第825話 同盟か従属か
緑風の月5日。
「我こそは、ヴァルナの百獣王、『大牙の氏族』が族長、ライオネル・レオガイガーであるっ!!」
白い毛並みの獅子獣人の高らかな咆哮が、神殿の大広間へと響き渡った。
「久しぶりだな、ライオネル。変わらず元気そうで何よりだ」
ヴァルナ百獣同盟において三大氏族の一つ『大牙の氏族』、その元族長がこのライオネルという声も体もデカい男だ。
彼とはヴァルナ森海に入る手前の街サラウィンで出会い、獅子獣人を誘拐しては生贄に捧げていた邪教『審判の矢』を巡る事件で知り合った仲である。
こうして直に顔を合わせたのは、あの時以来となる。
「ガッハッハ! クロノよ、おぬしはなにやら、また一つ大きな戦いを乗り越えたような顔をしておるな。早い成長は若さの証か、羨ましいのう!」
老年の域に達したが故の勘か、それとも単なる当てずっぽうか。色々とあったことは確かだが。
「今日は、良い場所を用意してくれてありがとう」
「なぁに、ここはあらゆる部族が交わるメテオフォール。諸外国から客を招いて一堂に会するに、相応しい場であると自負しておる」
俺達が今いる場所は、ヴァルナ森海のオリジナルモノリスがあるメテオフォールという街だ。森海のほぼ中央、百獣同盟の部族や他国の商人が交流する最も発展した場所である。
この神殿はオリジナルモノリスのあるピラミッドではないが、また別の古代遺跡の一部を利用した、現役のパンドラ神殿となっている。太い円柱などの基本的な造りはスパーダなどで見られる者と同じ様式だが、随所に緑の蔦が這っていたり、鮮やかな花や果実が実っていたりするところが、実にジャングルチックである。
メテオフォールにおいては最も格調高い建物で、一般人が個人的に利用することはないのだが、元族長のライオネルに、招く相手が他国の王族級となれば話は別である。
今回は非公式な、あくまでプライベートでの立場で顔を合わせているという建前になっているが……
「失礼します。僕はアダマントリアの第三王子カールと申します。この度はお招きいただき、大変、光栄です」
ほどなくして、広間へとやって来たのは、カール・バルログ・アダマントリア。
ドワーフの国アダマントリアの王子で、俺達が訪れた時はフレイムオークの軍勢との戦いによって、行方不明となっていた。
俺達は捜索のクエストを受けた結果、一週間近く狭苦しいバルログ廃坑を這いずり回った挙句、いいところは全部地上に一人で残っていたフィオナに持って行かれるというオチがついたものだ。
第三王子カールは、結局、単独で生き延びて帰還を果たしたのであるが、この経験で優秀な二人の兄に対する劣等感や無力感などを拭い去り、精神的な成長を果たしたそうである。
今回、俺はこの集まりにアダマントリアから代表者一人が来て欲しいとお誘いをかけたのだが、それに名乗りを上げたのがカール王子であった。
「カール王子も、久しぶりだな。今日は公の場ではないから、堅苦しいのは抜きで行こう」
「はい、クロノ様。ご配慮、痛み入ります」
言葉遣いこそ堅苦しい感じではあるが、余裕をもった微笑みを浮かべるカール王子の姿から、十分な理解は伝わってくる。
しかし、前に会った時はこっちが王子殿下、と敬語を徹底しなければいけない立場だったが、今ではカール王子の方が様付けで呼ぶようになっている。
確かに俺の身分は一国の君主を名乗れるものになったが、実際にそうだと他国の王族から認められるのは並大抵ではない。それだけ、カーラマーラのネームバリューは強かったということだ。
ともかく、今この場には言葉遣いがどうとか礼儀がどうとかうるさく言う者はいない。
初対面となるライオネルとカール王子も、お互いに和やかな挨拶と自己紹介に入っている。
そうして、三人でしばし歓談していると、
「————どうやら、私が最後のようですね。遅れてしまい、申し訳ありません」
