第748話 正義のために
オルエンから呼び出しを食らった俺は、初めて『極狼会』の本拠地である屋敷を訪れた。瓦屋根風のラグナ様式の屋敷は、四方を囲う壁や櫓も含めて、なんだか武家屋敷のような印象を覚える。でも屋敷そのものはでっかい三階建てとなっていて、寺のような外観でもあった。なんだろう、この洋ゲーにある和風ステージみたいな感じが。
すでに厳重な警備が整えられていて、あの双子坊主みたいな黒い胴着の護衛が何人も屋敷とその周辺をウロついている。
幸い、黒仮面アッシュとして俺の姿は有名だし、ちゃんとメッセンジャーが紹介状的なものも持ってきてくれたので、屋敷にいるオルエンまで面会はスムーズに行った。
「やぁ、待ってたよ、アッシュ」
応接間と思しき場所に案内されると、中にはオルエンが待っていた。
今日はダンダラ羽織に加え、その下の衣装も軽鎧になっており、完全武装といった様子だ。いつもの砕けた気配も随分となりを潜めて、抜き身の刀みたいな鋭い雰囲気だ。
「用件はザナドゥの遺産について、でいいんだよな?」
オルエンは頷きながらも、俺の後ろへ視線を向ける。
「この話をするなら、二人にも同席させてもらう」
オルエンが双子坊主を従えているように、今日は俺の方もレキとウルスラを連れて来ている。
「いいよ、君達は三人パーティなんだからね」
ひとまず許可が下りて安堵する。ここで一悶着起こるのも面倒だしな。
「それで、俺達に何を求めるつもりだ」
「僕に協力して欲しい」
まぁ、協力か、不干渉か、とは予想していたが。
「正直なところ、今回の騒ぎにはあまり関わり合いになりたくはないんだが」
「そうもいかないよ。カーラマーラにいる全ての人は、無関係じゃいられないからね」
「ここから出て行けば同じことだろ」
「今年の大嵐は長引くよ。あと二ヶ月は吹き荒れる、最長パターンに入ってる」
引き留めるためのハッタリか……いや、そういう予報は、俺も地上で暮らすようになってから、チラホラと聞いたことはある。
「それでも二ヶ月、耐えればいい」
「耐えられればの話だけどね」
「今更、俺を脅すつもりか?」
「ザナドゥの遺産がシルヴァリアンにでも渡ってみなよ。いくら僕達でも、一気に勝ち目はなくなる。カーラマーラの勢力図はひっくり返るからね」
「……そこまでか」
「そこまでだよ。すでに、こうして灯りも全部消えてるでしょ」
気になってはいたのだが、どうやら街中の灯りが消えている。今は昼間だから不便はないしそれほど目立たないのだが、夜になればその影響は顕著に現れる。単純に停電状態だ。
「これは誰の仕業なんだ? 灯りだけじゃなくて、水も火も止まってるようだが、長く続けばシャレにならないぞ」
「これは『カオスレギオン』の仕業だと予想されてるよ。最近、奴らは古代遺跡を操る能力を手に入れた、と噂されていてね」
それで、操った結果、こんな大規模停電を引き起こしていると。
こんなタイミングで……いや、こんなタイミングだからこそか。
「シルヴァリアンにせよ、カオスレギオンにせよ、他の奴らに支配権を譲れば君にとってロクなことにならないのは目に見えているでしょ? ウチの孤児院だって、どうなるかわかったものじゃない」
ちくしょうめ、やっぱりほとんど脅しじゃねぇか。
だが、この状況は決してオルエンが悪いワケではない。
ザナドゥが誰にでも遺産が手に入るような状況を仕立て上げたのがそもそもの原因であり、シルヴァリアンを筆頭にロクでもない奴らが台頭しているのがカーラマーラという国なのだ。
「僕は君達の安全を保障して協力関係を結んだワケだけど……この状況下では力が及ぶのも限界がある。そこは申し訳ないと思うよ」
「いや、いいんだ。こんなことになるなんて、誰にも予想はできなかったさ」
