第832話 新工房(1)
カーラマーラの大迷宮。その最深部である第五階層『黄金宮』は、今はもう存在しない。
魔神カーラマーラの追放により、黄金の魔力に満ちていた神域は、本来の古代遺跡の中枢部へと戻った。オリジナルモノリスによって完全に制御されたここは、今やパンデモニウムの、引いてはエルロード帝国の心臓部として稼働している。
しかし、ダンジョンとしての第五階層が完全に消滅したワケではない。
カーラマーラの影響によって、無秩序な増築を繰り返したかのように拡大していた『黄金宮』の構造は丸ごと残っている。黄金の魔力が失われたことで輝くような金色の壁や天井はなくなったが、今度は本来の自然に流れる大地脈の膨大な魔力を受けて、新たなダンジョン環境を形成し始めていた。
オリジナルモノリスの支配が及ぶ中枢部はそのままに、その外側と、さらに地下深くに向かって、ダンジョンは新たな成長を始めている。
それが『大魔宮』。
新たなる第五階層にして、まだ底の見えない未知の領域としてそう名付けられた。
この奥がどれほどの深さまで続いているのか。それはまだ、誰にも分からない————そんな大迷宮の新たな最深部を、二人の少女が進んで行く。
「ウル、来るデスよ!」
「大丈夫、レキ。準備は完了しているの————」
鋭く警戒の声を上げるレキに、気負いなく応えるウルスラ。
二人ともに冒険者ランクはいまだ4。しかし、第五階層『大魔宮』の浅いエリアはすでに何度も通って来た道である。
ランク4でも成り立てではない。冒険者の最高峰ランク5へと届かんばかりの勢いと実績を積み重ねてきた。
それが今のレキとウルスラであり、二人だけのパーティ『灰燼に帰す(アッシュ・トゥ・アッシュ)』だ。
ギシャァアアアアアアアアアアアッ!!
通路の奥から響いてくる獰猛な咆哮。
古代遺跡の白壁と、岩肌向き出しの洞窟、そして何故か生え出している緑の木々や葉といった、様々な特徴が入り混じる無秩序な『大魔宮』の地面を、これもまた不思議な姿のモンスターが群れを成して走って来る。
外観はリザードマンに似ている。けれど首が長く、両腕に大きな鉤爪を備えているなど、人としてのリザードマンよりも、モンスター的な特徴が強く出た姿。
それだけなら単なるモンスターのリザードマンだが、体の各部がゴーレムのように金属の肉体と化しているのが最大の特徴である。
彼らは『メタルレプト』、と名付けられた新種のモンスターだ。
旧第五階層『黄金宮』は、古代遺跡が生産するゴーレム系モンスターが中心となっていた。しかし現第五階層『大魔宮』になると、純粋なゴーレム系モンスターは著しく減少した。
その代わり、ここに生息するモンスターは肉体の一部が金属の体、すなわち機械化する者が現れ始めたのだ。
これはダンジョンの環境が、ゴーレム製造の古代遺跡の設備を半端な形で取り込んでいるからだと推測されている。この『大魔宮』で新たにモンスターが生まれる際には、そのゴーレム製造機能の影響を何らかの形で受けることで、どこかしら機械化してしまう、という仮説だ。
こうして生身と機械が融合したモンスターを、バイオメタル系、と新たに分類されることとなったが……冒険者にとって重要なのは、モンスターの学術的な分類ではなく、倒し方である。そして次に気にするのは、そこからどんな素材がとれるかだ。
幸いと言うべきか、この半機械のリザードマンは牙や鱗に加えて、金属素材もとれるので、普通のリザードマンを倒すよりも稼ぎのいい体であった。
「————『ダウングレネード』」
先手を打ったのはウルスラ。
滑らかな黒い革の装丁がされた魔導書『ジェネラルセオリー・最終章』を開くと、彼女の傍を舞うように白い霧の手が浮かび上がる。
ウルスラの誇るドレインの固有魔法『白夜叉姫』の両手のみが顕現すると、そこから雲のような塊を放ってゆく。放物線を描いて幾つも飛んでゆくと、今まさに突っ込んで来るメタルレプトの先頭集団で真っ白い煙を炸裂させた。
