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黒の魔王  作者: 菱影代理
第39章:スパーダの落日
822/1046

第816話 正体(1)

 清水の月16日、早朝。

「……もう限界だな」

 スパーダにある自宅の屋敷。俺は『暴君の鎧マクシミリアン』を着たまま、居間のソファに座り込んで、そう呟いた。

「ええ、そうね。第二防壁はもうもたないわ」

 対面に座るリリィは、幼い姿ながらも優雅にティーカップを啜ってから、俺の言葉に同意した。

 ここ一週間、俺も、パンデモニウム軍も、死に物狂いで戦った。戦い通しだ。自画自賛を抜きにしても、俺達の奮戦があったから、今日まで第二防壁は持ちこたえている。

 銃で武装したウチの兵士は各所に配置した。

 最も敵が攻めよせる東の大正門は常にフィオナ率いる魔術師部隊が陣取り、惜しみない火力支援によって敵の猛攻を退けている。

 次に敵の攻撃が盛んな北の方は、我こそはと願い出たゼノンガルトと彼の『混沌騎士団』の活躍で、門の死守に成功している。

 そして俺は、機動力のある重騎兵カタフラクト隊を率いて、各門の応援に駆け付けたり、防壁内へと侵入してきた敵部隊の迎撃で貴族街を毎日走り回っている。

 古代の銃であるEAエーテルアームズシリーズで完全武装した重騎兵と、古代鎧エンシェントギア『ヘルハウンド』使いのプリム、そして進化を果たした『獄門鍵エングレイブドゥーム』の力によって、僅か20騎の少数部隊で、侵入した敵部隊の全てを始末した。

 騎馬の速度を持って現場へ駆けつけ、銃の射程と火力を活かしてアウトレンジから一方的に撃ち殺し、ほどほどに敵に死者が出れば『獄門鍵エングレイブドゥーム』のゾンビ化によって敵を混乱させる。こちらの被害を抑えつつ、敵部隊を壊滅させる必勝戦法だ。

