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黒の魔王  作者: 菱影代理
第36章:最果ての欲望都市
731/1047

第725話 Re:白の戦慄

 2019年7月26日


 本日は2話連続更新でお送りしております。

 誤ってこちらを先に開いた方は、前話からお読みください。

「なぁ、クルスはどう思う?」

「えっ、僕は……そうですね、全部本当のことだったら、悪い話じゃないとは思いますけど……それより、レキとウルスラにも聞いた方がいいですよ」

「勿論、二人にも相談するつもりだが」

「クロノ様、今日はもう拠点に戻った方がいいですよ。この話もそうですけど、やっぱりリリアンが無事なことも早く伝えてあげたいですし」

「それじゃあ、クルスが一人でここに残ることになるじゃないか」

「治療院から出なければ、一晩くらい大丈夫ですから」

 と、やけにクルスが進めるのもあって、俺は一人で拠点へと戻ることにした。

 まずはリリアンが無事であることと、一晩治療を受ければここへ戻っても大丈夫なようになる、という旨をみんなに伝えて安心させる。

 それから、オルエンの提案については、今日も今日とて俺のベッドへとやって来た時に、レキとウルスラへ話す。

「みんな一緒に面倒みてくれるなら、イイんじゃないデスか?」

「本来いるべき場所に戻るだけのこと。孤児院に入れるというのは、喜ぶべき話なの」

 絶対ゴネると思ったのだが、意外と……などと言えば失礼か。二人は大陸縦断の旅で子供達を世話し、守り続けてきたのだ。だからこそ、感情的になるよりも、しっかり現実を見据えた考えができる。

 つまり、孤児院に入るという安定した生活を、二人とも是としたのだ。

「でもー、ホントに大丈夫なんデスかー?」

「すぐに信用するのは危険なの。ギャングなんて、人を騙して利用することしか考えてない」

「そうだな、まずは自分達で信用に足るかどうか下調べしてからになるか」

 どの道、大嵐が過ぎ去るまでしばらく時間がかかる。

 思えば、俺はギャングのことは勿論、このカーラマーラという街にさえ大して詳しくない。こうして、ただ逃げ出す、という以外の選択肢が出てきたならば、この機会に積極的な情報収集をしてみても良いのかもしれない。

 少なくとも、極狼会の縄張りくらいはウロついても大丈夫そうだし。

 そんなことを考えながら、その日は眠りについた。

 翌朝は、いつもより早めに起きて、リリアンとクルスの迎えに行く。

 ほぼ全力疾走で第一階層を駆け抜け、まだ人通りが少ない早朝の街中を足早に歩き、迷うことなくイーストウッド治療院へと辿り着く。

「どういうことだ……クルスがいない」

 玄関にも、待合室にも、リリアンの病室にも、クルスの姿が見当らない。

 リリアンは無事に元気となって、俺の首にしがみついて抱っこされている。完全に快方したのは喜ぶべきことだが……まさか、クルスの方に問題が発生するとは。

 治療院のどこにも姿が見えないクルスを探し回る。他の病室にもいないし、トイレにもいない。裏庭や屋上など、立ち入れる場所はあらかた探すが、影も形も見当たらない。

 ヤバい、これはマジで治療院からクルスがいなくなっている。ここまで探して見つからないということは、単なる入れ違いってことはもうありえない。

 まさかギャングに誘拐されたのでは、と冷や汗を流しつつ、治療院の神官に聞き込みも開始する。

「ああ、クルスさんでしたら、今朝方、ここを出て行きましたけど」

 受付にいた人に聞けば、一発でそんな証言が返ってきた。

 くそ、最初に聞いておけば良かった!

「リリアン、すまないが俺はクルスを探してくる。もう少し、ここで大人しく寝ていてくれ」

「はい、クロノ様」

 そのまま退院予定だったリリアンを、治療院にお願いしてもう少しだけ病室で寝かせてもらい、俺は急いで街へと飛び出した。

 落ち着いて考えよう。

 クルスが出て行ったのは今朝方、つまり、俺がここへ戻ってくるよりもほんの少し前といった程度。二時間も差はないはずだ。

 車も電車もない異世界の街であるカーラマーラでは、移動手段は徒歩に限られる。クルスは普通の子供で、徒歩ならば移動できる範囲はそれほどでもない。あまり遠くへは行っていないはずだが……

