第790話 決裂の時(1)
「……なんだか、不思議な感じね」
と、シャルロットは俺の前で、ようやく落ち着いたような雰囲気で杯を置いた。実はすでに三杯目だったりする。
結構ハイペースで飲んでるシャルロットだが、まぁ、言っていることは俺も同意だ。
顔を合わせればヒステリックにイチャモンつけられるだけの関係性だったが、こうして、お互いにちゃんと向き合って話をする機会が巡ってくるとは。
「アンタもそうだけど、そっちのは今でもちょっと怖いくらいよ」
「私には、当時ほどの戦闘能力はもうありません」
俺の隣に座るサリエルが応えるが、当然、それでシャルロットが即座に安心できるはずもない。
彼女とサリエルは、ガラハド戦争で直接戦った間柄である。使徒対策もしていないのに第七使徒サリエルに挑んだのだから、それはもう酷い惨敗を喫した。カイなんて心臓貫かれてたしな。
「あの時、実際にサリエルを倒したのはアンタ達よ……そこは認めるわ。『エレメントマスター』がいなかったら、きっとスパーダ軍の被害はあんなもんじゃ済まなかったもの」
「それはどうも。必死で戦った甲斐があったよ」
「申し訳ありません」
「謝るな、複雑な気持ちになる」
「敵将に強くてごめんなさい、なんて言われたら、煽られてるようにしか思えないわよ」
「申し訳ありません」
平謝りのサリエルである。
彼女に非はないが、俺とシャルロットの気持ちもまた事実でもあった。
「っていうか……アンタもよく大人しく奴隷なんてやってられるわね。いくらお父様が許したとはいえ、ホントに大丈夫なの? あんな強さで反逆されたら、誰も止められないじゃない」
「その辺の心配は必要ないんだが、そんなのは他の人には分からないよな」
「マスター、一般的には私が『暗黒騎士・フリーシア』の加護を得たことを神殿にて証明した上で、騎士の誓いを立てることで、この関係性が承認されています」
そういえば、そうだったな。玉座の間でウィルの助けを借りながら戦功交渉をした後、すぐパンドラ神殿に行ったもんだ。
「そこまでは私も知ってるわ。でもね、いくらフリーシアの加護があっても、嫌いな相手に忠誠はたてられないわよ」
そりゃそうだ。フリーシアの加護持ちが誓いの儀式一発で服従させられるならば、もっと悪用されているだろう。
主従共に認め合わなければ、騎士の誓いは成立しない。
「ちょっと待って、じゃあなんでアンタ達、誓いが成立してるワケ?」
「あー、それはだな……」
これは言ってもいいんだろうか。
いや、別に隠す必要はないし、ここの事情は今ではネルもカイも与り知ることになっている。率先して言いふらすことではないが、決して守秘義務のある秘密情報というワケでもない。
ないのだが……
「サリエル、説明しておいてくれ。俺の口からはちょっと」
俺が言えば、シャルロットがなんかまた怒りだして面倒なことになりそうな気配がするのだ。
あれ、だったら最初から秘密のままの方が良かったのか?