 お陰様で、負傷者を数名出した程度で、俺の重騎兵隊はまだ一人の欠員も許してはいない。

 だが、それも相手が多くても300くらいの中隊規模までの話だ。

 千を越える敵に囲まれれば、少数の重騎兵隊などあっという間に壊滅。俺とプリムを先頭に強行突破をしても、多くの脱落を許してしまうだろう。

 だから、これでも戦う敵の数は慎重に見定めていたのだが……門を突破されて敵が一気に雪崩れ込んで来れば、見るまでもなく食い止めるのは不可能だ。

「今日にでも、第八使徒アイは出張って来るそうよ」

「そうか……道理で、奴らが焦って攻めてくるわけだ」

 昨日の夕刻から今朝方まで、これまでにないほど大規模な防衛戦が展開された。

 テルディア騎士団を名乗る侵入部隊を筆頭に、次々と各地から侵入を果たす小勢を潰して回り、余裕が出れば門の応援に入って、撃ちまくっては、ゾンビ化を喰らわせる。

 敵の大攻勢は夜明けと共に収束したので、俺は一旦、拠点としている自宅の屋敷へと戻ったのだ。ひと眠りしたいところだが、この状況では寝る気にはならないな。

「これ以上アイが活躍するより前に手柄を上げたくて、好き勝手に動いていた貴族同士もある程度は協力して攻めるようにしたそうよ」

「そうなのか」

「うん、最初に捕まえた女騎士に吐かせたわ。えーと、テレビジョンだっけ?」

「テレシア、でございます陛下」

「ああ、そんな名前だったわね」

 傍に控えたホムンクルスメイド長のロッテンマイヤーが、空になったカップにお茶を注ぎながら、女騎士の名前を訂正してくれた。

 俺も名前は知らなかったが、立派な白銀の鎧兜で、見るからに目立つ奴だったからな。それなりの地位にあるだろうと思って、出来れば捕まえようと狙っていた。

 彼女の部隊はあっという間に壊滅したので、敗走する兵士は放って、ゾンビに集られて泣き叫んでいた女騎士の捕縛を優先して正解だった。

「他に何か分かったか?」

「大したことは別に。協力関係にある貴族と対立している貴族、その関係性が少し詳しく分かったくらいね」

「もう殺したのか」

「パンデモニウムに送ったわ。あの子、子爵家の三女だそうよ。一応、高貴な捕虜として丁重に扱ってあげないと」

 ニコニコ笑顔のリリィだが、これはまた何か企んでいる笑顔だ。

 人体実験にでも使うのだろうか。そうだとしても、全く止めようとも思わないのは……ああ、ちくしょう、一週間戦い通しで、心が荒んでいるみたいだ。

「クロノはもう充分、戦ったわ。スパーダの人達も、かなりパンデモニウムへと避難できている」

「ああ、ここが退き時だろうな」

 分かってはいたが、自分から言い出せなかったのは、やはり抵抗があったからだ。

 リリィの言う通り、出来る限りの避難はさせたつもりだ。どうしてもスパーダに残るんだ、と決意を固めた者まで、無理にパンデモニウムへ連れて行く気はない。

 全ての人は救えないのだと、最初から理解している。その上で、リリィは可能な限り助けられる人を、最大限に助ける用意をしてくれたのだ。

 これ以上は、ワガママと言うべきだろう。

「スパーダから撤退する。パンデモニウム全軍に通達だ」

 スパーダ軍には悪いが、俺も1500の兵士の命を預かる立場にある。最後の一人になるまで戦わせるつもりはない。反対はされるだろうが、こちらの撤退の連絡だけはしておく。

「了解よ」

 そして、リリィは両手を頭に当てて、むーん、と唸ってテレパシーを発した。

 パンデモニウム軍合流後、リリィはずっとこの屋敷に陣取って全軍の指揮を任せていた。テレパシーは何よりも優れた情報通信システムとして機能する。

 サリエルの空中偵察をはじめ、各所の兵からリアルタイムで戦況報告がリリィへと集まり、その上で対応指示を下す。

 普通、無数に集められる情報はそのまま大将まで行くことはない。下士官や将校を通して、優先度など情報はある程度まで整理・分類されて上へと報告が上がる。素早い報告も大事だが、それと同じくらい正確性も重要である。

 敵が現れました、と急いで報告したけど、ただの見間違いでした、てへっ、じゃあ済まされないからな。敵が出現したなら、どこから、どれくらいの規模で、どういう編成か、くらいまで指揮官としては知りたいわけだ。

 しかし、リリィの場合は全部すっ飛ばして雑多な情報も丸ごと全て受け入れる仕様になっている。これは、リリィ自身が集積した情報を処理しきる自信があるからだ。

 カーラマーラ大公ジョセフ曰く、リリィの一番凄いところは膨大な情報を一人で処理する演算能力であると。パンデモニウムの統治でも、同じように国中の情報を全て自分に集めているのだと言っていた。

 それに対してリリィ自身は、オリジナルモノリスがあるから出来るだけだと言っていたし、『雷の女王オーバーアクセル』使えば演算能力を何倍も強化できるから、大したことではないと……っていうか、『雷の魔王オーバーアクセル』って魔法を使うための集中力を強化するだけじゃなくて、そういう方向性でも使えることを初めて知らされて、そっちのが驚きだったよ。

