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黒の魔王  作者: 菱影代理
第40章:蘇る帝国
837/1047

第831話 監獄(2)

「自由学園……一体なんなんだ、この場所は……」

 囚われの女騎士テレシア。カーラマーラ大監獄と銘打たれながらも、自由学園だ、と囚人が呼ぶ謎の場所へ収容されて、早三日。

 いまだに、テレシアは自分がどういう状況にあるのか把握しかねていた。


 パーパパーパパッパラー!


「みんな、朝だよ! おはよう!!」

「おはようございまーす」

 起床は朝6時。

 どこからともなく流れてくる軽快なラッパの音が目覚まし代わりとして鳴り響く。

「テレシア、おはよう!」

「ああ……おはよう」

 最初に出会った四人の魔族とは相部屋で、ここ三日は寝食を共にしている。どうやら、この四人はヨッシーをリーダーとした班、という扱いになるらしい。

 謎の四腕巨漢にオークが同室とあって、貞操の危機を強く覚えて初日は一睡もできなかった。この二名がいなくても、狼ちゃんと呼ばれる狼獣人に食べられるのではという、命の危機も想定していた。

 しかし、驚くほどに何もない。何も問題は起こらない。警戒するのもついに限界を迎えた三日目の昨晩は、完全に熟睡していた。

 ヨッシーをはじめ、彼らはテレシアを親しい友人であるかのように接してくる。魔族と共に暮らし、言葉を交わすなど十字教徒としては正気の沙汰ではないが……ここで下手に騒ぎを起こして、拷問を受けるようなことは避けたい。十字軍の助けも期待できない状況であれば尚更。

 ひとまずは、この何故か友好的な魔族に合わせて、大人しく過ごすより他はない。テレシアはそう心に決めて、屈辱の監獄生活を送ることにしたのだった。

「ほら、みんなそっち寄って……はい、着替えていいよテレシア」

「あ、ありがとう……狼ちゃん」

 男女どころか異種族混合の相部屋だ。着替えも当然、同じ部屋で行われる。

 十字教徒として真っ当な倫理観と性意識を持つテレシアとしては、男かつ魔族を相手に自らの肌を晒すなどとんでもない恥辱であると認識する。

 そんなテレシアを、彼らは「恥ずかしがっている」と認識したようで、わざわざ部屋の隅をシーツで仕切って、簡易的な更衣室を用意した。テレシアが着替える、ただそれだけのために。

 勿論、彼らはテレシアに対して邪な視線は一切向けてこない。まるで、純真な幼い子供のようである。

 人前で肌を晒すのは、と恥ずかしがっている自分の方がおかしいのではと思うほどに、彼らの行動は好意と誠意に溢れているものだった。

「やはり、今日も綺麗な白服……囚人にこんな清潔なものを着せているのか」

 更衣室の中で、用意された白い衣服を握りしめて、テレシアは呟く。

 この囚人服と思われる、男女揃いのシャツとズボンに着替え終わった後は、共同の水場で顔を洗い、歯を磨き、あるいは用を足す。水場のすぐ傍に設けられた共用トイレには、各自勝手に行くことが許されている。少なくとも、見える範囲で看守や衛兵の姿はない。

 大勢の魔族達がやって来るが、大きな騒ぎもなく、朝の爽やかな雰囲気に包まれている。

「みんな、急ごう。もう始まるよ!」

 テレシアのための更衣室設営で他の部屋の者達よりも、朝の支度を済ませるのが出遅れたヨッシー班は、やや駆け足で外へと向かう。

 眩い朝の光が降り注ぐそこは、広大な円形の中庭だ。巨大な切り株のような円筒形の大監獄は、中心部は大きな空洞となっており、そのまま中庭となっている構造であった。

 青々とした芝生が広がる中庭には、他の棟からもやってきた囚人達が大勢集まって来る。彼らは訓練中の兵士達のように、看守らしき黒衣兵の指示に従って整列をしてゆき、同時に点呼が始まった。