「いや、時間通りだよ。気にしないでくれ、ブリギット」
招いた最後の招待客である、ファーレンの巫女、ブリギット・ミストレアだ。
相変わらず褐色のエキゾチックな美女ぶりである。彼女の顔を見るたびに、色仕掛けされたことを思い出してしまうので、いまだに見つめられるとドキっとさせられてしまう。
ファーレンの旧都モリガンにあるオリジナルモノリスは、スパーダへ帰る時に使ったりもしたので、ブリギットとは割とこの間も顔を合わせたばかりでもある。長々とした再会の挨拶は省く。
「改めて、わざわざ各国から集まってくれて、感謝している。みんなには、この場でもう一人紹介したい人がいる」
招待客の三人が集まったところで、ようやく俺の連れを紹介できる。
彼は広間へと、赤いマントを翻し、堂々とした足取りで入場してきた。
「我こそは、スパーダ国王ウィルハルト・トリスタン・スパーダである————」
さて、これでスパーダ、ファーレン、アダマントリア、ヴァルナ、の四ヶ国の要人が揃った。気合を入れて、俺も役目を果たすとしよう。
とはいえ、いきなり本題を切り出す雰囲気でもない。
まずは広間にて、そのまま会食となる。
いくら顔見知り相手とはいえ、それぞれが各国を代表する身分や肩書を持つ。主催者として、金に糸目をつけずに料理は用意した。
まぁ、予算を出したのはパンデモニウム女王のリリィだし、料理を作ったのはサリエルを筆頭としたウチのホムンクルス使用人だけど。
今日は別に戦いに行くわけでもないので、リリィもフィオナも同行はしていない。リリィは言わずもがな、仕事など幾らでもあるし、フィオナも新しい工房を構えるのだと言っていた。
サリエルは俺のメイド兼護衛兼メインシェフ、といった立場なので一緒に来ている。後は俺の『重騎兵隊』と使用人組みから選抜した者を連れてきた。
思えば、俺はもう勝手に一人でフラフラと出歩くことが許されない立場になってしまったのだなと、護衛につくと張り切るプリムを見て実感したものだ。
ともかく、会食が始まってよりは、しばしの間ご歓談といった流れで。
それぞれの近況報告やら、他愛ない雑談などで、ゆったりと楽しい時が過ぎていく。
しかしながら、集ったお三方も俺の思惑は薄々お察しである。特に示し合わせたわけではないようだが、自然と俺が本題を切り出す雰囲気へと変わっていった。
「今日集まってもらったみんなには、一つ報告と、折り入って頼みがある————実は、俺は魔王ミアの加護を授かっている」
俺は魔王だ、とすでにパンデモニウムでは公言した。
だが他の国にはわざわざ宣言はしていない。目を付けられるだけで、メリットなどないからな。
しかしながら、すでにパンデモニウムと正式に国交を開き、同盟を結んだ国には、伝えなければならない。
パンデモニウムは都市国家ではなく、エルロード帝国の領土となったのだと。
「魔王ミアの加護をもって、俺は魔王を名乗り、『神滅領域アヴァロン』でエルロード帝国の復活を宣言する」
だから、お前らも俺に従え————などとは、言えるはずもないだろう。
「ファーレン、アダマントリア、ヴァルナ百獣同盟には、これを承認し、改めてエルロード帝国と同盟を結んで欲しい」
必要なのは、クロノという男が魔王である、本当に魔王ミアの加護を授かっている、と認められることだ。国交のない中立国、あるいは十字教の手に落ちた敵対国なら、俺が魔王だと認めようが認めまいが、どっちでも関係ない。
けれど味方となる同盟国となれば、きちんと理解を求めなければならない。クロノが帝都アヴァロンとパンデモニウムを領有する、エルロード帝国の皇帝であると。
「すでに我らスパーダは、魔王クロノを認め、エルロード帝国と『金の剣同盟』を再締結している。もっとも、今や全ての領土を失い、パンデモニウムにて亡命政府となってしまっているが……それでも、生き延びたスパーダの同胞達は、魔王クロノを信じ、領土奪還を目指して団結している」
