第724話 極狼会の跡継ぎ
「あっはっはっは、カワイイ女の子だと思った? 残念、男の子でしたー!」
「いや、残念というより、ただ驚いただけなんだが」
ウチの子も少女と間違えるような美貌の男子が揃っているが、このオルエンは格好からして女っぽいから性質が悪い。おい、短いワンピの裾をヒラヒラさせるな。
「あのー、これは一体どういうことなんですか……」
「すまん、俺もちょっと状況に流されてしまった。けど、コイツのことは無視できそうもない、悪いが付き合ってくれ」
俺の隣で困惑しきりなクルスには本当に申し訳ないとは思うが、ここはひとまず『極狼会』組長の息子だというオルエンの話を聞かないわけにはいかない。
場所は路地裏から移り、今は食欲をくすぐるごま油のような香りが漂う、広々とした食堂の中。ちょっと目に眩しいくらいのキラキラした装飾に、ドラゴンや動物を模した像が目立つ内装はちょっと派手すぎるくらい。
だが、ここが『イセア大飯店』の五重塔最上階であり、部屋のど真ん中にある巨大な円卓に俺達だけが座らされていることから、VIP待遇になっていることは間違いない。
俺達の飯がまだだということを耳ざとく聞いたオルエンに連れてこられたのだが、大袈裟過ぎて落ち着かない。俺でもそうなのだから、クルスの居心地の悪さは計り知れないだろう。
「それで、話というのはなんだ?」
「貴様、若様に向かってその口のきき方はなんだ!」
「冒険者風情が、分をわきまえろ!」
「キミらちょっと黙っててくれる? 次勝手に喋ったらそこの窓から放り出すから」
タメ口にキレられたと思ったら、オルエンの割とマジっぽい脅しで、坊主二人は黙りこくった。
「ごめんね、このハゲはボクの直属じゃなくて、パパに押し付けられた監視役みたいなもんなんだよね。だから、空気の読めない発言は許してよ」
「いや、別に気にはしてない」
そりゃあ大切な跡取り息子が、こんな仮面をつけた怪しい男とお喋りしたいとくれば、警戒しない方がおかしい。
「じゃあ、まずは食事にしようか? お腹空いてるんでしょ」
「話が先だ。こっちには、奢られる理由はない」
「んもー、仮面もまだ外してくれないし、警戒心強いなー」
「本当は誰とも関わり合いにはなりたくなかった」
オルエンの身分と、やけに俺に対して執着していることから、ひとまず話を聞かない限りは逃げられないだろうと思って、ここまで来たのだ。逆に言えば、まだ話を聞く以上のことを許すつもりはない。
「大丈夫、キミのことを狙っているのはシルヴァリアンだけだよ。ボクらは別に、キミを捕まえようとは思わないし――むしろ、助けたいとも思ってるんだよ?」
「何故だ」
「そりゃあ、ボクら『極狼会』にとって、アイツらは不倶戴天の仇敵だからねー。単なる嫌がらせって意味でも、キミを支援するのには十分すぎる理由だよ」
『極狼会』と『シルヴァリアン・ファミリア』の対立構造はかなり根深いとは、ほぼダンジョン引きこもりの俺ですら聞いたことのある情報だ。確かに、後継ぎ息子のオルエンが、わざわざ俺を嵌めてシルヴァリアンに売り渡すような真似をする可能性はないだろう。
「しかし、タダってわけじゃないんだろう? 俺に何をさせるつもりだ」
「うーん、今のところは、特に何も。ただ、キミがウチに入ってくれる、というだけで十分だよ」
俺にヤクザになれってか。あるいは、奴らのような殺し屋稼業でもさせるのか。
「キミの腕っぷしはボクが保証するから、いきなり幹部待遇も不可能じゃないね。というか、絶対ボクの直属にするから、安心していいよ」
「随分と買ってくれるんだな。俺は別に、大したことはしていないぞ」
「キミと同じ真似ができる人なんて、この世に二人といるとは思えないよ」
どうだかな、俺と同じ力があれば、もっと上手くやってくれる奴は幾らでもいるだろう。ただ、これだけの力の持ち主が稀少というだけで、俺自身にはこれといって立派な志があるわけではない。
ただ強いだけでは、ヒーローにはなれないってことを、俺はつい先日に思い知らされたばかりだ。
