第763話 深淵の内
カーラマーラの地上では、略奪や暴動といった小競り合いから、本格的な戦闘まで、多種多様な争いが同時多発的に発生し、混乱の坩堝に叩き込まれていた。
そんな混沌とした街で、大通りのど真ん中を堂々と進んで行く一団がいる。
「参ったわ、見慣れたはずの街並みも、灯りがなければダンジョンも同然ね」
灯火の魔法を焚きながら、暗闇に包まれた夜の街を進む集団の先頭を行くのは、シルヴァリアン・ファミリアの女首領、アンナマリー・シルヴァリアンその人である。
普段のスーツやドレスではなく、純白の法衣に身を包んだ姿は高位の神官のようで————いいや、正確には、十字教の司教というのが、アンナマリーが持つ本当の肩書であった。
「おい、お前ら、そこで止まりな」
「随分といい鎧着てるじゃあねーのぉ」
不意に路地裏からゾロゾロと現れたのは、如何にもチンピラかゴロツキといった連中であった。
種々の魔法具と大魔法具の杖を装備したアンナマリーに、白銀の鎧兜で完全武装した騎士達。装備の差は歴然。
しかし、相手の数はこちらの三倍を優に超えている。
この混乱に乗じて、徒党を組んで略奪や強盗をして街を荒らしまわっている即席の盗賊団だ。数に任せれば、この豪華な装備に身を包んだ集団も行けるだろうと踏んだのだろう。
「昔を思い出すわね。私も少女だった頃は、よく第二階層でゴブリンの群れに襲われたものよ」
そんなことを語りながら、アンナマリーがサっと手を上げると、引き連れている騎士達は瞬時に剣を抜き、その場で振るう。
彼らの持つ刃は、炎や雷などの属性を纏い、軽く一振りするだけでも下級程度の攻撃魔法を飛ばす。粗末な装備の盗賊連中を殺すには、十分すぎる威力である。
「ヤベェ、コイツら強っ———」
「くそっ、なんでこんな奴らが地上に残ってんだよぉ!」
魔剣から次々と繰り出される攻撃魔法の嵐によって、あっけなく盗賊どもは壊走した。
彼らとしても、本物の実力者ならザナドゥの遺産目指して大迷宮攻略に乗り出している、という目算もあったのだろうが……アンナマリーが率いる部下達は、全員が『トバルカイン聖堂騎士団』の聖堂騎士。
十字軍から提供された機甲鎧こそ装備していないが、今の彼らが身に纏っている白銀の鎧兜に各種の魔剣は、本来の装備である。一流の実力に一流の装備、そして『聖痕』という神の加護を授かる最精鋭。
彼らの目的は、敵対する勢力の暗殺だ。
ザナドゥの遺産放送があった当日に、リューリックは大迷宮攻略へ、アンナマリーは地上での暗殺作戦を実行していた。
当初は『カオスレギオン』を最初に狙う予定だったが、モノリスの機能を利用し、アングロサウスを除く外周区全てのライフラインを停止させられたせいで、大きく情勢も予定も変わってしまった。
街からは光が消え、水も途絶えたことで混乱は加速。暗闇に乗じて、先ほどの盗賊のような奴らも続出し、大手以外のギャングも暴走しだした。
お陰で、シルヴァリアンの縄張りたるウエストサイド地区を鎮めるだけで今日までかかってしまった。アンナマリーも聖堂騎士を率いて随分と駆けずり回ったものだ。
だが、ようやく本命の一つでもある『極狼会』へと仕掛ける時が来た。
ライフラインが生きており、ボスであるジョセフが陣頭指揮に立ち、固い防衛線を構築したアングロサウスは、最初に狙うにはリスクが大きい。
一方の極狼会は、これといって目立った動きはなく、静かなものだ。縄張りのイーストウッドの平定で手一杯といった様子。どう見ても、現在の状況に対応しきれていない。
故に、狙い目であった。
「あのおぞましい獣狂いを、ようやく消せるわね」
極狼会のボス、アンドレイ・リベルタスは人間の男だ。
だが、息子のオルエンは、狼の耳と尻尾を持つ半獣人。
つまり、母親が純粋な狼獣人ということ。
敬虔な十字教徒であるアンナマリーからすると、犬を孕ませるが如き畜生の所業である。悪魔そのもののジョセフほどではないが、嫌悪感は半端ではない。
「司教様、周囲に敵影はナシ。情報通りです」
偵察報告を受けたアンナマリー、彼女の見つめる先には、灯りの消えた建物がある。
『ハウス・オブ・ザ・ラビット』という、何の変哲もない孤児院だ。
しかし、ここがアンドレイの屋敷から秘密の脱出路が繋がっている場所である。
現在、屋敷の前でシルヴァリアンの組員達が陽動としてつつき始めている。
その混乱に乗じて、ここから逆に乗り込むも良し、アンドレイが逃げ出してくればそのまま討つも良し。
