第732話 カオスレギオン(1)
三大ギャングの一角、『カオスレギオン』の縄張りはカーラマーラ南部である。中でも、その本拠地と呼べるアングロサウス地区へと、リリィ達はやって来た。
「うーん、見事に寂れているわね」
メインストリートに立ったリリィの率直な感想である。
広々とした大通りは、本当にただ広いだけで人の往来はあまりない。
左右に立ち並ぶ古いレンガ造りの建物は造りこそ立派ではあるものの、閉じられた門の方が多い。かつてはそれ相応に格式高かったであろう商店や飲食店は、軒並み『閉店』か『売却』の札がかかっている。
かろうじて開いている店を見ても、とてもじゃないが儲かっているようには思えない。
砂塵結界のお蔭で空はこんなに晴れているというのに、アングロサウスの街に満ちる暗い雰囲気は全く拭えない。
「これ、第一階層の方が活気あるんじゃないですか?」
「そうね、下手するとこのままダンジョン化するんじゃないかしら」
めちゃくちゃ失礼な感想を言い合いながら、通りを歩くリリィとフィオナ。一歩後ろには、黙ってサリエルが続く。
「リリィさん、本当にここでいいんですか」
「ええ」
「どう考えても『カオスレギオン』には三大ギャングを名乗るだけの力はないですよ」
最初に調べた時は、三大ギャングの一つとして有名という認識だったが、その実情を探る内に、どうやらそれはすでに過去の話であることが判明した。
ここ十数年の内に、急速に勢力が衰え、今では他の新興ギャングの方が勢いがあるほどだ。
その原因ははっきりしている。前の首領が大勢の手下と共に、盛大にシルヴァリアン・ファミリアとの抗争で敗れ去ったのだ。
そのため、まだまだ若造である息子のジョセフは繰り上がりで首領に就任し……努力はしているようだが、組織の立て直しが上手くいっていないのは、この寂れた街を見ての通りである。
「何もしなくても勝手に潰れる……それくらい落ちぶれている方が、都合がいいの」
第十一使徒ミサと第十二使徒マリアベル、二人の使徒はいまだ、あの戦いの後には姿を見せていないし、何かしらの動きも掴めていない。
あのまま逃げ去ってくれたのならそれでいいが、もし再び襲撃の機会を狙っているならば、それに対する備えは必要。自分達にも、いまだ記憶が戻らず行方知れずなクロノにも。
そのために、まずはカーラマーラおける協力者を作ることにした。
情報収集と話し合いの末に決まったのが、三大ギャングの『カオスレギオン』である。
「さて、この辺でいいかしら」
と、不意にリリィは立ち止まる。
通りの真ん中、特に何かがあるわけではない。右手には閉店した武具店、左手は空き地。本当に何にもない。南地区の中心地なのに。
「リリィさん、屋敷に殴り込みに行くのでは?」
「行かないわよ」
「トップを倒してさっさと乗っ取る作戦ではないのですか」
どうやらフィオナは、武力だけで簡単に乗っ取れそうだから落ち目のギャングを狙ったと思ったようだ。
「するわけないじゃない、そんな野蛮なこと」
「では、どうするつもりですか」
「今日はちょっと練習しに来ただけよ」
「練習、ですか。何の?」
「歌の」
自信満々に答えるリリィに、フィオナは「はぁ」と気の無い返事をするより他はなかった。
しばしの沈黙を置いてから、ようやくフィオナに心当たりが浮かんだ。
「カーラマーラでは、アイドルとかいう歌劇が流行っているんでしたっけ」
シンクレア共和国にも、歌、踊り、演劇などの見世物、娯楽の類はある。パンドラ大陸でも、吟遊詩人や踊り子などは大抵どこの国でも見られる。
カーラマーラで特徴的なのは、ヴィジョンと呼ばれる古代遺跡の映像通信システムを利用することで、街中で観覧が可能なことだ。ここまで広く映像を届けられる設備が整っているのは、恐らくはカーラマーラだけであろう。