「L4‐D552、テレシア・テルディア」

「はい」

 自分の番号とフルネームを呼ばれ、テレシアは大人しく点呼に応えた。

 班員にはテレシアと名前こそ流れで名乗ってしまったが、テルディアの家名までは捕まってより一度も口にはしていない。だが、すでにテルディアの名は知られている。

 他に自分を知る者が捕まって、名前を教えたのか。あるいは、何か邪悪な方法で頭の中を覗かれたのか。今のテレシアには知る由もないことだ。

「パンデモニウムのみんなー、おはよぉー! リリィだよぉー!!」

「おはようございます、リリィ女王陛下!!」

 そして、時刻は6時30分。中庭の中央に建つ巨大な光魔法の投影装置から、全方位に向かって映像が映し出される。

 黒いワンピースを着た、幼い妖精の女の子が天真爛漫な笑顔で言う。そして、ここに集った全員が大声でそれに応える。

 どうやらこの国を統べる女王が、この妖精幼女であるらしい。

 幼児が王位につくことは歴史上間々あることだと理解はできるが、こうして易々と君主が民の前に、それも下賤な囚人の前に姿を見せるなどテレシアには信じられないことだ。たとえ光魔法による映像のみとはいえ、みだりに姿を晒すのは問題なのでは。

 しかしここは魔族の国。神の国たるシンクレアの常識は通用しない。

「万歳体操、はっじまっるよぉー!」

「女王陛下、ばんざぁあああああああああああああい!!」

 そうして陽気な音楽と共に、謎の万歳体操なる儀式が始まった。

 映し出される妖精女王に合わせて、みんなでダンスを踊る。まだ三日目のテレシアでも、すでに覚えられるような簡単な振り付けである。

 ヨッシー達は他の囚人同様、一糸乱れぬ完璧なリズムで踊っている。自分のように新参なのか、若干テンポがズレたり、間違っている者も見受けられるが……それで叱責されることはないようだ。

 重要なのは、真面目に踊ることと、大きな声で「万歳!」と叫ぶこと。

「くっ……あ、ああぁ……」

 不意に、うめき声を上げて膝を屈する囚人が、たまたまテレシアの目に入った。

「うっ、頭が……あ、あたま、ままま……」

 深刻な頭痛に苛まれているのか、両手で頭を抱えるようにして、その囚人は意味不明の言葉を呟きながら、地面でもがいている。

 これ以上なく分かりやすく倒れているにも関わらず、囚人の班員はそれが見えていないかのように体操を継続していた。恐らく、何があっても中断することは許されていないのだろう。

 勿論、テレシアも囚人を助け起こしに動こうなどという気は全くなかった。ただ、苦しみ倒れた者を放置して、誰もが一心不乱に踊り続ける光景に不気味な感覚を覚えるのみ。

「それじゃあみんな、またねー」

「ありがとうございました! リリィ女王陛下万歳! 万歳! バンザァアアアアアアアアアイ!!」

 と、万歳三唱で締めて、朝の儀式は終わりを告げる。

 きっと、これによって魔族は結束を高めているのだろう。十字教の朝のお祈りなどと、同じようなもの。テレシアはひとまずそう解釈することにしている。

 例の倒れた囚人は、ようやく黒衣兵によって搬送されていった。

 ヨッシー曰く、ああして突如として倒れる者は、自由学園ではそう珍しいものではない。ここでは心や体に病を抱える者も等しく受け入れているので、ああいった『発作』が起こるのはよくあること。そうして倒れたとしても、ちゃんと治療を受けて、再び戻って来るそうだ。

 倒れたら『保健室』と呼ばれる救護所に移送され、そこで治療を受けられる。長期の治療や療養が必要な場合は、『入院』と呼ばれる措置もとってくれるようだ。

 そして入院から戻って来た者は、心身ともに健康となって、再び自由学園での生活を送ることになる。そうなれば、もう発作の心配はない……らしい。

「ご飯だゴブー」

「フォッフォッフォ、飯はまだかいのう」

「博士、朝ご飯はこれからだよ!」

 万歳体操を終えた後は、整列して食堂へと向かう。

 広々とした食堂は、監獄らしく殺風景な灰色の石造りではあるが、小奇麗に清掃が行き届いている。

 どんな臭い飯が出されるのかと思えば、意外にも立派な内容の食事が配給されている。

「……美味しい」

 今朝の献立は、パンと付け合わせのジャム。目玉焼きと厚切りのハムに、葉野菜のサラダ。そしてトマトベースのスープであった。

 十字軍で出る食事よりも、遥かに上等だ。遠征をしていない、地元の騎士団に居た頃でも、朝食はもうちょっと質素なメニューだった。

 ただの囚人に、どれだけ良いものを食わせているのか。それだけ、魔族の国は豊かなのか。  このパン一つとっても、硬い黒パンではなく、白パンであるだけでも驚きだ。自分の知る

