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黒の魔王  作者: 菱影代理
第38章:引き裂かれる翼
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第793話 目覚めの時(2)

 2020年10月2日


 今回は2話連続更新です。こちらは2話です。

 ここから開いてしまった方は、前話からお読みください。

「なによアンタ、また来たの?」

「うん、まずかったかな」

「別に、アンタには助けてもらった恩があるからね、いつでも歓迎よ」

 弾ける笑顔のリンに招き入れられて、ネロは再び孤児院へとやって来たのだった。

「それで、どうしたのよ?」

「ああ、それは……」

「あー、待って、当ててあげる! そうね……盗みの楽しさに目覚めた!」

「違う」

「そうだよね、悪いことだとは分かってはいても、あのスリルと成功した時の————って、え、違うの?」

「違うに決まっているだろう」

「ええー、じゃあなに? 私の美貌に惚れたとか?」

「……それも違う」

 とは言い切れない部分もあるが、まだ6歳の男子にそれを自覚せよというのは酷な話であろう。

「リン、いいから僕の話を聞いてくれ」

 ネロは真っ直ぐ、嘘も誤魔化しもないように、リンへと向き合って言う。

「もう、あんな真似はやめるんだ」

「はぁ……司祭様ならまだしも、同い年の奴に説教されるとは思わなかった」

「盗みなんて、やる必要はない」

「あるわよ、私達にはお金もないし、食べ物もない。見てよ、この孤児院を、ダンジョンの遺跡みたいにボロボロ。司祭様が集めてくる寄付金だけじゃあ、ウチはやっていけないわ」

 そんなことは、昨日ここをざっと見ただけでネロにも理解できていた。

 盗みは悪いことだ。

 けれど、そうでもしなければ満足に腹も膨れない。

 清貧、などという言葉もあるが、それだって飢え死にしない程度には食事ができる前提であろう。

 リンが盗みなどしなくとも、何も食べる物がなくなるわけではないが、十分に足りているとはとてもいえない。その不十分な食生活を良しとして受け入れれば、恐らくは、子供たちは常に栄養不足に陥り、ちょっとした病にでもかかれば、そのまま……

「私にはこれしかできないの。私は他の子よりも足はずっと速いし、目端も利くから。これが一番、みんなのためになることなのよ」

「でも、危険だ。昨日の男達に捕まっていたら、本当に殺されていた」

 彼らは特に戦闘能力は磨かれていない一般人のレベルに過ぎないが、それでも子供一人を殺すには十分すぎる力があり、なにより盗人を叩き殺すという怒りがあった。そう、明確な殺意である。

「分かってる、だからアンタには本当に感謝しているの」

「次は助けも間に合わないかもしれない。命を賭けてまでやることじゃない。それでも、食料が必要なら……僕がなんとかする」

「はぁ? なんとかって、どうするのよ」

 ネロは背負ってきた鞄を、リンの前でひっくり返す。

 すると、中から出てくるのは昨日と同じ食料品————いや、あんなスラムの男共から盗んだ物よりも遥かに上等な品々。

「ウソっ、なによこれ、白パンなんて初めて見たっ!?」

 リンの驚きように、逆にネロは驚く。城の厨房から沢山あるものを適当に詰め込んできただけのものだ。

 それらは普段、ネロが口にするものよりもずっと低品質なもので、王城に努める衛兵や使用人などに振舞われる食材である。ネロからすれば、いわゆる『普通の人』が食べるようなものばかりだ。

