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黒の魔王  作者: 菱影代理
第36章:最果ての欲望都市
717/1044

特別企画 未発表作品体験版その3 『異世界機動装甲兵戦闘記録(仮)』

 体験版第三弾。

 ジャンル分けとしては異世界転生・転移の『文芸・SF・その他』になるかと思います。タイトルでお察しの通り、パワードスーツ着たSF兵士が異世界転移して大冒険的な話です。


 プロローグ


 俺は一人だった。

 いわゆる物心つく、という頃には一人で、親の顔に覚えはないし、そもそも両親という概念すら知らなかっただろう。

 誰に言われたワケでもない、誰に教えられたワケでもない。一人の俺は、ただ生きるために、ゴミ山でゴミを漁って暮らしていた。

 だから、俺はゴミなのだと本気で思っていた。

「我々は、地球ジアース連邦軍である!」

 その日、彼らはゴミ山へやって来た。

「連邦軍は現在、志願兵を募っている! 凶悪なインヴェイダーの手から、我らが母なる故郷、地球を取り戻すのだ!」

 その時の俺は、連邦軍という組織どころか、地球も、インヴェイダーのことも知らなかった。

「このエンケラドゥス第八資源廃棄区画に住む違法居住者に告げる! 我ら連邦軍の兵士となれば、不法滞在、および、違法な廃棄資源利用の罪を相殺とし、三等兵の地位と第5級生存権を与える!」

「ふざけんな、誰が兵士になんてなるかよぉ!」

「ちくしょう、こんなところまで来やがって!」

「ああ、どうしてこんなことに……私達はただ、静かに暮らしたいだけなのに!」

 俺と同じゴミ山に住んでいるゴミ達は、やって来た連邦軍に対して何やら叫んでいた。彼らの気持ちなど俺には全く分からなかったし、考えようとも思わなかった。

「……かっこいい」

 ただ、俺はあの時、整然と立ち並んだ連邦兵士の姿に目を奪われた。

 黒で統一された、シワ一つない軍服。手にした武器ライフルは微動だにせず構えられ、得も言われぬ迫力があった。

 同じ人間の姿をしているのに、彼らはゴミではない。もっと綺麗で、美しくて、言葉にできない素晴らしい存在に見えた。

「なります」

 俺の足は自然と動いていた。

「へいし、なります」

 夜の光にゴミ虫が惹かれるように、俺は彼らの前へと進み出ていた。

「おれ、へいし、なります」

 俺も、彼らのようになれるのならば、夢のようだと思った。

 だから、俺は迷うことなく言った。

 そして、こんなゴミの頼みを、彼らは――

「素晴らしい! 勇気ある少年よ、歓迎しよう」

 薄汚れたゴミである俺を、兵士の先頭に立つ屈強な男が抱き上げる。

「――ようこそ、地球連邦軍へ」

 そして、俺は兵士となった。




「……あー、ヤベぇ……ガキの頃の夢を見るとか、完全に死亡ルート入ってたわ」

 ソーマトー、とか言うんだっけ。死に瀕した時、人間が活路を見出すために、瞬間的に記憶を想起させる現象だ。まぁ、何かを思い出したところで、大体どうにもならないんだけどな。

「ふぅー、とりあえず、まだ天国ヴァルハラに招かれたってワケじゃあなさそうだ」

 目をパチパチさせて周囲の光景を見る限り、ここは天国とは程遠い、地獄の戦場が広がっていた。

 燃え盛る炎に、滞留したエナジーのスパークがあちこちで散っている。

 何かが燃える焦げ臭さと、まき散らされたオイルの臭い、人間の血臭――そして、忌々しいインヴェイダー共の死骸から発する、クソみてぇな臭気。うん、全く以って、いつも通りの香しい戦場の香りである。

「チクショウめ、俺以外は全滅かよ」

 一目で生死の判断がつくほど、バラバラになった仲間の死体が転がっている。

 結構な爆発に巻き込まれたせいで、着こんだ『機動装甲アサルトスーツ』ごと手足が千切れ飛んでいやがる。

「五体満足で生き残ったのは奇跡だな」

『バイタル、正常』

「お前はいっつも報告が遅ぇーんだよポンコツ」

 連邦軍の歩兵隊全員が着用している、対インヴェイダー用の鎧『機動装甲アサルトスーツ』には、サポート用AIが搭載されている。

 もっとも、高性能なAIを使うことはできないので、21世紀初頭レベルの骨董品だ。このポンコツを頼りにするような奴は一人もいない。

 コイツの言われるまでもなく、自分の体がどうなっているのかくらいは瞬時に把握できている。

「手足があって、目も見える、耳も聞こえる、おまけにトークもできりゃあ完璧だ。俺は、まだ戦える」

 あ、でも残弾とエナジー残量が心許ないから、名誉の戦死を遂げた仲間達からありがたく補給をさせてもらおうか。

「お前ら、確か『グレイハウンド』だったか……後は俺に任せておけ」

 灰色のスーツに犬のエンブレムだから、間違いない。ウチのチームと違って、専用機持ちのエリート部隊だから――おお、やっぱエナジータンクの容量も余裕がある。これで一気にフル回復だ。

「よぅし、準備完了だ」

 エナジータンクは満タン。弾もグレネードも持てるだけ持った。

 サブアームはとっくにぶっ壊れたし、スラスターもグズり始めているが、まぁ、何とかなるだろう。

 俺の『プレデター改Ⅱ』は量産機を改造したモノに過ぎないが――

「来いよテメーら、制限時間いっぱいまで付き合ってやるよ」

 崩れかけのハッチから、ゴキブリのように人類の敵は這い出してきた。


 ギキキキ、キェエエエエアアアアッ!!


 耳障りな絶叫を上げるのは、ウォーリアローチ、すなわち、ゴキブリ型のインヴェイダーだ。

『インヴェイダー』は、地球人類が本格的な宇宙進出を始めた頃に、突如として現れた謎のエイリアンだ。

 最初に確認されたのは、不定形のアメーバ状の奴だ。今ではオリジンタイプと呼ばれるスライム野郎は、人間も、動物も、植物も、挙句の果てにはアンドロイドまで喰らった。

 そして、どうやら奴らは喰らったモノを取り込む力があるようで――瞬く間に、様々な姿形と能力を持つバリエーションを獲得した。

 そして当然、奴らは取り込んだ分だけ増える。

 明確な知性は確認されていない。だが、その圧倒的な捕食力と爆発的な増殖力とでもって、奴らは広がりつつあった人類の領域を奪って行った。

 唐突に現れた侵略者。誰かがそう呼び、気付けば『インヴェイダー』が正式名称として定着した。

 恐るべき能力を誇るインヴェイダーを前に、人類は劣勢を余技なくされ、地球を奪われ、月を奪われ、火星を奪われ、建造されていた数多のコロニーを飲み込んで行った。

 だが、それはもう二百年も前の話だ。

 俺が兵士となった頃から、残された人類が一致団結した唯一の軍事組織『地球ジアース連邦軍』はインヴェイダーへと大反攻作戦を開始した。

 連邦軍の本拠地、土星の衛星軌道上にある巨大コロニー『アルアカディア』から、俺達、連邦軍は徐々に地球へと迫って行く。道中のインヴェイダー共を根こそぎ滅ぼしながら。

 そして、俺達はついに火星まで辿り着いた。

 地球から最も近い惑星である、あの火星だ。戦前では、地球に次いで栄えた惑星でもある。俺の小隊チームにも、火星出身者の末裔がいるし、人類にとって重要な意義を持つ星だ。

 その火星を取り戻すための『アレス作戦』に俺は参加し――そして今、その最終局面を迎えようとしている。


 ギョオアアアアアアアッ!


 と、吠えるローチに向かって、俺はライフル弾をお見舞いする。

「うるせぇーんだよゴミ虫が。あと3分でテメーらの駆除は完了だ」

 インヴェイダーは巣を作る。

 そこで増殖し、さらに強力な個体が生まれたりする。

 巣には女王マザーがいて、知性はないものの、どうやら他のインヴェイダーを操る力があることが判明している。

 つまり、巣を潰せば奴らの戦力は激減。残りは半端な奴らがウロつくだけで、新兵でも余裕な残党狩りとなる。

 ただし、巣を攻められた時のインヴェイダーは、苛烈な反撃を仕掛けてくる。

 奴らのブサイク面の表情など見分けはつかないが、とにかく必死になって俺へと向かってくるのは分かる。

「ははははは! ママがファックされてお怒りかぁ!? 馬鹿が、もう遅ぇんだよ、あのクソビッチの子宮ハラの中にはしこたまブチまけてやったからなぁ!!」

 女王マザーを確実に倒す手段は限られる。

 本体そのものが巨大であることに加え、危険を感じると逃げることもある。

 故に、上空からの戦略爆撃は効果が薄い。まんまと地下を逃げられて、別な場所で巣を構えるだけだ。

 だから、女王のいるセントラルハイヴを完全攻略するためには、直接、歩兵をけしかけて仕留める他はない。

 基本的には逃げ道を封鎖しつつ、陽動部隊が敵防衛戦力をおびき出す。そして、その隙に女王をブチ殺すための精鋭部隊が巣へと突入を敢行する。

 俺の第七小隊は、このアレス作戦において、栄えある突入部隊に抜擢されたワケだ。

 そして、見事に女王を確実にぶっ殺せる、連邦軍特製、臨界プラズマ爆弾、通称『マザーファッカー』の設置に成功。

 これまで確認された中でも、最大級のサイズを誇る火星の女王には、もう逃げ場はどこにもない。インヴェイダーを生み出す奴の腹部にくくりつけてやった爆弾のタイマーは、起爆までもう3分切っていることを、俺のヘルムのタクティカルモニターには表示されている。

