第770話 遺産
2020年5月1日
今週は2話同時更新です。こちらは2話目になります。
うっかり先にここから読んだ方は、1話前にお戻りください。
禍々しい黒い輝きを放つ流星が、デウス神像の頭上で炸裂する————と共に、視界だけでなく、五感の全てを塗りつぶすような凄まじい衝撃が広大な広間を瞬時に駆け抜けていった。
いくら広い空間とはいえ、屋内で使う技じゃないなこれは。
そんなことを頭に思い浮かべた時には、衝撃波も過ぎ去り、視界が戻ってくる。
「上手く直撃したな」
そこには、上半身が消し飛んだデウス神像が立っている。
不気味な三面も、強力な六本腕も、跡形もない。
腹部ははじけ飛んだように歪にねじ切れたような断面で、背骨のようなフレームがやや突き出ていた。
残された下半身も黄金が剥がれ落ち、まだらのように内部の黒い金属面が露わとなっている。
「まさか、ここから再生したりしないよな……」
「流石にそれをやられたら、一度引き返さないといけないわね」
と、時間切れというより魔力切れによって、合体解除したリリィが幼女状態で俺の首元にしがみつきながら言う。
大人の意識も保てず、今すぐぶっ倒れるほど深刻な魔力枯渇ではないが、リリィの魔力は底をつく寸前だ。
俺もリリィほどではないが、体に倦怠感を覚えるほどには魔力を消耗している。
フィオナとサリエルはまだまだ余力が残る状態だが、パーティとしては万全とは言い難い。
再び体力全開のデウス神像と真正面からやり合うのは厳しい。
果たして、デウス神像はこれで撃破されたのか。それとも、まだここから真の力を見せてくるのか。
警戒態勢のまま、ボロボロの下半身を睨んでいると、
ヴィイイイイイイイイイイッ!!
けたたましい、ブザーのような音が鳴り響く。
想定外の大音量により静寂が破られ、俄かに緊張感が高まるが……デウス神像に動きはなく、続けて、ガチャンガチャンと、重い機械音のような音が響く。
「ふぅ、良かった……扉が開いたわよ、クロノ」
見れば、宝物庫へ続く赤い門が、ゴウンゴウンと音を立てて、ゆっくりと開いていくところだった。
ただのロックの解除音だったのか。
「やりましたね、クロノさん」
「ああ、普通に倒せて助かった」
「あれで再生するようなボスなら、ザナドゥも攻略できてませんよ」
確かに、デウス神像を真っ向勝負で一回倒せるパーティがどれだけ存在するよという話だ。
「クロノ、早く行きましょう」
「ああ。サリエル、悪いがそのまま後方警戒を頼む」
「はい、マスター」
サリエルだけでは、門が開いているのをチラ見で確認しただけで、すぐに周辺の警戒態勢に入っていた。
実際、お目当ての宝物庫の門がこれ見よがしに開かれたなら、冒険者の注意はまずそこに引かれる。ゴール寸前で悪辣な罠を仕掛けるには、格好のタイミング。
そういうところも見越して、後方まで警戒し続けられるのは、流石はサリエル。抜け目がない。
「よし、それじゃあザナドゥの遺産ってやつを拝ませてもらおうか」
そうして、俺達は開かれた宝物庫へと入っていった。
「うわ、これは本当に凄いな……絵に描いたような宝物庫だぞ」
そこは正に、金銀財宝で溢れていた。
床からうず高く積み上がる金貨の山に、大小さまざまな宝飾品。開け放たれた沢山の宝箱は溢れんばかりに色とりどりの宝物が詰められ……いや本当に、なんなんだこの量は。
こんなに沢山あると、貴金属の価値そのものが暴落するんじゃないかとかえって不安になる。
デウス神像のボス部屋ほどの広さではないが、それでもかなりの面積を誇る宝物庫だ。その前面に積み重なるほどの金貨の量だけで、世界中から集めても足りるのかというほど。
確か地球に存在する金って、50メートルプール3杯分とか聞いたことあるが、それくらいの量の金が今この宝物庫にあるんじゃないのかと思える。
「……妙ね、ここには大魔法具が一つもないわ」
「そうですね、古代遺跡の最深部だとすれば、こんな古めかしい金銀財宝ばかりある、というのはおかしいでしょう」
完全に黄金の山に目を奪われていた俺を他所に、リリィとフィオナは鋭い観察眼を宝物庫に向けていた。
「確かに、シャングリラみたいに古代の遺物が全然ないな」
言われなければ、気づかなかっただろう。
冒険者が古代遺跡の奥で財宝を求めるのは当然の心理だが、俺達はリリィの手によって蘇りつつある天空戦艦シャングリラという前例をすでに知っている。
