第815話 死神(2)
清水の月15日。
王立スパーダ神学校には、十字のシンボルを象った旗が翻っている。つい先日、ようやく完全に占領が終わった証であった。
8日には破竹の勢いでスパーダ市街を突き進み、神学校という拠点とするにはうってつけの場所を見つけたまでは良かったが、直後に金色の巨大な炎による大爆発が起きて放棄せざるを得なかった。たった一発、敵に魔法を撃ちこまれたくらいで情けない、と後続の将達は思ったものの、大地に穿たれた巨大なクレーターを見れば、易々と踏み込むには戸惑われた。
結局、大爆発を起こす恐ろしい大魔法が飛んでくることは二度となく、現在は思い切って軍を入れたソーンディール伯爵とその一派がここを占領している。
恐れていた魔法攻撃もなく、すっかりもぬけの殻となっていた神学校を首尾よく占領できたまでは良かったが、総勢4500もの兵を率いる伯爵の表情は芳しくはなかった。
「……時間がない」
軍議のために締め切った講堂の中、痩せぎすの中年男であるソーンディール伯爵はしかめ面で、集った将校達の前でそう言った。
「首都スパーダへ侵攻を果たし、早一週間。いまだ、第二防壁は落ちぬ」
備えられたテーブルの上には、神学校で発見した大きなスパーダ市街の地図が広げられている。
その上には、乱雑な書き込みと、大小様々な、白と黒の駒が並ぶ。
貴族街を隔てる首都スパーダの第二防壁。その四方には大きな黒い駒がそれぞれ配置されており、対峙する白い駒の侵入を許さなかった。
「何故だ。何故、落ちぬ?」
「恐れながら、申し上げます。我らは大軍なれど、参陣した各将は己が功を競って独自に動いております。敵城門を攻めようにも、自らの手勢でのみ仕掛けるため、数の利を活かし切れず、突破を果たせずにいるものと」
「敵の抵抗も想定以上に激しいことも大きな要因かと。首都ともなれば、後がないスパーダ人は死に物狂いです」
「それだけではありません。敵には、非常に射程が長く、連続での発射を可能とする新型の射撃武器、あるいは魔道具が大量に配備されているようです。歩兵突撃は容易く粉砕され、弓と攻撃魔法だけでは撃ち負けるほどだと」
「ああ、確かあのアルザス村で見たという悪魔の武器、だそうですな。あんな小さな田舎村の占領に手こずった、生臭坊主共の言い訳だとばかり思っていましたが……困ったことに、敵には実戦配備されていることは間違いありませんな」
十万もの大軍でもって押し寄せても尚、第二防壁を突破できていない理由は、各々からすぐにでも出て来た。
そして、その意見はどれも正しい。誰もが分かっていた。いくらこちらが大軍でも、ロクな連携もとらずに好き勝手動くだけでは、固く団結した決死の防衛戦に挑む敵を、そう簡単には倒せないと。
「よろしい、正しくその通りである。ガラハド要塞を一息に超えて首都にまで攻め寄せた我々は、少々、浮かれすぎておったのだ。それも戦の醍醐味よ、多少は仕方のない部分も否めぬが、そろそろ頭を冷やさねばならぬ」
ソーンディール伯爵は、騎士というよりは文官のような細面にかけた丸眼鏡を光らせ、今一度、集った面々を眺めた。
「第八使徒アイ卿は、この状況に酷く不満を漏らしているという。曰く、つまらぬ、退屈であると。報告によれば、今日にでも単身、出撃せんほどの勢いだそうだ」
「そ、それは……困りましたな」
「ここで使徒に出張られては、我々には何の戦功も上げられますまい」
ガラハド要塞を解放し十字軍を引き入れ、そのままの勢いで首都スパーダの外壁も早々に突破せしめた。此度の戦で、勲一等となるのは第八使徒アイを置いて他にはない。