そんな国に滞在しているので、当然、黙っていてもヴィジョンの映像は目に入る。
リリィも、華やかに歌って踊るアイドル達の姿に魅了されたのかと、フィオナは考えた。
「私は歌も踊りも好きじゃないけれど、できないことはないから」
「そうなのですか」
「妖精だもの、当然でしょ」
歌と踊りは妖精の必須科目であり、毎日を楽しく遊んで過ごすのに不可欠なエンタメでもある。
言われてみれば、確かに伝承でもよく楽しげに歌って踊る妖精達のイメージは強い。
「なるほど、リリィさんはぼっちだから」
「言うと思った」
だが、これをストレートに言える者はフィオナしかいない。
「一応聞くけど、フィオナはどうなのよ?」
「歌ですか? それなりに、嗜む程度には」
と言いつつ、表情は自信に満ち溢れている。
魔法の詠唱は正確な発音はもとより、音程や声量なども重要だとされている。その辺は歌唱に通じる技法があるのだろう。
「じゃあ、試しにちょっと歌ってみてくれる?」
「いいでしょう」
ふぅ、と息を吐いて、一拍、二拍……フィオナはスっと息を吸った。
「んるぁあー」
「あっ、もういいわ」
「ちょっと待ってください、ここからがいいところで」
「もういいわ」
聞くだけ時間の無駄だと確信したリリィは、フィオナの抗議を断固無視するのだった。
「サリエル」
「はい」
「貴女は?」
「合唱とカラオケと聖歌を少々」
合唱は小中の学校行事で、カラオケは女子中高生の嗜みとして、そして聖歌は十字教のシスターならば必須科目である。
「何か楽器は弾ける?」
「一通り扱えます」
超人的な身体能力に目が行きがちだが、サリエルの優れたところは正確無比な動作制御にある。楽器とは手や口を使って音を奏でる道具。体を使って動かすものならば、サリエルに扱えない道理はない。
「じゃあ、これ吹いてみて」
リリィは光の空間魔法から無造作に取り出した楽器を、サリエルに押し付ける。
「……フルート、でしょうか」
輝くような白銀に、流麗な金細工が施されており、楽器というより宝物として扱われるものであろう。リリィが30年の妖精の森生活の中で、たまたま入手した一品である。
ともあれ、サリエルは手渡されたこのフルートを試すべく、口にした。
高らかに響く、涼やかなフルートの音色。
真っ白い指先は迷うことなく、滑らかに笛の上を躍る。
奏でられるのは心が躍るようなアップテンポのリズム。ごく短い一曲だが、耳に残るメロディーをサリエルは見事に弾いてみせた。
「このフルートなら、問題なく吹けます。保存状態も良好」
「上手いじゃない。なんて曲なの?」
「猫を踏んだ歌」
「意外と残酷な曲だったのね」
猫を踏みつけているのに、何故こんなに楽しい音色なのかは知らないが、サリエルにとっては試しに弾く曲のイメージはこれである。ピアノを嗜んでいた白崎百合子も、まさかフルートで演奏する日が来るとは思わなかっただろうが。
「それだけの腕前があれば十分ね。演奏は任せるわ」
「演目は」
「即興だから、適当に合わせてちょうだい」
「分かりました」
「リリィさん、私は」
「フィオナは私の歌が終わるまで、黙ってついて来て」
「実は私、楽器も嗜みが」
「黙って、ついて来て」
「はい」
完璧な役割分担を決めて、いよいよリリィが歌う。
『――さぁ、みんな集まれ、この指とまれ』
「『解呪』」
フィオナは瞬時に『ワルプルギス』を抜き、精神に異常をきたす効果を打ち消す『解呪』を無詠唱で唱えた。割と本気で。
なんなら、次の瞬間に火炎放射をリリィにぶち込むくらいの臨戦態勢と魔力の気配である。
「なにするのよフィオナ、いきなり失礼じゃないかしら」
「リリィさん、まずいですよソレは」
「なにが?」
「催眠効果でてますよ」
リリィの歌声、妖精の羽の輝き、そして微弱に発せられているテレパシーの波動。
