第788話 シャルロット救出戦(2)
開拓村は、もう跡地とでも呼ぶべきか、なかなかに絶望的な状況と化している。
無数に蠢くネズミ共は、どいつもこいつも変身を完了させており、おぞましい白毛の魔人の大群と化している。
奴らが注目しているのは、ど真ん中に突き立つ大岩の砦。とは言っても、それは四方に石の壁を展開させただけの、巨大な四角形に過ぎない。
武骨な不揃いの石壁は、土属性の防御魔法によって形成された即席の防壁だ。これに加えて、炎、雷、風、などの防御魔法で群がるイエティネズミを迎え撃っている。
昨日の到着から、ずっと続けているのだろう。激しい魔法の応酬によって、ネズミ共の耳障りな叫び声を遮るような爆発音が断続的に響く。
あんな調子で戦って、よく丸一日もつものだ。あそこにいるのは、確かに精鋭だな。
そんな様子を目視できる距離にまで、俺達はいよいよ近づいて来た。
一番外側にいるネズミ共も、雪をかき分けて猛進してくる騎兵集団に気づき、ギーギー唸りながら振り向く奴らが続出している。新たな餌を前に、こちらに襲い掛かってくる集団が動き出すのは、もうすぐ後のことだろう。
「フィオナ、準備はいいか?」
「いつでもどうぞ」
俺は魔力のチャージを、フィオナは詠唱を、それぞれ済ませている。
砲身から紫電を迸らせる『ザ・グリード』。
不気味な輝きを宿す満開の『ワルプルギス』。
鉄蜘蛛を挟んで、俺が右に、フィオナは左について、開幕の一撃を放つべく互いの得物を構えた。
「————『荷電粒子竜砲』」
「————『火焔葬』」
一条の黒き雷光と、吹き荒れる紅蓮の嵐が、俺達を狙って突出してきたイエティ軍団を飲み込む。
真っ直ぐ走り出してきた奴らは瞬時に消し炭と化す。解き放たれた雷撃と火炎はその程度の贄では飽き足らず、その奥で蠢く大群へと襲い掛かる。
膨大な熱量によって、周囲一帯の積雪が一気に蒸発し、濛々と水蒸気が立ち込め視界が塞がるが、白い幕の向こう側から響いてくる絶叫が被害の甚大さを示してくれた。
イエティと化したネズミはガタイこそ立派だが、雷と火には特に耐性は持っていない。雪山のモンスターらしく、素直に火も恐れる素振りを見せていることを、前の襲撃時に確認している。
だから、フィオナは『黄金太陽』ではなく、珍しく上級範囲攻撃魔法『火焔葬』を使った。より広範囲に炎をまき散らすだけならば、こっちの方が効率的なのだ。
俺の方は、カーラマーラ帰りで金と素材には余裕があったお陰で、専用弾頭が作れたから『荷電粒子竜砲』をぶっ放した。やっぱり、自分の魔力だけで撃つよりも、威力も射程も違う。
俺とフィオナの放った渾身の一撃は、かなりの敵を薙ぎ払ったが————奴らの総数に対しては、これでも焼石に水といった程度。
だが、俺達が突っ込むための突破口は十分に開けた。ついでに雪も蒸発したから、路面状況も良好だ。
「ネル、カイ、頼んだぞ」
「はい、お任せください」
「しゃあ! 突撃だぁーっ!!」
突撃の最先鋒は二人に任せた。
相手はあのシャルロット。救援部隊が俺だと分かれば、この期に及んで何か駄々をこねだす危険性は高い。
だが、このパーティメンバーにして幼馴染、最も信頼できる仲間であるこの二人と真っ先に顔合わせをさせれば、面倒事は解決だ。
俺は顔を隠す意味も含めて、『暴君の鎧』の髑髏兜を被っている。色んな表示機能は便利だけど、戦闘中は頭が空いてる方が感覚が働く気がするから、あんまり利用しないんだよな。
まぁ、俺のことはともかく、助っ人である二人を一番前に押し出しているのだ。共にランク5冒険者として申し分ない実力者ではあるが、こちらとしても最大限の援護はしなければ。
空からはサリエルが『EA・ヴォルテックス』二丁持ちで援護射撃をし、アインとプリムを筆頭に、包囲突破のための火力を前面に集中できるよう配置している。
すでにサリエルからも地上からも、エーテルのマズルフラッシュを瞬かせて、弾丸の嵐が立ち塞がるイエティ共に襲い掛かる。
さて、突破の方はみんなに任せるとして、俺は自分の仕事に専念しよう。
「————『黒炎防壁』」
発動させるのは、疑似火属性『黒炎』をメインにした防御魔法だ。要するに単なる炎の壁である。