だからこそ、これ以上の活躍は誰も望まない。首都スパーダはシンクレアの大都市と比べても遜色ない、立派な街である。
この豊かな大都市を占領したならば、どれほどの収入が見込めるか。あるいは、この地を支配すれば今後どれほどの富を生み出すか。
今この時が、スパーダ占領後の利権にどこまで食い込めるかの山場なのである。
「故に、攻略を急がねばならぬ。私は、すでに他の伯爵に協力を打診しておる。今日には、各自で時間を合わせて同時に第二防壁へと仕掛ける手筈だ」
「なるほど、流石は閣下!」
「すでに手を打っておられるとは」
ひとしきり、ソーンディール伯爵への賛辞が終わったところで、次の段階へと話は進む。
「第二防壁を守る敵戦力は侮れぬ。各正門は避けるべきだ」
まずは、十字軍本隊と対峙する、東側の正門。ここには、敵防衛部隊も戦力を集中させている。
「東門には、例の悪魔の武器を持つ黒衣兵が多数配置されており、また、激しい攻撃魔法も撃ちこまれている模様。さらには、ここに撃ち込まれた黄金に燃える大魔法……それの行使も、複数回、確認されております」
「そんなところを馬鹿正直に攻め寄せるなど、冗談ではありませんな」
「ドラゴンでも陣取っているのではないか?」
「噂によれば、三角帽子の魔女の仕業だとか」
「今どき、三角帽子の魔女なんて恰好した奴などいるわけなかろう」
そんな軽口を叩いていられるのは、自分達がそこを攻めることはないが故。ここは本隊の陣取る東側とは正反対にある西側に位置している。敵の防衛力としては、最も手薄となっている側であった。
「次にこちらの兵が集中している北側ですが、ここもやはり、悪魔の武器による攻撃が激しいようです。スパーダの歩兵も門から打って出るほど意気軒昂なようで……なんでも、ゼノンガルトを名乗る黒と金の鎧兜を纏った将軍が、猛威を振るっていると」
「ゼノ……なんだって? 聞いたことがないな」
「スパーダの将軍に、そんな名前の者はいなかったはずですが」
「まぁ、なんでも良いではないか。我らには関係のないことよ」
「北側には確か、かの侯爵閣下がおられるのでは?」
「然り、普段より武勇を誇るのであれば、この機会に存分に活躍されるがよかろう」
北側から攻めている侯爵とは、協力関係にはないので、上手く消耗してくれれば儲けもの、くらいの感覚であった。派手に攻めて敵防衛力を引き付けてくれれば上々である。
「南側と西側は比較的、防備は手薄ではありますが、やはり悪魔の武器を持つ黒衣兵が100以上は配置されております。また、北と東からの増援が駆け付けるのも素早く、突破に時間をかければ押し返される危険性が高いです」
「だが、このスパーダで今一番、楽に攻められるのがこの南と西である。私は南側に陣取っているコバーン伯爵と協力し、今宵、一息に第二防壁の突破を果たす。皆の者、心せよ!」
おお! と力強い声が唱和される。
ここが勝負所であると意気込んだところで、各将校に詳しい作戦行動が伯爵より通達される。
「良いか、今作戦の肝は、崩した防壁より侵入した部隊が、門を守る守備隊を背後より襲うことにある」
「侵入路は、こちらに示した通りとなります」
地図に描かれた第二防壁の各所には、赤いバツ印がつけられている。
この一週間、十字軍の継続的な攻撃により、門の突破こそ許してはいないものの防壁そのものが限界を迎えようとしていた。
場所によっては防壁に穴をあけたり、崩すことに成功し、そこから中へと侵入を果たした部隊もそれなりにいる。この壁を越えれば、その先にあるのは貴族街。お宝の山である。
しかし我先にと侵入していった部隊は、一つとして無事に戻った者はいなかった。