「これくらいの量なら、僕は持って来られる」

「こ、これ、全部くれるの?」

「うん。これからは僕が食料を持って来るよ。だから、もう盗みはやめるんだ」

 昨日、王城に戻ってから、ネロは考えた。ずっと、考えていた。

 大陸でも屈指の美しさを誇る白亜のアヴァロン王城で、王族に相応しい贅を凝らした夕食を口にしながら。天蓋付きの大きなベッドで、妹のネルと一緒に眠りながら。

 自分とリンとで、どうしてこれほどの差があるのか。

 今日、一緒にスラムを並んで走った。同じ子供同士、同じものを見て、同じことができるのに。

 この差はなんだ。リンが悪いのか。盗みをするリンが悪い子だから、神様がこうしたのか。

 いいや、違う、それは順序が違う。リンは自分より小さい子達に食べさせるために盗みをした。飢えていなければ、最初から盗みなどしない。

 何故、飢えるのか。

 それは、食事を与える親がいないから。孤児だから。

 では、何故、リンは、あの子たちは孤児なのか————全ては、単なる『生まれ』の差でしかないということに、ネロはすぐ思い至ってしまった。

 王族に生まれるか、孤児となってしまうか、それは誰にも決められない、いわば運命のようなもの。誰もが受け入れざるを得ない、自分の生まれという、純然たる事実を。

「リン、このまま盗みを続けて大人になっても、きっと今と変わらない」

「大人にって、そんな先のこと、分かんないわよ」

「分かるさ、生まれは変えられないし、この世界は生まれでどうなるかが決まっている。ただの孤児がそのまま大人になっても、貴族のようには決してなれない」

「そ、そんなの……」

 ネロが何を言っているのか、リンにはよく分からない。

 分からないが、ここの孤児院を出て行った年長の子達がどうなったかくらいは、耳には入っている。

 そして、彼らが決して幸せと言えるような状況ではないことを、子供のリンでも十分に察せる。

「生まれも、世界も、変えられないけれど……難しいことはない、要するに、ただ沢山、お金が稼げるようになればいいだけなんだよ」

「その稼ぐのが難しいんだから。どんなに頑張ってお手伝いしたってさ、どうせ黒パン一個になるかどうかも分かんないくらいよ」

 孤児にできる仕事などたかが知れている。正当な報酬を貰う仕事というより、奉仕活動をすることで寄付金を募るような形が基本。もっとも、働かせるだけ働かせて、ロクに寄付もしないような者も珍しくはない。

「だから、稼げることをする。今すぐは無理だけど、自分が稼げるようになるんだ」

「そんなの、どうすればいいのよ」

「冒険者になろう」

 冒険者。それはこの世界で、最も身分に囚われずに、高額の報酬を稼げる職業であろう。

 倒すべきモンスターは無数におり、古代遺跡のダンジョンには数多のお宝が眠る。

 冒険者ギルドは古くより大陸に根付いた組織であり、どこの町や村にもあるので、田舎者でも冒険者登録をすることもできる。無論、スラムの出身者であっても。

「無理よ、だって冒険者になった人はみんな……みんな、死んじゃったのよ」

 リンが知る冒険者の末路は、それしかない。

 一攫千金を夢見て冒険者になった孤児院出身者は多い。けれど、そういう少年少女は皆、早々に帰らぬ人となった。

「そう、冒険者はモンスターと戦う危険な職業だ。誰だって、強くなれるワケじゃない……でも、リン、君なら絶対に強くなれる」

「なんで、そんなこと分かるのよ」

「リンの足が速いのは、武技の『疾駆エア・ウォーカー』が使えているからだ。同い年で、僕と同じだけ走れるのは、リンが初めてだ」

 それは紛れもなく、天才的な才能の片鱗。

 ネロでさえ、魔法も武技も王宮に努める優秀な講師から手ほどきを受けた上で習得している。

 それを比較的習得しやすいと言われる『疾駆エア・ウォーカー』だけとはいえ、自然に使いこなす、それもたった6歳から、というのは驚愕に値する。少なくとも、アカデミーにはここまでの走力を誇る生徒はいない。