「悪い話じゃあないと思うけどね。キミだって、小さい子供達をいつまでもダンジョンの隠れ家に囲っているつもりなのかい?」
「その気はない。大嵐が止めば、カーラマーラは出ていく」
「ここを出ても、大して変わりはないよ? 身よりの無い子供が十人だっけ? 一人で背負うには重すぎる。どんなに強くても、子供の世話は一人ずつしかできないんだし」
「今のところは問題ない」
「ウチにくれば、その子達をまとめて面倒みることもできるんだよ? 幾つか孤児院もやってるし、十人くらいなら里親を探すこともできるね。今の生活と、ウチの庇護を得る生活、どっちが子供達にとってより安全で将来性もあるか、考えるまでもないと思うけど」
まさか、子供を全員引き取るとまで言うとは……どこまで本気なのだろうか。
ダメだな、俺は戦闘経験ばかりで、こういった駆け引きの技術は特に磨いていない。
「それにキミ達、つい一昨日に殺し屋をけしかけられたばかりなんでしょ? 随分と盛大に返り討ちにしたようだけど、シルヴァリアンが本気を出せばあの程度じゃあ済まないよ」
「……耳が早いな。そんなことまでもう知っているとは」
「あれだけ大暴れすれば、下っ端でも噂が耳に入るさ。ねぇねぇ、あの『錆付き』と『子殺し』を殺ったの、ホントはキミなんでしょ?」
恐らく、錆びた鎧兜の野郎と、あのイカれた治癒術士の女のことだろう。アイツら有名だったのか。
「お前と組めば、もう奴らには狙われないと保障できるのか?」
「少なくとも、ウチと奴らの勢力が拮抗している内は、お互いの縄張りで好き勝手できないよ」
「その割には、ついさっき絡まれてなかったか?」
「あんなのわざとボクの元まで通したに決まってるじゃーん!」
本当か? 監視役も双子坊主はオルエンのことを見失っていたのだから、全て計画通りの行動とは思えないが。
まぁ、疑念はあるものの、オルエンの提案は確かに魅力的だ。
問題ない、と言ったものの、俺自身これから先のことは不安ばかりで、大した見通しは立っていない。
むしろ、拠点の移動を余儀なくされた上に、リリアンが倒れたのだ。とてもじゃないが、順調な潜伏生活とは言えない。
けれど、奴らに対抗できる『極狼会』に所属すれば、少なくとも今よりは安全な環境にはなるだろう。あんなダンジョンの拠点よりも、ちゃんとした孤児院で世話になった方が遥かにマシなはず。
「キミだって、ずっと子供のお守りをする気はないんじゃないの? それだけの力があるんだ、いつまでも無名でいられるはずがない。ギャングでも冒険者でも騎士でも、キミならすぐに成り上がる。英雄だって夢じゃないよ」
いや、俺は別に、そんな大それた出世欲や野心などはない。
ただ、平穏無事に過ごせる環境が欲しいだけだ。しかし、今の状況ではそれが一番難しいわけで……
「確かに、オルエンの言う通りだ。だが、今この場で、俺の一存だけで決めることはできない。少し、考えさせてくれないか」
「ふふん、いいよ、今年の大嵐は長引きそうだからね。その気になったら、この店に言伝してくれればいいよ」
「そうか、ありがとう」
安易に乗るワケにもいかないが、これはカーラマーラ脱出とはまた別の選択肢としては十分に可能性のある提案だ。
「それじゃあ、友好の証として、キミの名前と顔を見せてくれるかな?」
「悪いが、話が決まるまでは、名乗るつもりはない」
「でも仮面外さないと、ご飯食べられないよ」
「お、俺は食べなくても大丈夫だから……」
ちくしょう、すげー美味そうな料理がさりげにテーブルに並べられていたが、ここは機密保持のために我慢だ。
だからクルス、俺の代わりにたんと食べてくれ。そんな目で見るな、俺は本当に大丈夫だから。我慢のできる男だから。
翌日、早朝。
安静室から出て、通常の病室へと移されたリリアンは、ベッドの上で静かな寝息を立てている。その枕元で、すこやかな寝顔を眺めているのは、クルス一人だけである。
「……ねぇ、リリアンはどうしたい?」
答えがないことを承知で、クルスはそんなことをつぶやいた。