聴覚、視覚、第六感、それぞれに働きかける刺激は三つ合わされることで、ソレを認識した物を催眠状態に陥れるだけの精神効果が発動している。
そして、他者を催眠状態に陥れる精神魔法をかけることは、攻撃魔法を放つのに等しい行いである。おおよその国では処罰の対象となる。
「ふふふ、これは出ているんじゃなくて、出しているの」
「わざとですか」
「これでも抑えているのよ? 本気でやったら『魅了』で心を失うわ」
リリィはかつて、ネルをラストローズ式の幻術で完封したことがある。
ランク5級の実力者、それでいて精神耐性も高い治癒術士クラスのネルですらこのザマだ。何の耐性も持たない一般人を相手に、リリィが本気で仕掛ければどうなるかなど、考えるまでもない。
「市街地における広域精神攻撃は、無差別攻撃行為とされ、処罰の対象となります」
「大丈夫よ、サリエル。下級以下の効果なら攻撃扱いにはならないから」
状態異常の効果が明確に現れる段階になければ、魔法行使の証明はできない。
アイドルが歌って客が盛り上がるのは、そのパフォーマンスの実力か、『魅了』によって操られているからか。その線引きに明確なラインはなく、グレーゾーンによって隔たれている。
ヴィジョンで見たアイドル達の中には、かすかに『魅了』が宿る容姿の者も何人かいる。だが、そういった者達が処罰されることはない。
「つまり、この歌は私自身の魅力というだけのことよ」
「『魅了』発動のギリギリまで調整しておいて、よく言えますね」
「ええ、美人は苦労が多いのよ……それで、私を止める?」
「いえ、狙いは何となく分かりました。私は、『解呪』の用意だけはしておきますので」
流石はフィオナ。伊達に、クロノに次ぐ付き合いの長さではない。
「それじゃあ、気を取り直して」
そして、今度こそリリィは歌い始める。
『さぁ、みんな集まれ、この指とまれ』
通りに響く、幼いリリィのソプラノボイス。
子供の体ではあるが、その意識は完全に少女リリィが御しているが故に、完璧な歌唱を行える。
その歌声に、まばらながらも人通りそのものはある中で、立ち止まる者が現れる。
「おかーさん、見てー、あの子すっごい可愛い!」
「そうね、妖精族なのかしら?」
「随分と歌の上手い嬢ちゃんだなぁ」
「アイドル候補か?」
「こんなトコロで路上ライブかよ」
リリィの歌と容姿。それを聞き、それを見れば、誰もが気になり足を止める。
最初はただの好奇心。チラっと見ては、そのまま通り過ぎるだけのはずだったが――止まった足は、動かない。
『私と一緒に遊びましょう。みんなで一緒に遊びましょう』
その姿から目が離せない。
七色に輝く妖精の羽は眩しくて、けれど直視し続けてしまう。
そして耳に入る歌声は、さらに聞く者の足を縛り付ける。最早、自分の目的地すらも忘れて。
そうして一度止まった人通りは、リリィの前で集団となる。
「おいおい、何の騒ぎだ?」
「なんか、路上ライブだって」
「へぇー」
活気の失われて久しい寂れた通り。そこにできた小さな人だかりに、道行く人々は興味をそそられる。
そして寄って来た者達は聞く。この魔性の歌声を。
『一緒に歌を歌いましょう。一緒に踊りを踊りましょう』
人の集まりは、さらに人を呼ぶ。
通りに見える範囲の人々は集まり続け、その歌声に魅了され離れることはない。そうして拡大を続ける聴衆は、気が付けば大きな人だかりとなっていた。
歌うリリィの前には、すでに溢れんばかりに人が集う。
『それはとっても楽しいわ。それはとっても嬉しいわ――さぁ、手を叩いて』
瞬間、寸分の狂いもなく、人々の手は打ち鳴らされる。
たまたまここに集った者達は、まるで練習を重ねてきたかのようなタイミングで、その手を鳴らす。
ここへ立っているならば、すでに誰もが分かっている。リリィの歌を聞けば、分かってしまうのだ。
『みんな集まれ、足並み揃えて。一緒に歩こう、私と共に行きましょう』
