第833話 新工房(2)
熱々の肉汁滴る分厚い肉の塊にかぶり付く。
表面の皮は少々の焦げが目立つが、パリパリとした触感と香ばしさを与えてくれる、ベストな焼き加減と思える出来栄え。
街の安食堂で出される薄い肉の切れ端と異なる、豪快に切り分けられた肉はその厚みに反して、驚くほどに柔らかい。そして、惜しげもなく味付けにつぎ込まれた香辛料の数々。
美味い。
ただ焼いただけ。しかし、じっくり丁寧に焙られたこのコカトリスの丸焼きは、肉の魅力が詰まった一品であると言えよう。
そうして焼き立てのコカトリス肉に、みんなは黙々と食していた。
みんなとは、まずこの新たに建造中の秘密工房の主たる魔女フィオナ・ソレイユ。
彼女の忠実な下僕とならざるをえなかった、哀れな妖精ヴィヴィアン。
そして、招かれざる客となったレキとウルスラのランク4冒険者の少女二人。
つい先ほどまで記憶という己の尊厳をかけた戦いを演じていたのだが、魔女の気が変わり、今はこうして同じ食卓につくことになった。
「上手に焼けているではありませんか。このまま料理も任せましょう」
大きな骨付きモモ肉を3本ほど平らげてから、フィオナは口元についた脂を上品に拭いながらシェフにそう言った。
彼女の足元に転がる調理担当の小型球形ゴーレムは、ピッピッとどこか嬉しそうに赤い目を点滅させている。
「全然上手くいってないわよ! みんなで慌てて火を止めて、なんとかこれで済んだんだから! まったく、このポンコツ共!!」
羽と全身に纏う『妖精結界』をビカビカと発光させて、ヴィヴィアンはゴーレムを罵倒した。
終わり良ければ総て良し、とはならない。
レキとウルスラを加えた四人で、焼き上がっても全く火加減を弱めないゴーレム達から、急いで炭化しつつあるコカトリスを引き上げて行ったのだ。
「でもコカトリス美味しいですよ」
「今は味の話してないでしょ!?」
石化の魔眼で有名な、鳥形モンスターのコカトリス。だが、凶悪な石化を放つ第三の瞳がある頭さえ落としてしまえば、後はもうデカいだけの鶏。
危険度ランク3の中でも上位に位置するコカトリスは、高級食材としての需要もある。第二階層『大平原』にも生息しているのは幸いであった。
「とにかく、コイツらを建築関係以外で使おうと思ったら、もっとちゃんと制御できないとダメよ。せめて私の言うことも聞いてくれるようにしてくれないと……次は本当に、焦げ肉しか出てこないんだからね」
「分かりました。行動制御術式をもう少し弄ってみますよ」
ひとまず、主従の間で話はついたようだ。
妖精ヴィヴィアンは小さな体に見合った食事量で、とっくに食べ終わって大きな食卓テーブルの上にだらしなく寝そべっている。
一方、フィオナはまだまだここからが本番、とばかりに大きな手羽へとフォークを伸ばした。
「あの……」
この魔女、どれだけ食べるんだ。レキより食べる女性は初めて見た。この人が食べ終わるのを待っていたら、いつまでも話ができないと思い、ウルスラは意を決して彼女に問いかけることにした。
「はい、なんですか子猫さん」
「私はウルスラ。ランク4冒険者」
「レキ、デス!」
いつまでも犬猫呼びは困る。念を押すように自己紹介をしておく。
もっとも、全く興味なさげなボンヤリした顔の魔女に、どこまで通じているかは分からないが。
「フィオナ・ソレイユ。ランク5冒険者パーティ『エレメントマスター』のメンバーで、クロノさんの恋人です」
「えっ、でもクロノ様ってリリィ女王と結婚するんじゃないデスかー?」
「私はまだクロノさんと恋人関係を楽しんでいる最中なので。子供には分からないかもしれませんが」
「むっ」
ストレートに聞いてしまったレキの質問にも、余裕で答えたフィオナに、無性にイラっとする。
それは気負いなくクロノの恋人だと公言できることか。所詮、自分達は保護されるだけの子供でしかないのだと改めて指摘されたことか。
つまるところ、フィオナはすでに自分達の求めるところにはとっくに辿り着いていて、自分達の方はまだまだそこへ届かない、明確な差を突きつけられたのだ。
しかしながら、その差というのは認めざるを得ない。
あれこそがランク5冒険者の実力というものか。日々、成長を実感できるほど力を伸ばしてきたつもりだが、先の一戦では軽くあしらわれてしまった。
フィオナが行使した魔法は、どれも下級に留まる。威力そのものは下級を逸脱したものだったが、逆に言えば彼女が本気で上級魔法を使えば、一体どれほどの規模になるのか。
そんなド派手な魔法の威力に目を奪われがちだが、瞬く間に自分とレキの二人を戦闘不能にまで追い込んだ戦いの運びも秀逸だった。無駄な魔法が一つもなく、発動速度も凄まじい。