「クソ、ダメだ、この街は広すぎるし、人が多すぎる」

 夜明けとともに人々は活動を開始する。すでに早朝を過ぎた時間帯となれば、人通りもどんどん増えてきている。

 こんな都会の中で、たった一人の少年を見つけ出すなど、何の手がかりもなければ不可能である。

 治療院の周囲を軽く走って回ってみるが、完全に空振り。それからは、目撃者がいないか地道な聞き込みをしてみるが……14歳の人間の少年など、どこにでもいる。

 それくらいの年ごろとなれば、普通に外を出歩き仕事だってしている。現に、俺も似たような背格好の少年を何度も見かけ、そのたびに慌てて顔を確認しては、大いにビビられてしまった。

「くそっ……どうする……」

 俺一人では、見つけることはできそうもない。

 クルスは一体どこにいった? いや、何故、いなくなった?

 シルヴァリアン・ファミリアが俺に復讐するためにクルスを攫ったならば、脅迫状なりが届くはずだ。彼を人質として俺を無抵抗のまま殺すつもりなら、それができる人気のない場所に呼び出す必要がある。

 しかし、クルスは誘拐した、と俺を脅す文書もメッセンジャーも現れない。

 ならば、奴らは関係ない。それじゃあ、ギャングとは無関係の単なる奴隷商人に攫われた?

 実際、リリアンはある日突然、そうやってカーラマーラまで売られた。子供の奴隷を使う現地であるこの街なら、身寄りのない子供を攫えばその日の内にすぐ第一階層の物資回収に叩き出せる――だが、クルスがそう簡単に捕まるだろうか。彼はもう子供というより、大人に近い。

 好奇心にかられて一人で外をウロつくことはしないだろう。慎重な性格の彼ならば、必ず俺の帰りを治療院から一歩も出ずに待っているはずだ。

 だがしかし、神官の証言によれば、クルスは自ら玄関を通って外へと出て行った。

 ギャングが関係ないとすれば、何者かに呼び出された、という可能性も薄い。

 まるで本当に、自らの意思で姿をくらませたかのようだ。

「いや、ありえない、クルスが一人で消える理由がない」

 過ごした期間は短いが、あの少年は本当に甲斐甲斐しく子供達の世話をしていた。現役の保父でも、ああも上手くはいかないだろう。

 俺と比べて、子供達の支持率は断トツでクルスの方が勝っている。

 そんな彼が、自分からあの子達を捨てるような真似は絶対にしない。今まで一緒に、苦楽を共にして来て……あともう少し辛抱すれば、ようやくこの苦しい生活も終わるというのに。