クゥエエエエ————
濛々と湯気のように煙る着弾点からは、威勢の良い叫びが一転、すっかり元気をなくした苦し気な鳴き声が響く。
ドレインは魔力のみならず、生命力も吸収する。リザードマン系モンスターとしての高い生命力を誇るが、急激にその何割かでも失えば、致命的な衰弱まではせずとも、バテるのだ。
獲物に向かって全速力で駆けている真っ最中に喰らえば、全力で走れる最大の距離を駆け抜けた直後のような疲労感に襲われる。つまり、彼らの足は止まる。
「ブゥレーイークゥ————」
いまだドレインの霧が煙る着弾点に向かって、追撃の砲弾が如き勢いで飛び込んでいくのが、前衛担当のレキ。
後衛の魔術師ウルスラが、先手で敵の足を止めたのを活かす最高のタイミングで切り込む。
まだ小さな体を目いっぱいに、けれど込めた力は少女にあるまじき怪力をもって、漆黒の大剣『オブシディアン・ミッドナイト』を振り上げている。
「————インパクトッ!!」
我流で体得した、範囲攻撃の破砕系武技が本物の爆発となってスタミナ切れのメタルレプトを襲った。
頭の先から尻尾の先まで含めれば4メートルほどにもなる人間を越える体格に、金属の肉体でさらに重量を増しているはずのモンスターが、木の葉のように吹き飛んでいく。
自らがぶっ飛ばした相手の行く先を見送ることなく、レキは技後硬直から素早く脱して動き始める。
幸運にも武技の範囲外にいたメタルレプトは、ウルスラの『ダウングレネード』によるスタミナ切れからも回復しつつあったが、猛獣の如き勢いで斬りかかって来る少女に対抗するには、あまりにも鈍重であった。
「ファイアーッ!」
左腕一本に握られた真っ赤な大斧は、轟々と渦巻く火炎と共にいまだフラつく鉄のトカゲへと振り下ろされた。
武技でもない、力任せの一撃。しかし、強化された炎の大斧『レッドウォーリア・バーンアウト』は、ただ振るうだけでも迸る猛火を相手へと叩き込む。
斧としての重い一撃と、魔法武器としての炎がさらに近くのメタルレプトを巻き込む。激しく火の粉が舞い散る中、右手握った漆黒の大剣も吹き抜ける疾風のように駆けてゆく。
レキは相手が体勢を立て直す暇もない連続攻撃で、残敵を掃討していった。
故に、今の彼女を狙えるのは、その間合いの遥か外にいる者達。
いつの間にか、音もなく壁や天井から新たなメタルレプトが姿を現している。彼らは機械化した頭や腕、あるいは尻尾の先から、炎や強酸を噴射したり、鉄の針を射出した。
「منعت كيكو دوامات الرياح هيروشي الجماهير جدار كبير————『大風防壁』」
メタルレプト後衛部隊から一斉に放たれた遠距離攻撃の数々を、吹き荒ぶ風が散らした。
ウルスラの風属性、中級範囲防御魔法だ。
彼女が手にする魔導書は、現代魔法を使うためのものである。『白夜叉姫』を行使するのに、特別な装備は何ら必要ない。
すなわち、『ダウングレネード』を放った時から、すでに詠唱を始めて、敵前衛に突撃するレキをフォローするための防御魔法を準備していたのだ。
片方は固有魔法とはいえ、同時に二つの魔法を発動させる。高位の魔術師が治めるテクニック『二重詠唱』の変則技と言えよう。
「ゴォー、アヘッド!」
後衛からの一斉攻撃を凌いだ直後、バルバトス語の叫びと共にレキは左手の炎斧をぶん投げた。天井へ張り付いて射線を確保していた奴らに向かって飛来する斧は、単なる投擲攻撃ではない。
直撃と共に、真っ赤な爆炎の華を咲かせる。バラバラに吹き飛ぶ肉片と金属片。複数体をまとめて倒した派手な攻撃の傍らで、ひっそりと宙を突き進む刃が続いた。
「ヒット」
炎の大斧に続けて投げられたのは、何の変哲もない手斧。ただの鉄製で、手斧としてもさらに小ぶりである、投擲専用に作られたものだ。
レキはそれを自ら投げることで、前衛戦士でありながらも敵の後衛にまで攻撃を届かせた。
