第7話 自由
地獄のような魔法世界へやってきてから、これほどまで深く眠ったのは初めての経験だった。
機動実験で同じ実験体の少年を殺して以来、ずっと自意識が戻らず淡々と身に起こる実験の日々を眺めるだけの生活が続いた。
だから、また同じように実験体の少年少女をこの手にかけても、特に何とも思わなかった。
けれど、このボンヤリした俯瞰意識も、このまま深い眠りの中で、ついには消え去り、俺が黒乃真央という個人だったという記憶も完全に無くなってしまうのだろうと思った。
それでも、もう痛いのも苦しいのも、同じ人間を殺すのも我慢の限界で、このままゆるやかに自分が消えてしまうのは寧ろ望む所であった。
もういい、俺は元いた場所には帰れない、いよいよ両親の顔すら満足に思い出せず、脳裏に蘇るのは、あの十字を背負った爺と白いマスク、それと、俺が殺したモンスターと実験体達の姿だけだ。
だから、もういいんだ、ここで俺が消えてしまえば楽になる、これ以上生にしがみつく必要性は全く無い――
そうして、薄れ行く意識の中で全てを諦めかけた直後だった。
ズズン――
そんな轟音と共に、天地が引っくり返ったような衝撃で、俺の意識は急速に覚醒していった。
「――はっ!?」
飛び起きると、何時もの如く固い床の上。
けれど、これまでにないほど俺の頭ははっきりとしていて、今まで脳内と意識を覆っていたモヤモヤみたいなのは綺麗サッパリ消え去っていた。
気分爽快、とは今みたいな状況を言うんだろうな。
自意識は久方ぶりに戻り、俺の頭は冴え、体中を血液と魔力が滞りなく循環し、力が全身に漲っている。
「ここは……実験室か」
中央の台座から俺は床へと転がり落ちたのだろう。
どういう経緯でそうなったのかは分からないが、他に二名のマスクが、さっきまでの俺と同じように地面へ転がっている。
何かの実験中に事故ったんだろうか?
俺としてはこの白マスクを助け起こす義理なんぞ無いし、その気もさらさらない。
どうしたものか、と考えつつ部屋を見渡すと、とある物が目に入った。
一度だけしか見たことの無いモノだったが、それが何なのかすぐに理解できた。
「白い、リング……」
七つの針で俺に絶対服従を強いる恐怖のアイテム。
装着されて以来、絶対に外れることのないソレが、俺の目の前にある。
自分の手でゆっくりと頭部を探る。
どれほど注意深く触っても、指先に感じるのは髪の毛と頭皮以外に無い。
「無い……リングが、無いぞ」
当然だった、目の前に置いてあるリングこそ、これまで俺の頭部に装着されたリングなのだから。
「は、はははは――」
頭からリングが外れた。
俺を束縛するモノは、最早存在しない。
気がつけば、リングは俺の手の中で粉々に砕け散っていた。
「あははははは! 俺は自由だっ!!」
そうさ、自由の身になれば、もう大人しく死んでやる必要性など無い!
俺の絶叫が気付け変わりにでもなったのか、床に倒れていたマスクが二人、壁に手を突きながら起き上がってきた。
俺は、近い方にいるマスクへと接近する。
「なに、49番――」
今がどういう状況にあるのか判っているのかいないのか、俺を見て驚きの声を上げる。
「その名前で俺を呼ぶんじゃねぇ」
左手でマスクの胸倉を掴みあげる。
「ぐはっ、や、やめるんだ……49番……」
「俺の名は――」
右腕をゆっくりと振りかぶる。
体調は万全、漲るほどの黒色魔力が瞬間的に右腕へ凝集する。
「黒乃真央だっ!!」
忌々しい白マスクへ、渾身のパイルバンカーが炸裂した。
断末魔の声すら上げる間も無く、頭部を粉々に粉砕、首無し死体が出来上がる。
「なにをしている49番っ!」
もう一人のマスクが、背後から俺へ飛び掛ってくる。
例えその叫び声が無くとも、その気配は察知していたので、その対処には何の苦労も無い。
マスクが俺へ突き刺そうとしたガラス製の注射器を、左腕一本で受け止める。
「危ねぇな」
そのまま注射器を奪い取り、右手で逆手に持って構える。
「やめ――」
首元まで覆う白いマントの上から、首筋目掛けて注射器を打ち込む。
上手く血管に刺さったのかどうかは知らないが、注射器を満たす毒々しい色の薬液をそのまま注入する。
「ぐっっ、おぉおおお……」
首を押さえて、苦しみ始めたマントは、再び床へと倒れ伏す。
「ライフル」
指の先ですでに形成を完了した黒い弾丸を、額へ向けて撃つ。血と脳漿を派手に床へぶちまけて、マスクは絶命する。
あの薬液がどんな効果があるのか知らんので、一応念のためだ、俺みたく変に強くなって復活されたら困るしな。
「さて――どういうワケか分からんが、チャンスだ」
すでにリングの絶対的な拘束は存在しない。
その上、コイツラが好き勝手に散々肉体改造を施したお陰で、ドラゴンだって殺せるほどの力を持っている。
さらに、人殺しの禁忌も、知らずとは言え既に犯してしまった俺だ、憎悪する理由に事欠かないこの白いマスク共を殺すのに一切の躊躇も無い。
ここで二人のマスクをあっさり殺害できたのだ、研究者程度が束でかかってきても俺を抑えることは不可能だろう。
自業自得、俺をそこまでの化物に仕立て上げたのは、他でもないコイツラ自身だ。
自由の身となった俺に、この場を脱するのを妨げるモノは、最早存在しない。
「行くぞっ!」
自分を奮い立たせるいつもの台詞を叫んで、俺は扉をぶち破った――
「――あれほど最終洗礼処置は注意して行えと言っただろうがっ!」
会議室に怒号が響く。
「し、しかし、拘束処置は規定の通り行い、完全に無力化できていたはずです」
「薬物耐性か回復力が予想以上のものであったというのか……」
「地震の影響で、洗礼処置の途中で強制的に中断されたことにより、意識を取り戻してしまったのでしょう」
「ならば警備兵の全てを動員してさっさと取り押さえんかっ!!」
そう叫んだ司祭だったが、膨大な黒色魔力を扱う49番を、それほど数の多くない警備兵だけで捕獲することは不可能だろうと薄々感づいていた。
「申し訳ございません猊下、事態は一刻を争います、速やかに避難を――」
「落ち着きたまえ司祭殿、枢機卿である私が何ゆえ護衛の一人も連れずに来たのか、分からないのかね?」
アルス自身、49番と呼ばれる実験体が制御不能となり、数々のモンスターを単独で屠るほど危険な力をもって暴れているのは理解できている。
しかしながら、‘その程度’の力では、全く動ずるに値はしない。
「し、しかし……」
大司祭はアルスの隣に佇むサリエルへ視線を向ける。
アルスがどういう意図を持っての発言か、すでに理解は出来ている。
「これは全て我々の不手際、サリエル卿のお手を煩わせるわけには――」
「いらぬ気を回すな、サリエル卿、この場を任せてよいかな?」
コクンと小さくサリエルは頷く。
「どうやら危険な相手らしい、生け捕りにする必要は無いだろう」
もう一度小さく頷いて、軽い足取りでサリエルは会議室を出て行く。
「では行こうか、慌てる必要は無い、十分もすれば49番とやらの首を持ってサリエル卿は戻ってくるだろうからな」
黒乃、念願のプリズンブレイク! 果たして脱走は成功するのか? それともサリエルに首をお持ち帰りされるのか?