「何故だ、クルス……どこにいるんだ……」

 何もかもが分からない。俺ではこれ以上、どうすることもできない。

 ならば、俺以外の人に頼るしかないだろう。

「昨日の今日だが、オルエンに頼るしかないか」

 集められる情報も、動かせる人の数も、俺一人とは到底、比べ物にならない。大ギャングの跡取り息子の肩書きは、伊達ではないはずだ。

 俺を子分にしたいというのなら、いいだろう。

 ヤクザになるなんて御免だと思ったが、仲間の身柄がかかっているのなら、そんなつまらない躊躇は捨てられる。

「よし、行くか」




 覚悟を決めて、俺は『イセア大飯店』に向かい、オルエンと話したいと言伝を頼んできた。

 流石に本人はいなかったので、また明日同じ時間に来いと言われた。

 それからは、まず一旦、リリアンを拠点に戻し、レキとウルスラに事情を説明し、俺は再び街へクルス捜索に出た。

 まだまだ見覚えのない街の中を、俺は必死に駆けずり回る。人相の悪い俺は、聞き込みするのにも一苦労だった。

 似たような少年を見た、という証言は幾つか得られたが……クルスとよく似た少年など幾らでもいる。どれも空振りに終わる。

「くそっ、もう日が暮れるのか……」

 何の収穫もないまま、気付けば空は赤く染まっていた。

 子供達のいる拠点の方も、あまりずっと空けておくのも危険だ。今日はもう戻った方がいいだろう。

「ちくしょう、これじゃ言い訳もできねぇな」

 レキとウルスラには事情説明こそしたが、子供達にはまだ伝えていない。

 きっと、みんな泣くだろう。大泣きだ。クルスは優しいみんなの兄貴分で、その働きぶりは母親も同然だ。子供達の世話に関しては、俺も彼には頼り切りだった。

「どうしていなくなったんだ、クルス」

 何度考えても、答えなど出るはずもなかった。

 暗澹とした気持ちで、俺は第一階層を駆ける。

「……まさか、学校の方に戻ってる、なんてことはないよな」

 クルスが単独で第一階層を進んで、学校拠点まで辿り着くのは、現実的な考えではない。だが、つい昨日まで過ごしていた場所だ。

 望みは薄いが、念のために探してみた方がいいだろう。

 そんな思い付きみたいな考えに縋るように、俺は学校まで向かうことにした。

 学校拠点の周辺は、俺にとっては早くも見慣れた風景である。あそこの上階が崩れかけのビルは、『虚砲ゼロ・カノン』の試し撃ちしてぶっ壊したところだ。

 そろそろ着く。このマンションの屋上を乗り越えれば、先日、錆付きとの激戦を制した学校のグラウンドが見え――

「……っ!?」

 死体も始末し、ただの空き地と化しているはずのグラウンドに、光が灯っていた。

 白く輝く光。

 いいや、違う、それは白く光って見えるほどに、真っ白い人影だった。

 この暗い『廃墟街アンデッドシティ』の空の下にあっても、キラキラと輝く長い白銀の髪。腰まで届かんばかりの長いポニーテールになっていて、風になびく銀髪は幻想的に美しい。

そして、その髪の持ち主も綺麗な、まるで人形のように整った、一人の少女。

 ソレと気づいた瞬間、背筋が凍りつく。

 全身総毛立ち、自然と手が震えてきた。

 そんな馬鹿な、嘘だろ、どうして、よりによってコイツが……

「……サリエル」

 忘れもしない、あの圧倒的な力。

 地獄の機動実験を生き抜き、素手でドラゴンを殺し、数多の実験体達を殺し続けて、それなりに強くなったはずの俺を、子供でも相手にするかのように軽く返り討ちにしてくれやがった、途轍もない化け物だ。

 あの凄まじい白い魔力オーラが出ていないからすぐに気づけなかったが、一度、その姿を見れば分かってしまう。

 銀髪に真っ白い肌と真紅の瞳。人形めいた無表情を貫くアルビノの美少女は、間違いなく『第七使徒サリエル』だ。

 何故、彼女がカーラマーラにいて、ここにいるのか。

 この際、理由などどうでもいい。

 何よりも重要なのは、奴に見つからずにこの場を離脱すること――

「……」

 だが、俺が冷や汗を滝のように流しながら、踏み越えようとしていたマンションの屋上の縁から一歩後ずさったその瞬間。

 サリエルは振り向いた。

 そして、ゆっくりと顔が上を向き、不気味に輝く真紅の瞳が、

「――見つけた」

 小さなつぶやき。だが、確かに俺の耳には、そう聞こえた。

「う、うぉおおああああああああああああっ!!」

 どうやら、奴が俺を探していたらしいことを理解し、ピンポイントで狙われていたことに戦慄し、あまりの恐怖に叫び声をあげ、それでいて、逃げるための黒魔法を行使するのは、ほとんど全て同時だった。

「『黒煙スモーク』っ!!」

 まず真っ先に放ったのは、前の時と同じく黒い煙をまき散らす煙幕の黒魔法。

 最近の練習のお陰で、あの頃よりもさらに色濃く、広範囲に、それでいて疑似風属性を利用した気体制御によって、任意の場所に滞留させ続けることも可能となっている。確実に性能の上がった『黒煙スモーク』だが、これを張っただけで安心などできるはずもない。

「攻撃は……飛んでこないのか」

 黒煙を盛大にバラ撒くと同時に全力で後退を始めたが、白い杭のような攻撃魔法が撃たれることはなかった。

 サリエルは煙幕で視界を塞いでも、俺に杭を命中させていたから、今度は喰らうまいと警戒していたのだが、攻撃の気配は感じない。

 まさか、俺の生け捕りを狙っているのか?

