第796話 影武者と大公
二人の幼女が、向かい合っていた。
共にプラチナブロンドの長髪に、エメラルドグリーンに輝く瞳。透き通るような白い肌に、幼いながらも整った容姿……まるで双子のような二人だが、一つだけ決定的に異なる点があった。
それは、羽が生えているか、いないか。
「こんにちは」
「……こんにちは」
ヒマワリが咲くような眩しい笑顔で言うリリィに対し、答えたリリアンに笑顔は浮かばない。
リリィはレキとウルスラとの面談を終えた後、二人にリリアンを呼んでもらった。曰く、クロノが彼女たちと行動を共にするキッカケとなった子供の奴隷であり、そして、最もクロノに懐いたという子である。勿論、クロノも最初から怖がらずに寄って来てくれたリリアンのことは、特に可愛がっていたという。
そう、リリィはそんなリリアンのことが————気に入っていた。
「ふーん、確かに、それなりには私に似ているわね」
二人並べば、瓜二つ、というほどではない。逆に言えば、並ばないと正確な違いが分からない、くらいには似ているだろう。
クロノは記憶を失っているにも関わらず、自分によく似た女の子を可愛がっていた、という単なる偶然でしかない事実を、リリィは大層、喜んでいた。
「うふふ、初めまして、リリアン。私はリリィよ。私のことは、もう知っているかしら?」
「リリィ……アイドル、ヴィジョンで見た」
「今はアイドルだけじゃないわ」
「カーラマーラの、新しい女王様」
「ええ、パンデモニウムの女王よ。でも、そんなことより、私とクロノがどういう関係であるかというほうが大事なの」
「知っている。リリィは、クロノ様の……こんにゃくしゃ」
「婚約者。大事な言葉よ、憶えておきなさい」
リリィは微笑みながら、リリアンの頭を撫でた。
良い子だ。とても、頭の良い子。
奴隷に落とされて大きなショックを受けた影響なのか、幼児でありながら口数は少なく、表情も感情も乏しい。姿こそ自分に似ているが、その心のありようはサリエルに近いと、リリィは感じた。
そうだ、人形の様に無感情でありながらも、非常に鋭い直感と洞察力を持つところも似ている。
リリアンがクロノに懐いたのは、そこが安全だと確信したから。自分を守り、そして外敵を排除できるほど強い、そう、幼子が父親に寄せるべき全幅の信頼と感情を預けるに足る男だと、リリアンは出会った瞬間に察したのだろう。
「クロノのことは好き?」
「……好き……大好き」
「また、会いたい?」
「クロノ様に、会いたい……でも、我慢する」
「そう、良い子ね。貴女は良い子」
言い聞かせるように語りながら、リリィはリリアンを座らせる。
椅子にではない。くすんだ絨毯が敷かれた客間の床に、そのまま一緒に座り込む。それは実に小さな子供らしい姿。傍から見れば、双子の姉妹が無邪気に内緒話にでも興じているように思うことだろう。
「クロノに会わせてあげる」
「……それは、できない。クロノ様は忙しい、から……」
「ええ、クロノはとっても忙しいの。貴女達だけじゃない、このパンドラに住むみんなを守るための、とても大事なお仕事があるから」
「そう、だから、クロノ様とは、もう会えない」
「いいえ、会えるわよ。リリアン、貴女も仕事をすればね」
「お仕事……?」
「私の代わりに、ヴィジョンに出て欲しいの。大丈夫、貴女は私によく似ているから、誰も気づかないし、気にもさせないわ」
リリィがリリアンに求めた役目は、影武者である。
厳密にはその意味は異なるが……本来、自分でなければいけない仕事と立場を、ソックリな別人を用意することで本人だと誤認させるという部分では共通する。
今、パンデモニウムで放送されているリリィが歌って踊るヴィジョン番組は、絶対的な洗脳の力を支配力の基礎とするこの国において、最も重要な存在だ。この洗脳力さえ維持できるのならば、規範を示す法律も、優れた統治機構も、治安の維持も必要ない。なぜなら、そこにいる国民は全て、己の欲も命も顧みず、どんな命令にも喜んで従う操り人形と化しているのだから。
独裁者の理想が如き洗脳の支配力だが、欠点もある。現状では、リリィ自身がヴィジョン放送によって、大規模洗脳魔法『全てを捧げよ』を行使、維持しなければならない点だ。