 勿論、タイマーに解除コードは存在しない。一度、火を入れればもう誰にも止められない。

「おい、このクソ山にはあとどれくらいのヴェイダーがいやがるんだ? 一千万か? 一億か?」

 アホなインヴェイダーは、まだ女王が助かると思って、逃げもせずに奮戦している。

 臨界プラズマ爆弾が爆発すれば、女王だけでなく、周囲一帯は焦土と化す。巣と共に、残ったヴェイダー共も一網打尽というわけだ。

 最高だ、これだからセントラルハイヴ攻略は止められねぇ。

「はぁーっはっはっは! 一億オーバーのキルスコアで死ねるとは、兵士冥利に尽きるってもんだぜ! 連邦軍万歳!!」

 俺が立っている巣の頂上、旧、火星司令部の屋上に、徐々に現れるインヴェイダーの数が増えてくる。

 そこら中のハッチからはゴキブリが這い出し、空にはブンブンとキラービーの大群も見える。

 ついには屋上の床をゴゴゴと割って、大型種まで出てこようとしていやがる。

「いいぜぇ……かかって来いよ! 最後の最後まで、この俺が相手んなってやるぞヴェイダー共ぉ!!」

 ギチギチと凶悪な顎を鳴らして這い寄るゴキブリを撃ちまくり、先頭切って飛び込んできたキラービーを、抜刀した軍刀で一刀両断。

 さらに腰からパージしたグレネードをあるだけ蹴飛ばして、屋上を突き破って来たティラノサウルスみてぇな大型種のバカデカい口へ放り込む。

 折角ここまで来たんだ、死ぬなら派手に大爆発で散りたいもんだ。断じて、奴らの汚らしい爪牙にかかって死んでやるか。

 爆発まであと一分。

 後先考えることなく、最後の戦いに興じる俺のテンションは最高潮。

 ああ、最高の人生だった。

 ただ生きているだけのゴミだった俺が、こうして、立派な兵士として最後まで戦い抜いたんだ。

「テメぇらに脳ミソがねぇなら、魂に刻め――」

 夢は叶った。俺は、俺が憧れた最高にカッコいい連邦軍兵士になれた。

「――俺はヒューガ・レイン大尉、インヴェイダーを駆逐する地球ジ・アース連邦軍の兵士だ!」

「隊長、撤退します」

 おや、死を目前にして空耳だろうか。

 ここにはいないはずの、ウチの副隊長の冷たい声が聞こえた気がするのだが。

「急いでください、時間がありません」

「なっ、アージュっ!? 馬鹿野郎ぉ、お前戻って来たのかよ!!」

 見上げれば、俺の頭上には輸送用の小型高速艇がホバリングしていた。

 その高速艇から聞こえてくる声は、紛れもなくアージュ副隊長のものだ。

 五年の付き合いで、最も長く組んでいる相棒の少女。彼女のサポートAIより冷たい声音を、聞き間違えるはずがない。

 爆弾設置後にチームを率いて先に脱出するように命令したはずなんだが――

「私だけではありません。貴方を救出するために、他の隊も支援してくれています」

 とのありがたいお言葉と同時に、空を覆い尽くさんばかりに展開していたキラービーの大群が、紅蓮の爆炎に包まれてゆく。

 おいおいマジかよ、たった一人を救出するために、高価なミサイル釣る瓶打ちかよ。

「連邦軍は仲間を見捨てない……か」

 自分でやる分にはいいけれど、救出される側になると、何て言うかこう、心苦しいもんだな。

「着陸する時間も場所もありません。そのまま回収します」

「えっ、ちょっ、待てよお前それ貨物用のアンカーじゃ」

 問答無用とばかりに、アホみたいに屋上で突っ立っている俺に向かって、船底から機械の手がついたワイヤーが降ってくる。

 人間を掴むようにはできていない、貨物運搬用の手は、ギリギリとえげつないパワーで俺の胴体を締め付ける。

「おい! これスーツの装甲にヒビ入ってんぞ!」

「回収中は動かないでください」

「ぬぁー、砕ける砕ける!」

 どうにか、俺の体が潰れる前にコンテナへの回収は成功した。マジで危ねぇ、胴体に追加装甲仕込んでなかったら完全に砕けてたぞ。

「ちくしょう、無茶しやがってアージュの奴……」

 よろめきながら、俺は格納部から彼女が操縦しているだろうコックピットへと向かう。

「おかえりなさい、隊長」

 振り向くこともなく、真っ直ぐ前を見て操縦を続けるアージュ。

 彼女の輝く銀髪頭に向かって、俺は声を返した。

「お前のせいで死に損なったじゃねぇか。最高のシチュエーションだったのに……ありがとな」

「任務を遂行したまでです。隊長、あと5秒で『マザーファッカー』起爆です。衝撃に備えてください」

「それもうちょい早く言ってくれる!?」

 彼女の隣のシートへ滑り込むように座り、スーツのブーストアシスト付きの速さでもってベルトを着用――直後、これマジで墜落すんじゃねーのかっていう衝撃と揺れが、俺達を襲った。

 これで墜落死したらカッコつかなすぎだろ、と恐怖した俺だったが……幸い、モニターには連邦軍の華々しい勝利の光景が映し出されていた。

「セントラルハイヴの消滅を確認」

「ああ、見りゃあ分かる――」

 濛々と立ち上るキノコ雲は、正に勝利の旗印。俺が設置した臨界プラズマ爆弾は、見事に無数のインヴェイダー共を道連れに、女王と巣を消し去った。

「はぁ……任務、完了だ」




 アレス作戦終了後、真っ直ぐ母艦へと帰投。

 作戦を成功に導いた英雄である俺を、仲間達の手荒い歓迎を受けながら、珍しく合成肉と甘味の大盤振る舞いの祝勝会へ強制参加となった。

 滅多にあり付けない美味い飯をたらふく食って、俺は満腹感と共に、今更ながらシャワールームへとやって来た。

 まずは備え付けの洗面台の前に立つ。

 鏡には、締まりのない表情をした黒髪の男、すなわち俺の顔が写っている。

 ゴミ山出身の俺には、自分の人種ルーツにはあまり興味はなかったが、新兵訓練の教官が「お前はニホン人だ!」と教えてくれた。どうやら、この黒い髪と黒い瞳が、ニホン人という人種の特徴らしい。

 古くはサムライとかニンジャとか、非常に優れた戦士のいた国らしい。そんな素晴らしい戦闘民族だというニホン人であることは、素直に誇らしく思っている。

 ヒューガ、という俺の名前もニホンの古い地名だという。

 あの教官殿は地球の歴史マニアだったから、色々と博識だった。完全に趣味で俺にヒューガと名付けたけど、俺は気に入っているし、わざわざクソ面倒くさい改名手続きを申請する気はない。

「流石に食い過ぎたかもしれん……」

 鏡に映るだらしない自分の顔と腹具合で、ぽつりと呟いてしまう。

 だが、流石は天然の牛肉が3%も含まれた高級合成肉だけある。普段の合成肉レーションとは、味わいが大違いだ。

 次に食える機会があるなら、月の奪還をした後になるだろう。

「あー、ようやく一服できる」

 適当に脱ぎ散らかした後に、取り出した錠剤を2つ飲む。

『安定剤』は全ての連邦軍兵士に支給されており、インヴェイダーとの過酷な戦争を戦い抜くための必需品であり、また、服用の義務もある。

 俺は特に実感したことはないが、人間というのは心が弱い生き物だ。逆境に晒された時、恐怖に飲まれて最適行動をとれず、パニックを起こすなどの問題が発生する。また、窮地を脱して帰還を果たしても、死の恐怖が残ることもあるという。

 それらを解決し、全ての連邦軍兵士が模範的かつ勇猛果敢であるためには、安定剤の服用は最も効率的な方法だ。俺は軍に入隊したその日から、一日も欠かさず飲んでいる。

 お蔭で、俺の精神は連邦軍兵士に相応しい強靭かつ健やかなものだ。

「ふぅー、落ち着いてきた」

 勝利の高揚感と、仲間達とバカ騒ぎしてきて浮かれた心が静まっていくのを感じる。

 心は落ち着かせると同時に、体には熱いシャワーを浴びる。これがいい。心身ともにリフレッシュ、というヤツだ。

「隊長」

「なんだアージュ、お前も来たのか」

「はい、私もシャワーがまだなので」

 気が付けばシャワー室へと入っていた、アージュは支給品の黒いシャツを脱ぎ去った。

 彼女のエンケラドゥスの氷面みたいに真っ白い肌と、ブルンと大きな胸が揺れながら露わとなる。

 サイズ合ってないのかと思うくらいギチギチになっている白いブラジャーを見ていると、女性は胸にも下着が必要で面倒そうだなとか、よくあんなデカいのをブラ下げて戦えるなとか、どうでもいいことをつい考えてしまう。

