三度目はないわよ?」

「はっ、ははぁ……」

 ついに観念したピンクは、文字通りに一つ残らず回収財産は没収された。パンデモニウムにあって、女王に隠し事ができる者はいないのだ。

 しかしながら、意外にも取り計らってくれた上司たるゼノンガルトの進言に、それを受け入れ、絶妙な報酬配分をしたリリィ。ピンク自身は望むほどの利益は上げられなかったものの、財宝選びで大盛り上がりになった隊員達のことを考慮すれば、大隊としては大いに士気の上がる報酬となった。

 総合的に考えれば、隊長であるピンクの支持率は上がり、最低限以上の稼ぎも得られた。つまり、トータルで勝ったのだ。

 ピンク大隊は、まだまだ稼げる。

 そう判断したピンクは、早くも次の戦場を心待ちにするのだった。次は、どうやって効率的に稼ごうか————そう、正義の心を燃やす。

 2021年7月16日


 以前、遠く香港からネルの同人誌をお送りしてくれたMicoさんから、先日、新しい同人誌と、それに加えて幾つかのプレゼントまでいただきました。

 編集部を経て、無事に私の下に届きました。本当にありがとうございます!

 一度ならず、二度までもこんなに素敵なファンアートをいただけるとは、原作者としてこんなに嬉しいことはありません。新しい同人誌は、装丁もアップグレードされており、なんと前作の4倍のコストがかかったそうで……凄まじい熱意に驚きです!

 内容もネルをメインに、リリィとフィオナも描かれてますし、クロノ、ラースプン、十字軍兵士まで描かれており、物凄い気合入ってます。

 ネルもメインヒロインの一人として、ご期待に応えられるよう、頑張って描いて行きたいと思います。ちゃんと猫耳メイド服も出します。そのための前フリも書きました(執筆中最新話)ので、どうぞお楽しみに!



 プチ裏設定とメタ解説。

 今回、いつにもまして説明回感が強くて、少々、申し訳なく思います。

 前々回はたのしい自由学園、前回はレキウル回に見せかけたフィオナ回と見せかけてレキウル強化回、と今章は全体的に現状の説明だけに終始している構成ですので、なるべく毎話、説明感を薄れさせるよう努力した次第であります。

 しかし、今回の話はここ以外に入れるタイミングがなく、実は結構後になってから加筆しました。

 正確には、妖精式テレパシー通信機を作りました、という話がどうしても必要だと執筆が進んだ先で判明し、逆算的に戻ってここでシモンに開発してもらうことに。プロットの練り方が甘かったな、と反省です。

 さらに言えば、ピンクの話も最後の最後に追加。これも本当に今ここで書かなかったら二度と書くタイミングが、というワケで少々無理矢理にでも入れることにしました。ほぼ説明回だけど、文字数は多いから許して!


 魔導開発局の名前について。

 まず『魔法』と『魔導』の違いなのですが、魔法はフィオナ筆頭に、魔術師が行使する術全般のことを指します。魔導は、魔法に関わる全般を指すより広義の意味を持つ……とこの作品では設定しています。

 魔法に関わる全般、を具体的に言えば、魔法を使った生産・加工といった鍛冶技術が代表的ですね。また、錬金術のようにそもそも魔法じゃないものも、魔導に含まれます。

 なので、魔法開発局、にすると魔術師が使う新しい攻撃魔法や防御魔法の開発に専念しているようなイメージになってしまうので、生産開発メインなら魔導、というのが正解というワケです。

 あと、魔導、って言う方がカッコいいな、と思った時は魔導にします。


 フィオナがバルバトスとイヴラームの禁書を持っている理由について。

 これは特別な事情がある、というよりは、魔女としての基本的な活動の結果と言えることですね。たまーにフィオナは読書しているシーンがあったりしますが、元々フィオナは読書家で勉強家です。意識高いから読んで学ぶ、というよりは、魔女として当たり前のライフワークだからやっている、という認識でしょうか。この辺は流石、魔女の師匠に育てられただけあります。

 そういうワケで、フィオナは魔女として、基本的に魔法に関わる知識の収集には積極的です。神学校に来た当日に、ネロを利用して禁書庫に入ったりもしましたし。

 エリシオンの学生時代でもそういった活動に変わりはなかったので、その頃に手に入れた一品という感じです。ソロぼっちだけど冒険者としてはすでに一流の域に達していたフィオナは、それなりの資金力もありますので、魔法の探求のために、今回登場した二冊のような本物の魔導書は、結構な蔵書量を誇っていたりします。

 本人は凄いと思ってないし、クロノもリリィも知らないですが、どれくらい凄いのか、っていうのを一番正確に評価できるのはサリエルですね。


 それでは、今回はこの辺で。

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― 新着の感想 ―
[良い点] スパーダでの、ピンクのアレな行いのその後について触れたことです。
[一言] 読み返して2回目、ふと思った。 ピンクはもしかして本物のサキュバスじゃない?
[良い点] ピンクが出るとギャグ回になる(褒) [一言] シモンにはスナイパーライフルでシャングリラから空母にいるミサにトドメをさしてもらいたい。
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