第799話 国交樹立
月が変わり、氷晶の月1日。
俺はリリィを除いた『エレメントマスター』のメンバーと、もう一人、初老の男を加えて、スパーダ王城へ向かうこととなっている。
「私は、リリィ女王陛下によりスパーダ外交特使として任命された、ザナドゥが第一子、ザナリウスと申します。この度は、真なるパンデモニウムの支配者に拝謁の栄誉を賜り————」
「ああ、やめてくれ。そう堅苦しくする必要はない」
「はっ、それが主のお望みとあらば」
と、ホムンクルスが如く恭しく俺の前で跪く男だが、名乗った通り、彼はザナドゥの長男であり、カーラマーラでは有力議員だった人物だ。
リリィの統治はどうやらかなりスムーズに進んでいるようで、彼のような大物議員も喜んで協力してくれているそうだ————という報告を、俺がそのまま信じると思っているのか、リリィ。
何も説明はないが、リリィが支配するために議員連中に『思考支配装置』を使ったことは明白だ。ザナリウスの目は、初老とは思えないほど希望に満ちたキラキラした瞳をしているのだが、俺にはあの実験体達の自我を失った暗い目とどこか重なって見えて仕方がない。
しかし、俺にはリリィを責める気はない。その資格もないと言うべきだろうか。
ネロ、お前の言うことも一理ある。俺もまた、守るために手段を選ばなかったのだ。正しいこと、綺麗なことだけで、全てを守り通すことはできないのだと、俺はカーラマーラでも思い知らされたからな。
「ザナリウス大使、屋敷についたばかりのところ悪いが、すぐに王城へ出発する。スパーダ王を待たせるわけにはいかないからな」
「仰せのままに。こちらの準備は、万事整っております」
そうして俺達は屋敷を出発し、真っ直ぐにスパーダ王城へと向かった。
レオンハルト王に会うのは、サリエルのために戦功交渉をして以来だ。謁見の申請はつい昨日にしたばかりだが、ほとんど即答で許可が出た。
すでに、事情は向こうも承知なのだろう。そうでなければ、こんなに早い謁見は成立しない。
しかし、王城を訪れる時はやはり緊張するものだ。今回はウィルとも詳細に打ち合わせもできていないし、上手く事が運ぶか不安である。
そんな気持ちは表には出さないよう、精々、堂々とした虚勢を張りながら、俺は案内のままに玉座の間へと導かれた。
「————久しぶりだな、冒険者クロノよ」
前に見た時と全く同じように、玉座に座るレオンハルト王の前までやって来た。
これが本物の王者の風格、と言わんばかりの威圧感。実際、超人的な剣技を誇るスパーダ最強の剣士でもあるのだから、魔力的な圧力も発せられているだろう。
レオンハルト王の前で、俺はスパーダ式敬礼を定型通りにこなす。普段やらないから、ちょっと思い出しながらの敬礼をこなしつつ、俺は玉座の間に集った面子をザっと確認する。
まずは、第一王子のアイゼンハルト。そして、第二王子ウィルハルト。
ウィルは本来ならこの場に呼ばれることはない役職しか持たないが、俺との交友関係を鑑みて、王子の肩書をもって参加を許されているのだろう。
それから、戦功交渉の時に見た気がする、大臣らしき人物が複数名。その他に、高位の騎士らしき者達もいるが、将軍級はいなかった。
第二隊のエメリア将軍はダキアのネズミ駆除は終わったようだが、事後処理などですぐには戻れない。第三隊のゲゼンブール将軍は、ガラハド要塞を預かっているので、元からスパーダにはいない。
だが、国の意思を決定するには十分な面子が集まっていると見るべきだ。
「事は急を要する。汝が望み、申すがよい」
「アトラス大砂漠のカーラマーラに代わり、新たに成立したパンデモニウムを国家として認めること。そして、パンデモニウムとスパーダの間に、貿易、軍事、両面における同盟の締結を望みます」
「よかろう、スパーダはパンデモニウムを新たな国として認め、同盟を結ぶことを約束しよう」
厳かに、レオンハルト王は言い放つ。
えっ、終わり? なんかアッサリと意見が通ってしまったんだが……
「ありがとうございます」
ええい、全面的に認めてくれるって言うなら、乗っかってしまえ! 細かいことは考えない。
