第737話 サプライズゲスト
「おはようございまーす」
と、爽やかかつ可憐な朝の挨拶が現場に響き渡る。
誰もがその少女を前に、にこやかな挨拶を返さざるを得ない。事実、今日この場における主人公は彼女である。
「おおお、本物のエミリアなの」
「ウォウ、グレート!」
初めて生で見たトップアイドル・エミリアを前に、レキとウルスラも興奮気味である。
「おい、あまり騒ぐなよ。今日の俺達は――」
「あ、こっち見た」
「こっち来るデスよ!?」
並み居るスタッフをかき分け、エミリアは現場の隅で目立たないよう立っている俺達に向かってやって来た。
「おはよう、アッシュ。いい朝ね」
「……おはよう、ございます」
さて、もう二度と会うこともないだろうと思っていたトップアイドル様と、昨日の今日でどうして早すぎる再会をしているのかといえば、そもそもの発端はオルエンが持ちかけた依頼である。
「――エミリアの護衛?」
「そっ、知ってるでしょ、エミリア」
毎日ヴィジョンで顔を見る人気アイドルだ。知らないはずがない。
「あのエミリアなら、護衛なんて自前で幾らでもいるだろう」
「そりゃあ直属のは何人もいるよ。でもさ、会場全体の警備となると、やっぱそれなりの人数は必要でしょ?」
それは護衛ってより、単なる警備員だろうが……呼び方など些細な問題だ。
「なんで俺達が?」
「今度エミリアがライブするのはウチの会場なんだよね。だから、警備もウチの仕事なワケ」
警察が機能していないカーラマーラである。自分の縄張りでイベントするなら、当然、自分で守らないといけないワケだ。
「わざわざ依頼を持ちかけるってことは、何かヤバいことがあるのか?」
「今のところ、襲撃してやろうなんて馬鹿な話は聞かないけれど、今回はエミリアも初めて外周区でやるライブだからさ」
アイドルエミリアの活動範囲は、富裕層の住まう中心街である。
巨大な水堀によって物理的に隔たれているカーラマーラの中心区画と外周区画は、その内と外とでは治安も大違い。そもそもアイドルなんて職業が成立するのも、豊かな中心街だからこそ。
ヴィジョンをはじめとした、古代遺跡の機能も中心街に集中している。いわばテレビ局のような施設もあるし、ライブをやるのにちょうどいいドームやスタジアムやらもあるという。
「それじゃあ、何だってこんな場所でライブやろうとするんだよ」
「極狼会はエミリアの事務所と繋がりはあるからね。上手いこと売り込みに成功したってワケさ。それに、イーストウッド地区は他に比べて安定もしてるしね」
「そういうことじゃなくて」
「外周区でライブしたいっていうのは、エミリア自身の希望なんだって」
「そうなのか? 中心街より危険なのは分かっているだろうに」
「一人でも多くの人に、自分の歌を聞いて欲しい、だってさ」
なるほど、それが本心だとするならば、エミリアは生粋のアイドルだ。
儲けたいだけなら、金払いが最高の中心街の上客だけを相手にしていればいい。奴隷を除いても貧しい者の割合の方が高い外周区でライブなどしても、そこまでの収益は見込めない。
「とりあえず、事情は分かった」
「だから、今回はエミリアの外周区初ライブだし、呼びこんだウチの面子も結構かかってるからさ、万に一つも問題は起こしたくないんだよね」
たとえエミリアが命を落とさなくても、彼女ほどの有名な人物が襲われたとなれば、極狼会の責任は追及されるだろう。
ヤクザもギャングも、舐められたらお終いだ。大きな失敗などの汚点は、そうそう余所には見せられない。
「それなら俺じゃない方がいいんじゃないのか」
「君には問題が起こった後を担当してもらいたいのさ。いざ事が起これば、まず間違いなく大規模な戦闘になるだろうね」
「マジか」
「そりゃあ、エミリアのいるタイミングで仕掛けようってんなら、それなり以上の戦力は用意してくるでしょ」
「なるほどな……まぁ、そういう依頼なら、受けるのに問題はない」
これといって後ろ暗い事情もないしな。
提示された報酬額もそれなりだ。第三階層でマイマイを追っかけるよりは、ずっと楽な仕事である。
「そう言ってくれると思ったよ。じゃあ、契約は成立で」
「ああ、ただの警備なら楽勝だろ――」