 胸筋ではなく、脂肪の塊にすぎない乳房という重りを、アージュはブラを外して解放する。

 本当にアイツは凄い。俺が見てきた女性の中では圧倒的に大きな胸を持ちながら、まるでハンデを感じさせない見事な戦いぶりをしてくれるのだから。

 もっとも、男女における身体能力の差など、戦闘用ナノマシンの適応率で簡単に覆される、些細なものだが。

 昔は決定的な違いだったというが、現代においては誤差みたいなもんである。

 お蔭で、連邦軍は一切の男女の区別なく、平等に兵士として扱える先進的な組織となっているのだが。

 かつて俺が住んでいたゴミ山みたいな違法居住者のコロニーなどでは、前時代的な男女差別もあると聞いている。まぁ、今の俺には興味のないことだが。

「でも、やっぱ男のほうが楽でいいけどな」

 音もなくパンツを脱いだアージュのツルツルした股間を見ると、しみじみそう思う。

 いやだって、女って立ったまま小便できないんだろ? めっちゃ不便じゃん。

「隊長、背中を流します」

 俺が無駄に見つめていたせいか、何だか催促したみたいになってしまった。

「ああ、いつも悪いな」

「いえ、副隊長として、当然のことです」

 そうかぁ? 他の小隊じゃ誰もそんなことしてないっつーか、自分の面倒は自分で見る、というのは兵士の鉄則だ。

 しかし、すっかりお約束になってしまったのは、洗って貰うとなんだか気持ちいいからだ。

 こんなことをやるようになったのは、いつからだったか。

 アージュは俺が初めて小隊の隊長となった時に配属された、最初の部下だ。

 無口無表情で、必要最低限のことしか喋らない、母艦のシステムAIよりもお堅い奴だったな。

 アージュは特別な訓練プログラムを受けてきた、いわばエリートコースの出だ。何で新任の小隊長の俺のところに配属されたのかは知らないけれど、まぁ、こうしてずっと生き残ってきたのだから、伊達にエリートではないってことだ。

 彼女が副隊長じゃなければ、俺はとっくの昔にヴェイダーの餌食になっていただろう。

「隊長」

 背中をすっきり洗い流すと、アージュがジっと俺を見つめてきた。

 こういう顔は、何か話がある時の顔だ。

 まだあどけなさの残る少女の顔立ち。人形のように整った、とでも言うべきか。同期にこっそり見せてもらった愛玩用美少女ドールなるものの秘密画像を見たことあるが、なるほど、確かに人間が美しいとか可愛いとか、そういう感情を抱くのに優れた造形をしている。アージュはその辺で見かける女性兵士よりも、むしろあのドールに近い。

 サラサラした長い銀髪は解かれ、シャワーに濡れて真っ白い肌に張り付いてキラキラしている。体にはシミ一つなく、傷痕も残っていない。

 身長は俺の胸元くらいまでしかない、その小さく細い体は、たまに同じ人間なのかと思うくらいだ。特に、俺みたいに筋骨隆々で傷だらけの体と比べるとな。

「なんだ、アージュ」

 吸い込まれそうな真紅の瞳を、真っ直ぐに見返す。

「今回の作戦の成功により、昇進が予想される」

「そりゃあな、突入部隊で生き残ったのは、俺達、第七小隊だけだからな」

 あのグレイハウンドの奴らが生還していれば、火星解放の栄光はエリートである彼らが独占していただろう。けど、幾らなんでも一人も生き残っていなければ、賞賛されることはない。

「隊長と私は、大尉から少佐へと昇進します」

「まぁ、そうなるな」

 俺が少佐になる時が来るとは……三等兵から始めた頃では考えられない大出世。思えば、遠くへ来たもんだ。

「佐官からは、2級生存権と市民権を獲得できます」

「市民権かぁ……アルカディアに住むなんて、考えたこともなかったな」

 地球連邦軍の本拠地であるコロニー『アルカディア』は、次代に残すべき優秀な遺伝子を持つ、選ばれた者しか居住することは許されない。

 俺のようにゴミ山出身の奴は、港に着陸することすら許されないのだが……連邦法にある通り、佐官以上には等しく市民権、つまりアルカディアに住む権利が与えられる。

「アルカディアへ居住すれば、2級生存権で限定的ですが、生殖行為が可能となります」

「あー、そうだっけ?」

「そうなのです」

 子供を作ることなんて、もっと考えたことないな。子供なんて、アルカディアの住人だけが持つことが許されている。

 限られた資源の中で、劣った者を増やして養うだけの余力はない。

 連邦軍に貢献することこそが、今の人類に課せられた使命であり、存在価値である。

「隊長、私と子供を作ってください」

「おお、それはいいな! 俺とお前なら、絶対に優秀な兵士になる!」

「ほっ……本当、ですか」

「何でそんな驚いてんだ?」

 自分で言い出したことだろうに。あからさまに視線を逸らしているアージュ。

「いえ、何でもありません。未来の連邦軍のためにも、私と隊長の子作りは使命です」

「そうだな、地球解放には時間もかかるかもしれない。次世代の兵士育成は必要だろう」

 そういうことは、俺には全く関係ないことだと思っていたが……自分の子供ができるとなれば、話は別である。

「俺は一生、戦場で戦い続けると思っていたけど、アージュ、お前との子供ができるなら、アルカディアで暮らすのもいいかもしれないな」

「それでは……約束、してください」

「ああ、約束しよう」

 何だか、アージュの提案のお蔭で、今までに考えもしなかった新しい未来が開かれた気がする。

 ゴミ山での生活と、兵士としての戦場暮らししか経験のない俺には、戦いとは無縁だという平和なアルカディアでの生活は全く想像もつかないが――それでも、アージュと一緒なら、悪い気はしなかった。

「おい、アージュ、顔が赤いぞ。のぼせてるんじゃないのか」

「……そう、かもしれません」

「スマン、温度設定が熱すぎたかも」

「いえ、大丈夫……です」

 アージュは朱のさした顔を両手で覆いながら、フラフラと脱衣所へと歩いていく。

「おい、本当に大丈夫か? 衛生兵メディック呼ぶか?」

「大丈夫、です、うー」

 あのアージュが何か変な唸り声とか上げてるんだけど!? これ絶対に大丈夫じゃないぞアイツ。

「アージュ! ちゃんと安定剤飲んでから寝ろよ!」

 そそくさと出ていく不審なアージュに、俺はそれだけ言い放った。

 安定剤は、精神だけでなく、身体機能も整える効果がある優れものなのだ!




 翌日、早速とばかりに、俺とアージュは揃って艦長室へと呼び出された。

 ブリッジではなく、艦長室とは。初めて入るが……昇進関係の内密な話をする時は、こういう機密区画が利用されているという噂は本当だったな。

 流石に火星解放の栄誉を受けるワケだから、今までのささやかな勲章授与とは違って、色々とあるのだろう。

「第七小隊隊長、ヒューガ・レイン大尉、出頭いたしました」

「同じく副隊長、アージュ・レイン大尉、出頭いたしました」

 俺とアージュの姓が同じなのは、少尉に昇進して3級生存権を与えられた時に一緒に考えたからだ。3級になると姓を名乗ることも許されるのだが、まぁ、俺は別に何でも良かった。あの時はアージュがやけに一生懸命、考えていたと思う。同期の奴らと姓が被らないようリサーチまでしていたし。

「待っていたよ、ヒューガ大尉、アージュ大尉」

「っ!?」

 気さくに声をかけてきたのは、この艦長室の主ではなかった。

 万単位の兵員を預かる大戦艦の艦長ともなれば、大尉程度では口を利くことも許されない遥か上の階級となるのだが……今ここに立つ男は、さらにその上を行く。

 黒ではなく、純白の軍服とマントを纏っているのは、今この火星遠征艦隊においては一人しかいない。

「ドラクロワ准将閣下に敬礼!!」

 俺は思い切り叫び、長年の兵士生活で磨きに磨き抜かれたキレのある敬礼を瞬時にキメる。流石アージュ、俺の神速敬礼にも、遅れることなくバッチリついて来ている。

 厳しい将官だと、敬礼がズレただけで懲罰対象だからな。

「ははは、堅苦しいのは嫌いでね。どうぞ、席へかけたまえ」

「着席!」

 一糸乱れぬシンクロ動作で、俺とアージュは示された通りの椅子へと着席した。

「まずは、アレス作戦の成功、ご苦労だった。君達のお蔭で、無事に火星解放が成し遂げられた。その忠誠と献身に、心からの感謝を捧げる」

「はっ、恐縮です!」

 褒められたら、とりあえず「恐縮です」と言っておけという、先輩の教えが役に立つ日がこようとは。

「私がここへ来たのも、君達の働きを特に高く評価しているからだ。火星女王レッドマザーを屠ったヒューガ大尉と、その救出を最後まで諦めずに実行したアージュ大尉は、連邦軍兵士の模範となるべき英雄的行動であると思っている」