ウィルを連れてきたのは、スパーダは正式に魔王クロノを認めていますよと証言してもらうためである。
十字軍によって滅びたとはいえ、国王ウィルハルトにシャロットをはじめとした王族、大臣ら重臣に近衛騎士団と首都防衛のスパーダ軍、そして万を数えるスパーダ民が丸ごとパンデモニウムへと移ったのだ。スパーダ亡命政府は、小国に匹敵する規模があると言えるだろう。
勿論、単にウィルを三人へ紹介する機会としてちょうどいい、というのもある。
我がエルロード帝国は、基本的にリリィ女王陛下による洗脳という非道極まる統治体制を基盤としているので、非常に深刻な『信用できる人物』が不足している。
なので、ウィルにはスパーダ亡命政府を取りまとめるという以外にも、大いに協力をしてもらうことになる。俺もリリィも信用できる、というだけでウィルはあまりにも貴重な存在だ。その灰色の頭脳、これからは魔王の参謀として役立てて欲しい。
「なるほど、そういうことか……しかし、魔王を名乗るとは、大きく出たなクロノよ」
「一国の王にまで登り詰めたというだけで、ただの冒険者ではないと思っていましたが……」
ライオネルとカール王子は、馬鹿な嘘だ、と断じることはないが、頭から信じられないといった様子である。
むしろ、本当に俺が魔王であるというより、魔王を名乗ることに何かしらの目的があるのだろうと推察しているといったところだろう。
まぁ、それも当然だ。魔王とはあまりにも伝説的な存在だから、それ相応の証拠なり説得力がなければ、心から信じることはできない。
「ファーレンはクロノ様こそが、新たな魔王であること、エルロード皇帝の正当後継者であることを認め、これを支持します」
「ほう、ブリギット嬢は随分とすんなり認めたものじゃのう」
「も、もしかして……すでに知っていたのですか?」
「はい、その通りです。クロノ様が初めてファーレンへと訪れた際に、この御方こそが魔王ミアの加護を授かる、次代の魔王であると確信しておりました」
「なんと!」
「じゃあ、その頃から、すでにクロノ様は魔王ミアの加護を授かっていたのですね」
ライオネルとカール王子が驚いているが、俺も驚きなんだけど。
なにそれ、ミアの加護授かってたこと、あの時点ですでにバレてたの?
「そして、私はクロノ様とミストレア一族の世継ぎを作ることを約束した『血の盟約』もすでに結んでおりますので」
ちょっと待て、なんだそれ、聞いてねぇ。そんな約束した覚えはないぞ。
ない、ないはず……俺は絶対に、ブリギットの色仕掛けに負けたりなんかしなかった!
「これはリリィ女王陛下とアグノア神官長との間で取り交わされた約束ですので……その辺はご安心してください、クロノ様」
「……ああ」
と、俺はそれっぽく重々しく頷いた。
思い出した。バグズブリゲートの巣を壊滅させ、王の卵諸共クイーンバタフライを倒した後、リリィが一人で神官長と交渉をしていた。
てっきり、バグズブリゲート討伐の功績を上手い具合に恩を着せて、オリジナルモノリス接触の許可をとりつけただけだと思っていたのだが……
「クロノ様がついに魔王としての名乗りを上げたことで、時は来た、と判断いたしました。『血の盟約』に基づき、我がファーレンはクロノ魔王陛下への協力をお約束します」
そうか、リリィ、こうなることを見越して、あの時に交渉をしていたのか。
ブリギットが俺に色仕掛けをしたのは、外から『強い血』を取り入れることが目的だった。リリィは間違いなく、魔王ミアの加護を授かった俺を、正しく強い血の代表、パンドラ最強の血だと宣伝した。
そしてミストレア一族はそんな魔王の加護を授かった男の血が、是が非でも欲しい。