 ともかく、リリィがスパコンみたいな頭脳をお持ちのようなので、彼女の指揮は問題なく機能している。

 テレパシー通信自体は、アルザスの時も利用させてもらったが、今回はあの頃とは比べ物にならない作戦行動範囲だ。第二防壁の内側だけでも、かなりの面積がある。

 いくらリリィでも、一人でこの範囲をカバーはできない。

 なので、テレパシーを中継する者が必要であり、その機能を与えるのがあの『思考支配装置フェアリーリング』である。

 元々の『思考制御装置エンゼルリング』にもテレパシーによる通信機能が内蔵されていた。それのお陰で実験部隊ハンドレッドナンバーズは高度な連携をとれていたのだ。

 俺としてはリングに頼るのは良い気はしないが……もうコイツに頼らなければパンデモニウムという国そのものが成立しないところまで来てしまっているのだ。

 使えるものは何でも使う。だから、現時点では『思考支配装置フェアリーリング』装備のテレパシー通信兵というのは、パンデモニウム軍では正式採用されている兵種である。

 この通信兵が、戦場の情報をリアルタイムにリリィへと伝え、同時に、それに対する命令を受けとるのだ。

 正直、何の士官教育も受けていない俺達が、こうも上手く部隊を動かせているのは、このテレパシー通信による素早く正確な情報のやり取りができているからだ。古代兵器の武装よりも、実はこっちの方がパンデモニウム軍の強さを支えているのではと思う。

「それじゃあ、最寄りのモノリスから順次、撤退させるわ」

「だが、『暗黒騎士団』だけは残る。俺達はスパーダ王城が落ちる寸前までは粘りたい」

「そう……それじゃあ、ウィルハルト王子を無理矢理にでもパンデモニウムに連れて行った方がいいかしら」

「やめてくれ。俺は別に、ウィルに義理立てするためだけに、残りたいワケじゃない」

「うん、分かってる。クロノの気持ちは、ちゃんと分かっているわ」

 リリィには筒抜けだな。

 いや、きっとフィオナに聞いても、サリエルに聞いても、俺の胸中など言い当てるだろう。

 この首都スパーダが侵略されているのだ。最後の最後まで戦い切らなければ、気が済まない。

 ここ一週間でそれなりに奴らを殺してきたが……まだ足りない。まだまだ足りない。奴らは数えきれないほど湧いて出てくる。

「いいわ、ギリギリまで戦いましょう。でも————」

「安心しろ、引き際は弁えるさ」

 この状況で第八使徒アイとは戦わない。たとえ奴が目の前にいたとしても、俺は手を出さずに必ず退く。

 運よく奴を仕留められたとしても、十字軍は止められない。

 だから、今じゃない。使徒を倒すべき時は、必ず巡ってくる……いいや、次こそ俺達が倒しに行くのだ。使徒と十字軍。どちらも倒す力を揃えて。

「今日でこのお屋敷ともお別れね」

「名残惜しいが、な」

「私はそうでもないわ。だってここ、フィオナと一緒に選んだのでしょう?」

 そういえば、リリィが出て行った後に、この屋敷を購入したんだよな。呪われた屋敷を、わざわざ自分で制圧して。

 そんな俺とフィオナの思い出しか詰まっていないからこそ、リリィとしては面白くはないわけだ。

 だが、そんな面と向かって、意地の悪い笑みを浮かべて言われると、参るな本当に。

「そんなところにまで妬かないでくれよ」

「ふふふ、いいわ。パンデモニウムには、私がもっといい所を用意してあげるから」

 実に満足そうに言うリリィは、正に女王の貫禄であった。

 一方、俺はヒモになった気分だよ。

 リリィ、女の子に住むところを用意してあげる、と言われた時の男の気持ちってのを、もう少し理解してくれてもいいと思うんだよな。




 十字軍の奴らに荒らされるのも癪なので、屋敷には入念に黒化を施しておいた。これで、呪いの屋敷としての力を十全に振るえるだろう。

 不躾に踏み込んでくる奴らがいれば、存分に歓迎してやってくれ。

「いつか、必ず俺は戻って来るからな」

 そう言い残し、俺達は屋敷を後にした。

 出発時点で『暗黒騎士団』は勢揃い。後は、屋敷に置いておいた数十名の兵士だけが随伴する。

 東西南北の門に配置した各部隊は、貴族街に点々とあるモノリスから転移をするため、ここで合流することはない。みんな、良く戦ってくれた。ゼノンガルトなんかは、随分と奮戦したようだし。

 こういうの、後で褒賞とか与えなければならないだろう。でも、戦場での働きに対する褒賞の相場とか知らないんだよな……まぁいいか、どうせ俺が決めることではないし。リリィ女王陛下にお任せである。