などと言っていた、過去の自分を殴ってやりたい。
いや、どの道、オルエンの依頼を断る理由はどこにもないのだから、エミリアのライブ会場警備は絶対に受けることになっただろう。だが、それはそれで、覚悟を決めろという意味で、俺は自分を殴りたかった。
「えっ、なにこの初対面ではない雰囲気……?」
「ど、どういうことデスか!?」
あまりに気安く挨拶をしてきたエミリアを見て、レキとウルスラは驚愕している。
そりゃあ昨日の夜、攫われた子を助けたと事情説明はしたが、その助けた子がエミリアだとは言っていない。サインの一つも貰うのを忘れていたので、言っても信じないだろうと。
どの道、エミリアとの縁もこれきりだと思ったものだから……
「い、いや、流石はアイドルだな。こんな警備員にもしっかり挨拶をしてくるとは」
「はぁ? なに他人のフリしてんのよ。まさか、髪がショートじゃないと分からないとか言わないわよね?」
今のエミリアは、昨日の変装姿とは打って変わって、実にアイドル然とした格好である。正にヴィジョンで見たそのままの姿。
艶やかな亜麻色のロングヘアで、化粧もバッチリ決まって目鼻立ちがくっきりしている。まだ本番の衣装ではないものの、ブレザーの制服みたいな格好がどストレートに可愛らしい。
そんなどこからどう見てもアイドルモードなエミリアなのだが……何でプライベートで親しい友人みたいな接し方してくるんだ。
「俺は仕事中だから、あまりお喋りとかは」
「なに固いこと言ってんのよ。本番前からそんなんじゃあ、心も体も持たないでしょ。こういう時はリラックスして、自然体でいるのが一番だから」
「そ、そうっすか」
トップアイドル様からのありがたいアドバイスだが、適当な相槌しか打てない俺である。
「エミリアさーん、リハーサルはじめまーす!」
「それじゃあアッシュ、今日もしっかり私のこと守ってよね」
などと超絶爽やかな笑顔で言い残し、エミリアは呼ばれた方へと戻って行った。
「く、クロノ様……これはどういうことなの……」
「ま、まさかエミリアがライバルに!?」
「いや、その……昨日、助けた子が、エミリアだったというか」
「ファー!?」
「なにその運命的な出会い……控えめに言って妬ましいの」
「い、いいじゃないか、二人とだって危ないところを助けて出会ったんだし」
何を言い訳してるんだ俺は。
落ち着け、やましいところなど何もない。俺は黒仮面アッシュとして、攫われていた人を助けただけで、それがたまたまエミリアだったというだけのこと。ヒーローは助ける人を選ばない。奴隷の子供も、トップアイドルも、ピンチとなれば平等に助け出すのだ。
「エミリアが相手じゃ勝てないかもしれないデス……」
「トップアイドルとランク3冒険者、絶望的なステータス差なの……」
「おい、二人とも落ち着け。エリミアとは別に何もないし、今日も仕事が終われば何の関係もなくなるだろ」
ささやかな友人関係は築けたかもしれないが、元々、俺と彼女とでは住む世界が違う。
これで現代日本だったらSNSでも何でも、気軽にコミュニケーションをとる手段もあるのだが、ここではそんな高度な情報通信は望めない。
中心街でアイドルのエミリアと、大迷宮に潜って稼ぐ冒険者の俺とでは、これから先、まったく接点はなくなるだろう。せいぜい、またこの辺でライブやる時に警備するくらいだ。
「今回は事が起こらなければ、俺達の仕事はない。タダでエミリアのライブが見れると思って、気軽にやろう」
一応、婚約者となっているレキとウルスラからすれば、俺がエミリアみたいな美少女と仲良くなってたら、ささやかな嫉妬心なり危機感なりは覚えるものかもしれない。
だが、どう考えてもアイドルエミリアとの関係など今回限りだ。二人が心配するようなことは、何もない。
「あ、いた! おーい、アッシュー」
「なんだ、オルエンも来てたのか」
「当たり前でしょ。ボクがここの警備責任者なんだから」
そうだったのか。
道理で、普段よりもキッチリした格好をしている。
今日のオルエンは、ギャング業界ではオーソドックスな黒スーツに、極狼会のダンダラ羽織を着ていた。監視役という双子の坊主も、いつも通り黙って後ろに控えている。