パンよりも小麦の風味が薄い気がするが、この柔らかさを当たり前に食べられるのは贅沢

なことだ。

 さらには卵に加え、肉まであると来たものだ。ちょっと何の肉なのか分からない、豚よりも脂っぽい謎の肉で出来たハムだが、毎食これほどの肉が食べられるのも凄いことである。

 野菜も瑞々しく、スープも具沢山。

 子爵家の三女として、そこらの庶民よりは舌が肥えているテレシアでも満足がいくような食事であった。

「みんな、今日の一時間目は算数だよ!」

「算数、苦手ゴブ」

「フォッフォッフォ、数字はこの世界の真理を解き明かす道具であり————」

「また博士が語り出した」

 自由学園、と呼ぶだけあって、ここでは授業が執り行われている。

 囚人を相手に学問など教えるはずがない。だが、ここでは真っ当に様々な学問の授業が行われていた。

 算数、と呼ばれる授業は、どうやら基礎的な算術のようだ。子爵令嬢にして、エリート騎士であるテレシアにとっては、この程度の算術は幼い頃に習得済み。

 だが、ここに集っている大半は、簡単な足し算にも苦労している。

 自分と同じ、あるいはそれ以上に算術に秀でているのは、博士と呼ばれている同室の老人くらいだった。

「テレシアちゃん、答え見せて」

「……狼ちゃん、計算は自分でやらねば、いつまでも身につかぬぞ」

「グルルぅ……」

 隣に座った狼獣人の狼ちゃんが、コソコソっと優秀なテレシアの解答に頼って来るが、思わず正論で断ってしまった。

 狼ちゃんは小さな唸り声をあげなら、困ったようにフサフサの尻尾を揺らして引き下がるのだった。

 そんな彼女の様子を見て、昔、実家で飼っていた大きな犬を思い出す。デカい図体のくせに、ちょっと叱られると悲しそうに鳴いていたものだ。

 こうして素直な反応を見ていると、狼獣人も可愛く思えてくる————

「くっ、何を考えているのだ、私は……魔族を相手に、僅かでも心を許そうなどと……」

 邪悪にして狂暴な魔族。神が創りたもうた至高の存在である人間に仇なす、滅ぼすべき敵。

 そうであると教えられ、それが真実であると信じたからこそ、パンドラ遠征に参加した。正義は我にあり。

 だがしかし、あまりに純真な彼らの姿をこうも間近で見せつけられると……不動のはずの信念が、揺らぎ始めたような気がした。

「————テレシア!」

「む……なんだ、ヨッシー」

「どうしたんだい、ボーっとして?」

「お腹痛いゴブか?」

「いや、別に問題はない」

 本気で心配そうな表情を向けられて、それを直視できずにテレシアはやや顔を背けながら、平然としたフリをして答えた。

 重ねて「なんでもない、授業に集中しないと」とそれらしいことを言って、算数の講義が映し出されるヴィジョンを指した。

 授業は基本的に、朝の万歳体操と同じく、光魔法で映像を映し出すヴィジョンと呼ばれる魔法具マジックアイテムによって行われている。教室内には看守もおらず、多少の私語も共用される、非常に緩いものだった。

 何千、下手すれば万を数えるだろう囚人達へ、一斉に同じ授業を学習させるにあたって、これほど効率的かつ先進的な方法はないだろうと、テレシアは魔族の魔法技術の高さに内心、驚かされていた。

 強いて問題といえば、画面が明るすぎて、集中して見つめていると目がチカチカすることか。光魔法の調整の問題なのだろうか、時折、妙なフラッシュが画面にチラつくこともあった。

