第801話 奴隷のいない国(1)
「————おかえりなさい、クロノ!」
と、幼女リリィは満面の笑みを浮かべ、文字通りに俺の胸元へと飛び込んできた。
「ただいま……というか、別にここは俺の家じゃないんだが」
「私のいるところが、クロノの帰る場所なの」
なるほど、一理あるかもしれん。
そんなこんなで、晴れてスパーダとの同盟締結が決まったその日の内に、俺は王城のモノリスからカーラマーラ、もとい、リリィ女王の新国家パンデモニウムへと転移でやって来た。
転移場所は、テメンニグルの一階広場。
最初に使われていた大迷宮への入り口である。
「おおお……ここが最果ての欲望都市カーラマーラ! なんということだ、これほどの高層建築が林立しているとは。これが現代でも生き続ける古代遺跡の姿か!!」
と、ウィルが俺の隣で感動の叫びを上げているように、ここへ転移してきたのは俺だけではない。
パーティメンバーに加え、ウィルを筆頭にスパーダの外交大使などが同行している。
今すぐ転移できまぁす! とレオンハルト王に豪語した以上、同盟国の視察として外交担当者が同行するのは当然だろう。
ひとまず同盟を結ぶことは決まったが、その内容に関してはこれから双方で詰めていかなければならない。こっちはスパーダのことをよく知っているが、向こうはこんな南の果ての国がどうなっているか分かるはずもない。あまりのんびりはしていられないが、そちらさんの納得がいくまで視察してくれればいいだろう。
「ようこそ、パンデモニウムへ。ウィルハルト王子殿下とスパーダの方々は、どうぞこちらへ。我が国において王城の代わりとなる、国一番の高層ビル『テメンニグル』へとご案内いたします」
すかさず案内を買って出たのは、ウチの外交特使ザナリウス。
ひとまず、スパーダとの同盟関係の詳しいことは、彼に任せておこう。
「それじゃあ、ウィル、また後でな」
「うむ」
「ウィルハルト王子、玉座で待っているわ」
「ああ、リリィ君がこの国の女王となったのであったな。晴れ姿を楽しみにしておるぞ」
リリィとウィルがにこやかに握手を交わしてから、この場で別れた。
悪いが、今はちょっとスパーダの来客を歓待していられる暇はない。
「リリィ、話がある。それも、かなり悪いニュースだ」
「ええ、聞かせてちょうだい。内緒話になりそうだから、第五階層まで飛ぶわよ」
リリィは俺達をそのまま、転移でさらに飛ばす。
転移先は、巨大な白いホール。ただひたすらに広大な殺風景な空間は、デウス神像のボス部屋である
第五階層に来るための転移先は、全てここに設定されている。宝物庫に直接飛べるのは、リリィだけだ。今はあそこのことは玉座の間、と言うべきか。
俺達はボス部屋広場から、ひとまず皆で集まって話をするのにちょうどいい部屋へと移動する。
この大迷宮がシェルターだった頃、ここを統治する司令官、そのプライベートスペースだったという広々とした一室。
ここは攻略後、地上に戻るまでの一週間を過ごした頃に、みんなとリビング代わりに使っていた場所だ。だってここ、めっちゃ座り心地のいいデッカいソファとかあるからさ。
「お茶でいいかしら?」
「ああ、何でも構わないよ」
「小腹が空いてきましたね」
「カロブーでいいかしら?」
「助けてくださいクロノさん。邪悪なリリィ女王が圧政を強いているのです」
「フィオナだけ何か出してやってくれ」
「そう、じゃあ第二階層でとれた食材を使った料理の試食でもしてもらおうかしら」
「この試食担当大臣にお任せください」
「メチャクチャ都合のいい役職を作り出したもんだな」
「正式に任命してあげてもいいわよ。今の私には、それができる立場にあるのだから」
自信満々に言いながら、リリィが手を叩くと、すぐにメイド服を纏ったホムンクルス達が、テーブルへと速やかに配膳をしていった。
お茶と共に、すぐにサンドイッチやスープといった軽食のセットも出て来たのは、フィオナが来ればこうなることを見越して、最初から用意させていたのだろう。
そうして、ひとしきり準備の整ったところで、俺はリリィに話すべき最重要の件を切り出した。
「ネロが使徒に覚醒した————」
翌日、氷晶の月2日。
俺はリリィと二人で、今や懐かしの第一階層『廃墟街』へとやって来ていた。
「なんというか、随分と様変わりしているな」
ここがあのゾンビ塗れのダンジョンだとは思えない光景が広がっている。
