第766話 狂戦士VS聖堂騎士
「神よ、今こそ我が身の全てを捧げる……どうか、悪魔を討ち払う浄化の力を与え給え!」
祈りを捧げるように、リューリックが剣を掲げると共に、奴の体から発せられているオーラも、剣と同じように青い炎へと変化してゆく。
凄まじい魔力の気配。
だが、あれは間違いなく自分の身さえ焼くほどの、過ぎた力を発している。
なるほど、文字通りに捨て身の攻撃というワケか。
けど、十字教徒と心中なんて御免だな。
「『魔弾・徹甲榴弾』」
お喋りの最中に再装填を済ませた二発を放つ。
「迸れ、浄炎!」
リューリックが握る長剣、『浄炎剣・インディゴブレイズ』は一振りするだけで、藍色の炎が轟々と逆巻き、前方へ灼熱の壁と化す。
浄炎、と呼ぶその火炎に飛び込んでいった『徹甲榴弾』は、ボフッ、と小さな破裂音を立てて散った。
本来の爆発力がかなり抑えられている。あの浄炎は黒魔法を相殺する効果も働いていると見るべきだろう。
闇が光を閉ざすように、光もまた闇を照らして払うことができるのだ。
「魔弾————」
「無駄だ、この浄炎はあらゆる魔を焼き尽くす。そんな程度の攻撃が、通るかよぉ!」
どうやら、そのようだな。
疑似属性を順次切り替えて射撃しているが、どれもあの迸る浄炎に触れた端から消されてゆく。黒色魔力が本質だと、属性を変えても同じように相殺されてしまうようだ。
全属性を防ぐ万能の防御耐性か。水か氷は有効であって欲しかったんだけどな。
俺の試し撃ちをいつまでも受ける義理はリューリックにはない。大きく剣を振るえば、浄炎は渦を巻いて襲い掛かってくる。
ちょっとした上級攻撃魔法みたいなのを、気軽にぶっ放しやがって。
「熱っつ!」
複数の浄炎竜巻、その隙間を縫うように回避をしていくが、普通の火属性魔法よりも高温が出ているのか、直撃を避けてもかなりの熱を感じる。肌がジリジリと焼け焦げていき、ボロボロのズボンも今にも火が付きそうだ。
だが、逃げていても埒が明かない。
このまま黒魔法で撃ち合ったところで、火力と防御は向こうの方が上。浄炎がなくても、アイツだって鎧は着込んでいるのだ。一発で撃ち殺すのは難しい。
やはり直接、斬りに行くしかないか。
広間の中央に陣取ったまま、動かないリューリックに対して、俺は大きく回り込むように走りながら、浄炎の渦を掻い潜り続け、接近の隙を伺う。
滴り落ちる途中で汗が蒸発するような熱風の吹き荒れる中、少しずつ距離を詰めてゆく。
彼我の距離、およそ10メートル。
ここまで詰めていれば、一足飛びに切り込めるか……よし、ここだ!
「飛んで火にいる、というヤツかな————『浄炎大渦』」
肌が焼ける、とは別に膨大な熱気を察した俺は、飛び込んだ体勢のまま、慌てて圧縮空気を蹴って真横へと回避。
無様に床を転がりつつも、そのまま体勢を立て直し、さらに後退する。
「ははっ、本当に虫みたいに飛んで避けたものだな」
見れば、リューリックの姿を覆い隠すほど、巨大な浄炎の竜巻が発生していた。
高位の炎魔術師は、火属性の範囲防御魔法で炎の竜巻を発生させ、自分は渦の中心に陣取り、攻防一体の技とする、なんてことをウルスラと冒険者トークしている時に聞いたもんだが……実際にやられると、強烈だな。
リューリックは俺の接近を待っていたのだろう。
迂闊に飛び込んできたところを、『浄炎大渦』で巻き込む手筈。だから一歩も動かず待ちに徹していた。
「そのまま逃げ続けて、こっちの魔力切れでも狙うつもりかい?」
結局、元の状態に戻ってしまった。
逃げ場があるなら、それでも良かったのだが……一つきりの入り口は開けるわけにはいかない。レキとウルスラに万一があってはまずいからな。
勿論、俺にはもう死ぬまで足止めしてやるなんて気はすっかり失せている。
相棒のお陰で、復活できたんだ。ここで勝てなきゃ、呪いの武器使い失格だろう。
「君に逃げ場はない。神より授かったこの力を以って、全て焼き払ってやろう」
大技が来る。
渦巻く浄炎の向こう側から、強烈な魔力の気配が漂ってくる。フル詠唱の最大火力で、俺を仕留める気か。
『浄炎大渦』があれば、堂々と詠唱していても邪魔はされない。俺の黒魔法ではどれだけ撃っても突破できないし、俺自身が接近しても焼き殺せるだけの火力がある。
