第728話 アッシュ・トゥ・アッシュ(1)
冥暗の月15日。
その日、カーラマーラ冒険者ギルド・イーストウッド第二支部に、一人の男が現れた。
目深にフードを被った、灰色のローブ姿は特に目を引くような出で立ちではない。
しかし、その顔を覆う黒い仮面が、ギルドにいる全員の注目を集めた。
「アッシュ!?」
「おい、アイツ、黒仮面アッシュじゃねぇのか」
「まさか、ただのモノマネ野郎だろ?」
黒仮面アッシュ。
その名はカーラマーラの冒険者の間で、最近噂になっている。
曰く、第一階層で奴隷の子供を助けて回る、ヒーローごっこに興じる暇人。
曰く、シルヴァリアン・ファミリアが送り込んだ殺し屋を殲滅させた凄腕。
どちらも嘘くさい。だが、奴隷の子供が彼に救助されることがあるのも本当だし、殺し屋達が大勢死んだのも事実であった。
どこまでが本当で、どこからが嘘なのか。
仮面で顔を隠す、如何にも怪しい風貌も相まって、大嵐で閉ざされたカーラマーラでは面白い噂話として広まって行った。
そんな件の人物がご登場とあっては、ギルドのざわめきも当然である。
「おーいアッシュー、俺もヒデェ奴らに酷使されてんだ、助けてくれよぅー」
「ははは、よせって、本物だったらどうすんだよ」
「けっ、目立ちたがり屋のアホが……あんま調子乗ってっと、シメてやるからな」
半ば野次のような声があちこちから飛んでくるが、我関せずとばかりに、アッシュは真っ直ぐギルド受付へと歩いていった。
「いらっしゃいませ、本日のご用件をお伺いします」
仮面をつけた男を前にしても、ギルド受付嬢はにこやかな笑顔を向けて応対した。
「冒険者登録をしたい」
「ぶふぅ! マジかよ、アイツ新人かよ!?」
「ははは、いいじゃねぇか、期待の大型新人ってヤツだろぉ!」
耳ざとく聞いていた冒険者達が、後ろで笑い声をあげている。
一方、受付嬢はおもてなしの微笑みを崩さない。ベテラン受付嬢は何事にも動じないのだ。
「それでは、こちらの書類にご記入ください。代筆はご利用なさいますか?」
「いや、必要ない」
サラサラと羽ペンで記入を終え、書類を提出する。
「――それでは、こちらがギルドカードとなります。ご確認ください」
ランク1
名前 アッシュ
クラス 黒魔法使い
小さな金属プレートのギルドカードには、簡潔に冒険者情報が刻まれている。
「冒険者ギルドのご利用は初めてでしょうか? ギルドのルールや、冒険者としての基礎的な注意事項などのご説明もできますが」
「いや、いい。それより、昇格試験を受けたいのだが」
「かしこまりました。ただいま準備いたしますので、そちらにかけて少々お待ちください」
昇格試験は、合格すれば冒険者としての実績なしに、冒険者ランクを上げることができる制度だ。
腕に覚えのある騎士などが、冒険者へと転向した際にその実力を示し、ランク1よりも上の階級になる例もある。
もっとも、大半は自分の実力にうぬぼれたド素人が、試験官に一方的にボコられるのが通例となっているが。
果たして、この自称アッシュは、本物か偽物か。
その実力が明らかになる時が、早くも巡って来たということだ――
「ただいまー」
「おかえりデーッス!」
「おかえりなさい。どうだったの?」
「ああ、ランク3になったよ」
俺は銀色に輝くギルドカードを、玄関で出迎えてくれたレキとウルスラに見せた。
「ウォーウ! これでレキ達と一緒デス!」
「クロノ様は本物のランク5冒険者。引退冒険者の試験官風情じゃ、相手にならないの」
確かに昇格試験の相手は『魔弾』の連射でダウンする程度で、拍子抜けではあったけど。別に一定の実力が確認できさえすればいいんだから、試験官が不敗の最強キャラじゃ困るだろう。
ともかく、無事に冒険者の登録も済ませ、昇格試験で上がれる最大のランク3まで一気になることができた。とりあえず、最初のスタート地点で躓かなくて良かったと思う。
「これで、明日から冒険者生活か――」
本当に、随分と立場が変わったものだ。
俺は、オルエンから持ちかけられた『極狼会』へのスカウトを受けることにした。というより、俺の方から頼み込まざるをえなかった。