「十字軍の様子はどうだ?」

「今は動きがないようね。でも、大規模な部隊編成をしているって」

 今もスパーダ上空を飛び回っているサリエルからの情報を、膝に抱えたリリィが教えてくれる。

 女王陛下が乗るに相応しい白馬の大型馬車(戦場仕様)なんてものもあるのだが、リリィの特等席は今も俺の膝の上である。そして、それを咎める者は誰もいない。

 それはともかく、サリエルのお陰でおおまかな敵陣の動きは把握できる。いくら何でも大軍を丸ごと隠すことはできないからな。空から見えれば、どうしたって姿は確認される。

 それによれば、明らかに各貴族は示し合わせて一斉攻勢に出ようとする動きが見られるそうだ。

「仕掛けてくるなら、夜を狙っているのでしょう」

「ここ一週間、散々に撃たれているからな。闇夜に紛れた方がマシだと思うだろう」

 銃の威力は思い知っているはずだ。そして、それを防ぐには木の盾などではとても足りないということも。

 大量の歩兵を全て守り切れるだけの防御魔法を展開するのは難しいし、出来たとしても、防壁を越えて侵攻しなければならない以上、一か所に留まっているわけにもいかない。

 結果的に、現状で銃に対する対抗手段は、暗闇に紛れて狙いをつけられないようにすること、が最も手っ取り早く確実な方法だ。

 スパーダ軍が大量の銃を持っている、と想定したならば、たとえこちらの視界を失うことになったとしても、夜襲を仕掛けるのが一番安全である。

 だから次に攻勢を仕掛けてくるなら、必ず夜を狙う。逆に言えば、昼間は起こっても小競合い程度だろう。退却するなら、もう今日の昼間の内しか時間はない。

 そうして、かなり避難も進み、すっかりと閑散となった貴族街を俺達は進んでいた。堂々と大通りを王城に向かって歩ていると————視界の先に、大きな人だかりができているのに気が付いた。

 その人だかりは、スパーダ軍の兵士の恰好ではない。王城から派遣された増援ではなさそうだ。

 しかし、そこの彼らは皆、その手に武器を握りしめ、鎧を着ている者もちらほらと見受けられた。

「なぁ、リリィ、あそこって確か」

「ええ、スパーダ冒険者ギルド本部よ」

 ランク5になってから、俺達『エレメントマスター』はこのギルド本部を利用するようになった。今更、場所を間違えることはない。

 しかし大半の冒険者は『グラディエイター』としてガラハド要塞に向かったし、残った冒険者も十字軍の侵攻によって、すでに各所の防衛戦に参加しているはずだ。

 ならば、ギルド本部前に集っている武装した人々は一体、何者なのか。

 その答えは、響いてくる声によってすぐに分かった。

「今こそ立ち上がれ! 祖国防衛のために、スパーダ義勇軍に参加して!!」

「おおおっ!」

「俺達のスパーダを守るんだ!」

「侵略者をぶっ殺せ!」

「レオンハルト国王陛下の仇を!」

 どうやら、彼らはスパーダ兵でも冒険者でもない、一般人が集まった義勇兵であるようだ。

 そういえば、どこの門でも義勇兵というか、一般人だが防衛戦に協力してくれる人達は沢山いたな。

 防壁で戦うというよりも、矢などの消耗品を運んだり、飯を炊いたり、負傷した者を運び、応急処置をしたりだとか。流石に首都が戦場となれば、そこに住む人々も他人事ではなくなる。戦いに協力してくる人たちもそれなりに出てくるとは思っていたが……まさか、冒険者ギルドがああして呼びかけて、参加者を集めていたのか。