魔術師の天敵ともいえる、高速で動く前衛戦士たるレキの攻撃も見事に魔法だけで追い込んでいた。魔法の実力のみならず、それを実戦で上手に使う方法、相手の動きを予測する読み。正に冒険者の頂点であるランク5に相応しい力だったと納得できた。そして、クロノの隣で戦うならば、このレベルが求められるのだとも。
だからこそ、ウルスラは子供じみた反抗心や嫉妬心を務めて抑え、この魔女フィオナに問いかけることにした。
「ここは、一体なんなの」
「情報収集ですか? やはりリリィさんの手先」
「レキ達はあの性悪女王の手先なんかじゃないデスよ!」
「でも、約束はした。大迷宮を攻略してランク5冒険者になれば、私達もクロノ様と一緒に戦わせてくれると」
「なるほど、リリィさんが持ち掛けそうな話ですね」
一国を操るようになると、人材発掘にも余念がないのだなと、フィオナは思った。こんな子供にまで唾をつけておくとは。
だが老若男女問わず全てクロノのために、というリリィの方針そのものにはフィオナとしても否やはない。リリィの怜悧冷徹な合理性には、フィオナも共感しているし、その行動力と支配力は凄いところだと敬意を払ってもいた。
自分では、同じ真似はできない。
けれど、彼女に引けをとるつもりもない。
あの日、クロノを賭けた戦いで自分は負けた。それでも、もしリリィを殺せる女がいるとすれば、それは自分を置いて他にはいないし、他の誰にも譲る気もなかった。
リリィ。彼女はフィオナにとって、最悪の恋敵であり、最高の親友でもあるのだから。
「ここは、私が作っている新しい工房です。リリィさんには内緒の、秘密の工房ですよ」
「もしかして、ゴーレムを操って第三階層と同じような建物を」
「ええ、流石に私一人で土木建築は難しいので。出来る人と、秘密を守れる人を連れてきました」
「私一人だけで、あとはみんなポンコツゴーレムじゃない」
早く下僕仲間が欲しいー、と口を尖らせながら、小さなグラスでワインを煽るヴィヴィアンであった。ちなみに、彼女はまだ仕事中である。
「一体、どうやってゴーレムを」
「今は第三階層も安全圏が広いですから。ゆっくり時間をかければ、ゴーレムのテイムくらいは私じゃなくてもできますよ。リリィさんに見つからないようにするのが、一番難しいですが」
リリィの支配力の及ぶ範囲は安全が保障されており、巨大な隔壁によって完全にダンジョン化した部分とは分けられている。
いつ敵が襲ってくるか分からないダンジョンだと、稼働するゴーレムの制御を奪うという精密な作業は難しいが、安全が確保された場所で準備も時間もかけられるなら出来る者も多少はいるだろう。
ただしリリィの支配圏は、常に彼女の監視下にある。それに気づかれずに第三階層で稼働中のゴーレムを確保することは、実質不可能といっていい。リリィの監視網とモノリスを操作する古代魔法にも精通するフィオナだからこそ、彼女の目を欺く真似もできたのだ。
「私も魔女ですから、使い魔を使役する術は習得しています。こうして、腰を落ち着ける場所ができれば、本格的に使い魔を揃えてもいい頃合いでしょう」
「だったら私にも仲間をー! あと自由とお休みをー!」
「ゴーレムはいいですね。文句も言わず、指示したことをやってくれるので」
「言ってることは分かるけど、同意したら人間性を失うような気がするの」
絶対にリーダーにしちゃいけないタイプの人物だと、ウルスラは思った。
「それで、やっぱり私達の記憶を消すの」
「まだリリィさんに感づかれたくはないので」
「ううぅ……い、痛くはしないで欲しいデース」
「ちょっと待った!」
と、そこで声を上げたのはヴィヴィアンである。
「大丈夫ですよ。『思考支配装置』は信頼と実績のある魔法具ですから」
「聞きなさいよ!?」
「なにか?」
「この二人を新しい下僕にするの!」
「記憶を消す方でお願いします」
「デス」
「ほら、二人もこう言っていることですし」
「いやちょっと待って! みんな、まだ諦めるには早いわよ!」
すでに記憶を消す覚悟を決めた二人。そして、さっさと記憶を消して面倒事はなかったことにしたいフィオナ。ヴィヴィアンだけが、卓上でやかましく反対意見を叫んでいた。
「いい、この二人はリリィ女王が直々に声をかけた将来有望な冒険者よ。それに、例の魔王様とも懇意にしている子らしいじゃない?」
「ええ、そうですね」
「二人はこの先、必ず頭角を現すわ。だから、今の内に引き込んでおけば————」
「どうなるんですか?」