無事に孤児院までやって来た時点で、アンドレイの退路を断つことに成功している。
「それでは、行きましょうか。孤児院にはちゃんと火を放ちなさい。ここは獣臭くて敵わないわ」
「仰る通りで。たとえ子供といえど、獣人などという人モドキは駆除しなければなりませんから」
「ええ、カーラマーラを取り戻した暁には、穢れた魔族共はすぐにでも一掃してやるわよ」
どれだけ、このカーラマーラに魔族が跳梁跋扈するのに耐えてきたと思っている。
ここは聖なる信仰の地。そもそもパンドラ大陸全ては、白き神の威光に照らされた聖地にして楽園。
邪悪な魔族を根絶やしにし、再び神の国を建設する————それが、魔王ミアが大陸を支配した時からの、パンドラに潜む十字教徒の悲願である。
古代から現代にまで受け継がれる、その聖なる宿願を果たす。その第一歩を踏み出す気持ちで、アンナマリーは孤児院へと入る。
両開きの正面扉は、鍵すらかけられておらず、易々と開け放たれる。
うす暗い玄関へと、警戒態勢を取りながら踏み込んでいった————次の瞬間だった。
「えっ」
そこは、完全なる闇だった。
まるで奈落の底へと落ちて行ったかのように、一切の光が届かぬ深い闇に包み込まれている。
この僅か一歩を踏み出す寸前までは、薄暗いとはいえ灯火に照らされ確かに視界は確保できていた。だが、アンナマリーの目に映るのは黒一色。
「『閃光』! 『解呪』!」
闇に捕らわれた混乱を瞬時に収め、アンナマリーは杖を振るう。
光源を確保するための『閃光』。
それから、自分の視覚を何らかの魔法で封じられている可能性も考慮し、『解呪』を発動させる。
前者は発動に成功。暗き闇の中に、一筋の光が差し込む。
後者の方は不発。この身には何ら状態異常はかかっていないことを示してくれる。
「司教様」
「全員、いるわね」
はっ、と短く答える聖堂騎士。
闇の中で放った閃光の輝きが、朧気ながらも騎士たちの姿を浮かび上がらせた。
彼らもすでに魔剣を抜き放ち、全方位に対して警戒できる円陣を組んでいる。
「司教様、この暗闇は尋常ではありません。凄まじい邪気を感じてなりません」
「分かっているわ。総員、『聖痕』を解放しなさい————」
「————無駄だよ」
それは、どこか冷めたような子供の声だった。
不思議なほどに暗闇に反響してゆく声が聞こえると同時に、アンナマリー達は気づく。
「そんな、何故、『聖痕』が発動しない!?」
「それは、ここが白き神の加護から最も遠い場所だからだよ」
叫ぶようなアンナマリーに、子供の声の返答。
「そこにいるのは誰!」
杖に魔力を込めながら、前方に向けて構える。
果たして、そこから声の主は現れた。
「良かったよ、ここへ来たのが、君たちで」
闇の中、閃光に照らされて見えた姿は、ただの子供。
黒髪赤眼の幼い容貌。着ているのは色あせたシャツに擦り切れたズボン。この孤児院で世話をされている、孤児の一人としか思えない出で立ちだ。
だが、その口から発する言葉、その小さな身に纏う気配が、ただの子供がここへ迷い込んだのではないことを証明している。
これは、子供の皮を被っただけの、恐ろしい何かだ。
「白き神の加護を授かった、天使モドキだからこそ、僕も手を下せる」
刹那、その子供から迸るのは圧倒的な魔力。いいや、魔力という力さえ超えているかのような、重く巨大な波動を感じる。
「ぐっ、な、なんだと言うの……こんな、子供が……」
体が動かない。声さえもまともに発せられない。
目の前に立つ小さな子供は、あまりにも強大な存在に過ぎる。
それこそ、『聖痕』を授かった時に白き神の偉大なる意思を感じたような————正にそれは、神の気配だ。
「ま、まさか……これが、魔王……」
「天国へは行かせない。神の呪縛に囚われた哀れな魂よ、あるべき世界へと還れ」
静かに掲げたその子供の手には、黒い球。
スライムのような感触をする子供の玩具として、クロノが与えた黒魔法のボール。
その黒色魔力の塊が、手のひらの上で縮み、圧縮、圧縮、圧縮……
「滅せぬもののあるべきか————虚砲」
ヴゥン、と不思議な音を立てて弾けるように解放された黒球は、ペンで引かれた直線のような黒いラインとなって飛び出す。
その数、13本。
アンナマリー含む、聖堂騎士と同じ本数。
放たれた闇よりも濃い漆黒のラインは、中空を縦横に駆け抜け————それぞれの胸元、心臓を貫いた。
「————がっ!?」