本当に俺が魔王を名乗るのに相応しい立場にまでなったならば、その時はファーレンという国を挙げて協力もすると。『血の盟約』は、そういう内容で結ばれたのだ。
「はぁ……マジか、リリィ……」
リリィが俺を売った、とは言うまい。
彼女の気持ちを考えれば、俺が他の女性と子供を作る、なんて絶対に避けたい最悪の状況だろう。
けれど、その独占欲を曲げてでも、俺には味方が必要なのだと考えて、こんな約束も取り付けたに違いない。俺がブリギットと子供を作る、ただそれだけでファーレンという国を味方に引き込めるのだ。これ以上はないほどのコストパフォーマンスである。ただし、当人同士の気持ちを無視すれば、だが。
きっと、一番苦しい思いをしたのはリリィだ。あの嫉妬の女王が、自ら俺をブリギットに一時的とはいえ渡すのを良しとしたのだから。
ならば、俺はそのリリィの覚悟と決断を、決して無駄にはしない。
「クロノ、正直言って、我は羨ましいぞ」
「それは言うな、ウィル」
うん、まぁ、ブリギットが美人なことに変わりはないからな。俺が約束だから仕方なく、という態度は彼女にとって失礼が過ぎるだろう。
ぶっちゃけて言えば、もう彼女の色仕掛けに耐えなくてもいいんですか、と気持ちが楽になった部分もある。
「なんじゃ、すでに縁を結んでおったのか。道理で、支持をするわけだ」
「ええ、婚姻による国の結びつきは基本ですからね。ミストレアといえば、ファーレンでは王族に匹敵する大神官の一族。政略結婚としては、十分な格をお持ちでしょう」
ライオネルとカールは、俺とブリギットの関係に納得といった様子だ。
茶化されても困るだけだから、理解してくれたならその方が助かる。
「これはもしや、ワシらも誰かしらを嫁に出さねばならんのか?」
「うーん、兄上が魔女様を口説き落とせなかったのが残念ですね」
「いや、待ってくれ、そういうことを求める気は全くない。俺を魔王として認めた上で、同盟をより強く結ぶことができればそれでいいわけで」
「ふむ、しかし、婚姻も結ばずにとなれば、相応の証は必要となろう」
「そうですね。私は個人的には、クロノ様ならば魔王となってもおかしくはない、と思えますが、それで万人が納得するかは別の問題ですからね」
「ああ。だから俺はそれぞれの国のパンドラ神殿で、加護証明の儀式を受けようと思う」
「なんでしたら、今この場で私が儀式を行い、証を示してさしあげますよ」
にこやかにブリギットが言う。巫女だから、こういうのは専門分野である。
まずはライオネルとカール王子の二人に証明すれば、帰った後で話を持って行きやすいだろう。
「いや、その必要はない。すでにクロノは、我らが一族の恩人である。堂々と魔王ミアの加護を証明したなら、新たな魔王の誕生を認めるには十分な証となろう」
「アダマントリアとしては、そうですね……あの魔女様が同行されれば、決して無碍にはいたしません。勿論、こちらも国で最大のパンドラ神殿にて、儀式の用意をさせていただきます。証明がなされれば、同盟の件は大きく前進するでしょう」
「ありがとう。話がまとまって良かった」
ひとまず、これで俺の魔王証明のための段取りはできただろう。ブリギット、ライオネル、カール王子がそれぞれ話を通してくれればスムーズに事は進む。今回の集まりは、そのための地味な根回しといったところである。
ただ、俺が魔王であると認められ、同盟関係をより強固なものとすることができたとしても……結局は、どこまでエルロード帝国の軍事力を高められるかにかかっている。
ひとまず同盟が成されれば、後は俺も帝国軍、いや、あえて魔王軍と言うべきか。その編成と育成に取り掛かることになるだろう。
勿論、それと並行して、俺自身もさらなる使徒対策を用意しなければ……
「よくも……よくも、おめおめと余の前にその顔を出せたものだなぁ!!」
ジン・アトラス国王は、獰猛な牙を剥いて怒声を上げた。
