第800話 聖王
氷晶の月1日。
アヴァロン国王、ミリアルド・ユリウス・エルロードは、突如として集結した十二貴族の党首達を前に、目を白黒させていた。
「————陛下、突然の来訪誠に失礼いたします。我ら一同、速やかに奏上いたしたい儀がございますれば」
玉座の間にして、一同を代表して述べるのは、アヴァロン十二貴族の中でも筆頭格であるアークライト家当主のハイネだ。
ミリアルドにとっては、帝国学園時代からの友人でもあり、信頼する者の一人でもある。
彼の後ろに控えるのは、六人の当主。
「うむ、何のことだか余には見当もつかぬが……アークライト卿、そなたを始め、実に七家もの当主が集まっておるのだ。よほどのことなのであろう」
「はい、陛下。これなるは、祖国の存亡に関わります故」
ハイネ一人であっても、望めばミリアルド王との面会はすぐに叶う。アヴァロンは国王と、十二貴族の合議による意見によって国政が運営されている。それで建国以来、数百年の間、大きな問題もなくやってきていた。
王といえども、十二貴族の意見を全く無視して事を決めることは難しい。だが、十二貴族が全会一致の決議をすることも、非常に稀でもあるが。
そんな王の決断に大きな影響を与える十二貴族の内、今はアークライト含め七つ、つまり過半数もの当主がやって来た。それも事前の連絡もなく、突然に。
普通の貴族であれば無礼と門前払いを喰らうところだが、彼らがこうも急いでやって来る以上、その話に耳を傾けないワケにはいかない。
「では、聞かせてくれ」
「はっ、恐れながら、ミリアルド国王陛下へ奉ります。本日をもって陛下には退位していただき、第一王子ネロ殿下へと王位を継がせていただきましょう」
玉座の間に、静寂が訪れる。
「……アークライト卿、いや、ハイネ。余とそなたは旧知の仲だ。今ならば、その発言を聞かなかったことにしてやろう」
王に退位を迫るとは、とても冗談では済まされない。
一国の王であれば、申し開きを聞かずに、即刻首を撥ねてもおかしくないほどの無礼。いいや、叛意ありとみなされるだろう。
だが、ミリアルドは信じている。ハイネ・アン・アークライトを友人であると見込んで。
「冗談であると受け取ったならば、何度でも言いましょう。今日ここに集った我ら一同は、ミリアルド国王陛下の退位を望み、ネロ王子殿下を次なる王として迎え入れる所存にあります」
「どういうつもりだ……」
「ふむ、お分かりになりませぬか」
「答えよっ、ハイネ!」
滅多に声を荒げることはない、よく言えば温厚、影では腑抜けと嘲笑されることもあったミリアルドが叫んだ。
スパーダのレオンハルト王のように、ミリアルドには全くもって武威はない。剣も魔法も帝国学園で学びはしたが、その腕前は騎士と比べれば大いに劣る。戦う力はないに等しい。
それでも国王として、度の過ぎた発言には怒鳴らなければならない。
これを一喝できぬようでは、最早、王ではないだろう。
「ふふっ、ふはははは————いや、そうだな、分かるはずもないだろうな、ミリアルド」
「ハイネ、貴様っ!?」
家臣としての礼を捨て去り、玉座に座す王の前でありながら、傲然とハイネは立ち上がる。
それに続き、六人の党首達も、王の許しもなく立った。
「謀反を起こすつもりなのか……」
「謀反などとはとんでもない。我々は、何も裏切ってなどいないのだからな」
「これを裏切りでないと申すか! 貴様ら、アヴァロン十二貴族ともあろう者が……王家に逆らうか! この、エルロード帝国皇帝の末裔たる、この王家にっ!!」
「だからだよ、ミリアルド。お前は魔王ミア・エルロード、神に背いた大罪人の末裔だからこそ、我々は、いいや、我らが祖先の一人として、心から王家に忠誠など誓ったことはない」
「なっ、何を……何を言っている。よもや、パンドラ統一の大英雄まで貶めようというのか」
この際、ただの謀反であれば行動原理は理解できる。