 准将閣下のお言葉は、いち兵士に対してかけるには過分なものだ。いくら作戦成功の功労者とはいえ、ここまで言っていただけるとは――なるほど、艦長室で内密に話をするのには、こういう意図もあるわけか。

「いえ、全ては准将閣下の綿密な作戦計画と卓越した指揮があってこそです」

 助かったアージュ。俺には咄嗟に上手い返しが思いつかなかったんだ。

「なに、大したことはしていないさ。私の作戦も、全てはそれを勇敢かつ忠実に実行してくれる、君達のような兵士がいればこそと、常々思っている」

 ドラクロワ准将閣下は、流石に凡百の将官とは言うことが違う。25歳という若さで、火星遠征艦隊の総司令官を任されるだけはある。

 両親とも総司令部務めの連邦軍高官で、生まれも育ちもアルカディアのスーパーエリート。似たような出自の将官は山ほどいるが、ここまで頭角を現しているのは、類まれな個人の才覚によるものに違いない。

 噂によれば、今回の火星奪還成功を受けて、いよいよ将来的に連邦軍の頂点である元帥の地位も見えたとか。こんな人が元帥になれば、地球ジアース連邦軍は今よりもさらに強大となり、地球奪還の悲願も夢ではないだろう。

「さて、今回の戦功で君達は少佐へと昇進することがすでに内定している」

「ありがとうございます!」

「それから、二人には火星十字記章を授与する」

「ありがとうございますっ!!」

「ただ、火星解放を成し遂げた英雄に規定通りの昇進と勲章だけでは、その働きに報いるには不十分だと私は思ってね」

 まさか、まだ何かあるというのか!

「ヒューガ大尉には、その優れた任務遂行能力と生還率を評価し、強襲揚陸艦『エクシア』の艦長および中隊長に任ずる」

「っ!?」

 艦長兼中隊長だと……あまりに破格の待遇に言葉が出ない。

 普通、兵員を乗せる艦長と、そこに乗る兵を率いる隊長は別々だ。

 兵を運び、上陸、または撤退させるのが艦長の仕事。上陸地点が危険と判断すれば、艦長には作戦続行を断念する決定権も持つ。

 ビビり艦長のせいで、何度、奇襲のチャンスをふいにしたものか分かったものではない。

 しかし、艦長と中隊長を兼任できれば、かなりの範囲で任務遂行の上での決定権を握れる。連邦軍の中でも英雄と呼ばれる者は、この艦長隊長兼任者が多い。多少の危険を承知でも、果敢に敵へと挑めるからだ。

 無論、よほど兵士としての能力を認められなければ、兼任されることはない。

「この『エクシア』は最新鋭の艦でね。アレス作戦には間に合わなかったのだが、インヴェイダーとの戦いはこれからも続く。君が駆る『エクシア』は、必ずや連邦軍に更なる勝利をもたらしてくれると信じているよ」

「あっ、あ、ありがたく、拝命いたします!」

 いかん、喜びと興奮のあまり、ちょっとどもってしまった。

「それから、アージュ大尉に関しては、少佐への昇進と同時に軍属を離れてもらうことにする」

「……どういう、ことでしょうか」

 思わず、といったようにアージュは声に出して質問していた。バカ、准将閣下に向かって兵士が質問なんて許されないだろ!

「君はヒューガ大尉と同じく、素晴らしい能力をもった兵士だ。それを認めた上で、アージュ大尉にはその資質を生かした別な任へと就いてもらいたいのだよ」

 珍しく、アージュは緊張で固唾を飲んでいる様子が俺には伝わった。

 一拍の沈黙を置いて、准将閣下は言葉を続けた。

「――アージュ、君は私の13番目の妻になってもらう」

 はぁ? なに言ってんだ准将閣下……火星奪還に浮かれて、頭がおかしくなられたのか。

 ありえない、ただの女兵士が、将官の妻として迎えられるなど。

「知っての通り『アルカディア』には選ばれたごく一部の人間だけが住むことが許される、我らが人類に残された最後の理想郷だ」

 そして、次世代に残すべき優秀な遺伝子のみが繁殖を許される――

「これはあくまで個人的な見解だが、私は現在の優秀性遺伝子規定には、修正する余地があると考えている。つまり、これまで選ばれなかった者の中にも、残すべき遺伝子があるということだ」

「は、はぁ……」

 俺には全く、理解の及ばない領域の話だ。

「君達兵士にはあまり関わりのない話だとは思うが、未来の地球ジアース連邦軍にとって、これは重要な問題であると私は考えている。そして、この問題解決のための第一歩が、アージュ大尉を私の妻として迎えることなのだ」

 ことの重要性は、兵士である俺には分からん。

 だがしかし、それでもハッキリと分かることがある。

「それでは、アージュ大尉はアルカディア在住の市民権を行使できるということですか」

「無論だ。私の妻となれば、永久市民権、特級生存権、そして参政権も与えられる。彼女を平和なアルカディアに住まわせ、二度と、危険な戦場へ出すことはない」

 そうか、そうだよな……准将の妻ともなれば、その扱いは連邦軍高官と同等以上となる。

 アージュは、もう二度と俺の隣で戦うことはなくなるだろう。

「お、恐れながら、准将閣下――」

「発言を許す、聞こう、ヒューガ大尉」

「アージュ大尉は、ご覧の通り無表情で、長い兵士生活ですので、アルカディアに住むご令嬢とは比べるべくもなく女性的魅力というモノに欠けるでしょう。ですが、彼女は優秀な兵士である以上に、一人の人間として素晴らしい人物であることは、私が保証します」

 戦うことしか考えていない、こんな俺を五年間も支え続けてきたのがアージュだ。どんな状況でも、決して俺を見捨てず、火星でだって最後の最後に救助に来るほどだ。

 ああ、死の間際でもないってのに、アージュとの記憶が溢れ出るように止まらない。

「だから、どうか……アージュに、アルカディアで生涯の平穏と幸福を、賜りたく……」

「ヒューガ大尉、君は実に部下思いなのだな」

 准将閣下は微笑む。

 俺と違って、アルカディア育ちの優美な微笑みだ。

「約束しよう、彼女は私が幸せにする」

 そうして、俺達は艦長室を出た。

 予想通りの昇進と、全く思いがけない進路をお互いに示されて、いまだ驚愕と困惑の感情が大きい。

「アージュ、良かったな。お前はずっとアルカディアで暮らせる」

「隊長……」

「どうした、もっと喜べよ。俺なんかより、准将閣下と子供を作った方が、よほど優秀な子ができるぞ」

 そうだ、これは望外の幸福というものだ。

 副隊長のアージュと別れるのは寂しいものだが、彼女はもう死の危険がない平和な生活が、それも、現在の人類が得られる最上級の暮らしができるのだ。アージュの望んだ通り、次世代の連邦軍を担う優秀な子供も、沢山できるだろう。

 だから俺は、隊長として、仲間として、アージュの門出を精一杯に祝福しよう。

「婚約おめでとう、アージュ」

「わ、私は……」

 感極まったのか、アージュは震える手でポケットから安定剤を取り出した。

 よほど慌てているのか、飲み込みもせず、ガリっと錠剤を噛んでいた。

 ガリ、ガリ、ガリ……と、かみ砕いてから飲み下したアージュは、真っ直ぐに俺を見つめ直した。

「はい、たいちょう、わたしも、うれしいです」

 彼女の赤い瞳は、初めて出会ったあの時のように、光の無い、無機質なモノのように見えた。




 連邦軍の行動は常に迅速だ。

 故に、俺はその日の内に強襲揚陸艦『エクシア』へと乗り込むことになった。

「す、凄ぇ……マジでこんな最新鋭艦が、俺の艦になるのか……」

 エクシアの外観は、一目でソレと分かるほどに洗練されている。かなり思い切った設計の変更がされているのだろう。

 全体的にはシャチのような流線型のフォルムは、従来の艦船とは一線を画すスタイリッシュさだ。つまり、カッコいい。俺の船、超カッコいい。

『エクシアへようこそ、ヒューガ艦長』

「うおおっ! すげぇな、最新のAIは挨拶もできるのか」

 乗艦するなり、歓迎の台詞を艦のシステムAIからかけられた。

 基本的にAIってのは、こっちの質問に答えるだけ、簡単な命令タスクを実行するだけ、と簡素なモノになっている。

 AIの方から話しかけられるのは、思えば初めての経験だ。

「今までのとは比べ物にならんくらい高性能っぽいが……本当に大丈夫なのか」

 インヴェイダーの持つ恐るべき能力の一つに、AIへのハッキングがある。

 人間と同等以上の思考回路を持つほどの高性能AIは、インヴェイダーが発するダークエナジーの波長を受けると、簡単にハックされてしまう。これは、どんな防衛機構を試しても、防ぐことはできなかった。

 だから、初めて奴らが現れた時、人類は高性能AIを備えた、スペック上では史上最強の自動兵器を有する軍備を誇っていた。当時は、人間よりもアンドロイドの兵士の方が遥かに多かったという。