古代文明は現代の地球を上回るレベルの魔法技術を有しており、エーテル式の銃火器をはじめ、その遺物は洗練された近未来的デザインだ。
ここが本当に、古代遺跡として当時の重要な宝物や兵器などが納められる最重要区画であるならば、金貨や宝飾品よりも、もっとハイテク感溢れる物品が並んでいるはず。
目の前の宝の山には、ちらほらと武具も紛れているが、そのデザインは現代らしいファンタジックなものばかり。ライフルや大砲の類が突き刺さったりはしていない。
「けど、目的のモノはちゃんとあるようだぞ」
目が眩むような金銀財宝の山の向こうに、一際強く輝く巨大な黄金のプレートが突き立つ。
そして、その根元には、もたれかかるよう倒れ込んでいる、一人のやせ細った老人の姿がった。
あれは間違いなく、遺産放送で見た通り、黄金のオリジナルモノリスと、鍵を握る冒険王ザナドゥだ。
「ええ、本物だわ」
「幻の類ではありませんね」
最後のトラップを警戒しつつ、俺達はモノリスのザナドゥへと近づいていく。
床の金貨をザクザク踏みしめながら、ついに倒れたザナドゥの目の前に立つと、
「……おお、もう来たのか。早いじゃあねぇか」
しわがれた老人の、けれど、どこか覇気を感じさせる声が響く。
ザナドゥはうつむいていた顔を上げて、そう喋った。
「まだ生きていたのか」
「とっくに死んでるさ。ただ、コイツを渡す奴の面ぁ拝むまでは、死にきれねぇよ」
「肉体は死んでいるけれど、意識は本物ね」
「この感じは、屍霊術系の秘薬でも飲んだのでしょう。死んだ直後も、多少は意識を保てる程度の効果のようですね」
「おいおい、いきなりネタバレたぁ、情緒のないお嬢さん方だ」
俺の両隣に立つリリィとフィオナが、実にあっさり死体のはずのザナドゥが喋るカラクリを教えてくる。
こっちとしては、ザナドゥの死体を操った罠じゃないなら、何の問題もない。
むしろ、本当にこんな莫大な遺産を見ず知らずの冒険者に譲ろうと言うなら、ザナドゥの真意を問うてみたい。
「まぁ、よく来たな。見ていたぜ、お前らの攻略ぶりは」
コイツを使ってな、という意味なのだろう。ザナドゥは背中にあるモノリスをコンコンと叩く。
「そう、覗き見していたのは、やっぱり貴方だったわけね」
「俺だけじゃねぇさ。冒険者連中の攻略模様は、カーラマーラ中に放送させた。年末には、ちょうどいい催しだろうよ」
宝物庫に転移したザナドゥの映像までは見ていたが、その後は俺達の戦いぶりがヴィジョンで放送されていたとは。今この時も生中継で映っているのだろうか。
気にはなるが、それよりもザナドゥが俺達を見ていたというなら、話は早い。
「それで、俺達は合格か?」
「あのデウス神像を半分も消し飛ばしやがったんだ。ケチなんざ、つけられるはずもねぇ……いやぁ、参った、最近の冒険者ってぇのは、みんなこんなに強ぇもんなのか?」
「俺達はちょっと特別だ。けど、別に最強ではない。もっと強い奴はいる」
「だが、今ここに来たのはお前らだ。なら、俺の遺産は、お前らのモノだ」
くつくつと、どこか満足そうに笑いながら、ザナドゥは右手にしていた宝物庫の鍵を差し出した。
「正統な継承者は一人きりだ。お前らは4人パーティのようだが……さぁ、一体誰が鍵を手にする?」
「リリィ、いるか?」
「鍵はクロノが持つべきよ」
「でも俺、記憶喪失だったし、『エレメントマスター』としてここまで来たとは言いにくいというか」
「いいじゃないですか、もう戻ってきたのですから。『エレメントマスター』は、クロノさんのパーティですよ」
「私も、マスターを支持する」
フィオナもサリエルもそう言ってくれたので、ここはパーティリーダーが受け取るのが一番角も立たなくていいってことだろう。
正直、この現実感のない莫大な量の財宝を目の前にすると、俺よりリリィの方がよほどうまく活用できそう、とか思ってしまうのだが。
「それじゃあ、俺が鍵を貰うぞ」
「すんなり決めやがったな。これだけのお宝を前にしてよ」
「これでも俺達はランク5冒険者だ。今更、報酬の配分で揉めたりなんかするか」
「そうか、そうだよな……俺も、そう思っていたさ」
「どういう意味だ?」
「すぐに教えてやる。先に、鍵をとりな」
真っ直ぐ突き出された、黄金に輝く宝物庫の鍵。