おのれ、ザナドゥが常識的に身内へ遺産を分配していれば、こんな混乱は起きなかったというのに。
「だから、これは本当に脅しなんかじゃない。君と、君が守りたい者のためを思って、協力要請をしているんだ」
「はぁ……やっぱり、そういうことになるか」
「本当は自分でもどうするべきか、薄々分かっていたんじゃないの?」
「やめてくれ、俺は本当に乗り気じゃなかったんだ。遺産が欲しいワケじゃない、ただ、平和が欲しかっただけなんだ」
「じゃあそんな君に、もう少し背中を押してあげようか」
まだなにかあるのかよ、と嫌な予感がするものの、聞かないワケにはいかなかった。
「この灯りを止めてるのは『カオスレギオン』だけど、黒幕はリリィだと言われている」
「またアイツか」
エミリアのライブをぶっ潰しただけじゃ、まだ足りないというのか。
「要するに、君が最も警戒している十字軍とやらの仕業ってことになるね。ソイツらがカーラマーラの覇権を握ったら、どうなると思う? 確か、パンドラ大陸の征服を狙ってるんだっけ?」
「クソ、最悪だ……」
サリエルがわざわざこんな大陸の果てまで来ていたのは、全てこれが狙いだったのか? 一発でカーラマーラを征服するに足るモノがあるから、ここに来た。
もしも奴らがカーラマーラという栄えた国を手に入れれば、ここを拠点として侵略の魔の手を広げてくる。最悪、本当に破竹の勢いで大陸を征服してしまうことも。
「すでに『エレメントマスター』は大迷宮に入ったよ。かなり派手に暴れたから、すぐに情報が入ったんだ。入口で冒険者たちが百人単位で蹴散らされたって。確かに、君の言う通りに底知れない実力があるようだね」
いよいよ本性を現したか。
全力で勝ちに来ているようだ。奴らの野望は、もう疑いようもない。
「第七使徒サリエルの実力があれば、大迷宮だって一発攻略できてもおかしくない」
「そ、そんなことはない、かもしれないの」
「うー、あんまり心配しなくていいと思うデスよ?」
恐る恐る、といった様子で今まで大人しくしていたレキとウルスラが言った。
「二人とも、アイツの恐ろしさを知らないからそう言えるんだ!」
「うぅ、ご、ごめんなさいなの……」
「ソーリー、ソーリー、レキが悪かったのデス……」
「いや、すまない、怒鳴るつもりはなかったんだ」
珍しく怒ってしまったせいか、二人とも凄いシュンとなってしまっている。実に気まずそうに視線を逸らして、俺の顔を見ようともしない。
そのリアクションに、やはり怒り過ぎてしまったとショックを覚えるものの……いざサリエルが相手となれば、俺は二人を守り切れる自信がない。自分の身さえ危ういのだから。
鍛え続けてはいるつもりだが、それでもいまだにサリエルに追いつける気がしない。
「それで、僕と一緒に大迷宮に潜ってくれる覚悟は決まったかな?」
「オルエン、俺には命を賭けてまで極狼会に尽くす義理もなければ、ザナドゥの遺産を狙う野心もない。だが、協力はしよう。最悪の結果を避けるための協力だ」
俺も、レキもウルスラも、誰も死なせるつもりはない。こんなところで死んで堪るかってんだ。
だが、どうしてもザナドゥの遺産を渡したくない相手がいるのも確かだ。
まずは十字軍のサリエル。次いでシルヴァリアンの連中。
「戦う相手は選ばせてもらうぞ」
「むぅ、しょうがないなぁ、それで妥協するしかないか」
俺の方針は、勝ったら困る奴にだけ戦いを仕掛ける、または妨害すること。それ以外の奴ら、たとえばザナドゥ財閥に関わる奴らには、あえて手出しをすることはない。
最悪、サリエル以外なら誰が遺産を勝ち取っても何とかなる気がする。
「レキ、ウルスラ、それでいいか?」
「イエス! レキ頑張るデスよ!」
「ザナドゥの遺産はいただきなの」
話聞いてたか?
