第749話 第一階層・廃墟街攻略(1)
「……どうしよう」
「ウル、クロノ様が凄い不安そうな表情しているデス」
「流石に今回の戦いは、それくらい厳しいモノになるの。今はそっとしておくべき」
明らかに顔色が優れない俺をチラ見しながら、前を歩くレキとウルスラがヒソヒソ話をしている。
結局、エミリアには「勘違いだから」とは言えなかった。
言うべきだとは分かっている。昨日、俺があのライブ会場で語った言葉はエミリアへのプロポーズでは断じてなく、ただの慰めの台詞だったと。俺は君とは友達のつもりで、恋愛感情は一切ない、駆け落ちなんてとんでもない……など、あの顔を見て言えるはずがなかった。
勘違いや冗談では済まされない。不意打ちだったが熱烈にキスまでされて、もう引っ込みがつかないぞ。
「いや待て、ダメだ、落ち着け、このままでいいはずがない」
しかし、だからといって今すぐ踵を返してエミリアに真実を伝えに行くには手遅れだ。
すでにサリエルの『エレメントマスター』は大迷宮へ入っているし、シルヴァリアンや他の冒険者達もかなりの人数、攻略を開始している。
俺達は出遅れた部類に入るだろう。これ以上、遅れをとると厳しいことになりそうだ。
「……戻ってからにしよう」
俺、この戦いが終わったらエミリアに告白するんだ。
変な勘違いさせてごめんなさい、と罪の告白を。
どうしよう、もう戻りたくなくなってきた。また第一階層に引き籠ろうかな。エミリアごめん、ホントごめん……変にカッコつけた慰め方しなけりゃ良かった……
「クロノ様、ついたの」
「多分ここデスよ、転移の臭いがするデス!」
今回、俺達が大迷宮へ入る場所は、普段利用している転移施設ではない。
利用者の多い通常の転移施設では、すでに様々な勢力が入り乱れて乱戦の様相を呈しているそうだ。
ザナドゥ財閥や三大ギャングなどの勢力は、自分の縄張りにある転移施設を占拠し、他の者が入らないようしている。先に自分のとこの冒険者を入れて、後から来る奴らを締め出せば、その分だけライバルを減らせる。半ば当然の妨害工作であろう。
だが、遺産配信でいきなり始まったものだから、どこも十全な準備はできていない。転移を守りたい奴らと、欲に目がくらんで我先にと転移へ押しかけてくる連中。双方がぶつかりあって、転移施設ではどこも争いが起こっている。
ここまで歩いてくる途中でも、怒号と悲鳴に、派手な爆発音などなど、戦いの音が聞こえてきたものだ。
そんな乱戦に首を突っ込んで行くのは、あまり気のりはしない。
なので、今回は一般の冒険者には知られていない、秘密の転移魔法陣を利用することとした。
「『灰燼に帰す(アッシュ・トゥ・アッシュ)』ですね? オルエン様から通行許可は下りています。そのままお進みください」
俺達がやってきたのは、どこにでもありそうな酒場で、そこに併設されている酒蔵だ。
蔵の扉が開くと、俺と似たように目深にフードを被った怪しいローブ姿の男が、手早く誘導してくれる。
蔵の中には如何にも隠し階段といった感じの入り口があり、少し下ったところに、すでにして見慣れた大迷宮へ入るための転移魔法陣が光る広間に出た。
ここは『極狼会』が隠している秘密の転移施設の内の一つだ。
まぁ、大体どこの奴らもこういう場所を隠し持っているらしい。そう言えば『黄金の夜明け』も拠点に専用の転移魔法陣を囲ってるし。
オルエンからは、ここを使って大迷宮に入るよう指示されている。
俺達はオルエンと一緒ではない。オルエンを筆頭に、極狼会選りすぐりのメンバーで結成された複数のパーティが、ザナドゥの遺産を狙う本命。
俺達『アッシュ・トゥ・アッシュ』はあくまで彼らのサポートという位置づけになる。
オルエンら本命パーティ組とは別のルートで攻略を進め、道中他の勢力の妨害などをしてくれれば、それで良いらしい。俺達の他にもそういうサポートパーティが複数投入されているそうだ。
攻略が進む内に本命組と合流することがあれば、彼らを先行させるか、または協力要請があれば応じる、ということになっている。
まぁ、いくらオルエンでも部外者、たとえ組に入っていたとしても新参でしかない俺に、背中を任せて一世一代の攻略レースをするつもりはないだろう。
そういうワケで、俺達がこの秘密転移を利用して大迷宮へ入った後は、好きに攻略を進めていくことになる。
