第740話 親族会議
2019年11月1日
今週は2話連続更新となっています。ここから開いた方は、前話からお読みください。
冥暗の月20日。
カーラマーラの中心にしてザナドゥ財閥の居城『テメンニグル』の上階。街を一望できる広間にて、冒険王ザナドゥの血を引く子、孫が一堂に会していた。
親族会議、と銘打たれて度々開かれるその集いは、実質、ザナドゥ財閥の最高意思決定の場でもある。
そんな場所に、エミリアとゼノンガルトの兄妹も座っている。
ここにいるのは、二人がカーラマーラにおいて最強の冒険者と、最高のアイドルだからではない。ただ、この二人もまた冒険王ザナドゥの血を引くが故に、ここへ参加する資格を得ているのだ。
「……ねぇ、私らってここにいる意味あるの?」
「そう言うな、エミリア。さしたる意義はないが、必要なことではある。今はまだ、な」
うんざりしたようにぼやくエミリアに、隣に座るゼノンガルトが諌めるものの、その表情は退屈至極といったところ。
「はぁ、こんなの、やりたい奴だけやってればいいのよ、くだらない」
どこまでも冷めた目で、白熱した議論を交わす一角をエミリアは眺める。
「――すでにここの配分は決まったことだろう。今更、ケチをつけられても困るな」
「私は聞いていないわよ、アンタ達が勝手に決めただけでしょうが!」
「はっ、自分で欠席しておいて、後からゴチャゴチャ言ってんじゃねーよ」
「貴方方の決定は、正式なものとは認められません。極一部が内々で決めたことを、さもお父様の遺志であるかのように語るとは、いかがなものかと」
「まぁまぁ、こうして親族会議でみんなが集まれたのです。この機会に、お互い納得のいくまで話し合いをしましょうよ」
議題の中心は、今回もザナドゥの遺産配分についてである。
英雄色を好む、と言われるものだが、ザナドゥもその例には漏れない。冒険王となった彼の元には、カーラマーラ中から美女が殺到し、そして彼自身もそれを喜んで受け入れた。
その結果、多くの子供が生まれることとなる。
一代でカーラマーラの半分を支配するほどに膨れ上がった大財閥。絶対的な権力を握るザナドゥが現役の内は良い。だが、彼が一線を退いたその時から、財閥内では熾烈な次代の権力争いが始まった。
そして今、ついにザナドゥが死の淵に瀕し、彼の子供達の関心事は遺産配分がどうなるか。
子供達ですらその全容を知れない莫大なザナドゥの遺産。その配分次第では、これまで財閥で築き上げてきた地位も脅かされかねない。
無論、その多くを手にすれば巨額の利益が手に入るが……他の子供が、それを許すとは思えない。
誰か一人の勝ち抜けは許されない。
故に、議論の方向性は出来る限り公平な配分で、というように進んでいるのだが……遺産を人数で等分する、などという安易な結論が下されるはずもなく、この期に及んでも、微々たる配分のパーセンテージを争い続けている。
「私、忙しいんだけど」
「それは俺も同じだ」
こんな面倒なことに付き合わされる、巻き込まれるくらいなら、遺産相続など放棄してもいいとエミリアは思っている。
だが、兄ゼノンガルトの説得もあり、こうして最低限の権利だけは確保するべく、親族会議の末席に連なることとなっていた。
「こんなの誰が遺産を継いだって同じでしょうが」
「いいや、カーラマーラの勢力図は大きく変わるだろう」
財閥の基盤をそのまま受け継ぐ者もいれば、シルヴァリアンや極狼会と繋がる者もいる。流石に落ち目のカオスレギオンと通じている者は誰もいないようだが……遺産の配分によって、財閥以外の勢力が伸びてくる可能性もある。
特に、三大ギャングの中でも抜きん出て勢力を広げて来ているシルヴァリアン・ファミリアは、何人もの子、孫、とすでに繋がりを作っているようだ。
ゼノンガルトとしても、財閥の全貌を知ることはできないが――どんな配分になるにせよ、それなり以上の争いは避けられないと思っている。
「どうでもいいわ。私はただのアイドルだから。スポンサーが変わっても関係ないわよ」
「そうだ、お前には関係ない。そもそも、こんな遺産配分の決め事など、何も関係がないのだ。カーラマーラの真の支配者を決めるにはな」
エミリアよりも、さらに冷たい眼差しで、ゼノンガルトは声高に言い合うザナドゥの後継者達を眺めていた。
「――時に、エミリアさんは孤児院支援のための協会を設立するのだとか」
「げっ」
どういう話の流れなのか、急に流れ弾が飛んできてエミリアはあからさまに顔をしかめてしまった。
「素晴らしいではありませんか。私は支持しますよ」
「ただの慈善事業で終わればいいですがね。エミリアさんのアイドルとしての知名度は絶大だ。その影響力を軽く考えてもらっては困りますな」