この番組は、実は全てが生放送。録画はただの一度もない。そうすると、不思議なもので魔法としての効力が著しく落ちてしまうのだった。
故に、リリィはパンデモニウムの支配を続けるならば、この場に居続けるしかない。女王の玉座に縛られ続け、スパーダにいるクロノの元へ駆けつけることもできないのだ。
いずれ、自分がいなくても永続的に『全てを捧げよ』が機能するようにしていく予定はあるものの、それは国民の洗脳度合いがさらに進んだ段階に達しなければいけない。リリィが抜けるためには、まだまだ時間がかかりそう。
故に、今すぐ欲しいのだ。『全てを捧げよ』発動の要となる、自分に代わる別な術者を。
「アイドルに……なるの?」
「少し違うけれど、似たようなものね。そうよ、リリアン、貴女は私の代わりにアイドルになるの。パンデモニウムを纏めるための、偶像にね」
「アイドルのお仕事をしたら……クロノ様と、会ってもいいの?」
「いいわよ。貴女が頑張れば、必ずクロノはまた会いに来てくれるわ」
リリアンは絶対に断らない。リリィには確信があった。
しかし、その小さな首は、すぐに縦には振られなかった。
「あら……迷っているの? 何か不安なことがある? 言ってごらんなさい」
「一つだけ……お願いがあるの」
鷹揚に頷いて、リリィは真っ直ぐにリリアンの瞳を見つめた。それは、嘘も誤魔化しも許さない、絶大な精神感応力による監視。
リリィは、小さな子供が相手でも容赦などしない。
「みんなの心は、壊さないで欲しい」
「————ああ、本当に貴女は良い子ね、リリアン」
リリアンは、すでに知っている。この新しく君臨した女王リリィが、洗脳という邪悪極まる方法でもって、人々を支配していることを。
そして、リリィは自分にその洗脳をするための仕事をさせようとしていることも。
リリアンは、全て理解していたのだ。
「分かったわ、約束しましょう。ここにいる子供達は、ついでに、外周区にある全ての孤児院もそのまま残してあげる。勿論、生活に困らないよう、ちゃんと面倒も見てあげるわ」
「ありがとう、ございます」
「ふふふ、本当の家族ではないけれど、家族同然の仲間のために、そう願えるのは素晴らしいことよ。リリアンは『守る』ということがどういう意味か、よく分かっているわね」
「私も、みんなを守りたい、から」
「ええ、そうよね。今まで貴女は守られてきただけ。一番小さいのだもの、仕方がないこと、当然のこと……けれど、だからこそ、そんな自分でもみんなのためにと思えるのは、とても気高い精神よ。幼い子供とは、思えない程にね」
リリィは素直に感心する。自分のような妖精でもないのに、生まれて僅か数年の幼児が、自分の仲間のことまで思いやれるのだから。
それも、リリィの意図を正確に理解した上で、仲間の心の安寧を願い出る、認識能力と判断能力。大人であっても、果たして上手く交渉できるかどうかは怪しいところだ。
そんなリリアンに敬意を表して、リリィは予定も曲げることにした。
外周区を含む全ての孤児院を排し、身寄りのない子供は全てパンデモニウムで引き取る。そして次世代の国民、その模範となるべき完璧な洗脳教育を叩き込む。
そうして育った子供は、最早、洗脳魔法すら必要がないほど、国へ、いいや、リリィとクロノへ揺るぎない絶対の忠誠を誓うようになる。人造人間の本能的隷属を、後天的に付与するのだ。
現時点では気の長い計画ではあるが、どの道、孤児など行き場のない余った『人材』に過ぎない。ならば、さっさと全て取り込んでしまおうと思っていたが……リリアンが仲間の子供達をそうさせたくないと願うならば、叶えてやってもいい。
外周区の孤児院を全て残したとしても、そのキャパシティなどたかが知れる。欲望都市カーラマーラには、孤児院にすら入れないあぶれた子供達と、そこに入る権利すら許されない奴隷の子など、数えきれないほど存在しているのだから。
「それじゃあ、交渉成立ね。明日、迎えの者を寄越すから、今日の内に別れは済ませておきなさい」
「はい、リリィ、女王様」
そうして、リリアンは拙い動きながらも、リリィの前に膝をつき、頭を下げた。互いの立場というものを、理解しているが故の行動だった。
「いいのよ、リリアン。貴女がそれをする必要はないわ」