「私とマスターは、元々、同じ故郷で————」
ああ、サリエルが早速話し始めてしまったので、もう手遅れだ。嫌な予感がするので、ここはさりげなく席を立ってエスケープだ。
とはいえ、さして広くもない天幕である。すぐ傍に他の面子も固まっている。
「クロノくん、シャルとは仲良くなれましたか?」
「仲良くとまではいかないが、今までのわだかまりは解けたような気がするよ」
わざわざ俺のところに出向いて感謝の言葉を告げに来たのは、ネルとカイの助力が大いにあったことは間違いないが、それでも彼女なりに思うところがあったのも事実である。
今回は、賭けている命は自分だけじゃない。開拓村の生存者に、自分が率いる騎士達。冒険者の身分では背負うことのない、大勢の命が今のシャルロットにはかけられていた。
その責任の重さが、俺が救援に来たことの意味を理解させてくれたのだろう。
「シャルは俺に次いでバカだからな、打ち解けんのに小難しい理屈はいらねーよ」
「クロノくんとは、出会い方が悪かったので」
いきなり飛び蹴りされたら、触手でガードくらいする。
かすり傷一つつけずに無力化したんだから、むしろ褒めて欲しいくらいだ。でもそれを言ったらまた怒るから、蒸し返すような愚は冒さない。
「けどよぉ、このままシャルと仲を深めたりすると、いよいよクロノとシャルの婚約ってのがマジっぽくなるんじゃあねーの?」
瞬間、ネルの笑顔が固まった。
俺も固まるが。
「そういう話、カイも聞いているのか」
「そりゃあ、俺はこれでもスパーダ四大貴族の一つ、ガルブレイズ家だぜ。剣ばっか振ってる毎日でもよぉ、色々と勝手に耳には入ってくるもんさ」
俺とシャルロットの政略結婚が意外とアリなのでは、というのはウィルから聞いた通りだ。
「スパーダを守るために、本当に有益ならありえなくもないが……正直、俺はもう二人も抱えているんだ。これ以上、相手を増やしたくはないな」
ただでさえ、結婚相手は一人という日本人の常識を曲げているのだ。
リリィとフィオナは特別なのであって、三人目、四人目、と迎える気はないし、上手くやっていくのも無理だろう。
「スパーダとしちゃあ悪い話じゃあねぇが、俺もお前とシャルが上手くいく未来は見えねぇな。アイツは昔っから、ネロしか見てねぇし」
「そ、そうですよ! シャルには絶対、お兄様と結ばれてもらわなければ困ります!」
おお、親友の恋路をそこまで真剣に応援するとは、ネルらしい。
ネロとシャルロットは互いに王族で、幼馴染で、同じパーティとして活躍してと、これもう他のルート許されないレベルだろう。
「今は傭兵団のこともあるし、カーラマーラのこともある。政略結婚をどうこう、みたいな話は勘弁して欲しいな」
このテの面倒事はもう御免だ、と思いながら杯をあおる。よく冷えたエールが喉を通っていく感覚が心地よい。
氷魔法がなくても、冬は勝手に冷えるからいいよな。部屋を暖めることができればの話だが。
「なんだ、みんなも空いてるじゃないか————プリム、悪いけど三杯分頼む」
「はい、ご主人様」
ヒツギの教えのせいか、律儀に俺の後ろに控え続けていたプリムに、折角だからお願いすることにした。
「ぷ、プリム……? クロノくん、その子は……」
と、ネルは何故か恐れおののくような表情で、プリムから新しい杯を受け取っていた。
一体、何に衝撃を受けているのだろうか。
俺がこんな小さい子をわざわざ傍仕えさせていることにドン引き、とかだったら嫌だなぁ……
「そういえば、ちゃんと顔を見せて紹介もしていなかったな。この子はプリム、見た目は子供みたいではあるんだが、他のみんなと同じホムンクルスだ。で、今のところ唯一、古代鎧を操る重騎兵隊のエースだ」
「『暗黒騎士団』重騎兵隊所属、F-0081、個体名プリム、です。はじめまして、カイ・エスト・ガルブレイズ様。ネル・ユリウス・エルロード王女殿下」
