第786話 ネズミ
斥候が確認したモンスターは、ネズミのような姿をしていたという。
体長は50センチ前後。ネズミとしては巨大だが、モンスターとしては小型の部類に入る。一匹あたりの危険度は1だろう。
数はおよそ300匹。いくら危険度1の雑魚とはいえ、腹を空かせた50センチのネズミの群れが押し寄せれば、こんな村はあっという間に食い尽くされる。下手すれば、人間まで食い殺されかねない。
しかし、ここには俺達がいる。ゴブリンかそれ以下の力しかないと思われるネズミの群れなど、古代兵器の銃火器で武装した兵士の前には一方的に駆除されるだけだろう。
懸念といえば、小さいから取り逃しに気を付けなければ、という程度。
しかし、俺にはもう一つだけ、気になることがあった。
俺はダキア村のギルドでモンスター情報も仕入れたが、雪山に出るネズミのモンスターというのに覚えはなかった。
この辺にだけ生息しているマイナーなヤツかと思い、念のために村長へも聞いてみたが、
「ネズミ型のモンスター、ですか? ふーむ……申し訳ありませんが、この辺では見たことがありませんね」
とのこと。
長くここに住んでいても、全く見たことも聞いたこともない、未知のモンスターということだ。
少々、嫌な予感がするものの、戦闘は避けられない。とりあえず、万全の態勢を整えて迎え撃つより他はない。
「総員、配置につきました」
副官のアインが報告をくれる。たったの15人だから見れば分かるのだが、銃を装備した場合、弓兵が並ぶよりもずっと広い間隔をとる。アサルトライフルを標準装備していれば、一人でカバーできる前方の攻撃範囲は弓やボウガンの比ではない。
少人数だが、巨大ネズミの群れを殲滅するには十分すぎるキルゾーンを形成できる。
この人員と装備があれば、アルザス戦でもっと楽が出来たんだが、なんてこともふと思いながら、俺達は村の柵越しに並び、敵の到来を待つ。
ネズミ共は迷うことなく真っ直ぐこちらへと向かってきている。俺の『黒風探査』でも、報告通りの反応を感知した。
もう間もなく、奴らは伐採場の向こう側から、この村へと続く開けた平地へと飛び出てくるだろう。
丸太の並ぶ伐採場、その暗い夜の森が、風もないのにざわつく感覚を覚えると————来たな、先頭を走るネズミが姿を現した。
「照明弾、撃て」
「照明弾、発射!」
命令が復唱され、ヒュー、と音を立てて夜空に複数の照明弾が撃ち出され、直後、眩い輝きを発する。
突然、真昼のような光に晒され、ネズミはキー! と驚いたような声を上げていた。疑似的な白日の下に晒されたモンスターは、やはり、ネズミによく似た姿をしている。
白いハツカネズミをそのままデカくしたような体。瞳は黄色で、細長い尻尾をヒュンヒュンと振り回している。
強そうには見えない。やはり大きいだけのネズミか。
「攻撃開始」
照明弾の輝きに照らし出されながらも、群れは止まることなく前進を続けてくる。すでに、十分な距離にまで達した。
俺が命令を下せば、銃口からスパークを散らして、弾丸が次々と吐き出されてゆく。
雪原に白い体毛のネズミは、人間よりも狙いにくい的だが、その程度で外すような訓練は積んでいない。
殺到する弾丸は的確にネズミの群れを捉え、赤黒い血肉を次々と雪の上にぶちまけてゆく。
「そのまま撃ち続けろ。一匹も逃がすな」
瞬く間に先頭を行くネズミが倒れ、群れの三分の一ほどが倒れた。愚直に突撃してくるだけの群れは、すぐに全滅するだろう————と、思った時だった。
キー、キー、グギィイイイイイイイイイイイ!!