すでに中年の域を過ぎたとはいえ、ワニ型リザードマンが大口を開けての咆哮は、宮殿の広間に目いっぱいに響き渡った。
「陛下のお怒りは、ご尤も。全て甘んじてお受けいたしましょう。ですが、その上で申し上げます。私、シャーガイル・カルタハールは大提督として、最善の決断を下したと」
王の前で膝をつくシャーガイル将軍は、出征前と変わらぬ堂々とした姿である。
しかし、その一切の悔いなどないと言わんばかりの態度が、ますますもって王の癪に障る。
「最善の決断だとぉ!? そのような戯言をぬけぬけと! アトラス連合艦隊、あれほどの大軍を、史上最強最大の戦力を率いて、一戦も交えずに全面降伏など……貴様はションベン垂らしの新兵にも劣る、とんだ臆病者の無能だ!!」
王の耳には、すでにアトラス連合艦隊敗北、の報が届けられている。
とはいえ、連合艦隊からの正式な連絡は今日この日、帰還したシャーガイル将軍自身から伝えられたのが初めてとなった。
悲願の野望を果たすべく、必勝を確信して送り出した連合艦隊は、航海は順調に進み数日早くカーラマーラへ到着する見込み、との連絡を最後に、音信不通となったのだ。
最初の一週間は良い。遠く離れた大砂漠の中心にあるカーラマーラから、西にあるジン・アトラス王国へ情報を届けるのは大変である。戦争ともなれば、連絡が滞りがちになるのは当たり前。
だからこそ、幾度も伝令の船を新たに繰り出したが————そのいずれも、王国へ帰って来ることはなかった。
その一方で、カーラマーラから各国への交易は滞りなく行われていた。連合艦隊という空前絶後の大軍が攻めて来たにも関わらず。
まるで戦争などなかったかのように、商人たちの行き来は活発だ。
そうして、カーラマーラからやってきた商人から話は伝わる。ジン・アトラスにも、同盟を組んだ十二の国々にも。
アトラス連合艦隊は、パンデモニウムの女王陛下を前に、一戦も交えずに全面降伏し、戦いらしい戦いなど全く起らなかったと。
敵に下った連合艦隊は丸ごと拿捕され、兵士達は一人の死者を出すことなく全員捕虜となったという。
そんな、俄かには信じがたい話が。冷静になって考えても、とても信じられないし、何より、信じたくない。
だが、さしもの国王も自らの目で確認になど行けるはずもなく、商人たちからもたらされる、あまりにも無様な敗北の噂話ばかりが耳に入る始末。
目障りかつ耳障りなカーラマーラ商人であるが、彼らが大手を振って商売を続けているという現実が、何よりも如実に、連合艦隊の攻撃が失敗したことを物語っていた。
そして本日、ついに大提督シャーガイルより、アトラス史上最悪の敗戦報告が公に伝えられたのだった。
「ええい、余が、余がどれほどこの一戦の為に心を砕いてきたか! それを貴様は————」
「陛下、どうか将軍への叱責はこの辺りで。今は、あちらの使者もおりますれば」
口を開けばまだまだ幾らでも罵詈雑言が出そうな気配を察してか、痩せ細った老齢の側近がそれとなく、国王を諫めた。
怒りにギラつく目で側近を睨むが、彼に大して怒鳴ることはなかった。フシュウウウ、と煙でも出そうな音を立てて深く息を吐くと、改めて広間の前に立つ『使者』へと目を向けるのだった。
「……ふん、話を聞こう」
王の目に映るのは、妖精の羽を生やした幼児だ。
こんな小さな子供がなんて場違いな、と思ったものの、妖精とは見た目が幼く、容姿は変わらぬ魔法生物の種族である。
なんでも、妖精の女王がカーラマーラあらため、パンデモニウムを治めていると聞いているので、使者に妖精族を送り込んでもおかしくはないと思い、謁見は許可された。
本日、ジン・アトラス王国にやって来たのは、シャーガイル将軍だけではなく、此度のパンデモニウム侵攻に対する処遇に関して話し合うために、使者も同行している。