そっと手を伸ばし、リリィはリリアンの顔を上げさせる。
その幼い顔に、無邪気さの欠片もない艶やかな微笑みを浮かべて、リリィは言い聞かせた。
「私のことは、お姉様とお呼びなさい」
「はい、お姉様」
栄華を誇るカーラマーラで最も衰退著しいアングロサウス地区。ゴーストタウンだのダンジョン化しているだのと、散々な言われようであったこの場所は、今では多くの人で溢れかえる、政治の中心地となりつつあった。
「ああ、忙しい、忙しい……」
三大ギャング『カオスレギオン』のボス、ジョセフ・ロドリゲスは、屋敷の執務室にて、書類の山に埋もれるようにして、ひたすら書面にサインを走らせていた。
「ふぅ……この辺でいいだろう、そろそろ休憩をしておかねば」
「大公閣下、こちらノースヒル地区の整理計画と要望書、シルヴァリアン残党の掃討作戦の立案書となります」
幹部であるサキュバスの秘書が涼しい顔でドーンと追加の書類をデスクへ乗せる。
情け容赦のない仕事の追撃にも、ジョセフはボスとして、否、今や東西南北、全ての外周区を合わせた広大な領地を預かるカーラマーラ大公として、眉一つ動かさぬ厳粛な表情で書類を手に取った。
そして8時間後————
「ぬぁああああー、疲れたもぉおおおおん!」
革張りのソファに漆黒の巨躯を沈めて、情けない声でジョセフは鳴いていた。だって、疲れたんだもん……
「本日も、よくお勤めを果たされました、坊ちゃま」
「うううぅ……爺ぃ……我もうダメかもしれないぃ……」
幼いころから世話してくれた、オークの老執事にはジョセフも気兼ねなくグズグズと泣き言を言える。
「気をしっかりお持ちください。大公としての務めを果たせるのは、坊ちゃまを置いて他にはありません」
「大公だからって、みんな何でもかんでも我に任せすぎじゃない!? 我は一人しかいないんだよ!」
「どうか、今しばらくのご辛抱を。リリィ女王陛下により、議会は完全に支配下に置かれております。なればこそ、坊ちゃまの大公としての差配も全て滞りなく進んでおります……もう間もなく、カーラマーラの、いえ、パンデモニウムの新たな統治体制が機能し始めるでしょう」
この国で最も力のある議員、つまりは最上位の金持ち連中は、一人残らずリリィの支配を受け、その意思は一つに統一されている。
洗脳という究極の独裁体制をとるリリィ政権下にあっては、どこよりもスムーズなトップダウン方式。
「うむ、それは誰よりもこの我が理解している。独裁体制のメリットは、何よりも意思決定の速さにある。だが、致命的な欠点は判断を誤った時に、取り返しがつかないこと————だが、女王陛下がそうなる可能性は限りなく低い。なぜなら、あの方はパンデモニウムの全てを知ることができるのだから」
ヴィジョンによって、外周区にまで映像情報を届けることができる。
だが、その逆に街中の情報を集めることができると知る者は少ない。なぜなら、それはオリジナルモノリスを操る者にのみ許された、監視機能であるからだ。
ジョセフはその存在を知ってはいたし、ザナドゥが利用していたことも承知だ。絶対的な監視能力は、財閥が不動の地位を維持し続けるための情報アドバンテージとして有効利用されたことだろう。
だが、そんなのは常識的な使い方に過ぎない。
ジョセフが真に驚いたのは、街中の様子をリアルタイムで記録する監視情報の全てを、リリィは直接、自らの脳内に繋げたことである。
正気の沙汰ではない。莫大な情報量が脳に流れれば、それだけで物理的に弾けかねない異常をきたす。多少なりとも魔法を扱ったことのある者なら、その恐ろしさは理解できるだろう。自らの力量を超えた術式演算が、如何なる苦痛を伴うものであるか。
だが、リリィはそれをした。最速かつ最善の判断を下すために。
そうして、リリィはこの国の情報全てを一身に集めた上で、命令を発した。いつ、どこで、誰が、何をするか。詳細に決められた膨大な量の命令書によって、パンデモニウムの運営と、ジョセフの大公としての仕事が始まった。
リリィの命令により、一斉に人々は動き出す。ついこの間にやって来たばかりの妖精少女は、今や誰よりもこの国を知る頭脳となって、人を操るのだ。