「でも、剣とか魔法とか、そういうのは全然、分かんないし。教えてくれる人だって、いるわけないよ」

「僕が教える」

「アンタが?」

「僕がもう魔法を使えるのは、リンも知っているでしょ」

 そういえば、と思い出すまでもなく、ネロが華麗に魔法を操って、昨日のピンチを脱したことは鮮明に覚えている。

 無鉄砲な性格のリンでも、あれほど追い詰められればお終いだ、という自覚はあった。だからこそ、尚更にネロの助けは神の奇跡に等しいと本気で思えた。

 ネロはリンの姿が輝いて見えたように、リンもまた、あの時のネロの姿は何よりも眩しく映った。

「ねぇ……ホントにアンタが、私に教えてくれるの?」

「うん、リンは絶対に強くなる。だから、僕と一緒に冒険者を目指して修行しよう」

「一緒に、冒険者になってくれる?」

「そうだよ、一緒に冒険者になろう。リン、僕とパーティを組んで欲しい」

 それが、ネロの出した答えだった。

 生まれも世界も変えられない。けれど、磨いた自分の力で、望む未来を切り開く自由はあるのだ。

「そっか……うん、分かった、私、冒険者になるわ。アンタが、エクスが一緒にいてくれるなら、出来る気がする!」

「うん、絶対に出来るよ。リンが一緒なら、きっと最強の冒険者パーティになれる」

「そうね、やるからには最強を目指しましょう!」

 最強の冒険者になる。それは小さな子供の、ありふれた夢。

 けれど、確かな思いと願いを込めて、ネロとリンはこの日に、確かにそう誓い合ったのだった。




 冒険者の誓いをリンと立てたその日から、ネロの過ごす日々はキラキラ輝くような新鮮な彩に満ちたものになった。

 興味の赴くまま、好き勝手に過ごすだけではない。明確な目標に向かって努力をすること。そして何より、自分と肩を並べて、その目標へと共に歩む者がいるということ。

 ネロにとって、リンは初めての対等な友人であり、冒険者としての仲間であり、そしてきっと、初恋だった。

「————『一閃スラッシュ』!」

 そんな愛しい少女に向けて、ネロは鋭い武技を繰り出す。

 手にしているのはただの木剣とはいえ、直撃すればそれなりの負傷は免れ得ない。

「来ると思ったわ————『硬身ガード』っ!」

 対するリンは、ネロの一撃を真正面から受け止める。

 彼女が手にするのは、通常の木剣よりも長く、太い、大振りの木大剣。それが二本。大剣二刀流である。

 交差させた大剣は揺るぎなくネロの一撃を受け切り、即座に反撃が飛ぶ。

「やぁ!」

 鋭い二連撃がネロを襲うが、素早く後退して間合いを脱する。

 だが、リンの反撃はまだ終わりではなかった。

「喰らいなさい————『影矢デス・サギタ』」

 剣を振るったリンの周囲に、黒々とした靄が渦を巻く。その数、実に十三。

 そして、次の瞬間には黒一色の矢と化して、射出される。

「くっ、数が多い!」

 同時に発射された十三本の黒矢は、回避の隙間を潰す範囲攻撃と化してネロに迫る。

「『光盾ルクス・シルド』!」

 最近、ようやくできるようになった無詠唱での魔法発動。得意な光属性による防御魔法を即座に展開してガードしつつ、今や『閃疾駆スカイ・ウォーカー』と化した武技の脚力でもって攻撃範囲を脱する。