まぁいい、ビビってしり込みするより、いい心構えだ。
「それじゃあ、協力だけは約束させてもらう」
「了解だよ。それじゃあ、契約成立ということで」
本意ではないが、『アッシュ・トゥ・アッシュ』もザナドゥの遺産相続レースに参戦することになってしまった。
俺達は屋敷を辞したその足で、真っ直ぐ孤児院『ハウス・オブ・ザ・ラビット』へと向かった。
「もうザナドゥの遺産はとったも同然なの。クロノ様が本気を出せば余裕」
「みんな、帰ったらまたバーベキューでお祝いフェスティバル、デース!」
レキとウルスラは子供達に景気よく出発を伝えている。
俺達でもかなり危険な戦いになるのだが、子供を相手にそんな不安は伝えるまい。
「クロノ様……だいじょうぶ?」
「ああ、大丈夫だ。俺に任せろ、リリアン」
いつものように、俺にだっこをねだって甘えてくるリリアンを抱えながら、言い聞かせる。不安を悟らせてはいけない。
「俺はヒーローなんだ。ヒーローは悪い奴には絶対に負けない。あの時、リリアンを助けたみたいにな」
「うん」
頷いて、ギュっと俺の胸にしがみついてくる。
ちくしょう、可愛いなぁ。可愛い盛りだよ。
「だから、良い子で待っているんだぞ」
「うん、クロノ様……」
「ねぇねぇ、今日はお土産ないのー?」
しみじみとリリアンを抱きしめていると、ミアが足元をチョロチョロし始めた。
「出たな問題児」
「えー、なにそれ酷くない!?」
「お前が色々とやらかしてること、ちゃんと聞いているんだぞ」
「てへへ」
笑って誤魔化すんじゃねぇ。まったく、つまみ食いばっかりしやがって。
「お前は年長なんだから、もっとしっかりしないとダメだぞ」
「はーい」
「他の子に示しがつかないだろ。小さい子は、そういうのを見て育つんだからな」
「もぉー、分かってるよー」
久しぶりに俺からお小言を貰って、うんざりといった顔で口をとがらせている。本当に、この子は相変わらずだな。
「ミア、みんなのことは頼むぞ」
「もう、ダメだよ、そういうことを真顔で頼んじゃあ。みんなが心配しちゃうでしょ」
妙なところで鋭いからな、ミアは。
確かにその通りだ。今の俺は、命がけのダンジョン攻略に出向く心境である。
「絶対に大丈夫だよ。だって、クロノ様には――僕がついてるんだからね!」
「ははっ、神様みたいなこと言いやがる」
「ふははー、我こそは古の魔王、ミア・エルロードだぞー! 汝に魔王の加護を授けよーう」
「はいはい、ありがとな」
元気は出た。これなら、他の子に不安を悟らせる様なシケた面を見せずに済みそうだ。
そうして俺達は、子供達に必ず無事に帰ることを約束して、大迷宮へと向かうことにした。
「……良かった、来てくれて」
エミリアは、やけにソワソワしながら、俺の顔を見て言う。妙にしおらしい態度で、まるで女子が男子に告白でもしようかという雰囲気だ。
まぁ、現実で告白されたことないけど……あっ、レキとウルスラには告られたことにはなるのか。でもやっぱ子供過ぎて素直にドキっとするワケにはいかなかったというか。
「まさか、エミリアにも呼び出しくらうとは思わなかった」
俺が昨日の今日でエミリアと会っているのは、今すぐ来いとの言伝を受けたからである。危ない、もう少しで大迷宮へ出発するところだった。
そんなワケで、少しだけレキとウルスラには待ってもらいつつ、俺はエミリアへと会いに来た。場所は『黄金の夜明け』のホーム。今朝方、酔いつぶれたエミリアを送り届けたばかりである。
「もう声をかけられたんだ。やっぱ極狼会に?」
「オルエンとは付き合いがあるからな。無碍にはできないし……俺にも、それなりに理由がある」
「それじゃあ、大迷宮に行くの」
「ああ。だから、行く前にエミリアに会えて良かったよ」
決して今生の別れを覚悟しているワケではないが、それでも命の危険は普段のクエストよりも格段に高い。今の大迷宮では遺産を巡るライバルで溢れ返っている。モンスター以上に危険な敵だらけだ。
「……行かないで」
「そういうワケには――」
「行かないで! 私を置いて行かないで! 傍にいてくれるんでしょう、アッシュ!」
うおおっ、急に抱き着かれた!?