極狼会の孤児院に入る。
昨日、思いもよらない提案が上がり、クルスもどうするべきか判断に迷っていた。
偶然というべきか、カーラマーラの大ギャングである極狼会の跡継ぎ息子にクロノが目を付けられ、いわば引き抜きのような話となった。
同席していたクルスは、その会話の内容を推し量るには十分な頭があり、だからこそ、クロノが悩むのも分かるし、早急に決断できない難しい問題であることも理解している。
クロノはレキとウルスラにも話をするべく、昨日の内に一人で拠点へと戻り、リリアンの元にはクルスが一人で残ることとなった。
クルスはほとんど一晩中、グルグルとこのことを考え続け、ロクに睡眠はとれていない。
いや、真に彼を悩ませるのは、孤児院に入るべきか否かの選択ではなかった。
「僕は、もうここにいなくてもいいのかな」
奴隷商人に売られ、失意の底にあった時、レキとウルスラ――二人の天使に導かれるように、逃亡と言う名の自由を手に入れた。
自分にあるのは、ささやかな治癒魔法の力と、年相応の知識と頭脳。それから、小さい子供の面倒を見られるだけの育児と生活能力。
かつて世話になっていたアリア教会の孤児院においては、誰もが当たり前に備えていた程度のものであり、クルスは自分が飛びぬけて優秀な人間であるとは思っていない。
そんな凡庸な自分でも、レキとウルスラと、十人の子供達に囲まれた生活には、確かに居場所があったと感じた。教会の孤児院と比べれば、命の危険もある苦しい長旅に、トラブルの連続といった厳しい生活だったが、不思議な充足感があった。あるいは、使命感かもしれない。
僕が頑張らなければ、僕も頑張らなければ、みんなで生きてはいけない。自分がこの生活において必要不可欠な存在であることが嬉しい。レキとウルスラ、あの天使のように眩しい彼女達の支えになれていることが、誇らしく思えた。
自分より年下の少女達に守られることには、あまり不満は抱かなかった。
それはきっと、初めて出会ったあの時から、理解していたからだろう。
超人的な身体能力を誇るレキ。恐ろしい魔法の力を使いこなすウルスラ。美しい少女でありながら、途轍もない力と才を秘めた二人は、特別なのだ。自分とは、他の有象無象とは違う。あまりにも違いすぎる。
だから、本物の天使だと思った。
恋愛感情、ではない。それはもっと崇高な、信仰とも呼ぶべき感情だろう。
哀れな奴隷の子供、その運命を導く白き神が遣わした天使であると。故に、彼女達に尽くすのは、クルスにとってこの上ない喜びであり、救いの道そのものとなっていた。
だから、十人もの子供達を世話し続けることは、苦ではなかった。少しばかりひもじい思いをしても、あの子達に自分の食事を分けることにも、全く不満はない。
リリアンが攫われ、最果てのカーラマーラにまでやって来て、いつギャングが襲ってくるかも分からない危険な生活でも……耐えられた。僕はもっと頑張れる、もっと尽くせる、レキとウルスラ、僕の天使たちのためならば。
だがしかし、それがとんだ思い違いであることを、クルスはあの日、あの瞬間、思い知った。
二人は、天使などではない。
神の使命を帯びて、どんな過酷な運命をも切り開く力を持っているわけではない。
レキとウルスラ、先に限界を迎えたのは彼女達の方だったのだ。
だって、リリアンを助け出したのは、クロノだったから。
「これが本当の運命、だったのかな」
クロエ司祭、と彼女達が呼んでいた、憧れの男。
その話を、今まで何度聞いたか分からない。けれど、不思議とあまり覚えていないのは何故だろう。
それはきっと、自分の全く知らない宗教の神について語られるような、そんな気持ちだったからかもしれない。レキもウルスラも、全幅の信頼、いいや、それ以上のもっと大きく深い感情を、その男へと抱いている。まるで、神様でも信じるように。
けれど、本物の神様が人間の前へ現れることはない。加護を授かる瞬間でさえ、その囁き声が聞こえるかどうか、といった程度。