小さな手斧だが、超人的な膂力によって投げられた刃は見事にトカゲの頭をかち割り、その息の根を止めてみせた。
「残念、一本ハズレなの」
長く、長く伸びた白い霧の手がレキを追い越し、壁際で逃げようと身を翻していた最後のメタルレプトを捕まえた。
強烈なドレイン能力そのものである腕に囚われたトカゲは、哀れそのままミイラのように枯れ果てるのだった。
「むぅー、もうちょっと練習が必要デース」
「どんなに頑張っても、ただの投げ斧じゃ限界あるの。クロノ様の『魔弾』の手数に敵うわけない」
二本の腕で斧を投げる物理攻撃と、何千もの弾丸を同時発射できる黒魔法を同列に語るべきではない。
しかし、投擲という技術そのものは決して無駄になることはない。地味な技ながらも、自身のパワーとコントロールを活かして実戦レベルの投擲術を身に着けたことは、レキの努力の成果の一つであった。
「でもでも、今日は結構調子がいい気がしマース!」
「うん、私も。今日こそはボス部屋の一つくらいは突破したいの」
「イエス! やってヤルですよぉー!」
そうして、意気揚々と日々成長を続けてゆく二人の少女は、未知の大魔宮の奥を目指して突き進んで行く————
「————これは完全に外れルートなの」
「ノォーっ!! 近年マレーに見るベストコンディションだったのにぃーっ!!」
進んだ先は、行き止まりであった。
なんとなく、途中から嫌な予感はしていた。結構、進んで来たはずなのに、モンスターの出現頻度が露骨に下がっていた。それに、現れるモンスターも浅い階層に出てくる面々と変わり映えがしない。
より強力なモンスターが出てこないということは、階層の奥へと達していないことの証明でもある。
そして今、行き止まりという明確な形となって、二人の前に残酷な結果を突きつけたのだ。
「でも、モノリスがあるだけマシなの」
不幸中の幸いとでも言うように、行き止まりは小さな祠のような場所となっていた。生い茂る背の高い草むらに隠れるようにひっそりと建つ祠には、この大迷宮ではお馴染みの小型モノリスが鎮座している。
表面には見慣れた赤い古代文字と魔法陣が浮かび上がっている。帰還用に利用する転移と全く同じ文字と陣のため、特に疑いなく二人は使うこととした。
「今日はもうここまでにしよう。明日、また出直すの」
「明日は反対のルートから行ってみるデスよ」
そんなことを話しながら、二人は転移の光に包み込まれた。
「……んん?」
「ここは、出口じゃない」
光が収まった時、目の前に広がるのは見慣れた大迷宮の出入り口の転移広場ではないことにはすぐに気づいた。
「ここ、第四階層デス?」
左右に広がるのは、透き通った天然の水晶で形成された洞窟。地下深くでありながらも、輝かしい洞窟は第四階層『結晶窟』だと一発で判断できる。
「もしかしたら、隠しエリアかもしれないの」
ウルスラがそう判断したのは、目の前には明らかな人工物があるからだ。
『結晶窟』にも要所で古代遺跡とモノリスが残っており、帰還が可能な場所として利用されている。レキとウルスラも二人での第四階層攻略時にはお世話になった。
しかし、その頃に見てきたものとは、ここにある建築物は違っていた。
「なんか、古代遺跡と違う建物っぽいデスね」
「やけに真新しい……第三階層みたいな感じの造りなの」
この辺は元々、かなり大きな空間となっていたのだろう。しかし、目の前に建つのは水晶とも岩とも異なる、鈍色の鋼だ。
鋼鉄製の壁や柱、そして何の意味があるのか大小無数の管が蔦のように這いまわる、人工的でありながらもどこか有機的な印象を抱かせる、不気味な金属建築となっている。その構造は古代のゴーレム達が闊歩する第三階層『工場区』に立ち並ぶ、謎の工場とよく似た造りであるのだった。
「もしかして、第三と第四の境目みたいな場所……?」
「あっ、ゴーレムいるデスよ!」
ウルスラの想像を肯定するかのように、ゴーレムは姿を現した。