「まだまだぁ!」

 リンの攻撃はさらに続く。周囲に浮かばせる黒い靄の渦から、次々と黒矢を連射し、逃げ回るネロを狙い撃つ。

 遠距離での手数で圧倒されてしまう。ひっくり返すには、ただの下級攻撃魔法を撃ち返すだけでは足りない。

「新技を使うしかないな————『刹那一閃』!」

「えええっ、なにソレぇ!?」

 ネロが振るった一閃は、光り輝く斬撃と化して飛んでくる。

 当たればただでは済まないと、リンは射撃を中止し咄嗟に転がって回避————

「はぁあああああ!」

 だが、立ち上がろうとする時には、すでにネロは再び間合いを詰め、目の前に剣が迫る。

「こぉんのぉおおおおおお!!」

 それでも、リンはまだ負けないと、二本の大剣を振り回す。

 そうして、しばしの切り合いが続き……最後には、不利な姿勢から受けに回っていたリンが押し切られ、膝をついたのだった。

「むぅー、今日こそ勝てると思ったのにぃ」

「まだ負けてやるにはいかねぇよ。これでも俺は、師匠だからな」

 リンと出会ってから、早一年。すでにして、彼女は天才児ネロと対等に渡り合える腕前を身に着けていた。

 毎日とはいかないが、ネロが孤児院に来るのはすっかり習慣と化している。

 セントユリア修道院を預かるエミール司祭は、ネロの正体を知りながらも、あくまでエクスという名の少年として、ここへの訪問を歓迎している。勿論、ネロが持ち込む食料品などの物資も、寄付という形で正式に受け取っている。

 そんな裏事情など孤児院の子供達は露知らず、ただいつも美味しい食べ物を持ってきてくれる、強くてカッコいいネロはすぐに慕われるようになった。子供とは思えない、武技も魔法も駆使した組手は、ここでは最高に迫力のある催し物だ。

 そんな風に、ネロはすっかり孤児院に馴染んでいる。

 子供ながらに、ネロは上手くやっていた。

 アカデミーでは、以前ほど露骨に授業を避けるようなことはしなくなった。たまに無断で抜け出すことはあるものの、教師陣も安心して見守れるほどには、ネロは成績優秀な生徒となっていた。

 それは学校だけではなく、王城での生活も同様だ。ネロがスラム街へ足しげく通っていることは、父親の耳にも入ってはいるだろう。

 それでも止められたりはしないのは、あくまで慈善事業に打ち込んでいるという建前と、それを信じてもらえるほどには真面目な態度を示していたから。

 ネロは当時の自分の実力も立場も、全て分かった上で行動した。

 リンのために……いいや、それだけではない。きっと、これは自分自身のワガママなのだ。

 本当にセントユリア修道院を恵まれたものにしたいと思えば、恥も外聞もなく父親に泣きつけばよい。あそこには好きな子がいる、特別扱いしてくれ、と。

 簡単にそれを飲むことはできないが、アヴァロン国王その人だ、決して不可能な要求ではない。

 けれど、それではダメだ。意味がない。自分が、この手で守りたいのだ。大切な人を、他の誰でもない、自分で守ってやりたい。

「ねぇー、私って、ちゃんと強くなってるのかなー?」

「はぁ? メチャクチャ強くなってるだろ」

 全力の組手の後、庭の片隅にあるベンチに二人で並んで座り、語り合う。

「でも私、ネロとしか戦ったことないし、実感ないっていうか」

「俺の相手になる奴は同年代じゃほとんどいないぞ。アカデミーのセリスくらいか。あと、スパーダにはカイっていう剣術バカがいるな」

「ふーん。でも最強の冒険者になるんなら、子供の中で一番でもしょうがなくない?」

「そう焦るなよ。前にも教えただろ、俺らくらいの年齢はまだまだ成長途中だから、とにかく体力と魔力をしっかり伸ばしていくのが重要だ」

 成長途中の子供の内から、無理に高度な魔法や武技を習得する必要はない。下手をすると、体に負荷がかかりすぎて、後の成長に悪影響を及ぼす危険性もあるからだ。

 ネロとリンは現時点で魔法も武技も使える。僅か7歳の子供としては驚愕すべき実力。

 それでも、ネロは自分達の限界以上と思われる技までは、無理に習得していない。ネロとて、リンと同じように「早く強くなりたい」という焦りはある。しかし、そんな逸る気持ちを抑えて、今できる最善を尽くすのが一番だと信じて、計画的な修行をしているのだ。