 そのせい、なのだろうか……

「一、二、三……三! さぁん!?」

 教室にいる他の班の囚人が、数字を叫びながら突如として立ち上がった。

「さん! さん、なんで……違う、計算……じゃない、間違ってるの、俺……俺じゃない、これは、俺じゃないんだぁあああああああああああああああ!?」

 囚人は、やはり頭を抱えて叫び出すと、盛大に鼻血を噴き出し、机の上にぶっ倒れた。

 すると、すぐに黒衣兵が教室に現れ、黙って倒れた囚人を抱えて搬送していった。彼もまた、保健室へと送られたのだろう。

「なんか、今日は倒れる人多いね?」

「算数、難しいから」

「難しいゴブ」

「フォッフォ、倒れるほどになってからが、数字の世界は本番じゃよ」

「みんなも、体調には気を付けて! 気分が悪くなったら、すぐに言ってね!」

 発狂して倒れたような者を見ても、そんな程度の感想で済んでしまう。自由学園は平穏そのものだが、頭の問題を抱えた者も受け入れているからこそなのだろう。

 そう自分を納得させて、テレシアもなるべく気にしないように努めて、黙って授業を受け続ける。

 その後、さらに二名ほどが保健室送りになりつつ、午前の授業は全て終わった。

ラッパの音が吹き鳴らさると共に、再び食堂へ向かい、そこで昼食も済ませる。きちんと朝食とはメニューも変わっているあたり、本当に恵まれた食事であった。

「————体調が悪いなら、無理しちゃダメだよ。午後からは採掘なんだし」

「安全第一ゴブ!」

「いや、本当に大丈夫だ。昼休みももう終わってしまう、早く行こうではないか」

 テレシアはいまだ心配そうな視線を向ける班員達より率先して、作業場へと歩き始めた。

 授業という囚人らしからぬ真似をさせられる午前中であったが、午後からは如何にも刑務作業に相応しい、暗い地下での鉱石の採掘作業がある。

 初日に説明を受けた時、やはり囚人として厳しい重労働を課せられるのだと、納得と共に覚悟も決めた。この自分が労働奴隷の如き扱いを受けるのは屈辱的ではあるのだが、拷問にかけられるよりは遥かにマシである。

 何より、身体強化系の武技と強化魔法、どちらも扱えるテレシアはフィジカルには自信がある。他の囚人と同程度の働きぶりで、それほど苦労することなく作業を誤魔化すこともできるだろう。

 そんなことまで考えていたが、保身のための策はほとんど役に立つことはなかった。

「よし、今日はこの辺を掘ろうか。みんな、無理をしたら絶対にダメだよ。もしもモンスターを見かけたら、すぐに逃げること」

「はーい」

 と、班長のヨッシーからお馴染みの注意を聞いてから、それぞれツルハシなど採掘道具一式を装備して、明るく煌めく洞窟での採掘作業が始まった。

「やった、おっきいの見つけたゴブゥ!」

「ガルル、いいなぁ」

「フォッフォ、これはワシも負けておれんぞ」

「博士、また腰痛めちゃうから、無理しちゃダメだよ」

 相変わらずの、和気あいあいといった雰囲気で採掘作業は行われている。

 監督役である黒衣兵の姿はそこら辺にちらほらいるが、あまり効率的とはいえない囚人達の作業にも、彼らは特に注意をしたりはしない。

 昨日に一度だけ、モンスターを近くで見かけたから退避するように、という指示を受けたくらいで、基本的に彼らは無干渉である。

 お陰で、どんなキツい労働環境かと身構えていたテレシアは、初日から拍子抜けすることとなった。

 この洞窟での採掘作業など、成人したての駆け出し冒険者が、お友達パーティではしゃぎながら採取クエストをやっているようなヌルさである。特に採掘のノルマなどがない以上、新人向けの採取クエよりも簡単だ。

「それにしても、ここには一体どれだけの魔石が埋蔵されているんだ……」

 たまたま見かけた、拳大の緑の魔石をツルハシで掘り出す。鮮やかに輝くグリーンは、それなりの風属性魔力を秘めていることが、鑑定魔法にかけずとも分かった。魔石の原石としては、なかなかのものである。