それはコロコロと転がるボール、としか言いようのない球形をしている。中心に浮かぶ赤い目のような光を点滅させながら地面を転がっては、建物の壁に何かの液体を噴射している。
足で蹴飛ばすのにちょうどいいサイズの小型球形ゴーレムは、他にも何体もそこら辺から転がり出し、同じように壁に何かを吹き付ける作業を行っているようだった。
「アレはゴーレムなの?」
「えっ、鉄の体で動くのはゴーレムじゃないデスか?」
見るからに脅威を感じさせないデザインの球形ゴーレムは、完全に初見だ。あんな形のものは見たことがない。
さっさと第三階層を突破してきた二人なので、あまり詳しいワケではないのだが、ギルドに登録されているモンスター図鑑には載っていないのは確かである。
「ピッ……ピッ……」
訝し気に様子を伺っている二人の下に、一体の球形ゴーレムが転がって来る。
謎の建物以外には遮蔽物になるものが何もない開けた場所。元より隠れ潜むことのできる状態ではない。当然、すぐに向こうもこちらに気づく。
故に、いつ戦闘が始まってもいいように、二人は転移した直後からすでに臨戦態勢はとっていた。
「攻撃は……してこないデスね」
「偵察用なのかもしれない」
明確に二人を捉えているだろうことは明らかだが、ゴーレムは「ピッ、ピッ」と音を発しながら赤い一つ目をチカチカさせるだけ。
「ピッ、ピッ、ピィーッ!」
「あっ、逃げた!?」
発する音を大きく長いものにしながら、ゴーレムは勢いよく転がって離脱してゆく。
すると、他の作業中だったゴーレムも素早く転がりながら、口の開かれている大きなパイプに入り込み、建物の内部へと逃げ込んでいくのだった。
「レキ、多分ここから本命のゴーレムが登場するはずなの。もしかしたら強い隠しボスが出てくるかもしれない。気を付けて」
「オーライ!」
やはり小型は戦闘用ではなく、敵を発見したから逃げたのだろう。ならば、これからこの謎の建物を警護するゴーレムが出てくるはず。あるいは、特殊なこの場に相応しいボスゴーレムの可能性も十分にある。
ざっと周囲を伺うが、広いだけの空間には他に退路はなく、目の前の建物へ向かう以外に道はない。ここでの戦闘は避けられないことを確認しあい、二人はいよいよ気を引き締めてそれぞれの武器を構えた。
ほどなく建物の門は開かれる。
武骨な鋼鉄の扉はゴゴゴと音を立てながら左右へスライドしてゆき、中から一つの人影が歩み出た。
「誰かを呼んだ覚えはないのですが————なるほど、侵入者ですか。まだここに通じる転移が残っているとは」
現れたのは、ゴーレムではなく、人であった。
それも、ただの人ではない。
「魔女」
「どこからどう見ても魔女デース」
長い杖を手にした、黒いローブに三角帽子の女性。
魔女、としか言いようのない姿をした者であった。
「ん……あの魔女、見覚えがあるの」
「どこかで、見覚えのある子供ですね」
魔女の黄金に輝く瞳と、ウルスラの青い目が合わさると、互いに似たような台詞が出た。
「あっ、そういえばあの魔女、クロノ様と一緒にいた」
「思い出しました、クロノさんが飼っていたバルバトスの子犬と、イブラームの子猫ですね」
瞬間、張り詰めた緊張感が場を支配した。
現れた魔女が、クロノの本来の仲間であることはレキもウルスラも思い出した。
しかし、犬猫呼ばわりされたことが、何故か無性にカチンと来る。
クロノのパーティ『エレメントマスター』の魔女フィオナ。
その性格は天然の一言に尽きる。すなわち、全く無自覚に他人の地雷を踏む様な発言ができる、恐れ知らずの魔女である。
「困りましたね。いくらクロノさんのペットとはいえ、まだこの場所を知られるわけにはいきません」
失礼な発言をしている自覚は全くないフィオナは、小首を傾げて少し悩む。
しばしの沈黙。
レキとウルスラは、武器の構えは解かず、むしろより一層の警戒をもって魔女の動向を見守った。
