第759話 第四階層・結晶窟攻略(4)
「はぁ……はぁ……」
最早、隠すこともできないほどの荒い吐息が重なる。
滴る汗は滝のようで、気を抜けばそのまま膝を屈してしまいそうな疲労感に包まれている。
だが、それは相手も同じだ。
俺とルルゥが小細工ナシの正面対決を初めて、どれほど経っただろう。魔力の限りを尽くして戦い、お互いかなり消耗している。
辛うじて『黒館』を維持しているものの、すでにいつ崩れ去ってもおかしくないほど魔力は消費されている。しかし、そんな薄い壁を一息で破るほどのパワーも、ルルゥにはもう出せないだろう。
「や、やるじゃねぇか……ルルゥを、ここまで追い詰めるとはなぁ……」
最初は全てを照らし出すほど強烈な輝きを発していた妖精結界も、今やチカチカと切れる寸前の電球のように頼りない光り方。
言葉の通り、ルルゥはそれほどまでに追い詰められている。
しかし、そこに焦りや苛立ちといった悪感情は見えない。息も絶え絶えだが、顔だけは不敵に笑って俺を睨み続けている。
「俺もここまで消耗したのは、目覚めて以来は初めてか」
自分でも明確に魔力の限界が見えてきた。これほどの消耗ぶりは、人体実験時代にまで遡らなければないだろう。
「おい、名乗りな、仮面野郎」
「なんだよ、急に」
「テメーの名前は、憶えておいてやろうってんだ。殺っちまってからじゃ、聞けねぇからな」
そこまで言うなら生死を賭けない方向性で……とは、わざわざ言い返すほどの気力もなかった。
「アッシュだ」
「そいつは偽名だろが。舐めんなよ、分からねーと思ったか」
テレパシーってのは、そこまで分かるものなのか。
けど、別にいいか。今更、意地でも隠し通すほどの理由はない。
「クロノだ」
黒乃真央、と本名で言ったら、何故か『黒の魔王』としか聞こえないことが判明している。だから、面倒がないよう『クロノ』で済ませている。
「そうか、憶えた……じゃあ、クロノ、お前は強かった。誇って死ね」
「来いよ、不良妖精。鉄拳制裁で更生させてやる」
「ははっ、言ってろよぉ!!」
最後の力を振り絞るように、眩い輝きと共にルルゥが急接近。スケートで滑るような挙動で、真っ直ぐに迫り来る。
「『魔弾・剛弾』」
お喋りの最中に、何とか装填を完了させておいた『剛弾』をぶっ放す。奴の妖精結界は弱ってきたとはいえ、まだ通常弾頭を通すほど甘くはない。
「今更ぁ、そんなもんで!」
翡翠の剣閃が瞬く。
『流星剣』の一振りで、弾丸は全て蒸発させられる。
そして、再び光の剣が翻る時には、そこはもう俺の体に届く間合いへと踏み込んでいる。
「お前は特別だ、クロノ。見せてやるよ、妖精女王から賜った、ルルゥの必殺技————」
両手を掲げ、頭上に振り上がった『流星剣』は、さらに輝きを倍加、いや、それ以上の光を放ちながら刀身が増大する。
莫大な魔力量が集束されてゆき、エメラルドの輝きはスカイブルーへと色を変えてゆく。
瞬く間に巨大な蒼白の刀身と化した光の剣は、ついに俺へと振り下ろされる。
「————『流星剣・ベテルギウス』っ!!」
頼む、耐えてくれ。
一心に祈りながら、俺は両手に携えた黒化大剣でもって、ルルゥの必殺剣ベテルギウスを受ける。
この戦闘では使わず、温存していた二本の黒化大剣は、刀身に宿る黒色魔力は最大量だ。
それを二本で交差するように受け止めたのだが、伊達に必殺技と叫ぶだけある。凄まじい威力と光の熱量によって、盛大な火花と共に大剣の黒色魔力は加速度的に散ってゆき、ついには、ジリジリと刀身そのものが溶け始めた。
これまで、どんなに乱暴に扱っても刃こぼれ一つしなかった黒化大剣。その耐久限界を遥かに上回る驚異的な威力を伴って、必殺の蒼き光剣が俺の頭の上で輝く。
耐えきれない。
確実に、このまま押し切られる————だが、今すぐじゃない。数秒でももてば十分だ。
「『黒館』解除————『蛇王禁縛』」
ルルゥはこの一撃に賭けている。勝負を決する最後の一撃だ。
ならば、もう『黒館』を展開させておく必要はない。俺としても、この一合で勝負を決めるつもりだからだ。
いくら崩壊寸前といえど、25メートル四方×5メートルもの範囲を覆うだけの黒色魔力量があれば、『蛇王禁縛』を即時発動するには十分。
瞬時に壁は崩れ去り、瓦礫はそのままひも状に解れてゆけば、すぐにまた寄り集まり、固く編み込まれて敵へ食らいつく巨大な蛇の頭へと姿を変える。