声が詰まったような、短い叫び声が上がるのも一瞬のこと。
一体、何が起こったのか分からない。
そんな表情と気持ちのまま、13人の神の僕は倒れた。
「目覚めの時は近い。僕もそろそろ、行くとしよう」
そんなつぶやきと共に、無限に広がる闇の空間が収縮を始める。
暗闇の中でもなお昏く渦巻く漆黒の奔流は、その小さな子供に向かって集約されてゆき……ついには、全ての闇をその身に纏う。
再び、孤児院の広くもない玄関口へと空間は戻る。
そこに立つ子供の姿は、もうシャツとズボンの粗末な孤児の恰好ではなくなっている。
皴一つない滑らかな漆黒の衣装は、輝ける金糸と白金の勲章によって彩られている。
そして、その壮麗な衣装の上に翻るのが、闇の空間が具現化した巨大なマント。
「ごめんね、黒乃真央。半分、騙すような形にはなってしまってけれど……『カーラマーラ』は、どうしてもここで止めなければいけない」
それだけ言い残し、子供は————現世に具現化していた古の魔王ミア・エルロードは、そのまま夜闇に溶けるように、消えていった。
まるで、全ては幻だったかのように。
だがしかし、哀れな子供の住処へと土足で上がり込んできた不届き者の死体は13人分、確かにそこに残されている。
ぽっかりと胸に穴が開き、心臓だけが消滅させられた、綺麗な死体が。
故に、死体漁りのハイエナは現れた。
「確か正面から侵入者がいたような気が————あっ、いた! っていうかもう死んでる!?」
ラッキー! と叫びながら、嬉々として死体が転がる玄関に駆け寄ってくるのは、この暗い街中でもアホみたいに目立つ、全身ショッキングピンクの女。
「ピンクアロー参上!」
死体しかないが、決めポーズをとって名乗りを上げる。
意味がない、ワケでもない。これで攻撃が飛んでこなければ、周囲には誰も潜んでいないと証明できる。
待ち伏せの釣り餌ではなさそう。どうやら、本当にこの見るからに豪華な装備をした集団は、ここであっけなく死んだようだ。
「ふふーん、クロノ君に恩を売るために、大事にしているお子様達を守るために潜んでいた甲斐があったわね!」
ザナドゥの遺産放送で、ピンクはイチもニもなく大迷宮へと駆けだしたが、第一階層のゾンビ大パニックの状態を見て速攻で踵を返してきた。
この切り替えの早さと生存本能こそが、ピンクがここまで生き残ってきた秘訣でもある。
「この遺産レース、私は『エレメントマスター』に全賭けしてるの」
それが大迷宮から戻ったピンクの結論であった。
彼らならば、過酷な大迷宮を制して、ザナドゥの遺産を手にすることができるだろう。
そしてカーラマーラで成り上がった暁には、自分は彼の大切な子供たちを暴徒の手から守り切った正義のヒーロー、ピンクアローとして恩をぼったくり価格で売りつけに行くのだ。
甘く優しい、パラサイト大歓迎かと思うほど隙だらけのクロノなら、必ずや悪いようにはしない。
ただし、調子に乗りすぎると最凶の妖精少女に心を読まれて処されてしまうので、たかるギリギリの見極めも重要だ。そういうの、ピンクは得意だった。
「うふふ、誰が始末してくれたのかは知らないけれど、こんなに良さげな獲物が落ちてるなんて。今の私、ツキが向いてきているわ!」
ランラン気分で、やけに綺麗に殺されている死体を検分。
ピンクはまず、集団のリーダーと思しき、白い法衣の女へと近づき、その顔を見る。
「えっ、ちょっと待って、この女ってもしかして……シルヴァリアンのアンナマリーじゃないの!?」
黒仮面アッシュ暗殺、の依頼を受けるまでは、シルヴァリアンの縄張りであるウエストサイドで活動していたピンクである。当然、そこを仕切る冷徹な女ボスの顔と名前は有名だ。
たまたま視察に来ていたのか、通りをいかつい護衛に囲まれ歩いていた姿を見たこともあるので、間違いはない。ピンクは人の顔は一度見たら忘れないタイプなのだ。
「こ、この女の首を持っていけば……ゴクリ」
懸賞金の額は、あの『子殺し』や『錆付き』と比べても、桁違いに跳ね上がるだろう。
そして、今のこの状況なら、混乱に乗じたとして、ピンクがいきなり首を持ってきてもそう怪しまれることもない。
「来てる、確実に、私史上最高のツキが向いて来ているわっ!!」
うおー、と雄たけびをあげるような勢いで、ピンクは全身全霊のハイエナを始めるのだった。
途中、死体漁りのピンクの姿を子供たちが目撃し、大騒ぎになったりするが……それはまた別のお話である。