「これよりは冒険者クロノを、パンデモニウムの王として認める。面を上げよ、すでにそなたは、余と同じ一国の君主である」
いや、ちょっと待て、幾らなんでもそこまでは乗ってはいけない気がする。
こういうのは、最初に訂正しておかないと後で大変なことになるパターンだぞ。
「恐れながら、私には王を名乗る資格はありません。私は冒険王ザナドゥの遺産を受け継ぎ、それをパーティメンバー、リリィへと全て貸し出した、あくまで権利者に過ぎません。カーラマーラ議会に承認され、新国家パンデモニウムを成立させた君主はリリィです」
「ふむ、では王の名乗りを上げるつもりはないと申すか」
「はい、この身はいまだ、ランク5冒険者に過ぎません。ですが、スパーダとの外交を望むにあたり、リリィに次いで権利を持つ私達『エレメントマスター』のメンバーと、カーラマーラを代表する議員であるザナリウスを外国特使として、共に参上仕った次第です」
「まぁ、よかろう。同盟を約束する、格は足りておる」
幸い、深く追求されるでもなく、レオンハルト王は納得を示してくれた。
「おい親父、なんか随分とあっさり決めちまったが、それでいいのかよ?」
やはり身内からしても、スパーダ王の即断ぶりには困惑しているようだ。アイゼンハルト第一王子が、やれやれといった感じで口を挟んできた。
「不服があれば、申してみよ、アイク」
「不服、というより単純な疑問さ。俺だけじゃない、ここにいる誰もが思ってることだ。最果ての欲望都市カーラマーラ、その名と場所は地図で見たことくらいはある。本当に大陸の果てにある国と同盟を結ぶといっても、名目だけにしかならないんじゃあねぇのか?」
「うむ、尤もな疑問である」
答えてみよ、とばかりにレオンハルト王の視線が俺へと向く。
恐らく、こちらの解答はすでに知っているだろうが、こういう場で明言することが大事といったところか。
「パンデモニウムは大迷宮と呼ばれる、巨大な古代遺跡の機能を復活させています。よって、地脈で結ばれた特定の龍穴へ、転移をすることができます。それによって、すでに転移の開通した各国と交渉を図っていますが、詳しいことはザナリウス大使から」
「はっ、すでにパンデモニウムは、ファーレン、アダマントリア、ヴァルナ百獣同盟と正式に国交を結んでおります。現在はスパーダと同様に、同盟の打診もさせていただいており、近いうちに締結の見通しが立っております」
転移は先に、オリジナルモノリスのある三ヶ国と通じている。開通次第、すぐに連絡を取り始めた。
どこも色よい返事をくれているのは、旅の途中で恩の一つを売れたことが大きいだろう。やはり、信頼ってのは大事だよな。
「へぇ、国が出来たばかりだってのに、随分と早い動きじゃないか」
「カーラマーラは元より、大迷宮によって大いに栄えた都市国家であります。大陸各地とは広く交易で繋がっておりますれば、どの国も無下にはいたしません」
ポっと出の新国家と、元から一目置かれる経済国とでは、聞く耳も大きく変わってくるのは当然だ。
リリィは議員の洗脳によって、最速の手っ取り早さでカーラマーラを掌握したから、邪魔が入ることなく好きにやれているのだろう。今、あの街でリリィに逆らえる者は誰もいない————あれ、もしかしなくても、それってただの独裁国家なのでは……
「確かに、それは違いねぇな。カーラマーラ大迷宮の産物は、ウチにも色々と流れてきている」
「ご愛顧いただき、誠にありがとうございます」
などと、実に商人らしい台詞をザナリウスは笑顔で言う。
洗脳の影響下にあって、この滑らかな弁舌は、自我の喪失は最小限で済んでいる証だろう。流石のリリィも、物言わぬ人形にまでするのは心苦しいはずだ。
「転移によりカーラマーラとの交易が拡大するのは、我が国にとっても大いに喜ばしいことであると余は思うが」
「はっ、国王陛下の仰る通りかと」
「異論はありませぬ」
大臣達からそんな賛同の声が上がる。
上手く全員の賛成を得る流れを作っている、といったところだろうか。
「しかしながら、同盟締結まで決めてしまうのは性急ではないかと申し上げます、陛下」
