第713話 イチから始める黒魔法使い(2)
疑似、と名のつくものの、全ての属性を再現する力をいつの間にか手に入れていた俺は、それらを元に新たな黒魔法の開発を始めた――のは昨日の話で、今日の俺は右手に木刀を携えていた。
場所はつい先日バーベキュー大会が催された校舎の中庭。
それなり以上の広さを持つ四角い庭の中には、俺とレキが向かい合って立つ。
「ヘイ、クロノ様、本気で行くデスよ!」
尻尾があればブンブン振っているだろうと思えるほどのハイテンションで、レキは俺に向かって木刀を向け、構える。
「ああ、全力でかかって来い」
そして、俺もまた木刀を構えた。剣ってどう構えるのが正解なのかイマイチ分からないが、とりあえず正眼と呼ぶべきオーソドックスな構えを適当にとってみた。
機動実験では、真っ当な剣術というものを学んだことはない。というか、あのマスク共は基本的に俺の体を問答無用で改造するか、対戦相手となるモンスターやら実験体やらをけしかけてくるだけで、俺に何かを教える、説明する、ということは皆無であった。
そもそも、武器を与えられることがなかった。囚われの身であるのだから、武器なんて与えるワケないが。
俺が唯一、武器を手にするチャンスは機動実験の相手が武装している場合だ。この時だけは、戦闘終了まで俺が相手の武器を奪っても、使用が許されている。
ただし、終了すると強制的に放棄させられる。影空間に仕舞い込んでみてもダメだった。釘や針のような小さなモノを口に含んで隠し持ってみてもバレたし、思い切って飲み込んでみてもダメだった。
そういうチャレンジをした時は、罰としてリングでとんでもねぇ苦痛を味わう羽目になったので、あまり何度も挑戦する気力は失われてしまったが。もっとも、他に残された隠し場所など肛門くらいしかないのだが、試しても無駄なことは明らかだったのでやめた。
ともかく、黒魔法と徒手空拳による戦闘は慣れたものだが、剣などの武器を使った戦いにはあまり慣れていない。シンプルな剣という武器一つとっても、それを効果的に扱うには相応の技術がいる。俺の乏しい武器使用経験で理解したことの一つだ。
だから、あまり武器があっても頼りにはしなかった。ただの鉄の剣や槍なんかでは、俺が全力で振るえば割とあっさり壊れるし。刃物って、意外とデリケートなんだよな。
マトモに振るって使うより、投げて使った回数の方が多い気がする。最終的には『自動剣術』というフリーハンドで操作するという方式に落ち着いたわけだが。
さて、そんな剣の扱いにはとんと自信のない俺ではあるが、昨日レキと約束した通り組手をしなければいけない。
互いに木刀を武器として、その他には特にルール無用でとにかく実戦同様に戦うのが、かつて俺がレキとやっていた組手であるらしい。せめて眼つき金的は禁止とか、それくらいは決めておけよ。
怪しいルールは俺が気を付ければ問題はないだろう。寸止めは心がけておく。
「フゥー」
思うものの、いざ木刀を構えたレキはなかなかの迫力である。
彼女の力はこれまで多少は見てきたつもりではあるが……この辺にウロついてるゾンビ程度では、全力を引き出せるほどではないってことか。
真剣ではないとはいえ、この圧力は実験体の奴らと遜色ない。いつもの天真爛漫な姿が嘘のように、恐ろしいほどの戦意がみなぎっている。
今のレキはただの少女ではなく、一人の立派な戦士だ。
警戒心を一段階引き上げたその時、レキが動いた。
「フッ!」
まるで、獲物に狙いを定めた肉食獣がいざ狩らんと走り出したような勢い。事実、レキの踏み込みはかなり速い。
素の身体能力でこれか、いや、移動系の武技ってやつだろう。彼女の両足からは、それなりでは済まない魔力の高まりを感じられる。
「スラァーッシュ!」
「うっ」
まずは一太刀受けてみよう、と思ってかざしかけた木刀を俺は慌てて退いた。同時に、体も半歩引き、首元スレスレにレキの振るった木刀が轟々と唸りを上げて通り過ぎていく。
まさか、いきなり武技を使って来るとは。
魔法とは別の理で、魔力で肉体や技そのものを強化する術は『武技』と呼ばれている。