シェルターを貫く中央部から3キロ四方が、すっかり人の住む居住地と化している。そう、舗装された街の往来を行き交うのは、フラフラ歩きのゾンビではなく、しっかりとした足取りの生きた人なのだ。
死者ではなく生者が住むようになったお陰か、廃墟にしか見えない灰色の建物にも、どこか生活感のようなものが漂い、全体的に活気のようなものを感じさせた。
「ここに住むのは元奴隷と、中央区から移り住んだ人々よ。それから、私が連れてきたホムンクルスが少々」
「ホムンクルス達は監督役ってところか」
「流石、ご明察ね」
少し街の様子を眺めていれば、すぐに気づける。
今、ここの住民たちを支配しているのはホムンクルスである。
傭兵団にも着せている黒い軍服を身に纏い、古代兵器のライフルで武装した銀髪赤目のホムンクルスが淡々と人々に指示を出したり、何人も引き連れて道を歩いたりしている。
道行くホムンクルスと会えば、人々は誰もが即座に道を譲るし、敬礼までしている始末だ。
住民全員、兵士にでもされたかのようである。
「あまり威圧的なのは、よくないと思うが」
「ホムンクルスは憲兵の役目をしているけれど、人に向けて撃ったことは一度もないわ。撃ったのはゾンビが来た時だけね」
「本当なのか? あんなに多くの元奴隷と、中央区でいい生活していたような奴らが、今はここで一緒に住んでいるんだろう。大なり小なり、諍いは起きるはずだ」
「大丈夫よ、みんないい子になっているから。それより、そろそろ始まるわよ」
と、リリィは街角に復活しているヴィジョンを指さした。
ダンジョンだった頃には、ここに設置されているヴィジョンはどれも暗転して機能していなかったが、どうやら壊れていたワケではないらしい。今は地上と同じように、絶えることなく様々な映像を流している。
そして、ニュースのような番組が終わると、画面は一面の花畑へと切り替わる。
絵に描いたような色とりどりの花畑、その真ん中に、光る羽を広げた妖精が舞い降りる。
「こんにちはー、リリィだよー! 今日も、みんなで楽しく、踊ろうね!」
実に愛くるしい笑顔を浮かべて、陽気なBGMと共に小さな体を目いっぱい動かして、画面の中のリリィは踊り出す————
「あれは、リリアンだな」
「ふぅん、一目で分かっちゃうんだ?」
「短い間だが、ずっと一緒にいたからな」
妖精の証である、光り輝く二対の羽は、ただの作り物だ。ピカピカ発光するだけの小道具に過ぎない。
顔の方は、化粧と幻術系の魔法で巧妙に似せているが、俺には分かる。
リリアンの顔は抱っこして間近で見て来たし、リリィの顔は、俺がこの異世界に来て最も長く見てきたものだ。その違いに、気づかないはずがない。
「あの子はとっても良い子だわ。それに頑張り屋さん。ほら、上手に踊っているでしょう?」
「ああ……そうだな」
リリアンが、どうしてリリィに成りすましてヴィジョンに出演しているのか。
その答えが、放送が始まると同時に、街の住人が一斉にヴィジョン前へと集まり、リリアンと同じく踊り始めた光景が示していた。
なるほどな、リリィ、そりゃあこの街の住人は、犯罪発生率0%にもなるだろう。
「後でリリアンのことも褒めてあげてね。さぁ、次に行きましょう」
リリアンが笑顔で「ばいばーい!」と手を振り番組が終わるのと共に、何事もなかったかのように散っていく人々の姿に、俺の心は奈落へ落ちていくかのような暗い感覚を覚える。
リリィはそんな俺の心情にまるで気づいていないかのように、にこやかに俺の手をとって、第二階層へと導く。
第二階層『大平原』。
ここは中央部から四方10キロメートルほどがシェルターの管理が及ぶ場所となっている。農場と漁港が存在するので、最も広く土地を確保しているそうだ。
「元からあった農場はそのままで、新しいところも随時、開墾中よ」
「ここだけで、食料の供給は足りるのか?」
「今は足りないけれど、その内に十分な収穫ができるようになるわ。それに、カロブーだけはあるから、飢え死にすることはないわよ」
「そこまで追い詰められないと、食えたもんじゃないからな」
カーラマーラ時代から、この第二階層では結構な農産物の収穫量があった。牧場もあるし、漁港で海産物もとれる。だが、それで全人口を養えるだけの量が賄えるわけではない。
議会が把握している情報によれば、カーラマーラの食料自給率は約30%で、残りは輸入に依存しているそうだ。
自国で真面目に農業するよりも、大迷宮からとれる宝物で、他国から大量の食料品と交換する方が効率的なので、当然の結果ともいえる。特に小麦など主食として大量に必要な品目ほど輸入に偏っている。