 いや、それならそれで、両足ぶち抜くくらいはするはずだ。

 奴がどういうつもりで、どんな制約を課して行動しているのかは知らないし、知りようもないので、今はとにかく攻撃を控えてくれるというなら、それを利用するしかない。

「攻撃はしないが、追ってはくるか」

 黒煙の中で、真っ直ぐ俺の方に向かってくる気配を感じる。散布した煙幕には勿論、『黒風探査ウインドサーチャー』の効果も含まれている。

 驚くほど足音を立てず、後方に気配察知を集中しなければ、見逃してしまいそうだが、奴は確かに俺を追って来ている。

「やはり俺の気配が分かるのか……足止めしなけりゃ、振り切れそうもないな」

 俺はすでに全速力で逃亡を開始しているが、継続的に黒煙を放ち続けている。サリエルの視界はいまだ塞がれ続けているにも関わらず、正確に俺の逃走方向へと続いて来るのを、『黒風探査ウインドサーチャー』で感じられる。

 アイツは視界がなくても俺の居場所が分かるのだ。少なくとも、この数十メートル程度の距離なら、正確に探知できている。

 このまま走り続けるだけで、アイツから逃れることはできない。互いに脚力は互角……と思いたいところが、魔力オーラを抑えている今だから、互角になっていると考えるべきだろう。

 ならば、奴が本気を出す前にどうにか足止めを食わらせ、その隙に探知範囲から逃れるしかない。

「頼むから通じてくれよ、俺の黒魔法」

 渾身の『アンチマテリアル』を素手で止められたのを見て、俺は奴との絶対的な実力差ってのを思い知った。

 記憶を失った過去の俺が戦い続けてくれたお蔭で、体力も魔力も増大し、疑似属性まで操れるようになっている。今の俺なら、多少は奴にも対抗できる。せめて、10秒程度の足止めくらいはできるようになっていると信じたい。

「よし、ここだ!」

 足止めの迎撃に選んだ場所は、狭い路地裏。先に『黒風探査ウインドサーチャー』を広げて、邪魔者ゾンビもいないことは確認済み。

 両側を4階建てのアパートみたいなのに挟まれた、何の変哲もない薄暗く狭い路地裏である。

 そこを駆け抜けながら、影空間シャドウゲートを開き、十本ばかり剣を取り出す。

「『魔剣ソードアーツ』――」

 黒化剣を宙に浮かせて発射体勢を整えた時には、俺の体はすでに路地裏を抜けて再び通りに出ている。

 一方のサリエルは、ちょうど路地裏を駆けている最中。翻る白い人影は、まるで幽霊のように不気味だ。

「――『黒壁ウォール』!」

 放った剣は二本。サリエルの手前で地面に突き立ち、刃に付加エンチャントした黒色魔力を源として、その場に防御魔法の黒い壁を作り出す。

 自分から離れた場所で魔法を発動させるのは、さりげに高等技術だ。

 魔法ってのは基本的に自分の魔力を用いるワケだから、遠くで発動させようと思えば、その地点まで自分の魔力を移動させるという地味ながらも大変な手間がかかってしまう。

 一流の魔術士は、自らの魔力で魔法陣を遠くに描くというか、投影させることで瞬時に魔法発動の基点を作る技術を習得していたりするのだが……俺の場合は、黒化剣に魔法発動に使える分の余剰魔力をありったけつぎ込み、そのまま飛ばして突き刺すことで発動の基点にしている。