 そして、ここにはこれくらいの魔石はゴロゴロしているのだ。

「これだけ魔石を算出するダンジョンがあれば……いや、だからこその発展具合なのか」

 ここは第四階層『結晶窟クリスタルケイブ』という名前がつけられていることは、初日に聞いた。大迷宮、という超巨大な古代遺跡のダンジョンであり、ここはその四番目のエリア。

 多少は古代遺跡系のダンジョンの経験があるテレシアは、採掘作業のために転移魔法陣を利用してここまで移動したことだけで、それらが嘘ではないことを確信できた。

 そして、この『結晶窟クリスタルケイブ』では大量の魔石が産出することは、身をもって実感しているところだ。こんなお遊びのような採掘作業だけでも、それなりの収穫になるほど。

 これほどの埋蔵量を、容易に採掘できる環境。シンクレアにあれば、まず間違いなく教会か現地の貴族が独占している。

「ふっ、今の私には、もう関係のないことか……」

 三日も経てば、素直な諦めの気持ちも受け入れられるようになってくる。やはり、どう考えても十字軍がすぐにこの国まで攻め込んできてくれるとは思えない。

 そして、随所に古代遺跡の監視機能があるらしい、この自由学園からの脱獄も現実的ではなかった。

 看守たる黒衣兵の数こそ少ないが、常に班単位で動くため単独行動そのものが取りにくい。こういった場所で姿を消せば、班員がすぐに心配して探しに来るだろう。

 ここでの生活は、精神的にも、肉体的にも、何ら辛いところはない。思えば、騎士を志した時から、心からの安息を得られたことはなかった。厳しい修練に、山のような仕事量。そして何より、騎士として戦場に立つ極限の緊張感。

 ここは一つ、長い休暇とでも思って、しばらくゆっくり過ごすのもいいかもしれない————そんなことを思った時であった。

「いやぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 高らかな女の悲鳴が、洞窟いっぱいに響き渡った。

 すわ、モンスターか、と緊張感が俄かに走ったが、次の瞬間に現れたのは、悲鳴を上げて走って来る女性の囚人。それと、彼女を心配そうに追いかけて来る、魔族の班員達であった。

 他には何もない。どうやら、モンスターが出現したわけではなく、単純に女囚人が一人で騒いでいるだけのようだった。

 また発作を起こした病人が出たか、と早くも慣れ始めたテレシアが興味を失うと、

「あっ、貴女、テレシア! テレシア・テルディアでしょ!?」

「なっ!?」

 悲鳴を上げて逃げてきた女は、自分を見るなりそう言った。

 突如としてフルネームを呼ばれ、流石に驚かされる。

「なんだ、誰だ貴様は。何故、私の名を」

「私はモンドクレス伯爵家の魔術師部隊の副隊長なの。貴女の顔は、たまたま陣地で見かけたから知っているだけよ」

 まさかの、同じ十字軍の者だった。

 だがしかし、自分が捕まったように、スパーダでの戦いで捕虜となり、ここへ送られるのは納得のいく末路だ。彼女がここにいることに、おかしなことは何もない。

「私は魔術師だから、何とか精神防護で耐えてきたけれど、もう限界なの……こんなところにいたら、おかしくなるわ! 早く、早く逃げないと!?」

「おい、落ち着け。ここから脱走するなど無理に決まっている。下手な騒ぎを起こせば、警戒されるだけだ」

「そんなこと言ってる場合じゃないのよ! 貴女は何も感じていないの!? ここはおかしい、全てがおかしい、おかしくなるよう作られている! ここにある全ては、人を洗脳する————むぐぅ!?」

 そこから先の言葉は、彼女の口を塞ぐ大きな青銅の手によって遮られた。

「ヨッシー!?」

「テレシア、発作を起こした人の言うことを、あんまり聞いちゃあダメだよ。自分も、おかしくなっちゃうからね」

 どこか悲しそうな表情を浮かべて、いつの間にか接近していたヨッシーが女囚人もとい、女魔術師を拘束していた。片手で口をふさぎ、残る三本の力強い腕で完全に抑え込んでいる。