サリエルと第一階層で鉢合わせした以上、もうあそこで暮らそうとは思えない。
状況的に致し方ないとはいえ、心情的にもそう悪いことでもなかった。
レキとウルスラも、子供達を孤児院へ入れるという処遇に賛成してくれたし、その日の内にみんなへと言い聞かせてくれた。
子供達は孤児院へ入ることを聞くと、どこか寂しそうにしていたが、誰も反対を叫ばなかった。聞き分けの良いいい子達だ、と素直に喜べないな。こんな小さな子供達には、もっとワガママを言えるようにしてやらないといけないはずだ。
それから、クルスはまだ見つからない。行方の手がかりすら掴めていない。
ただ、何者かに攫われた可能性はかなり低そうだ。あの近辺は治療院もあるお蔭か、比較的、治安は良い地域らしい。奴隷商人もいきなり子供を攫うような真似はいくらなんでもしない場所。
だから、恐らくクルスは自分から姿を消した。
きっと『極狼会』の話を聞いたことで、彼なりに何か思うところがあったのだとは思う。
ただの突発的な家出で、数日経って頭が冷えて戻ってきてくれればいいのだが……
自分で探すにも限界がある。オルエンには捜索は頼んだが、早くも借りを作ってしまった。
「それにしても、オルエンの奴、ふっかけやがって」
イセア大飯店で彼とコンタクトをとった翌日。
指定の時間通りに来たぞ、と店員に声をかけた真後ろで、チャイナドレスみたいな衣装で給仕ごっこに興じているオルエンが登場した。
ともかく、すぐに会えたので用件を伝えることができた。
「――ふふん、覚悟は決まったようだね?」
オルエンは真っ赤なチャイナドレスのまま、椅子にふんぞり返って言う。
背後には、あの双子の坊主が石像のようにピクリとも動かず立っている。
「ああ、ウチの子供達を、孤児院に入れて欲しい。できれば、シルヴァリアンの奴らがちょっかいかけられないような、安全な所がいい」
「安心してよ、ウチの屋敷のすぐ傍にいいとこあるんだ」
ちょっと待て、それって逆に大丈夫なのか? いざ抗争が起きれば絶対、屋敷襲撃されるパターンだろ。
「ホントに大丈夫だって、今どき、本拠地襲うほどの大きな争いは起きないよ。っていうか、そこまでいったらもう内乱レベルだし」
まぁいい、親分の屋敷がある周辺地区なら、組員がウヨウヨいるから下手なことで手出しはできないだろう。少なくとも、殺し屋連中が徒党を組んでくる程度では、どうにもならないはずだ。
「分かった、それでいい」
「うんうん、それじゃあ、今日からボクが君のボスってことで」
「待て、悪いが『極狼会』に入る気はない」
「へぇ、それはまた、随分と都合のいいことを言うねぇ?」
なるほど、可愛い顔してオルエンの奴、やはりヤクザの跡取り息子ってだけはある。なかなかの眼力と迫力だ。
「堅気のままでいたいと思うのは、普通のことだろ」
「まさか、タダで恩を買えると思っているワケじゃあないよね?」
「俺はただ、子供達の安全を確保したいだけだ。お前は孤児院を俺に紹介する。その分の手間賃と、あとは孤児院の入居費か寄付かは知らないが、その金も出す」
「自惚れないでよ、ボクはほとんど善意でこの申し出をしてあげてるんだよ」
「ヤクザの善意を素直に信じられるほど、お人よしではない」
「やくざ?」
「ギャングって意味だ」
困っている俺に手を差し伸べたのは、オルエンであることに違いはない。だが、彼がギャングであることもまた事実。
恩を着せられて、手下として使い潰されたとなっては堪らない。
こっちはこっちで、信頼できるかどうか見定めなければいけないだろう。だから、すぐに『極狼会』の仲間入りは御免だ。
「この話が流れちゃってもいいの?」
「お前のお蔭で、どうやら俺の力には価値があるってことが分かった。シルヴァリアンと敵対している組織は他にもあるだろう。三大ギャングとか言われてる、えーと、『カオスレギオン』だったか」
「ダメだよあんな落ち目のとこ! あそこはもう絶対、来年には潰れちゃうんだから!」
それは潰すの間違いか?