なんだ、どうしていきなり積極的なんだエミリアは。それほどまでに俺の身を心配してくれているのか。
「今、大迷宮に入ったら、兄さんに殺されるかもしれないわ」
「ああ、そうか……そうだよな」
兄貴のゼノンガルトはカーラマーラ最強の冒険者だ。単純に考えて今回の遺産レースの最有力優勝候補である。
それに本人も「魔王となる」と公言している野心家……こんなチャンス、逃すはずもないか。
「安心しろ、エミリア。俺は本気で遺産を狙っているワケじゃない。ただ、どうしても遺産を渡すわけにはいかない奴らがいる」
そして、その中にゼノンガルトは含まれない。出来る事なら、彼がそのまま遺産を手にしてくれた方が丸く収まりそうだ。
「アッシュが戦わなくたって、必ず兄さんが勝つわ! だから行かないで、危ないことしないでよ」
「すまない、エミリア。それでも俺は行かなくちゃいけない」
「なんでよ! 他のことなんてどうでもいいじゃない……私のために、ヒーローだってやめてくれるんでしょ!」
ヒーローであることに、こだわりなんてない。
サリエルの野望を止めるのは、カーラマーラを、引いてはパンドラ大陸を救いたいからではない。
ただ、そうしなければ……俺は怖いんだ。
いつ、また奴らに捕まるか。
そして、今度はもう俺だけでは済まない――それだけは、絶対に阻止しなければいけない。万に一つでも、その危険性だけは排除しなければ、俺に平穏が訪れることはないのだから。
「俺が行かなきゃ、多分、守りたいものが守れない……だから、最後だ。これで最後にするよ、ヒーローの真似事をするのは」
「どうして……もういいわよそんなこと……私を連れて、今すぐ逃げてよ……」
絶対に離さない、とばかりにきつく俺を抱きしめて、涙がこぼれはじめた顔を胸にうずめてくる。
心が揺らぐ。今すぐ逃げたくもなる。
「エミリア、俺を信じてくれ。無茶はしない、必ず戻る」
俺に死ぬ気はない。勝算だって、僅かだがある。
要はサリエルの手にさえ鍵が渡らなければいいのだ。アイツを倒すまで行かなくていい。そう考えると、真っ向勝負しろというよりかは、遥かにマシな勝利条件だ。
他の誰かが鍵を手に入れ遺産を受け継げば……あとはもういい。サリエルがカーラマーラを即座に奪う算段を阻止できただけで、俺にできることはもう限界だろう。
それ以上を求めるなら、きっと戦争をする覚悟が必要となる。
「……兄さんとは、絶対に戦わないでよね」
「戦わないさ。協力したっていい」
ただし、ゼノンガルトとオルエンがかち合った時は……そん時は不干渉を貫かせてもらおう。どっちについても角が立つ。
「ホントに、ちゃんと生きて帰って来てくれる?」
「当たり前だろ。帰ったら、エミリアをどこにだって連れて行ってやる」
逃げる気があればの話だけど。順当に兄貴が優勝すれば、カーラマーラの居心地は保証されたようなもんだし、流石にサリエルやリリィも留まることはできなくなるだろう。
そうなると、エミリアは普通にトップアイドルに返り咲きで……俺が助けなきゃいけない要素ゼロだな。まぁ、それが一番ハッピーエンドで最高だ。
「……うん、分かった。やっぱり、アッシュはヒーローだから、止められないのね」
「そんな大それたもんじゃないさ」
「ううん、いいの、分かってる。でも、約束したからね、これが最後よ」
「ああ、危ないことに首を突っ込むのはもうやめるよ」
俺だって好き好んで命を賭けているワケじゃないからな。ただ、平和に暮らしたいだけなんだ。
「それじゃあ、帰ったらもう、アナタは私のモノよ――だから、私もアナタだけのモノになってあげる」
「……ん?」
なんだ、それ、そのどう考えても友人以上な関係性は、
「私も愛してるわ、アッシュ。帰ったら、一緒に駆け落ちしてあげる!」
え、ちょっと待って、なにその話、聞いてない、そんなの俺聞いてないんだけどなにこの話の流れは――という疑問は全て、次の瞬間にエミリアによって熱烈に唇を奪われたことで、頭が真っ白になってぶっ飛んでしまった。