人の欲望は無限大だ。その野心により、主を裏切り、自らが上に立つことを望み、実行した者は歴史上には幾らでもいる。
元をただせば、このエルロード王家も、暗黒時代の最中にそうやって成り上がってきたのかもしれないのだ。
男なら、誰もが一度は望む。古の魔王ミア・エルロードのようにと。
その名こそが大陸を支配した唯一の存在であり、象徴。黒き神々の第一柱として君臨しながらも、いまだ一人も加護を授かった者がいない、伝説の神。
魔王ミアの名は、支配者にとって目指すべきものであり、否定するものではない。
「我らが心より信仰を捧げるのは、この世で唯一絶対の創造神『白き神』のみである。魔王ミアは、かつてパンドラ大陸から我らが信仰を放逐した、最も忌むべき神敵なのだよ」
「白き神、だと……それは、あの十字軍と名乗る者共の……」
「そう、彼らは古代、魔王の手より新天地へと逃れた者達の子孫である。そして、我らはこの地に残り、いつか信仰を取り戻すために潜み続けた、その末裔なのだ」
「馬鹿な、古代から今の今まで、そんな異教の神を信じていたというのか? 黒き神々の加護で満ちる、このパンドラで」
「『白き神』は、我々を決してお見捨てにはならなかった。加護は授かっている。その力を以って、我らはずっと潜んでいた。時が来れば、すぐに立ち上がれるように」
俄かには信じがたい話だ。
しかし現実として、何の兆候も動機もなく、突如として七人もの当主達が堂々と謀反を宣言した。
ミリアルドから見れば、彼らは決して仲が良好であるとは言えなかった。
十二貴族は国を束ねる仲間であると同時に、巨大な権力を取り合うライバルでもあるのだ。アヴァロン建国以来、十二貴族はそれぞれが競い合い、どこか一家が突出しないよう権力闘争を繰り広げてきた。
ミリアルドの代にあってもそれは変わらず、十二貴族が一堂に会する際には、必ず意見対立が起こる。彼ら七人が協調して物事を運んだことは、ただの一度もありはしない。
だが、それすらも演技に過ぎなかったというのか。
互いが競い合うが故の安定。どこかが出過ぎることもなく、どこかが落ちぶれることもない。
十二貴族としての格と力を維持したまま……この裏切りの時まで、虎視眈々と狙い続けていたというのか。アヴァロン建国の祖となったが故に、十二貴族という代表格に任じられた者達は、その初代から遥か未来に裏切ることが定められていた。
そんな壮大な転覆計画など、とても信じられるものではない。
「何故……何故、ネロなのだ」
「ふっ、ミリアルド、もう自分の身よりも息子を案じるか。その甘すぎるところ、嫌いではなかったぞ」
「答えよ、ハイネ! 余の息子を、どうするつもりなのだ!」
信じるかどうかは別としても、ハイネは魔王ミアの血筋を恨んでいる。それが、自分の信じる神に背いた大罪人であるからと。
ならば、自分の血を引くネロはどうなる。
何故、ネロに王位を譲れなどと言うのか。
ネロを殺し、ネルも殺し、エルロード王家に連なる全ての者を根絶やしにして、自分が王位に就くと考えるのが自然だ。
「案ずることはない。ネロ王子殿下は、我らの王となるに相応しいお方だ」
「ネロは、貴様らと通じているのか。いつからだ」
「我々ではない、神と通じたのだ」
「なん、だと……」
「忌まわしき魔王の血を引きながらも、ネロ殿下は許された。そう、許されたのだ! 白き神の寛大なる慈悲により、十字教へと迎え入れられた。聖なる、使徒として」
いたく感動している、とでも言うような表情と身振りのハイネは、再びその場に膝をついた。仕えるべき、真なる次代の王に対して。
一体どういうことなのだ、と戸惑う間もなく、ミリアルドの背筋に悪寒が走る。
「なっ、なんだ、コレは……」
途轍もない魔力の気配。ミリアルドの鈍い第六感でも、肌でビリビリと感じるほどに凄まじい密度を誇る。
これほどの気配、そう、命の危機を本能的に感じさせるほどの圧倒的な存在感は、もう遥か昔、学生時代の演習で偶然現れた高ランクモンスターに襲われて以来のことだ。