漂ってくる気配からして、奴の大魔法が放たれれば、広間の隅まで下がっても攻撃範囲を脱することはできないだろう。
「結局、賭けに出るしかないか……」
リューリックは詠唱に集中しているせいか、浄炎を飛ばす攻撃は止まった。
だから、俺は奴の正面へ陣取り、そのまま止まる。この状況下では、位置取りに意味はないからな。
そして、待つ。時が来るまで。
「諦めたか? 今更、懺悔をしても遅いがね」
「俺は逃げも隠れもしない。来いよ、神の下僕野郎」
「ああ、逝くとも。悪魔のような男を滅し、俺は仲間たちと共に天へと召されよう」
伊達に命を賭ける、と叫んだワケではないのだろう。
この凄まじい浄炎の力は、リューリックが持つ本来の実力以上のものだ。感じる魔力の気配は、あの第七使徒サリエルに迫ろうかというほどに強烈である。
自分の命をくべて、この浄炎を燃やしているといったところか。
俺みたいなヒーローモドキ一人を殺すのに、大袈裟なことだ。
「浄化の炎に、焼かれて消えろ————『浄滅聖火』」
そして、リューリックの命を賭けた最大の一撃が放たれる。
広間の天井を埋め尽くさんばかりに広がったのは、青白い光で描かれた魔法陣。神々しいほどの輝きに彩られながら、巨大な円形魔法陣の中央から現れたのは————燃え盛る蒼き流星。
アレが落ちてくるのか。ルルゥの『星墜』とよく似た技だ。
あんなのが炸裂したら、この広大な広間でも瞬時に破滅の熱と衝撃で満ち溢れ、熱さを感じる余裕もなく灰になりそうだ。
だから、その前に決める。
「天国には一人で逝けよ————『虚砲』」
放つのは、命を賭けるに値する黒魔法、俺の必殺技だ。
一直線に放たれた漆黒の球体は、術者を守る灼熱の竜巻に触れると、自ら炎を吸い込んでいくかのように浄炎を消し去り、大穴を穿つ。
「なっ————」
浄炎の守りが消され穴の開いた炎の壁の向こうに、驚きに目を見開いた奴の顔が覗く。
そして、その時にはもう、刃は振り抜かれている。
『虚砲』は音もなく、ただ無慈悲に消滅させる。聖なる藍色の炎さえ。
そうして、ポッカリと開いた火炎の穴を、俺はサーカスのライオンみたいに飛び込んで潜り抜け————『首断』をリューリックへと叩き込む。
「なっ……あ……」
呪いの武器ばかりに、気を取られすぎたな。
自慢の炎だけで俺の黒魔法を完封したつもりだろうが、俺にも必殺技がある。
ただし、完成まで集中力と時間は必要だからな。奴の詠唱時間を、俺もそのまま利用させてもらった。
作戦通り、浄炎の竜巻で炸裂させた『虚砲』は見事に大穴を開けてくれたが……この感じだと、そのまま貫通して本人に命中させられただろう。
まぁ、上手くいったのなら、何でもいいか。
「馬鹿な……こ、こんな……」
呪いの刃は、すでに袈裟懸けにリューリックの体を通り過ぎている。
綺麗に裂かれた白銀の装甲からドっと噴き出す鮮血を、信じられないというような目で見ながら、ガクリと膝が崩れ落ちると————渦巻く浄炎の竜巻も、発射寸前まで完成していた青いメテオも、輝く粒子と化して一気に消え去っていった。
「あ、ああ……神、よ……お許し、ください……」
仰向けに倒れたリューリックは、胴から怒涛のように血肉を零した血の海に沈みながら、天に向かって手を伸ばす。
その手は、お迎えの天使でも招いているのか。
「すまない……リュート……」
いいや、最後は神に祈るでもなく、天使の幻を見るでもなく、彼にとっての大切な誰かの名前を呟いていた。
「うぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」
リューリックが死に、静寂が戻ったはずの広間に、獣のような咆哮が轟く。
見れば、右腕を失ったガシュレーが、ブースト全開で俺に向かって突っ込んできた。
最後の悪あがき、といったところか。
「クソがっ、リューリックの仇だ、死ねやぁ!!」
「————『黒凪』」
左腕を振り上げ、真っ直ぐ突っ込んでくるガシュレーを、そのまま真っ向から斬り捨てる。
『首断』という、鎧ごとぶった切る切れ味を誇る大鉈があれば、コイツの拳も脅威にはなりえない。
横薙ぎの黒き一閃は、易々とガシュレーの体を両断し————いや、手ごたえがなさすぎる。
「幻影か」
上下で真っ二つになったガシュレーの体からは、一滴の血が零れることもなく、そのままボヤけるように歪みながら、文字通り幻となって消え去っていった。
