第789話 シャルロット救出戦(3)
「まさか、本当に生存者がいたとはな……」
シャルロットの行動は、無茶ではあったが、無駄ではなかった。
防壁の内側には、疲労と恐怖の表情こそ浮かぶものの、しっかりとした足取りの村人達がいる。
ここには何もないように見えるが、元々は村の集会所があったそうだ。地上の木造建築はネズミ共に荒らされ、かろうじて跡地のような形跡があるだけだが……実はここには地下室があったのだ。
いざという時の備えをした、地下室である。
坑道から奴らが溢れ出た時、ここを作ったドワーフの技術者は即座に近くにいる者に声をかけて地下室へと駆け込んだ。そして、助かったのは彼らだけとなった。
幸い、ネズミに地下室まで破られることはなかったし、ここには食料の備蓄もある。
恵まれたシェルターとして機能したが、ここに助けが来ると信じられた者はどれだけいるだろう。いつ、絶望から自ら死を選ぶか分からない。
そんな時、彼らの元へいの一番に駆けつけたのは、シャルロットだ。
生存者なんてもういるはずがない、と決めつけた俺は間違っていたのだろうか。
それとも、生存者を救出できる力が足りなかった、シャルロットが間違っていたのか。
どちらが正解だったのか、俺には言い切ることはできない。
ただ一つ言えることは、俺達は全員、運が良かった。
地下室に避難の間に合った村人も、後先考えずに村へと走ったシャルロットも、そして、敵中に孤立する彼らを救出できるだけの戦力があった俺達も。
それぞれが判断を下した今、最善の結果に手が届く。
「慌てなくていいから、順番に馬車に乗り込みなさい! 馬車……馬車なのこれ?」
「姫様、細かいことはこの際どうでもよろしいかと」
「それもそうね! 子供と年寄りから馬車に乗りなさい!」
ネルの治癒魔法で体力と魔力、そして気力も取り戻したシャルロットは、元気に声を張りあげて、地下室から数日ぶりの地上に出た村人達を誘導している。
彼らの生存は想定外ではあったが、そんな万一に備えて鉄蜘蛛に貨車を引かせてきたのは正解だったな。
鋼鉄の四足歩行に引かれる車体は、どこからどう見ても馬車とは言い難いが、人を乗せて走れるならばなんでもいい。鉄蜘蛛はマッチョなイエティもまとめて轢き殺せる馬力があるし、引かせる貨車も戦場での使用を想定した頑丈な造りをしている。非戦闘員を輸送するにはうってつけの車両だ。
十数人をなんとか詰め込み、搭乗完了。
「私達も行くわよ!」
「撤収だ! 撤収ーっ!」
防衛のために馬を降りていた騎士達も、再び騎兵へと戻る。
ちゃんと自分達の馬も防壁の内に入れて、守っていたようだ。脱出の足に不足はない。
だが、全員が馬に乗り込めば、防壁から攻撃する者がいなくなる。火属性の防御魔法などを張って、近寄らせないにはするが……僅かな間とはいえ、攻め手にかけた防壁には、あっという間に奴らが登り詰めてきた。
「プリム、援護しろ」
「イエス、マイロード」
ここを押し留める役目は、空中から攻撃できるサリエルと、白兵戦でも対応できるプリム。そして、カイとネルの二人だった。
僅か四人、だが押し寄せる敵を食い止められるだけの力を持つ。
中でも、ネルの戦いぶりは目を引いた。
防壁の上、左手に握った杖を振るって騎士達にさらなる治癒魔法をかけ続けながら、間近に接近してきた奴を、右手一本で吹き飛ばす。
その上さらに、両翼が淡い緑の輝きを伴って広げられると、風の防御魔法が一気に展開され、登りかけてきた奴らを振り落としていった。
この乱戦の中で、治癒魔法かけつつ接近戦をして、さらに魔法も発動させる……マルチタスクってレベルじゃねぇぞ。平気な顔で近中距離攻撃とサポートを同時並行でこなせるのは、ネルの才能としか言いようがない。
「ネル! カイ! こっちはもういいわ、出発よ!!」
僅かな間で、騎士も騎乗を完了させ、再び馬上から攻撃魔法を撃ち始める。