「いや、しかし、彼女は……」

「可哀想に、この人も病気で苦しんでいるんだね。でも、大丈夫だよテレシア、こんなのちょっと入院すれば、すぐに良くなるから!」

 騒ぎを聞きつけたのか、ようやく黒衣兵がやって来た。女魔術師の班員達も、やはりヨッシーと同じように心から心配そうな表情を浮かべて、成り行きを見守っている。

「……そう、だな」

「んんーっ! んぅううううう!!」

 黒衣兵に拘束され、必死にもがいて抵抗する彼女を黙って見送った。

 どの道、今すぐここから逃げ出す方法など存在しない。

 そもそも、逃げたところでどうなるというのか。逃げた先で、ここよりも良い生活が待っているかと問われれば、首を傾げざるを得ないだろう。

 少なくとも、班員達はここでの生活に心から満足している。毎日、笑顔で楽しく過ごす様子は正に子供時代そのもの。博士のような老人でさえ、毎日溌剌としている。

 衣食住、共に何不自由のないものだ。授業で学問を習い、採掘作業では無理なく体を動かせる。人として健全な一日の過ごし方と言ってもいいだろう。

 しかしながら、彼女が「ここはおかしい!」と叫んだ気持ちも、分からないでもない。

 実際、大の大人がこんな生活を送るだけで、これほど無邪気に喜べるものだろうか。大人には、それ相応の欲があるものだ。

 物欲に性欲という即物的なものもそうだが、地位や名誉を求めるようになるのも大人だからこそ。人は複数集まれば派閥ができ、お互いに相争うようになるのが自然な状態。自分が上に立つために、他人を蹴落とすことも厭わない————それが社会というものだ。

 だが、ここにはそんな人を貶めるような悪意は存在しない。童話にでも描かれるような、優しい世界。

 あまりにも、この自由学園は綺麗すぎる。不気味なほどに、不自然なほどに。人が本来持ち得る僅かな『悪』さえ許さず、まるでどんな大人でも純真無垢な子供の精神性へと退行させているかのよう————

「————でも、悪くない」

 それが、偽らざる今のテレシアの気持ちであった。

 自分を知る十字軍の魔術師が現れるというアクシデントはあったものの、彼女が連れられて以降は何も変わったことはない。

 ほどよい疲労感と空腹感を覚えた頃には採掘作業は終了し、そのまま入浴となる。

 流石にここでは男女別になっており、テレシアも気兼ねなく湯舟に浸かることができた。狼ちゃんの毛並みを洗い、自分も汗を流した後に夕食となり、今はそれも終わった自由時間だ。

 テレシアは班員達とだらしなく中庭の芝生に寝転びながら、巨大ヴィジョンから流される番組を一緒に眺めている。

 奇抜な服装をした芸人達が、コミカルに舞台を転げ回っては大笑いを誘っている。魔族の国の文化など全く知らないが、そこは芸のプロというべきか、本能的な笑いのツボをついてくるような、子供でも分かるほどのシンプルな面白おかしさがある。

 テレシアの顔には、自然と笑みが浮かんでいた。

「もしかしたら楽園エデンというのは、こういう場所なのかもしれない」

 ここには、悩みも苦しみもない。人間以外を魔族と指して、憎悪する必要性すらない。

 敵がいないなら、戦う意味もない。辛く苦しい鍛錬に、本心を押し殺して自ら律することもしなくていい。

 あるがままに、ただ仲間達と一緒に過ごし、笑い合って暮らせばいいのだ。

 この優しい世界で、永遠に————温かいベッドの中でまどろむテレシアの頭の中には、そんなことがぼんやりと浮かんでは、夢の世界へと旅立って行くのだった。




「————それで、自由学園の方はどうなのかしら?」

「はい、女王陛下。元からの囚人に、スパーダ難民の反乱分子、ならびに十字軍の捕虜。全て、問題なく『良い子』となって過ごしております」

 白百合の玉座に腰かけるリリィへと、一人の妖精がスラスラと回答する。

 金髪に緑の瞳。リリィと同じカラーリングは、妖精族ではありふれた色合い。

 しかし、綺麗にセットされたシニヨンヘアと身に纏う漆黒の軍服ワンピースから、この白百合玉座の間に住みついている素っ裸で無邪気に遊び回る普通の妖精とは、一線を画す存在であることは明らかだ。