すでにアトラス連合艦隊の全面降伏による大敗北は確定だが、それでもまだ王の態度は、使者に対しても尊大そのものだ。
一方、妖精の使者は、幼い美貌にプラチナブロンドの長髪を揺らしながら、愛らしい微笑みを浮かべて口を開いた。
「私がパンデモニウムの女王リリィよ。ジン・アトラスを貰いにきたの」
「なんだと……」
女王を名乗る妖精幼女は、国王よりも尊大に言い放つ。
「素直にエルロード帝国に下るなら、貴方を王とは呼べないけれど、ここの統治者として認めてあげる」
逆らうならば、どうなるか。それは、あえて言わずとも伝わることであろう。
「何を言っているか、さっぱり分からぬな。エルロード帝国などと名乗るのも、余に向かって無礼な物言いをする意図も」
一言目で逆上し、その場で噛み殺せと命じることも出来た。
だが、相手は得体のしれないパンデモニウムの使者である。まだ交渉を決裂させる段階ではないと思い留まり、ひとまずは真意を探ろうと気持ちを落ち着かせる。
「陛下、決してリリィ女王に逆らってはなりませぬ————」
「ええい、黙れぇい、この裏切り者めがっ!!」
折角、落ち着けた気を、シャーガイルの言葉が台無しにする。
思わず、王は手近にあった杯を掴んで、跪くシャーガイルへと投げつけた。
リィン、と澄んだ音を立てて、黄金に宝石を埋め込まれた杯はあえなく床へと転がった。下げられたワニ頭に当たることなく。
それとなく広げられていた妖精結界によって、リリィはシャーガイルを庇っていた。
「とても、良い景色ね」
杯を投げられ、それを防いだ。そんな一幕など全く与り知らぬように、リリィはにこやかに言い出した。
「……うむ、ここは余の自慢の絶景である」
いきなり何を言い出すのか、と疑問には思うが、ひとまずは話に乗ることを選択した。
それに、この広間からの景色が素晴らしいことは事実でもあるし、宮殿で最高のロケーションだという自負も抱いている。
この宮殿は岩山の頂上付近、断崖絶壁の上に建設されている。遥かな高みからは、険しく切り立った荒々しい渓谷が左右に迫る景色と、真正面に広がるアトラスの大いなる砂の海。
しかし、最も注目するべきは、砂漠の反対側だ。
そこには、美しい青と緑が広がっていた。
「とても綺麗な湖だわ。『アトラスの大水晶』なんて呼ばれるだけあるわね。」
うふふ、と淑やかに笑って、リリィは眼下に広がる大きな湖を眺める。
透き通るような青さの水面に、キラキラと眩しい砂漠の日差しが照り返す。巨大でありながら、綺麗に整った円形の湖。ここは、アトラス大砂漠において最大規模のオアシスでもあるのだ。
湖を中心として、かなりの範囲で緑が広がっている。他にも、池や川なども存在し、アトラスの国々の中では最も広い耕作地を作り出していた。
オアシスという砂漠の女神の慈悲が如き豊かな恩恵を、最大限に享受しているのがジン・アトラス王国だ。
遥か古代より、ここを中心地として栄華を誇り、今に至っても王国の民を支える場所として存在するオアシスは、正に聖地と呼んでも良いだろう。
中心部の湖は特に神聖視されており、女神アトラスを称えるために建造されたパンドラ神殿しかその畔に建つことを許していない。
そんな、王国を精神的にも物理的にも支える聖なる湖をリリィは指して、言った。
「————消えろ」
ただ一言、そうリリィは呟いた。
何を、と思ったのは一瞬のこと。
その言葉の意味を、広間に集った者達はすぐに知る。いや、思い知らされる。
「むっ、なんだ……湖が……そ、そんな馬鹿なっ!?」
思わず、ガタリと玉座から腰を浮かせてしまった。
それは、決してあってはならない天変地異。
ジン・アトラスを支える基盤である湖の水位が————下がっていた。
気のせいだとか、目の錯覚だとか、いっそ自分の頭がおかしくなっている方が、ずっと良かった。