ただし、単一の炎の原色魔力で構成される現代魔法の火属性防御魔法とは、術式構成はかなり違うだろう。
この『黒炎防壁』は地味に三属性の混合だ。
最も魔力を費やすのはメインの壁となる炎だが、水と風も組み込んでいる。
疑似水属性『黒水』は『焼夷弾』でも搭載している液体燃料を構成。
疑似風属性『黒風』は、単純に風を起こして炎の勢いを強め、広げる効果を持たせている。
ただ壁を出すだけなら土単一の『黒土防壁』の方がコスパはいいが、この状況では多少の手間をかけてでも、炎の壁を張る意味はある。
ただの壁だとイエティは登れるが、炎ならば寄せ付けない。
俺がアッシュ時代の経験で培った黒魔法の疑似属性活用テクを駆使した、俺の中では割と高等な『黒炎防壁』は、上級範囲防御魔法に匹敵する熱量と燃焼範囲でもって燃え上がる。
黒々とした地獄の炎が、切り開いた道の右側面へと燃え広がってゆき、イエティ軍団の再封鎖を阻む。
どうだフィオナ、俺の黒魔法も立派になったもんだろう。
「لهب النار إيقاف جدار حاجز لمنع الثابت لهب هيروشي ثلاثاء كيكو————『火焔城壁』」
フィオナの炎の壁が、俺の倍くらいの高さに達しているのを見て、下手な自慢はするのはやめた。
ワルプルギス全開のフル詠唱で上級範囲防御魔法。フィオナの最も得意とする火属性でそれをやれば、これくらいにはなるのか……
「クロノさん、火が足りなければ貸しますよ」
「大丈夫! 大丈夫だから! ほら、ちゃんとイエティは防げてるし!」
だから、それくらいの火の壁で大丈夫ですか、みたいな目で見ないでくれ。本当に大丈夫だから、フィオナのが余計に大火力なだけだから。アイツら火属性が弱点なんだぞ。
「とにかく、俺達はこのまま退路の確保だ。後は、さっさと撤退できればいいんだが————」
物量、というものの真の恐ろしさを、シャルロットが体験したのは今回が初めてであったろう。
これでも彼女はランク5冒険者。祖先の加護を得た、天才的な雷魔術師である。勿論、その才能に加えて、ランク5に至るに足る経験も積んできた……だが、シャルロットの歩んできたソレは、冒険者という職業において特別に恵まれたものであったことを指摘する者は、ついに現れることはなかった。
ただの冒険者なら、ランク3に上がるころまでには、格下と思っていたゴブリンやスライムの群れに遭遇し、数に押されて命からがら逃亡、という苦い経験は誰もがすることだ。
しかし、シャルロットはそうはならなかった。
冒険者になる前から、王女の身分に相応しい最高の魔法教育は受けられたし、装備も高品質。
そして何より、組んだ仲間はネロ達である。初めて結成したパーティが、すでに最高のメンバーだった。
同年代では圧倒的に最強の実力を持つネロは、その戦闘能力だけでなく、メンバー全員の力も性格も踏まえた的確な指揮もとれる、パーティリーダーとしての才能にも溢れていた。
そんなネロとタイマンを張れるのが、カイである。後衛の魔術師からすれば、カイほど頼れる前衛はいないだろう。
自分と同じく後衛だが、サフィールの『屍霊術』は攻守ともに柔軟な対応性があり、常に最善手を打てる冷静な頭脳も彼女には備わっている。
一番の親友であり幼馴染のネルは、回復役としては破格の能力者だ。彼女がいる限り、前衛で戦うネロとカイが傷つき倒れることはないし、後衛の自分達を強化する万全のサポートまで受けられる。
そんな仲間に恵まれているからこそ、シャルロットは常に自分の実力を最大限に発揮できる環境にあった。無論、格下のモンスターの群れになど、一度も押された経験はない。むしろ、それらを軽く蹴散らしてきたのが、『ウイングロード』の戦いだった。
けれど、今はもうその頼れる仲間たちはいない。
シャルロットは、ネロの指示を聞くだけでいい後衛魔術師ではなく、100人からの騎士を率いる長となった。スパーダの精鋭騎兵100名もの命を預かる、責任がある。
彼女に責任感が欠けている、とは言うまい。
王女として、将として、部下は大切に思っているし、彼らの意思を蔑ろにすることはない。騎士達も、そんな懸命に頑張る王女の姿に士気を上げている。