「事実、今日に至る僅かな間に、大きな混乱や反発もなく、内乱騒ぎも同然だった遺産相続レースの後始末は済み、中央区と外周区を隔てた二重の統治体制も早々に形を成してきた」
ザナドゥの遺産相続の結果、カーラマーラの勢力図は一変している。
最大勢力であったザナドゥ財閥は丸ごとリリィの支配下となり、三大ギャングの筆頭であった『シルヴァリアン・ファミリア』は壊滅し、『極狼会』もまた組長含む幹部が軒並み行方不明となり解散状態となった。
元からリリィの属した『カオスレギオン』は消滅寸前の弱小ギャングから一転、裏社会の最大派閥となると同時に、カーラマーラ大公の位を授かったことで、表向きにも正当な土地の支配権を得た形となっている。
それほどの環境変化にも関わらず、この街は今日も活気に満ちた商売が続けられ、多くの冒険者達が大迷宮へと潜っている。
ジョセフの任された東西南北の外周区に限っていえば、以前と同じような日常が戻ってきた。
そして、リリィが直轄する中央区は……自由意志のない洗脳済みの人々が、表向きはこれまでと変わらない日常の風景を演じながら、大迷宮での仕事に駆り出されている。
それは第一階層の居住区の整備であったり、第二階層での農業であったり、第三階層での武器製造であったり。そして、騎士でも冒険者でもない、ただの一般人であった者達に、武器を握らせて兵士としての訓練も始められていた。
中央区での真実を知るのは、ジョセフを含むごく一部の者のみ。それでも、全てを教えてもらっているワケではない。特にリリィ本人が居座る第五階層は謎に包まれている。
何も知らされていない外周区に住む人々は、多少の違和感は覚えているようだが、中央区は前と変わらずに回っていると思い込んでいる。
「全ての情報を握り、かつ、それらを精査し理解する情報処理能力。絶対的にして、孤高の王の力と言わざるを得ない————いやぁ、本当にリリィさんは化け物。おばあちゃんの占い通り、逆らわなくて良かった」
リリィが直轄する中央区のことは考えるだに恐ろしいが、大きな洗脳効果の及ばないジョセフの外周区は、これからも今までとそう変わらない『普通』の街でいられる。
もっとも、ジョセフがよほどの下手を打って外周区が乱れれば、リリィが直接乗り出し、強引にでも中央区と同様の支配を始めるだろう。つまり、カーラマーラ大公ジョセフの手に、何百万もの民の意思と尊厳が守られるか否かがかかっているのだ。
責任が重い……重すぎる……我まだ50歳なのにそんな重大な責任持てないよ……大人になりたくなーい!
若干、現実逃避しつつ、今日はもうこのままソファで寝ちゃってもいいかな、とか考え始める程度にウトウトしてきたその時だ。
「こんばんはー」
「げえっ!? リリィさん!!」
ノックがされた次の瞬間には扉が開かれる母親が如き無礼さでもって執務室にいきなり現れたのは、今一番顔を見たくなかったリリィ女王陛下その人であった。
「その対応はあんまりではないかしら、ジョセフ?」
「ひぇええ……も、申し訳ございませぇん……」
「主の非礼をお詫び申し上げます。しかしながら、ジョセフ様は本日、大変お忙しくされており、今ようやく僅かばかりの休息を得たところでして。どうか、ご無礼をお許しください」
「ええ、知っているわ。だから、終わるまで待っていたの」
み、見られている……この執務室の中も、リリィの目に監視されている……あんなに探知魔法で怪しいところがないか探したのにぃ! と、ジョセフはちょっとだけ絶望した。
「大変、お見苦しいところを……して、本日は如何なるご用向きでしょうか、女王陛下」
さっきまでの醜態など何もなかった、とばかりに堂々とした様子で、ジョセフはよれた襟元を正しながらリリィに向き直った。こういうところを華麗にスルーしてくれるリリィは、とても大人な対応だ。今は幼女の姿だが。
「紹介しておきたい人がいたから。入っていいわよ」
と、ジョセフの対面にフワりと飛んで着席したリリィが、小さな手を叩いて入室を促す。
「————お初にお目にかかる、『カオスレギオン』の首領、ジョセフ・ロドリゲス。今はカーラマーラ大公、と呼んだ方がいいだろうか。我が名はゼノンガルト・ザナドゥ」