俺はやや緊張しながら、その鍵を手にする。大迷宮を舞台にした遺産相続レース、その勝利の証を。
「俺はここで、仲間を殺した。このカーラマーラ大迷宮を第一階層から攻略し、ついにはデウス神像を倒した、最高の仲間を……」
鍵を俺に手渡したザナドゥは、どこか解放されたような表情を浮かべながら、語り始めた。
手に入れたモノを全て手放した、今だからこそできる懺悔、といったところだろうか。
「そんなつもりはなかった。きっと、誰も本当は、そんなつもりはなかったんだ……だが、俺達はここで殺し合いを始めちまった。ここにある宝を、ただ一人に託すと、そう言われたせいで……いや、違う、そうだとしても、俺達は分け合えるはずだったんだ……」
「おい、言われたって、他に誰かいたのか」
「俺は、背中を刺された拍子に、つい斬り返しちまった……最高の女だったのに、ずっと好きだった、愛していた、これが終わったら、そう思っていたくせに……けど、それで俺は手に入れた。ここにある全てを……」
ザナドゥには、もう俺の声は届いていないのか。
その目には徐々に生気の光が失われてゆき、すぐ目の前に立つ俺のことも見えていないような、茫洋とした目つきとなっている。
秘薬とやらでつなぎ止めていた意思が、いよいよ消え去ろうとしているのだろう。
「これで良かったんだと、俺の欲望は全て満たされたと、そう思ってきた……俺は冒険王ザナドゥとして、永遠にカーラマーラの伝説となる。俺のガキ共は、この国の支配者として君臨し、未来永劫、冒険王ザナドゥの伝説を語り継いでくれる……だが、百年を超えてようやく気付いた。俺は冒険者だ。王侯貴族じゃねぇんだ、子孫なんざどうでもいい……仲間を殺すくらいなら、俺はここで死ぬべきだった、みんなと一緒に死ねばよかった!」
ザナドゥの目から、涙が零れる。
財宝を巡って仲間同士で殺し合ったらしい、というのは分かるが……その罪悪感を百年間、抱え続けたその重さは、計り知れない。
「こんなモノが欲しかったんじゃねぇ、なにが無限の富だ、永遠の繁栄だ……財閥なんざクソ喰らえだ! けどなぁ、そんな甘言に乗っちまった、一番クソみてぇな俺でも、まだできることはある……俺の遺産、全てを賭けた大博打、冒険王ザナドゥ最後の冒険だ……」
最後の命の火を燃やし尽くすかのように、ザナドゥの瞳がギラつく。
失いかけていた視線は、再びはっきりと俺へと向けられる。
「『エレメントマスター』のクロノ、俺はお前に賭ける……お前は、俺と同じ道を歩むな……決して、カーラマーラの言葉を聞くな、あの邪神め……」
「おい、邪神ってどういう意味だ。まさか、操られていたとか、そういう————」
「ああ……なんだよ、みんな、そこにいるのか……待てよ、俺がリーダーだぞ……待てって、今、行くから……新しい、冒険に……」
俺の問いに答えることなく、ザナドゥはうわ言のように最後の言葉をつぶやいて、死んだ。
その伸ばした手の先に、かつての仲間の姿が見えたのだろうか。
大人しく冥福を祈る……気分にはちょっとなれないほど、不吉な言葉を残してくれたものだ。
「なぁリリィ、カーラマーラを邪神って言ったよな?」
「そうね、きっとこの大迷宮に影響を及ぼしている神のことを言っているのよ」
「その神の名がカーラマーラで、ザナドゥに何やら影響を与えていたってことか」
だとすれば、この大迷宮の最深部はカーラマーラ神の聖域みたいなモノなのだろう。
しかしながら、『神滅領域アヴァロン』のように、他のあらゆる加護が使えなくなる、というほどの超強力な影響力はない。
実際に何の変化も感じられない程度なら、全く問題はないように思えるが……
「クロノ、先にオリジナルモノリスを掌握した方がいいわ。ザナドゥの制御を離れた以上、何が起こるかわからないし」
「確かに、自爆装置がいきなり作動しても困るしな」
こういうパターンの定番だ。
俺は嫌だぞ、なんだかんだ苦労してたどり着いた最下層から、命からがら崩壊するダンジョンを脱出していくなんて。
古代人がアホみたいな自爆機能なんか搭載していないことを祈る。
「なぁ、この鍵はとりあえず持っているだけでいいのか?」
「いいんじゃないかしら?」
お互いに鍵の具体的な使い方は分からないが、ひとまず、これまでと同じように直接触れて、黒化をかければいいだろう。
俺はリリィと手をつないでモノリスの前に立ち、それぞれ空いた方の手で黄金の板面に触れる。