つまるところ、クルスにとってクロエ司祭は、もう二度とレキとウルスラの前に現れることはない、神のように遠い存在だと思っていたのだ。
だから、嫉妬心などない。あの二人が熱烈に愛を語る男のことなど、気にならない。だって、再会などできるはずもない。二人を見捨てて逃げた男なんて、今更、出てきてよいはずがない。
彼の存在は永遠に、尊敬の念を一身に受ける思い出の中にだけあればいいのだ。
現実に、これから先ずっと、この二人を支えるのは自分なのだから――
「本当に、馬鹿だよね……レキ、ウルスラ、君達は天使なんかじゃない……」
同じ、だったのだ。
レキも、ウルスラも、自分と同じ。ただ、信じる者が違っただけ。
二人にとってクロノは、自分にとっての二人と同じ。
「……普通の、女の子だったんだ」
リリアンを抱えてやって来たクロノ、その隣に立つ二人の目は、ああ、正に、神の奇跡を目の当たりにした信者のよう。
二人とも、自分と同じように、誰かに助けて欲しかったし、導いて欲しかった。
そして本当に、信じがたいことに、現実に現れてしまったのだ――レキとウルスラを救う者が。よりによって、二人の最も愛する男が。
「そうだよね……こんな人がいたら、頼るに決まってる……君達が頼れるような男だよ、あの人は」
クロノが現れてから、生活は一変した。
リリアンを救い、襲ってきたギャングの集団を軽く蹴散らし、ダンジョンの中でも堂々と生活拠点を確保してみせた。
レキとウルスラを圧倒するほどの隔絶した力。当面は食って行けるだけの資金。
自分達が必要だった何もかもを、クロノは持って現れた。
「リリアンは正しいよ。うん、ようやく、安心できる場所を見つけたんだから」
何故、リリアンがクロノに懐いているのか。その理由を一番理解しているのは、きっとクルスだけだろう。
彼女は常に不安だった。最年少の幼児ながら、この環境がどれほど危険なものであるのか、恐らくは本能的に察していた。
だから、クロノに抱かれた胸の中が、どこよりも安全で安心できる場所なのだと、リリアンは悟ったのだ。
レキとウルスラを天使と神格化して、生活でも精神的にも頼り切っていた自分とは、大違いである。リリアンは最初からずっと、こんな子供達だけの生活がいずれ破たんすることを確信していたに違いない。
「だから、僕はもういいだろう……いいや、耐えられないよ」
クロノが現れて、自分の存在価値を失った。
彼に頼っていれば、子供達の面倒など些末な事。率先して自分がやらなくても、何の問題もない。
クロノが現れて、幻想を打ち砕かれた。
レキとウルスラはただの女の子で、クロノのことを慕い、敬い、愛し、そして、とうとうその身を捧げるまでに至っている。
クルスはとっくに気づいている。毎晩、彼の寝室へと二人が通っていることを。二人が初めて、そこへ向かった夜のことを。
そうなるのは当たり前のことなのに、予想なんてできていたことなのに、覚悟だってしていたはずなのに、あの現実を目の当たりにした時、クルスは死ぬほど吐いた。
「ここに僕の居場所はもうない。僕の天使はもういない」
自分のすべきことは何もない。
孤児院に入る? いいじゃないか。ようやく、本来いるべきところに至っただけのこと。
良かったじゃないか、レキ、ウルスラ。邪魔なお荷物がようやく消えて、心置きなくクロノと愛し合える。
誰もが幸せになる、そんな未来を邪魔する気はない。
「だから、僕はもう、行くよ」
朝日が差し込む病室の中、クルスは慈しむように眠るリリアンの頭を撫でた。
「さようなら、リリアン。元気でね」
そう言い残して、クルスは一人、立ち去って行った。
2019年7月26日
コミック版『黒の魔王』第2巻、発売です!
第2巻は10話まで収録。カバー裏の4コマもあります。
どうぞ、よろしくお願いします。
それから、今週24日はなんと、コミック版『黒の魔王』が休載――なので、せめて原作だけでもお楽しみいただくため、2話連続更新とさせていただきます。
引き続き『黒の魔王』をお楽しみください。