「然り、まかり間違って、奴隷廃絶などの方向に世論が流れては大変なことになりますよ」
「大袈裟ね。そんな簡単に世の中が変わるワケがないでしょう」
「全くだ。奴隷労働はカーラマーラを支える土台でもある。それが分からない商人は一人もいないからな」
「まぁ、奴隷の底辺から成り上がって来たエミリアちゃんには、その辺の事情は分かんないかもしれないけど?」
「こら、よさないか、失礼だぞ」
「ああぁ、エミリアたん……美しぃ……」
議論のちょっとしたブレイクタイムのつもりなのか、エミリアの表明した孤児院支援についてやり玉に上がると、そこかしこで笑い声が聞こえてくる。
「……アイドルはイメージが大事ですから。こういうコトも必要だと思って始めました」
舌打ちの一つでもつきたくなる状況だが、エミリアは不快感を堪えながらも、この場においては当たり障りのない適当な言葉を返した。
「流石はトップアイドルのエミリアさん!」
「そこまで考えておられるとは」
「アイドル事業は財閥としてもかなりの稼ぎ頭ですからな。これからもエミリアさんには頑張ってもらいたいものですよ」
「ああぁ、エミリアたん……尊ぉい……」
ははは、と朗らかな笑いに包まれる中で、エミリアの心は冷え切っていく。
カーラマーラの中心で、生まれた時から何もかも恵まれ、他人が地べたを這いつくばるのが当然だと思っている連中――今の自分は、そういう奴らと同じ地位にまで登り詰めてきたものの、とてもその傲慢を受け入れられる気はしなかった。
第一階層でゾンビに追いかけられたこともない奴らに、この気持ちは永遠に分かりはしないだろう。
「落ち着け、エミリア」
「別に、なんとも思ってないわよ」
議論は再びお互いの配分に戻っており、エミリアへ目を向ける者はいなくなった。
「そうか、ならいい。今は変な気を起こさないでくれ。近い内に、このカーラマーラは根底からひっくり返る。その時は、ここに座っている内の何人が生き残っていられるか……見ものだな」
「私はそんなことよりも、ずっと気になることがあるの」
「珍しいな、アイドルのこと以外でお前が気に掛けることがあるとは」
「そのアイドルのことだから……ねぇ、ゼノ兄さん、リリィって知ってる?」
今年の『ドリームアイドル・1597』で、世紀の大番狂わせを起こした新人アイドルである。
上手いだとか、凄いだとか、それ以前の問題だ。エントリーナンバー1でずっと歌い続けて優勝など……異常であるとしか思えない。たとえザナドゥの娘であったとしても、こんな暴挙は許されない。主催者が許しても、客が許しはしない。
だが、最も恐ろしいのは、あそこにいた観客の誰もがリリィに魅了されていたことだ。
「ふむ、あの大きな妖精か……規格外の『魅了』の力を持ってはいるようだが」
「でも、正気を失わせるほどの強制力じゃないわ。アイドルとして許される、ギリギリのラインを攻めてるように感じたわ」
「ならば、リリィはアイドルとしての実力はないのだろう。ただ精神魔法をかけているに過ぎん」
「うん、そんなやり方で、いつまでもファンを抱え続けることはできない、と思うけど……」
精神魔法とて万能ではない。ほとんどは一時的な効果に過ぎず、効果が切れれば自分がおかしくなっていたと認識することもできる。
故に、無理に魅了をかけて支持を集めるようなことをすれば、正気に戻った者から反感を食らうことになる。無論、人気商売であるアイドルが、そんな状況でやっていけるはずもない。
「一時、心を惑わすだけのくだらん術者だ。お前が気にするほどのことでもない」
「そうだといいけれど……なんだか、あの子を見ていると、嫌な予感がするの」
果たして、それはトップアイドルとしてライバル出現による警戒心か。あるいは、それ以上、もっと根源的な恐怖心を煽る怪物なのか。
それは、エミリア自身でも分からなかった。
「でも、誰が相手でも私は負けないわ。カーラマーラのトップアイドルは、この私、エミリアなんだから」
冥暗の月24日。
「――ふふん、どうかしら?」
と、すまし顔で問うリリィは、エンシェントビロードのワンピースドレスに身を包んでいる。
「よくお似合いです、リリィ様」
「代わり映えしませんね」
「それはそうよ、前のに似せて作らせたのだから」
クロノがプレゼントしてくれた思い出の衣装。そして、クロノ自身の手によって破られ、失ってしまった。
今となっては、その喪失すらも美しい愛の思い出と化しているが、リリィはいつか必ず同じ服を作ろうと考えていた。今回は、たまたまその機会が巡って来たともいえよう。