ネズミらしい甲高い鳴き声とは異なる、不気味な唸り声が群れから一斉に上がる。
なんだ、と思った直後に変化はすぐに見えた。
ネズミ共が立ち上がった、次の瞬間、体が膨れ上がる。ボコボコと肉体の内側から、溢れるように筋肉が盛り上がってゆく。
顔つきもただのネズミのものから、血走ったギラつく眼光を宿す、獰猛なモンスター然とした面構えへと変わり、口元からは前歯の他にも、鋭い牙が覗く。
そうして、二足で立ち上がったネズミはあっという間に2メートルほどの大きさにまで急成長し、体格もオークのような筋骨隆々のゴツい姿に化したのだった。
その白い毛を纏った大きな人型は、イエティ、とでも言うべきか。
よく見れば、最初に撃たれて倒れたネズミも変化を始め、体から血を流しながらも、むっくりと起き上がってくる奴が何体も見受けられた。ただデカくなるだけじゃなく、それなりの再生能力もあるようだ。
化け物に変身するネズミか……モンスターパニック映画に出てきそうな能力しやがって。
「一発でも多く弾をぶち込め。奴らはデカくなっても、弾は通る。怯まず撃ち続けろ!」
「イエス、マイロード」
全く予期せぬ力を見せたイエティネズミを前にしても、ホムンクルスは僅か程も動揺を露わにする者はなく、忠実に命令を実行する。
一発で奴らは倒れない。だが、何十もぶち込めば流石の雪鼠男も限界なようだ。毛皮だけでは『ストームライフル』の銃弾は止められない。撃たれれば、確実にダメージは蓄積される。
白い毛皮を真っ赤に染め上げて、イエティの巨躯が倒れてゆく。
ウォガァアアアアアアアアアアアアッ!!
しかし、轟く咆哮が奴らの高い戦意を示す。
銃撃で倒せてはいるが、300の数を活かして、奴らは着実にこちらへと距離を詰めてきている。
「タフな奴らだ。このままだと押し切られるな」
あんな化け物を一体でも村に入れれば、お終いだ。村専属の冒険者パーティも俺達の後ろに控えてはいるが、イエティを倒せるかどうか怪しい感じである。
俺達だけでコイツらを始末しきらなければ、死人が出そうだ。
「プリム」
「はい」
「お前に任せる」
「イエス、マイロード」
可愛らしい声とは裏腹に、ヘルハウンドの赤い目が輝いた。
あのイエティは、プリムが相手するにはちょうどいいくらいの強さだ。パワーもスピードも古代鎧『ヘルハウンド』にはずっと劣るし、あの耐久力も殺すのに苦労するほどでもない。
任せられるところは、任せて行こう。俺は最終防衛線、万が一、村に入りそうな奴が出た時に、動けばいい。
ここはプリムと、他のみんなに任せよう。
朝日が昇る頃には、殲滅した奴らの後始末まで完了した。
銃弾の嵐を掻い潜り、村へと肉薄するイエティを、プリムは見事に返り討ちにしてくれた。
右手にはパワーアーマー用の巨大なバトルアックス『ブッチャー』を握り、左手には『EA・ヴォルテックス・マシンガン』を構え、タフな雪鼠男共を次々と切り倒し、撃ち殺した。
300の群れは完全に駆除され、村には平穏が訪れる。
しかし、それが一時的なものでしかないことを、俺は朝食のカロブーを齧るよりも前に知ることとなる。
「————そうか、東と西にも奴らが出たか」
早朝、フィオナ小隊とサリエル小隊の両方から伝令が送られた。
二人が駐留する隣村にも、昨晩ここと全く同じことが起こったという。
どっちの小隊もあの程度の相手に後れをとることはなく、無事に襲ってきた群れは駆除したようだが……
「参ったな、流石に数が多すぎる」
あのネズミ共の本隊が、山脈の麓で確認された。
それを見たのは、サリエルだ。想定された以上のモンスターの襲撃が発生した異常事態と見て、サリエルは自らペガサスのシロを駆り、空中から強行偵察を行った。
その結果、万に届くほどのネズミの大群を発見したという。
「村長、このネズミ共は坑道らしき場所に巣を張ってるそうだが……この辺にそんな村があったのか?」
「え、ええ、そこは新しい開拓村でして……つい去年から建設を始めたばかりの場所で、まだ地図にも載っていないのです」
まさか、そんな場所があったとは。
村長から詳しく話を聞けば、その場所は何種類かの魔石を採掘できそうなことが、偶然に分かったらしい。