「————やはり、忘れてもらうのが一番ですね。というワケで、そこの二人、ちょっと記憶を消させてもらえませんか?」
「『ダウングレネード』ッ!」
ウルスラは迷わず先手を打つことにした。
どうやらあの魔女は、穏便にこの場を解決する気がないらしい。それは、何気なく放った「記憶を消す」という言葉だけでなく、言った瞬間にその体から寒気がするほどの魔力の気配が放たれたからだ。
それを感じた直感的な恐ろしさでいえば、全力で『白流砲』をぶち込みたいところだったが、流石にクロノの仲間を殺すわけにはいかない。戦闘不能にするか、あるいは一時的に足を止めて、自分達があの建物を通って脱出するだけの猶予ができれば十分。
そういう方針で、スタミナ切れを引き起こす程度で負傷はしない『ダウングレネード』を選択したウルスラだが……直後に後悔した。
「『白流砲』にしとけば良かったの」
「いきなり撃つとは、悪い子猫ちゃんですね」
炸裂した『ダウングレネード』が発した白煙は、瞬く間にオレンジ色に迸る火花と交じり合うようにして消えていった。
ちょうどドレインする分と同量の火属性魔力が発せられたことで、瞬時に、そして綺麗に相殺されたのだ。
『火矢』の一言もなく、恐らく無詠唱の発動ですらない。ただ体から魔力を少々放出するだけで『ダウングレネード』を無効化されていた。
魔術師として、レベルが違う————ウルスラはこの対応一つだけでそう悟った。
「ヤァアアアアアアアアアアアッ!」
一方のレキはいつも通り、ウルスラの攻撃に合わせてすでに走り出していた。
お互い、声が聞こえる程度の距離感のため、レキの健脚ならばあっという間に間合いは詰められる。
振り上げた『オブシディアン・ミッドナイト』は抜き身だが、一応は刀身の腹を向けることで、切り裂くのではなく打撃を与えて無力化させようという構えとなっていた。
もっとも、そんな手加減など全く意味であることは、すぐに思い知らされる。
「————『炎砲』」
火の津波。そうとしか思えない、大きな炎の壁が眼前から迫ってきた。
いくら範囲攻撃魔法とはいえ、下級ではありえない炎の広がり方。相応の覚悟を決めて突撃をかけたレキだが、流石に驚きは隠せなかった。
「ウォウ!?」
声を上げつつ、水晶の床にヒビを入れる踏み込みでジャンプ。直後、火炎の波が真下を通過してゆく。
前方を埋め尽くさんばかりの広範囲攻撃。それでいて炎の勢いは衰えることなく伸びてゆく。後衛のウルスラも飲み込む射程があることは明らかだが、相棒の心配は必要ない。
レキは跳躍した勢いのまま、魔女の頭上を襲うべく構えを崩さなかったが、
「『風盾』」
その呟きが、聞こえるよりも前にレキは宙を蹴った。
移動系武技の力が宿った足は何もない空気を確かに踏みしめ、レキの体を空中でありながらも加速させた。魔女の頭から振り下ろすところを、完全に飛び越すほどの勢いで飛んだ。
お陰で、直後に下から吹き上がって来た炎の竜巻に飲み込まれるのをギリギリで回避に成功。
火炎放射の真っ最中に、目の前に風の盾を形成するとどうなるか。上へと噴き上げる上昇気流で形成された『風盾』は、前面を守る風の盾としての役割だけでなく、炎を巻き上げた対空迎撃にもなったのだ。
レキはそこまで魔法の効果を理解してはいないが、獣じみた鋭い危機察知によって難を逃れた————のも、ここまでが限界であった。
「『石盾』」
「シィーット!!」
瞬間、回避で全力の跳躍をした進行方向に、巨大な石の壁が現れた。
発動速度から考えて、あらかじめ準備していたとしか思えないタイミング。レキが『炎砲』を飛び越え、『風盾』からの火炎竜巻も掻い潜り、自分の後方へ避けていくと全て読んだ上での魔法発動。
流石に今度こそ宙を蹴っての回避が間に合わないレキは、猫のように空中で身をひねって頭から石壁へ激突するのを防ぐ。
強烈な蹴りとなってレキの両足は石壁へと叩きつけられるが、頑強な『石盾』はビクともしない。