「デザインは同じですが、性能は随分と変わっていますね」
「ええ、これはアイドルをやるための衣装でもあるから」
両手を広げてポーズをとると、艶やかな漆黒の布地に、真紅のラインが何十と瞬いた。
「洗脳特化ですか。かなり最低の魔法兵器ですよ」
「私の魅力を最大限に引き出す衣装、と言って欲しいわね」
自前のテレパシーに、『愛の女王』の幻術。そして『支配』の力を宿す『至天宝玉』。
それに加えて、さらに精神魔法の効果を増幅させる術式を自ら刻み込んだのが、この新エンシェントビロードワンピースである。
リリィが本気でこれら全ての力を解放すれば、これといった耐性を持たない一般人など、何千、何万と心神喪失に陥らせることもできるだろう。
「それにしても、本当にこんなことにかまけていて良いのですか?」
クロノと共演していたエミリアに対する嫉妬心から、アイドルなぞを始めてしまったリリィだが、もう数日が経過した今では、多少は頭も冷えているのではないかとフィオナは改めて問いかけた。
「大丈夫、私は冷静よ」
「キレてる人は大体みんなそう言いますよ」
「もう、少しは信じなさいよ。クロノのことは、今は焦らない方がいいわ」
クロノ捜索は他の何を置いても優先すべき第一目的である。これが達成されるならば、他のことは後回しでも問題は無い。
「調査の結果、マスターは現在、『極狼会』の支配エリアであるイーストウッド地区に潜伏中であると判明している」
「今すぐ乗り込んだ方がよいのでは?」
「マスターと『極狼会』はすでに協力関係を結んだ模様。私達『エレメントマスター』の顔は割れている。接近すれば、即座に連絡が回り、マスターが再び大迷宮へ逃亡する可能性が高い」
「最初から『極狼会』につけば良かったですね」
「それは言わないであげて。ジョセフが泣いちゃうわ」
クロノが『極狼会』へ取り入ることになるとは、予想はできても確信まではできなかった。今更の話である。
「せめて、面会の約束だけでもできないものでしょうか」
「マスターは『エレメントマスター』を警戒している様子」
「つまり、サリエルのことを敵だと思ってるのよ」
「なるほど……では、ちょうど施設を脱出し、リリィさんと出会う前の時点で、記憶を失ったということですか」
まるで、図ったかのような最悪なタイミングでもあった。
サリエルのことを知らないままならば、自分達が仲間だと名乗り出ればそれで済んだ。
リリィと出会ってさえいれば、その顔を見れば必ず戻って来てくれた。
だが、第七使徒サリエルへの恐怖が刻み込まれ、そして、リリィと出会って得られた安息を忘れてしまった今のクロノは、『エレメントマスター』の面子を見れば敵だとしか思わないだろう。
「サリエルのせいですね」
「申し訳ありません、フィオナ様」
「それを言ってもどうしようもないわ。恐らく、クロノは私達のことを第七使徒サリエルの手下だと思っているでしょう」
「心外ですね」
「私もよ」
「申し訳ありません」
平身低頭のサリエルである。
クロノを探す上で、クロノ自身がリリィ達を避けるという状況は厄介だ。
大迷宮でクロノが全力で逃げに徹すれば、流石に追跡は厳しい。不用意に接触を試みれば、警戒して二度と地上には現れないかもしれない。
「今はクロノの所在を掴んでいれば、それでいいわ。迎えに行くには、準備を整えた方が確実よ」
「『極狼会』潰すんですか?」
「こちらとの話し合いの席についてくれるだけでいいわ」
「話し合いすらできないとは、舐められていますね『カオスレギオン』は」
「問題ないわ。あと数日もすれば、向こうも無視はできなくなるから」
リリィの支配力を背景とした、『カオスレギオン』の勢力拡大計画は、驚くほど順調に進んでいた。
ジョセフは組織を泣く泣く離れたかつての配下、構成員に声をかけて回り、繋がりのある外周区の商人達に片っ端から声をかけて回っていた。
そして、指定した日時に実際に各種ライフラインを止めてみせることで、古代遺跡を操る力があることを証明してみせたのだ。
「随分と温いやり方でしたけど、あんなので大丈夫なんですか?」
「私は好きよ、ジョセフのそういう甘いところ。クロノみたいで」
やろうと思えば、より過激な脅迫もできた。見せしめに適当な商人を干上がらせることだって。
だが、そういった手段を出来る限り避け、力のデモンストレーションのみに留めたのはジョセフの判断である。
「すでに噂は広まっているわ」
「この街で古代遺跡を操る能力なんて、存在したら困りますからね」
口止めは必要ない。ハッタリではなく、事実としてリリィは外周区の古代遺跡の機能をすでに掌握しているのだから。