とある冒険者パーティが近辺を探索中に、大きな洞窟を発見。幸いにも、弱い小型のモンスターが少々住み着いているだけで、大した危険度はない。しかし、その洞窟の壁面には、ところどころで魔石の原石が露わとなっていることを見つけ、鉱山としての価値があることが判明した。
その報告を受け、ダキア領主は魔石採掘のための開拓村を作ることをすぐに決めたそうだ。
ダキア領からは家の畑を継げないような農家の次男や三男が集められ、それから坑道と採掘を指導するためのドワーフ鉱夫数名を招き、現地へと送り込んだ。
そこはダキア領でも最もガラハド山脈に近い位置の村となったが、開拓は順調で、何の問題もなく冬も越せると思われていた。
「坑道を掘り進めたら、あのネズミ共の巣をつついてしまったのかもしれないな」
発見された洞窟は大きく長いものだったが、行き止まりになっていた。だが、実はその行き止まりの先にも、似たような洞窟がまだ広がっており……そこにあのネズミが住み着いていて、坑道で繋がったからこちら側へと溢れ出した、といったところだろうか。
「ああ、そんな……では、開拓村の者達は……」
「残念ながら、生存は絶望的だな」
サリエルの偵察によると、すでに開拓村と思しき地点は奴らで溢れかえっている。
冬を越すための食糧庫や穀物庫はとっくに食い荒らされ、麦一粒も残っちゃいないだろう。当然、人影も全く見当たらず、開拓村の建物は軒並み崩れ去っていたという。
奴らの移動速度を考えると、開拓村の坑道から溢れ出たのは、三日ほど前になる。
もし、運よく森に逃げられたとしても、着の身着のまま飛び出したのでは、とても生き残っていられる時間だとは思えない。一晩も経たずに凍死する。
流石の俺も、あまりにも僅かな可能性にかけて、イエティの万軍が陣取る場所に、生存者を探しに行こうとは言い出せない。
「申し訳ないが村長、今すぐ逃げる準備をしてくれ。あまりにも敵の数が多すぎる。ダキア村まで退くしかない」
「こ、この村を捨てるのですか……なんとか、なりませんか!」
「隣村からは、もうこっちに向かって避難が始まっている。俺達に出来ることは、ダキア村まで護衛するくらいだ」
「……申し訳ありません、無理を言ってしまいましたな。貴方方に護衛をしていただけるだけ、我々は恵まれている」
「後のことは、スパーダ軍に任せるしかない。援軍が駆け付けてくれれば、ネズミの群れなんてすぐに駆除される。また、ここに戻ってこられるさ」
「ありがとう、ございます……すぐ、皆の者に逃げる準備をと伝えて参ります」
村長は沈痛な面持ちで、決断を下す。
そういうワケで、ダキア村への避難が決定した。
明日には、東西の隣村から、フィオナとサリエルに守られた村人たちがここで合流し、そこからダキア村へと向かう予定となっている。
全員の避難が完了するまで、最速で2日。3日くらいは見ておいた方がいいだろう。
「ネズミ共は必ずまた来るな。本隊が丸ごと向かってくることはないと思いたいが……」
村人の避難を護衛するのは、思えばこれで三度目か。
一度目はアルザスで、二度目は全く同じ場所、だが守ったのは十字軍の開拓村の人々だった。
今回の敵は押し寄せる十字軍でもなければ、空飛ぶ超巨大タコでもない。イエティの大群は、あれらと比べれば遥かにマシだな。
だが決して油断のできる状況ではないと考えつつ、俺達は避難準備で俄かに騒がしくなる村の警戒についた。
「ロード、ご報告です」
昼前といった時間。アインが俺の元へやって来た。
「こちらへ向かってくる騎士の集団を発見しました。掲げている旗は、スパーダ軍第二隊『テンペスト』のものです」
「もう援軍が来たのか」
あまりにも早すぎる。イエティネズミの大軍が出現した、という情報さえまだ伝わってはいないはずである。
だが、これは珍しく良い方向に想定外だ。この警備任務が出された段階で、ダキア村の方がスパーダ軍にも救援を要請していたのかもしれない。
『テンペスト』は騎兵中心の機動力で、素早くモンスター災害が起こった現地へと駆け付ける軍団だ。彼らは偶然ここに来たのではなく、明確にモンスター討伐しにやって来ている。
「これはもしかしたら、避難もせずに済むかもしれないな」
そんな風に、ちょっとだけ安心していた俺なのだが……この援軍に困らされることになると、直後に知ることとなる。