 だがインヴェイダーのハッキング能力により、人類が保有する自動兵器の全ては役立たず、どころか、敵に利用されるだけの最悪の凶器と化した。

 慌てて人類は、AIに頼らないアナログ式の操作、操縦方法へと切り替えてゆき――最終的には、インヴェイダーに対抗する最も有効な兵器は、人間の歩兵が武装する『機動装甲アサルトスーツ』となった。

 AIが人間の支配を離れたことで、再び人類は自らの足で戦場に立つこととなったのだ。

「説明では、奴らの影響を受けないギリギリの性能っていうか……こればっかりは、実戦で試すしかねぇか」

 今回、エクシアに乗り込んでいるのは艦長である俺一人だけである。だが、ガンシップやビークルなどの兵器群はフルで搭載されている。

 何でも、コイツの自動航行機能の試験の一環として、俺を乗せて次の着任地へと向かうそうだ。

 俺はすでに正式に少佐となり、艦長と同時に中隊長も務めることとなった。

 今までは小隊だったが、中隊となると、その小隊が五つ前後のまとまりとなる。指揮する人数が一気に増えるワケだ。

 俺が率いる予定の中隊には、俺の元いた小隊メンバーが全員含まれている。すでに見知った仲間がいるのは、新任の中隊長としてはありがたい。

「アージュも一緒だったら、もっと気楽なんだが――」

 すでに彼女はいない。

 俺の出航と同じくして、アージュはドラクロワ准将と共に、アルカディアへ帰還することが決まっている。

 もしかすれば、もう二度と会えないかもしれない。

「――けど、アイツはもう軍をやめるんだ。これでいい」

 戦場に立つのは、俺みたいな筋金入りの兵士だけでいいんだ。彼女はアルカディアで平和に暮らすのだ。もうこんなクソッタレな地獄の戦場とは無縁であるべき。

「アージュだけは、もう死ぬことはないんだ……安心できる」

 仲間の死は日常的なものだ。

 凶悪なインヴェイダーを相手に、いくら『機動装甲アサルトスーツ』を着こんでいようが、中身は生身の人間である。兵士なんて、あまりにあっけなく死ぬ。専用機持ちの『グレイハウンド』も、俺を残して全滅したようにな。

 しかし、だからといって慣れるようなものじゃない。付き合いの長い奴らが死ぬと、自分も手足を失ったかのような喪失感を覚える。

 そういう時は、いつもより大目に安定剤を飲む。

 コイツさえ飲んでいれば、俺は、いや、俺達は戦える。戦い続けることができる。

 それでも、あの安定剤を飲む直前までに抱える精神的な不安定さというのは堪らないもんだ。それをアージュで経験することがないというのは、俺にとっては不思議なくらいの安堵感を覚える。

『ヒューガ艦長、予定時刻となりました。強襲揚陸艦エクシア、出航いたします』

 どうやら、時間のようだ。

 俺は一人、ブリッジの艦長席に座り込み、離れてゆく火星艦隊を、いや、まだアージュが乗っているだろう母艦を見つめた。

「じゃあな、アージュ。後は、俺達に任せろ」

 そうして、俺は新たなる戦場へと向かう。




『――警告』

 頭がボンヤリする。

 けれど、高らかに響く警告音アラートが、俺の意識をガンガンと覚醒へと導いてゆく。

『警告、警告、非常事態発生』

 ああ、ちくしょう、意識がハッキリしねぇ。

 これだからコールドスリープ中に叩き起こされるのは嫌なんだ。

「な、んだ……何が、起こった……」

 俺は次の着任地である、火星からかなり離れた別な宙域へ向かっていた。距離が遠いために、コールドスリープで眠りについていたのだが――どうやら、不測の事態が発生して、緊急覚醒されたようだ。

「おい、エクシア、どうした……ヴェイダーにでも絡まれたか?」

 いまだ意識が朦朧としつつも、アラートを聞いた俺は脊髄反射で愛用の機動装甲アサルトスーツ『プレデター改Ⅱ』を装着。

 出航に間に合わせるために、アレス作戦でボロボロになっていた愛機も、すでに新品同様となって修復されている。

 すこぶる快調なスーツの動作アシストのお蔭で、頭はフラフラながらも、俺は真っ直ぐブリッジまで駆け込んだ。

『状況報告。現在、当艦はダークマターホールの発生による、超次元変動流と接触中』

「な、んだとぉ……」

 ようやく意識が戻ってきたところに、とんでもないバッドニュースが叩きこまれた。

 ダークマターホールとは、インヴェイダーが持つダークエナジーが超密度に圧縮されている現象だ。何故、そんな莫大な量のダークエナジーが発生するのかは不明。

 ただ一つ分かっていることは、その穴から奴らはやってくるということだ。

「急いで脱出しろ! エナジードライブがぶっ飛んでもいいから、全開で回せっ!!」

『了解、エナジードライブ最大出力、全速航行に移行――報告、異常発生』

「今度は何だ!?」

「エナジー流路および接続回路に異常発生。出力低下」

「はぁあああああ!?」

 どうしてそんな艦が止まるような致命的な欠陥が発生するんだよ! よりによって、今、この瞬間に!!

「おい、今の出力で離脱できるのか!? どうなんだ!!」

「出力、さらに低下。ダークエナジー濃度増大――脱出不能領域まで、あと870キロメートル」

「1000キロ切ってんじゃねぇかよクソぉおおおお!!」

 1000キロ単位など、宇宙空間においてはごく短い距離である。

 もう、何か手だてを講じるにしても、あまりに近すぎる。

 ダークマターホールは、ブラックホールのように巨大な重力も発生させて、周囲のモノを引きこむ性質を持つ。

 いや、重力だけではない。超次元変動流と呼ばれる、超密度のダークエナジーの奔流も渦巻き、コイツに絡め取られてさらに穴へと引き込まれる。

 穴の中心がどうなっているのかは、分からない。正確な観測は一度もできていないからだ。

 ただ、ブラックホールほどではないにせよ、凄まじい重力が発生しており、最新鋭の艦であってもペシャンコどころか、掌サイズにまで超圧縮されるだろう。

 つまり、捕まってしまえば、死は免れえない。

「急いで欠陥箇所の修復を――」

『脱出不能領域、突入。当艦は、ダークマターホールからの離脱は不可能な距離にまで到達』

「おいおいおい、ウソだろお前、なに諦めてんだよ!」

 ふざけるな、ふざけんなよぉ……こんなところで死んでたまるか。

「まだだ、まだ何か方法が」

『脱出、不可能』

「ち、ちくしょう……こんな死に方があるかよ……」

 俺は兵士だ。

 戦って死ぬ覚悟は、とうの昔に決めている。

「ふざけんな、こんな、事故死みたいなので死ねるかよ!」

 だが、戦場以外で死ぬ覚悟までは、していない。

「クソがぁ! ヴェイダー共ぉ! 今すぐ来い、俺を殺しに来やがれ!!」

 せめてこの艦にインヴェイダーが襲ってきてくれれば、少なくとも俺は満足して死ねる。ゴキブリ野郎一匹でもいい。兵士が死ぬなら、敵を道連れにしなければ、死ぬに死ねねぇんだよ。

「殺せっ! 俺を殺せぇーっ!!」

 しかし、どんなに吠えても発生したばかりらしいダークマターホールから、インヴェイダーが襲来することはない。

 ここからもっと時間をかけて安定しなければ、奴らが現れる次元の穴とやらは完成しない。

 つまり、俺は奴らのトンネル工事に巻き込まれて、味方からも、敵からも認識されず、ひっそりと死ぬわけだ。この、最新鋭艦エクシアと共に。

 はは、とんだ豪華な棺桶だぜ。

「い、嫌だ、死にたくねぇ……こんなところで死にたくねぇよ!」

 無駄死に、という絶望を前に、俺の体は恐怖で震えてくる。

 安定剤は……チクショウ、スーツを着たままじゃ飲めねぇよ。

「くそ、くそぉ、死にたくねぇ……頼む、お願いだから、戦って死なせてくれよぉ……」

 真の絶望を前にすると、ソーマトーすら出やがらねぇ。

 分かっている、出たところで、死の運命は変えようがないってことに。

 そして、ブリッジに表示される画面には、俺を飲み込まんと黒々とした巨大なダークマターホールの解析画像が移されている。

 その他に、この艦の耐久限界を示す数値や、相対距離などなど。

 俺はどうしようもなく、自分の死期というのを秒数刻みで理解してしまう。

 この艦がブッ潰れるまで、あと、20秒――

「……アージュ、はもう助けには来れねぇんだったな」

 なら、いいか。アイツが幸せを掴むところを、俺は見届けられたと思えば。

 だから、俺の人生は、ここまででいい。

 ああ、耐久限界、ちょうど0秒だ。

「――地球ジアース連邦軍、万歳」





 第一章 妖精郷リリィヘイム


「うっ……ぐぅ……」

 寝覚めは、それほど悪くはなかった。

 気分的には、ビートルタイプの重装甲インヴェイダーの突進でブッ飛ばされた直後のような。つまり、俺は無様に地べたを這いつくばって、途切れた意識が戻ってきたということだ。