「『極狼会』はすぐに席についてくれるわよ」
「向こうからクロノさんを売らせるつもりですか」
「ただ顔を出してくれさえすればいいのよ。私がすぐに、クロノの記憶を取り戻させる」
「分かりました。一応、クロノさんが戻る目途が立っているのであれば、特に言うことはありません」
「その割には、あんまり私のこと応援してくれないようだけれど?」
「アイドルに興味はありませんので。それに、クロノさんのことを抜きにしても、こんなことにうつつを抜かして良いのですか」
クロノを取り戻せば、次は大迷宮の最深部にあるオリジナルモノリス中枢の確保がある。
攻略難易度は最深部で最高の5だ。『エレメントマスター』のフルメンバーでも、本気で挑まなければ攻略できないだろう。
「そうね、順序としては少し逆になってしまったけれど……いいじゃない、今の内から、多くの人を支配する練習をしておくのはね」
「リリィさん、まさか――」
魅了の洗脳だけで、一国を支配しようというのではないか。
予想はしたが、すぐに馬鹿馬鹿しいとフィオナは自分の考えを否定する。
一時的に熱狂させることはできても、それは効果を発揮している間だけ。永続的に人の心を捕らえ続けることはできない。それこそ、家族のように常に一緒に居続けるようでなければ、人を魅了し続けることなどできないのだ。
『魅了』とて、所詮は魔法の効果の一つでしかないのだから。
「さぁ、そんなことより、今日はいよいよエミリアに勝負を仕掛けるわよ」
リリィは純粋な幼女の時のように、満面の笑みを浮かべる。
「いきなりですね。ついこの間、デビューしたばかりだというのに」
リリィが一人で歌いきった『ドリームステージ1597』は、今や中心街では一番の話題となっている。出来レースだったことを抜きにしても、オーディション番組でエントリーナンバー1番の一人舞台など、異常事態と言う他ない。
しかし、そんな異常な状況に誰一人文句をつけず、ライバルの新人アイドル達ですら感動の涙を流してリリィの優勝を讃えるという結果が、最も異常なことであろう。
あの日、あの時、リリィはそこにいた全ての人の心を支配したのだ。
「クロノはもうすぐ、私の下へ戻ってくる。でもね、その前にエミリアを潰してやりたいの」
「分かりませんね、そこまでこだわる理由が」
「クロノの記憶が戻ったら、勝負なんてするまでもなく私を選んでくれるに決まってるわ」
それではつまらない。いいや、意味がない。
「私のことを忘れていても、必ず私を選ばせてみせるわ」
思い出のアドバンテージも必要ない。
リリィとエミリア、どちらが好きなのか。全てを忘れたクロノに選んでもらうからこそ、価値がある。
自分の愛を、魅力を、証明してみせる。
「たとえ、私が一番最初に出会えなくっても――私がクロノの一番よ」
「はぁ、そうですか。頑張ってください」
フィオナとしては、あまりリリィがこだわる気持ちに共感はしなかった。最終的に、クロノが戻ってくれば、それでいいではないか。
どうせエミリアなど、クロノが記憶を取り戻しさえすれば、その他大勢の女に過ぎない。ただのアイドル風情に、血塗れた戦いの道を歩くクロノについていくことなど、できるはずはないのだから。
「ふふふ、カーラマーラのトップアイドルは今日でお終いよ。最後の栄光を楽しむといいわ、エミリア」
嘲笑うリリィの視線の先にあるのは、満員御礼と化している特設野外スタジアム。
前回のイーストウッドライブと同様、エミリアは今回も開催地に外周区を選んだ。
そこは『カオスレギオン』のアングロサウス。
急な決定、前のライブから僅か5日で開催されることとなったアングロサウスのチャリティーライブ。
エミリアの絶大な人気に惹かれ、本日24日は全盛期もかくやというほど、この地区には人々が溢れかえっていた。
普段の寂れた光景が嘘のように、今はエミリア一色に染まっている。
他のアイドルにとっては、完全なアウェー。どころか、つけいる隙など一分もない。
だが、そんなライブ会場へ、リリィは一歩を踏み出した。気負うことも、躊躇うこともなく、堂々と。
恐るべき魅了の力を解き放つ妖精姫が、今、カーラマーラアイドルの絶対王者エミリアを襲う――
2019年11月1日
先週、2話更新の決定について、多くの励ましとご心配の声をいただきました。どうもありがとうございます。
ひとまず、第36章の分についてはすでに書き上がっているので、問題はありません。次章についても、最低限のストック分は確保できていると思っていますので、今後の更新に支障が出るようなことはありませんので、どうぞご安心ください。
それでは、これからも『黒の魔王』をよろしくお願いします。