折り目正しく自己紹介するのは、ホムンクルスの性か。
実際、カイは貴族でネルは王族だから、これくらい畏まるのは当たり前なのかもしれないが。
「そんじゃあ、あの鎧の中身がこの子ってことかよ。なるほど、古代の神秘だなぁ」
へぇー、と物珍しそうにプリムを眺めるカイ。
一方、隣のネルは戦々恐々といった様子で、プリムを見つめている。
「そ、そんな……こんな挿絵通りの子が存在しているなんて……正にリアルプリムローズ」
「ネル、どうした? プリムに何か問題が?」
「あー、気にすんなよ。多分、酔っちまったんだ」
「はぁあああ……聞いてないですよぉ、こんな子がいるなんてぇ……」
一体何が悲しいのか、ネルは目に涙を浮かべながら、プリムの両肩を掴んでガクガクさせている。
あっ、そんなに揺らすと、プリムは体に不釣り合いなサイズのアレがあるから、プルプル揺れて、目の毒だ。
「マジでネルはどうしたんだ」
「放っておけよ、酔っ払いに絡まれてるだけさ」
「このぉ……青少年を惑わす小悪魔めぇ……」
「悪いがプリム、ネルの相手してやってくれ」
「イエス、マイロード」
「ああー、悪い子、悪い子です! ロリ爆乳で従順なんて、あざとすぎて許しませんよ私は!!」
相当に酔っぱらってしまったようだ。本格的にネルが暴走し始めたようなので、俺はカイの助言通り、プリムを生贄に捧げて、放置することにした。
「クロノぉおおお!!」
「うおっ、今度は何だよ」
新たな叫びが響くと、そこには杯を片手に立ち上がるシャルロットの姿が。
「アンタねぇ……男ならちゃんとサリエルに責任とんなさいよぉ!」
「な、なんのことだよ」
「手ぇだしたんなら嫁に貰えってのぉ!」
「げえっ、そこ説明しちゃったの!?」
「申し訳ありません、マスター」
「あんなに辛い目にあったのにぃ、健気に尽くしてくれてんのよぉ……それなのに、クロノ、アンタは他の女と婚約ですって、しかも二人ぃ!?」
ヤベぇ、改めてそう言われると、自分がマジで最低なクズ野郎に思えてきた。
いやでもちょっと待って、リリィとフィオナとも、色々あったんです。事情があるんです本当です。
「言い訳すんな!」
「いや、まだ何も言ってないんだが」
「目が言い訳してた! アンタねぇ、故郷にいた頃から思っていてくれた、サリエルの気持ちを大事にしなさいよ! 幼馴染は絶対に勝つ!!」
幼馴染ではないんだが……シャルロット、自分の立場も投影してない?
しかしながら、サリエルの話を聞いてこんなに肩入れするとは。どんだけ感情移入してんだよ。
「今すぐサリエルと結婚しろぉ! アンタに一番ふさわしいのはサリエルよ!」
「————それは聞き捨てなりませんね」
「フィオナ、お願いだから今でてくるのはやめてくれ! 酔っ払いの戯言だから!」
「私は酔ってなぁーい!!」
曙光の月29日。
ああ、昨晩は、ささやかな祝宴で終わるはずだったところが、カオスなことになったもんだ。
あれからどうやって収拾付けたのか、ちょっと自分でも分からない。それだけ、みんな酔っていたということで。
「————とりあえず、出発準備は完了だな」
朝の内にギルドへとお伺いを立てた結果、『ダキア周辺警戒』のクエストは昨日の時点で期間終了の扱いとなっていた。
やはり、後のことは全てスパーダ軍に任せ、現地の冒険者以外は解散という流れとなるようだ。俺達の他にも、撤収準備を進めている同業者の姿は多い。
「うっ……頭痛ぁい……」
「もう、昨日は飲みすぎですよ、シャル」
「それをお前が言うのかよ」
シャルロット、ネル、カイ、のパーティメンバー三人組で固まって、俺達と共にスパーダへと帰る予定。
ただ、ネルとカイが同行しているとはいえ、シャルロットには護衛というべきか、お目付け役とでもいうべきか、数名の騎士も同行するそうだ。