ダンジョンである第二階層で危険を冒してでも農場を経営するのは、それだけの価値が見込める商品作物だけだ。高級な茶葉や果実、珍しい野菜や薬草などなど。
「小麦畑を広げるなら、もっと土地がいるだろう」
「小麦だけを作るつもりはないわ。穀物を手に入れるアテはあるからね」
「まだ輸入に頼るのか? そりゃあ連合艦隊叩き潰したから、有利な貿易協定でも結べるとは思うが」
昨日は俺の話もしたが、リリィからも話は聞いている。
まさか、こんな短い間に戦争があったとは思いもよらなかった。周辺諸国がそんなに早く動き出すことも、あんなに大規模な同盟を組むことも。
でも一番予想外なのは、激しい防衛戦争になるはずだったところが、戦いにすらならないワンサイドゲームで相手を全面降伏させたことだろう。
今のリリィは、名実共にアトラス大砂漠の支配者なのである。
「当面は輸入でもいいわ」
「長期的には食料の輸入依存は危険だな。周辺国が制圧されれば、ここは干上がるぞ」
「うん、だからちゃんと必要な分の穀物は、ウチだけで供給できる手段は確保するわよ」
「畑を広げる以外に、何かできるのか?」
「パンがないなら、カロブーを食べればいいじゃない」
「……味の改良はできてるのか」
「さっぱりね。シモンが編み出したコーヒー漬けが現状では最善じゃあないかしら」
「ダメじゃねぇか、あんな社畜食料、俺は認められない」
「ふふふ、大丈夫よ。ねぇ、クロノは、カロブーがどうやって作られているか知ってる?」
言われてみれば、カロブーがどこで、どうやって製造されているのか知らないな。
ただ、第一階層では物資含めて街が再生するから、それで無限に湧くというだけで。
「何かの魔法で作られているんじゃないのか」
「そう、カロブーは魔法で作られている。正確には、錬成魔法の部類に入るのかしら」
「……錬成? それって鍛冶師とかが武器作る時に使うやつだろ」
「ええ、錬成は鉄などの無機物も、モンスターの牙や爪といった有機物も、どちらも操ることのできる魔法よ。それで、カロブーも作ってる」
「どうやって?」
「砂をパンによく似た有機物に転換しているの」
衝撃の事実。カロブー、砂から出来ていた。
この異世界、過去に世界一有名な宗教的偉人でも召喚か転生でもしたか? ほら、あの石をパンに変える能力持ちの第一人者。
「マジか……砂をパンに変えるって、地味にとんでもない効果だぞ」
腕利きの鍛冶師であるところのレギンさんでも、錬成は武器の材料となる素材を融合させる、というのが主な効果だ。
少なくとも、無機物を有機物に、またはその逆を、自由自在に転換できるような効果はない。
もし、そんな物質を何にでも変化できるならば、クズ鉄を金へと変える文字通りの錬金術である。
「でも、そういうことができるのが、古代魔法なのよ。といっても、どんな物質を、何にでも変えることはできないわ。ただ、ここにあるのは砂からカロブーを作る製造設備だけ」
「それじゃあ結局、激マズのカロブーが量産できるだけじゃないのか」
「カロブーをそのまま食べるからマズいのよ。だからカロブーを原料にして、さらに加工するの。より本物に近い、麦や米のような穀物へとね」
「そんなことができるのか?」
「砂を食べ物に変えるよりは、よっぽど簡単よ。カロブー自体が色んな栄養を含んだ炭水化物になっているから、後はもうちょっと手を加えればいいだけ。それができそうな設備も見つかっているし、これくらいの効果なら現代魔法でもなんとかなるでしょう」
「……もしかして、昨日フィオナが食べたのは」
「普通のパンと、変わらなかったでしょう?」
なるほど、食料問題は何とかなりそうだ。
このパンデモニウムは最悪の場合に備えて、単独で維持できるようにしておきたい。もしもパンドラ大陸全土が十字軍に支配されようとも、大陸の果て、砂漠のど真ん中にあるここは最後の砦となるはずだ。
そうでなくても、ここが俺達の勢力の本拠地。食料などの生命線を、他に握られているようでは困るのだ。
十字教徒は各地に潜んでいる。いつどこが篭絡されてもおかしくない。
「それじゃあ、第三階層に行きましょう」
第三階層『工業区』。
今の大迷宮において、最も活発に動いているのはここだろう。
すでに工場で働く人々に加えて、ここのモンスターとして主流だったゴーレム達も、労働者と同じく忙しく働いているのだ。