そして、石壁への着地によって俊敏な機動力が僅かに止まった、正にその瞬間。魔女はただ、杖だけを後ろに向けて、トドメの魔法を放った。
「————『雷矢』」
「うがぁああああああああああああっ!」
正しく雷の速さで飛来した雷撃に撃たれて、レキは絶叫と共に崩れ落ちる。
前衛戦士として、雷属性の攻撃を受けたことは何度もある。だが、この一瞬で全身から力を奪うほどの威力は、とても下級攻撃魔法に許されたものじゃない。
ランク4の戦士に相応しいタフネスを発揮するレキだが、フィオナの『雷矢』直撃には耐えきれなかった。普通に死んでもおかしくない電撃を喰らいながらも、気絶すらせず意識を保っているだけで称賛すべき根性。
だが、今すぐにこれ以上の戦闘継続は不可能となった。
「————『白夜叉姫』ぁあああああ!!」
レキが倒れたのとほぼ同時に、放射し続けていたフィオナの『炎砲』がついに打ち切られた。
自ら止めたのではなく、それを消し去るほどのドレイン能力をウルスラが解放したからだ。
白い女の幻影を浮かび上がらせたウルスラは、もう手加減無用とばかりに『白流砲』発射寸前の手のひらをフィオナへ向けていた。
すると、フィオナはゆっくりと、一歩、二歩、三歩と後ろに下がる。
魔女の足元には、意識はあるものの感電して行動不能に陥っているレキが転がっていた。
「くっ————」
「『土盾』」
今更、防御魔法を————と、まずウルスラは思った。
レキを盾にして、自分の最大の攻撃を防いだのに、攻撃しないのは何故なのか。
しかし、目の前にパラパラと落ちてきた砂を見て気づいた。これでチェックメイトであったことを。
「そんな、上に……」
自分の直上。美しい水晶の天井から、巨大な石の柱が異物のように生えていた。
『土盾』を作り出した基点は、地面ではなく、天井だったのだ。
もし、こんな巨岩が頭の上に落ちて来ればひとたまりもない。慌ててドレインの腕を伸ばして消そうとしたが、白い霧の腕は荒い岩肌を撫でるだけに留まった。
「完全に物質化されている……」
防御魔法として形成した直後に、『永続』によって物質として顕現させている。そうなると、魔力を吸収するだけで消すことはできない。
今の『白夜叉姫』は物理的な干渉も可能としているが……それでも、あの巨大な岩を受け止め切れるか分からない。なんなら、あの魔女はもう二つ、三つ、と幾らでも岩を追加することもできるだろう。
あの大岩は必殺の大魔法でも何でもなく、彼女にとっては下級防御魔法『土盾』でしかないのだから。
「もういいですか? 大人しくすれば、記憶を消すくらいはすぐ終わるので————」
「————ちょっとご主人! 早く戻ってきてよ!!」
完全な敗北を思い知らされ、ウルスラが『白夜叉姫』を消したその時、門からやかましく叫びながら、光る玉が飛び出してきた。
フィオナの冷たい降伏勧告を遮って登場したのは、どうやら妖精であるらしい。
「アイツら全然、私の言うこときかないし! 早く止めないと、お肉全部焦げちゃうわよー!」
「それは大変ですね。今すぐ戻ります」
肉がどうとか言う妖精の言葉に、踵を返しかけたフィオナが、そこで踏み留まって振り返った。
「そこの二人、手伝ってください。緊急事態なので」
「……分かったの。抵抗はしない。もう好きにすればいいの」
どうやら、向こうも戦う気は失せたようだ。
すでに自分達に対する興味をフィオナが失っていることを何となく察したウルスラは、大人しく彼女の言い分に従うことにした。
「うっ、むうぅ……ウルゥー」
「レキ、大丈夫なの?」
「体がビリビリするー」
早くも感電から復帰し、立ち上がったレキにウルスラは駆け寄る。
「それで、どうするデス?」
「何だかよく分からないけど、とりあえず魔女について行くの」
事情は全く分からないが、この魔女には今の自分達では逆立ちしても勝てないことは理解した。覚悟を決めて、二人は黙って魔女に従うことにしたのだった。