「準備はいいか? もう後戻りはできないぞ」
「ヒアーウィーゴーッ!」
「大丈夫、忘れ物はないの」
気負った様子もなく、いつも通りな二人を連れて、俺は転移の光を潜った。
転移を抜けた先は、高いビルの最上階だった。
15階ほどあるだろうか。ガラスの張られた窓から外を覗くと、周囲の景色が一望できる。
「これは……酷い有様だな」
窓から外を見て、思わずつぶやく。
大迷宮の中で最も見慣れた第一階層『廃墟街』は、とんでもないことになっていた。
「ゾンビが溢れているの」
「あんなにイッパイどこにいたデス!?」
ここから見える限り、広い通りには何百、何千、いや、下手すれば何万ものゾンビがひしめいている。
この第一階層には、いつでもどこでもゾンビはウロついているし、見通しの良い大きな通りや広場などには、数十ものゾンビが常にたむろしていた。実際、ここのゾンビは大迷宮によって無尽蔵に出現するようになっているのだろうが……これほどの大群になっているのは、初めて見た。
「そうか、遺産レースで大勢やって来たから、それで暴走が起こったんだ」
無限の資源で溢れる第一階層を完全に占領できないのは、大勢の軍隊を投入すると、それに応じてゾンビが爆発的に増えて襲い掛かってくるからだ。俗に暴走などと呼ばれる、ダンジョン特有の現象らしい。
大迷宮がまだ機能の生きている古代遺跡だと思えば、暴走は施設を守るための防衛機能、あるいはそれがバグった結果に引き起こされているのではないか、と俺は思っている。
「流石にこれは、正面突破していくのは無理だな」
道路を埋め尽くす万単位のゾンビ軍団と真正面からやり合うなんて馬鹿げている。いくら相手が最弱のランク1モンスターのゾンビだとしても、これだけの数が集まれば最早、質量兵器だ。
窓から見下ろす景色の中には、あえなくゾンビの大群に飲み込まれていく一団や、屋上に退避はしたものの、千ものクライマー達によじ登られてあえなく壊滅する、というシーンがチラホラ見える。この世の地獄、というか、世界が終ったとしか思えない光景だ。
「どこもゾンビでイッパイデスよ」
「進むだけでも難しい」
「いや、隙がないワケでもない。よく見ろ、大群になっているのは、ほとんど固まっている」
奴らの数は凄まじいが、全ての道路や建物に、隙間なくゾンビが溢れているワケではない。そして、この高所から見下ろせるからこそ、奴らの分布もよく見える。
何万もの大群と化しているゾンビは、それぞれがバラバラに散っているというよりは、大きな一塊を維持しながら移動している。全てのゾンビが統率のとれた動きをしてはいないので、はぐれてゆくゾンビも百単位で出ているようだが、同じく合流してくるゾンビも同じくらいいる。
つまり、大群はほぼその数を維持しつつ、集団のまま街を動いていることになる。
大群とかち合うことさえなければ、あとは普段よりもゾンビ密度が増した程度、といった感じだ。
「注意すべきなのは、クライマーの大群だな」
走るゾンビのランナー、建物に登れるクライマー、鈍いが体がデカくてパワーのあるハマー、などなど、ゾンビにも種類がある。見たところ、その種類ごとに大群と化しているようだ。
ノーマルのゾンビ大群が、ノロノロと道を練り歩くだけなら回避は楽だが、クライマーのように地形に関係なく移動できる奴らが厄介だ。
道のある地上は、ノーマルゾンビにランナー、場所によってはハマーが通行止めするように固まっているので、ここを行くのは論外。
普段通り、建物伝いに移動するべき。その途中で絡まれそうなのは、クライマーだけとなる。
「俺が『黒風探索』で索敵しながら、大群を避けて進む。いつも通りのパルクールになるから、ウルスラは抱えていく」
「ありがとう、クロノ様。ここは甘えさせてもらうの。ナビは任せて」
「ここから一番近そうな降下ポイントはどこになる?」
「この辺は中心地に近いから、あんまり来たことがない場所なの。でも、地図によれば、この辺に――」
ウルスラと地図を覗き込み、現在地と目的地を確認。
今回は如何に早く最下層にまで辿り着くかが勝負なので、当然、ボス部屋はスルーだ。そのまま、次の階層に降りられる地点を選ぶ。
ウルスラの言うように、確かにこの辺は第一階層でも危険度の増す中心地に近い場所のようだ。子供達もこの辺までは危ないから来ないので、俺も滅多にここには来ないし、土地勘はあまりない。