「そう、それは良かったわ。ありがとう、カレン。私の代わりに、色々と面倒を押し付けてしまって」

「とんでもございません。全てはリリィ女王陛下のために」

 カレンは、スパーダでは『フェアリーテイル』という酒場を営んでいた、珍しく人里で真っ当な労働に勤しむ妖精である。

 最初はただの好奇心から始めた首都スパーダでの生活だが、長らく過ごすうちに妖精族生来の幼さは消え、大人のような精神性を獲得するまでに成長した。そうして大人びた精神とテレパシー能力、スパーダ生活で培った人脈を生かして、情報屋としての活動もするようになっていった。

 すっかり界隈では名の知れた情報屋となった頃、客として訪れたのがリリィである。

 半人半魔の妖精リリィ。彼女の特殊性は一目見てすぐに分かり、言葉を交わして完全に理解した。

 リリィは決して敵に回してはいけない類の存在であり、カレンはリリィの求めに応じて真摯に情報屋として対応し、彼女がスパーダで暮らしている間はそれなりの頻度で依頼を請け負っていた。リリィとしても、カレンの仕事ぶりには満足し、素直に信頼を置くようになった。

 そうした良好な関係が築かれていたが、十字軍により首都スパーダが陥落し、カレンも店を捨ててパンデモニウムへ避難することになってしまった。長年に渡って営んで来た店を失ったことは悲しいが、沢山の人々で溢れかえる新たな国で、また再出発しようと思ったところに、声がかかった。


「全ての妖精達よ、私に従いなさい。この妖精姫リリィが次代の女王となるのだから」


 満月の夜に響いたリリィの声に、カレンは一も二もなく従うことを決めた。

 最寄りのモノリスまで真っ直ぐ飛び、描き出された翡翠に輝く転移魔法陣へと飛び込んだ。

「貴女のように大人びた妖精は、本当に得難い貴重な人材よ。まだしばらくは、貴方にしか任せられない仕事が沢山あるけれど……どうか、私に力を貸してちょうだい」

「もったいないお言葉。このカレン、全身全霊をもって励みましょう」

 見事な礼をとるカレンにリリィは満足気な微笑みを浮かべるが、そのすぐ後ろでキャッキャとはしゃいで追いかけっこしている妖精達の群れが視界に入って、小さな溜息を吐いた。

「はぁ……妖精の育成方法も考えなきゃね」

「私にお任せください」

「これ以上の仕事を増やすのは心苦しいけれど、今のところはお願いするしかないわね」

 現状、リリィが妖精に求める仕事を完璧に遂行できるのはカレンだけであり、次点で彼女が店で雇っていた同族の店員達である。ウェイトレスとして働いていた彼女達はカレンから指導を受けているため、自然にのびのび過ごしている普通の妖精に比べれば遥かに精神年齢は高い。

 もっとも、さほど大きな店でもなかったし、そもそもカレン同様人里まで出てくる妖精自体が少ないので、即戦力の妖精は僅か数人である。

「自由学園が問題なく機能しているようなら、ネネカにでも引き継がせるわ」

「はい、全ての洗脳術式は正常に動作しております。流石は、女王陛下が自ら施された儀式魔法、見事な効果にございます」

 カーラマーラ大監獄改め、パンデモニウム自由学園。

 ここはパンデモニウム中心街よりもさらに強力な洗脳効果を発揮するよう、施設全体に催眠誘導の術式を施した収容施設である。

 壁、廊下、天井、目に見える部分は全てラストローズ式の魔法陣が施され、眩しい照明の輝きに、施設全体に流されるBGMに至るまで、全てが催眠を誘導するための仕掛けとなっている。

 中庭での放送、朝昼晩の食事、各授業、といった日課の要所で、より催眠を深める行動もさせる。それは放送に合わせた体操であったり、食前食後の挨拶、授業用ヴィジョンの発光など、あらゆる部分にそれらは仕込まれている。