機動実験の時には、武技という名前こそ知らなかったが、特に強力な斬撃や突きなどの攻撃を行う奴らは、人型モンスターにも実験体にもいた。だから、体感的に武技のことは知っている。
レキの放った『スラッシュ』は斬撃の威力を単発で上昇させる基礎的なものだが、人間相手なら余裕の必殺だ。木刀だろうと、武技の威力が乗っていれば軽く撲殺できるだろう。俺の体でも、当たれば痛いじゃ済まなそう。木刀を引いたのも、そのまま受ければ折れると判断したからだ。
そんな攻撃を容赦も躊躇もなく初撃で繰り出してくるとは、レキは狂戦士か何かだろうか。あるいは、よっぽど俺の実力を信用しているのか……記憶を失った今の俺は、絶対にレキの知ってる頃の俺よりも弱いはずなのだが、その辺は考慮してくれなかったか。
「シャアアッ!」
「うおっ――と」
際どい回避をしたくせに、ゴチャゴチャと余計なことを考えていたせいか、レキの鋭い追撃をあっさりと許してしまう。
武技ってのは大抵、放った直後に大なり小なり隙ができるので、あの一撃を回避したタイミングは俺にとっての反撃のチャンスではあったが、普通にスルーしてしまった。
組手だからいいだろう。一秒でも早く相手を倒すのがベストなのは、実戦の殺し合いだけで十分。
「けど、呑気に様子見していられるほど甘くはないようだな、レキ」
「イエェア! まだまだこんなもんじゃない――デェーッス!!」
荒々しく力強いレキの猛攻を前に、俺はひたすら回避の防戦一方となる。
剣術を極めたような流麗さはまるで感じられないが、木刀を、いや、剣という武器を使うのには慣れきっている動きだ。恐らく実戦の中で、我流で磨き上げたのだろう。
息つく間もない嵐のように激しい連撃は、俺に手加減をした軽い一撃を出させる余裕を奪い去る。ただの組手、と軽く考えていたのは俺だけのようで、レキは本気で俺を殺さんばかりの凄まじい気迫と共に、木刀を振るい続ける。
「スラッシュ!」
ここだ。
連撃の中で焦れて来たか、レキが思い切って武技を使ってきた。これを回避すれば、発動後の硬直を狙って、安全に一撃を叩き込める。万に一つもレキの玉の肌に傷が残らないような、優しい一撃を。
「くっ」
反撃のためにあえてギリギリのところで回避を狙い、どうにか成功させる。
あとは、こっちが一歩を踏みこみ一発当てれば――悪寒が俺の背筋を駆け抜ける。
「――ブレイザぁーっ!!」
武技の連撃だと!?
いや、正確には強引に武技を続けて発動しているだけだ。しかし、無理矢理にとはいえそれを可能とするレキの身体能力は恐るべき。
それ以上に虚をつかれたのは、レキが初撃で『スラッシュ』を使ったのも、二度目の時に俺をカウンター狙いに誘うための布石だったことだろう。
レキは多分、最初から俺が遊び半分の気分であることを見抜いていた。だから、ほどよく反撃が狙える武技の技後硬直という隙をさりげなく、しかしこれみよがしに提示した。
そして、ソレにまんまと乗った俺を仕留めるために、武技の連続発動にして、この連撃の武技『ブレイザー』を放ったというワケだ。
おまけに、それとなく回避に徹していた俺を中庭の隅という、後退しようのない場所まできっちり追い詰めた上で仕掛けてきている。
油断を誘い、地の利まで得て必殺の武技を放ったレキは……なるほど、本当の意味で彼女は最初から本気だったのだ。
だから、これはそんな彼女の思いに、俺が応えたからじゃない。レキがその力をもって、俺に本気の対処を迫った。
「ぐうっ」
不意打ち同然となったブレイザーの一撃目は、俺が咄嗟にかざした木刀を力強く弾く。手離すことは避けたが、右腕が完全に流されてしまった。
俺が再び木刀を振るうよりも前に、レキの二撃目が飛んでくる方が早い。
木刀という盾もなく、壁際に追い込まれ逃げ場も失った俺に対し、情け容赦なく武技の威力がのった強烈な二撃目が迫りくる。
「――すまん、レキ」
と、謝罪の台詞が口から出たのは、本能的に繰り出していた俺の咄嗟の反撃が終わってからだった。
「うぐっ、はぁっ!?」
レキの小さな体が軽々と宙を舞っている。
彼女を吹っ飛ばしたのは、俺の剣でも腕でもなく、足。