ネルとカイも防壁から飛び降り、自分の馬へとそのまま飛び乗った。っていうか今、二人とも指笛で自分の馬呼んでたよな? なにソレ、カッコいい。俺も今度真似しよう。まずは指笛の練習から。
「フィオナ、先頭を行って退路を切り開いてくれ」
「了解です。クロノさんは?」
「俺は殿だ」
「団長がそれでいいんですか?」
「アインが上手くやる。俺は奴らの追撃を食い止める、ちょうどいい手があるからな」
「では、お任せします」
俺達が突っ込んできた道は、黒と赤の炎壁によって奴らの侵入を防いでいるが、そこを抜けた先にも奴らは回り込みつつある。
立ち塞がる奴らは上手く蹴散らしつつ、さらには追撃も止めなければいけない。
イエティ形態は馬ほどの速度は出ないものの、十分に俊敏な脚力を持っている。簡単に引き離すことはできない。最悪、トレインが如くそのまま村まで群れがついてくる危険性もありうる。
大群をこの場で足止めしておかなければ。
「————『火焔葬』」
本日二度目の上級範囲攻撃魔法が炸裂したのを合図に、生存者を収容した騎馬隊は炎に守られた道を走り出す。
俺は最後尾について、メリーを走らせる。
「ご主人様。プリムが援護させていただきます」
と、俺の隣につくプリム。
別に前の方に戻ってもらって良かったが、防壁から引くときにはっきり指示はしてなかったな。
「心配してくれたのか。ありがとな」
指揮官が単独で殿とか、まぁ配下からすると不安にもなるか。フィオナもサリエルもお察しなところがあるから、余計な気は回さず任せてくれるのだが。
なんにせよ、今更プリムを前へと戻す必要性もない。騎士達もネルのお陰である程度の力は取り戻しているから、各自攻撃を行うことで、突破力は十分に確保できているだろう。
「それじゃあプリム、適当に援護射撃しながら、見ててくれよ、ご主人様の雄姿ってやつを」
そんなカッコをつけながら、影から引き抜くのは漆黒の長柄。
歌う墓守の刃、『ホーンテッドグレイブ』だ。
「詠え————『反魂歌の暗黒神殿』」
高々と振り上げた黒き薙刀から響き渡る、おぞましい呪いの歌声。不浄の死者を呼び覚ます、冒涜の旋律。
晴れ渡った冬空の下でありながらも、半透明の霊体と化す悪霊の姿が、すぐに周囲へと漂い始めた。水中を泳ぐ魚のように宙を漂い、生者の器を求め彷徨う。
で、今この場で最も多い生き物はなんだ?
決まっている、この雪原を埋め尽くさんばかりに群がる、イエティネズミ共だ。
ギョォオアアアアアアアアアアアアアアアッ!!
と、狂ったような絶叫を上げて、隣のお仲間に喰らい付いたのは、最も俺に接近していたイエティだった。
突如として味方に牙を剥かれ、叫びを上げながら揉み合う様に転がると、そのまま押し寄せる後続を巻き込みながら、飲み込まれていく。
そんな光景が、あちこちで、そして、すぐさま拡大してゆく。
悪霊は、別に人間じゃなくてもとり憑ける。生きた人につけば、悪霊憑きの狂人と化し、死体に憑けば、ゾンビやスケルトンとなる。そしてモンスターにとり憑いても、同じように狂うか、死体ならばアンデッドモンスターと化す。
イエティネズミは一個体のフィジカルはなかなかだが、魔法耐性は乏しい。悪霊の憑依に対する抵抗力はそれほどでもないと見た。
それに、ここは死体だけでもかなりの数が転がっている。大柄な人間くらいの大きさでしかないイエティ形態の死体は、悪霊一匹でもとり憑けば、動かせる程度のサイズ感だ。
つまり、この場所、この瞬間に悪霊を大量に呼び出せる『反魂歌の暗黒神殿』を発動させれば、あっという間に同族のアンデッドとの大乱戦が発生する。
「ちょっ、ちょっとぉ、なによこのヤバい声は!? 後ろにリッチとか湧いてんじゃないわよねぇ!!」
「だ、大丈夫ですよ、シャル。ちゃんと私が光の結界で悪霊は防いでいますから」
うーん、やっぱり一般の方に『ホーンテッドグレイブ』の歌声はすこぶる不評である。
出来る限り効果範囲から遠ざけるために、距離は置いたつもりだが、それでも女性の金切り声のような不気味な叫びは、あっちにも聞こえているようだ。