このスムーズな変換も、日々の練習の賜物だ。
一瞬の内に形成された九つの大蛇は、俺ごと押し潰さんばかりの迫力で一斉にルルゥへと迫る。
「チイッ、邪魔くせぇーんだよぉおおおおお!!」
叫びながら、ルルゥはベテルギウスを一閃。
大きく横薙ぎ、いや、完全に一回転して放った大回転斬りは————見事に『蛇王禁縛』の全てを一息に両断しきった。
まさかコレが一撃で破られるとは。魔手系で最大の黒魔法が、こうもあっさり切り払われる様子は少々ショックではあるが、役目だけは十分に果たしてくれた。
ボディががら空きだぜ。
「パイルバンカー」
最後の魔力を振り絞って、繰り出すは右拳。
大剣は刀身の半ばまで溶断されており、そのまま叩きつけても折れて十全に威力は発揮しない。だから、早々に手放している。
ルルゥは迫る『蛇王禁縛』にベテルギウスを向けたせいで、僅かな間ではあるが、確かに俺の目の前で隙を晒す形になった。
そして、発動最速の黒魔法パイルバンカーなら、叩き込むのはその一瞬の隙で十分だ。
渦巻く黒色魔力を宿した右腕が、弾丸のように繰り出され、ルルゥを守る『妖精結界』に突き刺さる。
バリィイイイイイイイイイイイインッ!!
ガラスが割れるような甲高い音を立てて、ついに光の結界は砕け散る。
絶対的な防御を誇る『妖精結界』は失われ、あとは無防備なルルゥの裸身が晒される。
「残念だったな。お前の拳は、届かねぇ」
目の前で止まった拳を見て、嘲笑うルルゥ。
そう、パイルバンカーは『妖精結界』を砕いたところで止まった。拳に宿る黒色魔力はゼロ。
パイルバンカーという黒魔法は、すでにその効果を終えている。
「言っただろ、鉄拳制裁だ————オラァ!!」
そして、俺は左の拳を繰り出した。
魔力はない。そもそも必要ない。
俺にはこんなにも、鍛えられた筋骨隆々のデカい体があるんだぞ。パンチするのに、何を困ることがある。
「なっ————」
筋力100%のベアナックルによる打撃。
存在そのものが魔法に近い妖精には、自らの力だけで殴るという原始的な攻撃はそんなにも想定外だったか。
爪や牙で襲い来る野生のモンスターではない、ただの人間だって、いざとなれば自分の肉体を使う。黒魔法使いだって、魔力が尽きたら拳を振るうさ。
そう、人間、最後に頼れるのは筋肉だ。
「俺の勝ちだ、ルルゥ。これに懲りたら、もう安易に喧嘩を売るのはやめるんだな」
とは言え、もう彼女の耳には聞こえていないだろうが。
妖精結界を失い、生身の肉体のみとなったルルゥは、俺の左拳をその細い顎に受けた。顔面にはほとんど衝撃はない。優しく、かすめるように打ったのは、俺がそう狙ったからだ。
魔法生物の妖精とはいえ、肉体は確かに存在している。だから、脳もある。
顎に鋭い打撃を受ければ、頭部が揺れて脳震盪を起こして気絶だって起こせるのだ。
「はぁ……上手くいって良かった……」
ルルゥは俺を殺す気でいたようだが、俺には殺すつもりはなかった。最初から、彼女は無力化させて止めようと決めていた。
そりゃあ、確かにルルゥは盗賊団だし、賞金首だし、カーラマーラにおいては許されざる犯罪者であることに変わりはない。本気で俺の命を狙った敵対者でもある。
だがしかし、彼女は子供だ。
妖精族に年齢は関係ないというが、ルルゥは実年齢13歳らしい。少なくとも、ギルドの賞金首の情報にはそう記載されている。
相手が子供だと思えば、殺せない。殺したくはない。
事情はあれど、ヒーローも自称しているところだしな。
「しかし、ちょっと無理をし過ぎたか」
お前この後のダンジョン攻略どうすんだよ、ってくらい魔力を消耗してしまった。
ルルゥは流石に最高額の賞金をかけられるだけあって、途轍もない強さだった。そんな奴を相手に気絶狙いの縛りプレイだからな……下手すれば普通に死んでた。
今更ながら、自分の無茶ぶりに後悔の念が湧いてくる。
「————それで、お前はどうする。ボスの敵討ちでもするか?」
一息つく暇もなく、俺の前に、いや、正確に言えば、気絶して倒れたルルゥを守るように、仲間の鎧女が現れた。
離れた場所でレキとウルスラと睨み合っていたはずだが、ボスがやられたせいか、凄まじい速さでここまで駆けてきた。
「いいえ、私に戦う気はありません。このまま、退かせていただければ幸いです」