「ここまで言って何も想像つかないとか、どんだけ他人に興味ないのよ……ご主人、ホントにリリィ女王に対抗するつもりなの?」
「勿論ですよ」
「まぁ、ご主人は自分の実力だけでどうにかするタイプだけど、ちょっとは人脈作りにも手を出した方がいいと思うわよ。相手は一国の女王様、それもホントにイリス女王陛下から寵愛を受けてる妖精姫なんだから」
「なるほど、一理ありますね」
フィオナは素直に頷いた。
クロノとリリィを始め、これでもパンドラ大陸に来てからと言うもの、それなりに人と関わって来たものだ。少なくとも、シンクレアでの学生時代よりかは、遥かに。
「だから、私はこの二人をオススメするわ!」
「ふむ、どうですか?」
「記憶を消す方でお願いします」
「デス」
「やはり、こう言っていることですし」
「なんで聞くだけでOK貰えると思ってんの!? こっからご主人が何かメリットアピールしないと、この子達だって決まらないでしょ」
「なるほど、一理ありますね」
「ホントに分かってんのぉ……?」
同じことをすまし顔で言うフィオナに、ヴィヴィアンはジト目を向ける。
とても自分の主人に向けて良い目つきではないが、そうした礼儀的な部分にフィオナは無頓着だ。
「しかし、困りましたね。私にはこの二人に提供できるモノは特にはありませんよ」
「ランク4だし、お金に困ってはいなさそうだしね」
改めて二人を見れば、ランク4という高位冒険者に相応しい装備を整えていることが分かる。
武器は現状で出来る最大の強化は果たしてあるし、防具の方もしっかり高品質のものを揃えてある。
レキはノースリーブのシャツにホットパンツと露出の高い服装ではあるが、その純白の生地はミスリルの編み込まれた物理、魔法、共に高い耐性を備える一品。各部には黒い竜革の軽鎧が装着され、こちらも上品質だ。
ウルスラが着込んでいるのは、同じくミスリル生地の白いローブ。鎧はないが、代わりに幾つかの魔法具の装飾品を身に着けている。
第五階層へ日常的に挑戦できる実力となれば、この程度の装備は揃えられるし、収穫もそれなり以上となる。かつての貧困はとっくに脱し、二人は最善の装備を揃えることに惜しみなく資金をつぎ込める、正に冒険者らしい財政となっていた。
「じゃあ、そっちの子は魔術師みたいだし、お得意の魔法を教えてあげるとか? なんかあるんでしょ、魔女の極意みたいなのとかさぁ」
「いえ、この二人に私が教えられることはないと思いますよ。さっきは、私を殺す気がなかったから簡単に捕らえましたけど……加護を使われれば、苦労したでしょう」
手も足も出ない完敗だったはずなのだが、フィオナの思わぬ高評価にウルスラは首を傾げた。
「ふーん。この子達の加護ってそんなに強力なの?」
「この気配からして、恐らくは純血のバルバトス人とイヴラーム人ですからね。この二国はどちらもシンクレアに侵攻するほど、強力な加護の能力がありましたから」
「私達の加護を、知っているの!?」
当たり前のように、本当の祖国について語ってみせたフィオナの言葉に、ウルスラはそこで初めて気が付いた。この魔女はパンドラ大陸の出身者ではない。自分達と同じ、シンクレア共和国から来たのだと。
「有名ですからね。知らないんですか?」
「知らないデース。レキ達は小さい頃には孤児院にいたから」
「そうですか」
可哀想な身の上を聞かされても、眉一つ動かさずにいるのがフィオナである。
故に、別に孤児院出身でなくても、シンクレア共和国に住んでいるバルバトス人とイヴラーム人が、祖国に伝わる加護について詳しく知ることなどできるはずがない、と冷静に状況分析だけをしていた。
二国とも、100年近く前に滅ぼされている。当時の加護の正当な伝承者がいるかどうかも分からない。公に知ることができる内容といえば、この二国が如何に悪魔的な恐ろしい力を振るったか、という十字教の一方的な言い伝え程度のものだ。
獣の力を使う野蛮極まるバルバトス人。
呪いの力を使うおぞましいイヴラーム人。
現代のシンクレアに伝わるのはそんなイメージだけ。そして、白の勇者アベルによって討伐される、ただの悪役。それが二国の扱いである。
「もし私達の加護を知っているなら、教えて欲しい。それを教えてくれるなら……下僕、はちょっと嫌だけど、貴女に協力してもいい」
「ええっ、ウル、いいんデスか!?」
「いいに決まってる。バルバトスとイヴラームの加護の情報なんて、他では絶対に手に入らないの」
ウルスラは即断した。
加護。それは神が人に与える力の恩恵。