「それより、聞いたよ、君ってエミリアと知り合いだったんだね!?」
何で黙ってたのさー、とか言われても、オルエンが依頼を持ちかけたのが一昨日で、俺がエミリアを助けたのが昨日の話だ。無茶言うなよ。
「何だか凄く気に入られてるみたいじゃん? 君のこと指名されて驚いたよ」
「指名ってなんだ」
「直近の護衛さ。いやー、ボクがやる予定だったんだけど、あそこまで熱心に言われたら、譲るしかないよね」
ええぇ……聞いてねぇ……
「じゃあ、後はよろしくー!」
と、何故か上機嫌で、どこまでも無責任にオルエンは去って行った。
おい、待てよ警備責任者ぁ……
「く、クロノ様がご指名……」
「クロノ様、エミリアのところに行くの……?」
そして、捨てられた子犬のような目で俺を見上げてくる二人である。
「し、仕事だから……」
子供に対して、何でも「仕事だから」で言い訳するような、汚い大人に俺もなってしまったようだった。
エミリアのライブは大盛況である。
外周区で行われる初ライブとのことで、会場が満員なのは勿論、少しでも彼女の生歌を聞こうと会場周辺まで人がごった返している。そのため、会場外側の警備はかなり悲惨な戦況となっているらしい。
この会場は普段は広々とした緑のある素敵な公園で、その中央広場に特設野外ステージを設営している。つまり、屋外ステージなので内と外を物理的に隔てる壁が存在しない。万に一つでも興奮したファンが暴徒の如く雪崩れ込んでこないよう、警備員という名の強面ギャングが立ち並び、周辺地区には道路を封鎖する交通規制なども行われている。
一方、エミリア直々に直近の護衛にご指名された俺はと言うと、舞台袖で待機中。今日も華麗に、いや、ヴィジョンで見るよりも遥かに迫力のある歌と踊りを、間近で見ているところだ。
特等席みたいなもんだが、できれば真正面から鑑賞したい、などと思いつつ俺はそれとなく周囲を警戒して、とりあえずの仕事だけは果たしていた。
指名されたのは俺だけで、パーティメンバーでもレキとウルスラがここの配置につくことは許可されなかった。だから、ここには俺しかいない。
とはいえ、それはあくまで極狼会からの護衛が俺だけということで、他に元々のエミリアの護衛は何人も控えている。物々しい装備もしていないし、あえて名乗りもしていないが、魔力の気配や、隙のない立ち姿から、何となく誰が護衛なのか分かる。
俺と同じように舞台袖で静かに立ってる奴もいれば、スタッフに紛れて動いている奴もいる。挙句の果てには、エミリアのバックダンサーを務めている人の中にも、護衛と思しき気配の者がいた。
流石に昨日の今日だけあって、気合の入った護衛である。例の兄貴が手をまわしたのだろうか。
なかなかの実力者揃いに見える。少なくとも、俺達を襲った殺し屋連中が相手でも撃退できるだろう。
そんなしっかりした護衛がいるのに、わざわざ俺を選ぶとは……これも昨日の報酬かお礼といったところか。すでに兄貴の方から十分以上の褒賞金は貰っているのだから、エミリアが何かする必要はないのだが、意外と律儀なところがあるんだな。
「……そろそろ半ばも過ぎた頃か」
今のところ、異常は何もない。
会場の興奮が凄いことになっているが、それはまぁいつも通りなので気にするべきではない。興奮しすぎた観客が暴れる程度で、直近の護衛は動かない。
俺が注意すべきは、ピンポイントでエミリアを狙う者の存在だ。
狙撃のように、いきなり矢か攻撃魔法が飛んできた時に、即座に庇えなければならない。それから襲撃者がいた場合、そいつらの撃退よりも、エミリアを連れて逃げることの方が優先される。敵の排除は他の者が担当し、直近はとにもかくにもエミリアの安全を優先するのだ。十人の子供を同時に守るよりかは、楽な仕事だと思いたい。
「何もないのが一番だが」
こういう時は大体何かあるもんだ。あるものと思って、気を引き締めなければ。
「――今日はイーストウッドで初めてのライブだけど、こんなに沢山、集まってくれてありがとう!」
曲が終わると、エミリアは手を振りながら喋り出す。いわゆるMCというヤツだ。
「ここでライブがしたいって言い出したのは、私なの」
エミリアは今日のイーストウッド初ライブが叶った経緯を話し始めた。