「同じく、ランク5パーティ『黄金の夜明け』のメンバー、ティナでございます。ゼノンガルト共々、どうかお見知りおきを、大公閣下」
「こちらこそ、カーラマーラ随一の冒険者と会えて、喜ばしく思う。『黄金の夜明け』の大迷宮での華々しい活躍は、この我もよく知り及んでいる」
「過去の栄光ほど、虚しいものはないな」
ふっ、と皮肉気に笑うゼノンガルトの瞳には、確かな憂いの色が浮かんでいた。
そんな姿を見て、ジョセフは驚いた。
そもそも、ここにかの有名なゼノンガルトがやって来たことも驚きだが……彼の事の顛末もリリィに聞かされていたジョセフは、その頭に邪悪極まる洗脳の証が消えていることに、最も驚かされた。
いいのかリリィさん、もうゼノンガルトから『思考支配装置』を外して。
そのような常識的な疑問を抱いたことくらい、リリィはすでにお見通しであった。
「安心していいわ。彼とはちゃんと協力する方向で話はついているから」
「所詮、俺はただの敗北者。勝者たるリリィに、悪いようにはしない、と温情さえかけられたのだ。それを振り払うほど、恥知らずではないつもりだ」
少なくとも、リリィとゼノンガルトは露骨に険悪な仲ではないらしい。無論、口では恭順を示しつつ、腹の底では……などというのは古今東西よくあるパターンだが、リリィにそれは通用しない。テレパシーって、本当に恐ろしい能力だよね。
「ゼノンガルトには、騎士団長をやってもらうから」
「素晴らしいご采配です。彼ほどの適任者は、他にいないでしょう」
「リリィがいなければ、俺は今でもカーラマーラで最強だ」
「本人もヤル気十分だし、これからよろしくね?」
無残に敗北し、洗脳リングを被せられた屈辱の服従生活を送ってもなお、傲岸不遜な物言いをするゼノンガルトを、リリィはにこやかな笑みで眺めた。
その温かい視線に気づいてはいるが、ゼノンガルトは決して目を合わせようとはしなかった。男とは、強がってなんぼだからだ。
「それから、もう一人、会わせておきたい子がいるから。入ってちょうだい」
「————桃色の愛にトキめいて! ピンクアロー参上!!」
静謐な空気をぶち破り、全身ピンク色のド派手な女がやかましく登場する。
この国を支配する女王と大公の二大権力者の前で、言い訳がつかないレベルでのド無礼をかますピンクであったが、
「この子はリリアン。私の妹にしたの」
「こんばんは……リリアン、です」
ピンクはスルーされ、彼女の胸に抱かれている、リリィとよく似た小さな女の子だけが紹介された。
「い、妹……ですか?」
リリィが謎のピンク女をただの幼児抱っこ係として扱っているので、ジョセフとしては気にはなってもスルーせざるを得なかった。
しかしながら、リリィがわざわざ妹などと言い張る子供の存在も、気にするには十分すぎる。
「リリアンには、私に代わってヴィジョンに出てもらうから。貴方には教えておかないと」
「こんな子供を————」
影武者として、いや、洗脳魔法を発動させる術者として、利用するつもりか。
ジョセフは一瞬で全てを察した。そして、すぐに非難の言葉が口をつきそうになったのは、彼の高い人間性の証明でもあった。
「————これは、必要なことなの」
穏やかに、諭すように、リリィは言った。
「し、しかし……」
「リリアンも、理解はしているし、覚悟もできている。この子は、とっても頭の良い子だから」
必要とあれば、こんな小さな子供でも平気で利用するのか。
だが、このカーラマーラで暮らしてきた者に、そんなことを今更に責める権利など、あるはずもない。この国の豊かさは、数えきれない小さな奴隷達によって支えられてきたのだから。
「リリアンは、この外周区でも顔を出すこともあるでしょう。その時は、良くしてあげてちょうだい」
「……万事、承知致しました」
ジョセフにはイエスと答える以外に選択肢はない。
だが、このリリィによく似た容姿をしているだけのただの子供を、せめて不自由はしないようにしてあげようと配慮するくらいは、大公ジョセフには許されているだろう。
「しかし、女王陛下、騎士団設立に影武者の用意……些か、性急に過ぎるのではないかと」
「そうね、私としても、もう少し余裕を見て、ゆっくりやりたかったのだけれど、もう時間がないの————私のパンデモニウムに早速、最初の挑戦者が現れるわ」