「ねぇ、もうゴブリンとかスライムくらいなら、倒せるようになってるかな」

「ランク1モンスターくらいなら、余裕だろ。新人冒険者なんて、武技も魔法もどっちも使えないのが当たり前なくらいの実力だっていうし」

「じゃあさ、ちょっとだけ狩りに行ってもいいんじゃない?」

「その木剣でか?」

「うっ」

「安心しろよ、リン。ちゃんと俺達は強くなってる。王侯貴族が英才教育を受けるアカデミーで、俺は一番なんだ。そんな俺と渡り合えるお前は、この国の子供の中じゃトップクラスなのは間違いない」

「なによ、そんなに褒められるとちょっと照れるじゃない」

「事実を言ったまでだ。いいか、俺達は強い。だから、このまま修行を15歳まで続けていけば、必ず最強を目指せるだけの実力者になれる。今は孤児院も上手くやっていけている。全て順調だ。無理して実戦に出る必要はどこにもない」

「もう、分かったわよ。本物のダンジョンは危険なんでしょ? 危険度が低いとこでも、すっごい強いモンスター出てくることもあるって」

「ああ、そうだ。けど、俺達が冒険者になった時は、そんな強敵だって返り討ちにできるようになってるさ」

「そうね、だって私達は最強になるんだから。あっ、そうだネロ、さっきの光りながら斬ったとこが飛んでくる技、私にも教えなさいよ!」

「『刹那一閃』は俺もまだ修行中だから、教えられない」

「えぇー、いいじゃない、ケチーっ!」

 そうしてじゃれあう二人の姿は、傍から見れば7歳に相応しい様子。

 けれど、二人の抱く気持ちは強く、気高く、どこまでも真っ直ぐなもの。

 この頃は、全てが順調だった。明るい未来に向かって突き進む、充実した毎日は、あっという間に過ぎてゆく。

 それが、どれほどかけがえのない時間であったのか、幼いネロは知らぬまま。




 さらに時は流れ、ネロは12歳となっていた。

 今日も、彼の隣にはリンがいる。

 二人が腰かけるのは、いつもの庭のベンチではなく、ベッドであった。男女を意識する年齢。しかし、それがそのまま二人の距離を示している。

「はぁ……ようやく、アカデミーも卒業だ」

「なんだか、長かったような、短かったような?」

「別にお前が通ってたワケじゃねーだろ」

「でも授業内容は知ってるわよ。どっかの王子様が、懇切丁寧に教えてくれたからねー」

 この頃になると、リンにはネロの正体はバレてしまっていた。

 だが、すでに分別のつく年頃であり、何より、下手に吹聴してネロがここへ来れなくなって一番困るのはリン自身。秘密はしっかり守られている。

「アカデミーの授業なんて、大した内容じゃないさ。俺もお前も、そんなことはどうでもいいくらい、強くなりすぎた」

「そうかもね。なんだっけ、この間、酒場で大暴れしてた奴。自称ランク4とか言ってたわよね」

「アイツはどう見積もってもランク3なり立てがいいとこだろう。最後に出てきたチンピラの兄貴って奴が一番強かったが……まぁ、それでもランク4には届かない程度だろ」

 類稀な才能と、最高の修行環境と指導者を得られる王子のネロと、そのネロ本人から直接教えを受けられるリン。二人はあの日の約束を忘れることなく、今日に至るまで弛まぬ努力を続けた結果、すでにして冒険者ランク4相当の実力を身に着けていることは、紛れもない事実であった。

 いまだ冒険者登録こそしていないものの、今はスラム街でリンに逆らう者はいない。こんな場所で燻っているような連中では、才能を磨き続けたリンには到底敵わないということは、ここ数年の喧嘩沙汰やトラブルに介入することで思い知らせている。

「でも、まだ冒険者になるには早いんでしょ?」

「……いっそ学校行くのやめるかなぁ」

「なに本気っぽく言ってんのよ。王子様がアカデミー卒じゃあ、恰好つかないでしょ」

「最終学歴アカデミー卒業でも、ランク5冒険者になったらカッコつくんじゃね?」

「うわー、如何にも勉強できない脳筋野郎みたいな経歴ぃー」

「それはイヤだ。スゲーやだ」

 早く冒険者になりたーい、とワガママを言うリンを危険だからと真面目に諭すネロは、もういない。

 本当は、今すぐだって冒険者になれる。この歳にまでなれば、成人年齢を偽って登録することはそう難しいことではない。ギルドも、わざわざスラムから来た冒険者志望のガキの年齢など気にはしないのだ。