これまでは中心街だけでの活動だったけれど、もっと多くの人々に自分の歌を聞いて欲しい。だから、これからは中心街、外周区、と区別することなくライブをしていきたい。今回はそのための第一歩である――と、内容そのものはオルエンから聞いた通りだ。
けれど、エミリア本人からこうも熱く語られると、彼女の強い思いを感じられる。これで嘘八百だったら大したもんだ。
俺は勿論、観客たちも彼女の話に聞き入っている。
というか、こうして胸を打つ様に喋れる時点で、エミリアのトーク力の高さも分かる。つくづく、アイドルに向いた才能に恵まれているな。
「世界の全ての人に、私の歌を届けたい――それは私の夢だけど、もう一つ、同じくらい大切な夢があるの」
少しだけ、エミリアの声のトーンが変わる。
自分の歌を世界に届けるという、アイドルとしてどこまでも前向きな夢。
それに対するもう一つの夢は、残酷な現実に立ち向かうものだ。
「私は、恵まれない子供達を救いたい。かつての私と、同じような境遇にある子供達を」
有名な話ではあった。
エミリアは中心街の裕福な家の生まれではないらしい、と。幼少の頃は外周区に住んでおり、少なくとも豊かな生活は送れなかったという。
彼女の境遇が変わったのは、先に兄貴が冒険者として成功したからだ。
当時ランク4にまで登り詰めた兄貴が資金やらコネやら色々と用意した上で、エミリアを中心街でアイドルとして売り出した。
すでにアイドル文化が成熟している中心街は、今も昔もアイドル戦国時代。デビューそのものは、それほど難しいことではない。
「私は運が良かっただけ。ゼノ兄さんがいたから、私は自分の夢だったアイドルになれたけれど……夢を叶えられない子を見た。夢すら持てない子を、何人も見てきた」
その言葉は、果たして真実なのか、パフォーマンスの誇張か。
第一階層のリアルを知る俺としては、エミリアもあの現実を実際に目の当たりにしてきたのではないかと思えてしまう。
「だからせめて、夢くらいは見られるようにしてあげたい!」
きっと、この話はここだから出来ることなのだろう。
中心街では、恵まれない子供の話など鼻で笑われるだけだ。彼らにとって奴隷の子供はあって当然の存在。カーラマーラの豊かさを支える最底辺の土台として、いてもらわなければ困る。
昨今のカーラマーラでは、さらに多くの奴隷を集めるべきだ、という意見も増えているそうだ。中心街の若者は、将来は奴隷を働かせた収入で自分は何もせずに暮らすスタイルが人気らしい。王侯貴族などではなく、ただの商会務めの一般人がそういう思考なのだ。
まだ、中心街に足さえ踏み入れたことのない俺には、そう言った話がどこまで本当なのかは分からない。
けれど、カーラマーラの大迷宮を見る限りでは、改善の気配は見られない。変えようと志す者はいるかもしれないが、現実を変えるには至っていないのだ。
「とても難しいことは分かっている。反対する人も、いるかもしれない」
今のエミリアは、かなり政治的に際どい発言をしていると思われる。ともすれば、奴隷制度の否定と捉えられてしまうだろう。
流石にその辺はハッキリと明言せずに話してはいるが……彼女の話を聞いて、奴隷の子供達をなくしたい、という意思が伝わらない者はいないだろう。
「でも、私の夢に、志に、賛成してくる人もいるわ。今日は、そんな人をゲストとして呼んであるの」
へぇ、それはまた、人道主義的な素晴らしい人もいたもんだ。
「あの『廃墟街』のヒーロー、黒仮面アッシュでーっす!」
叫ぶエミリアと、めっちゃ目があった。
「えっ」
聞き間違いじゃない。というか、舞台袖にいる俺を、明らかに見つめている。
早く出ろ、と急かすようなアイコンタクト。
「いや待て、聞いてない、そういうの俺、聞いてないんだけど」
「すみません、エミリアさんのアドリブです。合わせてください」
脇にいたスタッフが、さらに俺を急かしてくる。
いいのか、本当にいいのか? 何万人集まってるか分からん会場に、この格好で出ていいのかよ。
「急いでください!」
「わ、分かりました」
こういう時、押しに弱いのが日本人!
俺は何の覚悟も固まらないまま、ついつい場の勢いに流されて、黒仮面アッシュとして舞台に上るのだった。