第74話 イヤな女(1)
イルズから見てクゥアルの反対側へ隣り合う、つまり十字軍の占領する最西端に位置する村がある。
その村の村長宅にキルヴァンが所属していた占領部隊の司令部が置かれている、勿論一時的なことではあるが。
報告を済ませた伝令が出て行った後には、占領部隊の指揮官と副官の二人が残っていた。
「キルヴァン隊が壊滅とは、イルズにはドラゴンでも住んでいるのか?」
眉をしかめながらそう言葉を発するのは、指揮官のノールズ司祭長。
腰から鋼鉄のメイスをぶら下げた、いかにも僧兵といった風貌の厳つい中年男性である。
「ドラゴンでは無く‘悪魔’です、話、聞いてなかったんですか?」
とても上司に向けたとは思えない冷たい台詞と視線を送るのは、副官であるシスター・シルビア。
炎のような赤い髪を結い上げ、ゆったりした修道服を着ても尚ボディラインが分かるほど抜群のスタイルを誇る。
組んだ腕の上で重そうに乗っかる巨乳をノールズは横目で見るが、今は興奮の鼻息よりも溜息しか漏れなかった。
(この赤頭がっ! 口を開けば腹立たしいことしか言わん!)
そう思っても特にシルビアを咎めないのは、ノールズがフェミニストだからでは無く、自分の上司であるメルセデス枢機卿の口利きで副官に任命されているからである。
どれほど魅力的であっても、自分より偉いヤツの女に手を出すほど彼は愚かではなかった。
勿論この本国より遠くはなれたパンドラ大陸で枢機卿が直接彼女を守ることは無い、殺そうと思えばいつでも出来る。
だが、もしも彼女が無事に帰還することが無ければ、指揮官であるノールズの信用は落ちる、それ以上に、枢機卿の個人的な感情で恨みを買う可能性が大いにありうる。
キルヴァンほど露骨ではないものの、それ相応の野心を抱くノールズとしては、自分の昇進の為にシルビアの生還は絶対条件となっているのだ。
輝かしい未来の為と必死に自分へ言い聞かせ、どうにか溜飲を下げるノールズ。
「分かっている、実際のところは黒魔法を行使する凄腕の冒険者なのだろう」
「私としては、聖域の制圧へ向かわせた部隊を全滅させた存在の方が気になります」
「ただモンスターに襲われただけかもしれん、その森はダンジョン扱いだと言うではないか」
予想外に強力なモンスターに遭遇し、半ば事故のように全滅したと考える可能性が最も高いだろう。
しかしながら、もしそうじゃないとするならば、部隊を全滅させるだけの戦力を持った魔族の兵が敵側には存在しているということになる。
キルヴァン隊を壊滅させた‘悪魔’に加えて、この聖域制圧部隊を殲滅した‘魔族の兵’がいるとするならば、それなりに厄介な敵となりうるだろう。
「何にせよ、早急に斥候部隊を派遣した方が良いでしょう」
シルビアの意見に、ノールズは是非も無く答える。
「情報収集は任せる、好きにしろ」
「言われなくともそうします」
チッ、と舌打ちを一つしてから、ノールズは言葉を続けた。
「明日にはこの村の支配も完了する、それが終わってから本隊をイルズへ向かわせる、結局はこれまでとやる事は変わらん」
慌てる必要は無い、占領するべき土地は逃げたりしないのだから。
この占領任務はもう一月もしない内に、滞りなく終えることができるだろうとノールズは考え、殊更に取り乱したりはしなかった。
「しかし、キルヴァン隊を丸ごと失ったのは少々手痛いですけどね」
「あんな粋がった小僧など居なくなったところでどうもせんわ」
「少なくとも貴方よりは兵として優秀でしたけど」
ノールズのこめかみに青筋が浮き出るが、シルビアは気づいていないのか、全く上司の反応など気にせず言葉を続ける。
「キルヴァン隊にはそれなりの数の魔術士もいましたし、歩兵も新兵ばかりというわけでもありません。
この程度の勘定も――」
「あ~あ~分かった分かった、俺が間違っていたよ!」
これ以上こんな話を黙って聞かされれば、この見目麗しい副官を殴り飛ばさずにはいられないと思ったノールズは、さっさと自分の方から折れることにした。
「分かってくれれば良いのです、戦力の適切な把握もしていないようでは指揮官として失格ですからね、とても命なんて預けられませんよ。
それに、今度はこれまでにないほど魔族の抵抗が予想されます、くれぐれも油断などしないで下さいよノールズ司祭長。
では、斥候部隊の選抜があるので私はこれで失礼します」
ノールズへ一瞥すらせずに、真っ直ぐ背中を向けて部屋を出て行くシルビア。
「くそっ、本当にイヤな女だっ!!」