レキが放ったブレイザーの二撃目が届くよりも先に、俺が蹴り飛ばしたのだ。木刀を弾かれ上半身の体勢は崩れ、後ろの逃げ場もない俺に残された手段は、足を使ってカウンターを行うことのみ。
本来なら、大人しくレキの一撃を甘んじて受けるべきだった。しかし、木刀とはいえ武技の威力が宿った一撃を前に、俺の体は反射的に最善の迎撃行動をとってしまっていた。
正直、加減できなかった。かなり本気の蹴りが、深々とレキの腹部に炸裂する。
「おい、大丈夫か?」
蹴り飛ばされたレキは、そのまま地面に落ちて庭を転がり二転三転。
受け身をとれたようには見えなかったが、木刀を手離さずに、即座に立ち上がり――
「う、ぐぅ……げぼぉおああああ!」
吐いた。
「うわああああ!? ごめんレキ! マジで大丈夫か!?」
「えへへ……やっぱり、クロノ様は強いデス」
ぼんやりとした半ば夢見心地の気分で、レキはうわ言のようにつぶやく。
「本当にすまない、加減はするつもりだったんだが」
誰もが恐れる鋭い目だが、レキにとっては慈愛の眼差し。
いわゆる膝枕の体勢。レキは頭をクロノの膝に預け、クロノはレキを見下ろしている。
「ううん、嬉しいデス。ちょっとだけでも、本気になってくれたから」
ポーションによる治療は、自ら拒んだ。
この腹部に残る熱い鈍痛は、クロノの力の証。
開拓村で組手をしていた頃では、ここまでの痛みを味わうことはなかった。当然だ、クロノの力は圧倒的で、どんなに天才的と言われても、自分は所詮ただの小娘に過ぎなかった。
優しいクロノは常に手加減をしていたし、万に一つも傷痕が残ったりしないよう、細心の注意をレキとの組手では払っていたことは、実際に相手をしていた自分が一番よく実感している。
だからこそ、より強く、より重く、より容赦のない一撃が欲しかった。
その痛みは成長の証。
吐くほどの衝撃と痛みをもたらしたクロノのカウンターキックは、レキが強くなった何よりの証明だ。
「ああ、完全に追い込まれてしまったからな。つい、本気で反撃してしまった……やっぱり、俺もまだまだ未熟だ」
嬉しい。誇らしい。
もっと強く、もっと痛く、この体に刻みこんで欲しい。
腹部の痛みは、甘い毒のようにジワジワと奥へ浸み込んでくるようで――
「おいレキ、本当に大丈夫か? 戻ってベッドで休んだ方が」
「フワワっ!? だ、ダイジョーブ! ノープロブレム!!」
問題があるとするなら、自分の頭の方だと思った。今、物凄くいけないことを考えていたような気がする。
「無理しなくていいんだぞ」
「じゃ、じゃあ、もうちょっとこのままで……」
役得、という言葉は知らずとも、概念は知っているレキである。
クロノに堂々と膝枕して甘えられる機会など、そうはないだろう。この際、思いっきりゴロゴロしたい。
「ゆっくり休め」
さりげなく、撫でられる頭。優しい手つきは、もっと激しくしてほしいくらいもどかしいけれど、気持ちいい。
幸せで、心が満たされる。
まるで夢のようで……だからこそ、確かめたくなったのかもしれない。今、自分がこうしていることが、本当に現実なのか。
「ねぇ、クロノ様」
「なんだ?」
「レキ、本当は……諦めていたんデス」
リリアンが攫われて、過酷なヴァルナの密林を潜り抜け、欲望の渦巻くカーラマーラに至って。
いつの頃からだろう。リリアンを助け出すという思いが、本気じゃなくなったのは。
「リリアンを助けることなんてできないって」
「でも、助けに来ただろう」
「来ただけ、それだけデス」
ただ、後には退けなかった。
一度、決めたこと。覚悟を決めたこと。その選択に後悔はない。
だって、そうしなければ、もう二度とクロノとは会えないと思ったから。
そう、つまりは全て、自分のためだった。
「レキが守らなきゃ、助けなきゃいけなかったのに……」
気が付けば、一番、大切な志が折れていた。
リリアンを助けるため、という行動を示すだけで、自分の心を満たせた。それさえしていれば、クロノに顔向けだけはできる。たとえ、途中で倒れてリリアン救出が失敗しても……仕方がなかった、精一杯やった、そう言い切れる。
けれど、そんなのはただの言い訳にすぎないと気付いたのは、今更になってからだった。
「ねぇ、クロノ様……夢じゃない、デスよね……」