シンクレア共和国においては、唯一絶対の創造神である『白き神』が与えるものしか認められていない。だが、使徒を筆頭に白き神は強力な力を授ける。アーク大陸の半分を支配し、そしてパンドラ大陸をも征服せんとする原動力になるほど。
だがパンドラ大陸では『黒き神々』という数多の神が崇められる多神教である。様々な種族の人々が、様々な神から加護を授かっている。
そして冒険者にとっては、加護の力を得ることはより強くなるためには必須の条件と言っても良い。
二人は今、リリィとの約束通りに大迷宮を踏破しランク5を目指している。当然、自分達も何かしらの加護を得られないか、とパンドラ神殿を訪れたり、黒き神々について調べたりもした。
しかし、それなりの金額を払って神殿で鑑定した結果は————加護は、すでにその身に授かっている。
ただし神殿に伝わるどの黒き神々とも異なる、パンドラの伝承にはいない神であること。授かっている加護は非常に弱く、特に目に見えた効果はまだ発揮されていないこと。
そして、すでに加護を宿している以上、他の神から加護を授かることはない。
変更は利かない。しかし伝承にない神なので、どうすればより加護の力を高めることができるのか、あるいは破棄することができるのか。
つまり、何も分からない、ということが分かっただけの結果に終わったのだ。
これを受けて、加護の力は半ば諦めていた。だが、今ここに100年前に伝承が途絶えたはずの、バルバトスとイヴラームの加護について知る人物が現れたのである。
「おお、いいじゃないご主人! これはかなりの好感触よ!」
「クロノ様の力になるために、私達には加護が必要なの。どうか、お願いします」
「お、お願いしマース!」
「……まぁ、別にいいですけど」
あまり深くは考えず、フィオナはそう決めた。ほとんどその場のノリで決めてしまったようなものだ。
ヴィヴィアンはなんかうるさいし、二人もやけに熱心だし。それにフィオナとしても、まだまだ行動に色々と制約があるゴーレムだけでは、新工房の設営ははかどらない。
建造物そのものは、元から建築用ゴーレムらしい彼らに一任しても問題ないが、内装関係は非常に怪しい。少なくとも、デリケートな魔法具や設備、希少素材などなどを扱わせる気にはならないほどには。
それを思えば、子供とはいえランク4の実力を持つ二人の協力が得られるのはそう悪いことではないだろう。
「でも、教えた後で記憶を消したりはしないで欲しいの」
「なるほど、その手が」
「ウル!?」
「ちょっと、いきなり交渉決裂しないでよ!」
「分かっていますよ。ここの秘密に関しては、ヴィヴィアンが確認すればいいでしょう」
どうせいつかはバレる場所である。それも、そう遠くない内に。
今すぐ見つかるのはちょっと避けたいな、くらいの気持ちなので、フィオナとしてもそこまで工房の隠蔽にこだわるつもりはなかった。
「うんうん、それでいいじゃない。そういうワケだから、私が心を覗くくらいは受け入れてちょうだいね、二人とも」
「それくらいなら問題ないの」
「OKデーッス!」
ひとまず、これで話はまとまった。
もっとも、いやぁ良かった良かった、と笑顔なのはヴィヴィアンだけだが。
「それで、えーっと、バルバトスとイヴラームの加護についてでしたね————」
フィオナはちょうど食べ終わった巨大手羽先を皿ごと脇に寄せると、丁寧に口元と手を拭ってから、すぐ傍らに置いてある愛用の三角帽子を漁った。
その広大な『空間魔法』の施された三角帽子から取り出されたのは、二冊の本である。
「確か、これがバルバトスの神獣について記された『大いなる獣の書』で、こっちがイヴラーム秘術の解説書『マガラ断章』です」
「い、いきなり禁書が出てきたの……」
「この本、なんだかデンジャラスな気配するデスよ!?」
純白の毛皮のみで装丁された大きな本が、『大いなる獣の書』。
対照的に、色褪せた黒い小さな手帳のような本が『マガラ断章』。
フィオナが何気なく取り出した二冊は、バルバトスとイヴラームの神について記された書物というだけで、シンクレア共和国では禁書指定されるに相応しい内容のもの。
そして、これらが名前だけの偽物ではないことは、不気味な魔力が二冊ともから明確に放たれていることが十分な証だろう。魔術師の武器としての魔導書ではなく、本来の意味である魔法の力そのものを宿した書物というのは、それ相応の魔力の気配を発するものである。単なる偽物に、それだけのオーラを持たせることはできない。
間違いなく本物の禁書を差し出されたレキとウルスラは流石に気が引けているが、フィオナはただの絵本でも進めるかのように二人へ言った。
「ここで読んでいきますか?」