「……逃げたのか」
顔の癖に臆病者め、と言うべきではないか。ここまで仲間をやられたのだから、逃げに徹するのは生き残るための最善の判断。
見れば、入口の方には俺が張った黒壁も、奴らが張っていた結界も消え去り、黄金で彩られた通路が奥まで続いている。
どうせこの第五階層も広大なエリアになっているのだろう。あの鎧の移動速度で逃げ回られたら、探し出して追いつける気はしないな。
どの道、これでシルヴァリアンの本命チームは壊滅し、生き残りは手負いのガシュレーだけ。ここぞというタイミングでの不意打ちにさえ気を付ければ、放っておいても大丈夫だろう。
「……クロノ様?」
「嘘……勝った、の?」
入口の方を見ていたら、そこからヒョコっとレキとウルスラが顔を出す。
良かった、二人とも無事でいるな。
「ああ、なんとか、コイツのお陰でな」
誇るように『絶怨鉈「首断」』を掲げると、二人は飛び出し、俺へと駆け寄ってきた。
「————ふぅ、ようやく回復したぞ」
今度こそ邪魔が入ることなく、俺はなんとか体力と魔力を十全に回復できるだけの休息がとれた。
おおよそ一晩、ぐっすり眠った。あまり気分は良くないが、20体分の死体が転がる、この大広間で寝たさ。
いやだって、下手に他のところに行ったらモンスターとエンカウントしそうだし。
「なんとかシルヴァリアンの奴らは倒せたが、第五階層の攻略はここからが本番だ」
「イエス! レキ、頑張るデス!」
「もう、あんな無様は晒さないの」
さっきの戦いでは出番がなかったのを、2人は随分と気にしている。
あの状況では仕方のないことだと思うし、俺も自分の行動に後悔はない。俺だって、ただ『首断』がいたから、何とかなっただけのこと。
ともかく、折角、俺の本来の武器であろう呪いの武器が使えることが分かったのだから、これからはしっかりと活用していこう。
「それじゃあ、行くか」
「ゴー!」
「ザナドゥの遺産はもう目の前なの」
そうして、俺達は第五階層『黄金宮』の攻略へと踏み出した。
当然のことながら、ここには第四階層よりもさらに強力なモンスターが出現する。野生のモンスターが中心だった第四階層とは違い、ここでは第三階層でメインとなる、ゴーレムのような奴らが多く出現するそうだ。
恐らくは、ダンジョン内の環境に適応したモンスターの生態系ができているのではなく、単に古代遺跡の機能として様々なモンスターを召喚しているのだろう。
「……あの金色の戦士像、絶対動くだろ」
「今レキのこと見てた気がするデス!」
「先にドレイン浴びせたら行ける気がするの」
通路の先に出た部屋には、調度品のように両脇にズラっと並んだ黄金の像が立ち並んでいた。
右側には筋骨隆々で軽鎧を纏い大剣を背負った男の戦士達が。左側には、槍と丸盾を装備した、ワルキューレみたいな鎧の女騎士が。
第五階層に挑むのはランク5冒険者パーティだけなので、モンスター情報だけでも彼らだけで秘匿されている傾向が強い。あまり詳しいモンスター情報は手に入らなかったが、それでも戦士像と女騎士像が動いて襲ってくるだろう予想は簡単にできる。
ゴーレム系というのは、こういうタイプの奴らも含んでいるのだろう。
「ウルスラ、どうだ?」
「うーん……これは何の変化も感じられないの」
念のために、手近な戦士像にアナスタシアでタッチしてみたが、何の効果も見られない。
攻撃判定を受けて、像が動き出す、みたいなこともない。
「俺達が部屋に踏み込むまでは、ただの石像状態で攻撃は通じないとか、そういうギミックかもな」
仕方がない、と意を決して俺達は部屋へと飛び込む。
俺は早速『首断』を片手に、レキも両手に武器を構え、互いに左右を警戒しながら、部屋の中を進んでいくと……
「スルーできたデス」
「何もなかったの」
ついに像が動き出して襲ってくることはなく、俺達は無事に部屋を通り抜けることに成功していた。
「いや待て、こういうのは、像は囮で本命が出てくるとか、罠が発動するとか、そんなパターンに決まってる。気を抜くな」
見た目通りの展開にならないとは、さらに厄介である。流石は最難関の第五階層、悪辣な仕掛けが施されているぜ。
だが、今の俺には頼れる相棒がいる。どっからでもかかって来い!