万一に備えて、ネルに悪霊を寄せ付けない結界を頼んでおいて良かった。これで味方にウッカリ悪霊を憑かせてしまったら、フレンドリーファイアとしても最悪の部類に入ってしまう。そんなところでフィオナに勝ちたくはない。
「気持ちのいいもんじゃあないかもしれないが、奴らを食い止めるにはこれしか手はないからな」
今更、謝ったところでシャルロットに聞こえないだろうが。このまま我慢して、駆け抜けてくれ。
「プリムは大丈夫か?」
「精神干渉遮断機能は適切に働いています。問題ありません」
流石は古代鎧、この辺の防備もバッチリだ。ホムンクルスでも生身で悪霊に晒されれば、普通にとり憑かれるからな。リリィとの戦いで証明済みだ。
「ヒャッフー! 墓守ライブは最高ですぅーっ!!」
そして、この歌声は呪いの武器には好評だ。ヒツギのテンションも上がっているが、まぁ、これ以上、出番はないだろう。
「自分でやっといて何だが、酷いことになってるな」
俺のすぐ後ろは、獣と獣が喰らい合う地獄と化している。
圧倒的な大群は、悪霊にとっては全方位にひろがるご馳走にしか見えないだろう。走り去る俺達になど目もくれず、爪を伸ばせば届く距離にいる同族へと片っ端から襲い掛かる。
生きたまま憑かれた奴も、死体から蘇った奴も、合わせたとしても大群の総数に比べれば少数派。しかし、俺の『反魂歌の暗黒神殿』が響き続けている間は、新たに倒れた奴らは即座に悪霊が操り、その数を増していく。
ゾンビパンデミックが如く、加速度的に数を増やしていった悪霊ネズミと、もう俺達を追いかけているのか、目の前の同族と戦っているのか、判断のつかない生きたネズミとで、盛大に争い合っている。
地獄絵図としか言いようがない酷い光景だが、俺達が逃げるには大いに助かる状況にはなった。そのまましばらく、お仲間同士で削り合ってくれ。
増えすぎたお前らが悪い。これも一種の自然淘汰ということで。
そんな無責任なことを考えながら、俺はしばらく『ホーンテッドグレイブ』をカーラジオのように垂れ流しにしながら、悠々とメリーを疾走させたのだった。
曙光の月28日。
俺達は無事に、開拓村の生存者たちをダキア村まで避難させた。
上手くネズミ共はまけたが、いつ大群が移動を始めるか分からない。少々の無理を押してでも進み続け、夕刻にはなんとかダキア村まで到着した。
ダキア村は周辺の村から集まった避難民と、警備のクエストを受けていた傭兵や冒険者に加え、シャルロットの所属する『テンペスト』本隊も駐留しているとあって、凄まじい人の賑わいである。
難民キャンプの様相を呈する村には、ちゃんと先に避難させた村人達も確認できた。ホムンクルス達は、彼らだけで無事に任務を達成してくれたようだ。
その一方、任務を達成できなかった人もいるわけで……
「うっ……うぅ……」
「シャル、元気を出してください。開拓村の人達は、無事に助けることはできたのですから」
「へへー、怒られて泣きべそかいてやんの!」
「うるさい! 泣いてないわよ!!」
シャルロットは開拓村救助の独断専行を咎められたようだ。
一時的に前線司令部と化したダキア村冒険者ギルドから、半泣きになって出てきた彼女を優しくネルが迎え、カイが楽しそうに茶化していた。
「これから、シャルはどうするのですか?」
「スパーダに帰れって……」
「マジかよ『テンペスト』クビんなったのか」
「違うわよ、馬鹿ぁ!!」
落ち込んでいるんだか、元気なんだか。
シャルロットはただの騎士ではなく、お姫様だ。大きくやらかした時の懲罰は、父親であり国王陛下であるレオンハルト王が決めるらしい。
今回の一件を問題ナシとはせず、処罰すべきとする決定は厳しいものだろう。普通、王族のやらかしなんて、忖度されてなかったことになるイメージあるし。
スパーダ軍第二隊『テンペスト』の隊長は、シモンの姉貴であるエメリア・フリードリヒ・バルディエル将軍だ。見た目からしてキツそうな美人だったが、やっぱりどんな相手でも容赦しない冷徹さを備えているのだろう。伊達に将軍はやっていない、か。