リリィが完全に大迷宮の支配権を握っているので、それ以降に生産されたゴーレム系モンスターは全て制御できているという。
「ゴーレム達は兵士の代わりになりそうか?」
「彼らが動き続けるのは、この大迷宮の中だけね。だから、外に連れ出せば内蔵魔力がある分しか動けないわ」
「やっぱり、そう上手くはいかないか」
ここで製造されるゴーレムには、結構期待していた。
強さはおおよそランク1からランク3までだが、数を揃えることができる。それに、ランク1のゴーレムとはいえ、そこらの領地で農民を徴兵するよりかは、よほど戦力として期待できる。
ゴーレムの強みは、やはり無人兵器であること。人ではないが故に、恐怖心もなく命令に忠実。いざとなれば、捨て駒にすることできるし、使い捨て前提で突撃させることもできる。
「外でどれくらい稼働できる?」
「一日がいいところじゃないかしら」
「魔力の補充はどうだ」
「それをするくらいなら、魔術師が自分で戦った方が効率的だと思うわね」
「残念だ。実戦投入はできそうもないな」
ないものねだりをしても仕方がない。
ゴーレムは諦めよう。というか、これからの発展に期待だ。仕事がふえるよ、やったねシモン。
「銃の生産の方はどうだ?」
「古代兵器の方は、まだまだ難しいでしょうね。ここにある設備が、何をするためのもので、どういう風に使うのか、一つずつ解明していかないといけないわ」
やはり、ストームライフルを始めとしたEAシリーズの量産も、今すぐにはできそうもないか。
古代の歩兵装備は、現物を大事に使っていくしかなさそうだな。
「でも、現代の技術を使う鍛冶工房なら、すぐにでも用意できるわ」
「それじゃあ、まずはクロウライフルと機関銃の量産から始めることにするか」
「明日にでも、シモンを連れてきちょうだいね?」
仕事が増えるよやったね……いかんな、シモンにやって欲しい仕事が溜まっていく一方だぞ。
なんとかシモンばかりに頼り切りにならないようにしたいところだが、現状、銃の作り方と扱い方、そのどちらにも習熟しているのは彼だけだ。ただ腕利きの鍛冶師を連れて来れば、それで解決というワケでもない。
けどスパーダの方では、モルドレッド武器商会から工場を間借りしてクロウライフルと機関銃の生産を始めたところで、これからそのノウハウを学んだ鍛冶師や作業員も増えてくるだろう。
こっちでも同じように、とりあえずやらせて育てていくしかないだろうな。
「今のところは、ひとまず即席の鍛冶工房を稼働させているくらいだわ。簡単な装備品と、第四階層で採掘してきた鉱石の加工なんかをしているの」
「第四階層はどんな感じだ?」
「ほとんど手つかずね。まだクロノに紹介できるほどじゃないの。少しずつ、安全に掘れるところから掘り始めているといったところよ」
第四階層『結晶窟』は、この大迷宮を元のシェルターとして稼働させるにあたっては、一番後回しになる部分だ。元からして、資源採掘を目的とした階層なので、今すぐ使えなければ生きていけない、というものではないからな。
しかし、これから国として運営していくにあたり、資源というのは非常に重要な要素だ。エネルギー資源に恵まれる、というのは最早、地政学的チートといってもいいだろう。
それくらい大事ではあるのだが、やはり今すぐ手をつけられるほどの時間も人手もない。今後の発展に期待ということで。
「大迷宮の中は、こんなところね。表の方も、案内する?」
「いや、今はいい。よく分かった」
「そう。まだまだ至らないところもあるけれど、これが今の私の精一杯よ」
「リリィはよくやってくれたと思う。こんな短い期間に、大きな混乱もなく新しい国が形になってきているんだ。多分、こんなの他の誰にもできないだろう」
「ふふ、ありがとう。頑張った甲斐があったわね」
「ああ、リリィは確かに、俺の願いを叶えてくれた」
「うん、私のパンデモニウムには、もう一人たりとも奴隷は存在しないわ。誰も飢えていない、寒さに凍えることもない。そして何より、虐げられることもないわ」
それは、以前のカーラマーラを知っていれば、とても信じられない状況だ。
誰も、そんな風に変われるとは思わなかった。エミリアだけが、無謀だと分かっていても、そうなることを夢見て活動していたくらいだ。
けど、そんな夢物語を、リリィは僅か一月もかけずに成し遂げた。
奴隷をなくしたいという、俺の願いを叶えた————そう、全ては、洗脳という悪夢の力を使って。