 催眠誘導のない時間は、精々が午後からの採掘作業中くらい。この昼1時から夕方5時までの4時間程度ならば、催眠効果が薄まることもない。

 この強烈な催眠効果を発揮する場所で一週間も暮らせば、自分でも気づかない内に思考、思想が変わっていくことだろう。

 一度入れば、二度と出られない。いいや、二度と出る気がなくなる、という恐るべき洗脳監獄。それがパンデモニウム自由学園だ。

 その目的は、犯罪者や反乱分子の収監という本来の監獄としての役目の他にも、十字軍の捕虜収容と尋問、さらにはあらゆる種族に対する洗脳効果を実験するというものも含まれている。

 洗脳魔法が通じるならば、どんな凶悪犯罪者や十字教原理主義者も、みんな仲良しこよしの素直な良い子へと変えることが可能。大人しく従うようになれば、何でも喋らせることもできるし、囚人の厳しい管理も必要なくなる。

 大切なのは洗脳効果が揺らがぬように、平穏な日々を過ごさせること。ついでに、帝国のための労働力となれば尚良し。最悪、人体実験の末に廃人と化しても、全く問題のない人材だ。何もなくても、断頭台の露と消えるべき者達が大監獄には揃っているのだから。

「それで、何かめぼしい情報は得られたかしら?」

「詳細はモノリスへまとめて送信済みです。おおよそ、こちらの予測通りの内容といったところですが……一点だけ、気になることが」

 カレンが一礼してから、サっと手を掲げれば、チカチカと手元が点滅した次の瞬間にホログラムの画面が投影される。

 そこに映し出されたのは、眩しいほどの白い光に輝く尋問室にて、ぼんやりした表情を浮かべる金髪の女性————十字軍の捕虜、女騎士テレシアの姿があった。

「……聖杯」

 テレシアはうわ言の様に呟く。

「聖杯、とはなんですか?」

今はかなり深い催眠状態にあるのだろう。呆けた表情でありながらも、尋問を担当したカレンの質問に素直に超えた。

「神の奇跡を宿す、聖遺物……第二の、聖母アリアの純血聖杯……これがあれば、我々、十字軍は……」

「聖杯は、十字軍が持っているのですか?」

「総司令アルス枢機卿は、聖杯を……勇者アベルより受け継ぎ、パンドラ征服の……ああ、神のご加護が、我らに……」

「聖杯には、どんな効果があるのですか?」

「奇跡だ……神の奇跡が、起こる————うっ! ぐうぅ……私は、魔族なんかに……違う、でもみんなは優しくて、こんな私でも、ああ、みんな……」

「今日はここまでしておきましょう」

 そこでホログラムは閉じられた。

 改めてカレンはリリィへ向き直り、続きを話す。

「新たな十字軍総司令官であるアルス枢機卿という男が、『白の勇者』と称される第二使徒アベルより『聖母アリアの純血聖杯』という十字教において特別に神聖視される魔法具マジックアイテムのようなモノを入手し、こちらへと持ってきたという証言が、複数の十字軍捕虜から受けております」

「証言した捕虜達の階級は?」

「テレシアのような兵を率いる中隊長クラスから、ただの一兵卒まで。秘密にされた情報ではなく、十字軍において広く知らしめた内容かと」

「戦意を高揚できるほどの、特別なモノというワケね……まるで使徒のような扱いだわ」

 単なる伝説的な肩書きだけの骨董品であるなら、大した問題ではない。

 だが、もし本当に白き神の奇跡なるものを引き起こす、とんでもない代物であれば————

「まったく、悩みの種が増えるばかりで、嫌になるわね」

 女王陛下は、不機嫌にそう口を尖らせるのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ※主人公勢の行いです。
[一言] もはやホラーなんだよな
[良い点] やべぇ、ずっと笑いが止まらんかった~ [一言] いや~まるで絵にかいたような社〇&共〇の思想学園ですョ ストレスフリーで勤労&学習意欲と友愛を育む施設 もう一歩進めばこの世界を絶対のモノと…
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