「悪いな、リン。結局、お前を学校に入れてやることはできなかった」

「もう、そんなのハナから期待なんてしてないわよ。私みたいなのが、帝国学園に入れるはずないでしょ」

 ネロはアカデミーを卒業すれば、アヴァロン帝国学園へと進学することが決まっている。

 伝説の魔王ミアが通ったとされる帝国学園の名を継ぐアヴァロン帝国学園は、最高の名門校としてその名を誇っているが、だからこそ入学には厳格な制限が設けられる。平民などでは、入試を受けることすら叶わない。

「試験さえ受けられれば、お前は確実に合格できる実力がある」

「戦闘能力だけが全てじゃないでしょ、ああいうところは。アンタは礼儀作法なんて、教えてくれなかったし?」

「何が礼儀だ、くだらねぇよ、そんなもの……」

 ネロは、リンに入学試験というチャンスを与えることすらできなかったことを、大きく悔やんでいた。

 彼女の頑張りと思いは、誰よりも自分が一番知っている。

 そして、自分と同じように、何もしなくても帝国学園への進学が決まる、何の実力も持たないどころか、それを恥じて磨こうともしないような奴らが何人もいることに、激しい憤りも覚えた。

 貴族に生まれついたというだけで、それを当然の様に享受しているアカデミーの同級生は何人もいる。きっと、彼らはこの先もずっと、スラム街に住むような者に目を向けることはないだろう。

 そして、ネロ自身もリンとの出会いがなければ、彼らと何ら変わらなかっただろうとも思っている。

「ネロ、私はアンタが一緒にいてくれるだけで、十分よ」

「……約束、だからな。最強の冒険者になるってさ」

「約束がなかったら、一緒にはいてくれないの?」

「そんなワケねぇだろ。リン、お前を離さない、誰にも渡さない」

「ネロがそう言ってくれるから、私は十分に幸せなのよ————だから、ずっと傍にいてよね、私の王子様」

 二人の唇が、静かに重なる。

 しばしの間、触れ合って、再び離れた時、ネロの表情は微かな悲しみの色が浮かんでいた。

「王子様じゃあ、ダメなんだ……ああ、そうだ、俺は魔王になりたい。いや、ならなくちゃいけない」

「それは小さい頃の夢なんじゃなかったの?」

「あの頃は、単なる夢だった。でも、今は違う。魔王になるということの意味が、ようやく分かったんだ————」

 リンと過ごす日々があまりにも眩しすぎて、あれほど焦がれた憧れの夢さえ、霞んでしまっていた。

 けれど、忘れたことはなかった。むしろ、日に日に大きくなっていったかもしれない。

 それは憧れという幼稚な夢ではなく、自らが望む理想の未来として、朧気ながらに浮かび上がっていった。

 リンと出会ったあの日から、今日まで歩んできた時間は決して楽しいこと、嬉しいことばかりではなかった。彼女と共にいるということは、自然、スラム街に住む孤児がどういう扱いを受け、どんな生活を送っているのかを間近で見ることとなる。

 王子、という国で最高の高みから見える景色とは、まるで違う。スラムの薄汚い孤児という、この国の最底辺から見た世界を、ネロは知ったのだ。

「————魔王になるということは、世界を変えるということだ。俺は、お前が、いや、お前達がみんな報われるような世界を作りたい」

 そうだ、リンだけではない。この孤児院に通い続け、ネロはここの子供たち皆とも仲を深めている。

 友人も沢山できた。親友と言ってもいいほどだろう。

 彼らは、アカデミーにいる王侯貴族の子供などよりも、よほどネロにとっては気心の知れる間柄だ。

そんな孤児院の友人達だけではなく、他のスラムの住人達とも接してきた。

 あの日にリンを囲んだような、粗野で暴力的な者は当然多い。けれど、それだけではない。スラムは決して野生のゴブリンやオークの巣ではない。どんなに貧しくとも、ここに暮らしているのは人なのだ。