「い、生きてる……のか……?」

 すんなりと立ち上がれる。ということは、手足はちゃんとくっついている。

 パっと見た限り、スーツに損傷は見られない。磨き上げられた深緑の装甲はピカピカだ。馬鹿、迷彩色だからハンターグリーンカラーにしてんのに、こんなに光沢出してるんじゃねぇよ。整備の奴らはいっつもカッコ良さ重視でカラーリングしやがる。

 そんなどうでもいい愚痴が頭に浮かぶほどには、思考も回って来た。

「俺は、確か……」

『バイタル、正常』

「だから遅ぇよ」

 俺の体のことはもういい。そんなことより、目覚める直前のことだ。

「そうだ、艦はどうなった!? おい、エクシア!」

 最新鋭の高性能AIであるエクシアは、スーツのポンコツと違って1秒のラグもなく、声をかければ即座に返答するはずなのだが……まるで応答がない。

「クソ、これはマジで非常灯しかついてねぇのか」

 改めて、自分の状況を再認識する。

 俺はブッリジにいる。ダークマターホールに突っ込む最後の瞬間も、ここにいたからだ。

 しかし、俺と同じように、ブリッジにもこれといって損傷した箇所は見当たらない。

 ただし、薄らと赤い非常灯……完全にエナジーが底を突いた最悪の状況下でのみ、僅かな予備電源を頼りに照らされる、最後の光が灯っている。これが点灯している状況なんて、新兵時代の訓練でしか見たことねぇぞ。

 ともかく、この頼りない非常灯が点灯しているということは、エクシアのあらゆるシステムはエナジーの供給が途絶えオフになってしまったのだろう。

「どういうことだ、何で俺は無事でいられる。脱出は不可能だったはずだ」

 驚くほどに、何も変わらない。

 艦の動力であるエナジーが完全に尽きているということは唯一にして、致命的な変化ではあるが。

「まさか……これは訓練か?」

 ありうる。あまり戦闘の発生しない任地に駐留する部隊などは、常に実戦での緊張感を保つために、抜き打ちでの訓練が日常的に行われているという。

 ならば、この最新鋭艦を任された新人中隊長である俺に、そのテの訓練、あるいは、抜き打ち試験を課せられてもおかしくない。

 ならば、あのダークマターホール発生はただの偽情報ということだ。

「よし、それなら行動開始だ」

 これが抜き打ち試験であれば、適切な行動をとらなければ、最悪、艦長と中隊長の座ははく奪だ。

 大丈夫だ、俺は数多の戦場を乗り越えてきたベテラン兵士。そして、火星解放の英雄様だぜ。

 非常事態こそ我が日常。戦場ではいつも、予想通りに事が運ぶことはないのだから。

「まずはシステムチェック――って、やっぱダメか」

 コンソール類は全滅だ。そもそも動力源のエナジーがないのだから、動くはずがない。

「これじゃあSOSも出せねぇ」

 今、艦内で出来ることはほとんどない。

 非常灯で最低限の灯りが確保できていることと、あとは扉やハッチの開閉。

「ちっ、スーツのエナジーもかつかつじゃねぇか」

 確認してみれば、俺の『プレデター改Ⅱ』のエナジータンクの残量は、1%を切っている。辛うじて通常稼働ができる状態だ。

 スーツが稼働していれば、宇宙空間でも活動できる。外に出て船体修理の必要があるなら、スーツが動かなければどうしようもない。

 どうやら、考え込む時間もなさそうだ。即座に行動に移らなければ、僅かな生存の可能性が0へと閉ざされる。

「しょうがねぇ、帆を張りに外出るか」

 恐らく、どこかに手動で展開できるエナジーセイルがあるはずだ。

 宇宙空間でも惑星でも、エナジーというエネルギーは大なり小なり存在している。全宇宙に満ちる万能のエネルギー源がエナジーなのだ。

 セイルは、それを効率よく取り込むためのパネルである。

 普段は安定航行時に自動展開され、少しでもエナジーを補給するための装置だが、こういう非常自体を想定し、一部は手動での展開も可能となっている。

 時間はかかるし、吸収率も微々たるものだが、少しでも回復すればシステムを再起動できるし、スーツにも補給できる。さらに他のエナジーセイルも全開にできれば……どれだけ時間がかかるかは分からないが、エナジー濃度の薄い宙域でも、多少は航行できるだけのエナジーをかき集めることはできるだろう。

 無論、セイル含めて船体が無事であればの話だが。

「頼むから、ブリッジしか残ってないとかはやめてくれよ……」

 実は本当に奇跡的にダーマターホールから生還できていたとすれば、船の全てが無事であるとは到底思えない。修復不能なレベルで大破ってのも普通にありえる。

 そうなれば、あの瞬間に死ななかったというだけで、俺は今後一ヶ月以上かけてブリッジでひっそりと衰弱死するだけの暗い未来となってしまう。

「ふぅ……こんな緊張は、初出撃以来かもしれん」

 外へと通じるハッチの前に立つと、ドキドキしてくる。

 俺が初めて戦場へ出た時も、こんな気持ちだった――あの時はハッチが開くより先に、キラービーが突っ込んできて、同期が全滅したけどな。

「よっしゃあ、行くぞ! ハッチオープン!」

 バシュウウ、と音を立てて両開きの重厚なハッチが開かれてゆく。

「――っ!?」

 まず、僅かな隙間から差し込んだのは、眩い光。

 まずい、まさかどっかの恒星付近にいるのか!?

 いや、スーツには何の耐熱異常も示されていない。ただ、眩しいだけの光。

 けれど、そんな輝きが無謬の宇宙空間にあるはずがない。

 ならば、これは何だ。ここはどこだ。

 その答えは、ゆっくりと開かれたハッチの外が示してくれた。

「……な、んだ……花畑?」

 目の前に広がるのは、色とりどりの花が咲き誇る花畑であった。

 赤青黄色と、色んな種類が、けれど、花になんて詳しくもない俺には一つもそれらの名前は分からない。

 分からないけれど、ありえないと思った。

 こんな目に見える限りの広大な花畑など、存在するはずがないからだ。

 そんな美しいだけの景色など、もう人類の生息域には存在が許されない。あのアルカディアでも、こんなに広大な花畑などないだろう。

『大気成分、解析完了――人体への有毒性ナシ。呼吸可能』

「そうか、空気はあるのか」

 珍しく、俺が考えるよりも先に、スーツのAIが有用な情報を教えてくれた。

 どうやら、ここの空気は吸えるらしい。

「ここはどこの惑星……いや、コロニーか?」

 エアタンクの稼働だけでもエナジーは食うので、ヘルムを解除して素顔を晒す。

 涼やかなそよ風が頬を撫で、俺の黒い髪を揺らす。

 土の臭い。花の香り。豊かな自然を感じさせる空気ってのに馴染みはないが……なるほど、美味い空気、ってのはこういうのを言うんだろう。悪い気はしない。

「ホログラムじゃねぇ本物の空がある、ってことはコロニーではないな。テラフォーミングされた惑星か衛星か……けど、こんなトコロが存在するのか」

 現在、人類が居住可能な星は限られている。奪還した火星の再生もこれから始まるワケだしな。

 どちらにせよ、これほど広大な花畑があるならば、必ず有名な保護区に指定されているはず。

 それを俺が知らないということは……まさか、機密区画だとでもいうのか?

「いや、今は場所のことよりエクシアだ」

 ここがどこであろうと、艦が動かなければどうしようもない。

 俺は花畑のど真ん中に着陸……というより、墜落している強襲揚陸艦を見上げた。

「あー、コレはダメかもしれねぇな……」

 全体的に形は保っているものの、船首から船尾にかけて無事なところは見当たらないほどの破損具合である。

 ブリッジをはじめ、非常灯の灯る艦内はそのままだったので、ダメージは外装部分だけで防ぎきっているのだろうが、それでもなかなかの壊れ振り。動力が戻ったところで、上手く飛べるかどうかは五分、いや、三分といったところか。

「ちくしょう、俺は兵士で修理屋じゃないんだが」

 最低限の補修は必要になるだろう。

 俺にできるだろうか。

 エナジーさえ戻ってエクシアが復活すれば、整備マニュアルなんかもAIは把握しているはずだから、何とかなるかもしれない。

 問題はむしろ、補修用の資材か。治し方が分かっても、材料がなければどうにもならんし――と、頭を抱え始めたところで、スーツの内蔵センサーが反応を示した。

『高エナジー反応』

「なんだと、友軍か!?」

 スーツを稼働するくらいのエナジー出力が近くにあると、センサーが探知してくれる。

 出力反応はエナジーで、インヴェイダーの持つダークエナジーではない。敵の出現ではないことに安心するが、

『識別信号ナシ』

「アンノウンだって? どういうことだ――」

 と、俺は背中にマウントしてあるエナジーパルスライフルをすさかず構え、反応が現れた方向を向く。

 果たして、そこにアンノウンは現れた。

「わぁー」

 それは白く輝く光の玉で、子供のような声を出した。

 照明弾のように光る球体は、直径30センチメートルといったところか。どこから現れたのか、フヨフヨと花の上を浮遊している。

 なんだコレ、っていうか、喋るのか?