そっとルルゥを抱き上げながら、俺を警戒しつつ鎧女は言う。
「止める気はない、行けよ」
「ありがとうございます。お嬢様の命を奪わないばかりか、傷もつけずに止めていただいた腕前に、感謝と称賛を」
「ただのラッキーヒットだ」
「ご謙遜を」
言いつつ、鎧女は一歩下がる。
見逃す、より他はない。
コイツも戦えば普通に強いのは間違いない。魔力枯渇でぶっ倒れそうなくらい消耗しきった状態で、戦いたい相手じゃないからな。万全のレキとウルスラがいるから、負けることはないにしても、負傷は避けられないだろうし。
「先をお急ぎでしょう。こちらは、感謝の気持ちと、迷惑料とでも思っていただければ」
と、鎧女はソフトボールサイズの赤い結晶をその場に置いた。
「第5階層へ入る転移魔法陣は、このコアで起動できます」
「ああ、そうか、あのサソリのボスの」
俺とルルゥが戦っていた間、剥ぎ取りしていたのか。
第5階層への入り方は、事前に調べたというか、有名だから知っている。
第4階層までは地続きの大迷宮だが、第5階層だけは転移で飛ばなければ入ることはできない。だから、本当に第5階層が地下にあるのか、実は全く別の場所に存在しているのでは、などという説もある。
ともかく、第5階層へ転移する魔法陣を動かすのには、ボスの体内にある魔力核、通称コアを使用する以外に方法はない。
だから、第5階層へ挑むには、毎回必ず第4階層のボスを倒していかなければならない。
「それでは、またいつの日か、お嬢様のお相手をしていただければ」
「もう絶対に御免だな、こんな不良娘の相手は」
そうして、鎧女は大事そうにルルゥを抱えて去っていった。
「クロノ様ぁー!」
「ヴィクトリー!!」
二人の姿が消えたことで、ようやく警戒態勢を解いて、レキとウルスラの二人が駆け寄ってくる。
「大丈夫、なの?」
「クロノ様、ボロボロになってるデスよ」
酷い有様になっている自覚はある。
ルルゥとの激戦の中で、仮面なんてとっくに砕け散ってなくなったし、上着もシャツも焼失した。
辛うじてズボンは膝から下を失う程度で済んでいるので、人としての尊厳はギリギリで守られた格好ではある。
だが、体中血と汗に塗れ、火傷の痕が目立つ上半身裸の男など、とても街中を歩ける恰好ではないし、ダンジョンを進む姿でもない。
「とりあえず、少し休みたいが……そうノンビリもしていられそうもないな」
隠すこともない、大きな魔力の気配が漂ってくる。
キシキシキシキ————
そんな鳴き声を上げながら、周囲からサソリ型のモンスターが顔と凶悪な尻尾を出している。
あのボスサソリの子供なのか。二回りは小さく見えるが、代わりに数がそこそこいる。
「コアはもうある。さっさと第5階層に進もう」
「了解」
「イエーッス、シンガリーは任せるデース!」
そうして、ゆっくり休む暇もなく、俺たちは慌ただしく第5階層へと向かった。
ルルゥとの激闘を制し、子サソリに追われながら水晶柱が立ち並ぶ空間の奥まで駆けて行けば、白い石畳と石柱とで形作られた祭壇のようなものがあった。
まず間違いなくこれが転移魔法陣だろうと、碌に確認することもなく、そのまま手にしていたコアを掲げながら三人で祭壇に描かれた魔法陣へと駆け込む。
無事に魔法陣は機能し、すぐ目の前までサソリの群れが迫っていたが————そこで真っ白い光に包み込まれ、転移が発動した。
そうして、ついに俺たちは第5階層に到達する。
「————しかし、これはまた目に眩しい場所だな」
そのギラついた輝きに、思わず目を細めてしまう。
右を見ても、左を見ても、視界に入ってくるのは、眩い黄金の輝きである。
第5階層『黄金宮』。
話には聞いていたが、本当に純金で出来ているかのような建造物だ。
ここは大きなエントランスホールのような円形の空間になっている。転移でやって来たが、背後にはそこが正式な入口なのか、大きな両開きの門がある。
足元には赤い絨毯が敷かれ、遥か高くの頭上にはシャンデリア染みた大きく派手な照明器具がぶら下がっている。
黄金宮という名の通り、宮殿に相応しい華美な装飾が壁面から天井まで、随所に見られる。円形のホールの外周には、鎧兜を纏った逞しい男や薄いヴェールを纏った女など、高さ5メートルほどの黄金像なんかも設置してある。
実は全部ゴーレムで、襲ってきたりしないよな?