まぁ、割と素でオルエンが止めてくれているのは分かる。カオスレギオン、三大ギャングとか呼ばれているはずなのに、そんなにヤバいのか……
「オルエンに声をかけてもらったことには感謝している。だから、それなりの義理は通したいと思う」
「ふーん、というと?」
「俺は冒険者になる。クエストという形で依頼してくれれば、それを受けることができるだろ」
オルエンが上司ではなく単なる依頼者であるならば、理不尽な命令もきっぱり断ることができるだろう。
悪いが、俺は殺し屋になるつもりはないんでね。
「なるほど、ね……そんなにボクのこと、信用できないかなぁ?」
「会ったばかりの奴をすぐ信用する奴って、逆に不安だろ」
「うーん、これでも?」
ピラッ、とただでさえ丈の短いドレスの裾をめくるオルエン。艶めかしい白い太ももが露わとなる。
この男、自分の可愛さを分かってやっていやがる……男なんだけどさ。
「男でも、はしたないからやめておけ。後ろの坊主の目が血走ってるぞ」
「ちぇっ、これだから監視係って奴は」
渋々、といった様子で居住まいを正すオルエンと、改めて向き合う。
「まぁ、いいや。じゃあ君は冒険者になって、ボクの依頼は優先的に引き受けてくれる、ということでいいかな?」
「ああ、恩人の頼みだ。よっぽどのことがなければ断らない」
「ねぇ、ホントにボクの下で働く気はない?」
「悪いな。これでも、用心深いつもりなんだ」
「ボクについてくれた方が、色々とお得だよ? 孤児院だって、タダで運営しているワケじゃあないんだし」
「幾らかかる」
「子供達が十人でしょ? とりあえず、そうだなぁ……一千万クランってとこ?」
「一千万、か……」
「でも、ボクのモノになってくれれば――」
「分かった、一千万は必ず用意する」
「えっ」
一千万とは、今の手持ちの倍以上の大金だ。
だがしかし、俺は元ランク5冒険者。それに、レキとウルスラもいる。三人で力を合わせれば、一千万クランも十分に稼ぎ出せるはずだ。
目先の利益に釣られて、安全を手離すべきではない。
「即金とはいかないが、近い内に一千万揃えてやる。前金がいるなら、幾らかは出してやる。その代り、すぐに孤児院に子供達を入れてくれ」
「え、ちょっ、ホントに――」
「ここはカーラマーラの大迷宮だ。仕事には事欠かない。一千万なんて、すぐに用意してやるよ」
「ええー」
というワケで、オルエンに大見得を切った手前、早急に一千万を稼がなければならないのだ。前金も叩きつけてやったしな。
「明日からは、忙しくなるな」
まずは早朝に冒険者ギルドに行き、レキとウルスラとパーティを結成し、今日の内に見繕っておいたクエストを受けて、大迷宮へと潜る。
今までは第一階層だけの活動だったが、一攫千金を狙う以上、より危険な下層域へ挑戦しなければならないだろう。
というか、サリエルがいるかもしれないから、第一階層はなるべくスルーしたい。
「それでも、奴らを警戒せずに済む生活ってのは気が楽だ」
子供達は全員、今日の午前中にはオルエンが指定した孤児院へと送り届けた。
兎の獣人、というか、兎のキグルミみたいな人が院長を務める、『ハウス・オブ・ザ・ラビット』という孤児院だ。ゾンビが出そうとか、ウサギ小屋だとか、色々と気になるネーミングだが、見たところそれなりに立派な造りだった。
そこで暮らしている子供達も、顔色は良く、元気に遊び回っている姿が見えた。
少なくとも、第一階層で物資漁りをしている奴隷の子達より、遥かに幸せな生活を送っているのは間違いない。両親のいない孤児だとしても、あの子達は恵まれている方なのだ。
「気楽ではあるが……みんながいなくなると、寂しいものだな」