「なにこれなにこれー、大っきー」

「おい、止まれ! 何だお前は! 所属と氏名を名乗れ!」

 エナジー反応があるってことは、新型のドローンか何かだろう。俺はすさかずライフルを向けて誰何を問う。コイツを操っている奴は、何者だ。

「んー? なまえー?」

 俺の声は届いているようだ。

 光球ドローンは真っ直ぐに俺の方へと接近してくる。

「止まれ、それ以上は近くづくな。高価なドローンを御釈迦にされたくなけりゃあ――」

「リリム! リリムだよー!」

 ソレは、フワリと俺が構えた銃口の上に降り立った。

 人型、である。人形というべきか。

 白く輝く、幼い子供を象った人形で……けれど、瞬きをして、口を動かす、その動作は本物の人間のよう。

 だが、こんなに小さな人間はありえない。

 身長約30センチ。そして、背中から光る羽が生えている人間なんて、どんな遺伝子改造を施してもできるはずがない。

「な、んだ……妖精、なのか」

「うん、リリム妖精だよ!」

 キャハハ、と無邪気に笑ったリリムを名乗る妖精人形は、フワリと飛び上がっては、俺の周りをピカピカ光りながら飛び回る。

「はぁ、妖精だと、ありえねぇ」

 ありえないが、そうとしか思えない姿形である。俺は興味なかったが、仲間の中には、ファンタジーと分類される娯楽作品を好む奴らがいたものだ。あのテの奴は、どうして趣味の話になると早口になる上に際限がなくなるのだろうか。

 いや、そんなことよりこの超精密な妖精人形が問題だ。

 馬鹿にしてんのか、俺の周りをグルグルしている妖精の軌道を見切って――そこだ!

「おら、捕まえたぞ。おいリリムとやら、ここがどこか答えてもらうぞ。場合によっては緊急措置として連邦軍への物資供出もありえるからな」

「キャハハ! くすぐったいよぅ、プハー!」

 胴体を掴んだ掌で、リリムが笑いながらジタバタ暴れている。

 その完成度から、かなり高価な人形と思って壊さないよう優しく握ったのだが、くすぐったいって何だよ。人形のくせに、触覚があるかのような反応をするとは、コレを操作している奴はすっかり妖精になり切っているようだ。頭ファンタジーかよ。

「しっかし、すげー手触りだな」

 スーツのグローブ越しでも触覚はあるため、素手同然の感度だ。それによると、リリムに触れた感触はかなりの柔らかさだ。

 人形サイズだから胴体は俺の手首より細いが、この柔らかな感触は、うーん、アージュの二の腕のようだ。服は着ていないので、リリムは素っ裸。光る裸体はいかにも作り物臭いが、しかし、この素肌同然の触り心地である。

「本物の人間と同じ……何で出来てんだこのプニプニ感は」

「キャハー!!」

 本当にくすぐったいのか、身をよじってリリムは俺の手を脱して、空中へと逃れた。

 この一連の流れで、俺は一つの疑念を抱く。

 コレ、本当に人形なのか?

「おいリリム、真面目に答えてくれ。お前はどこの所属で、ここはどこなんだ」

「んー? ここー?」

 もったいぶったようにヒラヒラ飛びながら、リリムは俺の肩へと着陸。深緑に輝く肩アーマーに座り込み、キラキラした赤い目が真っ直ぐに俺を見つめた。

「ここは『妖精郷リリィヘイム』だよ! リリムみたいな妖精がいっぱい住んでるの」

 それはまたファンタジーな答えが返って来たもんだ。

 うるせぇ、ふざけたコト言ってねぇで、さっさと俺の艦の修理に協力しやがれ――という返答を飲み込む。

 俺の肩に止まった妖精リリム。

 その姿を間近で見て、俺はいよいよ確信する。

「人形じゃねぇ……本物、なのか……」

 コイツは本当に、こういう生き物なのだ。

 小さい人間で、羽が生えていて、光って空を飛ぶ……妖精だ。

 リリム、俺と同じ黒い髪に、アージュのような赤い瞳を持つ、幼い女の子の姿をした彼女からは、何というか、こう、確かな生気というものを感じる。

 おまけに、チラっとセンサーを確認すれば、こんな小型サイズのドローンでは決して持ち得ない高いエナジー反応を示している。保有エナジー量だけなら『機動装甲アサルトスーツ』並みである。

 なんだそれ、高濃度エナジーの塊かよ。

「ねぇ、あなたのお名前は?」

「……あ、ああ、俺か」

 そういえば、俺は名乗っていなかったか。

 このリリムが本物の妖精なのか、それともオーバテクノロジーな完成度の人形なのか、どちらにせよ敵意はなく、友好的な態度である。ならば、こちらもそう対応すべきだろう。

地球ジアース連邦軍第一火星艦隊第十三連隊所属、ヒューガ・レイン少佐だ」

「じあーす? じあーすさん?」

「お前最初の方しか聞き取れてないじゃねぇか」

 たまにいるんだよな、所属をまるで聞こうとしないヤツ。中には自分の所属を忘れているほどの超ド級のアホもいるのだから、連邦軍は人材の宝庫である。

「ヒューガでいい。お前は見たところ幼児並みの知性だからな、特別にヒューガと呼ぶことを許可してやる」

「うん、ヒューガ!」

 何が楽しいのか、リリムは笑いながら、俺の頬をペタペタ触ってくる。

「うーん、お前に質問しても大したコトは分からなそうだな」

 リリムの他にも妖精は沢山いるらしいから、一人くらいは話の通じる妖精もいるだろう。

 ともかく、ソイツからこの場所について詳しい説明を聞かなければ。

「おいリリム、他のお仲間はどこにいるんだ?」

「んー、みんな来たよ!」

『高エナジー反応、多数接近』

 センサーに感あり――って、おいおい、なんだよこの数は!?

 千に届かんばかりのエナジー反応だ。

 それを感知した次の瞬間には、花畑から現れる眩い光の数々。

「眩しすぎんだろクソー!」

 サングラスフィルター稼働しているじゃねぇか。ちょっとした閃光弾フラッシュバン並みの光量である。

 だが、気にするべきはこの輝きではなく、奴らの数だ。

「おおぉー、すごーい!」

「なにこれデカーい!」

「船?」

「魚?」

「イルカー?」

 ワイワイとはしゃぐようなガキの声で、俄かに騒がしくなる。

 それもそうだ、現れた沢山の光の球が、全てリリムみたいな幼女だったらかしましいに決まっている。子供ってのは、まだ素直に軍規に従うことが難しい、理性の未熟な状態だからな。

「あー、ここ開いてる!」

「中に入れるよ!」

「探検しよ! 探検!」

 好き勝手にエクシアの周りをビュンビュン飛び回っていた妖精達は、俺が出てきたハッチに目をつけ、次々と飛び込んでくる。

「あっ、おい待てお前ら、勝手に入るんじゃねぇ! 乗艦許可証ナシに艦船への不法侵入はシャレにならねぇ重罪だぞコノヤロウ!!」

 と、俺が艦長として警告を発するが、コイツら、誰一人として聞いちゃいねぇ。

「この人だれー?」

「ニンゲンなの?」

「ヒューガだよー」

 俺の周りにも、他の妖精共がやってくる。

 やはりリリムと同じように光る裸で、羽が生えて自由に空を飛んでいる。髪や目の色は花のように様々な色の奴らがいる。赤やら青やら、派手なカラーリングしやがって。

「リリム、俺の艦に触らないようコイツらに言ってくれ」

「えー」

「えーじゃねぇだろ。お前の仲間だろがコイツらは。それとも、誰か指揮官がいるのか?」

「お姫様はいるけどー」

「姫っておい、どういう組織構成してんだよ」

 それって中世の封建社会にあるような地位だろ? 連邦軍にはそんな超前時代的な階級制度は残っていない。

 だが、特別な女性を指して「姫」などと呼ぶ文化は残っている。

 ただの女性指揮官に対するスラングだとするならば、ありえないことはない。まさか、本物のお姫様なる地位にいる者など、現代で存在するはずないだろう。

「きゃはは、なにこれー!」

「ここ変なのがイッパイあるよー」

「これキレーイ」

「お城に持ってかえろー」

「ぬぁあああーっ! お前ら何やってやがる、やめろぉ!!」

 見れば、艦内に侵入した妖精共が略奪行為を働いているようだった。

 恐らくは格納庫か整備室から持ち出してきたのだろう、キラキラと光るスーツの部品や、ボルトにナットなどの通常の部材なども小脇に抱えて飛び去っている。

 さ、最悪だ、俺の艦が略奪されるとは……おのれ、妖精を名乗る野蛮人共め!

「こらーっ! テメーら許さねーぞ!!」

「きゃー!」

「怒った怒った!」

「やーん、捕まっちゃーう!」

「待てコラぁー! 特にそこのクリスタルベアリング持ってる奴! それ一個幾らすると思ってんだ!!」

 略奪妖精の中にはマジでシャレにならないような高価な部品を奪った奴もいるので、もしもソイツを逃がせば大変なことになる。主に、貴重品を奪われた俺の責任問題が!

 しかし、俺のガチで必死な叫びを嘲笑うかの如く、妖精共はキャーキャー言いながら笑顔で逃げ回っている。

 ダメだ、縦横無尽の空中機動力にこの小型サイズじゃあ、そう簡単には捕まえられない。俺が繰り出す腕の隙間を、コイツらはキャハハと笑ってすり抜けていく。おのれ、羽虫風情が!