 必要な燃料を丸ごとぶん投げるような力技ではあるが、距離を離しつつ強度のある防御魔法を張るにはこれしかない。

 そうして、路地裏の前方を完全に塞ぐように黒色魔力の壁が二枚出現。一枚だけだと、そのまま真っ直ぐぶち破られそうな気がしたから、二枚重ねだ。

「続け、『黒壁ウォール』!」

 さらにサリエルの後方、後退するのを防ぐような位置に黒化剣を落とし、壁を作る。

 退路を塞ぐと共に、両側にそびえ立つアパートの石壁にも黒化剣を突き刺し、天井を形成し上も塞ぐ。

 これで、完全にサリエルを閉じ込めた形となる。

 だが、奴の力をもってすれば、この程度の壁など容易く突き破って来るだろう。

 俺が逃げ切る時間を稼ぐには、あともうひと押しが必要だ。

「自慢の大剣をくれてやる――」

 全て『黒壁ウォール』の発動に最初の黒化剣を使い果たした直後に、新たに呼び出したのは、俺が所持していた最高品質の武器である大剣である。

 コイツはただ頑丈でデカいというだけでなく、黒色魔力との親和性も非常に高い。正に俺が使うためにあつらえたような、素晴らしい性能を誇っている。

 この大剣につぎ込める黒色魔力量は、量産品の長剣とは比べ物にならないほど膨大になる。つまり、この一本でより大きな黒魔法の遠隔発動が可能というワケだ。

 全部で5本もあるとはいえ、一回の使い捨てにするにはあまりに惜しい一品……だが、サリエルが相手ならば惜しくはない。切れる時に切らなければ、どんな手札も意味はない。

「――『属性変換コンバート黒氷ゼロフリーズ』」

 限界まで黒色魔力を搭載した貴重な大剣は、封じた黒壁の天井へと突き刺す。

 半ばまで刃が刺さったところで、そこに秘める魔力と、すでに形成されている『黒壁ウォール』まで含め、『属性変換コンバート』が始まる。

 読んで字の如く、黒色魔力の疑似属性を変えるための魔法だ。

 練習の最中に、一度、疑似属性で出した状態から、別の属性に変更が効くということに俺は気付いた。そして、すでに発動させた魔法でも、俺が干渉できれば変換が可能ということも分かった。

 特に、その場に作りだした魔法が残り続けることとなる防御魔法なんかは、再変換しやすいものの一つだ。

 そうして、大剣に仕込んだ『属性変換コンバート』は、疑似氷属性にあたる『黒氷ゼロフリーズ』。

 わざわざ名前をつけたのは、普通の氷属性と、黒色魔力の疑似氷属性とで呼び分けるため。それだけ。決してカッコいいからつけたワケではないが、結果的にカッコよくなってしまう分には構わないだろう。

 ともかく、発動させた『属性変換コンバート黒氷ゼロフリーズ』は即座に効果を発揮し、即席の牢屋は次の瞬間には、一個の巨大な氷塊と化す。

 突き刺した大剣は先端から吹雪のように『黒氷ゼロフリーズ』を撒き散らし、閉じ込めたサリエルごと、内部の空間全てを満たすように氷を作り出している。

 大剣を起点として、壁も全て『黒氷ゼロフリーズ』へ変換したことで、奴が何か対応するよりも前に凍結完了できるような発動速度。

 さて、本当にサリエルが憐れな氷漬けと化しているかどうか、確かめている余裕はない。

 俺は大剣を放ちながらも、全力疾走でその場を離脱している。振り向くなどとんでもない。ただ前だけを見て走り続けた。

 そうして、きっかり十秒後――ドォン、という雷が落ちたような音が聞こえた。

 アイツ、雷魔法も使うのか。

 タイミングと音の方向から考えて、サリエルが氷の牢を破るためにやったとしか思えない。

「……何とか、まいたか」

 奴の追跡の気配はない。どうにか、サリエルの気配察知の範囲から逃れることはできた、と思っていいだろう。

 念のために、俺自身の魔力が隠れるほど魔力密度を上げた『煙幕スモーク』も放ってきた。発動のために結構な溜めも必要だったが、やった甲斐はある。

 これで魔力の痕跡を辿ることは、今すぐはできない。サリエルに俺が逃げた方向を判別することはできないはず。

「けど、次に同じ手が通じるかどうかは怪しいな」

 もう一度見つかったら、今度こそお終いだろう。

「ちくしょう、これじゃあクルスを探すどころじゃない……俺自身が危ない」

 いや、違う。

 危ないのは、俺だけだ。

 サリエルが探しているのは、実験施設の脱走者である俺だけで、他は関係ない。だが、俺と一緒にいるところを見られて、関係者だと思われれば、どういう対応を奴がするか分からない。