「ああ」
「レキは諦めてたのに、クロノ様は助けに来てくれて……でも、そんなの」
あまりにも都合が良すぎる現実が、急に怖くなった。本当は、あの奴隷船の甲板で自分は死んでいたのではないか。
そんなことを本気で思ってしまうほど、クロノの膝の上は温かくて。
「夢なんかじゃないさ。俺はここにいいる。言っただろう、これからはずっと一緒にいるって。だから、安心しろ」
頭を撫でるクロノの手が、くすぐったくて気持ちい。
彼の優しさが伝わる手つきは、けれどもっと強く感じたくてもどかしい。
「それに、諦めていた、なんて言うなよ」
真っ直ぐに見つめて、クロノは言う。
「よく頑張ったな、レキ」
それは、きっと魔性の言葉だった。
レキの真っ直ぐな気持ちが故に感じる後ろ暗さ。リリアンのことを諦めていた罪悪感。そんな感情すら、真正面から受け入れて、肯定してくれる――堕落してしまいそうなほど、甘い囁きだ。
「苦しくて、辛くて、それでもここまで来たんだろう。レキは十分すぎるほどに頑張ったんだ。だから、俺が間に合った」
いいや、あんなのはただの偶然、奇跡に過ぎない。
自分のやったことに、どれだけの意味があったのか。
そんな葛藤は、どこまでも脆く儚く崩れ去る。
「俺はここにいる。レキが無理する必要なんかない。もっと、甘えていいんだぞ」
理性すら蕩けてしまう、悪魔の囁きだった。
「あぁ、うぅー、クロノ様!」
抱き着いたのは本能だろう。
溶けた理性で、頭を撫でられるだけなんて耐えられない。
ギュっと、キツく、力の限り、大きなクロノの体に抱き着く。子供達を抱きしめる時には決して出せない、フルパワー。
でも、クロノは何てことのないように、受け止めてくれる。クロノだけが、自分の全てを受け入れてくれる。
「よしよし」
と、優しく抱き返しては、撫でてくれる。こんな子ども扱いが、今はたまらなく気持ちがいい。
「ああ……クロノ様、大好きデス」
ようやく、ウルスラの言っていたことが、分かった気がする。
こんなに甘えられるなら、こんなに気持ちが良いのなら――本当のクロノを騙してでも、ずっと浸っていたい。
我慢なんてできない。だって、こんなにも、愛しているのだから。
「レキ、そのだらしない顔はなんなの」
「にゅふふ、なんでもないデース」
デレデレと俺の腕にまとわりついたレキを半ば引きずりながら、地下室に戻って来ると、普段よりもキツいジト目で睨むウルスラが出迎えてくれた。
「クロノ様、レキとナニしてたの」
「いや、普通に組手してただけのはずなんだが」
はずなのだが、俺が真面目にやればやるほどレキのテンションがおかしな方向に。
レキがゲロ吐いた時点で、しばらく休憩したのだが……レキが珍しく弱音みたいなことを吐いていたから、ありきたりの言葉ではあるが精一杯に慰めてみれば、そこからやけに張り切ってしまった。
休憩後のレキは、さらに激しい勢いで挑みかかって来た。
様子見が必要かと思ったけれど、全く止まる気配はなく、結局そのまま続行となってしまったのである。
レキの動きはさらに素早く、力強くなっていったから、ダメージ自体は大したことなかったのだろうが……それにしても、あの猛攻ぶりは正に狂戦士だった。俺もほとんど本気で対応せざるをえなかったし。
「ふふふん、魔術士のウルには分からないデスよ、この血沸き肉躍るカーニバルな感覚は」
「ああ、レキ、私が思っていた以上に歪んだ性癖に……クロノ様、責任とって」
「こらウルスラ、冗談でもそういう言い方はやめるんだ」
それじゃあまるで、レキが殴る蹴るの暴行をされて喜ぶドMみたいに聞こえるだろうが。
「とりあえず、レキは先にシャワー浴びてくるの」
「センキュー、先にいただくデース。クロノ様一緒に――」
「さっさと行くの」
「ブー」
と頬を膨らませながらも、組手ですっかり汗まみれになったレキはタオルと着替えを抱えてシャワールームへ駆けて行った。
「私は夕飯の支度をするから、クロノ様は休んでて」
「俺も何か手伝うよ」
「お手伝いは子供達の仕事だから、とらないであげて」
それもそうか、いやでも、などと思い悩んでいる内に、ウルスラは子供達を連れてさっさと食堂へと消えて行った。