「こことここは、先日、我が隊の一部が侵入に成功した場所です。しかし、魔法による応急処置も済ませ、見張りもついております。ですので、侵入路の本命はこちらになります」
敵も一度侵入を許した場所は固めている。狙い目なのは、これから崩せそうなほど傷んだ箇所。
魔術師部隊の火力を集中させ、防壁を壊して突破口を開き、精鋭部隊を突入させる。それが作戦の基本的な流れだ。
「この突入部隊を率いるのは————」
「はい、伯爵閣下、どうぞこの私にお任せください!」
講堂に凛とした声が響き渡る。
それは白銀の鎧兜に身を包んだ、金髪碧眼の美しい女騎士。
「これはまた、勇ましいことだな、テレシア嬢」
「その呼び方はおやめください、閣下。私は父より、テルディア騎士団を任された団長です」
テルディア子爵家の三女テレシア。
老齢の父に代わり、子爵家の兵を率いて今回のパンドラ遠征に参加した女性である。
「はっはっは、そうだったな、失礼。テレシア団長は、かの聖堂騎士団の最終選抜にまで残ったほどの精鋭騎士だ。我が軍の中でも、随一の腕前を持つと私も思っているぞ」
次期当主の長男でもなく、三女でしかないテレシアが兵を任されているのは、偏に彼女の実力の高さが故であった。
『聖堂騎士団』は第五使徒ヨハネス率いる、言わずと知れたシンクレア共和国で最強の騎士団である。所属する聖堂騎士は正に精鋭中の精鋭。聖都エリシオンを守護するに相応しい、神の騎士達である。
そんな騎士の最高峰である『聖堂騎士団』は、入団試験を受けられる、というだけで十二分に騎士として名誉なことだ。たとえ入団が叶わずとも、試験の最終まで残ったというのは、貴族の子供の箔としてはかなりのものであった。
そんな高い実力を示したテレシアは、故郷の子爵領へ戻れば、そのまま郷土の騎士団へと配属され、その力を遺憾なく発揮し活躍していたのだった。
「私の力をお認めになってくださるならば、どうか此度の突撃部隊を務める大任を、このテレシア・テルディアにお任せください!」
「ふぅむ……」
とわざとらしいほどに唸る伯爵の姿を見て、
「テレシア団長の勇名はかねがね伺っておりますからな」
「ええ、先のガラハド要塞突破の際には、スパーダ兵を蹴散らす活躍ぶり、遠目ながらも見ておりましたぞ私は」
「テレシア団長の率いる精強なテルディア騎士団であれば、必ずや伯爵閣下のご期待に応えられるかと」
口々にテレシアを称える声が上がる。
もっとも、心から賞賛している者は一人もいはしない。この作戦において、突撃部隊は非常に危険な役回りだ。
それでいて、作戦に成功すれば門は解放され、堂々と貴族街へと雪崩れ込める。多少の功は誇れるであろうが、リスクに見合わないと誰もが思っていた。
そんな中で、我こそはと手を上げたテレシアは実に都合のいい存在であった。
一方のソーンディール伯爵も、テレシアのことは幼い頃から付き合いのある娘でもあった。その実力は認めているし、憎からず思っている部分もある。
故に、彼女が功を求めて立候補するなら良し。そして、それを周囲が承認するならば、彼女を止める理由はない。
「よかろう、それではテルディア騎士団に突撃部隊を任せる」
「はっ、ありがとうございます、伯爵閣下! 必ずや邪悪な魔族共を蹴散らし、門を開いてご覧にいれましょう!!」
テレシアの凛々しい声が高らかに響き渡る。
その自信満々な彼女に、ソーンディール伯爵はやや表情を陰らせて、一つの忠告を発した。
「テレシア団長、くれぐれも『死神』には気を付け給え————」
夕暮れの赤に染まるスパーダの大空に、轟音が響き渡る。
「今だ、全軍突撃! 我に続けっ!!」