「先を急ぐレースだが、暴走状態のダンジョンを進むのは危険だ。まずは慎重に、第一階層突破を目指そう。もし大群に絡まれた場合は、逃げに徹するぞ」
「オーライ!」
「了解なの」
「よし、行くぞ」
クロノが呼び出しを受けてオルエンと会っている頃、リリィ達『エレメントマスター』はすでに大迷宮の攻略を開始していた。
残念ながら、ジョセフの屋敷に大迷宮へ入るための転移魔法陣はなかった。数年前に、保有していた秘密の転移施設は、資金難のために売り払ってしまったのだ。
仕方ないので、徒歩で最寄の入り口を目指すことにした。
「やはり、すでに転移施設には人が殺到していますね」
普段は閑散としているアングロサウス地区の転移施設だが、そこではすでに血で血を洗う乱戦が発生していた。
元からアングロサウスで活動している冒険者だけでなく、ここの方が空いているだろうと他の地区からやって来たと思われる冒険者、あるいは、冒険者でもないチンピラや一般人までもが入り乱れている。
「嫌だわ、騒がしくて」
「リリィ様、空いている場所を探す余裕はありません」
「そうですよ、リリィさん。冒険者なら、こういうのは稀によくあることですから」
地味に冒険者としては最も長い経験をもつフィオナが言う。
今回の遺産相続レースのような状況は、他のダンジョンでもないワケではない。その地を治める領主などが、ダンジョンのボスを討伐する、特定の素材を持ち帰る、など特に実入りのよいクエストを出した時などは、こういった冒険者同士の競争状態に陥ることはそう珍しくもない。
また、ダンジョンが活性化、とでも言うべきか、中でとれる財宝やアイテムが増えたり、希少なモンスターが数多く出現するような、特殊な期間なんかが発生することもある。そういった時もまた、競争になる。
そして、フィオナはそういった競争状態のダンジョンに挑んだことを、過去に何度かある。勿論、一人で。
「じゃあ、そういう時はどうするの?」
「競争相手は蹴散らすに限ります――『炎砲』」
轟々と迸る紅蓮の奔流が、『ワルプルギス』より放たれる。
突如として広範囲に渡って吹き荒れる火炎放射によって、武器を手に真剣勝負の真っ最中だった冒険者達が、蜘蛛の子を散らすように慌てて退いていく。文字通り、尻に火がついているのだから。
激しい炎がひとしきり転移施設を舐めまわした後、そこに留まる者は一人もいなくなった。
「フィオナ」
「はい」
「驚いたわ、こんなに威力を抑えて撃てるなんて」
「素晴らしい成長ぶりです、フィオナ様」
「照れますね、素直に褒められると」
などと、和やかな会話をしながら、三人は重度の火傷にもがき苦しむ声が響き渡る中、悠々と転移魔法陣まで進んで行った。
そして、転移を潜った先は地獄だった。
「うわぁあああああああああああああああ!」
「来るな、来るなっ、来るなぁあああああ!!」
「ちくしょう、数が多すぎる!?」
「くそっ、暴走状態じゃねぇか! 入った奴らが多すぎるんだ。こんなの攻略どころじぇねぇぞ!」
転移施設で行われていた乱闘など、比べるまでもないほどの激しい戦いが、転移で出た早々で巻き起こっていた。
道を埋め尽くすゾンビの大群。
圧倒的な数を前に、あえなく飲み込まれる冒険者達。
ここだけではない、そこかしこで激しい戦いが起こっているようで、全方位からは怒号と悲鳴しか聞こえてこない。
「随分と賑わっているようね」
「莫大な遺産が報酬ですからね。これくらい盛り上がるのも当然でしょう」
ゾンビに集られて、内臓を食い破られて断末魔をあげる冒険者を尻目に、リリィ達は進んで行く。そのまま真っ直ぐ、固く舗装された灰色の道路を。
「おい、ヤベぇぞ、大群がこっちに向かって来てる!」
「ここはもうダメよ、急いで逃げましょう!」
「逃げるってどこにだよ!?」
「おい、待てよ! 置いてかないでくれぇえええええええええ!!」
大きな通りの向こうから、唸り声の大合唱を上げてゾンビの大軍団が迫りくるのが見えた。
奴らが来れば、この辺一帯はゾンビに埋め尽くされることとなる。
近くにいる者達は、我先にと逃げ去ってゆく。それこそ、まだゾンビに囲まれて逃げ出せない仲間を置いていくほどに。
そうして、ほどなくすると周囲には誰もいなくなった。
置き去りにされた者も、仲間が逃げ出す姿に絶望して、あえなくゾンビに食われてしまったようだ。
