第744話 一人舞台
2019年 11月15日
今週も2話連続更新となっております。ここから開いた場合は、前話からどうぞ。
「エミリア!」
ようやく見つけた、そして、俺が守るべき依頼者本人のエミリアだけが、ステージの上に一人きりで残っていた。
すぐさま駆け寄る。どうせ他に客は誰もいないんだ、堂々と真正面から俺はステージへと上がり込んだ。
「……アッシュ」
「おい、大丈夫かエミリア。一体、何が起こったんだ」
座り込んでいたエミリアは、俯いていた顔を上げて俺を見る。
意識ははっきりしているようだし、負傷した様子もみられない。無事な姿、ではあるものの、素直に喜べるような状況でもなさそうだ。
「バカ、来るのが遅いじゃない」
「スマン、変なのに絡まれて、遅れてしまった」
「ちょっと、心配してたんだから」
「俺は大丈夫だ」
それよりも、エミリアの方が明らかに大丈夫じゃない雰囲気だ。
というか、この異常事態の中で彼女一人だけ残っているというのがそもそもおかしい。
「なぁ、教えてくれ。これはどうしたんだよ、ライブはどうなったんだ」
「ああ、これ……みんな、いなくなったのよ」
そんなの見れば分かる。
「どうして、いなくなった? まさか、いきなり転移したとか」
「そんなワケないじゃない」
「じゃあ、どうして」
ライブ会場にいたであろう、何万もの人々が一人残さず消えるというんだ。客だけでなく、スタッフも、エミリア直近の護衛すら含めて。おまけに、アングロサウスの町中から人が消えているんだ。
「出て行ったのよ」
「出て行った? みんなが? どこに?」
「――リリィ」
意味が分からなかった。
けれど、どうやら町の住人もライブの客も、謎の失踪を遂げたのではなく、誰もが自らの意思でもって、そこへ向かったのだという。
「リリィ、って……誰だ」
「アイドルよ。妖精の子で……何日か前に、いきなり出て来てたの」
妖精でリリィという名の少女。
となると、まさか俺の前の仲間を騙っている、アイツか。
オルエンに画像だけは見せてもらったから、顔も名前も知ってはいる。見た目だけなら途轍もなく可愛い妖精幼女だったが……冒険者パーティ『エレメントマスター』は十字軍の秘密工作部隊だ。あんなナリをしていても、サリエルの配下で、何か特殊な力を持っていてもおかしくない。
ならば、ついにサリエルが動き出したというのか?
「そのリリィがどうしたんだ、というか、何をすればこんなことになる」
「歌ったのよ。アイドルなんだから当然でしょ」
「はぁ? 歌ったって、それだけか?」
「……ええ、そうよ。あの子が歌っただけで、みんな彼女の下へ行った。今、カオスレギオンの屋敷の前で、あの子がライブをやっているそうよ」
「そんな、まさか……誰もいないのは、みんながみんな、リリィのライブに行っているからだって言うのか!?」
信じがたいが、エミリアはその通りだと頷く。
意味が分からない。
別のアイドルが近くでライブしているからといって、今見に来ているライブを抜け出してまで行くか? ド素人のバンドや胡散臭い地下アイドルじゃない、カーラマーラの頂点に立つトップアイドルエミリアのライブだぞ。
それを客どころか、スタッフも護衛も、誰一人残らずリリィのところへ行ったというのか。
それは最早、魅力ではなく、洗脳じゃあないのか。
「おかしいだろ……何だよそれ、ヤバい精神魔法か何かが発動してるんじゃないのか」
「そう、そうかもね。でも、そんなの人気のアイドルはみんな同じようなものよ。多かれ少なかれ、『魅了』の力を持っている」
「エミリアも、そうなのか?」
「自分じゃ分らないけれど、自然と出るものなのよ、そういうのは」
美しい容姿には、それだけで『魅了』の魔法が宿ると聞いたことはあるが……それにしたって、限度ってもんがあるだろう。
「だから、私、負けたのよ」
「負けたって、そんなことあるか」
「魅力で負けた。アイドルとして負けた。だからファンをみんなとられた――リリィ、アイツはね、私と同じ歌を歌っていたのよ」
当初、ライブは大盛況だったという。
予想通りに満員御礼どころか、案の定、広場の外まで大勢の観客がつめかけ、少しだけもエミリアの生の歌声を聞こうと集まっていた。
しかし、開始から30分ほど、ちょうどライブ会場の盛り上がりも加速してゆく頃合いで、エミリアとは違う歌声が響いた。
リリィは、会場のすぐ外にいたらしい。
そして、歌うのだ。エミリアがライブで歌っているものと、全く同じ曲を。デュエットのように、彼女に合わせて歌う。
どんな魔法を使っているのか、不思議とそこにいる全ての人に、リリィの歌声は届いていたという。だから、エミリア自身もはっきりと聞こえていた。
妖精姫リリィ、その魔性の歌声を。
「変化はすぐに現れた。私もアイドルやって長いから、みんながどういう雰囲気なのかすぐ察せるわ」