「カーラマーラの経済力は、パンドラの都市国家でも有数ではありましょう。友誼を結ぶ方向性には賛成ですが、何分、これまでは距離の関係上、直接的な国交はございません」
「つまり信用という点においては、今しばらく時間をかけて見定めるべきではないかと具申致します」
賛同していたのとは、また別の大臣からそんな声が上がる。
実際、その指摘は至極もっともだ。レオンハルト王が即断したのが普通におかしい。
そりゃあカーラマーラは有名だけど、転移が通ったから速攻で仲良くできるかと言われれば、そう簡単にはいかないだろう。これくらい警戒、というより段階を踏んでいくのは当然の措置である。
そう、何もない平和な時なら、それでいい。だが、今は時間がない。
ネロが使徒と化し、自ら王位を今すぐに奪うと明言していた。アヴァロンが十字軍側に寝返るのはほぼ確実。そして、ダイダロスの十字軍もそれに呼応するだろうことは想像するに難くない。
スパーダには多少の無理を押してでも、転移でパンデモニウムからの増援を受け入れる態勢くらいは整えて欲しいのだ。
だが、それをゴリ押しできる弁舌を振るう自信が俺にはあまりないのだが……
「大臣方の懸念はご尤も。ですが、こと信用という点において、これほど信頼と実績のある男がおりますでしょうか」
と、ここで声を上げたのはウィルだった。
時間がないから何にもウィルと打ち合わせできていないけど、頼む、ここは任せた魂の盟友よ!
「ウィルハルト王子……」
「冒険者クロノ殿とご学友と称しているようですが、この場で個人的な物言いをされるのも困りますな」
「よい、ウィルの発言を許す。思うまま申してみよ」
大臣からの嗜める声と、発言を許可するレオンハルト王。ここへウィルが呼ばれているのは、その意見も聞く気があるからこそだろう。
「それでは、僭越ながら。まず、先のガラハド戦争での『エレメントマスター』の活躍は、まだ記憶に新しいことでしょう。十字軍が誇る最強の戦力である使徒、その内の一人にして、当時の総司令官であった第七使徒サリエルを捕縛した功績は、国王陛下もお認めになられる一番の戦功であります。味方として非常に頼れる戦力ということに、異を唱える者はおりますまい」
ここは俺達の最大のアピールポイントでもある。前に大活躍したんだから、次も期待してくれよな、という簡単な話。
単純だからこそ、ケチのつけようもない。大臣達も頷きを返すだけで、何も口は挟まなかった。
「さて、そんな英雄となった男が、次に行ったことはなんでしょうか。爵位を貰い成り上がるでもなく、名誉と褒賞でもって放蕩に耽るでもなく、クロノは更なる力を求め、遠く大陸の果てカーラマーラを目指したのです!」
別に修行の旅ではないのだが、まぁ、そういう感じで思ってもらっても構わないか。ここはウィルの言うがままに任せるしかない。
「艱難辛苦の旅路の果てが、如何なる結末を迎えたかは、すでにご存じの通り。カーラマーラという豊かな都市国家を、丸ごと支配してみせた。クロノは王ではないと断ったが、その気があれば今頃、黄金に輝く玉座に座していたでしょう。違いますか、ザナリウス大使殿」
「仰る通りでございます。我が主クロノ様は、深謀遠慮をもってカーラマーラの支配をリリィ女王陛下へと委ねました。我々、パンデモニウム国民に、クロノ王が即位されることを反対する者は一人としておりません」
クロノ王とか言ってるよこの人……や、やめてくれ、いざ言葉にされると想像を絶する恥ずかしさだ。口元がムズムズしてくる。なんだこの精神攻撃。
「お聞きの通り、クロノには王となる権利も希望もあった。にも拘わらず、クロノはスパーダへ帰ってきた。王権を仲間に託し、自らはただのランク5冒険者として。それは何故か————全ては、我が国スパーダを守らんがためである!!」
ウィルの叫びが、朗々と玉座の間に響く。
これ、本人からすると「盛り上がってきたぞぉ!」といったところだろう。
「豊かな国の王となれた。そこは遠く最果ての地なれば、スパーダが滅ぼされようと何の影響もない。見捨てても良い、忘れてしまっても良い。だが、クロノは帰って来たのだ!」
ああ、そうだとも、俺はスパーダに帰ったぞ。