リリィが一歩、前へ踏み出す。
すると、計ったように一歩分、聴衆は歩を引く。
さらに一歩、二歩、歩き始めたリリィを前に、人並みが割れる。
何の指示も命令もない。だが、そこにいる全員がそうすべきであると分かっているように、迅速に、それでいて驚くほど静かに、道が現れる。
一定のリズムで手を叩きながら、聴衆達はリリィの行くべき道を開いていた。
『さぁ、楽しい大行進の始まりよ』
歌うリリィを先頭に、行進が始まった。
通りのど真ん中を、堂々とリリィは歩いていく。その後ろを、とっくに百人を超えた人々が続く。
閑散とした大通りだが、時折、馬車も荷車も通る。
けれど、荷を引く馬も竜も、リリィを前にすれば歩みを止める。必ず足を止め、身を潜めるように端へと寄って行く。
その反応は、ドラゴンと遭遇した時と同じであった。圧倒的強者の前には決して立たない、野生の掟である。
「うおおっ、何だ、なんで急に止まってんだぁ!?」
「おい、いきなる止まるなよ、危ねーだろ!」
「待てよ、なんか凄い集団が――」
交通量の少なさが幸いして、事故は起きなかった。
だが、急に止まった馬車に訝しむ間もなく、リリィの行進は現れる。
『はじめまして、おともだち。素敵な出会いよ、ありがとう』
目の前から迫る人の集団に、驚くか、怪しむか、恐れるか――反応は人それぞれ。
けれど、リリィが通り過ぎた後には、皆、その行進へと加わった。
進むごとに、道行く人々の全てが列へと加わる。少しずつ、けれど着実に人々を取り込み、その人数は膨れ上がって行く。
「おい、大通りがなんか凄いことになってるぞ!」
「どうした、まさか抗争か!?」
「いや、ライブやってるらしい」
「見に行きましょうよ、凄く盛り上がってるみたい!」
人が人を呼ぶ。
次々と大通りへと集まってくる人々は、その大行進に圧倒され、そして自ら飛び込んでゆく。
『行進は続くよ、どこまでも。あなたも一緒に行きましょう』
通りを埋め尽くさんばかりの大集団。この地区に、こんなに人がいたのか、と思えるほどの人数が集まっていた。
リリィの歌に導かれ、皆の心は一つとなっている。不思議なほどの高揚感と一体感が、聴衆の心を支配する。
誰も、この状況を疑問に思わない。
誰もが、この状況に熱狂している。
『――けれど日は落ち、夜が来る。帰りましょう、暗くなる前に』
リリィの足は、そこで止まる。
目的地へと辿り着いたからだ。
そして、歌の練習もこれで十分なのだった。
『さようなら、また明日』
「――『領域解呪』」
すかさず、フィオナは範囲解呪を実行。
集っていた大聴衆の興奮は自然と収まり、大きな混乱もなく解散をし始める。彼らとしては、素直にライブが終わったような感覚であろう。
傍から見れば異様な、けれど参加者にとっては不思議な気持ちよさのあった大行進。この寂れたアングロサウス地区では久しく見られなかった、楽しそうに人々が感想を語らう賑わいとなる。
そんな人並みを背景として、リリィは目的地である門の前へと立った。
そこは『カオスレギオン』の首領、ジョセフ・ロドリゲスが住む屋敷である。
「さて、アポはとってないけれど――」
やや錆付いた古びた門は、音を立てて開かられる。
その内から、大きな鎧兜の騎士を二人連れた、オークの老人が現れた。黒い燕尾服の格好からして、この屋敷の執事なのだろう。
深い皺が刻まれ、白いヒゲを生やしたオークは歳のせいか細身に見えるが、内に秘める強い魔力の気配は隠せていない。臨戦態勢、ともとれる気配を放つオークの老執事は、堂々と立つ小さなリリィに向かって告げた。
「ようこそ、お出で下さいました。ジョセフ様がお待ちです」
「そう、ありがとう」
当然のような微笑みを返したリリィは、何の気負いもなく、カオスレギオンのボスへと会いに行くのだった。