「ま、まさか、もう戦争が」
「大丈夫、相手は十字軍ではないから、戦争にもなりはしないわ。でも、早い段階で上手く治めないと後が困るから」
「では、ここへ攻め寄せるのは……アトラスの周辺諸国ですか」
ええ、と大きくリリィは頷いて、この場にいる全員に聞かせるよう宣言した。
「ザナドゥを失ったカーラマーラを奪おうと、アトラス大砂漠を囲む小国家が同盟を組んで、攻めてくる。アトラス連合艦隊という大艦隊が、すでに編成されつつあるそうよ。私は、このアトラス連合艦隊を侵略者とみなし————これを撃滅するわ」
それは、当初から予想されていた事態ではあった。
ザナドゥの遺産相続放送の時点で、この戦乱を予感した者も少なくないだろう。
それほどまでに、大迷宮を擁するカーラマーラは魅力的な土地である。支配の揺らいだその時に、細々とした砂漠交易で成り立っている幾つもの砂漠の周辺国家が、乗るか反るかの大博打に打って出てもおかしくはない。
だが、まさかこれほど早く、それも、大規模な連合が成立するとは思わなかった。想定以上に、敵の戦力は大きい。
「心配する必要はないわ。彼らは、このパンデモニウムの力を試すには絶好の相手よ。ただ、勝つだけではない。私達は、永遠に逆らう気が失せるほどの圧倒的な勝利を掴むの」
「あのー、リリィちゃん、そろそろ私のこともちゃんと紹介して欲しいなって、ピンクのお姉さんは思うのだけどー?」
「ああ、まだいたの」
「いるわよ! 誰がリリアンちゃん抱っこしてると思ってるの!」
ゼノンガルトより無礼な物言いをリリィにするイカれたピンク女に、ジョセフの背筋は凍り付く。そんなに死にたいのか、いや、物言わぬ哀れな奴隷人形にされたいのだろうか。
「はぁ、うるさいわね……しょうがないから、紹介だけはしておいてあげるわよ」
リリィは実にヤル気の失せた表情をジョセフに向けて、ピンクについて語った。
「この女は、スパーダで活動していた冒険者のピンクアローよ。これでも一応、ランク5なの」
「一応ってなによう!? 私はどこに出しても恥ずかしくない、それはもう立派な正義のランク5冒険者よ!」
恥ずかしくないのは自分の面の皮が厚いからなのだが、わざわざ指摘する必要はない。
「先の遺産相続レースでは、リリアンのいる孤児院をシルヴァリアンから守って、奴らのボス、アンナマリーを討ち取ったわ。クロノにとっての恩人ということになるわね」
「いいのよ、罪のない子供たちを守ることは、正義のヒーローの使命なのだから! そして、私にはその崇高な働きに見合った、正当な報酬とか対価とかお金が必要なの!!」
「状況から見て、どうせ上手いことハイエナしただけなのだけれど、それでもクロノのためになる第一の戦功をあげている。無碍には扱えないわ」
「左様でございますか……」
正直、ジョセフとしてもリアクションに困る。
まさか、こんなヒーローを自称する銭ゲバ女が現れるとは。世の中には、まだまだ頭のおかしい奴らがいっぱいいるんだな、とジョセフはまた一つ賢くなった。
「それでは、女王陛下に対する大きな働きと、ランク5の腕前を見込み、騎士団の……そうですね、大隊長として迎え入れるというのは如何でしょうか」
「団長にしてくれてもいいのよ?」
「おい桃色女、この俺と決闘する覚悟があるのだな。たとえ女子供一人であろうとも、俺は一切の容赦はせぬぞ」
「い、イヤだなぁ、カーラマーラの最強さんと決闘だなんてアホな真似するわけないじゃなーい」
「見ての通り、危機回避能力だけは優れているから、下手な指揮で全滅させるようなドジを踏む女ではないわ」
こんな女をトップにしたら、なんか美味しいとこだけ横取りしたり、嬉々として略奪に走る外道集団になりそうで嫌だなぁ、とジョセフは思ったが、それを言い出す勇気は出なかった。
「仕方ないわね、そこまで言われれば、この正義のピンクアローが騎士になってあげるわ! うへへ、何でも言うこと聞く手下をいっぱい持てるなんて、夢が広がるわね!!」
リリィさん、やっぱりこの人ダメかもしれない……と、最後までジョセフは言い出すこともできず、渋々、ピンクアローという変な女を騎士団に入れることに決まってしまった。