カーラマーラの王になって、贅沢三昧の生活を過ごすことだって、そりゃあ不可能ではなかっただろう。そして、俺がそれを望めば、恐らくはリリィも止めない。フィオナも、サリエルも、誰も俺を止めはしないだろうさ。
彼女たちからすると、もしかすれば俺がそうすることこそを望んでいたかもしれない。
だが、俺がその選択肢を選ぶことはありえない。
何故なら、このパンドラ大陸には、まだ使徒がいて、十字軍がいるからだ。
「帰ったクロノは、新たに傭兵団を立ち上げた。カーラマーラより連れてきた手勢を率い、まずはスパーダ国内で所有が許される最低限度の戦力として。そして今は、更なる防衛戦力を呼ぶ準備として、パンデモニウムとの同盟を求めてきた。ああ、クロノ、我が魂の盟友よ、汝は何故もそこまでスパーダに尽くす」
ノリに乗ったウィルの熱い視線が、真っ直ぐに俺へ向けられる。
いいだろう、答えてやるぜ、親友。
「俺はスパーダの人間ではない。ダイダロスから十字軍に敗れて、ただ隣国だからここへ落ち延びただけのこと。だが俺はこのスパーダで、ランク5冒険者となった。多くの出会いを経て、守りたい人たちがここにはいる。断じて、十字軍の侵略を許すわけにはいかない。奴らには、この国の土を一歩たりとも踏ませはしないと、俺はミ……黒き神々に誓った」
あぶねー、今ミアちゃんの名前だすとこだったよ。今ここで言ったら白い目で見られそうだし、黒き神々と言っておけばみんな納得してくれるよね。
「お分かりいただけただろうか、クロノがスパーダを愛する気持ちは本物である! そして、それが口先だけではないことは、すでに彼の行動が証明している!!」
何と言うか、割と感情論のゴリ押しな気もするが……俺の本心としても、それはあながち間違いでもない。スパーダを守ることは、俺の命を賭けるのに十分すぎるほどの大義である。
「我々は、クロノと協力すべきだ! スパーダには、彼の力が必要なのだ!」
決め台詞のように高らかに響き渡り、ウィルの演説は終了した。
拍手はない。
だが、それ相応の説得力は与えたようだ。
「なるほど、ウィルハルト王子の論にも一理はあると認めましょう」
「これまでの功績を鑑みれば、警戒よりも、率先して手を組む方が双方にとって益があるということですな」
「最早、殊更に反対は言いますまい。後は、国王陛下の御心のままに」
そうして、反対意見を述べていた大臣は一礼をしてから、レオンハルト王を見やる。これ以上の意見を述べるつもりはないと、引き下がったのだ。
「余はパンデモニウムとの同盟を望む。ここに集った者達は、すでに知っていよう————アヴァロンに裏切りの動きがある」
どうやら、レオンハルト王もそれを最大の理由としてくれたようだ。しかし、今ここでその話を出すとは。思い切ったことをする。
「なぁ、親父はそれを信じているのか?」
「アヴァロン第一王子ネロ・ユリウス・エルロードは、使徒となった。報告にあった通りの時刻と方角に、余は確かにガラハドで見えた使徒と同じ気配を捉えた。まず、間違いあるまい」
断言するレオンハルト王であった。
そういえば、レオンハルト王はガラハド要塞から、アルザスにいるサリエルの気配を察したらしい、とウィルから聞いたことがある。なんでも、授かった『建国剣祖ジークハルト』の加護には特別に強力な者を感知する能力もあるのだとか。
それで使徒覚醒の証明を自らしてくれるのだから、話が早くて非常に助かる。
「アヴァロンが十字軍へ寝返った際の脅威は、語るまでもあるまい。早急に強固な防衛体制を整える必要がある。パンデモニウムとの早期同盟締結は、その一環として心得よ」
「ははっ、レオンハルト国王陛下の仰せのままに!」
ウィル含め、全員がそう一斉に唱和する。
どうやら、話は上手くまとまったようだ。
「して、冒険者クロノよ。我が国とパンデモニウムの転移は、何時になれば開かれる?」
「お許しを得られれば、今すぐにでも」
「許可する。今すぐ開くがよい」
よし、やったぞリリィ。この朗報を、転移を使って今すぐ、直接伝えに行くからな————
2020年11月13日
第38章はこれで完結です。
次章もお楽しみに!