故に、シャルロットに欠けていたのは、彼我の戦力差を正確に理解する戦術眼だけだったのだ。
ガラハド戦争でサリエルに惨敗を喫した以外には、『ウイングロード』の歩んできた道はあまりにも輝かしい栄光で彩られている。
シャルロットは幾度もネロに無茶を言った。ダンジョンの奥にある宝箱が欲しいというただのワガママだったり、モンスターの群れに囲まれピンチに陥る新人冒険者を助けたいという純粋な願いだったり。
良くも悪くも、内容は様々だったが……ネロも仲間達も、いつもそれに応えてくれた。
だから、今回もシャルロットは思ってしまったのだ。
まだ生きているかもしれない開拓村の人々を、絶望的な状況から救い出せると。
自分なら、自分達になら、それができるのだと。今までのように。ネロがいなくても、私と私の騎士の力があれば、そんな程度の望みは簡単に叶うと————
「————『雷鳴震電ぉお!!』」
今、シャルロットは土魔法の防壁の上に立ち、眼下で無数に蠢くおぞましい魔物へ向けて雷撃を放つ。
広範囲に渡って放出される上級範囲攻撃魔法は、十全な威力をもって白毛のモンスターをまとめて屠るが、後から押し寄せる仲間によって穴は瞬く間に埋まる。
すぐに壁へととりつくヤツもいれば、雷撃で黒焦げになった同族の死体に齧りつくヤツもいる。
攻城戦は、実のところ大軍をもって攻める側の方が兵糧に不安がある、という話は苦手な戦術論の講義で聞いた覚えがある。犠牲となった味方を喰らって腹が満たせるならば、補給のめども立つというもの。モンスターにのみ許された、おぞましい戦術だった。
シャルロットは攻撃を放った直後、意識がぼんやりとなり、そんなことが頭に思い浮かぶのだった。
「姫様っ!」
「ハッ、な、なによ!?」
すぐ傍で上げられた、騎士の呼びかけでシャルロットの意識は再び現実に引き戻された。退屈な授業中、居眠りしそうになったところを叱られて、飛び起きたような感覚だった。
「上級魔法の使用はお控えください。すでに姫様の魔力は限界に————」
「うるさいわね、私はまだまだ大丈夫よ!」
意識が薄れるのは、典型的な魔力欠乏の初期症状。けれど気丈な叫びは、疲労を隠すだけの感情的な反応ではない。
部下に弱みは見せられない。
敵の前で息切れするわけにはいかない。
激戦の真っただ中、魔力が尽きたといって、誰が真っ先に休めるものか。
「もうすぐ援軍が来るわ、それまで何としても踏ん張るのよ!」
「その援軍とて、エメリア将軍の本隊ではありません。脱出するにも、イチかバチかの賭けになるでしょう。どうか、その時まで姫様はお力を温存されるべきです」
「大丈夫よ、私はランク5冒険者、『ウイングロード』のシャルロット……これくらいの窮地、何度だって乗り越えてきたんだからっ!!」
その気概が、魔力不足に喘ぐ体を立ち上がらせる。
握りしめた杖の先に、再び赤い雷撃を迸らせ、無限に湧いてくると錯覚するほどの敵を睨んだ。
そんな姿を見せられては、騎士としてもそれ以上の口は挟めない。
だが、気力だけで自分の限界を上回るのは、誰にでも出来ることではなかった。
「————ぐはぁ!」
「まずい、突破されるぞ!」
「急いでカバーしろっ!!」
防壁の上に立ち、攻撃魔法や火の防御魔法で敵を食い止めていた一角が、ついに破られようとしていた。
岩の防壁を登り詰めた白毛の魔人は、魔力の限界を迎えつつあった騎士へと飛び掛かるなり、そのまま壁の内側まで落ちていく。
下で控えていた騎士によって、すぐさま槍で突き殺され、襲われた騎士は助かったが、彼が抜け落ちた箇所から、次々と壁を登り詰める爪先がかけられていた。
まずい、ここから侵入を許せば、一気に崩壊する。
魔力不足で思考力が落ちつつある頭でも、シャルロットはすぐに察した。
外に向かって撃つはずだった雷魔法を、慌ててそこへ向ける。
他の騎士も防衛線崩壊の危機に急いで動き出す。
しかし、シャルロットも、騎士達も限界だった。交代で休ませつつ、丸一日以上も奴らの絶え間ない猛攻撃を耐え凌いできたが、崩れかけた防備の穴を塞げるほどのパワーがあるか。
ドォオオオオオオオオオオオオオッ!!