 放置してくれるか、それとも逃走幇助の罪として処分しようとするか。どの道、危険であることに変わりはない。

「くそ、ダメだ……俺じゃあ、俺一人だけじゃあ、誰も守れない」

 もう十分に味わったと思ったが、それ以上にサリエルの出現は、俺に自分の力の限界を思い知らされる。

 第一階層に潜むのも、もう無理だ。奴が探し歩けば、隠れ切れる自信もない。

「子供達との潜伏生活も、今日でお終いか……」





「――お疲れ様、フィオナ」

「いえ、たまに撃たないと、魔力が余ってしょうがないですからね」

 にこやかに労いの言葉をかける少女リリィと、ちょっと一汗流してスッキリしたような顔のフィオナ。

 二人の後ろには、クレーターと化して消滅した跡地が、今も濛々と煙を上げている。

 ここはカーラマーラ北西部。『シルヴァリアン・ファミリア』の縄張りで、中でも構成員が特に多く住まう地域。

 そして、今さっきフィオナが『黄金太陽オール・ソレイユ』をぶち込んだのは、とあるシルヴァリアンの役員キャプテンが住む邸宅であった。

 幹部ほどではないものの、それ相応の警備に加え、邸宅には中級規模の結界機も展開してあり、防備は固められていた。

 しかし、家を燃やすどころか、完全消滅させるだけの大魔法が飛んでくることまでは想定されていない。黄金に輝く灼熱の大火球を前に、邸宅は丸ごと消え去った。そこにいた者、全て諸共に。

「リリィさん、これ、余計にクロノさんが狙われることになりませんか?」

「今更それを言うの?」

「撃ったらちょっと、冷静になれたので」

「貴女、撃ちたくて撃っただけでしょ」

 事実、ここ最近はリリィと共にクロノ捜索と情報収集、それからカーラマーラ各地に点在する通常のモノリスの確保作業と、派手に魔法をぶっ放す機会はなかった。ただでさえクロノもいないのに、戦闘もないとくれば、ちょっとストレスが溜まっていたのは否定できない。

「安心しなさい。クロノを狙った男は、私怨で動いただけ。シルヴァリアンは放置の方針を固めている」

「これで黒仮面アッシュがクロノさんじゃなかったら、無駄足ですよね」

 カーラマーラで噂になっている、黒仮面アッシュなる人物の正体が、クロノであろうことはすぐに察せられた。

 出現時期と活動内容、それから黒魔法らしき技を使う、という情報だけで断定するには十分すぎる。

 サリエルには噂を元に、単独で第一階層に潜りクロノ捜索を任せたが――その矢先に、シルヴァリアンの殺し屋が動いてしまった。

「こういう奴らが動く前に、止めておきたかったのだけれどね」

「いいじゃないですか、クロノさんは殺し屋を返り討ちにしたそうですし」

 襲撃失敗の情報はすぐに入って来た。

 それに加えて、確実な情報も偶然ながら入手できた。

 たまたま現場に居合わせ、クロノを手助けした、と強く主張しているピンクアローである。

 彼女の情報を元に、サリエルはクロノの潜伏していると思われる地域へと向かわせた。

 リリィとフィオナは後顧の憂いを断つために、暗殺依頼をかけたシルヴァリアンの役員を消しに、ここまでやって来たというわけだ。

「クロノさんは、見つかるでしょうか」

「どうかしら。襲撃から一日も経ってしまったから、潜伏場所は移しているでしょう」

 あまり過度な期待はせず、大人しくホテルに戻ってサリエルの帰りを待とう、と踵を返したその時である。

「――あら、戻ったのね、サリエル」

 リリィとフィオナの二人が潜んでいた屋上に、音もなく白い影が舞い降りる。

「その様子だと、クロノさんは見つからなかったようですね」

「いいえ、マスターを発見することはできました」

「逃げられたのね」

「……はい」

 申し訳ございません、と深々と頭を下げるサリエル。

「私が行けば良かったわ」

「マスターを逃してしまったのは、私の不手際です。申し開きのしようもありません」

「いいえ、貴女のせいではないわ」

「サリエルのせいでは?」

「フィオナはちょっと黙ってて」

 クロノを見つけながらも逃がしてしまった、という大ポカをやらかしたサリエルには、もう一言くらい言いたいところであるが、大人しく引き下がることにした。

「ごめんなさいね、流石の私も予想外だったわ……まさかクロノの記憶が脱走直後で途切れているなんてね」

 記憶喪失しているだろうことは、すでに予測できていた。

 しかし最大の問題は、どこまで記憶を失っているか、である。

 自分の名前すら忘れているのか。それとも、以前の世界で暮らした記憶は残っているのか。

 真っ直ぐ自分達の元に帰ってこない時点で、リリィと出会う以後の記憶は間違いなく失っているとの予測は立っていたが――よりによって、サリエルを恐るべき敵だと認識している時点で、記憶が断たれていたことが厄介である。