エミリアに向かっていた視線が、声援が、心が、離れた。
誰も彼も、ステージとは反対側、会場の外側を向き始める。
「最初は外側の人から」
ついに、席を立つ者が現れた。
チケットの競争倍率ウン百倍の超人気アイドルエミリア、そのライブの真っ最中に出ていくという凶行。
「動きは、すぐ会場全体に広がった」
ゾロゾロと、ほぼ一斉に、それでいて、警備員の誘導すらなく、大勢の観客たちはスムーズに会場外へと出てゆく。
リリィの歌声に惹かれて。
「どうにもならないって、ホントはすぐ分かったの。勝てないって、あんな歌声を聞かされたら、誰だってそっちに行くわ」
異常なまでの魅了の力が、その歌声には宿っているらしい。そうでなければ、何万もの人々を一斉に動かすことなどできないが。
「それじゃあ、どうしてエミリアは無事、というか、魅了されずに済んでるんだ」
「私にだけは、向けられていなかったからだと思う」
意図的に効果の対象外にしたということか。『魅了』という精神的な状態異常でそんな真似ができるのかと思うが、実際にそう感じられて、エミリアが正気を保っているからには間違いではない。
「なんでエミリアだけ」
「私が敵だから、でしょ。アイドルとして、喧嘩を売られたのよ。昔はよくあったわ――」
そういうアイドル戦国時代を戦い抜いて、今のエミリアがある。
「――初めて、負けた。ボロ負けよ、全然、どうにもならなかった。私、何もできなかった」
自嘲気味に笑うエミリア。
けれど、その目の端からは、涙の粒が滲む。
「私、歌ったのよ、精一杯、負けないように……でも、でもぉ……」
「エミリア……」
一度、堰を切って溢れた涙は、もう止まらない。
とうとうエミリアは泣き出す。
初めて出会った時、ゾンビを前にして泣き叫んだのとは違う。自分の持てる全てを賭して戦い、それでも尚、まるで届かず敗れ去った悲しみ。アイドルとしてのプライドを全て砕かれた屈辱。ただの一人もファンが残らなかった絶望。
こんなの、泣くに決まっている。
「アッシュ……ごめん……ごめんなさい」
「なんで謝る」
「私、夢は叶えられないわ」
「なに言ってるんだ、まだまだこれからだろう」
「無理よ……リリィには勝てない。あの子はすぐにでも、カーラマーラ中の人気を一人で奪い取るわ」
そんなにか、とは思うが、不動のトップアイドルであったエミリアがこの有様だ。
人気云々というより、洗脳するように人の心を奪うことができる力を持つことを、リリィは証明している。そうなると、もう真っ当にアイドルでは太刀打ちできない。精神魔法に特化した魔術士が相手した方が、まだ勝算がありそうだ。
「だから、もうお終いよ。私から歌をとったら、何も残らないもの……ただの小娘。恵まれない子供達を助けるどころか、自分一人で生きて行けるかどうかも分かんないわ」
「そんなことない、エミリアは今まで立派にやってきただろ。この街の奴らは、誰一人として子供を救おうなんて考えもしなかったのに、エミリアだけは――」
「そう、だから私はアナタに惹かれたの。自分でもおかしいんじゃないかって思うこともあったけど……でも、初めて私と同じくらい真剣に考えている人と出会えたの。黒仮面アッシュ、子供のピンチを助ける本物のヒーロー」
「そんな、俺は――」
俺はただ、自分にできることをしただけだ。ヒーローになるという、立派な志があるわけじゃない。
たまたま、助けられるだけの力を持っていた。助けなければ寝覚めが悪いと思った。
それだけのことなんだ。
でも、エミリアの夢を聞いて、半端なことをしている俺も、本物のヒーローになれるかもしれないと思った。自分を肯定できる希望を貰ったのは、きっと俺の方なんだ。
「でも、もうダメ……ダメなのよ……アイドルとして私はもうやっていけない。リリィには絶対に勝てない……ヒーローのアッシュの隣にいる資格はないわ」
エミリアは、きっと勘違いしている。
俺はそんな、大それた男じゃない。高潔な人間じゃない。
でも、今そんなことを言ってもどうにもならない。
そうだ、今のエミリアは大きすぎるショックを受けて、冷静じゃなくなっている。当然だ、開催中のライブで客を全部奪われるなんて、想像すらできない最悪の展開だ。これで平然としていられる方がおかしい。
だから、今のエミリアに必要なのはストレートな慰めの言葉だ。
正義も大儀もどうでもいい。ただ彼女が安心できればそれでいいんだ。
「エミリア、心配するな、俺がついてる。資格がどうとか、関係ない」
「やめて、アイドルじゃない私なんてただのお荷物よ。何の役にも立てない……」
「役に立つか立たないか、そんなんで人を選ぶなんざ奴隷商人と大差はないだろうが。いいかエミリア、俺はお前が困っているなら助けたいし、折れそうだったら支えたいと思っている」
もうエミリアとは出会ってしまって、短いながらもそれなりの付き合いになっている。