元々、彼女が率いていた騎士達は、本隊と共にネズミ駆除へ参加するそうだ。昨日の今日で、ご苦労なことである。
「クロノさん、帰ったらどうします?」
「思ったよりも、早くクエストが終わってしまったからな。すぐに次を探すさ」
とにかく今は経験だからな。
今回は誰一人欠けることもなかったし、武装の整備さえ済めば、いつでも出撃可能だ。
「リリィの方の様子も気になるし————」
なんて会話をしながら、俺達はダキア村を出ていくところであった。
そこで、道の向こうから、三つの騎馬が現れる。
かなりのスピードで駆けてきた三騎は、俺達の前で立ち止まった。まるで、その行く手を遮るかのように。
いや、事実、その通りだった。
「————そこで止まれ、クロノ」
「お前は……ネロ、か」
俺の前に立ちはだかったのは、アヴァロンの第一王子、ネロ・ユリウス・エルロードだ。
目立たないようにするためか、白いローブを纏っていたが、俺の前ではもう隠す意味もないのだろう。フードを外し、その黒髪赤目の整った容貌を露わにした。
「ネロッ!」
「お兄様、どうしてここへ」
「おいおい、聞いてねぇぞ……サフィ、お前が連れてきたのかよ」
「ええ、ネロにどうしても、と頼まれたからね」
ネロに付いていた二騎の内の片方は、サフィールだった。
そして、もう片方の方も顔を出す。
「セリスまで来ていたのか」
「……」
彼とは久しぶりの再会となる。
銀髪の綺麗な顔はネロに劣らぬ美形ぶりだが、静かに目を伏せて俺の声には応えなかった。
どうやら、素直に再会を喜べるような雰囲気ではないらしい。
「ちょうど、『ウイングロード』が全員集合か」
「そうね! もう、スパーダに来るんだったら、連絡くらいよこしなさいよね!」
どこか冷めたように言い放つネロに対し、シャルロットは素直に、思い人が現れたことを喜んでいるようだ。
しかし、どうにもただネロが遊びに来たとは思えない。一体、何をしに来た。
「わざわざ、クエスト先まで駆け付けてくるとは、よほどお急ぎのようですね、お兄様」
「ああ、急ぎと言えば、その通りだ。今が最後の機会、だろうからな」
「最後って、どういう意味よ、ネロ」
どこか剣呑な雰囲気に、シャルロットも眉をひそめて、ネロに問う。
そんな彼女を、ネロは真紅の瞳で真っ直ぐ見つめて、言った。
「シャル、俺とアヴァロンへ来い」
「えっ、でも……私、これから王城に戻って、その、報告とか……」
「スパーダへは帰さない。国を捨てて俺と共に来るか、それとも、王女として国をとるか、今ここで選べ」
「なに……なにを言っているの、ネロ、意味わかんないわよ……」
俺も、どういう意図なのか分からん。
まるで駆け落ちのお誘いのようだが、どうにもそんな情熱的な告白には感じられない。
「どういうつもりですか、お兄様。いくら私達の間柄とはいえ、冗談で済まされるような話ではありませんよ」
ネルの声が、これまで聞いたことがないほどに冷え切った鋭いものになっている。
どうも尋常ではない兄貴の様子に、警戒心全開といったところだ。
「冗談でこんなことが言えるかよ。俺は本気だ」
「だったら!」
「シャル、お前は大切な幼馴染だ。これでも一応、将来を誓い合った仲でもある。だから、迎えに来た」
「そ、そんなこと、急に言われてもぉ!」
「急な話でもねぇだろ。シャルもウィルも、レオンハルト王からはもう聞いているんじゃあねぇのか? 誰と結婚させられるかをな」
「そ、それは……」
「そのことは、まだ完全に決まったワケではありません!」
叫ぶようなネルの声にも、ネロは動じることなく、どこまでも冷めた調子で言い放った。
「親父も、レオンハルト王も、どっちも本気だ。王の決定は覆せねぇ————けど、今の俺には、もう二人の王の意思さえ、どうでもいいことだ」
「お兄様、まさか……」
「俺がアヴァロンの王になる。そして、スパーダとの同盟は決裂だ」