「大丈夫、転移先はセーフエリアになってるの」
「ダンジョンのお約束デース」
そんなに俺が警戒した視線を黄金像共に向けていただろうか。レキとウルスラからそんなフォローが入る。
「多少危険があっても、無理にでも休まないとこれ以上はもたないからな」
黄金像がゴーレムと化してが襲い掛かってくることもなく、他にモンスターが隠れ潜んでいる気配もないので、とりあえずポーションをガブ飲みして休息を、という時である。
ギギギギ————
音を立てて、扉が開かれる。
後ろにある大きな門、ではない。
それは俺たちがこれから進むべき、前方にある扉だ。
それが、開かれた。思わず目をそむけたくなるような、白銀の輝きと共に。
「おっとぉ、どんなライバルがご登場かと思えば、これはまた随分と酷い有様だねぇ。よっぽどボス戦に苦労したのかな?」
扉の向こうから現れたのは、白銀の鎧を身にまとった男だ。騎士、と言うより他はない立派な鎧だが、それを纏う男の口調は軽薄そのもの。
兜の代わりに王冠のようなものを乗っけているが、髪は長く、整えられた髭を生やした中年の優男。そんな鎧よりも、スーツの方が似合ってそうな顔である。
「転移の気配で戻りはしたものの……これはちょっと、手を出すのは可哀そうだよね」
「おい待て、油断するな、リューリック」
軽そうな男の後ろから、同じ鎧を身に着けた大男が続く。
中年優男とは違い、どこからどう見ても堅気ではない極悪な顔つき。ご丁寧に歴戦を思わせる傷跡まで走っている。
そんな強面男のさらに後ろから、やはり同じ鎧に、フェイスガードを下した兜を被った騎士達が続く。
ゾロゾロと、何人いるんだよ……
「その凶悪な面ぁ、間違いねぇ————クロノだな」
「……俺を知っているのか」
強面男は、確信をもって俺の名を呼んだ。
会ったことはない、少なくともカーラマーラでは。表向きはアッシュで通しているにも関わらず、俺をクロノと呼んだなら、以前の俺と面識があるに違いない。
「随分と腑抜けた面してやがる。前はもっと気迫ってのがあったもんだが……なるほどな、どうやらフリじゃなく、マジで記憶を失ってるってことかい」
面白くなさそうに、強面男が顔を歪める。
過去の俺がコイツと、どんな経緯で出会ったのかは知らないが、どうやら友好的ではない、というか、敵対関係だったとしか思えないな。
「ふーん、なるほど、君がクロノくんねぇ。俺には君とは何の因縁もないけれど、まぁ、黒仮面アッシュの方には落とし前ってのをつけてもらわないといけないなぁ」
「そうか、お前ら……シルヴァリアンか」
先頭に立つ優男が、どこか演技がかった笑みを浮かべる。
その後ろに、白銀の輝きを発する騎士、総勢20を従えて。
「そう、俺達はシルヴァリアン・ファミリアさ。そして君は、随分とウチに迷惑かけてくれたみたいだからね。ここで出会ったのも、神様の思し召しというヤツなのかな————」
奴がサっと手を掲げると、一糸乱れぬ動きで白銀の騎士達が俺へと腕を向ける。
分厚い装甲のガントレット。その手首のあたりには、銃口、としか思えない形状のものが覗いており、俄かに青白い光が灯る。
「————じゃあ、とりあえずここで死んでもらおうか」