ウォオオオオオ! と雄たけびを上げて、女騎士テレシア率いるテルディア騎士団は、大きな裂け目を開いた第二防壁へと突っ込んでいった。
首尾は上々。予定通り、狙っていた防壁は魔術師部隊の攻城用魔法により見事に突破口を開いた。防壁に陣取る敵は、ごく少数。
見張り程度でしかない敵部隊から放たれる攻撃など、焼け石に水ほどの効果しなない。今頃、慌てて防壁を突破されたと応援を呼びに行ったことだろうが、その頃にはテルディア騎士団は内部への侵入を果たしている。
「このまま直進し、3ブロック先で右折だ」
「はい、お姉様!」
テレシアと並走する従士の少女は、地図を片手に握りしめて返事をした。
最短距離で門にまで向かうならば、防壁に沿って移動するのが一番だが、当然そこでは敵防衛隊と鉢合わせる可能性も上がる。
ある程度までは貴族街に入り、そこから門へ向かって敵の陣取る後背を突くというのがテレシアの作戦だ。
初めて足を踏み入れる都市であるが、貴族街ということもあって道幅も広く、綺麗に整備がなされている。この辺は特に複雑に入り組んでもおらず、比較的道は分かりやすいし、事前に地図を確認し侵攻ルートは予備も含めて頭に叩き込んである。
この一週間の内に、第二防壁を崩して貴族街への侵入を果たした部隊は幾つもあると聞いている。その大半は貴族の邸宅にある財産を目当てとして、自分の隊だけで略奪に先んじて行った者達であるが、中には自分と同じように明確な作戦意図をもって侵入した部隊もあっただろう。
だがしかし、貴族街へと入った部隊は悉く壊滅の憂き目にあっている。
命からがら逃げ戻った兵は、口々にこう言った————死神だ、と。
「お姉様、例の死神とやらは、出てくるのでしょうか?」
「何が死神だ、馬鹿馬鹿しい」
曰く、巨大な鎌を持った漆黒の騎士が、不死馬を駆って襲い掛かって来るという。
姿を現すだけで兵はバタバタと倒れ……そして、次の瞬間にはゾンビと化して起き上がってくる。
あまりの恐怖に発狂する者が続出し、マトモに戦うどころではない。
しかし、そんな大混乱の中から奇跡的に生還を果たした者達は、揃って女の歌が聞こえた、と証言している。不思議と耳に残る旋律で、ソレが聞こえたら、死神が来た合図なのだと……
「死神など、略奪に浮かれた愚図共の言い訳に過ぎん。少しばかりアンデッドをけしかけられた程度で騒ぐとは、全く、我らが聖なる軍勢であるという自覚が足りん」
「それは仕方のないことです。全ての者がお姉様のように清く、美しく、気高い騎士ではないのですから」
「十字軍とはいえ、ここのは寄せ集めに過ぎないからな。しかし、だからこそ私は信仰を燃やし、魔を討つのだ。本当に死神というのがいるのなら、我が聖なる槍で貫き、滅してくれよう」
意気揚々と掲げられたテレシアのランスは、聖銀の穂先に鮮やかな青い装飾が合わさり、壮麗でありながらも、高い性能を誇る一品だ。
強い光属性の力を宿すその槍は、軽く一振りするだけでゾンビの群れなど浄化できるであろう。
「流石はお姉様! 聖なる騎士の鑑のようなお方!」
「むっ、そろそろだな……気を引き締めろ」
幸いにも道中は順調に進んだ。一人の兵も出くわさず、暮れなずむ貴族街を全速前進で突き進んできた。
そうして、ここを抜ければもう門の裏手まで一直線、というところにまで差しかった時だ。
ルァアアアアアアアアアアアアアアアアア————
風に乗って届いたのは、女の悲鳴……ではない。
甲高いソプラノボイスは、確かな旋律を奏でて響いてくる。敵地を駆け抜ける緊張感の最中にあって、歌劇で聞くような歌声を耳にするのは不思議な気分であった。