「くっそぉ、このチビ共め、俺を本気にさせたな」

 スーツの機動力を使ってでも、略奪者は捕らえる! 特にクリスタルベアリングの奴は絶対に!!

「覚悟しやがれぇ――」

「止まれ、そこの人間!」

 その時、他の妖精とは桁違いに大きい、青白く輝く光の球が現れた。

「ああ?」

「我ら妖精族に手を出すつもりならば、許さぬぞっ!」

 と、他のリリムはじめガキ全開な奴らとは異なる、鋭い台詞を青い光球は発している。

「なんだぁ、テメぇ」

「私はリリィヘイム近衛騎士団長、リース・ティアリングハート!」

 なかなか立派な名乗りを上げる青い新妖精は……なるほど、他の奴らとは格が違う。センサーが示す大雑把なエナジー出力は、リリムの3倍近い数値を叩き出している。

 かといって、コイツが3倍デカい体をしているというワケでもない。

 身長も体格もリリムと同じ人形サイズ。金髪碧眼のガキンチョ丸出しの幼女でしかない。

 だがしかし、青く光る以外にも、コイツは他の奴らと大きく異なる点がある。

 鎧を着ているのだ。

 無論、俺のような『機動装甲アサルトスーツ』ではない。もっと前時代的な、本当にただの鉄の装甲を纏っただけの、鎧兜である。

 だが、くすみ一つなく煌めく白銀の鎧は、今ではデータベースの中でしか存在しない地球の美術品の如く、純粋な美しさというものを感じた。

 まるで、スーパーリアル幼女フィギュアに一級品の鎧パーツをこしらえた、みたいな無駄に完成度の高い外観。作品名をつけるなら、妖精騎士といったところか。

「なるほど、団長と言うからには、それなりの指揮権ってモンは持ってんだろ? なら、さっさとアイツらの略奪行為を止めやがれ!」

「それは無理だな」

「なんだと」

「呼びかけただけで、子供が止まると思うのか」

「そうかい、なら、悪ガキ共にはお仕置きが必要だな」

「如何なる理由があろうと、我が同胞に手出しはさせん!」

 俺がスラスターのアップを始めると、その戦意に気づいたかのように、妖精騎士は槍を構えた――というか、槍、だよな? 細長い円錐の武器は、騎士が馬上で振るう突撃槍だと思われる。ファンタジーオタクの部下が、資料集を広げてはジョストがどうとか言っていたが、細かい内容まで覚えちゃいねぇ。

 さて、鎧に続いて、またしても前時代的アイテムの登場だが……あの槍、サイズからしても単なるオモチャにしか見えないが、何故だろう、銃口を突きつけられている気分になる。

「おい、武器を向けたんだ、覚悟は出来てんだろうな?」

「無論だ。貴様こそ、警告で済む内に大人しく引き下がり、沙汰を待つが良い」

 すでに俺は、いつでも全力機動できるよう体勢は整えている。

 対して、妖精騎士も他の奴らと同じ人形サイズのくせに、なかなかの気配を醸し出していやがる。

 入隊してからずっと、訓練と実戦を繰り返す毎日を送る俺は、何となく相手が本当に強いのか、ただのハッタリなのか、分かるんだ。いわゆる一つの勘ってヤツか。特に何の科学的根拠のない直感だが、五年くらい最前線で戦い抜けば、大体誰でも分かるようになるものだ。

 そんな俺の勘が、この妖精騎士――リース・ティアリングハートとやらが決して見た目で油断のできない相手であると感じている。

 チッ、素手で無傷のまま捕縛ってのは、難しいかもしれないな。

「ヒューガ、けんか?」

「リリム、危ねーからお前はちょっと下がっとけ」

 ほっぺたにくっついてくるリリムを、指で押してどかす。

 リリムは俺の肩をコロコロ転がって、そのまま宙に飛び出してフヨフヨと浮遊状態に移行していた。

 よし、お前はそこで俺の雄姿を見届けろ。連邦軍兵士の実力、見せつけてやるぜ。

「退く気はないか……ならば、名前くらいは聞いておこう。人間よ、名乗るがいい!」

地球ジアース連邦軍第一火星艦隊第十三連隊所属、ヒューガ・レイン少佐」

「よかろう、ヒューガ。決闘、受けて立つ!」

「へへっ、ご自慢の鎧を凹ませて泣かしてやるぜ」

「ぬかせっ! 叩いた減らず口、後悔するがいい――いざ、参るっ!」

「しゃあっ、かかって来いや――」

『エナジー残量0% 強制終了』


 ビィイイイイイイイイイイイッ!!


 けたたましいブザー音と共に、スーツの駆動システムが全てシャットダウン。勿論、吹かしていたスラスターもシュウウウン……と悲しい音を立てて停止した。

機動装甲アサルトスーツ』を動かすエネルギー源たるエナジーが切れても、身動き一つとれなくなるワケではない。宇宙一である連邦軍の技術の結晶であるスーツは、たとえエナジー切れでも、最低限の稼働を可能とする。

 どれくらい動けるかというと、えーと、ほら、人類が初めて月に降り立った時に着ていた宇宙服ってあるじゃん? あんな感じの機動力に……

「ちょっ、ちょっと待っ――」

「成敗!!」

「ぎゃああああああああああああああっ!!」

 止まっているに等しい俺に向かって、リースが槍を繰り出すと、その先端が眩しく光って――なにがなんだか分からん内に、俺はドっと花畑に仰向けに倒れ込んでいた。

「ぐううっ、ち、ちくしょう……エナジー残量が1%切ってたのを失念するとはぁ……」

「ふっ、口ほどにもないな、ヒューガとやら」

 と、倒れた俺の胸の上に立って、小憎らしいドヤ顔を披露するリース。おのれ、エナジーがあと5秒持っていれば、お前なんてぇ……

「さて、ようやく大人しくなったな。これなら楽に連行できそうだ」

「連行、だとぉ……俺をどこに連れていくつもりだ」

「決まっている、妖精城デスティニーパレスだ。そこで姫様の沙汰を受けるがいい」

 どこだよそこ、っていうか、姫様? リリムの言っていたコードネーム『お姫様』とかいう最高指揮官か。ちょうどいい、ようやく話の分かる奴と会えそうだ。

「おーい、みんなこの人間を城まで運ぶのを手伝ってくれー」

「はーい!」

「わーい!」

「やだー!」

 リースの呼びかけに応じて、ワラワラと虫のように妖精共が俺へ群がってくる。

 奴らはスーツの装甲に小さい手を引っかけ――って、そのまま持ち上げんのかよ!

 俺は仰向けのまま、妖精の人力によって宙に浮かび、そのまま動き始める。どうやら、マジでこの状態のまま城まで運び込むらしい。

「な、なんて無様な……」

 エナジー切れでチビの妖精に負けてあっさり捕縛とは、連邦軍兵士にあるまじき体たらく。部下が誰もいなくて良かった。こんな妖精共に捕まった姿を見られたら、アージュも黙って転属願いを出すだろう。

「クソ、船は落ちるは、喧嘩に負けるは、散々だな」

「ヒューガ、おちこんでる? げんきだして」

 いつの間にやら、戻って来ていたリリムが、俺の頭をなでなでして来る。完全に子供扱いだが、まぁ、俺を慰めようという気持ちは伝わってくる。

 でも、額に座り込むのは止めて欲しい。

「ええい、チクショウ、もうどうにでもなれよ」

 思えば、何から何まで意味不明な状況に陥ったものだが……まぁ、セントラルハイヴのど真ん中に落ちるよりかは、遥かにマシだろう。インヴェイダーさえ現れなければ、大抵のことはどうにかなるもんだ。

 そう覚悟を決めて、俺はどこまでも無様な格好で、妖精達に連行されてゆくのだった。


 これで、今回の特別企画は全て終了となります。最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。どれも長編作品の冒頭だけという半端ぶりですが、少しでも楽しんでもらえたなら幸いです。


 この作品は、一番最近に書き始めた作品となります。最近思いついたのに、実は一番、最終話までのプロットが固まっている話でもあります。

 多分、本気で書き始めたら黒の魔王よりも先に完結させられる自信ありますね。そんな労力と時間はどこにもないのですが・・・

 一応、おおまかにプロットができている作品ですので、これもまた連載の希望を捨てないためにネタバレはあまりしない方針にします。

 ただ、最初からヤンデレ全開感漂うアージュは、プロローグだけの出番ではなく、きちんとヒロインとして物語で活躍することとなります。ヤンデレ相手にNTRかまそうとする准将閣下の勇気に敬礼!

 それから、また妖精か、とは言わないでください。リリィとはまた別に、妖精ヒロインを書いてみたい欲求にかられ・・・メインヒロインになるほうな、妖精騎士のリースの方になります。リリムの方は今度こそマスコット的なキャラに・・・なれるといいですね。


 明日の金曜日は、通常通りに『黒の魔王』と『呪術師は勇者になれない』の最新話を投稿いたします。それでは、これからもよろしくお願いします!

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