数万のゾンビが迫る中、道路のど真ん中を行くのは、リリィ達三人だけとなる。
「もう少し、寄ってちょうだい」
「折角ですし、手でも繋ぎますか?」
「それもいいかもね。サリエル、道はこっちであってる?」
「この通りを700メートル直進すれば、ボス部屋に辿り着ける」
「分かりやすくていいわね。それじゃあ、真っ直ぐ行きましょう――『妖精結界』展開」
小さなリリィが二度三度、激しく明滅すると、普段よりも広い範囲で『妖精結界』が展開される。
リリィを中心として、半径5メートルほど。
保護者のように幼いリリィと手を繋ぐフィオナと、静かに後ろに続くサリエルは、しっかりと結界の範囲内に入っている。
三人を包み込むドーム型となった光の結界が完成すると、いよいよゾンビの大群が目前に迫った。
その距離は、あともう50メートルもない。理性を失った呻き声はうるさいほどに耳に響き、腐りかけの肉体からはおぞましい臭気が漂ってきそうだ。
ただ生者を貪り喰らう本能にのみ突き動かされて、数万のゾンビは目の前に堂々と立つ三人の少女に向かって、その餓えたアギトを開き――止まった。
「ウアァ・・・アアァ・・・アッ」
「ハァアア……アッ」
「アッ」
「アッ」
光り輝くリリィを目の前に、次々とゾンビ達が立ち止まって行く。あっ、と何かに気づいたように。察したように。
万を数えるゾンビ達が見事にその場で停止。まるで息を殺すように唸り声を潜め、足音が止む。
不思議な静寂が辺りを包み込む。
そして、リリィが踏み出した一歩によってソレはあえなく破られる。
「ハァアアアアアアアアアア!」
「ヤァアアアアアアアァ!」
「イヤァアアアアアアアアアアッ!!」
進むリリィに対し、ゾンビ達は金切声を上げながら、踵を返して逃げ出す。
全力疾走には耐えきれない腐った体。だが、それでも一刻でも早くそこから逃げ出そうと、早歩きのような速度でゾンビは駆ける。
その速さは本来、目の前に獲物が現れた時にこそ発揮される飢餓の衝動だが、今回ばかりは違う。
生きた者に襲い掛かり、その肉を食らう。あまりにも有名なゾンビの本能だが、彼らにはもう一つ、備わっている本能がある。
それは、聖なる光を避けること。
彼らに物理的な痛みは最早存在しない。だが、穢れた闇の魔力によって動くアンデッドモンスターの性質として、光属性には弱い。
つまり、ゾンビにとって強い光属性の力は、飢餓にも勝る苦痛として、彼らに逃走を選択させるほどの存在となる。
光魔法の怪物と呼んでも過言ではない、妖精リリィを前に、ゾンビが大群ごと逃げ出すのはアンデッドとして当然の結果であった。
「得意属性が相手の弱点だと、楽チンできていいですよね」
「そうね、いつもこうならいいんだけど」
リリィにとってこの『廃墟街』は、『妖精の森』よりも楽勝なボーナスステージも同然だ。
少々、妖精結界の出力をあげるだけで、勝手に相手がお察しして逃げ惑ってくれる。野生のゴブリンの方が、襲い掛かってくるだけ危険度が高いだろう。
ゾンビの大群を前に逃げ出した冒険者達だが、今度はゾンビの方が逃げている。哀れにも、大勢の仲間の体が邪魔をして、思うように進めなかったゾンビは、歩くリリィに追いつかれ、その身が光の結界に触れて消滅してゆく。
生前に味わったどんな苦痛よりも酷い痛みを味わいながら、潰れかけた喉であらんかぎりの絶叫を上げて、ゾンビは真っ白い灰となって消えていく。
リリィが一歩進むごとに、結界に引っかかるゾンビは一体、また一体と増えて行き、すり潰されるように消え去って行った。
「……」
ゾンビの悲鳴が響く中、リリィは消滅してゆく彼らに見向きもしていない、が、静かに『メテオストライカー』を抜いた。
「どうしました、リリィさん。わざわざ撃つほど強力なアンデッドはいないようですが」
「見られているわ」
「はぁ」
「見世物になるのは、好きじゃないのよね」
「アイドルやり出したのはリリィさんでは」
「エミリアを潰すための手段に過ぎないから、未練なんてないわよ。大衆を操る実験もできたし、有意義ではあったけどね」
そんなことを言いながら、リリィは小さな右手で握った白銀の銃を、何もない虚空へと向け――発砲。
「クロノが鍵を手に入れる、最後の瞬間だけ見せつけられればそれでいい。攻略の最中まで覗き見されるのは、御免だわ」