そう、こんな場所で綺麗な歌声など聞こえるはずがない、という疑念がテレシアに確信を与えた。
これが、これこそが、死神が来る合図だという女の歌声なのだと。
「警戒しろっ! 敵が来るぞ————」
声を張り上げた時には、死神はその姿を現した。
駆ける道の向こう側、夕日を背負った逆光に照らされた大きな黒い影————否、それは黒一色に彩られていた。
死神だ。
馬鹿馬鹿しい、と口にしたものの、いざその姿を見た瞬間に思い浮かんだ感想はそれしかありえなかった。
なぜなら、高らかに頭上に掲げられているのは、禍々しい漆黒の大鎌なのである。
それが単なる虚仮威しではないのは、長大な鎌の刀身に渦巻く不気味な魔力のオーラが示す。そして何より、いまだ耳に届く女の歌声は、どうやらその大鎌から発せられているようだった。
「し、死神……」
「死神だぁ!?」
「本当にいたのかよ!」
「ええい、狼狽えるなっ!」
悲鳴のような声が上がるのを反射的に叱責するが、気持ちは深く理解できる。
大鎌を掲げた漆黒の騎士だ。身に纏う黒い鎧は悪魔の王のように禍々しいデザインで、完全武装の黒騎士を乗せる馬も、驚くほどの巨馬である。その不気味に揺らめく鬣の輝きから、本物の不死馬なのだと分かった。
逃げ帰った兵の証言に、何一つ嘘も誇張もなかった。死神は噂される通りの威容をもって現れている。
しかし、だからこそテレシアは現実をあるがままに受け入れた。
「敵騎馬隊の攻撃だ! 槍を持って、迎え撃て!」
本物の死神などではなく、あれは敵将だ。
死神騎士のすぐ後ろには、防壁でも見た黒装束を纏った兵士、通称『黒衣兵』と称される騎兵が二十ほど続いている。死神とは別に、重厚な鎧兜を纏っているのは一人のみ。狼の耳のような形状の兜が特徴的だ。その他は全員、黒い衣装に軽鎧のような装備で、ランスの一つも持ってはいない。
しかし、黒衣兵は悪魔の武器を持っている。遠距離で一方的な攻撃が可能だからこその軽装であろう。より対人攻撃に特化した魔道騎兵のような存在だと、テレシアは分析している。
そんな黒衣兵の騎兵隊にあって、鎧兜を纏う死神と狼耳は、恐らくただの見掛け倒しではなく、特別に強力な装備であるに違いない。
「死神のような姿に惑わされるな。アレはこの私が直々に相手をしてくれる! その他は小勢に過ぎん、返り討ちにしてやれ!!」
「お姉様に神のご加護を!」
「迎撃態勢!」
「長槍を構えろ! 馬を近寄らせるなよぉ!」
団長の力強い言葉に、兵達はなんとか恐慌を起こすことなく迎撃の構えに動く。
敵との距離はまだある。奇襲のようなタイミングで襲われたが、それでも落ち着けば槍衾を形成できるくらいの猶予はあるだろう。
故に、勝負は自分と死神との戦いにかかっている、とテレシアは気を引き締めた。
敬虔な十字教徒として、そして一人の騎士として、魔族の将を討ち取るのは至上の目的。
あの死神は決して見た目だけのハッタリではなく、数々の侵入部隊を蹴散らした猛将に違いない。強烈な魔力、おぞましい闇のオーラ。
コイツは、戦場でもそうそうお目にかかれない大物だ。
「お前のような者を待っていた……さぁ、来い!」
自慢の槍を堂々と掲げた、その瞬間。
「————『魔弾』」
ギィンッ!! という甲高い金属音を立てて、攻撃を弾けたのはテレシアの実力あってのことだった。
距離は確かにまだあった。しかし、雷のように駆け抜けた強い直感でもって、最速で防御魔法『光盾』を無詠唱で展開した。
お陰で、兜からは剥き出しになっている自分の顔面に向けて飛んできた死神の攻撃を防ぐことに成功した。
そう、成功したのは、自分に向けられた攻撃のみだった。
「ぐわぁあああーっ!!」