あの時は、親友としてレオンハルトが傍にいた。
だが、今は……アヴァロン王という名の、騙され続けてきた哀れな道化の味方が、どこにいるというのだろうか。
自分はこれから死ぬのだ。そう認識した次の瞬間に、玉座の間は開かれる。
「ネロ……ネロ、なのか……」
現れた男を、ミリアルドは愛すべき自分の息子であるとすぐには信じられなかった。
それは決して、魔王ミアの容姿と同じ、赤い目と黒い髪が、青と銀に代わっていたからではない。
多少の色は違えども、その姿がネロであると見間違えることはない。
ただ、信じがたいのは、その身に纏う白銀のオーラだ。
「ああ、親父。俺はネロさ。分かるだろ?」
「何が……お前の身に、一体何が起こったというのだ! その白い輝きと力は、お前自身のものではなかろう!!」
ネロは強い。天才だ。自分とは違い、あのレオンハルトのように飛びぬけた武勇を誇る。
自分にその才能がなかったが故に、嬉しかった。息子には、自分と同じ思いを抱かせずに済むと。
だが、今この目の前で輝く白銀のオーラは、およそ人間の限界を超えた力の発露だとしか思えない。
それはきっと、ネロが剣士として、あるいは魔術師として、生涯を捧げて研鑽を積んだとしても、決して届かないだろう遥か高み————そう、神の領域とでも言うべき高みにある力。
ミリアルドが一目でそう理解したのは、人としての本能か、あるいは魔王の血筋が故か。
「簡単な話だ。俺は加護を授かった。『白き神』からな」
中でも、特別に強大な加護を授かる『使徒』であるとネロは語った。
第十三使徒ネロである。
「馬鹿な、いくら加護を授かったとて、それほどの力……人の身に、許されるものではない」
「ふっ、誰が許さないって言うんだ。親父か? 黒き神々か? この力は、もう俺のモノだ。誰にも否定させはしない。歯向かえば、潰す」
まるで、スラムのギャングのような物言いだ。
とても、ああ、とてもアヴァロンという歴史ある国を背負う王子とは思えない。
その親を親とも思わぬ冷めた目は、必要とあれば、躊躇なくミリアルドに刃を突き立てるであろう。
「ああ、ネロ……なんと、愚かな……」
自分の気づかぬうちに、取り返しのつかないことになってしまった。
建国より定められた、十二貴族の裏切り。
そして、黒き神々に仇なす白き神の使徒と化したネロ。
全て、自分の与り知らぬところで、全く力の及ばぬところで、事が進んでしまっていた。
エルロード帝国の後継、栄光あるアヴァロンの国王でありながら……これほどの無力を感じたことは、今まで一度もない。
「親父、そこを退け」
「ここに座して、何とする」
「俺が王になる。ただの王じゃあない……白き神の聖なる力を授かった『聖王』だ」
跪く七家の当主を背後に、ネロは不遜にも玉座へと歩み寄る。
力を持たぬミリアルドには、ネロから発せられるオーラに触れただけでも焼け爛れたような苦痛を味わうことだろう。
恐るべき力の奔流を目の前にしながらも、それでもミリアルドは一言の悲鳴も漏らしはしなかった。それが王として、父として、最後の矜持であるかのように。
「一つだけ、約束してくれないか、ネロ」
「なんだよ」
「ネルにだけは、手を出さないでくれ。どうか、あの子の身の安全だけは————」
「当たり前だろ、ネルは俺の大切な妹だからな。アイツのことは、誰にも傷つけさせはしない。俺が守る。この最強の力でな」
ならば、もう何も言うことはないとばかりに、ミリアルドは玉座から立ち上がった。
そのすっかり薄くなった頭に輝く、王冠を置いて。
「ローラン、親父を連れて行け」
「————ハッ、仰せのままに、ネロ聖王陛下」
いつの間にか、すぐ傍に現れていたのは、壮麗な白銀の鎧を纏った騎士。
ローラン・エクスシア。
アヴァロン有数の騎士家エクスシアの長男であり、その腕と忠義を買われて幼少のネロの護衛を任せていた。
ネロが帝国学園へ入学すると同時に護衛を辞任し、『近衛騎士団』に入団。そこで圧倒的な実力を示し、より実戦的に活動するアヴァロン軍の最精鋭、第一竜騎兵隊『ドラゴンハート』へと転属。