地を揺るがすほどの轟音が鳴り響いたのは、その時だった。
どれほどの威力の魔法が炸裂したのか、凄まじい熱波によって膨大な蒸気が真っ白く煙る向こう側は見えないが、その一撃は紛れもなく、待ち望んだ救援の到来に他ならなかった。
「来たわ! 撤退よ!!」
「敵を寄せ付けるな、押し返せっ!」
最後の力を振り絞るように、騎士達は反撃に出る。
新たな相手の登場に、モンスターの大群も大きくどよめいていた。それは、後背をつかれた恐れではなく、単に新しい獲物がやって来たことへの歓喜でしかないようだ。
仲間を百単位で吹き飛ばす圧倒的な魔法攻撃を目の当たりにしても、ネズミ魔人共は一切の躊躇もなく動き出す。
そんな群れの動きに触発されるように、シャルロット達を包囲する奴らもさらに活発化したようだった。
一進一退の攻防。いや、僅かずつだが押され始め、次の瞬間にも防衛線が脆くも崩れ去ろうという状況だ。
「くうっ、このぉ!」
シャルロットが何度目になるか分からない、雷の範囲攻撃魔法を放つが————魔力欠乏の影響か、それとも集中力の乱れか。威力が落ちた。その一撃で、すぐ足元にまで迫ったネズミ魔人を殺しきることができなかった。
ギィイイイイイイイッ!!
体の大半を黒焦げにされながらも、尽きぬ生命力と食欲とによって、シャルロットへと牙を剥く。
対応は————間に合わない。極度の疲労が、シャルロットに反撃を許さなかった。
「————よっと! おいシャル、今のはかなりヤベーとこだったなぁ?」
気づいた時には、モンスターは真っ二つとなって落ちていくところだった。
あまりの疲労感に、ついに自分の意識が落ちて夢でも見ているのかと思う。でも、夢だとするなら、何故コイツなのか、
「カイ!? なんでアンタがここに!」
「そりゃあ、クエスト受けたからに決まってんだ————ろぉっ!!」
カイの力強い一振りが、防壁の下に目掛けて振り下ろされる。
壁の天辺に爪をかけていた新たなネズミ魔人が両断、いや、粉砕されたように弾け飛ぶと、衝撃波はさらに壁を伝って下まで走り抜け、その破壊力を炸裂させる。
それは最早、剣戟ではない爆発と化して、群れるネズミを吹き飛ばした。
破砕の武技『破断』系統はカイの得意技。
複数をまとめて吹き飛ばす威力もさることながら、衝撃を伝える壁そのものには負荷をかけさせない、絶妙なコントロールがその一振りに込められていた。
「けど、ここに来たのは俺とネルだけだけどな」
「嘘っ、ネルも来てるの!?」
本当だ、とカイが応えるまでもなく、ネルも続けて姿を現した。
真っ白い蒸気の漂う向こうから、バサリと白い翼をはばたかせ、天使の如く防壁へと舞い降りる。
チラリ、とネルはシャルロットの姿を一瞥すると、微笑みを浮かべた。
再会の言葉は、まだかけない。今は、他にするべきことが彼女にはあるからだ。
「歩みを止める者よ。膝を屈する者よ。倒れ伏す、力なき者達よ。諦めることなかれ。其は、恵みの慈雨であり、温かなそよ風であり、炉を灯す炎である。剣を執り、立ち上がれ————『波紋の強烈壮気』」
高々と掲げられた『白翼の天秤』が光を放つ。
それは力尽き、倒れようとする騎士達に再び立ち上がる気力を与える、上級範囲治癒魔法。いいや、ネルが『天癒皇女アリア』の加護によって効果が強化された、原初魔法である。
傷口を塞ぐ回復でもなく、再生を促す治癒でもない。それは、傷こそなくとも心身が疲弊しきった者に、体力と魔力を与える疲労回復の魔法。
その癒しの光は、戦い続けた100人の騎士を遍く照らし出す。
「ああ、力が戻ってくる……ありがとう、ネル」
「流石はウチのヒーラー様だぜ、一発で全員に活を入れやがった」
クラスチェンジはすれども、身に着けた治癒の技にはいささかも衰えはない。
脱出するために必要な、最後の活力をシャルロットも、騎士達も取り戻した。
「そんじゃあ、さっさとズラかろうぜ」
「うん! みんな、行くわよっ!!」
オオオオッ、という鬨の声が高らかに響き渡り、地獄の包囲網は今、開かれようとしていた。