とりあえず、今日のところは好意に甘んじて、レキがシャワーから戻るまで休ませてもらおう。
俺は一旦、自室に戻ることにした。
「クロノ様、お勤めご苦労様でーす」
ベッドに寝転がりながら、可能性広がりまくりの黒魔法について考え始めていたら、声をかけられた。
ひょっこりと顔を覗かせて現れたのは、ミアだった。
「ああ、どうしたんだ、もうできたのか?」
「ううん、まだもうちょっとかかるかな」
別に夕飯で俺を呼びに来たワケじゃないのか。じゃあ何で来たんだこの子は。
「お疲れの様子だから、マッサージでもしてあげようかなと」
「そんなに疲れているワケじゃないが」
「疲れてるよね!」
「……じゃあ折角だから、頼むよ」
「任せてよ、僕得意なんだよねー」
押しの強い子だな。
体力も超人並みの俺は、魔力も合わせて大量に消費するくらいしなければ疲労感などもないのだが、レキとの組手はなかなか激しかったこともあって、ここ最近では一番体力を使ったかもしれない。少なくとも、ギガスよりかはずっと良い相手だった。
かといって、マッサージをお願いしたくなるほどの疲労はないのだが、ここまで押されてしまえば断るわけにもいくまい。
やけに自信満々な表情で、ヒョイっとベッドへと乗り込んでくるミア。
「それじゃあ、うつ伏せになって」
「ああ」
「お客さん、こういうお店は初めてですかー?」
「いかがわしいこと言うな」
どこでこんな台詞を覚えて来るんだ。ウルスラか、ウルスラの持ってる本が悪いのか。
子供の情操教育について割と真剣に考えながら、ミアのマッサージを受ける。
まずは背中から肩のあたりをモニモニと小さな手が押してくる。ちょっとくすぐったい感じ。
「どう、気持ちいい?」
「うーん、言うほど気持ちよくはないなー」
「ええーっ!?」
「正直なところ、もうちょっと強めがいい」
「むーん、こんな感じー?」
「ああ、いいんじゃないか。その調子で頼む」
大して凝ってもいない肩を、ムニムニされるのはこそばゆいだけなのだが、こういうのは気持ちだから。
というか、この歳でマッサージされて「あ゛あ゛ぁー」とかしみじみと声を漏らすくらい気持ちよくなってしまったら、まずいだろう。俺はこの顔と高い身長のせいで、大体の人に年上に見られがちだが、中身までジジ臭いつもりはない。
「ねぇ、クロノ様はどうしてそんなに強いの」
今度は腰のあたりをグリグリされながら、ミアは実に子供らしい質問をぶつけてきた。俺にとっては、なかなかトラウマを抉るような問いかけだが、今となってはショックを受けるほどのことでもない。喉元過ぎればなんとやら、ってやつか。
「さぁ、どうしてだろうな。気づいてたらこうなってた……いや、一応、修行はした」
「へぇー、修行かー」
「ああ、死ぬほどキツい修行だった。だから、逃げ出して来たんだよ、俺は」
「そのまま最後まで修行してたら、もっと強くなってたのかな」
「強くはなれただろうが、ロクな人間にはならなかっただろうよ。だから、逃げ出して正解だったんだ」
あのまま実験が続けば、俺も自我が消滅した立派な殺人マシーンになっていただろう。そんなのは、正に死んでも御免ってやつだ。
「じゃあ、加護も持ってるの?」
「加護? ああ、そういえば、そういうモノもあるんだったか」
加護、とは文字通り、神様から力を授かることをいう。
流石は剣と魔法の異世界とでもいうべきか、どうやらここには本物の神様が存在しているらしい。もっとも、神の定義は色々とあるのだろうが、少なくとも、人智を越えた存在が特別な力を、その神を信じる者、または選ばれし者に与えられるという。
それも、パンを増やしたり水を葡萄酒に変えたりといった神秘的なモノではなく、即戦力になるような魔法や強化、技などを授かることができる。この世界で一流と呼ばれるような騎士や冒険者などは、大抵は何かの加護を持っているという。
「いいや、俺に加護はないな」
そもそも日本人の俺に、異世界の神など知る由もない。お祈りの一つも捧げていない奴に、いきなり神様が目を付けて力をくれるワケないだろう。
というか、そんな選ばれし存在に俺がなれるというのなら、あの実験中に力を授けてくれよと。