兵の絶叫と、弾けるような炸裂音が同時に響き渡る。
槍衾を形成し、敵の騎兵突撃を待ち構えていた兵士が次々に血を噴き出して倒れ込んだ。
敵はまだ100メートル以上も遠い。だが、矢でも攻撃魔法でもない、遠距離攻撃によって兵は撃たれていた。
「おのれっ、これが悪魔の武器か!」
幾度かの正門攻撃の際に、遠目には見ていたが、間近で見たのは初めてだ。
そこで、テレシアはようやく悪魔の武器と呼ばれる遠距離攻撃武器が、小石のような硬質な弾を、炸裂する爆発によって矢よりも速い高速で撃ち出しているのだと理解した。
なにより、早い。弾が飛んでくる速度よりも、次の弾が撃ち出されるまでの発射感覚が早い。弓や弩など比べ物にならない。正門の戦いで見たものよりも、コレはさらに早い。
死神の後ろに続く騎兵達が構える武器。その筒の先からはチカチカと雷光が瞬き、無数の弾が騎士団に襲い掛かってくる。それは正に、鉄の嵐が如く。
「الجدران بيضاء ناصعة توسيع نطاق الحماية لمنع————『輝光防壁』!!」
テレシアは略式詠唱で光属性の中級範囲防御魔法を展開した。僅か数秒という、自分の人生の中で最も素早く展開に成功させたが、その数秒間でどれだけの兵が倒れたか。
考える余地も、後悔する余裕もありはしなかった。
「くっ、散れ! 固まっていては敵の的になるだけだ!」
展開した『輝光防壁』は道幅いっぱいまでをカバーしている。敵の猛烈な連続射撃によって凄まじい勢いで光の壁は削られてゆくが、味方に散開を指示するくらいの猶予は出来た。
「私がこのまま、敵の攻撃を防ぐ! 接近して奴らを倒せ!」
恐るべき遠距離攻撃武器。対抗するにはもう、接近戦を挑む他はない。
かなりの人数が倒れたが、それでも兵数はまだこちらの方が圧倒的に上。
このまま敵騎兵が突撃してくれば、多少の犠牲を覚悟で乱戦に持ち込み————という思惑は、敵騎兵が急停止したことで挫かれる。
遠距離攻撃武器を活かすなら、距離を保つのが最善。悪魔の武器を持つ敵自身、そんな当たり前のことは理解していたというだけのこと。
敵騎兵は馬の減速もほどほどに、即座に飛び降り、地面を転がるように着地しては、武器を構えてすぐに走り出す。その動きは素早く、洗練されている。ただの騎兵ではない……この悪魔の武器を効率よく使いこなすための動きをしっかりと訓練されたものであると悟り、テレシアは眩暈のするような思いであった。
「だが、功を焦ったな死神め! そのまま突っ込んで来るとは、愚かの極み!!」
敵騎兵隊の素早い展開に対し、死神とすぐ後ろに続く狼耳の二人だけは、全く速度を緩めず真正面から突撃の構えを見せる。
向こうも自分を将と見て、一息に討ち取ろうという腹積もりだろう。
だが、このテレシアは『聖堂騎士団』の最終選抜まで残ったエリート騎士。今までの相手は、その死神の鎌で容易く刈り取れただろうが、
「この私は、そうはいかぬぞ! 喰らえ、奥義————」
今まさに間合いへと踏み込んでくる死神に向かって、テレシアの必殺武技『撃震穿』が炸裂する、その寸前だった。
「なにっ、飛んだ!?」
上ではなく、横に。その巨躯からは信じられない軽やかさでもって、死神が宙を舞う。
ドガン! と音を立てて不死馬の蹄が踏みしめたのは、地面ではなくそそり立つレンガの壁だった。
通りに軒を連ねるレンガ造りの4階建て。その壁面を死神は走り出したのだ。
「か、壁を、そんな馬鹿なっ!?」
だが、信じがたいのは騎馬が建物の壁を走ったことではない。
待ち構える自分を避けて、向かって左方へと飛んだ死神。壁走りという妙技を披露する彼の左手には、大鎌とは別な武器を握りしめていた。