湖の水が消えて行く。まるで、桶の底に穴でも開いていたかのように、目に見えるほどの早さでどんどん湖の数位が下がってゆくのだ。
湖が消えて行く。それすなわち、絶望の景色であった。
「エルロード帝国に、私の魔王に下るかどうか、ゆっくり考えるといいわ。待っててあげる、いつまでも」
無邪気な微笑みが、ここまで邪悪に感じるものなのか。
リリィの言葉に、王は背筋が凍った。思わず、尻尾を丸めたくなってしまいそうだ。
「リリィ女王陛下、どうかお慈悲を。あの湖が失われれば、我が王国は瞬く間に干上がり、いえ、それ以前に民が絶望して一体どうなってしまうか……」
そんなこと、言われなくたって分かり切っている、などと叫べる者は誰もいない。むしろ、この天変地異を引き起こした元凶に、よくぞ言ってくれたと思うほど。
事ここに至って、王も大臣も、警護の騎士さえも理解した。
王国の英雄、『ジンのオオアギト』と呼ばれたシャーガイル将軍が何故、負けたのか。
勝てるはずがない。聖なる湖を消滅させる、魔神が如き力を持つ相手になど。
「王国の行く末を決めるのは、王様の役目でしょう?」
お前の判断一つで、ジン・アトラスという一国が滅びるかどうかが決まる。
リリィの目は、何よりも雄弁に物語る。
「それじゃあ、私は次の国に行かないといけないから、この辺で失礼するわね」
言うや否や、今度は黒々とした巨大な影が宮殿にかかる。
大きく開けた景色を一望できる広間からは、青空に突如として出現した存在が誰の目にも明らかとなる。
それは、巨大な船だ。城を丸ごと載せているかのような、超巨大な船が空を飛んでいた。
「陛下、あれなるはリリィ女王が蘇らせた古代の兵器、『天空戦艦シャングリラ』にございます。ご覧ください、甲板に並ぶあの長大な砲も、その絶大な破壊力を取り戻しております。その気になれば、宮殿どころか、首都そのものが瞬く間に火の海となりましょう」
「なっ、あ……あぁ……」
湖の流出に、古代の空飛ぶ巨大兵器を目に、国王は威厳も何もかなぐり捨て、驚愕と動揺を隠せない。
一瞬前まで最大級の憎悪と侮蔑の視線をシャーガイルに送っていたが、今は王国が誇る将軍に、縋るような目を向けていた。
「陛下、どうかお気を確かに。私は大提督として、天空戦艦に砂漠そのものさえ自在に操るリリィ女王には万に一つの勝ち目もないと見て、全面降伏いたしました。全ては、愛する我が国の兵も、そして民も、無用な犠牲を一人たりとも出さぬため……今すぐ、ご決断ください」
思い悩む時間すらないのだと、シャーガイルは強い眼差しで国王を見上げた。
そして、ジン・アトラス国王も理解する。今まさに、王である自分が国の行く末を決める判断を迫られているのだと。
「陛下っ! どうかご決断を! リリィ女王の力は我が国全土に及んでおるのです! 湖だけでなく、ジン・アトラスのオアシス全てを今日にでも全て干上がらせることができるのですぞっ!!」
叫ぶシャーガイルの後ろには、すでに水位が半分を切ろうとしている聖なる湖が見えた。
これほど、王国滅亡を思わせる絶望的な光景はないだろう。
「……降伏する」
ヨロヨロと玉座のある檀上から降り立ち、王は床に手を突き、四つん這いとなる。
それから、ピンと尻尾を高く上げた。
それはワニ型リザードマンのデゼルダイル種において、最大限の服従の恰好であった。
ジン・アトラス王国、数百年の長きに渡る大砂漠の支配者たらんとする野望は、今この時をもって完全に潰えた。
どう足掻いても勝ち目がない、逆らいようもない、絶対的な存在に国そのものの生殺与奪を握られていると、理解したが故に。
「我がジン・アトラス王国は、エルロード帝国へ全面降伏いたします————リリィ魔王陛下」
「私は魔王じゃないんだけどー」
交渉は上手く行ったけど、次からは勘違いされないよう、もう少し丁寧に説明しようとリリィは思うのだった。