白い騎竜を駆り、瞬く間に武功を上げ続け、史上、最年少で団長へと昇格。
現在、アヴァロンにおいて最強の騎士と呼ばれる男である。
「ローラン、よもやお前も加担しておったとは……」
「先王陛下、どうぞこちらへ。御身の安全は保障いたします」
信頼していた最強の騎士にすら裏切られていたことを知り、ミリアルドは大きく肩を落としながら、力なく玉座の間より退室していった。
「ネロ陛下、先王ミリアルドの処遇は如何様に」
「親父が邪魔なのは王だったからだ。もう王ではなくなったなら、俺にとってはただの父親だ。手出しは許さんぞ、ハイネ」
「仰せのままに。私とて、ミリアルドとは旧知の仲にございます。今後はネロ陛下のご活躍を眺めながら、静かに隠居していただくのがよろしいかと」
「親父には何の力もねぇ。余計なことはするな。もう、放っておいてやれ」
謀反の真似事をして王位を強制的に譲らせたが、ネロとて父ミリアルドが憎いわけではない。家族として、守りたい者の一人でもある。
故に、王位を退いた後は、アスベル山脈の別荘にでも閉じこもって、世俗を離れて暮らしていれば何の問題もない。
「これで親父は退いた。今日から、俺がアヴァロンの王だ」
玉座へと、ネロが腰を掛ける。
置き去りにされた王冠を手に、自らその頭へと載せて。
戴冠の儀は必要ない。それを執り行うのはパンドラ神殿、すなわち、黒き神々の神官であるからだ。
もう、黒き神々はいらない。
これより、パンドラの全ては、白き神の手に取り戻されるのだから。
「悪しき魔王の帝国を継ぐと称するアヴァロンは、今日をもって消滅する。そして、生まれ変わるのだ。白き神の祝福を受ける、聖なる王国へと」
ネロが玉座に座り、最初に宣言したことは、建国。
数百年のアヴァロンの歴史に終止符を打ち、自らが治める神の国へと変革させる。
「第十三使徒にして聖王ネロの名を以って、ここに『ネオ・アヴァロン王国』の建国を宣言する」
それから三日後、氷晶の月4日のことである。
第一王子ネロが王位を継ぎ、さらには新王国樹立の宣言が大々的にアヴァロン国内に広まり切った頃だ。
アークライト以下、十字教徒であった十二貴族の協力を受けて国内の統一化を進めるために、新たな王として多忙を極めるネロの元に、その報告はもたらされた。
「————親父が、逃げた?」
「も、申し訳ありません……」
「どういうことだ」
静かにオーラを放つネロを前に、報告をした騎士は震え上がる。
彼はすでに、ネロがその気になれば瞬時に自分を消し炭にする絶大な力を持つことを知っている。
大いに冷や汗を流しながらも、騎士は詳細を伝えた。
「アスベル山脈の王家の別荘へと移送する最中、その護衛隊の一部が突如として離反……ミリアルド先王陛下を連れ、いずこかへと姿を消した模様です」
「護衛隊が離反だと……おい、セリスは無事なのか」
すでに王位を退いたミリアルドは警戒するに値しない。だが、父親としてその身の安全は最大限に保障したい。
だから、セリスに頼んだ。
彼女は信頼できる幼馴染の一人であり、何より、アークライト家の長女。十字教への改宗は済んでいる。
「そ、それが……離反を指揮したのは、セリス護衛隊長であったと」
「馬鹿な、セリスが裏切っただと!」
「生き残った者の証言によれば、『天元龍・グラムハイド』の加護を使っていたと」
改宗は、されていなかった。
いまだ黒き神々の加護を使うということは、何よりもの証である。
セリスは裏切った。
いいや、違う。最初から、裏切ってなどいなかった。
「ははっ、親父も、こういう気持ちになったのかよ……」
信じていた者に裏切られる。だが、その者は裏切ってなどいないと言う。
屁理屈のような言葉遊び。だが、それは大きく、心を抉るものだった。
「すぐに探せ。そして、親父もセリスも、俺の前に連れてこい」
「ははっ! 聖王陛下の仰せのままに!!」