 祖国存亡の危機において立ち上がるのは立派な志であるが、今この時となっては、素直にパンデモニウムに逃げて欲しいものだ。

 俺達が撤退する旨は王城にいる外交特使ザナリウスを通して連絡自体はしているが、冒険者ギルドにまでは伝わっていないだろうな。

 陥落することが決まっている首都には、あまり多くの、それも一般人に残って欲しくはない。

「ギルドに寄って、避難するよう伝えて来よう」

「そう言うと思ったわ」

 部隊の行進を止め、俺はリリィを抱えたままメリーを走らせギルド前の人だかりへと向かう。

 あっ、こういう時は先に部下を走らせるのが正しいのか。思ったものの、今更止まるのもおかしな話。

 そのまま進み、人だかりの向こうで熱弁を振るうギルド職員に、中へ入れてもらえるよう頼もうかと思えば、

「エリナじゃないか」

 集まった人々の前に堂々と立ち、何故か鋼鉄のメイスを勇ましく振り上げ戦意を煽っていたのは、受付嬢のエリナであった。

 彼女は口上の途中で、俺の声が聞こえたのか、それとも目立つ騎馬の姿に気づいたのか、こちらへと顔を向けた。

 この人、エリナ……だよな?

 淡い栗色のシニヨンヘアは寝ぐせがついたかのように各所が跳ね、綺麗な空色の瞳はどんよりとした曇り空のようにくすみ、かなりの寝不足なのか目元には隈が色濃く浮かんでいた。

 防衛戦の参加を呼び掛ける勇ましい口調とは裏腹に、その表情はどこか幽鬼のような暗い雰囲気が滲み出ている。

 ギルド本部で徹夜の激務、だったのだろうか。それにしたって、彼女のどこか異様な気配は……

「ああっ、クロノくん!!」

 ともかく、雰囲気は変われど、彼女は間違いなくエリナ本人であったようだ。

 俺を見つけて、弾む様な声で呼んで笑顔を浮かべるが、いつもの可憐な営業スマイルとは程遠い、どこか病的なようなものに見えてしまった。




 ひとまず、俺とリリィは冒険者ギルド本部へと通された。

 義勇軍の人だかりはホールに入って職員が対応を始めているようだ。にわかに活気づく一階エントランスを後に、エリナに案内されたのは、最上階にあるギルドマスターの執務室であった。

 こんなところ、初めて入ったよ。普通は用なんかあるわけないしな。

 非常時だからなのか、ノックもなにもなく、勝手知ったるように執務室へと入ったエリナの背中を追って、俺達も入室する。

 部屋の中は如何にも、といった雰囲気だ。重厚な執務机に、来客用のデカいソファと卓があり、冒険者ギルドに相応しいモンスター素材の調度品が壁を飾っている。

 執務机の上には、山のような書類と、受付で見たことのある水晶玉の魔法具マジックアイテムが、何故か三つも四つも並んでいた。

 ついさっきまで激務に励んでいたことがありありと伝わるが、

「ギルドマスターはいないのか」

 部屋の主は、どこにも見当たらない。トイレにでも行っているのか。

「ああ、そういえば、クロノくんはまだ知らないわよね……今のギルドマスターは、私なの」

「……はぁ?」

 思わず、間の抜けた声で返してしまう。

「ふふ、驚いた? 一週間前までただの受付嬢だった私が、ギルドマスターだものね。信じられないのも無理はないわ」

「どういうことなんだ」

「前のギルドマスターは、死んだわ。奴らが街に入り込んできたその日の晩に、馬車が襲われてね」

 簡単にクエスト内容の説明でもするかのように、エリナは言う。

「そうだったのか。けど、本部ならギルドマスターを引き継ぐような偉い奴が他に何人もいたんじゃないのか」

「私が戻った時には、そんな人は誰もいなかった。本部には残業を押し付けられてた下っ端職員が残ってるだけで。そして、夜が明けてもギルドには誰も来なかったわ。避難の鐘の音を聞いて、さっさと逃げ出したんでしょう」

 こんな緊急事態に何やってるんだ、と思うが、冒険者ギルドは別に軍事組織ではない。今回の十字軍襲来に合わせて、『グラディエイター』結成の緊急クエストを発行した時点で、その役目はほぼ完了していると言ってもいい。