大きな黒い鋼鉄製の武器は、見たこともないモノだ。けれど、どういうモノなのかはすぐに分かってしまった。
ソレは、まるで悪魔の武器を幾つも束ねたかのような外観である。弾を撃ち出す鉄の筒が、円形に六つも並んでいるのだ。
どれほどの威力を持って、そこから弾が吐き出されるのか————想像をするよりも、実際に火を噴く方が先となった。
「ぎゃああああああああああっ!!」
「よ、横だ! 壁を走って————」
通りに展開するテルディア騎士団に対し、建物の壁を走る死神は、無防備な側面へ猛烈な射撃を叩き込む。
対応など、できるはずもない。先頭のテレシアは、後続の兵から撃ち続けられる攻撃を防御するので精一杯。他に、瞬時に死神の攻撃に反応して防御魔法を展開できるほどの魔術師は擁していない。
「くそっ、もう一騎来てるぞ!」
「逃げろ、こんな場所じゃあ————」
さらに続けて、悲鳴が上がる。
死神に続く狼耳が、反対側の建物へと跳躍をした。
馬は乗り捨て、狼耳の黒鎧が単独で壁へと飛んだが、背中から魔法の輝きを激しく吹きながら、大型の悪魔の武器を構えて射撃を叩き込んでくる。
テルディア騎士団は左右から、一方的に攻撃を撃ち込まれて瞬く間に死者が増えていく。止められないし、止めようもない。
たった二人の攻撃。だが、恐るべき機動力と火力によって、一方的に蹂躙される。
「ま、まずい、奴らが後ろに……」
壁面を駆け抜けた二騎は、騎士団を通り過ぎると再び通りへと降り立つ。そして、真後ろから並んで、弾丸の嵐を浴びせかけてくる。敵と真正面から相対していたはずなのに、気が付けば挟撃に晒される羽目になってしまっていた。
想像を絶する猛攻撃を前後から受ければ、どうしようもない。あまりにもあっけなくバタバタと兵が倒れてゆくのを、見ているだけしかできない。
「くっ、このままでは!」
全滅、の二文字が脳裏にちらつく。
なんと無様な敗北か。敵の一人も討ち取ることなく、率いた騎士団が全滅などと。
受け入れ難い現実を前にして、テレシアはつい、失念していた。
死神は、ただ大鎌を持っているから、そう呼ばれているワケではないことを。その最も恐るべき能力は、悪魔の武器による射撃などではなく————
「ゥウウウ」
「ハァアアアア……」
「グゥウウウ、ンガァアアアアッ!!」
死体が、唸りを上げて蘇った。
弾を胸のど真ん中に受けて、胴体を真っ赤に染めた槍兵が、次々と起き上がる。
歯を剥き出しにして、隣でまだ命のある仲間へと、飢えた獣のように襲い掛かって行くのだ。
それは、テレシアも例外ではない。
「ウゥ……アアァ……」
テレシアは、鐙にかけていた足を掴まれて、ようやく気が付いた。
隣に控えさせていた少女の従士が、とっくに死んでゾンビへとなり果てていたことに。
「くっ————」
低級なアンデッドであるゾンビなど、一振りで容易く消滅させられる自慢の光の槍を、テレシアは振り下ろせなかった。
テルディア騎士団に着任してから、お姉様、お姉様、とずっと慕ってくれた従士の彼女は、正に妹のような存在で————故に、その躊躇が命取りとなった。
「うっ、うわぁああああああああああああああっ!?」
生前では考えられない力を、ゾンビと化した少女の細腕は発揮し、一息にテレシアを騎馬から引きずり下ろす。
落馬の衝撃に、一瞬、視界が暗転。
再び開いたテレシアの眼に移るのは、血のように真っ赤に染まったスパーダの空と、頭の半分が弾け飛んだ少女の従士の顔。
そして、いずれも見知った顔の兵士達が、飢え切った犬のように歯を剥き出しにして、自分を見下ろす、地獄の光景であった。