「そうなんだ。じゃあ、クロノ様が加護を授かったら、今よりもっと強くなれるんだね」
「どうだろうな、ロクに神様のことも知らない俺に、加護をくれるとは思えないが」
「そんなことないよ。パンドラには沢山の神様がいるから、どんな人でも加護を授かる可能性はあるんだよ」
そういえば、ここは多神教なんだっけ。俺を召喚したあの十字の連中は、どうもキリスト教モドキで一神教な印象を受けるが。
そんなことより、ミアの物言いはまるで聖職者のようにありがたい感じである。奴隷として売られる前は、教会か神殿にでもいたのだろうか。
「ミアは神様に詳しいのか?」
「古代の頃のは大体知ってるよ」
「凄いな、それっとほとんど全部じゃないのか」
現在、加護を授ける神とされているのは、このダンジョンが現役稼働していた遥か数千年は昔の古代と呼ばれる時代に実在した人物だ。つまり、英雄的な活躍をした伝説的な者が死後、神様に祭り上げられるパターンである。
加護の力は、その英雄が誇っていた力や、その伝説にちなんだモノになるらしい。
しかし、神になるのは人だけでなく、途轍もない災厄となる超強力なモンスターなども神となるようだ。これは自然災害などを恐れて神格化するのと同じパターンだ。
こういった人間など歯牙にもかけないモンスターの神も、その神の加護を授かれる人がいるというのは不思議な話である。
「今は暗黒時代初期の人も神様になってたりするからね。スパーダの『剣祖ジークハルト』とか『赤雷侯ラインハルト』とか。一族から二人も神様になるとか、凄いことだよ」
「やっぱ詳しいじゃん」
俺も加護とか神については、ウルスラからサラっと聞いただけだからな。古代という時代の存在と、あとはよっぽど有名な神の名前をちょっとだけ知ってるくらいだ。
「古代以降でも神になった奴がいるなら、今の時代でも神になれるかもしれないのか?」
「多くの人に讃えられるか、恐れられるかすれば、神の座につく資格は得られるかもね」
かといって、自分がそういう風になりたいとは思わないが。
伝説を残す英雄になるなど、とんでもない。ここにいる、たった十数人の子供を守るだけで必死になっている俺には、到底無理な話だろう。
「なんにしろ、すでに沢山の神がいるんだから、今更、新しく伝説作って仲間入りってのも難しそうだけどな」
「古代の英雄達だって、それぞれに信じた神がいて、加護を授かっていたんだよ」
「そうなのか……たしか、古代よりさらに前の、神代ってやつだっけ」
確か、創世神話的にこの世界が誕生してから、本物の神が人と共に暮らしていたという最初の時代が神代で、それから今のように人だけの世界となってからが古代。それから、ダンジョンを作るほど高度に発展した魔法文明が崩壊して以降、何が起こったのか分からない歴史の空白期間が暗黒時代と呼ばれ……そして、再び人々が古代遺跡を利用したりしつつも新たな国を築いてゆき、現代に至る。
おおまかな歴史区分は、確かこんな感じだったはず。暗黒時代という謎の時代があるからこそ、古代遺跡に残される、その時代の話が伝説として現代に伝わるという寸法だ。
「でも、今の時代に神代の神の加護を授かってる奴っているのか?」
「一人もいないと思うよ」
それもそうか。古代よりもさらに古い、神代の神の加護です、などと言えばもっと強力で、もっと有名になっていそうだし。
パンドラ大陸で最も有名なのは、史上初めて大陸統一を果たしたというエルロード帝国皇帝、通称、魔王ミア・エルロード。
そう、この子の名前の元ネタとなっている神だ。
あまりに偉大な存在だと、恐れ多いと同じ名を名乗らないか、それにあやかりたいと沢山の人が名乗るか、と二つのパターンに分かれることが多い。魔王ミアは後者の存在として、今でも沢山のミアさんがいるようだ。
ともかく、現在の神では古の魔王ミアが知名度トップであり、神代の神という者は聞いたこともない。
「――それじゃあ、神代の神はどこに行ったんだろうね?」
その問いに答えられる者なんて、きっとこの世には一人もいないであろう。
「さぁな、のんびり隠居でもしてるんじゃないか」
だから、俺は適当に答えるだけだった。