エミリアが俺を同志と思った様に、俺にとっても、エミリアだけがこの街で真剣に子供達を救いたいと思い行動を起こした同志だ。
「それに、俺はお前が思っているほど立派なヒーローじゃない。いざとなれば身内を優先して助けたいし、実際にそうするだろう」
「じゃあ関係ないじゃない! 私はアイドルとして通用しなくなって、後はそのまま落ちぶれていくだけよ……落ちていく者なんて誰も助けない。ここはそういう街だもの」
「なら、俺が助ける。この街から、カーラマーラから一緒に出よう」
「……はぁ?」
驚いているのか、呆れているのか。エミリアはそんな目を見開いた顔で俺を見ている。
「元々、こんな街からは逃げようと思ってたんだ」
「な、な、なによソレ! それじゃあ子供達は誰が助けるって言うのよ!」
「夢は諦めよう」
夢は、諦めたっていいんだ。
というか、普通は叶わない。今どき、小学生でも自分の将来の夢が叶うと本気で信じる子はどれだけいるだろう。
「そんな……なんで、なんでそんなこと言うの……」
「幻滅したか? でも、俺は物語のヒーローにはなれない。ただ、少しだけ強い力を持っただけの、ただの人間なんだ」
一人の人間に過ぎないから、限界は当然ある。それも、大して高くもない限界だ。全てを救う救世主のような存在になんて、なれるはずがない。
「だから、助けたい人から助ける。カーラマーラにいるのが辛いなら、お前を連れて逃げ出すさ」
ウチの子達は孤児院に預けた。金も目標金額まで達成寸前だ。あの子達の世話は保証できている。
最低限の義理は果たしてはいるのだから、最悪、俺がカーラマーラを離れても良いことにはなるだろう。
そうでなくても、サリエルの十字軍が本格的にカーラマーラで動き出したとするなら、危険に過ぎる。極狼会の威を笠に着るのも限界かもしれない。俺自身がいないほうが、残される子供達も安全……だと思いたい。いざとなればまた全員連れて逃げるさ。
「それに、リリィさえいなければ、エミリアならどこでだってアイドルとしてまたやって行けるだろう。どんな国でも、すぐにトップをとれるさ」
カーラマーラほど映像配信の設備が整った環境は他にないだろうけど、それでも、歌って踊れるアイドルという娯楽の需要はどこにだってある。アイドル文化最先端のカーラマーラに君臨していたエミリアなら、他の国々とはレベルも違うはずだ。
もしかして、意外と行けるんじゃないかこのプラン。
「……バカ」
「悪い。情けない、後ろ向きなことばかり言って。でも、これくらい逃げ場があると思わないと、キツいだろ」
人は逃げ場がないから追い詰められるものだ。
俺にとってはあの地獄の実験施設がそれであり、今のエミリアにとっては、リリィのいるカーラマーラが地獄と化してしまう。
だから、ちゃんと逃げ場は確保しておかないと、冷静な判断もできないほどに追い詰められてしまうだろう。
「バカ……バカぁ……そんなこと言われたら、ホントに、頼りたくなるじゃない……」
「頼ってくれ、俺は必ずエミリアを助ける。だから心配するな、安心しろ」
エミリアは強い女の子だ。伊達にアイドルやってきてはいない。
今はショックで心が折れかけているが、ここを耐えれば必ず立ち直れる。本当は俺の助けなんてなくたって、エミリアなら自分で立ち上がれただろう。
かといって、放っておくことなんてできるワケないけどな。目の前で女の子に泣かれたら、全力で慰めるしかないのだ。
「それに、俺はエミリアの歌が好きだ。だから、歌ってくれよ」
リリィがなんだ。洗脳効果で無理矢理ファンを奪っただけじゃないか。
もしかすれば、あの洗脳リングがさらに進化して効果を発揮させたのかもしれない。ならば、奴はアイドルですらない、ただのテロリストだ。最低最悪のド外道め。
「……うん」
俺の大して上手くもない慰めの言葉で、少しは気を持ち直したのか。エミリアは、いまだに目の端に涙を浮かべながらも、俺を見つめて微笑んでくれた。
うっ、この至近距離で真っ直ぐ見つめれると、めちゃくちゃドキドキするな。こ、これが魅了の力か。
「分かった、私、歌うわ。アッシュ、アナタ一人のために」
足元に転がっていたマイクを拾い上げ、エミリアは立ち上がる。
「ライブはまだ終わってないわ。ちゃんと、最後まで聞いて行きなさいよね。私のファン、なんでしょ?」
「ああ、聞かせてくれよ」
そうして始まる、観客一人きりのライブ。
盛り上がりも何もない。傍から見て、これほど虚しいステージもないだろう。
何万人も収容することを見越した巨大な特設ステージにいるのは、アイドル一人とファン一人――けれど、ここで歌うエミリアの姿は、今までヴィジョンの中で見てきたどんな彼女よりも、俺には輝いて見えた。
2019年 11月15日
次回の2話更新で、ようやく第36章は終了となります。
それでは、来週もお楽しみに!