 いざ敵が街に侵入してきた、という段階になれば、ギルドにできることなどないだろう。

「それなら、ギルドなんて放って逃げれば良かっただろう」

「ダメよ、逃げるなんてできないわ……あんな、あんな奴らがスパーダに押し寄せて来てるのよ! 許せない、アイツら皆殺しにしてやらなきゃ、気が済まないわ!!」

 突然の感情的な叫びに、面食らってしまう。

 錯乱してる、というか、感情がコントロールできていない。今のエリナは間違いなく、冷静ではないだろう。

 けど、彼女がそんな風になってしまった心当たりは、鈍い俺でもすぐに察しはついた。

「ギルドマスターが襲われた時、エリナもその場にいたんだな」

「ええ、そうよ、私も襲われたわ……女だから、すぐには殺されなかったの」

 その言葉に、最悪の想像が脳裏を過るが、エリナは暗い瞳のままで、引きつったような笑みを浮かべた。

「ふっ、ふふ……だから殺してやったのよ、あの間抜けなクソ野郎を……あはは、ちょっと脱いでやっただけで、アホみたいに油断して————ぶっ殺してやったわよぉ! 汚ねぇ脳みそぶちまけやったわぁ、こんな風にねぇ!!」

 ガシャーン! とけたたましい音を立てて、エリナがメイスを振るって壁際に飾られていた高そうな壺をぶち割った。

 襲われたが、返り討ちにした。

 それだけ聞けば勇敢な行動だと称えられるべきだが……エリナは、普通の女性だった。荒事とは無縁で、ただギルドに務める受付嬢なのだ。

 襲われた恐怖と、初めて犯した殺人。もう普通じゃあいられない。

「私ね、あの時にようやく分かったの。クロノ君が戦う意味が、心から理解できた。ふふ、あの魔女の言った通りだったわ、私は恋に浮かれていただけで、何にも分かってない馬鹿な————」

「————もういい、エリナ」

 固くメイスを握りしめた彼女の手を、ゆっくりと抑える。

 こんなモノを、君が振るう必要はない。振るわせないように、するはずだったのに。

「すまない、スパーダを守れなくて」

「どうしてクロノ君が謝るの。私、とっても感謝しているわ、貴方のお陰で、私は助かったのよ」

「怖い思いをさせてしまった。こんなことにだけはならないよう、俺は戦うはずだったのに……本当にすまない、君を守り切れなかった」

 首都スパーダに侵攻を許した以上、言い訳のしようもない。

 エリナが襲ってきた男を返り討ちにして、生きて戻ってきたのは、全て彼女自身の力によるものだ。俺はエリナにも、スパーダにも、何もしてやれなかった。

「だから、もういいんだ、エリナ。君はもう十分すぎるほど戦った。後は、俺に任せてくれないか」

「クロノ君、わ、私……ぅうううううう……」

 エリナの手から、メイスが落ちる。

 ガランガランとやかましい音を立てて転がると共に、彼女は俺に抱き着いて泣き声を上げた。

 今の今まで、ずっと気を張り詰めてきたのだろう。襲われて、ギルドに戻って、その怒りと復讐心だけで、自分にできること、いいや、自分に出来る以上のことまでやろうとしたんだ。そうじゃなければ、ギルドマスターになろうだなんて思わない。

 道理で、こんなに酷い顔にもなるわけだ。

 これ以上、彼女が無理をしなければいけない理由はない。今のエリナに必用なのは、安息だろう。

「……だから、そんなに睨むなよ、リリィ」

「しょうがないわね、今だけは許してあげる」

 泣きじゃくるエリナを胸に抱きながら、なんとも言えないジト目で見上げるリリィには、そう許しを請う他はなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] リリィの懐、広くなったなぁ。
[気になる点]  十字軍の数に対抗する手段が無いというのは解らないでもないですが、オリジナルモノリスが白く染まった時、どんな影響が出るかよく解ってないんですよね?  それに、この先少なくとも『ネオ・ア…
[一言] ちょ~っとリリィ様に情報が集中し過ぎのような、多少の分散は必要かと おっと、あの女騎士さん捕虜になったのね、更にパンデモニウムに移送されたと 十字軍の横暴さを知らしめて、正義の剣を振るうよう…
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