「なっ、な、なんでアンタがここにいるのよっ!!」
ギルドのロビーに、キンキンと甲高い絶叫が響く。
失礼にも、俺を指さし気炎を上げるのは、真っ赤なツインテールに金色にギラつく瞳を持つ、小柄な少女。
その顔には確かな見覚えがある。こんな風に怒鳴られるのも、実に身に覚えがあった。
そう、彼女こそスパーダの第三王女、シャルロット・トリスタン・スパーダである。
あちゃー、よりによってこの子が来ちゃったか。
「我々は傭兵団として、ダキア領警備のクエストを受けております、シャルロット王女殿下」
「慣れない敬語とかキモいわね、フツーに喋んなさいよ」
もう学校じゃないからわざわざ王族相手に相応しい言葉遣いをしたというのに、この仕打ちである。
俺の顔を見るなり、あからさまに不機嫌な表情をするシャルロットに、ギルドで避難の指揮をとっていた村長、それとアシスタントの受付嬢と数名の村人達は、伏せて頭を下げた態勢で硬直している。
うん、正しい反応だ。このヒステリックなお姫様は、何が気に食わないと言い出してイチャモンつけてくるか分かったもんじゃないからな。
だが、ここまで言われて無理のある敬語を貫く忍耐力は俺にはなかった。無礼にして傲岸不遜にも、シャルロット姫の前で堂々と立ってやろうじゃないか。
「俺達は傭兵の仕事をしているだけだ、何の文句がある」
「傭兵団んー? なんか怪しいわねぇ」
「『暗黒騎士団』という名前で、正式に登録している」
「暗黒騎士って、アンタが言うとますます怪しい感じね」
なんだよ、『暗黒騎士フリーシア』が騎士の神様として超メジャーなんだから、由緒正しいネーミングだろうが。
コイツ、俺が関われば何でも怪しいと言い出しやがって。因縁つけられたのだって、遥か昔の話だというのに。
「ともかく、この状況で援軍に来てくれたのはありがたい」
ここへ駆けつけたのは、シャルロット率いる100騎ほどの騎兵中隊だ。
本隊はダキア村に駐留し、周辺各地からの避難を進めているらしい。恐らく、避難の完了が済み次第、ネズミ本隊を叩きに行くのだろう。
「ふん、民の保護は王族として当然の義務よ。そんなことより、村の状況を説明してもらえるかしら」
赤いツインテールをなびかせて、シャルロットはその勝気な目をひれ伏す村長へと向けた。
「お、お、恐れ多くも、シャルロット王女殿下におかれましては……」
「あー、もー、慣れてない人はこういう時に面倒だわ。もういい、アンタが説明しなさいよ」
「恐れ多くも、シャルロット王女殿下におかれましては————」
「だからそういうのはいいからさっさと言えーっ!!」
ちっ、俺も村長の真似すればスルーされると思ったのだが。
どうもシャルロット姫とは上手くやれる自信がない。兄貴のウィルとはこんなにも仲良くやれているというのに。
しかしながら、毛嫌いする俺からでも説明を聞くという姿勢を見せているのは、彼女なりに真剣な証拠だろう。学生の頃だったら、口もききたくない、汚らわしい、みたいな感じだったし。
「————という状況だ」
地図を広げたギルドのテーブルを囲んで、俺は簡単に状況を説明した。
東西の隣村からこっちに向かって避難中であること。ここも準備を進めている最中であること。
そして、ネズミの出現地点が新しい開拓村の坑道であること。
「ふーん、なるほどね……」
と、シャルロットはむっつりした顔で、うんうんと頷いている。
こんな状況なのだから、普通に避難の護衛に加わるしか選択肢などない。『テンペスト』としても、まずは避難民をダキア村一か所に集めて防備を整えた上で、駆除作戦の実行というのが基本方針だし。
「じゃあ、護衛はアンタ達に任せたわよ」
「……はぁ?」
何を言っているんだコイツは。じゃあお前は他に何をするつもりなのか。お姫様らしく優雅なティータイムか?
「気のない返事してんじゃないわよ。避難の護衛もアンタの仕事でしょうが」
「そりゃ勿論、そのつもりだ」
「ならいいじゃない。しっかりやりなさいよ」
「いや、そんなの言われなくたってやるが……それじゃあ、お前ら百人の騎兵は何するつもりなんだよ」
「ふん、そんなの決まってるでしょ————」
自信満々に薄い胸板を反らして、シャルロットは高らかに宣言する。
「開拓村に生存者を探しに行くわ!」