 殺人、強盗、強姦……罪を罪とも思わずしでかす悪い奴らは沢山いる。

 けれど、そうじゃない人も沢山いるのだ。貧しくても、人々は支え合い、助け合い、笑い合って生きていける。

 そんな姿を、ネロは自分の目で見てきた。

 そしてそれは、このアヴァロンのスラムだけじゃない。王子として諸国を巡る機会もあった。そんな時、ネロは必ず歓待されるそこの王城や屋敷を抜け出し、城下町にまで繰り出し、そこを見て回ってきた。

 国によって、人間だけではない、他の種族で人口が構成されていることもある。けれど、種族は違っても同じ人。

 どこの国でも、どんな場所でも、良い人も、悪い人も、両方いる。

 途轍もない悪人なのに、贅の限りを尽くした生活を送る者がいた。

 眩しいほど高潔な精神を持ちながらも、日々の糧すら尽きて飢えて死んだ者がいた。

「俺は王子だから、恵まれていたから、知ることもなかった。世界がこんなにも、人に優しくない理不尽なものだって」

「大袈裟ね、そんなの、当たり前のことなのに」

「そうだよ、そんな当たり前のことにも、俺は気づけなかったんだ。この世界には沢山、救われるべき人が、報われるべき人が大勢いる」

 そして同時に、裁かれねばならない悪人も。

 正義と公正は、自然にあるものではなく、人が作り出さねばならないものだから。

「はぁ、アンタってクールぶってるくせに、変なところでクソ真面目なんだから」

「なんだよ、人が真剣に語ってるってのに」

 リンの遠慮の欠片もない指摘に、若干、恥ずかしそうに顔を逸らすネロ。

 けれど、そんなネロを逃がさないように、リンはその顔を両手で掴んで自分の方へと向かせる。

「難しく考えることなんてないし、私達が貧乏なのはアンタのせいでもない。そんな深刻に悩むなってのよ」

「けど、俺は————」

「私はね、ネロと出会えただけで幸せ。孤児でいることも、貧しいことも、全部どうでもよくなるくらい。だから、私は世界で一番幸せなの」

 再び重なる唇に、ネロは何も言い返すことは出来なかった。

 違う、世界で一番幸せなのは、お前と出会えた俺の方だと————口で伝えるよりも前に、二人の体はベッドの上で重なり合う。

 どこまでも激しく燃え上がる恋心と、この残酷な世界に対する使命感。12歳の少年が抱くにはあまりに深すぎる思いは……だからこそ、心に深く刻み込む呪いと化す。

 2020年10月2日


 というワケで、2話連続でも終わりませんでした。

 申し訳ありません。でも、次回でちゃんとネロ過去編、完結となります。こんなに聡明な天才児が、どうしてこうなった・・・次回もお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[気になる点]  不穏な副題。 白き神の使徒は現時点で席が埋まっていたと思うので、ネロ王子の使徒覚醒は無いと楽観していますが… 消息不明のアダムが実は故人だったとか、永久欠番になった第七使徒の代わりに…
[一言] まぁ、国を潰してでも女を守りたいんだから仕方ないよねぇ~ クロノくんアヴァロンに行ってリィンフェルトも確保してネロ君と一緒にリリィさんのとこに送りましょう そして、幸せになるんだょ~ てか、…
[一言] ごく限られた範囲の自分の守りたい者だけを守って、救いたい人だけを救うっていうのは子供なら許されるだろうけど王族として国の先頭に立つ人には許されんのよなぁ… あとは怠惰な貴族を毛嫌いしてる割り…
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