「……何も出てこないな」
「ここホントにモンスターいるんデスか?」
「もう2時間は歩いてるだけなの」
そう、勇んで攻略を始めたものの、俺達の前には一体のモンスターも現れなかった。
道中、あの像が並ぶような部屋は幾つもあったし、さらに巨大な竜や巨人の像が飾られた広間もあったが、どいつもこいつもピクリとも動かない。
神経をとがらせ、警戒して進んでいるというのに、罠の一つも作動しない。
ここは本当に、ただ金ピカなだけの迷宮だ。
「これも油断を誘う仕掛けなのか。それとも、本当に何もないのか……」
そんな疑心暗鬼を抱えたまま、ただの一体もモンスターが現れることなく、俺達はひたすら黄金の通路を進んで行く。
さらに2時間ほどかけて歩き続けたその先で、ついにゴールが見えた。
「クロノ様、アレって!」
「あの大きな赤い門は、間違いないの」
「宝物庫のボス部屋か」
円柱が立ち並ぶ壮麗な直線通路の先に、真紅に彩られた巨大な門が見えてくる。
その赤い門は、冒険王ザナドゥが幾度となく語った、伝説の宝物庫へと続く最後のボス部屋として非常に有名だ。
ついに一体のモンスターも姿を現さなかったが、流石にあの門の向こうには、100年前にザナドゥが討ち倒した、大迷宮のラスボスがいるのだろう。
門は固く閉ざされており、突破した者はまだ誰もいないことを示している。
つまり、俺達が最初にここまでたどり着いたということか。
だが、俺の本来の目的は遺産を手に入れることではない。
シルヴァリアンはすでに倒してきた。
残るは、最強にして最悪の敵……第七使徒サリエルだけだ。
だからこそ、なのだろうか。
俺にとってのラスボスは、そこにいた。
「————クロノ」
赤い門の前まで辿り着くなり、俺は名前を呼ばれた。
巨大な真紅の門を背に、真正面に立つのは、リリィ。
ルルゥのような人間サイズの妖精だが、少女ではなくかなり幼い姿をしている。
オルエンに見せてもらった画像だけで、実際にその姿を見るのは初めてとなる。こうして自分の目で見ると、なるほど、確かにこれは魅了をされかねないほどの可愛らしさだな。
何が嬉しいのか、リリィは真っ直ぐに俺を見つめて、満面の笑みを浮かべていた。
「クロノさん」
もう一人、俺の名を呼ぶのは、青い髪の魔女。
確か、フィオナと言ったか。
何を考えているのか分からない、茫洋とした表情。そのミステリアスな美貌に見つめられても、今は警戒心しか湧かない。
恰好からして、ランク5級の実力を持つ魔術師なのだろうが……俺が最も警戒しなければならないのは、他にいる。
「……サリエル」
リリィとフィオナが立つ、その後ろ。静かに佇んでいるのは、修道服を身に纏った純白の少女。
俺が知る限り、この異世界で最強の存在。最も恐るべき敵。
第七使徒サリエル。
彼女は俺のことなど眼中にないかのように、ただ俯き、その真紅の瞳は床を見つめているだけだった。
「酷いじゃない、最初に呼ぶのがサリエルなんて」
その冷徹な声音が響いた瞬間、背筋が凍り付く。
注意の全てをサリエルに払っていたが、強引に振り向かされたかのような気分だ。
「っ! なんだ、この魔力は……」
視線を向けた時には、すでに変化は起こっていた。
リリィは身に纏う妖精結界の内で、その姿を変えていた。
無邪気に笑っていた幼女の姿が嘘だったかのように、手足が伸び、美しく成長した少女へと変貌を遂げる。
「でも、忘れているのなら、仕方がないわ。私が思い出させてあげる」
俺を見つめて、微笑みを浮かべる妖精少女リリィ。
真の魅力を発揮しているのだろう、凄まじい美貌だが……俺は彼女から発せられる圧倒的な魔力に生きた心地がしない。
コイツも化け物だ。
だが、何故だろう。俺が心の底から震え上がるような恐怖心が湧き上がってくるのは、ただその膨大な魔力の気配のせいだけではない気がする。
なんだ。俺は、何を恐れている……
「ねぇ、クロノ、貴方が一番愛しているのは、誰なのかを、ね」