「それじゃあ、行くぞ————『黒化』」
モノリスが金色に輝いているのは、単なる見た目の変化ではないことを、魔力の通りで実感する。
白色魔力で染まったモノリスを上書きする時と、似たような抵抗感がある。
なんだ、この妙な魔力の反応は……黒色でも白色でもなければ、どの原色魔力とも異なるようだ。
不思議には思うが、俺は未知なる黄金の魔力を、黒く上書きしていく。
そうして、ほどなくしてオリジナルモノリスはいつものように、黒一色へと染まり切った。
ひとまず、これで俺達の旅の目的は達成、ということになるはずだが……
「リリィ、どんな感じだ? 上手くシステムを掌握できたのか?」
俺の質問に、固く目を閉じて集中していたリリィは、目を開く。
その顔は、成功を確信した笑みはなく、いまだ緊張感が途切れぬ固い表情となっていた。
「……ああ、そう、そういうことなのね」
「ちょっとリリィ、一人で納得してないで説明して欲しいんだが」
冗談とかそういうのではなく、リリィはマジで真剣な表情だ。
どうやら、重大な何かに気が付いたようだった。
「残念だけど、説明している暇もなさそうね————来るわよ」
何が、と問いかける間もなく、俺は感じた。
巨大な魔力の気配……それこそ、本気を出した第七使徒サリエル並みの、けれど、決定的に力の本質は異なる、そんな感覚。
その発信源は、オリジナルモノリスだ。
漆黒に染まり切った巨大な板面に、再び眩しく輝く金色の光が灯る。
「何だ、この魔力量は!?」
俺の黒化によって完全に上書きされたはずだが、奥から溢れ出して来るように、謎の黄金の魔力が迸ってくる。
黒い面には、黄金の輝きがラインとなって縦横に駆け巡り、それらは瞬時に図形を形成した。
そこに描き出されたのは、大きな一つ目。
光り輝く黄金の目は、俺達を見下ろすようにギョロりと動き、言った。
「————我が名はカーラマーラ」
モノリスが喋った。
いいや、ザナドゥの言葉をそのまま受け取るならば……コイツは『カーラマーラ』という名前の、神なのだ。
「……なんなんだ、お前は」
「我は神。人の願いを叶える、神である」
実に胡散臭い名乗りだが……しかし、この第六感に感じる気配は、魔王ミアを前にした時とよく似た威圧感を覚える。
本当に、神なのか。
ザナドゥを百年の苦悩へと導いた、邪神だというのか。
「よくぞここまで来た、新たなる冒険者。いや、ザナドゥの屍を超えし、冒険王よ————さぁ、このカーラマーラへ奉れ。汝が願いを、叶えよう」
「悪いが、信じる神はもう間に合っているんだ。このまま、黙ってお引き取り願おうか」
強いて願いを言うならば、こんなあらかさまに怪しい神様の登場は、なかったことにしたいかな。
カーラマーラ神などいなかった。俺達はザナドゥの遺産を丸ごといただき、オリジナルモノリスを掌握し、晴れてスパーダへと凱旋する。めでたしめでたし。この後の展開としては、それで十分だ。
「願いなど、ないと申すか」
「お前みたいな怪しい奴に、頼むものはない」
「疑心の強いことよ……何を案ずる必要がある。ザナドゥはすでに、百年の栄華を存分に誇ったであろう」
「その割には、随分と後悔していたようだがな」
「今、そこで果てた男は、己が欲望を存分に満たし、その末に、ここで倒れることを最期に望んだだけのこと。我はザナドゥを呪ってはおらぬし、財を得た見返りに贄を求めたりもしてはいない……我はただ願いを叶えた、それだけに過ぎぬ」
なるほど、確かに結果だけ見るならば、ザナドゥは天寿を全うしている。
莫大な財宝を得た見返りに、何かを失ったということもなさそうだ。
「だが、お前はザナドゥの仲間をそそのかして、殺し合わせたんじゃないのか」
「我が願いを叶えるは一人のみ。我が前に何者かと共に立つならば、願う一人を決めねばならぬ」
殺し合ったのはパーティメンバーの自己責任だと言うことか。
一理あるかもしれないが、全肯定もできないな。
そもそも、ラスボスであるデウス神像を撃破して、この宝物庫に彼らはたどり着いたのだ。神に願うまでもなく、冒険者としての望みは果たされている。
カーラマーラを名乗る神が最後に出てきたところで、それ以上、一体何を願う必要があったというのか……
「今、ここに立つのは4人。皆、共に我に願う資格がある————さぁ、誰ぞ、願いを捧げるがいい」