もう騒がしい声が聞こえてこない、狭い部屋を眺めていると、しみじみとそう感じる。
実際、俺があの子達と出会ってまだ二週間ほどしか経っていないが、すっかり情が移ってしまったのは間違いない。
本当は、俺が一人で守ってやれれば良かったが……自分一人の力の限界は、思い知っている。人ってのは、やっぱり一人では生きてはいけないものなのだ。
「クロノ様、みんなとはいつでもすぐ会えるデス」
今、俺の傍にいるのはレキとウルスラの二人だけ。
ここはカーラマーラ東部のイーストウッド地区、あのリリアンを連れて行った治療院の近くにある、安アパートだ。間取りは超ショボい1LDKモドキといったところか。三人で暮らすには少々手狭だが、今すぐ金が必要な俺達には、無駄な出費はできない。
「だから、レキは寂しくないデスよ。みんなも強い子だから、元気にやってるデス」
「そうだな。クエストで稼いで、お土産買って会いに行こう」
もう二度と会えないよう離ればなれとなったワケではないのだ。
俺なんかよりもずっと、苦楽を共にしてきたレキとウルスラの方が寂しく思うに違いない。それでも、こうして明るい笑顔を見せてくれているのだから、俺が勝手にしんみりするのは悪い気がする。
「えへへ、レキはクロノ様と一緒に冒険者やれて、嬉しいデスよ?」
明日のクエストが楽しみだとばかりに、ゴロゴロとじゃれついてくるレキ。こうしていると、本当に犬みたいだ。適当に頭を撫でてやると、キャッキャと無邪気に喜んでいる。
小さい子供みたいな反応だけど、立派に少女の体なレキは、こう、あんまりくっつかれると男として意識せざるをえないというか、大きい胸も当たるというか。レキ、お前はちょっと無防備すぎるぞ。
「レぇーキぃー」
「ウォウ!?」
そろそろレキを引きはがさなくてはと思った矢先に、やけに恨みがましい声音で彼女の名を呼ぶ親友の姿が。
「もうご飯できてるの。さっさと席につく」
「オーケーオーケー」
などと言いながら、そそくさと食卓へと向かってゆくレキ。それを、ウルスラはいつにもまして、ジト目で睨んでいた。
「そう怒るなよ」
「別に、抜け駆けしたとかは思ってないの。同じだけ、私のことも甘やかしてくれればそれでいい」
ん、とどこか自信満々に俺へ向けて両手を伸ばすウルスラ。
今日の料理当番ということで、白いエプロンをつけた姿は微笑ましくも、家庭的な印象を覚える。
「了解だ、お姫様」
俺はウルスラをお姫様抱っこで抱えると、食卓までの短い間を運んでやった。
翌日、冥暗の月16日。
装備を整えた俺達は、まず冒険者ギルドへと向かった。
俺の格好は昨日と同じく灰色ローブに黒仮面だが、冷やかしの声は上がらなかった。
昨日の昇格試験で、少しは実力者と認めてくれたのだろう。冒険者で賑わう朝のエントランスだが、俺が歩くと自然と道を譲ってくれている。
進む俺の後ろのは、静かにレキとウルスラが続く。二人も念のため、フードを被って顔は隠している。
そうして、俺は昨日もお世話になった不動の微笑みなベテラン受付嬢の下へ辿り着いた。
「おはようございます、アッシュ様。本日のご用件はなんでしょうか」
「パーティ登録をしたい」
「かしこまりました。メンバーのギルドカードの提出をお願いします」
俺とレキとウルスラ、三人とも銀色に輝くギルドカード……というかこれ、どう見てもドッグタグで、カードではないような……ともかく、黙って提出する。
「はい、これで登録は完了いたしました。パーティ名はお決まりでしょうか?」
勿論、昨日の夜に三人で話し合って決めたさ。
最高にクールなネーミングだと自負している。聞け、文芸部で鍛えた俺の中二ネーミングセンスを。
「――『灰燼に帰す(アッシュ・トゥ・アッシュ)』だ」