まぁ、彼女からしても、シャルロット隊を派遣した先で、あんなことになるとは想像もしていなかったのだろうけど。
「はぁ……明日の朝に、スパーダに帰るわ。ネズミの掃討には、加われそうもないわね」
「一緒にスパーダへ戻りましょう、シャル」
「明日にはネズミ駆除に本隊が出るんだろ? 流石は『テンペスト』、スピード解決ってやつだな」
どうやら、すでに俺達の出番はない模様。
明日の朝一番に、エメリア将軍率いる本隊がネズミ殲滅に出発し、シャルロットはスパーダへ帰されると。
「俺達はどうする? 一応、クエストの警備期間はまだあるが」
「ここまで軍が出張って来たなら、クエスト自体が中断されるかもしれません。明日の朝にでも、ギルドで確認した方がいいでしょう」
こういう状況も経験済みなのか、フィオナは淡々と答えてくれた。
確かに、こんな数の軍隊がやって来た以上、小隊規模の傭兵団や個人の冒険者なんかが、警備を続ける必要性はない。ウロチョロするなと怒られそうだ。
ダキア領はすでに、スパーダ軍が預かる作戦区域に指定されているだろうし。
「どの道、ここにはもうできそうな仕事はありませんし、さっさと帰った方が時間を無駄にせずに済むでしょう」
「そうだな。じゃあ、朝に確認だけして、俺達もスパーダに帰るとするか」
色々と想定外のことはあったが……団員の一人も欠けることなく、絶望的だった生存者も救出し、クエストとしては最大限の結果を残せたといえるだろう。我らが『暗黒騎士団』の初仕事は、大成功だ。
そんな満足感もあって、今夜はちょっと美味しい料理を食べることにした。カロブー生活は終了、終了です!
場所が場所なので、派手に酒盛りまではしないが、初仕事の成功を祝して、ささやかな祝杯をあげるくらいはいいだろう。食料品もアルコールも、全て自分たちの持ち込み分だしな。
ということが決まると、サリエルを筆頭に、セバスティアーノとロッテンマイヤーの執事メイドコンビ率いる炊事班が、速やかに作戦開始した。心なしか、警備よりも張り切っているように見えた。
「なんか、こういうとこ至れり尽くせりだよな」
「ご飯まだですか」
贅沢な環境に心苦しい俺と、遠慮の欠片もないフィオナである。
気持ちはどうあれ、準備されるがままな状況に変わりはない。ほどなくすると、俺達が村の外れに張った天幕には、湯気の上がる温かい料理の数々と、エールの入ったカップが行き渡る。
「————よう、邪魔するぜ!」
「お、お邪魔します……」
そして、ここぞというタイミングで、お客様が訪れた。ゲストを呼んだ覚えはないが、やってきたのは案の定、カイとネルだった。
「すみません、クロノくん。本当にお邪魔ではなかったでしょうか」
「気にしないでくれ。二人にはスパーダに戻ってから改めてお礼を、と思ったんだが、来てくれたのなら歓迎するよ」
「礼なんてそんな堅苦しいのはいらねーよ。今ここで一杯もらえりゃ、それで十分さ」
「けど、いいのか? 二人はシャルロットについてると思ったんだが」
「シャルもいるぜ?」
あっけらかんと言い放ちながらカイがすっと体を避けると、その後ろから小柄な赤いツインテールの少女が現れる。
間違いなく、シャルロット本人だった。
「よ、よく来たな……歓迎するよ」
また険悪な感じで食って掛かられたら、と思うので、俺の反応も固いものになってしまう。
「……」
対するシャルロットは、ムスっとした表情をしながらも、やたら天幕の中をキョロキョロする落ち着きのない様子。なんか、見知らぬところに連れてこられた飼い猫みたいな雰囲気だ。
「あ……ありがと」
「なに?」
「ありがと、って言ってんの! 助けに、来てくれて……」
とてもバツが悪そうに、けれど、彼女はそうはっきりと感謝の言葉を口にした。
まさか、あのシャルロット姫から感謝される時が来るとはな……