「マスターは、私を見た瞬間に逃走を開始した」

「そうね、分かっているわ。今の貴女は、ずっとその時のことばかり考えている」

 サリエルからは普段、何もテレパシーで感じられない。

 感情を抑える術を知っている、という以前に、感情がないからだ。

 しかし、今のサリエルはクロノを逃がしたその時のことを、繰り返し、何度も考えている。考え続けている。

 彼女の傍に立てば、そのリフレインを通して、恐れ慄くクロノの顔すら見えるほどに。

 詳しい説明などされずとも、リリィには事の経緯と事情はすぐに察せられた。

「可哀想に、サリエル」

「いいえ、リリィ様、私は――」

「泣いているじゃない」

 そこで、初めてサリエルは自分の目から涙が流れていることに気が付いた。

「これは……」

「クロノに拒絶されたのがショックだったのね。その気持ちは、私もよく分かるわよ」

「ありましたね、そんなことも」

 アルザスで大敗を喫した後、生き残った避難民から恨まれたクロノは、ショックのあまりにリリィの慰めの言葉さえ聞かずに、一人で歩き去った。

 その時の、リリィを遠ざけようとするクロノの感情がダイレクトにテレパシーで直撃し、リリィは号泣し、ふさぎ込んで宿の部屋から出てこなくなり……当時のフィオナは、そんな状態のクロノとリリィの板挟みで困惑したものだ。

 今では懐かしい思い出の1ページである。

「マスターは私を敵と誤認していた。あの対応には妥当性があると理解している」

「けれど、頭で分かっていても、心は傷つくものよ。愛する人から拒絶されるのは、どんな理由があろうとも、身を裂くような苦痛を感じるわ」

 クロノに恐れられることも、殺意を向けられることも、経験している。元々は決して交わることのない宿敵だったのだ。

 けれど、あの聖夜の晩から、クロノのサリエルに対する憎悪は消えた。消さざるを得なかった。サリエルは殺せない。だから、受け入れた。

 白崎百合子ではなく、サリエルのまま、彼と共に歩み始めた新たな生活。

 それが自分の心にどんな影響を与えたのか、サリエルはきっと自分自身でも分からない、計り知れない。

 今、再びクロノから過去の憎悪を向けられて、涙を流したことが、自分でも信じられなかった。

「何故、私は泣いているのか……理解ができない」

「いいのよ、つらいことがあったのなら、泣いてもいいの」

 そしてリリィは、泣いたサリエルを抱き寄せる。

 優しい抱擁。リリィの手が白銀の髪を撫でる。

「ああ、可哀想なサリエル。クロノに避けられて、悲しかったわね」

 子供のようにあやされて、サリエルはようやく、少しだけ分かった気がした。

 これは、悲しむべきことなのだと。

 涙が流れるほど、苦しいことなのだったと。

 受け入れられたはずの自分が、再び拒絶されることの、なんと恐ろしいことか。

「大丈夫よ、クロノは必ず戻ってくる。何があっても、必ずね」

 そうだ、クロノは戻らなければならない。

 元の記憶を取り戻し、あるべき姿に。

 たとえ、今のクロノに何があったとしても――彼には、自分の主に戻ってもらわなければならないのだ。

「だから、もう少しだけ待っていてね、サリエル」

「はい、リリィ様」

「――すみません、そろそろ撤退した方がいいのではないですか。シルヴァリアンの人がゾロゾロ集まってきてますよ」

「まったく、少しは空気を読んで欲しいわね」

 やれやれ、とばかりにサリエルとの抱擁を解いたリリィは、右手に『メテオストライカー』を握り、夜空へと向ける。

 トリガーを引き、地上に向かって何本もの光の柱を降らせ、周囲を揺るがす閃光と轟音とを響かせて、三人はその場を引き上げて行った。

 2019年7月26日


 コミック版『黒の魔王』第2巻、発売中です!(2回目)

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― 新着の感想 ―
[良い点] リリィが他者の事を考えられるといった、信じられないくらい変わったことです。
[一言] あれ?リリィさんが優しい 偽物かな?
[良い点] リリィさんの愛が深い所。 サリエルが泣いておる…可哀想だけどクロノへの想いを見られたから読者的には良かった。
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